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第十四章 武家の御台所
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徳川将軍家は代々、公家から御台所を迎えた。
例外として、第十一代将軍御台所・広大院そして、第十三代将軍御台所・天璋院は、元は武家・薩摩藩の娘であったが、共に摂家の近衛家の養女となったうえで、〈武家の姫〉としてではなく〈摂家の姫〉として徳川家へ輿入れした。この慣例は、日本国中に徳川将軍家が他家との格の違いを誇示するための、いわば、見せしめであった。
朝廷と幕府双方の協力政治が築かれたことによって、一時は倒幕派の勢いは収束したかに思われた。しかし、家正が薨去したことによって、幕府は未だ動きが掴めない〈尊皇倒幕〉の台頭を恐れ、公家との婚姻関係を終わらせることに至った。
斯くして、徳川家の御台所を武家から迎えることとなり、数多の武家の中で加賀百万石の〈前田家〉から紀代子が選ばれた。
第十五代当主・前田慶直の四女で、見目麗しく才たけたと名高い姫君を老中がみすみす逃す手はなかった。当初は渋っていた慶直も、幾度に渡る老中たちの要求に屈して、娘を説得した。聞く所によれば、紀代子は二つ返事で了承したという。
江戸城入城は、三年後の万和十一年(1936)十月二十一日と日程が決められた。
前田家は第十一代将軍・徳川家斉の二十一女、溶姫が嫁いだ家であり、徳川家とは縁戚関係にあたる。慶直の心を動かしたのは、この件が大きく関係した。
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「武家から御台所を迎えるとは……時代が変わったという事じゃな」
老中から、御台所選出についての報告を受けた深篤院は、嘆息を漏らした。自分が最後の公家出身の御台所となることに、得も言われぬ重圧を感じた。
愛する人たちを悉く見送った彼女は、悲しむ暇もなく、公の場との関わりを続けた。新将軍となる徳川家孝の後見、大奥の統率、そして御台所を迎える手配等を自らが率先して事に当たった。
「御免仕りまする」
「松岡、如何した」
深篤院付きの御年寄・松岡が、幾人の中年寄と御中臈を引き連れ、御殿を訪れた。深篤院はそれぞれの神妙な面持ちを見て、察した。
「そうか……去るか」
「はい。明朝、大奥から下がることと相成りました故、御挨拶に罷り越しましてございます」
将軍の代替わり、ひいては御台所の代替わりとなる。お付きの女中たちは勤めから退き、御城から下がる規則だった。家正に嫁いで三十五年、松岡が女中の中で一番の古株となっていた。
「三十幾数年、私の側に仕えてくれて、ご苦労なことであった。そなたは、龍岡の次に信用の置ける女であったぞ」
「有難き御言葉、感激の極みに存じまする。これまでの日々を私は終生忘れは致しませぬ。最後の最後まで貴女様に御仕え出来ました事、一生の誉れにございました」
嫁いだ当初、晩嬢の女中だった松岡は、今では白髪混じりの老女となっていた。今のいままで、老体に鞭を打ってまで仕え、何くれとなく支えてくれた。
涙を堪えながら深篤院は感謝を込めて言った、
「息災でな」
「御台様こそ」
大御台様ではなく、御台様と久しぶりに呼ばれ、深篤院は堪えていた涙が止めどなく溢れた。低頭して辞去する彼女らを見つめながら、時代が移り変わったことを更に痛感したのだった。
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三月末、菊次郎改め徳川家孝は、江戸城西ノ丸から本丸へと移った。
将軍宣下を前に、表の政務に力を注ごうと意気込んでいた家孝だったのだが、齢十三ということから〈将軍補佐役〉が設けられた。その補佐役に、家孝の側用人として松平家から同行した、樋口詮正が越前領を与えられ、【越前守】を名乗り、変わらず御傍近くに仕えて、表の政に関わることとなった。
