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それぞれの道
しおりを挟む誕生された皇子様は帝から、”居頼”様と御名を授けられました。
すくすくとお育ちになり、有子様はご自分の事より第一に皇子様の事だけを考える様になられておいででした。
五歳になった年の秋、御所では居頼様の親王宣下と着袴の儀の御祝いのご準備で慌ただしくしておいででした。
有子様は、居頼様を御産み遊ばされて後、帝より女御宣下を受けられ、次期皇太子となられる皇子様の母上様として、弘徽殿の殿舎を与えられました。
以降、皆から”弘徽殿女御様”と呼び崇められる事となるのです。
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「真、すくすくお育ちやなぁ、居頼さんは」
有子様は超子様を紅葉狩りにお招きになり、居頼様が雲井雁らとお庭で遊ばれている御姿を慈しむ様に眺めておいででした、
「私の一生の宝でございます」
「そなた、いつもそう言うなぁ」
「真の事でございますもの……。あ……ごめんなさい超子さん……超子さんのお気持ちも考えずに…」
超子様は帝との間にお二人の皇女様しかおられず、不運にも皇子様を産んだ事は無かったのでございました。
「構わんぞ?そなたの子、御上の御子は私の子とて同じじゃ」
「そう思って頂けて嬉しゅうございます」
「迷惑では無いか?」
「まさか!光栄にございます」
超子様のお好きな落雁を食しながら、お二人は笑い合っておいででした。
ところが、幸福そうなお二人の姿を、遠くから二つの影が憎悪を帯びた目で見つめておりました。
「あの女子、偉そうな顔してうつうつしい…」
奥の渡殿の柱の陰で袖を固く握りしめながら一人の女人が怒り狂っておりました。
「どうあっても、御上はあの者にぞっこんですよって、放逐するのは到底無理でしょうな」
もう一人は柱に背をもたれ掛けながら、お二人の事を見向きもせずにおりました。
「どうにか、あの女を嘲罵する事は出来ぬものでしょうか」
「五年が経っても我が物顔で御所を闊歩するのは、真にもって腹に据えかねるわ」
「皇子を病に見せかけるのは如何でござい──」
とんでもない事を口走った女人に対し、もう一人が叱責しました。
「それはなりません……御上を悲しませるのはあってはならぬ事でございます。お言葉を慎みなされ」
「も、申し訳ありません。軽率でございました」
頭を下げる女人を無視しつつ、自身も考えていなかった事でした。しかし、帝を敬い奉るべく身の上である故、皇子を傷つける事は避けなければなりませんでした。
「そうです、いい事を思いつきました……」
とんでもない事を考え付いたであろう一人の女人が憎しみの目を有子様に向けられました。
庶民の出でありながら更衣から女御になり、次期皇太子となられる御子を産んだ有子様を快く思わない人間が後宮内に存在していたのでした。
その事を知る由も無く、有子様は着袴の儀で居頼様がお召しになる袴を縫っておいででした。
産着も御衣裳もすべて有子様手ずから仕立てました。御子の成長を祈りながら縫って行く事が大事であると、超子様に話ているのを、後ろに控える勾当内侍は微笑みながら聞いておりました。
呉服問屋「ふよう」 ───────
有子様が後宮へ上がったこの五年の間、呉服問屋「ふよう」では大きく様変わりしておりました。
五年前、葉子様は久我湊仁親王から熱烈に求婚されておりました。
初めは悩んだものの、湊仁様は久我家を出て「ふよう」の婿養子となる事を条件として申し出た事で、葉子様は受け入れられたのでした。
お二人は実家の隣に新居を構え幸せに暮らしておりました。以前と引き続き、姉君・藤子様と共に呉服問屋を盛り立て、縫製所にて仕立ての仕事に変わらず勤しんでおりました。
湊仁様は親王の身分から降下したものの、お若い頃から親しくしておられる公卿らに呉服問屋「ふよう」を広める活動をして頂いたおかげで、全盛期よりも多くの公家からの仕立ての依頼が増える様になって行ったのでした。
