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第零章 プロローグ
調査
しおりを挟む星々が点々と広がり、三日月が浮かぶ夜空。
まだ夜の八時ぐらいだというのに、人の気配がない路地をヨエルとクロエは並んで歩いていた。
観光地として有名な場所だというのに、不気味な程コラーダの町は静まり返っており、虫や獣の鳴き声と二人の足音だけが虚しく響き渡っている。
「…ふーん。連続猟奇殺人、ねえ」
クロエから渡された数枚のファイルをペラペラと捲りながら、月の光と街灯を頼りに眺めるヨエルは溜め息を吐いた。
ファイルの中には、クロエ独自で調べた内容だけでなく、切り取られた新聞の記事までもが貼られており、事件を丁寧に纏め上げていることが分かる。
そして、それらの厚さは中々のものであり、事件は一度のみならず幾度かに発生していた。
「そう。今じゃ、事件を恐れて誰も外を歩かなくなってる。事件が起きるまでは、こんなはずじゃなかったのに…」
事件が起きる前までは、コラーダは観光地として大変人気がある町で、昼夜問わず人々の姿が見え、活気に満ち溢れていた。
経済も安定し、時には盛大な催しも開催されたというのだが、今は見る影もなく静まり返っている。
家屋の窓からは光が漏れ、確かに人々はここで暮らしているのだろうが、まるで恐れているかのように物音一つすらしない。
また、どの店もシャッターを閉めており、これでは経済が滞るのも無理はなかった。
「でも、どうしてあんた一人で捜査してるんだ?そんな物騒な事件なら、普通もっと大掛かりで行うはずだろ?」
「事件が起きた最初の頃は、当然捜査班が組まれて調べてたの。だけど、捜査していた警察官が何人も巻き込まれるようになってからは、警察署も捜査に慎重になって…。外部からの増援が来るまでは、捜査も縮小するようになっちゃったのよ」
そう言われたヨエルは、再度ファイルを見直してみると、コラーダの捜査官数名が事件に巻き込まれ、死体で見付かったという記事が確かにあった。
そして全体の記事を見た上で、犠牲者の数を大まかに計算してみたところ、その数は何と十数名にも及ぶという異常な事件だった。
数もさることながら、人々を守る警察官までもが殺されたとなっては、住民が恐れて家に閉じ籠るようになったのも頷ける。
そしてそのような事件は大々的に広まり、恐怖の町として観光客の足は自然と遠のくようになったのだった。
「しっかし、犠牲者の数もだけど、殺され方もまた大概だな」
記事によると、その全ては刃物や銃器で殺されたというわけではなく、まるで獣か何かに食い散らかされたかのような死に方とのことだった。
無残な死体は識別が困難なものもあり、それは人間では絶対にできないような傷だったという。
誰が、何がこのような事件を引き起こしているのか、全く見当がつかないこの事件は、より不気味さと不穏さを引き立てていた。
「最初は、動物による事件だと思われていたわ。でも、この周辺にそんな危険な動物はいないし、それと思しき動物達を射殺して解剖しても、事件の痕跡は一切見付からなかった…」
「なるほどね。それじゃ、他に心当たりは?」
ヨエルの問い掛けに、クロエは身体を震わせて動かしていた足を止める。
歩調を合わせていたヨエルも、同じく立ち止まってクロエの顔を見つめた。
「……あると言えば、あるわ」
暗さと前髪で隠れて、クロエの表情こそはっきり見えないが、その声と唇は僅かに震えていた。
一方のヨエルは、何かに気付いているようで、表情を変えることなくただ強い眼差しでクロエを見続けていた。
「あんたが纏めたファイルを見たところ、事件が起き始めたのは約一か月前…。そして、あんたみたいな新米婦警が、こんな状況でも一人で捜査してることを踏まえれば、そう言うだろうな」
ヨエルの言葉に、クロエは「え?」と声を上げ、驚嘆した表情をヨエルに向ける。
驚嘆しながらも不安に包まれたクロエの瞳と、強く真っ直ぐなヨエルの瞳は重なるが、その青く澄んだ空のような瞳を見た彼女の胸中は、少し明るくなった感じがした。
「何か…分かるの?」
「まあ、色々とね。小さい頃から訳アリの生活を送ってれば、否応なく色々見えるようになってくるもんだよ」
ヨエルを最初に見た時から、普通の少年ではないことは感じ取っていたが、こうして話を聞いているとその感覚が間違いではなかったことが分かる。
また、全身を覆うマントを羽織りながら佇む姿もまた普通ではないが、そんな異様さがこの時ばかりは何故か心強かった。
「クロエ?」
そんな二人の耳に、一人の男の声が届く。
ふと声がした方向を見ると、そこには一人のか細い男が、暗闇に紛れて立っていた。
当然、ヨエルはその男に見覚えはないものの、名前を呼ばれたクロエには認識がある男だった。
「フランツ!」