一方、老中首座として第十六代・家達の時代から政務に当たって来た阿部伊勢守正保は家正薨去を機に引退。次の首座には、松平備前守定正が就任した。阿部の推薦もあって幕閣からの信頼度は高かった。
しかし、松平備前守は阿部とは違い、就任初日に猛威を振るった。
徳川家を激震させ、様々な不忠を働いた〈尊皇倒幕〉を収めることが出来ず、即位礼で放たれた帝の言葉によって安穏しきり、完全に押さえることを出来なかった老中らに罷免・永蟄居・謹慎という厳しい処分を下した。多くの反発が上がったが、備前守は不当者を黙らせ、処刑することも厭わなかった。
そんな中、万和八年(1933)六月二十九日、将軍宣下が江戸城で執り行われ、家孝は第十八代将軍に就任した。
大奥・新座敷 ───────
家正が薨去してのち、深篤院は長らく住居としていた新御殿から将軍養母が住まう【新座敷】へと移った。
新しく迎える姫君のため、御殿を開放し、現在は三年後に控える入輿に向けて、改装を行っている最中である。
将軍宣下を受けて幾日した後、家孝は深篤院の元を訪ねた。今までは世子としての姿だったが、心なしか将軍としての威厳が少しばかり感じられ、深篤院は目の奥が熱くなるのを感じた、
「無事に将軍宣下を受けられたとのこと、誠におめでとうございます」
「ありがとうございます、義母上」
形式上の挨拶を交わした後、二人は顔を見合わせて笑った。堅苦しい挨拶を今更ながら交わすのがとても可笑しく思えたのだ。
これまでも、二人は西ノ丸と本丸を行き来しながら会っていた。いくら家孝が将軍家の血筋と言えど、松平家の子息だ。肩身狭い思いをさせまいと深篤院は母として接した。本来なら孫と祖母なのだが、家孝自身も深篤院を真の母として接してくれている。
二人の前に菓子が出され、しばらく他愛のない話をしていると、家孝が途端に表情を曇らせた。
「どうなされたのですか? 浮かない顔をして」
深篤院が訊ねると、家孝が遠慮がちに口を開いた、
「備前守のしたことが許せぬのです。将軍である私に断りもなく勝手なことをしでかしたのです。そればかりでなく、備前守は公家にも触手を伸ばすのではないかと、不安なのです」
確かに、松平備前守の振る舞いは目に余るものがあった。家正が亡くなって間もなく、彼を支えて参った老中たちを処罰するは酷く残忍な所業であり、かの大老・井伊直弼を彷彿とさせた。
「とにもかくにも、無事に将軍と御成り遊ばされたのです。これからは幕閣の者らに己が気持ちを打ち明け、争い無き世を作って行かれませ」そう言って、それに、と続けて付け加えた。「私は貴方様の義母である前に後見役にございます。政については詳しくはありませぬが、悩みや辛い事があれば気兼ねなく私に話してくりゃれ」
「はい」
家孝は相好を崩して元気よく返事をした。深篤院は家孝に生きる希望を抱いた。
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────二年後─────
新しく迎える御台所のために修繕を施した御殿が完成したとの報告を受けて、深篤院は久方ぶりにかつての住まいであった新御殿へ赴いた。
違い棚の飾り金具や襖の引き手、御簾房飾りに至るまでどれも繊細且つ精巧だった。さらに壁や襖、そして天井にそれぞれ目を向けると、前田家の家紋・〈加賀梅鉢〉になぞらえた梅の花や梅の木の風景を惜しげもなく描かれていた。深篤院の鼻腔には梅の花の香りが広がる様だった。
「よくぞここまでやり通した。どれもこれも素晴らしい文句なしの出来栄えじゃ」深篤院は案内をした上臈御年寄の鷲尾を見下ろした。「鷲尾、褒めて遣わす」
「勿体なき御言葉にございます」
鷲尾は緊張が解けていくように、頬を緩め、恭しく低頭した。
そして、一年の歳月が流れ。
万和十一年(1936)十月二十一日
前田家の姫・紀代子が江戸城に入城する日を迎えた。
加賀藩前田家江戸上屋敷から駕籠に乗って御守殿門から出た紀代子は、多数の女中と多くの調度品を携えて城へと目指した。秋風吹く、寒い季節の事であった。
江戸城・平河門から御広敷の御錠口に到着すると、駕籠が男の駕籠かきから女六尺へと引き継がれ、ゆったりとした動きで、大奥の【梅御殿】と名を変えた、かつての新御殿の前に留め置かれた。