呉竹さまは、元服の儀を厳かに取り終え、名を”芳隆”様と改めておりました。姉君・藤子様が命名され、次期呉服問屋主としての教育を受けておりました。
未だ注文の請負いをする事は出来ませんでしたが、読み書きの修練の賜物により、姉君の請け負った事を代わりに書き記す役目を担ったり、お客が相談したい内容を書き記したりなどをしておりました。
藤子様はすでに年頃を過ぎておりましたが、家族の大黒柱として妹弟の幸福を第一に考え、夫を迎える事はなされませんでした。
古い顧客とも相対する事が出来る程、著しく成長して行かれたのでした。母君・有子様の勝るとも劣らぬ商い口でお高い公家の奥方様達を説き伏せて行ったのです。
一方、末のゆう子さまはというと……
「おねいさんらは、いつになったら遊んでいただけるやろか」
「藤子さんと葉子さんは大変忙しゅうしております故、この浮と遊びましょ」
店では奥の居間が取り払われ、拡張改築し、二階を建てて居室として住んでおりました。
この頃、浮舟は家事全般を任される様になり、呉服の仕事は新しく売り子達を雇い入れ、彼女達で回しておりました。
「いやや、いやや!姉様達と遊びたいのや」
「ゆう子さん?もう七つにございますよ?わがまま言ってはなりませぬえ?」
ゆう子さまは頬を膨らませながら、プイっと後ろを向いてしまいました。
浮舟はゆう子さまのご教育に力を注ごうと努力しておられましたが、近頃、我儘ばかり言うようになっていて、お困りになられていたのでした。
しかし、このゆう子さまがいずれ母の様に驚くような人生を歩む事になろうとは、藤子様も、当の本人でさえも知る由もありませんでした。
御所・大極殿 ───────
御所では、帝御自ら居頼様の「着袴の儀」を大極殿にて執り行われておりました。
有子様が仕立てられた袴の地は帝より賜りし御生地による物でした。濃紫色の地で菊の御紋が所々にあしらわれ、小さな狩衣も同じ様に菊の御紋があり、それはそれは立派な御姿でございました。
着袴の儀とは、皇室に伝わる御子の成長を祝う儀式。
居頼様の髪に鋏を当て、切る所作をし、髪が豊かになる事を祈る儀式。更には、鴨川沿いで拾われた青い小石を二つ並べた碁盤に乗り、石を踏みつけてから「えい」という掛け声と共に南に向かって飛び降りて儀式が終了します。
古くから碁盤が宇宙、そして、世界に見立て、一人前に成長し自立する事、そして碁盤の目の様に筋目正しく、強い男に育つようにと願いを込められた儀式なのでございました。
それと同時に、大臣方が傅く中、居頼様は帝から親王宣下を受けられました。平安の世ではたとえ帝の御子であられても、宣下を下されない限り親王様、内親王様とはみなされていなかったのでした。
この時より、居頼様は皆から”親王様”と崇め奉られる事になるのです。
御所・紫宸殿 ───────
その後、紫宸殿では居頼様の着袴の儀、親王宣下を寿ぐ祝いの宴が催されました。
桜の御宴と同じく、食事と酒が多くの公家衆や大臣達とその奥方様の御前に置かれました。
帝が正殿の御簾の中からお出になられ、御言葉を述べられようとしておりました。静寂に包まれる紫宸殿では、秋の季節にしては冷たい風が吹きすさんでおりました。
「宴を始める前に、皆の者に伝えたい事がある」
帝の傍らには居頼様が呼ばれ、御簾の中では有子様が帝の御座の隣に座しておりました。
「本日より、新しく親王となったこの居頼に、宮を迎えたいと思っておる」
「……え?」
有子様は耳を疑われました。ただし、有子様の一驚とは裏腹に、多くの大臣達は歓喜の声を上げられました。
「よって、関白と大臣には選りすぐりの宮を選び出し、朕に報告する様に頼みたい」
今日は大いに楽しめ、と最後に御言葉を述べられた後、帝は御簾の中に戻られずに紫宸殿から去ってしまわれました。有子様が追いかけようとすると勾当内侍に止められてしまいました。
後宮・弘徽殿 ───────
祝いの後、有子様は勾当内侍に理由を尋ねておいででした、
