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第一章 「始まりの日」

不穏

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どこに行くわけでもなく走るカイトの頭の仲は、様々な思惑と真実に掻き乱されていた。

亡霊と呼ばれた者達と、リンクスとイライジャがかつて仲間であったこと。

自分がセドニアにいるのは、顔も名前も知らない父親との約束であったこと。

リンクスとイライジャの過去に、何があったのか分からないし知らない。

何も聞かされていないし、教えられてもいないのだから知るわけがない。

…いや、違う。

聞かされていないのも教えられてもいないのも事実だが、自分が聞きもせず、教わろうとしていなかったのだ。

ずっと心のどこかで引っ掛かっていた、小さな疑問。


自分はどこで生まれ、何故ここにいるのか。

自分という存在は何なのか。


孤児という特殊な境遇で育ち、そしてリンクスが実の父親ではないことを知りながら、その疑問に行き着かないはずがない。

しかし、それを敢えて見て見ぬ振りをし、そして蓋をしてきたのは紛れもない自分なのだ。

そしてそれは、幼い頃から抱いていた疑問であり、知ろうと思えば、聞こうと思えばいつでも聞くことができたのだが、そうしなかったのは他ならぬ自分自身。

何より、それに気付きながらまたこうして逃げている自分自身が、堪らなく惨めで、幼稚に感じられた。


「待って、カイト!!」


逃げ出すように走るカイトの背後から、ヴィアの声が耳に届く。

名を呼ばれたカイトが振り返ると、リンクス達の前から去った姿を見たのか、カイトに劣らない速さで追い掛けてきていた。

まさか追い掛けてくるとは思っていなかったカイトは、動かしていた足の速度をゆっくりと落とし、遂には立ち止まってヴィアを待ち受けた。

目の前まで駆け寄ったヴィアも、息を切らしながら足を止め、やがて二人は向かい合う。


「…ヴィア…」


ヴィアの名を呼ぶカイトの胸中は、複雑なものであった。

同じ位の年齢でありながらも、覚悟や決意を秘めたヴィアは、自分とはまるで違う。

そんなヴィアを見ていると、改めて自分の弱さと情けなさを突き付けられているようで、同時にそんな自分が堪らなく嫌になる。

だが、ヴィアはそんなカイトの思惑を知ってか知らずか、心配そうな表情を浮かべながらカイトの顔を覗き込んだ。


「大丈夫?」


「…大丈夫じゃ…ない、かな…」


まるで自分の心を見透かされているかのような感覚に陥りながら、カイトは避けるようにヴィアから視線を逸らす。

答えるだけでも必死だったが、しかし腹の奥から絞り出すようにかろうじて答えた。


「どこに行くつもりだったの?」


「…別に…。ただ、一人になりたかっただけだって…」


「リンクスさんも、イライジャさんも、心配してたよ?」


「……………」


その言葉を聞いたカイトは、口を噤んで黙り込む。

きっと、あの二人のことだったらそうだろう。

まるで八つ当たりのように好き放題言われても、二人ならそれでもカイトのことを気遣うことは容易に想像できる。

そんな優しさと気遣いができる二人を大人といい、そしてこんな風にしかできない自分を子供というのだろう。

それを自覚すればする程、自分という存在が惨めだった。

しかしそれを自覚できない程、自分が惨めだと思えない程、カイトは愚かではなかった。


「…心配、か…。俺なんかを心配したって、何もならないのに…。お人好しも良いところだな…」


まるで冷水を掛けられたかのように、今まで混乱していた頭は冴え、リンクスとイライジャにぶつけたはずの怒りは、いつしか消え去っていた。

そして今では、二人に対してあのような態度を取ったことに対する後悔と、罪悪感に似た感情を抱いていた。


「そんなこと…」


「…分かってるんだ。俺が、大人になれないガキだってことは…」


否定しようとするヴィアを遮り、カイトは言葉を続ける。

今までとは違う、夢みたいなことが起きそうになっている現実と、今まで知らなかったことを口実にして、逃げることしかできない自分を自覚していたカイトの言葉は、紛れもなく本音だった。