紀代子付きの御年寄・梅村が駕籠の引き戸を開けると、紀代子はすっと立ち上がり、御殿への敷居を跨いだ。鷲尾は趣向を凝らした御殿にどのような反応を示されるのかと期待に胸を膨らませたが、姫君は梅尽くしの障壁画には目もくれず、まっすぐと上段をあがって茵に座った。
ほどなく、大奥総取締・右衛門佐が多くの女中たちを引き連れて、御殿を訪ねた。
「大奥総取締、右衛門佐と申しまする。道中、御疲れ様にございました」
右衛門佐の後ろに控える上臈、御年寄や御中臈、中年寄、御小姓が頭を垂れた。この後、通常ならば姫君から「大儀である」という労いの言葉が述べられるのだが、紀代子は真っすぐ一点を見つめたまま口を開かなかった。
姫君の予想外の反応に、右衛門佐は動じないように努めた、
「これより、紀代姫様におかれましては、すぐにでもこの大奥に御慣れ戴きまする様、御指南仕りますので宜しゅう御願い申し上げ奉りまする。こちらに控えしは、姫君様付きの上臈御年寄──」
「はぁ~……」
右衛門佐が鷲尾の紹介をしようとすると、途端に紀代子が大きく溜息を吐いた。女中たちは痺れを切らして顔を上げた。武家の姫君らしくない態度にどよめきが起きた。
右衛門佐が思わず紀代子を睨み付けると、上段近くの下段に座していた梅村が口を挟んだ。
「姫様は、昨夜は一睡もお眠り遊ばせなんだ故、大層お疲れにございます。総取締殿、他の女中方のご紹介は、一刻後にして頂きとう存じます。一切は、この梅村に万事お任せあれ」
あくまで公の儀を中断させたことの謝罪を述べるでもなく、梅村は不躾な態度で要求した。鋭い眉を吊り上げてこちらを蔑むような色が滲んでいた。右衛門佐は堪え切れず、梅村の方へ身体を向けて反論した、
「畏れながら、姫君様におかれましては、仕える女中の紹介、日々の生活においての慣わし、その後、御対面所にて御三家・御三卿の御当主、御簾中様方々との御挨拶など、予定が目白押しにございまする。御休み遊ばされるのは夜まで御遠慮くださりまするよう御願い仕ります」
これで観念したかと右衛門佐はしたり顔になったが、梅村はずいと身を乗り出し抗弁を垂れた。
「これは異な事。畏くも姫様はいずれ御台様となられる御身。万が一ご無理遊ばされてお熱でもなさったら如何致しまする。お困りになるのはそちらでございまするぞ」
梅村の強引な言いがかりに、右衛門佐が憤って異議を唱えた、
「公家の御姫君ならいざ知らず、紀代姫様は加賀藩前田家の御姫君様にございまする。当家と同様、武家にございます。然様な事で、御体調を崩される御方ではございますまい!」
右衛門佐の声の荒らげように、女中たちは圧倒された。だが、梅村は臆することなく掴み掛かる勢いでにじり寄った、
「よくもまあ、いけしゃあしゃあと!! 良いですか──」
「控えよ」
二人の口論を煩わしく思ってか、紀代子が一声で制した。右衛門佐と梅村そして鷲尾たちは一斉に平伏した。
「梅村、私は疲れてはおらぬ故、そなたは黙ってそこで控えておれ。総取締殿、お続けなされ」
紀代子の言葉を受けた梅村は主の命に従い、膝退して元の位置に居直った。湧き上がる怒りを抑えながら、右衛門佐は再び両手を付いて務めを続けた。
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右衛門佐は、総取締代理の初島に後事を託し、自身は新座敷へ駆け足で向かった。
大奥・新座敷 ───────
「そうか、ひと悶着あったか」
紀代子とその女中との口論の経緯を聞かされると、深篤院は怒るどころか口許に手を添えてくすっと笑った。
「笑い事ではありませぬ! あないに飄々とした姫様は見た事がありませぬ。これまで多くの御簾中様方と相見えましたが、ご丁寧に耳を傾けてくださいました。私が女中たちの紹介をしておる途中で、『はぁ~』ですと!? ああっもう!」
よほど心外だったのだろう、しきりに膝を叩いたり、打掛の衿を力いっぱい握り締めた。右衛門佐の怒りがいつ爆発するのかと、中川や他の御中臈たちは総取締に警戒するように見つめた。