「勾当、どういう事じゃ……居頼はまだ五つぞ?宮を選び出すなぞ、早うはないか?」
「ご婚約は宮中にとっても、公家の間にとっても古くからの慣わしにございます。幼き頃からご両親によりご縁組みは決められるのでございます。有子さんがお考えになられる民の婚儀とは違うのでございます」
有子様は不安な気持ちでおりました。公家の考える事は未知数でした。
帝との血縁関係を築き、お家の繁栄が約束される様にと帝に申し上げ、策略を企てる公家は少なくはありませんでした。
この五年の間で、有子様はたいそう学ばれておいででした。どう、ご自分の御子に帝王学を教育していけば良いか、どの様に育て上げれば良いかなど。
しかし、婚儀についてはまだ先の事であると考えていた有子様は、現実を突き付けられた様な心持ちでした。
「御上にお会いしたい」
有子様が言うと、勾当内侍が徐に睨み付け、
「有子さん!五年前にとっくに申し上げたはずでございますが?」
「あ……」
自分に正直過ぎる。嫌いなものは嫌い、したい事をしたい。昔からこうと決めたからには実行せずにはいられない性格でした。
御上にお会いし、何故、幼い御子に宮を迎えねばならないのか問い質したいと願っていました。しかし、今では親王様の母として身分相応に落ち着きを見せなければならない事を、勾当内侍から現実を突き付けられたのでした。
─────────────────────────────
その夜、騒ぎが起こりました。
「女御さん!!!大変にございます!!」
有子様が私室で居頼様を寝かしつけていたところ、珍しく息せき切った勾当内侍が襖を勢い良く開けました。雲井雁や梅が枝は驚いた。
「なんじゃ?居頼が眠ったばかりじゃぞ、静かにせよ」
「そ、外へおいでくださいませ……」
有子様が弘徽殿の庭に面する廊へと向かうと、登華殿と常寧殿へ通ずる二基の渡殿に汚物が敷き詰められていたのでした。犬や猫などの死体、排泄物や生ごみなどが強烈な臭いを放っておりました。
「どういう事じゃ?誰の仕業なのじゃ?!」
有子様は袖で鼻を押さえながら吃驚しておりました。
「雲井雁、庭の方から渡って、雑仕女をここへ呼び寄せるのじゃ!この汚物を掃除させるように!」
勾当内侍が命じると、雲井雁が欄干から降り立ち雑仕女詰め所まで駆けて行った。
「私は……ここまで嫌われておるのか?」
「恐れていた事が真になってしまわれましたな……」
「恐れていた事?」
「あれから五年の月日が経つというのに……やはり検非違使の護りを失くしたのは大きな痛手でした」
「検非違使を雇っておったのか?」
「はい。この五年の間、貴方様の周りに危険が及ばぬ様にと、御上の御寝が無い夜には御殿の護りを厳重にする様に小笠原に依頼していたのです」
「そうであったのか……」
「居頼さんが御五つにおなり遊ばされた頃から、もう心配は無いと思い、護りを失くしたのです。有子さん、申し訳ございませぬ……」
「誰がやったのか、大方検討はついておるのか?」
「いいえ……はっきりとは……。ただし、例え突き止めたとしましても、証拠が無い限り下手人が捕まる事はないでしょう」
それから間もなく、雑仕女を数十人従えた雲井雁が戻り、有子様は自室へと戻られました。
有子様はただ一人、思い当たる人物が思い当たったのでございました。
清閑寺別当
思えば、御匣殿で起きた一件──袿が切り裂かれていた一件では暇を出された女蔵人の起こした事では無いと考えていた。しかし、その頃、目の前の仕立ての仕事で精一杯であった為、問い詰めることはありませんでした。それ故、清閑寺別当が補佐役として、すべて刑部省への取次を行っておりました。
人を疑う事は悪い事では無い……ただ、清閑寺別当の事は信頼出来る女官と思っていた節、どうしても疑うことは出来ませんでした。
すべて自分が招いた出来事……。自分で蹴りを付けなければならないと思い至った有子様でした。
後宮・御匣殿 ───────
