千姫物語~大坂の陣篇~

翔子

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第五章 不調和

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 夫・豊臣秀頼と祖父・徳川家康の会見。

 豊臣と徳川の一大事に、豊臣家は最善の対策を模索しながら準備が進められた。

 千姫は会見の意図が未だに掴めぬまま思い悩む日々を過ごしていた。祖父・家康が秀頼を配下に置きたいという事を決して認めたくはないはずだ。
 数々の政に関する書物に目を通すも、悩みを埋めてくれる改善策は見つけられないでいた、

『はぁ、分からぬ……お千代保、書庫へ参るぞ』

「書庫へ? な、ならば、わたしが参りますが……?」

『いや、自分の目で探したいのじゃ。参るぞ』

「は……はい……」


大坂城・書庫 ───────

 大坂城には豊臣秀吉が生前、政務や故実にまつわる蔵書を教養として蒐集しゅうしゅうさせた壮大な書庫がある。ここは主である秀吉だけでなく、諸大名や家臣らも閲覧する事が可能だ。

 刑部卿から指南を受けていた頃、歴史に興味を抱いていた千姫は、秀頼の影響も相まって書庫へと度々訪れて、書物を借り入れるなどしていた。入室には宮内卿局の許可が必要だったのだが、今では自分の一存で通い詰めることが出来るようになっていた。

 千姫は、政について書かれている書物の棚を入念に調べたが、五十八年前に大伯父・織田信長が斎藤道三と会見を行った【聖徳寺の会見】以外何もなく、肩を落とした。
 お千代保は、気が気で無い様子で千姫をちらちらと見つめた。それは主が目的の書物が無くて落胆して哀れだからではなく、御小姓たちの間で出回っていた事柄について、気もそぞろであったのだ。

『千代保、部屋に戻るぞ』

「お、お千様? 今一度……ご、ご確認されては如何でございましょう?」

『もう隈なく探した。何も見つけられなかった故、もう大丈夫じゃ』

「では……ま、政についての書物よりも、物語をお読みになられては如何でございましょう?」

『物語はもう良い。部屋にもまだある。それらを先に読み終えねばの』

「は、はぁ」

 千姫が書庫を離れ、部屋へと帰路に着いた。その途中、咲き誇る桜の木が見え、立ち寄る事にした。お千代保が止める暇もなく、釣殿つりどのから春色の空を見上げると、そこへ、女子らのはしゃぐ声が耳に届いた。

小石おいわさん、桜が美しゅうございますわねぇ」

「ほんに、お伊茶いささんのお打掛さんとおんなじ桃色に色付いておりまするなあ」

 お千代保はばつが悪そうに千姫の袖を掴み、部屋へ戻ろうと懇願した。ところが、千姫はその会話に耳をそばだてていた。大坂城奥向に勤める侍女たちは、そうやすやすと庭に出る事は許されていなかったはず。ましてや秀頼のこの大事なる時に。

 千姫は声のする方へと向かった。物音を立てないように、打掛の裾を手で持ち上げながら濡れ縁で桜を愛でている両名を垣間見た。
 義母・淀殿と同様、派手な打掛を着た女子達は、菓子を摘まみながら優雅なひと時を過ごしている様子だ。見るからに幸せそうなその姿に、千姫は羨ましくさえ思った。

「お殿さんとまたこうしてお花見したいわぁ」

「右大臣さんは、何をおしやしとるんどすやろ」

「分からしまへん。おひいさんとおぼんはんを私らが産んでからとんとお目に掛からんようになってしまはりましたな」

「何をお考えなんどすやろ、お袋さんは」

 千姫はあまりの衝撃に、持っていた打掛の裾をドサッと落としてしまった。すると、物音を聞いた二人は振り返り、千姫の姿を捉えた途端、アッと驚いたような表情を浮かべた。小石と伊茶と呼ばれる女子達は慌てて身なりを正し平伏した。

 千姫は気を取り持って、二人の前に立った、

『その方ら……ここでいったい何をしておる?』

「さ、桜が余りにも美しゅうございましたので、花見をしておりました」

「姫君様にこの様な見苦しい姿をお見せしてしまい、面目次第もございませぬ」

『私の事を存じておるのか?』

「お殿様の奥方様なれば、知らぬ者はこの大坂城しろにはおりませぬ」

『して、その方は……何者じゃ……?』

 おおよその見当は付いていたが、千姫は改めて尋ねた。どうか嘘であって欲しいと心の中で祈った。

「「お殿様の側室にございます」」

 予想通りの返答に血の気が引いてしまった。千姫は、側室達を置き去りにしてその場を走り去って行った。自分の部屋を通り過ぎて、奥御殿の代理統括を勤める人物の部屋を訪ねた。