大奥総取締を勤めて十七年。御台所となる姫君を迎える大役は、右衛門佐にとって初めての事であった。
滞りなく全うするため、一ヶ月前から準備に勤しんでいたことを知っているからこそ、深篤院は姉を気の毒に思ったが、狼狽する姉を見るのも初めてな事で、頬が緩むのを抑えることが出来なかった。
お互い冷静になり、右衛門佐はひと息ついて居住まいを正して報告を述べた、
「姫君様は只今、御三家・御三卿の御当主方と御簾中様方とのご挨拶の最中にございまする。大御台様との御対面は明日に控えております故、ご準備のほどを── 中川殿、宜しゅうに」
そう言うと、中川に視線を移した。中川は恭しく頭を下げ「承知仕りました」と返事をした。
「それにしても、一体どういうおつもりなのであろうか」深篤院がふいに口を開いた。その声は不安げの色を覗かせていた。「私が嫁いだ折は、夜もろくに眠れずウトウトとはしておったが、女中らの紹介や大奥のしきたりに耳を傾けるよう努めたぞ。前田家の姫君は御台所となるお覚悟が無いのであろうか……」
大御台所の言葉に右衛門佐は返す言葉もなかった。覚悟がある、なしに関わらず、紀代子には大奥をまとめる御台所としての責任を持っていただかなくてはならない。それは誰であろう大御台所である深篤院の役目だ。それに気づいたのか、深篤院は右衛門佐を真っ直ぐと見つめた、
「とにもかくにも、明日の御対面で確かめねばなるまい」
「立派なお心掛けだと存じます。では、私はこれにて御免仕りまする」
妹に微笑みかけた右衛門佐は辞去した。
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翌日、御座之間にて深篤院と紀代子の挨拶が行われた。右衛門佐は紀代子がどんな振る舞いをするのかと肝を冷やしたが、上段に座る深篤院は至って冷静に見えた。
しばらくすると、梅の枝が描かれた振袖の加賀染め打掛に身を包んだ紀代子が現れた。華麗に裾を捌き、御殿の敷居を跨ぐとぴたっとその場で立ち止まった。ふと右衛門佐が目を上げると、紀代子はじっと深篤院の方を唇を真一文字に結んで見つめている。
「姫様?」
後ろに立つ梅村がそう囁くと紀代子は何食わぬ顔で歩きだし、下座に整えられた茵に座った。
「深篤院と申しまする」
異例のことであったが、深篤院が最初に口を開いた。事前に右衛門佐から先に挨拶するよう提案されたのだ。現に、紀代子は一切、口を開こうとはしなかった。
どんよりとした空気が御座之間を満たし、大御台所付きの女中たちは何かひそひそと囁き合っている。
「紀代子殿。どうぞ私のことを義母と思うて、何くれとなく御相談くだされませね。共にこの徳川を盛り立てて参りましょう」
深篤院が優しく言葉を掛け続けたが、紀代子は尚も沈黙を貫き、一点を見つめていた。心ここにあらずの様子で、目は虚ろになっていた。よもや体調が悪いのか? 昨日、梅村が言っていたことが真だったのかと、胸騒ぎを覚えた右衛門佐だったが。思い違いだったようだ。
紀代子はふっと深篤院を一瞥し低頭して立ち去ったのだ。下段にいた梅村たちも後に続いた、御殿を去る際、梅村はこちらに侮蔑の目を向けて、偉そうに口角を曲げてから打掛を大きく翻した。
深篤院付きの女中たちは吃驚し、色めき立った。嫁が姑より先に立ち去るとはありえない事であった。
「静まれ。狼狽えるでない」そう言って深篤院は皆を静めた後、御座之間を退散した。
その後、婚礼までの間、加賀方の傍若無人ぶりは目に余るものがあった。
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梅村は我慢出来なかった。幕府が宛てがった女中たちの着物が、余りにも無粋で、視界に入るだけでも虫唾が走った。耐え兼ねて、彼女らの衣装を改めさせることにした。手始めに、抵抗する意思も持たぬ御小姓や御中臈の若い娘から脅した。織りの打掛や、甚だ派手醜い染めの小袖を着用するのを禁じ、加賀染めの物を着用するよう命じたのだ。
紀代子のための衣裳を自分らの分も含めて、加賀染めに限り、打掛や小袖、帯に至るまでを加賀から取り寄せさせた。その費用は千両を優に超えた。すべて幕府持ちで仕立てさせたため瞬く間に右衛門佐の耳にも届いた。