久方ぶりに貞観殿にある御匣殿の妻戸を開き、中に入ると、有子様が居た頃よりも更に陰気な空気が漂っておりました。
女蔵人達は、真顔で目の前の仕立ての作業に勤しんでおりましたが、間違った事をしてる訳でもないのに、やれ指の角度が違う、縫い糸の長さが五厘長いなど、言いがかりする清閑寺別当がそこにいたのでした。
「清閑寺さん……少しよろしいか」
「今、手が外せません。お話はご遠慮願いたく存じます、女御さん」
清閑寺別当は一瞥しただけで女蔵人に怒鳴り続けていた。決して忙しそうには見えませんでした。
「後生や。大事な話なのや。どうか、こちらへ……」
有子様は真剣な眼差しで清閑寺別当に一言伝え、御匣殿を後にされました。
貞観殿の枯山水の庭を眺めて待っていると、後ろから衣擦れの音がしました。
「来てくれたのじゃな、清閑寺さん」
清閑寺別当が無表情で有子様より、離れた所に立っていました。
「何用にございますか女御さん。私に話なぞ」
「持って回った言い方は好かぬ故、はっきり申す……。清閑寺さん、弘徽殿の渡殿に汚物を撒き散らしたは其方か?」
有子様は立ち上がり清閑寺別当と面と向かい、はっきりと昨夜の一件を問い詰められました。
「まぁ、そないな事があったのでございますか?ご災難どしたなぁ」
清閑寺別当はわざとらしくのっそりと口を開きました。
「知らぬ振りを貫き通すおつもりか?」
「振りも何も、真に知らんもんは知りません」
清閑寺別当の目はカッと見開き有子様を見据えました。仕方ないと悟ると、最後の手段に取り掛かりました、
「そういえば、弘徽殿の渡殿で、糸くずが落ちておった。いささか妙であったがあれは何だと思う?」
懐から渡殿で発見したという糸くずを見せると、清閑寺別当は少々ギクリとしたように見えました。この糸くずは、弘徽殿の渡殿に落ちていたもの。勾当内侍に気付かれぬよう拾ったものだった。
「さ、さぁ、そんなの存じ上げませぬが……」
「お言葉遣いが変わりましたな」
清閑寺別当は不意を突かれたのか黙りこくってしまいました。
「其方は御匣殿で長袴に袿を引き摺りながら職務に励んでおられるのう。仕立ての仕事に従事する者は裾を絡げ、切袴を着用するのが礼儀や。誤って帝や女御さんの衣服を引き摺らぬ様にとの配慮の為になぁ。初めて其方に会うてから不思議に思うておったのや。大方、袿の裾に付いていた糸くずが、渡殿に落ちたのであろう」
「そんな証、何処にあるんだす?そないな糸くずだけや証にならんではないだすか!聞く所によれば、あんたさんも仕立てをするというではないか。あんたさんの糸くずが紛れ込んだのではないんだすか?」
「そんな事はない」
「……?」
清閑寺別当は驚いた顔をして、口を噤まれました。
「私が使っている縫い糸は都の問屋街で揃わせたものや。ただし、これは糸所で丁寧に精錬された縫い糸や。問屋街の糸とは天と地の差やが、私はあいにく其方らの言う庶民の出ゆえのう、街で整えた糸の方が使いやすいのや」
清閑寺別当は更に黙ってしまい、俯いてしまっておりました。
「私を恨む者は御匣殿の女蔵人の中にはおらぬ。其方しかいないと思っておるが、間違ってはおらぬな?」
「……黙っていればずけずけと……」
「?」
「あんたさんが、御所に入らなければ、私が悪事に手を下す事なぞしなかったのや!!!あんたさんがいなければ……私は別当補佐という辱めを受けずに済んだのやっ!!」
自分のやりたい事を正直に突き進んだせいで、清閑寺別当をここまで追い込んでしまったと、有子様は改めて思い知らされたのです。
「では……仕立て途中の袿を切り裂いたのも……?」
清閑寺様は認めはしませんでしたが、途端に雲った表情になったのを見過ごされませんでした。
「そうですか……」
「たいそう慕っておいでの御上に、お告げ口なさってもよろしゅうございますよ。その方が、貴方様は安心して後宮で大きい顔をしていられましょう」
罪を認めてからという物の、自暴自棄になっている様に見えました。
「私は誰にも言わぬ」
「?!」