大坂城・長局・宮内卿局の部屋 ───────

 その日、非番だった宮内卿局は、会見を控える秀頼の身を案じながら御仏に無事の祈りを捧げていた。そこへ千姫が突然参った事で、宮内卿付きの侍女たちは狼狽したが宮内卿は帰らせる訳にも行かず、快く受け入れた。

「姫君様、こんな狭苦しい部屋をお訪ね遊ばされて、一体どの様な御用向きにございましょうか」

 宮内卿局がニタニタとしたわざとらしい笑みを見せながら千姫を恭しく迎えた。千姫は気味悪がる暇も無く、側室の件を訊ねた、

『先だって書庫から戻った折、二人の女子おなごに出くわした。私の顔を見るなり、怖い物を見たように顔を青ざめさせ、頭を垂れて来た』

 千姫が淡々と言葉を並べると、宮内卿の顔からだんだんと笑みが消えて行った、

『話を聞けば、お殿様の側室だと申しておった。のう宮内卿。私は大坂城に来て、早八年が経とうとしておる。この事、私の耳に入れぬとはどういう理由わけがあっての事か、聞かせて貰えぬか』

 宮内卿は、唇をキッと結びながらぎこちなく両手を付いて答えた、

「姫君様、側室の件につきましては真の事にございまする。ですが、お伝えせずにおりました理由につきましては、恐れながら私の口からは申し上げかねまする」

『それでは分からぬ! はっきり申せ──』

「何卒、この事はご念頭にお置き下さりませ。これは、豊臣家の御為おんためにございまする。お年頃におなり遊ばされた姫君様ならば、お分かりになるはずでございます」

 宮内卿の震える言動を受け、千姫は不憫に思い、これ以上追及するのを止めた。

 豊臣家の御為……それは千姫も同じ心であった。千姫は宮内卿にねぎらいの言葉を残し、自分の部屋へと戻って行った。

大坂城・奥御殿・千姫の部屋 ───────

 千姫はとぼとぼと歩きながらようやく部屋へと辿り着いた。頭の中で、あの美しい二人の側室が秀頼と仲睦まじくする所を想像した。切なさとやるせなさで胸が張り裂けそうになった。

 真実を突き付けられた千姫を見守っていたお千代保もやるせない気持ちになっていた。徳川家に生まれたばかりに、側室に先越されてしまい、子を産む喜びを感じ得なかった千姫を哀れに思った。

 側室の存在は、刑部卿局も承知していた。千姫のみが知らされないまま、三年間も秘匿されて来たのだ。千姫を憚った秀頼の計らいだったのだが、隠し事をされ続けていた事に違いはなかった。


慶長十六年(1611)三月二十八日 ───────

 豊臣秀頼と徳川家康の会見が、京・二条城で執り行われた。

 秀頼はおよそ十五年ぶりに大坂を離れ、京の都へと足を踏み入れた。家臣と小姓らを引き連れたその長大な行列は、京の人々から注目を浴び、太閤殿下秀吉以来の豊臣家当主の上洛に感嘆の意を表した。

 太閤殿下子飼いの大名であり、今では徳川家康の下で勤める、加藤清正、浅野幸長に護衛されながら、秀頼は二条城に登城した。

京・二条城 ───────

 秀頼の姿を目にした徳川方の家臣らは、その風格に恐ろしさを感じた。眉目秀麗にして感じ取れる身のこなし様から、亡き太閤殿下の面差しが無く、今まで軽んじていた事を後悔した。
 片や、招待した当の徳川家康は秀頼の姿に臆することなく丁重な姿勢を見せ、この日の為に整備された庭園を共に眺めるなどをしてもてなした。

 やがて一行は、【御成之間】へと移動した。

 秀頼は威厳を湛えたまま下座へ着座した。当初、家康が上座へ座るよう促した。ところが、秀頼は謙虚な姿勢でそれを断り、立場を弁えた上で、前将軍にして大御所である家康を憚り、下座に座ったのだった。
 秀頼は徐に両手を付いて挨拶を述べた。およそ八年ぶりの対面であった、