梅村は怯むでもなく、止めさせようと訴えてくる右衛門佐を今度は捲くし立てて抑え込むことに成功したのだった。
元来、公家文化が広まった大奥では、女中たち皆が公家衆の好む有職文様や御所時文様の打掛を召し、調度品に関しても公家好みの几帳や都の風景を描いた障壁画ばかりで息苦しく全て前田家から持参した建具に改めた。
しかし、紀代子は梅村の行いに甚だ不本意だった。そのようなことまでする必要があるのかと梅村を問い詰めた。が、
「徳川に乞われてこの城に上がったのです。我ら好みに染めて何の罪がありましょうか。姫様も、もそっとしっかりして頂かなくてはなりません! 果ては姫様、お殿様の御命をお忘れになってはおられますまいね」
「忘れてはおらぬ」そう語気を強めた後で、紀代子は襖の外にいるであろう女中を気にして睥睨した。「声を張るでない。誰が聞いておるか分からぬではないか」
「ご案じ召さるな。全て出払ってございます」
得意げにそう言い、ほくそ笑んだ。
前田家から連れ添った女中は、この梅村と橋本、そして野村の三人だ。紀代子の元に仕えてくれて、感謝さえしているが、江戸城大奥の女中たちを軽んじている面においてはいささか不服だった。
嫁ぐ前夜、父からある密命を受けた。その重圧は紀代子に背徳感を抱かせ、徳川家の者たちと快く付き合っていきたいというのが本音だ。しかし、どうしてもその後の結末を思うと耐えきれなくなり、素直な己ではいられないのだった。
天皇を尊び、幕府を倒そうとする思惑は多くの藩に恐怖を与え、そして洗脳した。それは加賀藩も含まれていた。
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万和十一年(1936)十二月十三日
雪が降りしきるこの日、家孝と紀代子の婚儀が執り行われた。
婚儀の一切を取り仕切る、待上臈が神妙な面持ちで新郎新婦を待った。場所は御座之間。上段には金屏風が飾られ、鶴亀の置物を飾った島台が置かれた。新婦側には【花嫁のれん】が立て掛けられており、新郎側には大きく葵御紋の垂れ幕が掲げられている。本来とは違う趣きに待上臈は少しばかり緊張していた。
しばらくすると、新婦・紀代子が白無垢に角隠しをして先に参上し、その後、女中の「御成り」の一言で家孝が裃の出で立ちで現れた。この日が家孝と紀代子の初の対面を迎えた日であった。
そして、婚礼の儀は滞りなく進み、やがて休憩となった折、二人は御二之間に控える深篤院と対面した。
上段に座る、新しい夫婦の麗しさに深篤院は息を呑んだ。
次の式のため、色直しを終えた紀代子は加賀友禅に松竹梅が染められた振袖の打掛と白の振袖合着に身を包み、髪型は高島田に結い上げている。その美しさに深篤院付きの女中は訝る気持ちを超えて見惚れてしまってさえいた。
家孝は直垂という勇ましい姿に装い、 風折烏帽子を被るその凛々しさに、深篤院は亡き家英を思い出して目頭が熱くなるのを感じたのだった。
万和十二年(1937)元旦
清らかな一年の幕開けは、将軍、御台所と大御台所、そして女中たちの新年の挨拶から始まった。
この日、奥女中は髪をおすべらかしに結い、深篤院も切り髪を公家風に結い上げ、柿渋の襲袿を召した。家孝も衣冠束帯の出で立ちであった。しかし、紀代子は依然、加賀染めの紅梅色の打掛に根取り下げの装いだった。梅村たちも続いて江戸風の装いで参席していて。ぴりぴりとした空気の中、正月の行事が終わった。
新座敷に戻った深篤院は、中川に不満を漏らした。
「何故、御台はあのように剛情なのであろうか。婚儀が済めば、少しは御台も嫁として慣わしに従うようになるものであろう」
袿を受け取りながら中川は、はあ、としか答えなかった。一介の女中が御台所に対する不満に同意するわけにはいかなかったからだ。
茵に座り脇息に凭れながら、深篤院は嘆息を漏らした。
当初、慣わしに従順な徳川のやり方に呆れ返っていた深篤院だったが、公家の装いを貫こうとはせず、郷に入っては郷に従うという言葉通り、江戸風を心掛けた。
