上 下
244 / 296

鬼の首34

しおりを挟む

 自分の居場所家族を壊した存在。幸せを終わらせた存在。
 色々なものを壊してきたもの。
 啓一郎の人生を、ずっと狂わせ続けてきたもの。

 確かに止めを刺したはずの生き物が、愉快気な顔をしてそこに立っている。
 動いてはいけない生物が。
 死んでいなければ納得できない生き物が。

(――)

 かけられた言葉に返答はこれというように、気が付けば啓一郎は走り出していた。
 何を喋ることもない、叫ぶこともない。

 激情を冷徹で包んで、目的を果たすためただ真っ直ぐに疾走した。
 殺意から生まれた劇的な集中力か、向上したそれらをプラスしてか、まるで止まった時の中で動くような世界が啓一郎に描写される。

 粘ついたようにすら思える空間を、最短距離で殺すように動く。今までの全てを、ここで覚えて全てを軽やかに駆使して。

 苦しませよう等いった思考はない。ただ、目の前のものを再び終わらせるために、効率よく終わらせることだけを目的に。

 それは全てを込めた一撃になるもの。
 この一撃ほど、啓一郎の生涯で上回るものはないだろうといえるほどの珠玉の一撃。

 にやけた面のまま死ね――と、思う事すらない。動きもしない、その前動作すら見えない、スキル等の発動も感じられない、無防備としか思えぬその顔面を砕くべく拳を振りぬく――

「――!」

 ことは、できない。
 できなかった。

 全てを動員してむしろ当たらぬように無理やり押しとどめようとする始末。どうしようもない勢いは軌道をそらしてその暴力の矛先を地面におろした。そうするしかなかった。

 躊躇うべきでないところでは決して躊躇ったことがなかった拳が――どうしても、それに向けて振りぬくことができなかったのだ。

 超常的な動きで無理やり軌道をずらしたことで、断裂したりヒビがいったりして痛みに喘ぐ体を無視して――というより、痛みに構う余裕もなく『馬鹿な』とばかりに相手を唖然と見た。ぽかんと間抜けに口すら開けて、ただ唖然と見た。

 啓一郎は知らず、後ずさる。そうしようとしたわけではなく、目の前の天秤自体を恐れたというわけでもない。しかし、気付けば後ろに一歩引いてしまっていた。

 お互いの距離はそう遠くない。一息で詰められる程度の距離でしかない。しかし、もう少し距離を取ろうといった事さえ頭に浮かべることができない。

 思考は赤から白へ。
 再びの空白。致命的なはずの空白。
 もし、相手がやる気だったなら――容易くその命は奪われただろうことが明白なほどの隙間。

「あっれぇ? どうしたんだい? いい隙だったろ。先手を譲るってぇの? かっこいいだろ。やってみたかったんだよなぁ。せっかくやったんだからちゃんといかせよ、なぁ、ダメ人間なのかな?
それとも、人の殴り方忘れちゃった? お手本いる? ……ほら、こうするんだよ」

 それを有効利用して殺そうとするどころか攻撃一つすることもなく、嘲るような声がかかるばかり。
 天秤は、お手本といいながら啓一郎を殴るではなく、己自身を――正確に言うのであればいつの間にかにその左胸のあたりにいた、知っている気配が漂う、ただ真似ただけではないとなぜか理解できてしまう存在感を持った殴ることができなかった原因を――よく知っている顔を、殴りつけた。

「はは、間ー違ったや。自分殴っちゃったぁ――お前よりは上手にできたけどなぁ! ねぇ?」

 ショートアッパー気味に顎から入った拳に、はじけるように顔が跳ね上がる。その軌道を知らずに目が追う。追ってしまう。そうして結果的に白いもの、赤いものが飛ぶ様を、呆然したまま見ていた。

 人間の顔をしたそれは、しかし耐久力は生えた元である鬼に多少よっているのか、苦痛の顔をしながらも鬼の力でやられたのにもかかわらず、その顔が威力通り落としたトマトのようにはじけ飛ぶといった状況を引き起こしはしなかったようだ。

 それが幸福なのか、不幸なのかはわからない。悲鳴が聞こえなかった事さえ、良い事だったのか、悪い事だったのか。

「何故だ! なんだそれは! なん、なんでだ! あぁ!?」

 ようやくといっていいのか、啓一郎がした反応はといえば、震える体を止めることもできないまま、ただ叫ぶことだった。

 きっとそれは、誰にという訳ではなかっただろう。
 ただ、いつしか叫んだだろう言葉を、いった所で意味がないと知っている言葉を、啓一郎は今一度、外に漏らさずにいられなかった。