「本日は、お招き頂きありがとう存じまする」

 秀頼が頭を下げると、家康は、突然高笑いし出した、

「ほほー、こうして見ますと、いやはや、随分とご立派になられましたなぁ。わしも歳じゃのう……ガハハハッ」

 広間に響き渡る程の笑い声に構う事無く、秀頼は言葉を続けた、

「何を仰せになられます。徳川殿には、ひ孫の顔をご覧になられるまで、長生久視ちょうせいきゅうしの日々を送って頂きたく存じまする」

 家康は秀頼が示す心遣いの奥に見え隠れする威厳のある挨拶を耳にし、秀頼をじっと見据えた。その眼差しからは決意と情熱を感じ、顔を歪ませぬ様、必死に堪えながら今度は千姫の事を訊ねた、

「千は、息災にしておられますかな」

 秀頼は、愛しい妻の顔を思い浮かべながら言葉にした、

「はい、元気に、日々を恙なく過ごしてございまする」

「おお、そうかそうか。にしても、お母上様の淀殿は良うお許しになられましたな。六年前にもこの様に挨拶を願い出たにも関わらず、お越しになられなかった。その理由を、お聞かせ頂けますかな」

「その事について、お詫びを申し上げたくもあり、此度こうして罷り越しましてございまする」

「詫び?」

「まずは母・淀の度重なる勝手な振る舞いを、どうぞお許し下さい。母は、自身と豊臣家しか信じられぬのでございまする。それは徳川殿もお気付きでございましょう」

「うむ」

「されど、私は違いまする! 私は、豊臣家が世の中に出るべきだと考えておりまする。徳川殿が、日本国の外を御覧になられておられるように、大坂の地しか知らぬ私も大名らが住まう地を訪れ、共に手を取り、交え合いたいと存じまする」

 秀頼の決意表明とも取れる発言に徳川家の家臣らはざわついた。

 徳川家が幕府を開き、多くの大名衆を率いて参った世の中になっても尚、未だに天下は豊臣の物であると信じて止まない気持ち昂る思いを、秀頼から感じ取った。

「これからも徳川殿と共に、太平の世を築く事、共に考えて参りたいと存じまする。何卒、宜しくお願い致しまする」

 秀頼は浅く頭を下げた。

 これが家康の心に「恐れ」が生まれた瞬間だった。

───────────────────────

大坂城・奥御殿 ───────

 それと同じ頃、千姫は秀頼の事を気に掛けていた。会見の案配は如何ばかりか、祖父はどの様な態度で秀頼と相対したのか、不安で仕方が無かった。
 しかし、その一瞬、桜を眺めていた側室の存在が頭を過った。あの二人はどの様な素性の者なのか、姫と若君を産んだと二人は申していたがそれは真の事なのか、宮内卿局は何も応えてはくれなかった。

『義母上様……』

 淀殿なら知っている、そう思い至った千姫はすぐさま立ち上がった。刑部卿が止めるのを振り払い、千姫は、ようやく淀殿の部屋の前に辿り着いた、

『義母上様、千にございます』

 千姫が一言呼び掛けたが、返事は返って来なかった。負けじと、もう一度口を開いた、

『嫁いで八年、あの日以来、義母上様とお話しておりませぬ。どうか、私の話を聞いて頂けませんでしょうか?』

 千姫は、冷たくあしらわれた婚礼の翌朝以来、久しく話す事は無かった。式事以外会う事は無く、小言を言われ続けるだけで話という話はして来なかった。

 しばらくして、必死の訴えが聞き入れられたのか、襖が開かれた。淀の乳母・大蔵卿局が「どうぞ」と言い、部屋に通してくれた。

 千姫は静々と部屋の中に入ると、淀殿は前かがみになって御仏の前で手を合わせていた。きっと二条城での会見を行っている秀頼の無事を祈っているのだろう。
 やがて、淀殿がゆっくりと振り返ると、ぎこちなく微笑んだ、