人の考えや生き方は違えど、大藩加賀の姫君なら、ある程度の常識は持ち合わせているはず。深篤院は紀代子の考えが今ひとつ掴めないでいた。
「されど、何より気がかりなるは──」
袿を御中臈に預けたあと、中川が不安そうに言った。深篤院はすかさず口を開いた、
「夜伽じゃな」
十二月の婚礼の後、寝間入り床盃の儀が行われた。夜伽の意味合いを持ち、大奥中が期待に胸を膨らませるも、上手くは事が運ばなかった。お添い寝役からの報告によれば、家孝からの誘いはあったものの、紀代子の方が応じなかったのだそうだ。
気恥ずかしさもあるのであろうが、残念な結果となり落胆する者が続出した。当の深篤院でさえ、やきもきした。
人と比べるのも良くないが、会いたいと願った夫にようやく御目文字が叶い、愛される喜びを知った時分を思い出すと、紀代子は女の幸福を得たくないのかと訝しく思った。
「じゃがまだ始まったばかりじゃ。折々に待とうではないか」
しかし、その後ふた月は夜伽は無かった。
────────────────────
ある日、右衛門佐の元に家孝の養育係・西条が訪ねて来た。相談したいことがあるとのことだ。
「公方様にご側室を?」
「ええ」
右衛門佐は煙管を吸う手を止め、怪訝な顔を向けた。西条は真剣なまなざしで続けた、
「ふた月も夜伽がないなど、由々しきことにございます。このままでは、将軍家に御世継ぎ不在という一大事にもなりかねぬのですぞ。徳川にとり、御世継ぎの御誕生が急務にございましょう!」
右衛門佐も御台所の態度につくづく辟易していた。側室を設ければ、我もと意地を張って腰を家孝に勧めてくれるかもしれない。
煙管の吸い殻を灰吹きに叩き付けて右衛門佐は「分かり申した」と言って頷いた。しかしその前に、ある方に相談しなければならない。右衛門佐は、されどと前置きした、
「まずは深篤院様のお許しを得てからご側室を決めて参りましょう」
「左様ですか……」
西条は顔を露骨にしかめた。
「何かご不満でも?」
「いいえ」
西条の狙いは不明だが、この際どうでもよかった。大奥にとっても、幕府にとっても、御世継ぎ誕生が急務なのは事実だからだ。
大奥・新座敷 ───────
大御台所は将軍継嗣に関して大きな発言力を持つ。大奥総取締は大奥の差配については必ず大御台所の許しを得てから実行に移さねばならない。右衛門佐古くからの慣わしに従った。──ところが。
「それはならぬ! まずは、御台様との御子であろう」
深篤院は進言を拒否した。予想していたことだったが、右衛門佐はなんとか納得させようと言葉を選んだ、
「されど大御台様。婚儀から早ふた月、一向に御二人に動きが見られないのは、いささか気掛かりでございまする。西条殿の申すように、側室を御薦めし、その後の動きを見るのも一考では無いかと」
右衛門佐の訴えに、深篤院は考えるように顎を引いた。姉の言い分は尤もなのだが、何より紀代子の気持ちに同情していた。側室を設けるのは妻としては嬉しい事ではない。深く誇りを傷付け、夫の愛を失う恐れを抱く。三十年前の深篤院がそうだった。
大御台所は顔を上げた、
「その方らの言いたいことは良う分かった。致し方なかろう」
「であれば、早速───」
西条が立ち上がりかけると、深篤院は呼び止めた、
「待て! 私に側室の件、預からせてはくれまいか?」
西条はゆっくりと座り直し、訝しげな顔をした。
「それは……構いませぬが」
「では、参ろうとしよう。中川」
深篤院は傍にいた中川に被布を取りに行かせた。右衛門佐は慌てて問うた、
「ど、どちらへ行かれるのです?」
深篤院はあらぬ方向を見つめて言った。
「付いて行きたくば来るがよい」
大奥・梅御殿 ───────
深篤院は紀代子の御殿を訪れた。
付いて来て見て、御台所の御殿だと気付いた時には、深篤院は既に御中臈に襖を開けさせていた。右衛門佐は止めようとするが、妹の決意は揺らくことはなさそうだった。
突然開かれた襖に驚き、加賀方の女中たちは目を見張ったり、特に梅村は、藪から棒に何用ですか!と声を荒らげた。
深篤院は挨拶と突然の訪問に詫びを入れ、女中を人払いさせてから本題に入った。
