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月に執着する兎たちの末路
しおりを挟むそこは今までいた日常に比べればその名の通りにヘルと呼ぶにふさわしい場所であると、見た瞬間に思える場所であった。同じくその名の通り、月に似ていると思わせるような世界。
何もない、岩ばかりのどこか冷たい世界。空は真っ黒で、しかしどこから何が光っているというのかうすらぼんやりとした光に包まれた世界。
どこか体が重くなるような圧力さえ感じる空気感。
どうしてか呼吸はできるが、それでもやはり息苦しい。
終わっている。こんな世界で生きていける生物がどこにいるものか。
そんな風に思ってなんら不思議はない場所。
それが、彼らが飛ばされたダンジョン――難易度ヘル、『月に執着する兎たちの末路』だった。
モンスターとしてだろうか、触手めいた顔面に手足を持つ、どこか粘着質めいた肌を持ったおおよそ人型の怪物が闊歩しているのが不気味さに拍車をかけている。
あと、兎。
ダンジョン名には入っているが、誰もいるとは思わなかった少なくとも見た目はそのまんま兎な存在である。
なんか兎いる……とはプレイヤーが呆然としながら吐いた言葉だ。
なんか兎がいるのだ。兎かな? 兎だと思う……餅はついていないけど……と迷いながら結局見たことある兎でしかない兎に違いない奴がいるのだ。
見慣れない風景に、見たことある生き物。ちぐはぐでアンバランス。
冷たい薄暗い世界の中で、純白といっていいどこか清らかささえ感じてしまうそれは、彼らにとって奇異に映って仕方ないものだ。
「死ね! バケモン!」
ダンジョン。
プレイヤー。
化け物。
並べば、やることは決まっているようなものである。
もちろん抵抗感というものはあったものも多い。しかし、正気を削られそうな触手がうごめく化け物がこちらを眼球もないのにどうして見つけているのか、一定距離に近づいたならプレイヤーに向かって移動してくるのだ。
発狂しても死ねば――より正確にいうなら部屋に戻されるなり何かしらのアイテム等の対処をすれば戻るとはいえ、発狂はするものは短くともするのだ。
攻撃。
それが逃げだとしても、行われたことの事実には何ら関係のない。
そして、一人がやれば後は流れである。
人は集団の動物であり、事態は混乱を極めており、ストレスは溜められ続けていたのだから。
では、人同士の争いがあったのか? といえばそれはなかなかにそうはならなかった。
何せ、触手の化け物は強かった。
低層の一番弱いと思われるものでさえ、初期状態での単体撃破は厳しいと言わざるを得なかった。あとみんなでやれば怖くないレベルまでもっていかないと躊躇してしまうような見た目のせいもある。
集団でもしり込みするものは当然いるのだが、何せこのダンジョン、死んでも終わらない。
状態から脱出したければ、いつまでもそうしていれば排除されてしまう。
ソロではどうしもうない。
必然、条件がそろっていき、それを自覚すれば活動するのはまともに協力関係を結べるものだけになっていく。
「あっ……」
「おい! 三田村が食らった!」
このダンジョンで悪辣なのは、隠れる場所がないという事もまず挙げられる。
岩々がある場所も落ちればどうなったかもわからぬまま死亡するクレバスもあるが、基本的には地面が広がるばかり。
そして触手の化け物は多くなるし、時間経過で群がってくる。
加えることの、発動条件もよくわからない罠のような存在。
「……」
「もっもっとしておる……」
「ほっといてやれよぉ! っていうか止まんなよ!」
兎化である。
そこらにいる、プレイヤーと同じくなぜか襲われる存在であるらしい兎。
それと同じような生命体にされるのだ。
触手と戦闘している時、歩いている時、休憩している時。
所かまわず、その兎化は発動し、プレイヤーを苦しめた。兎化は著しい弱体化を招く。
そして触手は兎も襲うのだ。むしろ兎を率先して襲っているといってもいい。触手は執拗に兎を狙ってくるのだ。
「あ、救助された」
「癒し、ですかねぇ」
最初はまた一時的発狂を重ねる者も増えたが、慣れてしまうものというか、慣れないとどうしようもないものである。
何より、兎化すると同胞と思われるのかダンジョンに元から点在する兎が助けるようによってきて、安全な場所と思われるところまで誘導してくれるのだ。
冷たいダンジョンにいて、それは癒されても仕方のない光景ではあった。正気が削られそうな生物と見慣れたもふもふ生物。どちらが精神均衡を保つにふさわしいかというのは語るべくもないのだ。
兎化は死亡、ないしは特定アイテムの使用などをしなければとけない。
もういやだと兎化のまま過ごすようなものさえ時間がたてば現れた。触手と戯れるよりは兎と戯れたい、そんな気持ちは周りもわからなくはないのか『まぁ……うん……』となんだかスルーするばかりである。
「……!」
「あ、あれは!」
「気合入れてるのはわかるけど兎だから喋れないバトルラビット田中!」
