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鬼の首55
しおりを挟むずく、と傷口をえぐられるような不思議な飲み口であった。
効果は劇的だ。急速に浸食するように染み渡ったそれが、鬼を押し返していくのだ。飲んだからと一体化していないのがわかる。力をもって内部をかけずりまわっているのだ。
(あぁ、なるほど。何人分なのか知らないが、ご苦労なことだな)
一部でも押し返せるくらい強力なものだ、軽くつくれるようなものでもないだろう。
血に力を込めたものだという事がわかる。完成を迎えたのだろう存在が、何人か分。
そこまでしなければ効果がないのはわかるが、強力すぎでもある。やはり天秤なり、どうしようもない相手に使う予定で間違ってなかったと思った。ここまで進行が進んでない状態で啓一郎が使っていたのなら、恐らく別の意味で塗り替えられていた可能性が高い。そのくらい強力な代物。
鬼が収まっていく。
鬼が収束していく。
鬼になった爽快感とは逆に、苦痛に侵される。その中でただただ、排出されようとしているエネルギーを……それを掌握して、力の塊としていく。そして、鬼になる要素そのものを、一つの塊として。
己のそれを掌握すれば、融合していたものも排出される。
――鬼でなくなったからだ。
啓一郎は、人に戻った。一時的とはいえ。
一度鬼になった影響もあるのだろうか、システムのうんぬんすらもうずたぼろの状態だ。
脱力。
暫定支配者として、力は確かに尋常ではないままである。が、それは明らかに鬼であった頃に比べれば段違いに低いもの。
重い。体が。
重かった。心も。
それでも、進まないといけない。止まれば、また迷ってしまいそうだから。
攻撃の手段として――解き放たれるように発散されそうだった自らの鬼だったときのエネルギーを、使い捨ての弾丸の如くその手に込める。長い時間をかける気はなかった。
「馬鹿な、なんだそれは。なんだお前、なんでだお前っ! おいおいおいおい! 薄情すぎるだろ!? 家族を、友達を、犠牲になった奴らまで殺しちゃうってこと理解してんのか!? それをお前がやるんだぞ!? お前が、殺すのか!?」
殺気を見て取ったのだろう、天秤が慌てた。
「今ならまだ戻れるだろ? やれよ。後悔するぞそんな選択! 俺と同じところ落ちやがるんのか? いいや、んなの俺より外道だろうがっ」
ゆっくりと近づいていくのに合わせて、攻撃しようとするでもなくただ後ずさった。
不穏な空気から、殺されて取り込まれるわけではないと察したのだろう。
切り落とされる、と理解したのだ。
「一緒に入れるチャンスを棒に振るのか? 本当にいいのか!? こんなチャンス、二度も転がってねぇってのがわかんねぇほど頭足んねぇのか!!! 墓ぁずるずる離れられねぇくらいたらたらの未練を見て見ぬふりして強がって、そんなの!」
進む。
「見守っていたのは! そうしようと思ったのは! ただ縋って動けないだけだとか、同じところに行きたいだとか、そういうんじゃあない。お前とかだけじゃなくて、他の奴も未練がましいだけなんていうんだろうけど、違う。俺にとっては違うんだよ、もともと蘇ってほしかったとか、そうしようとか思っていたわけでもないしな」
「はぁ――!? 自分の欲望を誤魔化すなよ、それが未練だっていうんだよ。認めちまえ! 認めちまえば、んなことしなくたって――」
煽りのような、逃げの言葉のような、誘惑のような。
そんな言葉は、もう啓一郎に響くことはない。徐々に、間は詰まっていく。
「お別れだったんだ。お別れなんだよ。そのための時間なんだ。今までは、大事に思う奴ほどそれができなかったんだ。覚えてられない友人の事がいつの間にかトラウマになっていたのかもしれないな。
そして、俺は例えば人が言うような神様だなんて信じちゃいないが……天国とか地獄とか、そういう場所があったとして――俺は絶対に、同じ場所には行けないという自覚があるからだ。だから、ただお別れするための時間なんだよ」
お別れをして、同じ場所で、同じ世界で死んで。