「公方様に、側室を御薦めする動きが大奥の中であるのですが……御台様はどう思われますか?」
直接本人に訊ねるのは如何なものかと右衛門佐は訝ったが、黙って見守ることしか出来なかった。紀代子は、私に訊かれてもと言ったような反応をした。
「それが徳川の裁量ならば、私に異存はございませぬ」
「本当にそれでよろしいのですか? 御台様は公方様の御子を抱きたいとはお思いにはならないのですか?」
尚も詰め寄る深篤院に紀代子は眉をひそめた。
「私は……子を産むつもりなど……ございませぬ。どうか、ご勝手になさいませ」
紀代子はそう言って軽く頭を下げ、立ち去ろうとした。
「御台様!」深篤院が呼び止めると、紀代子は御休息之間へと続く襖の前でぴたっと足を止めた。「御台様は……公方様を、お慕いしてはおられぬのですか? 御子を産むおつもりがなくとも、愛されたいとは思わぬのですか?」
「愛す、愛さないの問題ではありませぬ……。将軍家が続くか続かないかの問題ではございませぬか?」紀代子は打掛を翻し、深篤院を見下ろした。「何故大御台様は、然様に私に構うのでございますか? 余所者を……外様出の私を」
「それは……」思わぬことを言われて戸惑ったが、深篤院はふっと唇を緩めた。「貴女様が私の家族だからにございます」
「かぞく……?」
「義理の間柄とは申せ、私たちは家族になったのです。御台様には子を持つ喜びを知って頂きたいのでございます」
紀代子は目を丸くしていたが、次第にその目は悲しみを帯び、深く俯いた。
「家族など……私には必要ありませぬ」
「え?」
「どうか側室を設けて、せいぜい徳川をお守りくださいませ。手遅れになる前に……」
「それは、どういう──」
「この事は他言無用に願います……特に上様には」
気になる言葉を残して、紀代子は去って行った。取り残された深篤院は何か良からぬ事が起きる前触れなのではないかと心がざわついたのだった。
つづく
例外として、第十一代将軍御台所・広大院そして、第十三代将軍御台所・天璋院は、元は武家・薩摩藩の娘であったが、共に摂家の近衛家の養女となったうえで、〈武家の姫〉としてではなく〈摂家の姫〉として徳川家へ輿入れした。この慣例は、日本国中に徳川将軍家が他家との格の違いを誇示するための、いわば、見せしめであった。
朝廷と幕府双方の協力政治が築かれたことによって、一時は倒幕派の勢いは収束したかに思われた。しかし、家正が薨去したことによって、幕府は未だ動きが掴めない〈尊皇倒幕〉の台頭を恐れ、公家との婚姻関係を終わらせることに至った。
斯くして、徳川家の御台所を武家から迎えることとなり、数多の武家の中で加賀百万石の〈前田家〉から紀代子が選ばれた。
第十五代当主・前田慶直の四女で、見目麗しく才たけたと名高い姫君を老中がみすみす逃す手はなかった。当初は渋っていた慶直も、幾度に渡る老中たちの要求に屈して、娘を説得した。聞く所によれば、紀代子は二つ返事で了承したという。
江戸城入城は、三年後の万和十一年(1936)十月二十一日と日程が決められた。
前田家は第十一代将軍・徳川家斉の二十一女、溶姫が嫁いだ家であり、徳川家とは縁戚関係にあたる。慶直の心を動かしたのは、この件が大きく関係した。
────────────────────
「武家から御台所を迎えるとは……時代が変わったという事じゃな」
老中から、御台所選出についての報告を受けた深篤院は、嘆息を漏らした。自分が最後の公家出身の御台所となることに、得も言われぬ重圧を感じた。
愛する人たちを悉く見送った彼女は、悲しむ暇もなく、公の場との関わりを続けた。新将軍となる徳川家孝の後見、大奥の統率、そして御台所を迎える手配等を自らが率先して事に当たった。
「御免仕りまする」
「松岡、如何した」
深篤院付きの御年寄・松岡が、幾人の中年寄と御中臈を引き連れ、御殿を訪れた。深篤院はそれぞれの神妙な面持ちを見て、察した。
「そうか……去るか」
「はい。明朝、大奥から下がることと相成りました故、御挨拶に罷り越しましてございます」
