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・・『開幕』・・

・・開幕前日・・誕生会・・

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買って来たケーキを箱から出して置き、用意されたグラスにブッシュミルズをツーフィンガーずつ注いでいく。

「ハンナ・ウェアーの誕生日を祝い、健康と充実とカウンセラーとしての活躍を祈念して、乾杯! 」

「乾杯!! 」

ザッハトルテを一口食べて、ブッシュミルズを飲み干す。美味い。流石に甘いものに合うモルトだ。皆もケーキを食べながらチビチビと呑んでいる。

「デリバリーメニューは後何分で着くって? 」

「30分ぐらいですね」

「ハンナ、ギターを借りるよ。誕生日のお祝いに1曲、君に捧げよう」

拍手と歓声が挙がる。ハンナからギターを受取って椅子に座り、チューニングを始める。手入れが好いから1分で合う。ハーモニクスを響かせ、少し掻き鳴らして馴染ませる。

「タイトルは『ハンナ』、誕生日おめでとう♡」

4ビートで、ちょっとダンサブルなイントロから入る。

「 ♬ ニューモードのドレス ♪ よく似合うよ ♬ 3台目の車 ♫ 買い替えたね ♪ 眼に観える夢は総て ♬ 掴む君さ ♪ yeah ♪ 次は何を ♫ 手に入れるの ♪ oh oh girl ♫ 今時の君に ♪ 伝えたい言葉は ♪ ah ♫ 上手く探せない ♪ hah ♬ oh oh please ♪ いつの日も君は ♬ 特別でいてくれ ♫ yeah ♪ 過ぎた恋を食べて ♫ 輝いてくれ ♪ 」

「 ♪ 大事なのは愛だと ♫ 分け合えても ♪ yeah ♫ まさか愛が ♪ 総てじゃない ♫ oh oh girl ♪ 巡り逢う君に ♫ 伝えたい願いは ♪ ah ♫ ひとつだけじゃない ♫ hah ♫ oh oh please ♪ 時々は君も ♪ 飾らずにいてくれ ♫ yeah ♪ こんな僕の為に ♫ 微笑んでくれ ♪ 」

【間奏】

「 ♪ oh oh girl ♪ 今時の君に ♪ 伝えたい言葉は ♫ ah ♫ 上手く探せない ♪ hah ♬ oh oh please ♪ いつの日も君は ♬ 特別でいてくれ ♫ yeah ♪ 過ぎた恋を食べて ♫ 消えないでくれ ♪ 」

拍手は沸き起こったが、歓声は挙がらない。皆、泣きながら拍手している。ハンナは、口を両手で押さえて泣いていて拍手もできない。ギターを立て掛けて立ち上がり、ハンナを立たせて顔を左肩で受けてハグする。私に身を預けて嗚咽を洩らしていたが、不意に腰が抜けたように座り込んだ。

「ああ、イッちゃったよ」

と、パティ・シャノンが思わず言った。

「好い歌ですね。いつ作ったんですか? 」

と、エマ・ラトナーが訊く。

「うん、頭の中と口遊みで出来上がっていったんだよね。だからまだ、楽譜にも起こしてないんだよ」

「あたし、達が手に入れたいものって、ひとつだよね? 」

と、ミーシャ・ハーレイが訊く。

「そう。でもそれは多分、手に入らない」

と、リーア・ミスタンテが応えた。

「店が出来たら皆、来てくれ。全員を正社員として雇う。皆の面倒は、俺が観るよ」

その時にちょうど、プリントアウトが終わった。

「終わったか。悪いけど、手分けして枚数を数えてくれ。1人何枚の持ち込みになるかな? 」

全員でプリントされた紙の束を分けて、枚数を数えた。

「928枚です」

と、シエナ・ミュラーが言う。

「そうか、ありがとう。全員で数枚ずつ、服と服の間に忍ばせて乗艦するようだな」

その時に玄関のインターコールが可愛らしいチャイム音で鳴り響き、デリバリーメニューの到着を告げた。

その後はデリバリーされた夕食とケーキを食べながら、ブッシュミルズを呑みつつバースデー・ソングを5曲、皆で歌った。

楽しかった。かなり盛り上がった。

シエナのデビュー曲も、本人と一緒に歌った。面白かった。

歌っている時のシエナは、10代の女の子のように観える。

ハンナ・ウェアーのデビュー曲『リップスティック・ネットワーク』を一緒に演ろうと誘ったが、どうしても許して欲しいと懇願されたので、初出航記念艦内親睦パーティーの時に一緒に演ると言う条件で納得させて手を打った。

そうこうして楽しんでいる内に、22時に差し掛かる。

「よし、それじゃ俺は、そろそろ帰るよ。明日からは本当に宜しく頼む。残った物はボトルも含めて置いて行くから、皆で片付けてくれ。このマニュアルの束は忘れないでな? 配信会社の正面出入口前の階段の踊り場の所で、皆に一定枚数毎に分けるから。明日は、総合共同記者会見の時に着て行ったスーツを着て、艦長の襟章を付けて行くよ。それじゃあな。おやすみ」

「お休みなさい、アドルさん。私達も片付けたら早く帰ります。皆を代表しますが、こちらこそ宜しくお願いします。私達も襟章は忘れずに着けて行きます」

シエナが目を潤ませながら言う。

「お休みなさい、アドルさん。本当にありがとうございました。宜しくお願いします。私も皆を代表して言います。アドルさんの事を本当に愛しています。他の誰よりも。でもこれは、こう言う時、こう言う場所でしか言いません。私達は必ずアドルさんを守りますし、誰も傷付かずに笑顔で終われるように、考え続けます。ですからお願いします。アドルさんの総ての考えと想いを、私達に話して下さい。託して下さい。私達全員でなら、その総てを受け止め切れます。そして最後は、お店を頑張りましょう」

ハンナ・ウェアーが泣き腫らした目で笑いながらそう言ったから、私は彼女を優しく抱き締めた。

体を離して、ギターをハンナに返した私は、上着とコートを着てから皆の顔と眼をよく観て、右手を挙げるとハンナのマンションを後にした。

社宅に帰着した私は、軽くシャワーを浴びて明日着て行く服を準備すると、マニュアルを読み込みながらアイソレーション・タンクベッドの使用準備を進め、起床時刻を04:00にセットして中に入った。

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