まだ頑張れるけど兎が私を呼ぶから……嫌じゃないけどもふもふが俺にとっての正義だから……これは心の栄養剤じゃ……等々と自ら兎になるのだと率先して兎化し続けるものいれば、『兎が戦えないって、誰がいったんですか!』と言い放ち兎のままでも戦える戦闘術を発展させるものさえ現れた。
「この前人間の姿見られて恥ずかしがってたのなんでですか!」
「やめたれ」
「兎に憑りつかれてしもうたんじゃ……」
どこのダンジョンでも同じような傾向はあるとはいえ、時間がたてばダンジョンは大体カオスである。
見慣れないというか、見慣れては駄目な部類と思われる触手も、同じようなものしかいないし、集団なら戦えてしまえるようになっていくのだからどこか気楽というか、余裕めいたものがでてくるものも多数出てくる。
「触手君に田中のウサギテールが決まったぁ! 触手君はじけとんだー!」
「はじけとんだが比喩じゃないの怖いよな。見慣れてる自分も含めて」
「ていうか田中はやめたれて。めっちゃこっち見てるやん。つぶらな瞳めっちゃぶつけてきてるやん」
「田中さん別にPKじゃないから大丈夫だよ」
「違う、そうじゃない」
ヘル、という難易度は苦しいところが多い。地獄だと宣言しているのだからそれはそうだろう。
他のダンジョンでは、もっと正気度を削るような敵がわんさか出てくるような場所もあるし、無暗に進もうとすればモンスター関係なくダンジョン自体の環境に殺されてしまうようなものも多数ある。
それでいうと――どこか、このダンジョンはヘルには相応しくないのではないか? と掲示板の文字情報だけではあるが疑問を持つものも多い。
協力プレイが必須で、それができる者が多かったとはいえ――酷く安定している。完勝し続けることは無理だが、それでも不可能と思われる壁どころか、困難すぎると思うような壁もない。ぼちぼち予定を汲めば上ったり下りたりできる程度の山あり谷あり。
しかしプレイヤーからすれば結局『楽なら楽でいいよな』という結論である。誰だって、苦しい思いを率先してしたくはないのだから。いうほど楽でもなかったし……と思う点もある。
「あぁ、田中うさぎをみてダンジョン兎さんたちが加勢しようとしている……!」
「けなげ……兎はやはり、ダンジョンで殺伐とした我らの心のオアシス……」
「田中うさぎて名前みたいにいうのもやめてさしあげろ。あの人そこまでメンタル強くないんだからな」
「人参あげとけばいいじゃない」
「本格的に兎扱い」
そうしてダンジョンを進み。進み。進み続けて変化が訪れた。
戸惑い。
そう、プレイヤーたちにやってきたそれは戸惑いであり躊躇いである。
「あぁっ、どうして……」
何かしらの法則性があったのかどうなのか。
プレイヤーである彼らはわからないままであるが、触手の化け物は出口に到達する前にその数を減らし――ある時、出現しなくなった。
そして、一斉に参加しているプレイヤーはクリアを選択できるようになったのだ。
なったのだが。
「違うんだ兎さん。置いていくとかそういうことではなくて」
縋る。
兎が縋るのである。
ここに至るまで、様々な形でコミュニケーションをとり、その姿の虜になっていた表立って参加していたプレイヤーは全て兎が好きになってしまっている。
クリアするというか、いなくなるということが理解できているらしい兎たちは『いかないで』とばかりにうるうるとした瞳で見られ、そっとその身を寄せてくるのだ。
これは堪らなかった。
もうちょっとだけいいのでは。
そんな思考が走っても仕方のない事だった。
ポイントは、稼げない。
そのポイントの元たる触手がいないからだ。
しかし、ある種同胞と呼べる存在になってしまっている兎たちをないがしろにはどうしてもプレイヤーにはしがたかった。兎のもふもふに思考が蕩けるようでさえある。兎に魅了されるダメ人間が完成していたのだ。
――当然、兎を狩ってポイントにする等ということはしようとも思わない。それは、このダンジョンにおいても途中ら辺からは現れた愉快犯的存在でさえそうだった。なにせ共にあったのだから、と。仲間のような感覚、友達のような気持ちが湧いても無理はないだろう、と。
しかし、居続けることは死なないとはいえ、先細りが見えているものだ。わかっている。いつまでだっていられはしない。危険があっても進まないとどうしようもなくなる。
それでも、どうしても放置も振り切りもできないプレイヤーはただ兎をモフモフするしかなかったのだ。
まさかのトラップであった。
いや、だってクリアしても無事に済むかわからないし……わかるまでこのままでもよくない……いいよな……いいよ……よいよい……
といったようなろくでもない半笑いのような空気。いつかはどうにかしなければならないと理解しているが、まだまだ余裕はあるのがそれに拍車をかけてしまうのだった。
その自分たちの様に、本当の地獄はここからだったのだ……
と思ったかどうかは謎である。
とある世界で『執着する兎たち』と呼ばれる生き物がいる。
それは、早く対処しなければ致命的なことにもなりかねない、特定の何か執着するような行動をすることで知られている危険生物であった。
例えば人間、例えば牛、例えば猫。個人単体ではなく、その種族という単位に。
例えば海、例えば土、例えば植物。そんな広い範囲に。