そうしてようやく、納得して終わると決めたのだというだけの話だった。それだけの。人生という限られた時間を、せめて寄り添い納得した別れにする時間にすることが幸福だった。
幸せになる権利がないどうこうという、そういう話ですらない。ただ、しっかりお別れを告げて――その地で、自分も終わって。それまで――どうしようもなく助けられなかった自らより幼い友人だとかを、見守りながら過ごしたい。それが後悔からきたものだとしても。啓一郎にとってそれは欲で、小さな幸福感もあることだった。
手に入れた今も。
経過を経て、後悔をしないとは断言できず。
それでも、残ったのは戻るのだ、という感情。
一番は、家族の事だけれど――戻って、手遅れの世界だとしても。
そこは家族がいた場所で、今も友人や子供のように思っている者たちがいるかもしれない場所でもあるから。
「だから全部うるせぇよ。鬼退治だ馬鹿野郎。こちとら妻や子供にいつまでもグロテクスな三流芝居見せてられねぇんだよ。子守歌にもなりゃしねぇ」
う、と天秤が呻く。
ずるずると下がる一方だった。
身体能力的には、チャンスがないわけではないだろうにそうする様子はなかった。
「浅井ん時みたく、てきとうに流されたりしないからよ。ちゃんと殺してやる。いい加減うんざりだから、これでもう終わりだ。今度こそな」
滑稽だった。
煽り合いをして、最後は人の姿をしたものが、逃げる化け物を一方的に追って殺そうとしている。
例えば竹中にでも頼めば、姿は鬼であろうとも天秤をもっと人間として殺すこともできたかもしれない。冷静に、やったことの自覚等も詰めればできたかもしれない。
打倒すれば支配下に置ける。それを利用して支配者になり切る前に、一度鬼だけ掌握してから排出させて殺せば、また同じように天秤そのものとして終わらせられただろう。
が、そんなことをしてやるつもりもなかった。
「やめろ、やめろやめろやめろ! 考え直せ! なぁ、なぁ! 本当によく考えろって……! 俺なんかに構ったせいで、幸せを放り出そうとしてるって絶対っ」
込めた力を拳に込める。
「一時的な激情に惑わされんなよ……家族、大事なんだろ? 他は最悪どうでも良くてもさぁ……ずっとほら、それを俺が奪ったから執着してきたんだろっ? だから、なぁ……!」
体を引く。
「大人しくする。全部嘘だ。なぁ!」
天秤が壁にぶつかる。もう、下がりようがない。
「協力するから、頼む……頼むよっ! 死にたくねぇ! 消えたくねぇ……!」
反撃すらしないのは、どうしてだったろう。怒られるのを嫌がって、ただ逃げる子供のようでもある。
今はもう、啓一郎にはそんなことはどうでもいいことだった。
考えても、もうやることは変わらない。
いつかよりは落ち着いた気分で、ただ意志を込めることができていた。
「悟ったような事いって終わりにはしねぇよ。
なんだかんだ理由をつけてもやっぱり――俺が、お前がどんな形でも残るのが反吐がでて怖気が走って許せなくて、俺がお前をこの手で殺して復讐して終わらせたいんだ。
誰にも譲らないでな……さぁ、化け物として死んでいけ」
そして、ぐだぐだとやりとりしたことが嘘だったかのように。
啓一郎から放たれたそれは、人であれば同じく内臓があるだろう部分の胴体八割を消し飛ばした。
「俺は……一人きりで……終……わ……」
終わりだ。
それは、まるでかつてのようにある種の呆気なさをもって終わっていく。それでも、残る気持ちは違った。
目から光を失い、ただ独り言をつぶやいて終わる。死んでほしくないものだろうが、復讐をするほどに感情を込めた相手だろうが変わらない光景。
変わらない、末路。
死ぬ、とはこういうものだった。ここにきてから歪んでいたそれを、天秤の終わりで啓一郎は戻ってきたことを実感するようだった。
「……」
消える。
天秤の体が消えていく。
同時に、天秤に所有権があった鬼の因子が啓一郎の支配下にあるそれと合流していくのがわかる。
これで、成った。
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