「千、久方ぶりじゃのう」

『お久しぶりにございまする』

 千姫が両手を付いて言うと、淀殿は不愛想な顔をして単刀直入に聞いて来た、

「何をしに参った?」

 しばらく沈黙が流れると、千姫はおずおずと本題を切り出した、

『義母上様……秀頼様に側室をお勧めしたのは……義母上様でございますか』

「……それがどうした」

 御仏に手を合わせながら、淀殿はぶっきらぼうに答えた、

「豊臣家が安泰となるには、世継ぎを儲けなければならぬ。年頃になったそなたなら分かるであろう!」

『無論、承知しております。私はもう子供ではございませぬ故。されど、私がお聞きしたいのは、何故、私一人だけ知らされずにいたのでございますか? 私が、徳川家に告げ口するとでもお思いでしたか?』

 淀殿は何も答えず、ただただ手を合わせ続けた。子を想う母の姿を垣間見た千姫は、言葉が出なかった。確かに、この人は会見を許さぬ程、徳川家を憎み抜いている。その徳川の娘である千姫に対し、今、豊臣家で起きている内情を知らせずに長きに渡って大坂城に縛り付けている。

 元々分かっていた事ではないか……嫁いだその翌日から『子を儲けるな』と言われていたのにも関わらず、側室を勧めた事を恨むのは間違っていると、千姫は淀殿の反応を見て悟った。
 千姫は肩を落としながら部屋を去ろうとすると、淀殿が口を開いた、

「そなたは、会見について家康から聞いておったのか」

『いいえ、私は何も──』

「嘘じゃな」

 淀殿は唸り声を上げながら勢いよく千姫に向き直った、

「側室の事を耳にしたそなたの……豊臣に対する恨みか! この豊臣を滅ぼしたいのか!!」

『その様な事は決してございませぬ! 私は秀頼様を恨んでなど──』

「嘘じゃ!!」

 淀殿がさらに詰め寄るように立ち上がると体勢を崩した。大蔵卿局はとっさに淀殿を受け止めた、

「お袋様……落ち着かれなさいませ。姫君様に対し訴えを述べられようと、何もなりませぬ」

「もし、秀頼にもしもの事があれば……家康の見せしめとして、そなたを刺す!!」

『義母上様、然様な事をなされば祖父の怒りを買い、戦になり兼ねませぬぞ!』

「徳川は天下を、豊臣から奪い取ったのじゃ……奪い返すのみじゃ!!」

 淀殿は、千姫を一瞥しながら鋭い口調で言い放った。千姫は為す術もなく恐怖を感じた、その時……、

「母上、その様なご短慮なお考えはお捨て去りませ」

 襖が勢い良く開かれると、そこには秀頼が立っていた。千姫は求めていた夫の姿を目にし、縋り付きたい思いを抑えながら頭を下げた。
 一方、愛しい我が子の姿を目にした淀殿は、すっくと立ちあがり駆け寄った。

「秀頼……無事であったか……どこにも怪我は無いか?」

「ご安心召されませ。徳川殿はとてもお優しい方でございました」

 淀殿は秀頼の身体をまるで宝玉を愛でる様に見まわし、何処も傷が無いか確かめると、安堵の気持ちから声を漏らした。
 千姫は、義母が愛おしそうに夫を見つめるのを見、生まれて初めて嫉妬の念が生まれた。秀頼が側室と子を成した事については何も思わなかったのにも関わらず、目の前で行われている愛撫にやきもちを焼いた。
 淀殿が秀頼に抱き着こうとすると、秀頼はそれを躱し、千姫の元にかがみ込み目線を合わせて声を掛けた。