「こんな所にいたのか。遅かったから心配したよ」
暗い夜道だというのに、懐中電灯の一つも持たないフランツという男は、二人がいる場所まで歩み寄ってくる。
ブロンドのアイビーカットのヘアスタイル、そして黒で統一されたワイシャツとパンツ姿は、闇と一体化してあまり活発的な印象を与えない。
そして、痩せ型の体型と穏やかな顔立ちは、どこか気弱で頼りなさを感じさせるが、その表情は穏やかなものであった。
「君が今日、捜査をするっていうから待ってたのに…。もしかして、この少年とデートでもしてたのかい?」
「ちょっと!聞き覚えがあるようなことを言わないでよ!」
表情に違わず、口調もまた穏やかではあるが、冗談を言うのが好きなのか、取り調べ室で行ったかのようなやり取りが始まろうとしていた。
クロエは慌てて訂正を求めるが、フランツは陽気に笑ってそれを流す。
「冗談だよ、冗談。僕はフランツ・ハンガーだ。クロエとは昔からの付き合いでね、捜査のお供を頼まれたんだけど…。君の名前を聞いても良いかな?」
「俺はヨエル。あんたと同じく、捜査のお供を頼まれた一人だよ」
「そうか。なら、君と僕は相棒ってわけだね。よろしく頼むよ」
初対面でありながらも、フランツは人見知りすることなく気さくにヨエルに話し掛けてきたことで、今までの静けさは何処へやら、その場は一気に和んだ。
しかし、その方が重々しさと心地悪さを抱く必要もなく、少しは気が晴れるというものだろう。
「でも、大丈夫なのかい?民間人の僕と、ヨエルのような子供を捜査に協力させるなんて」
「大丈夫よ。警察も捜査には消極的だし、あくまで散歩って扱いにしておけば」
食事代を立て替えてもらったヨエルが言えたことではないが、銃を突き付けてきたことといい、本当に大丈夫かと思わざるを得ないクロエの行動には、ただ呆れるしかできなかった。
危ない橋を渡るのが好きなのか、それとも無計画で無鉄砲な性格をしているのか分からないが、大胆且つ豪快な行動と考えは、果たして警察官として如何なものだろうか。
「まあ、それもそうか。一人よりも二人の方が良いしね」
「そういうこと」
納得するフランツもフランツだが、ある意味二人はお似合いといったところだろうか。
皮肉も良いところだな、と溜め息を吐いたヨエルは、ふと預かっていたファイルの存在に気付き、それをクロエに差し出した。
「そういや、返してなかったな。これ、返すよ」
「ああ、それ?」
「持ってたら邪魔だろ。情報は頭の中に入れたし、返して来た方が良いんじゃね?」
ファイルを受け取ったクロエは、しばらく考え込む。
せっかく捜査の体制も整ったというのに、まるで水を差されたかのような気分だったが、自分で纏め上げたファイルとはいえ、重要な情報であるには変わりない。
警察署で管理しているものを無断で持ち出してきたのだから、もし発覚したら問題になるだろう。
幸い、警察署からそこまで離れていない場所にいるとなれば、返してくるのも大して時間は掛からなかった。
「…そうね。仕方ないけど、返してきた方が良さそうね」
「ああ。俺とフランツは、世間話でもしながらここで待ってるわ。早く行かねえと、見付かるかも知れないぞ」
「分かった。くれぐれも気を付けてね」
クロエはそう言うと、踝を返して警察署まで駆け出す。
ヨエルとフランツは、暗闇の中に溶け込んでいくクロエを見送り、やがて彼女の足音は聞こえなくなった。
その場を沈黙が流れるが、それを先に破ったのはフランツだった。
「…行っちゃったか」
「そう残念そうな顔をするなよ。さっき言った通り、俺達は世間話でもしようぜ」
残念そうに肩を透かすフランツに対し、ヨエルの目線はクロエが向かった方向だけを見つめたままで、フランツの方を見ようとはしない。
そちらの方向には暗闇が広がるだけで、特に何もありはしないのだが、その行為は何かを意図しているかのようだった。
「それとも、残ったのが俺一人になって何か不都合なことでもあるのか?」
「そんなことはないよ。ただ、クロエも一緒の方が良いじゃないか」
気分を害したかも知れないと悟ったフランツは、笑いながら訂正する。
しかし、ヨエルの口調は決して不機嫌なそれではなく、というよりもフランツの胸中を探り、引き出そうとしているかのような物言いだった。
「そうだな。もっとも、お前にとっては獲物は多い方が良いの間違いだと思うけど」
そう言ったヨエルは、不敵な笑みを浮かべながら初めてフランツを見る。
一方のフランツは、先程まで見せていた陽気さは消え去り、無表情なままヨエルを見つめていた。
ヨエルを捉える瞳は、獲物を狙う獣のものであり、しかし表情自体は喜怒哀楽もない、全くの無。
「二人だった獲物が、一人に減ったのは残念だったな?」
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