 言わずにいられなかった。ずっとずっときつく締めていたはずの蓋が、容易く吹き飛んでしまった。緩むことはたびたびあっても、全部なくなることはなかった蓋が。

 冷静でいられはしなかった。見慣れて手慣れたしまった殺意等とは違う、どうしようもなく操作できない感情の津波にいとも簡単に飲み込まれてしまっている。もがいて、もがいて、抜け出したつもりでいたものが再び絡みついている。

 とどめる蓋がない。掴む縄もない。ただ、翻弄されるばかり。
 それも、仕方のない事であった。

 そこにあるのは、啓一郎が、どうしたってもう直接は見ることができないはずの己の家族だったのだから。

「へ、はは―――ははははははははは! なぁにそのお、か、お! なんだよぉ、感動の再開だろ? ありがとうをいえよ。感謝をしろ。
『あわせてくれて、どうもありがとう!』
っていうのが当然の事だろぉ? はい言ってどうぞ! 礼儀でしょ!」

 あわせてくれてうんぬんは裏声を使うなど細かい芸を挟みつつ、その剛体を気持ち悪くくねくねとしながら喋り、そしてげらげらと笑う。その顔が見れて最高ですと思っていることが尋ねなくてもわかるくらいに楽しそうに。

 怖気が走る悪意の顔で笑う天秤と、その天秤から生えている、喋れないのか、そうされているのか啓一郎の方を向きながらもだらだらと口から目から鼻からと血を流している――死んでしまったはずの妻の顔。

 もう写真で見るしかなかった、妻の顔。
 一度も忘れることなどなかった、家族の。

 啓一郎の心は、乱れに乱れ切っている。どうして平静になることができるだろう。
 一言で言い表せない様々な気持ちやゴミが絡みついた状態。中心に置いたそれがぐらぐらと揺れている。

 もはや、憎悪だけで保つことも、殺意だけに染めることもできない。ぐちゃぐちゃでマーブル模様の心。
 会えるはずがないものと実際会うとはこういうことだ。ただでさえ、唐突にあってしまえばきっと心の整理などつけようもない。

 それも、仇と融合しているように見える状況など、誰が想像できるものか。己の大事な人が、仇から生える状況など想像できる方が、想定している方がおかしい。
 何を言っていいのか、いうべきかもわからない。

 恨み殺意を実行すればいいのか?
 声をかけるべきか?
 罠か?
 そもそも本人か?

 いいや、間違うはずがないだろう。本人だ。と、天秤を見た時のように不思議な確信があった。

 けど、なら、本人だとしたらなんで?
 本人だとしても、いったいどうすればいいと?

 あれは仇で、しかし家族が繋がっているようにいて――攻撃できると?

 融合するように、混ざり合うように生えている相反する存在を目の前に。
 ぐるぐる回る。思考が回る。

 大体、ただ色んなものにけりをつけるために、暴力だけをもってきた男に、いったい何ができるというのだ?
 それだけを杖にして、ぎりぎり保って歩いてきただけの男に。

 何もできなかったから、こうなっていて。
 色んなものを切り捨てて、そうしなければ生きていけなくて。

 救えなかった、守れなかった、誇れる人間にもなれはしない。
 そんな何より守りたかった、誇りに思われたかったような家族を前にして。

 何ができるだろうといえるだろうか、と。
 啓一郎は思考の感情の渦にただ飲まれ続けた。

「あぁ! そうだったそうだった、ごめんごめぇん。家族の再会ってーいうには、まだたりなかったね。足りなかったねぇ……ほぅら、お父さんだよぉ-良かったねぇー明日はホームランだ!
何がホームランだうるせぇ! お前が大暴投だクソが!」

 追加で逆側にこれまた見覚えのある子供の顔が生えて、それがまた殴り飛ばされた。

「――――」

 それを見せられて。言葉どころか音にもなりもしない何かが啓一郎の口から洩れた。
 それが止めといえばそうであったろう。

 今度こそ、どうしようもなく、ただ力が抜けてしまって――いつの間にか地面に膝をついていた。記憶、現状、現実、状況に耐えきれない。
 感情のオーバーフローでフリーズを起こしている、とでもいえばいいだろうか。肉体自体は、こんなにも異様に強く、今まで以上に人を超えるものになったのに。なっているのに。