「久方ぶりじゃのう、千。元気にしておったか?」

 思いもよらない行動に千姫は驚きつつ、挨拶を述べた、

『はい。無事のお帰り、嬉しゅうございます』

 千姫の言葉に秀頼は微笑みながら頷いた。秀頼は、訳も分からず立っている母を見上げた、

「母上、今宵、千と名実ともに夫婦になりたいと存じます」

「何と申した……。そなたら、密かに会うておったのか?!」

 秀頼は衝撃を受ける母を無視し、言葉を続けた、

「先ほど、宮内くないに命じ、閨の準備を進めさせておりまする」

「勝手な事を……母は許さぬぞ──」

「母上!!」

 秀頼は大きな声を上げた。初めて盾突いた我が子の反抗に、淀殿は言葉が出なくなった。

「千は私の大切な妻にございます。徳川と豊臣との間で板挟みに合っている、この愛しい妻を労ってあげたいのです」





大坂城・奥御殿・御寝所 ───────

 淀殿を説き伏せた秀頼は、千姫と夜を共にした。

 婚礼以来の夜の御寝ぎょしんに、千姫は緊張していたが、と同時に心が満たされる思いがした。秀頼は、布団に腰を下ろすと千姫の腰を抱き寄せ、耳元で囁いてきた、

「千……今まで、こうしてそちを抱く事が出来なかった事を悔まれてならない。すまなかったと思うておる」

 愛しい人の声を耳で感じながら、千姫は小さな声で気持ちを打ち明けた。

『いいえ、私も……秀頼様とこうする事をどれだけ待ち望んだ事か──』

 千姫が腕を秀頼の背に回そうとすると、秀頼の後ろに、忘れかけていた側室達の幻影が見え隠れし、秀頼を強く押し退けた。

「どうした?」

 秀頼が不思議に思って声を掛けると、千姫は俯いたまま重い口を開けた、

『先日、御庭にてご側室のお二人にお会い致しました』

「あ……そうか……」

『どうして、私からあの者達をお隠しになられたのでございますか? 御子達の事もです……。私は、それほど信じられぬ女子おなごなのでしょうか?』

 秀頼は、申し訳なさそうな表情を浮かべながら言った、

「千、聞いておくれ。そちは徳川の娘じゃ」

『その様な事、理由にはなりません──』

「聞くのじゃ……そちの問題ではなく、そちの侍女らの問題じゃ。わしが側室を持ち、子を儲け、それが明るみになれば、たちまち徳川に報せが行くであろう。「千が蔑ろにされた」とあちらは感じるであろう」

『私の侍女達にはその様な事をする者なぞ──』

「無いと言い切れるか? わしの事や、豊臣の事を悪く言う者は一人でもいなかったか?」

 千姫は刑部卿局の事が頭を過った。

 彼女は、豊臣家に天下は戻らず、すべて徳川が天下を治める事になると口にしていた。
 まことを告げる事は簡単だ。しかし、告げ口をしてしまえば、今まで大切に育ててくれた乳母にお暇が下される危険性がある。そう思った千姫は、『いいえ』と偽りを滑らせた。納得していなさそうな秀頼だったが、頷いてくれた、

「側室が産んだ子らだが、二人とも他家に預けておる。これ以上、徳川家と豊臣の間で争い事を起こしたくはない、その一心で隠して来た。しかし、たったそれだけの拙い考えのせいで、そちに辛い思いをさせたな……すまぬ事であった」

 秀頼は千姫に頭を下げた。千姫は恐縮しながら肩に手を添えた。

『秀頼様、おもてをお上げくださりませ……。私は、怒ってなどおりませぬ。ただ……』

「ただ?」

『もう、私に隠し事はしないでくださいませ。私はもう豊臣家の人間でございます。これからは隠さず、すべてをお話しくださいまし……』

「千……豊臣の人間になってくれるのじゃな」

『もちろんにございます』

 千姫は、秀頼のその顔を見た途端に、心の中で何かが咲いた。そして、千姫なりの優しさから出た一言を告げた、

『秀頼様、どうか他家にお預けになられたという御子達を大坂城へお呼び戻し下さりませ』

 思いもしなかった千姫の発言に、秀頼は驚いた顔をしたが、しばらく考えた後、優しく「分かった」と言って頷いた。

『ありがとうございます。私の侍女達にも、よくよく言い含めて参ります故、ご安心下さいませ』

「頼む。して千、二人を呼び寄せて如何するのじゃ?」

『この奥御殿で育てて行きたいと思うております。この大坂のお城でお産まれになられたのに、すぐに他家へのお預けを受けるなぞ、余りにも不憫にございます。ただそれだけにございます』

「そちは……優しいのう」

『それと、もう一つ、側室の者たちとも会わせて差し上げてください。子を産んだらそれきり会わなくなるのは、余りにも酷い仕打ちにございますぞ?お子達と離れ離れにして差し上げないでくださいませ』

 秀頼は、千姫の知られざる熱い思いにいじらしく感じ、そっと抱き寄せた。

 秀頼の胸に再び抱かれた千姫は、胸が高鳴ると共に、暖かな気持ちになった。決して交わらずとも夫婦の間に大切なのは、心を通わせる事なのだと、千姫は知った。
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