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鬼の首45
しおりを挟むぐるぐると、抑え込んでいた鬼という化け物が体をめぐっているのがわかる。
それはきっと、病原菌のようなものではないだろうかと啓一郎は思う。
侵されれば、それは己の中の何かを食って成長していく。成長したそれは――宿主を、それに特化した形に変えていくのだ。
浅井が感情で狂って鬼になったように。
強い感情によって、鬼と化す。それが鬼の元である何かの餌だから。
皮膚の色がどす黒く染まっていく。
天秤が焦っているような光景がスローモーションで見える。きっと、『こう』なる前になんとかしたかったのだと確信する。だがもう手遅れだ。
(塗りつぶされていくのがきっと正しい在り方なんだろう――どこか冷静さのようなものが残ってしまっているのは、お前のやったことが原因だぞ天秤――)
理解。
理解が進んでいく。急速に、無理やりに。
糸にいつの間にかからめとられているような錯覚。いや、あながち幻視ではない。事実、それは糸のような線として啓一郎にとらえられている。自らから伸びるような無数の線だ。
それが、支配の証であるという事がわかる。
殺してきた鬼たちの。そうでなかった鬼たちの。ここまでくるために踏みつぶし、散らしてきた――
(あぁ――あぁ)
わかりたくないことまで、わかってしまう。
それは犠牲者だった。鬼になったというのは結果だ。ほとんどの者は、なりたくてそうなるわけではない。そして、そうなったからといって幸せじゃなかったわけでもない。
ここに放り込まれたのは――そのほとんどは犠牲者だったのだ。
(同じく、元々天秤の犠牲者たち、なのか――)
踏みつぶしてきたのは。
己の、己と。
(どうやって? いや、そうか……随分と前から、終わるのはわかっていたんだろうから、多分目をつけられていたんだな……? ずっと前から、こうするかどうかを決めていたかはわからないが、ともかく何かに使えないだろうかと、モルモットを見るように――)
詳しくはどういう原理なのかはわからないし、啓一郎もそこはどうでもいい。
大事なのは、その事実で。どうやってか死したのちに素材として放り込まれて鬼になってここいたということで――死してもなお、安らかではあれなかったという事で。
家族も、友人も、犠牲者たちも。
全てが。
そうした思考で生じる不快さや怒りさえもスパイスに過ぎなくなる。
全てがスローに見える中で、いろいろなことがわかっていく。繋がりから強制的にいろんなことを叩き込まれたのだ。
恨みも恐れも喜びさえもある。それ以外の様々な感情を押して――自分の支配下にある者たちからの。
この空間は。
ダンジョンという環境が。
(他の難易度は知らないが――ここはきっと、掌握の場。そういう実験なのか? 虫唾が走る)
ここが、蟲毒に食わせて一匹残るように。
己たちさえ叶わぬ何かを、一部だけ採取し、場を整えれば生き残って支配できるのか。掌握し、何らかのものに至ることができるのかという――まさしくモルモット。
それがもし、終わるはずの命を救うものだとしても――虫唾が走ると。
それは自らだけでなく、繋がりからも受け取るように。
そうできるのは、作られた状況だからという事と、同じく鬼となってここにいる等に死したはずのものたちが鬼となり浅いまま切り取られたから力が本来の者より弱いからという事さえもわかってしまう。
(この、この強引で奇妙な繋がりさえ心地よく思えてしまうのも)
予定調和――というよりも、起これば楽しい程度の狙った結果の一つなのだろうとわかっていても。
(離しがたく思ってしまう。だって――この先には――)
一緒にいられる、という発言の理由もわかる。
クリアにたどり着くための道筋が見える。
掌握する一つの形とは。
(全てを従える事とは――家族も、友人も、同じくして繋がって)
それが支配という形だとしても、もう一度一緒にいられるという事で。
(だからつまりあいつは……成り代わりでもしたかったのか? スライドか? 役割の)
天秤がやろうとしていたのは、絶望して諦めさせて――取り込むことだったのだろうと。
つまり立場の逆転だ。
(同じような存在だからか、自分が優れているという自信からか――それとも)
感情はともかく、確かにできるのかもしれないと思った。
自分たちができるように整えられているらしいという事がわかっても、きっとそれ以外のものができないということにはならないのだろう。それでも、厳しすぎる針の穴を通すより困難すぎる過程だろう。
もとより、制御できるような存在ではないのだから。
整えたものにとっては、できればラッキーくらいのものでしかない気がしていた。己もそれ以外も。それくらいに、ありえない事をしようとしているのだと。
(どうあれ、どうあれ……俺は)
体は黒く染まっていく。
幾多の繋がりを感じながら。力と感情に己が満たされていく。それは鬼になっていくという事であり、人から離れるという事である。
(俺は! 強さというのなら、手を握り続けるだけの強さが欲しかった!