 力を入れねばとどこかで思っているのに、全くいう事を聞いてくれなかった。糸が切れでもしてしまったかのように。
 戦いを楽しむように思い込めようが、ここに来るまでどんな存在だろうが叩きのめして殺せていようが。
 そんなものは意味などないというように。

 ただそれを見て、天秤はげらげらと笑うばかりだった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

狼の子 ~教えてもらった常識はかなり古い!?~

一片
ファンタジー
バイト帰りに何かに引っ張られた俺は、次の瞬間突然山の中に放り出された。 しかも体をピクリとも動かせない様な瀕死の状態でだ。 流石に諦めかけていたのだけど、そんな俺を白い狼が救ってくれた。 その狼は天狼という神獣で、今俺がいるのは今までいた世界とは異なる世界だという。 右も左も分からないどころか、右も左も向けなかった俺は天狼さんに魔法で癒され、ついでに色々な知識を教えてもらう。 この世界の事、生き延び方、戦う術、そして魔法。 数年後、俺は天狼さんの庇護下から離れ新しい世界へと飛び出した。 元の世界に戻ることは無理かもしれない……でも両親に連絡くらいはしておきたい。 根拠は特にないけど、魔法がある世界なんだし……連絡くらいは出来るよね? そんな些細な目標と、天狼さん以外の神獣様へとお使いを頼まれた俺はこの世界を東奔西走することになる。 色々な仲間に出会い、ダンジョンや遺跡を探索したり、何故か謎の組織の陰謀を防いだり……。 ……これは、現代では失われた強大な魔法を使い、小さな目標とお使いの為に大陸をまたにかける小市民の冒険譚!

【ヤベェ】異世界転移したった【助けてwww】

一樹
ファンタジー
色々あって、転移後追放されてしまった主人公。 追放後に、持ち物がチート化していることに気づく。 無事、元の世界と連絡をとる事に成功する。 そして、始まったのは、どこかで見た事のある、【あるある展開】のオンパレード! 異世界転移珍道中、掲示板実況始まり始まり。 【諸注意】 以前投稿した同名の短編の連載版になります。 連載は不定期。むしろ途中で止まる可能性、エタる可能性がとても高いです。 なんでも大丈夫な方向けです。 小説の形をしていないので、読む人を選びます。 以上の内容を踏まえた上で閲覧をお願いします。 disりに見えてしまう表現があります。 以上の点から気分を害されても責任は負えません。 閲覧は自己責任でお願いします。 小説家になろう、pixivでも投稿しています。

【書籍化進行中、完結】私だけが知らない

綾雅(要らない悪役令嬢1/7発売)
ファンタジー
書籍化進行中です。詳細はしばらくお待ちください(o´-ω-)o)ペコッ 目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。 優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。 やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。 記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2024/12/26……書籍化確定、公表 2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位 2023/12/19……番外編完結 2023/12/11……本編完結(番外編、12/12) 2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位 2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」 2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位 2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位 2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位 2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位 2023/08/14……連載開始

(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」

音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。 本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。 しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。 *6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。

ナイナイづくしで始まった、傷物令嬢の異世界生活

天三津空らげ
ファンタジー
日本の田舎で平凡な会社員だった松田理奈は、不慮の事故で亡くなり10歳のマグダリーナに異世界転生した。転生先の子爵家は、どん底の貧乏。父は転生前の自分と同じ歳なのに仕事しない。二十五歳の青年におまるのお世話をされる最悪の日々。転生チートもないマグダリーナが、美しい魔法使いの少女に出会った時、失われた女神と幻の種族にふりまわされつつQOLが爆上がりすることになる――

幼い公女様は愛されたいと願うのやめました。~態度を変えた途端、家族が溺愛してくるのはなぜですか?~

朱色の谷
ファンタジー
公爵家の末娘として生まれた6歳のティアナ お屋敷で働いている使用人に虐げられ『公爵家の汚点』と呼ばれる始末。 お父様やお兄様は私に関心がないみたい。愛されたいと願い、愛想よく振る舞っていたが一向に興味を示してくれない… そんな中、夢の中の本を読むと、、、

だって私、悪役令嬢なんですもの(笑)

みなせ
ファンタジー
転生先は、ゲーム由来の異世界。 ヒロインの意地悪な姉役だったわ。 でも、私、お約束のチートを手に入れましたの。 ヒロインの邪魔をせず、 とっとと舞台から退場……の筈だったのに…… なかなか家から離れられないし、 せっかくのチートを使いたいのに、 使う暇も無い。 これどうしたらいいのかしら?

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

処理中です...