「そんな俺が、二人を責めることなんてできねえってことも…」


リンクスとイライジャにとって今まで言い出せない、言いにくいことが、カイトの父親との約束の中にはあったのだろう。

そもそも、全てを伝えてしまえばカイトの運命が変わってしまうことも分かっていた為に、それを口にすることを躊躇っていたに違いない。

教えるのは簡単だが、それを受け止めさせるのは何よりも難しい。

そしてカイトの運命を変えてしまうことは、きっと正しいことではないと思ったのだろう。

二人にも苦悩があり、それを理解できなかった自分に、果たして二人を責める権利があるのだろうか。


「…二人のことも、気持ちも、何も知らねえくせに…ただ、自分のことだけしか考えられなくて…」


あるのは、後悔だけ。

そしてそんな自分に嫌気がするカイトだったが、ヴィアは歩み寄ってカイトとの距離を縮める。

何をするのかと思いきや、ヴィアは黙ってカイトの右手を引き寄せ、それを優しく両手で包み込んだ。

ヴィアの小さな手の温もりを感じるも、同時に何が起きたのか理解できず、思考が追い付かないカイトは言葉を失って立ち尽くしていた。


「……ヴィ…ア…?」


「…大丈夫。きっと二人は、カイトの気持ちを分かってるよ」


カイトを落ち着かせる為の行為なのだろうが、しかし頭の中は落ち着くどころかより混乱し、心拍数が著しく上がったことが分かる。

あまり女性と、まして同世代の少女と触れ合う機会は全くなく、加えて思春期の少年であるカイトにとっては、この行為ですら刺激が強めであった。

しかし、ヴィアはそんなカイトとは違い、優しく落ち着いた口調で言葉を続けた。


「だから、カイトもそんなに自分を責めないで?」


「…!!」


混乱する頭の中で、唯一その言葉ははっきりと耳に残った。

同時に、冷水を頭からぶっ掛けられたかのような感覚に陥り、混乱していた頭の中は一気に冴え、次第に冷静さを取り戻していく。

それによって自責の念が軽くなったわけではないが、それでも少し胸の中は軽くなった気がした。


「……悪い。こんなこと、誰かに言うつもりじゃなかったんだけど…。頭の中が一杯になって…」


「私なら大丈夫だよ。少しは落ち着いた?」


その言葉に、カイトは首を頷かせる。

それを確認したヴィアは、包み込んでいた両手を解き、安心したように笑顔を浮かべた。


「良かった。追い掛けてきた甲斐があったよ」


安堵するヴィアとは裏腹に、温もりが残っている右手の感触を思い出すカイトは、今度は不思議な感覚に陥っていた。

ただ触れられただけだというのに、心の中を覆っていたどす黒い雨雲のような不安と、燃える炎のように渦巻いていた怒りが、今では殆ど感じなくなっており、そればかりか穏やかな水面のような穏やかささえ覚える感覚が、彼の胸の中にあった。

華奢な身体が持つ温かさは、カイトの胸の中に陽の光のような暖かさを与え、それは慈悲が齎す癒しに感じられる。

果たしてこの感覚は、単にヴィアが持つ優しさだけなのか、それともまた別の力によるものなのかは分からないが、いずれにせよ不思議なものであることに変わりはなかった。


(…不思議な感覚だな…。安心するような…、落ち着くような…。何だ、この感覚…?もしかして、これが…)


ヴィアが持つ、異端の力の一つなのだろうか。

そんなことを思っていたカイトの顔を、ヴィアは不思議そうに覗き込んだ。


「どうしたの?」


光の剣を召喚する、常人ならざる力。

それを持っているヴィアは、何者なのか。

どこから来て、そして何故亡霊と呼ばれる者達を止めようとしているのか。


「…なあ、ヴィア。ヴィアは…」


リンクスとイライジャだけでなく、ヴィアにも抱いていた疑問。

それを聞き出そうとカイトが口を開いた時、地面が大きく揺れ出し、同時に低くも耳障りな程にけたたましい程の汽笛の音が耳に飛び込んでくる。

何が起きたのか事態を呑み込めないカイトとヴィアは、周囲を見回し、そして互いの顔を見合わせる。


「な、何だ、このうるせえ音と振動は…!?」


「まさか…陸上船…?」


「陸上船…!?何だ、それ…!?」


カイトにとって、陸上船とは初めて聞く単語だった。

こんな地震にも感じる程の大きな振動を感じたことなどないし、また汽笛の音を聞くことすら初めてであるのだから、それも当然だった。


「…もし、この音が陸上船のものだったら、レギオンが来たってことだよ」


「……レギオン…!?」


世界最強且つ唯一の武力組織。

世界の秩序と均衡を保ち、安寧と安定を司る者達。

直接見たことはないが、それでも田舎者と呼ばれるカイトでさえも知っている存在。

否、世界に住む者達であれば、その存在を知らない者などいないであろう軍隊。


「そんな奴らが、何だってこんな場所に来るんだ…!?」


そんなレギオンが来たことなど、少なくともカイトがセドニアで暮らしてから一度もなかった。

軍隊、武力など物騒なものとは無縁なセドニアに、何故レギオンが来るのかというカイトの疑問は、至極全うなものであった。

それはヴィアにとっても同様であり、彼女も動揺こそ見せないものの、不穏な空気を感じ取っていた。


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