誰かを倒しせしめる力じゃあなくて! ただ、倒れるとしても共にそうできるような……!)
どうしていつも滑り落ちていく。
どうして俺は求める者が全て手に入らない。
いつも無くなる。
いつも消えていく。
だというのなら――もう、人である必要がどこにあるのだろう。
手を握るだけの力が手に入らないなら――全て壊せるだけの力を。
関われないのを無理やり潰すように、土台事壊せるような、そんな力を。
そんな考えが、すとん、と心に落ちて――底にいる鬼が受け取った。
そこにいるのは赤黒い鬼だった。
啓一郎という人間をベースに、皮膚が浅黒く肉体が盛り上がり背も高くなっただろうか。大きくなり色は変わったが、まだ啓一郎の面影はあるような生き物である。
ただ、鬼であることを証明するように皮膚の色以外の異常――額の中心に、一本の長い角が生えていた。皮膚を突き破って生えたのだろうそれは、生えたばかりであることを主張するようにその根元から赤黒い血を流している。
まだ変化は終わりではないのだ、と主張するように肉は脈動し角も震えている。
「てめぇっ」
少し離れた場所にいる、啓一郎の唐突なる変化を見て何か言おうとしている天秤を黙らせることは難しい話ではなかった。
わかりやすくも油断していたからだ。警戒する必要がないと思っていたのだろう。
啓一郎は踏み込んで――その頭を今度は躊躇うことなく殴りぬいた。
人外の硬い鼻っ柱を押し込むように振り抜いたのだ。人より硬い感触だが、骨もごきりと折れたような感触。
変わった姿相応に、全てのスペックが上昇していることを感じる。
この姿であれば――おそらく、天秤以外なら無傷で全て楽に殺せて攻略できただろうというほどの力。
しかし今の段階では天秤とはそう差はそうないのか、その顔面がはじけるようなことはなかった。とはいえ、確かにダメージを与えているという実感だけはある。どこか、暴力に笑い出したくなるような愉快さを覚える。
慢心するのも無理はない――などと、共感をしてしまうほどに更に更にと力が湧いてくる。
爽快さ。
奇妙に怒りや暴力的な感情が次々にと湧いてくる中に、何かから解放されたほうな爽快さがあった。
雨に晴れ間を見つけたような、雨の中で傘を放り出してずぶぬれになるような、どこかそんな爽快さがあった。
いつの間にか転がっている竹中に目を向ける。
同じく天秤の意識が割かれたか何かの結果か回復しはじめているらしい浅井、そして天秤についている家族へと目を向ける。
啓一郎は、それらに繋がりを感じない。
それがどうしようもなく苛立たしく、爽快感を消される用で不快だった。
「そうなる前になんとかしたかったんだがなぁ……いやまてまだ途中だ。そうだな? しかしあれだなぁおい、随分と醜悪にな」
悠長に喋り倒している愚物を殴るために再び加速し、踏み込む。
慌てたように不様にガードするように拳の射線を遮るように交差した腕を啓一郎は自己の力の配分を操作し、腕に集中させることで一時的に完全に均衡を上回ることで殴りぬける。他の生物からすれば理不尽すぎるほどに硬いはずのその鬼の中でも硬いのだろうその腕から、人の骨では聞こえぬだろう何か硬いものが割れるようなそれでいて肉に包まれているからかくぐもった高音が鳴った。
腕と重なるようにまた鼻から殴りぬけた結果、吹き飛びはしなかったが天秤はその場にストンと尻から落ちる。
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