「其方は、女蔵人らに厳しくし過ぎだが、其方の仕立ての技術は高い。それは私も認める。其方の様な丁寧に仕立てが出来る女子がおれば、女官達は上等な衣服を着れられると言うもの」
「その様な言葉、私には不要でございます」
「何故そう思う?」
「私は嫌われている人間にございます故……」
そう言うと、清閑寺別当は静かに御匣殿へと戻って行きました。その顔は物哀しげで、始めの憤りの顔とは違っておりました。
これ以降、有子様に対する陰湿ないじめは途絶えたのでございました。
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その日の夜……
あるお部屋で、清閑寺別当と豪華な五衣唐衣裳を着た女房が話し合っておりました。清閑寺別当は、俯きながらこの世の果ての様な面持ちでおられたのでした。
「清閑寺さん、どういう事にございます?」
女房が、檜扇をこつこつと板の間に当てながら問いました。
「貴方様の言う事に、聞く耳は持たぬと申しておるのでございます」
清閑寺別当は袿を含め、袴をも握りしめながらはっきりと申しておりました。
「清閑寺さん、あんたさんが一体何を言うておんのか分かっておりますのんか?」
「はい。この身を、どうにもこうにも……お好きになさってください」
清閑寺別当は俯き加減でそう言うと、女房が庭を眺めながら声を低くして答えました、
「分かった……」
その後、清閑寺別当のお姿を見た者はおりませんでした。有子様に対して行われた所業は内々に広められ、有子様の知らぬ間に女官達の知る事となったのでした。
「やはり、あの清閑寺さんは化けの皮が剥がれましたなぁ」
御匣殿で執務する女蔵人、松が袴の帯を縫いながらひそひそ声で話をしておりました。
「意地悪を働くと、必ず自分の元に戻って参る。それが世の理じゃ」
同じく、女蔵人の竹が、袿に仕上げをしながら、応えました。
「少しかわいそうにございますねぇ」
女蔵人の梅が、少し離れた休息の間で羊羹を食べながら、呟きました。
「どこがや、梅。あんな厳しい方、もういなくてせいせいするぞ」
竹が梅を連れ立って、同じく羊羹を口にしました。
「いやね?ちゃんと執務をこなすと笑ってくださるんですよ。真の御心は御優しい方だったんじゃないかなぁ」
突然いなくなった怒号は時に晴れ晴れしくもあり、時に寂しくなる。思い返せば、女蔵人達に厳しく当たっていたのは、憂さ晴らしを兼ねた飴と鞭だった事に、女蔵人達は気付き始めたのでした。
その後、新しい御匣殿別当は、竹が引き継ぐ事となり、それからは清閑寺別当の事は人々の記憶から忘れ去られる事となったのでした。
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後宮・弘徽殿 ───────
季節が秋から冬の寒さが広がる頃、帝が弘徽殿に参上遊ばされておりました。
居頼親王の御姫宮のお相手候補について相談したいと帝が仰せになられ、有子様の元にお出ましになられました。
お相手候補は、
藤原家の倫子様
近衛家の華子様
九条家の賀子様
の以上御三名様でございました。どなた様も公家の関白、大臣の姫宮様ばかりでございました。年齢も申し分なく、容姿端麗という条件が揃っておりました。
有子様は帝が御見せ下さった御人となりが詳細に書き記された紙を眺めました。顔の絵も何も無く、紙切れ一枚で決めよというのは酷な事であると有子様は思われました。
「どうや?どれが良いと思う?私は、藤原家の倫子が良いと思うが──」
「御上、御願いがございます」
帝の言葉を遮り、有子様が口を開かれました。
「なんや?有子」
有子様は重大な決断をしたような面持ちで、両手を付いて帝に申し上げられました、
「居頼親王の女御についてでございますが……私の末の娘、ゆう子を……嫁がせとうございます」
御上、勾当内侍、傍に侍る女房達全員が驚愕しておりました。
一体有子様は何をお考えなのでしょうか?
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