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第一章 「始まりの日」

温もり

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煙草を咥えながら歩くリンクスを、赤く染まった夕日が照らす。

孤児院では今頃夕食の支度をしているだろうが、今のリンクスは何も食べる気にはならない。

それでも早く帰らなければ、きっとフィオナや子供達が心配するだろうが、孤児院へと運ぶその足取りはやたらと重く感じる。

もう何度目になるのか分からない溜め息と共に、リンクスは煙草の煙を吐き出した。



【彼に伝える時は、きっとそれは、貴方が託されたものを託す時ですよ。貴方がそうであったように】


いつもなら程好い苦味を味わえる煙草も、本来なら気を紛らわす為に吸ったはずなのに、この時ばかりは味わうどころか、何も感じられない。

寧ろ、診療所で言われたイライジャの言葉が、ただ脳裏に響き渡るだけだった。


(分かっている…。イライジャの言う通りだということは…)


リンクスは立ち止まり、胸に片手を添える。

よく見れば確認できる隆起に触れており、それは首から下げたペンダントのようなものを服の下に隠していた。


(いつか話さなければならないことを…。いつか託さなければならないことを…)


胸に手を添えたまま、念じるかのように静かに瞼を閉じたリンクスの周囲に、僅かではあるが淡く輝く光の粒子が飛び交う。

その華やかさと幻想にも見える光とは裏腹に、リンクスの額には汗が滲み始めており、瞬間閉じていた瞼を開いた。

ほんの僅かな時であったが、滲んでいた汗は頬を伝い、長距離を全速力で走った後のような疲労感がリンクスを襲う。

目を開いたリンクスの視界には既に光の粒子は消え去った後であり、息を切らしたリンクスは煙草の煙を強く吸い込んでしまい、そのまま咳き込んでしまった。

咥えていた煙草は地面に落ち、リンクスはそれを一瞥した後に舌打ちをすると、その煙草を踏み躙った。


(…力は弱まる一方だな…。やはり、託す時が近付いているというわけか…)


できれば、その時を迎えたくなかった。

叶うなら、その時を迎えないまま終わって欲しかった。

しかし、あまりにも早すぎる。


(お前の息子だろう…?なのに、あいつに重すぎる運命を背負わせるつもりなのか、お前は…)


どうしても避けられない運命なのか?

こんな想いをするのは、俺達だけで良かったのに。

いいや、俺達が何もできなかったから、その役目をあいつが背負うことになってしまったのか。

だとしたら、俺達は、俺は何と無力なものなのか。


(…俺は…)


地面を睨むリンクスの頭の中を、様々な想いが頭を過ぎっては消える。

考えたくない未来と、受け入れたくない現実の狭間で、リンクスはもがき苦しんでいた。


まだ、自らがセドニアに連れて来たカイトには言っていないこと。

カイトが知らないこと。

それをリンクスは言わなければならず、カイトは知らなければならない。

だが、それをずっと十一年の月日の間、言えないままだった。


何度も言おうとしたが、何度も伝えようとしたが、どうしても言えなかった。

リンクスが言えば、カイトが知れば、全てが変わってしまう。

もしかしたら、今の平和な時間が終わってしまうかも知れない。

そう考えた時、リンクスはどうしても言えなかった。

今まで生きてきた過去とは違う今が幸せだったから。

その幸せが崩れるのが怖かったリンクスは、使命から逃げ続けていた。


無論、このままではいけないことは分かっていた。

そして時が来れば、全て話そうと思っていた。

しかし、その指標の一つ…イライジャが言っていた「共鳴」は未だ一度たりとも感じておらず、また今この瞬間も感じていない。


だが、それだけではない、もう一つの指標であり、決定的な指標。

それは、自らが持つ力の衰退。

それを実感した時が、全てを話す時だと決めていた。


(…許してくれるだろうか、あいつは…)


リンクスはよろめくように木にもたれ掛かり、天を見上げる。

今の心境などいざ知らず、雲はゆっくりと流れていた。


「リンクス?」


日が沈みかけようとしていたその時、ふと聞き慣れた声が耳に届く。

はっとしたリンクスが顔を向けると、そこにはフィオナの姿があった。


「何やってるのよ。あんまり遅いから心配してたのよ」


「ああ、すまない。ちょっと休んでいてな」


「休んでた?どこか具合でも…」


そう言い掛けたフィオナだったが、何かに気付いたようにそれ以上は言わず、口を噤む。

そしてゆっくり歩み寄り、しゃがんでリンクスの顔を覗き込んだ。


「…泣いてるの?」


「泣いてる?俺が?」


何を馬鹿な、と笑おうとしたリンクスの頬を、フィオナの手が優しく触れる。

その瞬間、今まで何も感じなかったリンクスは優しい温もりを肌で感じることができた。


「違うわ。心が泣いてるように見えたから」


「……本当に、君はいつもお見通しなんだな」


自らに触れるフィオナの手に、リンクスは自分の手をそっと重ねる。

確かに、リンクスは涙を流していなかったが、その心はずっと泣きたい気持ちだった。

自分に課せられた重い宿命と、それから逃げ出したいという自分自身の弱さ。

それらが今のリンクスを支配しており、表情はいつもと同じであれど、その瞳は深い哀しさを含んでいた。


「だって、あなたはいつも自分で何もかも抱え込んでるじゃない」


「仕方ないさ、そういう性分なんだ」


「それも知ってる。絶対に譲らない頑固な一面もあるってこともね」


リンクスが抱えているものは、誰にも言っていなかった。

無論、フィオナでさえも。

そしてフィオナも何も聞いては来なかった。

そんな彼女には何もかも見透かされているような、全て知られてしまっているような感覚に陥るも、不思議と嫌な気持ちにはならなかった。


「あなたと初めて会った時から、普通の人じゃないって気付いてた。他人には言えない、大きなものを抱えてるってことも分かってた」


「…ああ。君も、そんな俺にも分け隔てなく接してくれたな」


フィオナは頷く。

そして、そのまま流れ込むようにリンクスの胸に身体を寄せた。


「でもね、全部を言わなくていいから、あなたがつらい時はちゃんと相談して。力になれるか分からないけど、あなたが少しでも楽になるならそれでいいから」


「…いいのか?」


「いいも何も、私達は家族でしょ?」


その一言に、リンクスはぴくっと身体を揺らす。

何を言うわけでもなく、そのままフィオナの身体を両手で優しく包み込んだ。


失いたくない幸せ。

それを一番与えてくれるのは、他ならぬフィオナだった。

出会うつもりもなく、長くいるつもりもないままの関係で終わるはずだった。

それが今は、こうして自分の胸の中にいる。

できれば、出会いたくなかった。

できれば、知らない存在であって欲しかった。

出会ってしまって、知ってしまえば知ってしまう程、失うことが怖くなるから。

しかし、今はこうしてフィオナの温もりを少しでも感じていたかった。


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