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「……あなた、そういえばこの間、翔ちゃんと一緒に歩いていたわよね?」

 ふと、正気に戻ったように美幸さんの視線がしっかりと私に向いた。
 ようやくまともに対峙したその瞳は仄暗い光を灯していて、背筋に悪寒が走った。

 義弟とともに歩いた日。そんなの、一度しかない。
 ようやく距離が縮まってきたのだと、安心し喜んだあの日。
 あの時のことを見られていた。そんな前から美幸さんは近くに。
 尚更、頬に浮かぶ冷たい汗が伝い落ちる。

「翔ちゃん、とても良い子でしょう? とても私に優しいの。秀治さんがいなくて私が寂しい時にはいつも側にいてくれて、慰めてくれるの。ママが一番好きだよって言ってくれるの。僕はずっとママといるよって言ってくれるの。ちょっと前にね、久しぶりに翔ちゃんに会った時も、今の人とは別れたからまた一緒に暮らしましょうねって言ったら声も出ないほど喜んでくれたのよ。でも、久々にママに会って恥ずかしかったのか逃げ出しちゃって。そんな照れ屋なところも可愛いでしょう?」

 ああ、やっぱりか、と思った。
 やっぱり、義弟は美幸さんと会っていた。
 自分を傷付け捨てて消えた母親がいきなり現れ、何事も無かったかのように接触し、あまつさえまた再び共に生活するのだとうそぶく。
 義弟は衝撃と混乱により心が疲弊してしまったのだろう。
 結果、母親だけでなく、まわりの全てを拒絶して。
 義弟はそうすることでしか今の自分を守ることができなくなってしまったのだと思う。

「翔ちゃんは、自慢の息子なの。可愛い可愛い私の大事な息子なの」

 歌うように義弟を褒めそやす美幸さんの優しげな様子は息子を思い慈しむ母親そのもので。
 だから。だからこそ。違和感が拭えなかった。
 可愛い息子を手放すことを選んだ人間が、自慢の息子を傷付けて苦しめている人間が、何故そのような顔ができるのか、と。
 母親の顔をした何かは、表情を物憂げに切り替えた。

「だけど、翔ちゃんあれから小学校で見かけなくなってしまってね。探していたの。まだここに住んでるだなんて思わなくて、他のところばっか探していて時間がかかってしまったけれど。ようやく見つけた。私、私ね、嬉しいの」

 憂いから一転、美幸さんの顔はぱっと花が咲くように破顔し、その頬は上気した。
 それはそれは本当に、嬉しそうに。

「秀治さんも翔ちゃんもここで、この家で待っていてくれた。二人もまだ私と一緒に暮らしたかったのねって、とっても、嬉しいの!」

 まるで夢見る少女のように。
 とびきりの笑顔を浮かべる美幸さんに、得体の知れない者への恐ろしさを感じた。

 おかしい。この人は、おかしい。

 あまりにも自分の都合の良いように解釈しすぎている。
 また義父と義弟と一緒に暮らせることを信じ切っているその姿はいっそ狂気だ。

 何も分かっていないくせに。
 義父の気持も。義弟の気持も。
 二人を踏みにじったくせに。
 どうしてまた二人と一緒にいられると思ったのか。

「私、今度こそ、今度こそ幸せになるのよ」

 美幸さんの言う幸せは、美幸さんだけの幸せだ。
 彼女は、義父のことも義弟のこともこれっぽっちも考えていない。

「っふざけないで!!」

 あまりの身勝手さに、感じていた恐怖すら忘れ私はそう叫んでいた。


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