執着するようにまとわりついて、離れない。
近くにいるだけなら、その存在は危険生物と見えないことからその危険性の発見は遅れる傾向にある。
執着しているものにも、近くにいるものにもはっきりした害意というものが見えにくい存在なのだ。
兎たちは、執着したものの側に寄り添い、共に存続したがる傾向を持っている。それだけならば問題ない場合もあるが、それ以外を餌だとしか思わないような行動をとるのだ。
しかも、その行動は後先を考えないものでしかない。
今が良ければいいというような、ろくでもないものであるようにすら映ってしまう、そういう。
兎たちが主に行う行動は2種類。
1つは、増殖である。
兎たちは雌雄を持たない。
その繁殖方法は他への浸食である。
相手に気付かれぬように、胞子のようにばらまいたそれを体内に侵入させ、増殖。
体ごと塗り替えることで、同じく兎状の生き物にしてしまうのだ。
兎にしてもその生物の意識が即座に切り替わるわけではないが――ただ、同胞意識は強く抱くようになる。
そしてそれは、塗り替えた単体だけに及ばず――近くにいる同種族全てに影響させる悪辣なものである。
兎たちには区別がある。
消耗すべき順序がある。目的はただ1つでも。
兎が個体を増やそうとするのは執着した生き物をとにかく存続させることである。
どういう形であれ、兎たちがいる間ずっとずっとともにいるということだけである。それだけなのだ。
数が多ければ多いほど維持する力は安定する。だから、兎は増殖を行う。
その兎の力は、どんな形のものでも存続させることが可能だ。
それが生き物であれ、道具であれ、星であっても。
健康だろうが死にかけだろうが一切関係なく。
寿命も何もかもをも無視をして、維持する。
力を与え、全てを生きているだけで吸収させていく。
例えばその表面から全てのものが失われても、そこにあれば存続である。執着の先自体があれば、何も頓着することはない。
それは先細り。あるいは自らの首を絞めている。のちの滅びしか待っていないのが明白であっても――執着したものの今さえあれば、兎たちが気にすることはない。
もう1つは廃棄物の運用である。
兎たちは無敵の生物ではない。異常な力を持っていても、無限に使えるわけでもない。死なないわけでもない。
力を使え終えれば、そのリスクを請け負わせる先が必要だった。そのための増殖でもあるのだ。
消耗すべき順序がある。
いらないものから、兎たちは廃棄物という生き物にしていくのだ。
廃棄物になった生き物とは悲惨である。
どうみてもまともな生物とは呼べない歪な姿になって、吸収する機能を持たされている兎が執着したものにやがて餌にされ自動的に死んでしまうだけの生命。
そして、より見るに堪えない事実は、時間経過とともにおぼろげになっていた意識が自然にか――それとも故意にか、元に戻るということだ。
そこに宿るのは、憎悪だろうか。
それとも元に戻してくれといっているのだろうか。
廃棄物には、ものいう口ももうない。
とにかく、ものを得られない、からみとるだけのような生き物にされてしまった廃棄物たちは兎を見れば追い回し、殺す生物となる。
まるでそれは、兎たちに執着しているかのようだ。
ダンジョンという場所にあっても、兎たちがとる行動に変わりはない。
兎たちにもなんだかやったほうがいいというか、そういうことがあることはわかっている。兎たちは、その行動が単純に見えても知能がないわけではない。
それでもやることは同じである。
執着したものがそこにあるのだから。行動を変える理由が見つからない。
同じようにそこに出現した餌に同じ行動をとる。
廃棄物を利用する形で新たな餌を効率よく摂取することに成功した。
かわりにといってはなんだが、廃棄物がエネルギーが豊富に得られることによってでなくなった。
新しい餌は、同胞にしたあとは死ねばまた戻ってくる効率の良い餌らしいことがわかり、兎たちはより率先してその餌の獲得に励んだ。廃棄物になっても恐らく殺せば元に戻る確率が高いことから狙わない理由がなかったのである。
兎たちが手順を踏まないため兎たちによる終わりはないが、兎たちにとっては終わりがないのがなによりである。
いつか何かの原因で終わるにしても、兎たちは根本的解決を目指すわけでもなくただただ存続を引き延ばすだけ。
執着したものにしか関心がなく、他一切をないがしろにする生き物の結末とは碌でもないものだ。終わるチャンスも、続くかもしれないチャンスさえ潰し切って進んでいくのだから。
もし、プレイヤーが廃棄物になればさすがに兎がどういう生物なのか気付くことになるだろう。そうなれば、時間がかかっても対処してくる可能性は大きい。そうできるだけの力は与えられているし、気付いた瞬間逃げる選択肢さえ与えられているのだから。
しかし、兎たちはそこまで考えることはない。対処するつもりもない。
興味がないのだ。執着したものはそこにあるのだから、それ以外の者にそこまで思考を裂くことはない。
それがどんな末路をたどることになろうが、兎たちは執着しない。
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