将軍の代替わり、ひいては御台所の代替わりとなる。お付きの女中たちは勤めから退き、御城から下がる規則だった。家正に嫁いで三十五年、松岡が女中の中で一番の古株となっていた。
「三十幾数年、私の側に仕えてくれて、ご苦労なことであった。そなたは、龍岡の次に信用の置ける女であったぞ」
「有難き御言葉、感激の極みに存じまする。これまでの日々を私は終生忘れは致しませぬ。最後の最後まで貴女様に御仕え出来ました事、一生の誉れにございました」
嫁いだ当初、晩嬢の女中だった松岡は、今では白髪混じりの老女となっていた。今のいままで、老体に鞭を打ってまで仕え、何くれとなく支えてくれた。
涙を堪えながら深篤院は感謝を込めて言った、
「息災でな」
「御台様こそ」
大御台様ではなく、御台様と久しぶりに呼ばれ、深篤院は堪えていた涙が止めどなく溢れた。低頭して辞去する彼女らを見つめながら、時代が移り変わったことを更に痛感したのだった。
────────────────────
三月末、菊次郎改め徳川家孝は、江戸城西ノ丸から本丸へと移った。
将軍宣下を前に、表の政務に力を注ごうと意気込んでいた家孝だったのだが、齢十三ということから〈将軍補佐役〉が設けられた。その補佐役に、家孝の側用人として松平家から同行した、樋口詮正が越前領を与えられ、【越前守】を名乗り、変わらず御傍近くに仕えて、表の政に関わることとなった。
一方、老中首座として第十六代・家達の時代から政務に当たって来た阿部伊勢守正保は家正薨去を機に引退。次の首座には、松平備前守定正が就任した。阿部の推薦もあって幕閣からの信頼度は高かった。
しかし、松平備前守は阿部とは違い、就任初日に猛威を振るった。
徳川家を激震させ、様々な不忠を働いた〈尊皇倒幕〉を収めることが出来ず、即位礼で放たれた帝の言葉によって安穏しきり、完全に押さえることを出来なかった老中らに罷免・永蟄居・謹慎という厳しい処分を下した。多くの反発が上がったが、備前守は不当者を黙らせ、処刑することも厭わなかった。
そんな中、万和八年(1933)六月二十九日、将軍宣下が江戸城で執り行われ、家孝は第十八代将軍に就任した。
大奥・新座敷 ───────
家正が薨去してのち、深篤院は長らく住居としていた新御殿から将軍養母が住まう【新座敷】へと移った。
新しく迎える姫君のため、御殿を開放し、現在は三年後に控える入輿に向けて、改装を行っている最中である。
将軍宣下を受けて幾日した後、家孝は深篤院の元を訪ねた。今までは世子としての姿だったが、心なしか将軍としての威厳が少しばかり感じられ、深篤院は目の奥が熱くなるのを感じた、
「無事に将軍宣下を受けられたとのこと、誠におめでとうございます」
「ありがとうございます、義母上」
形式上の挨拶を交わした後、二人は顔を見合わせて笑った。堅苦しい挨拶を今更ながら交わすのがとても可笑しく思えたのだ。
これまでも、二人は西ノ丸と本丸を行き来しながら会っていた。いくら家孝が将軍家の血筋と言えど、松平家の子息だ。肩身狭い思いをさせまいと深篤院は母として接した。本来なら孫と祖母なのだが、家孝自身も深篤院を真の母として接してくれている。
二人の前に菓子が出され、しばらく他愛のない話をしていると、家孝が途端に表情を曇らせた。
「どうなされたのですか? 浮かない顔をして」
深篤院が訊ねると、家孝が遠慮がちに口を開いた、
「備前守のしたことが許せぬのです。将軍である私に断りもなく勝手なことをしでかしたのです。そればかりでなく、備前守は公家にも触手を伸ばすのではないかと、不安なのです」
確かに、松平備前守の振る舞いは目に余るものがあった。家正が亡くなって間もなく、彼を支えて参った老中たちを処罰するは酷く残忍な所業であり、かの大老・井伊直弼を彷彿とさせた。
「とにもかくにも、無事に将軍と御成り遊ばされたのです。これからは幕閣の者らに己が気持ちを打ち明け、争い無き世を作って行かれませ」そう言って、それに、と続けて付け加えた。「私は貴方様の義母である前に後見役にございます。政については詳しくはありませぬが、悩みや辛い事があれば気兼ねなく私に話してくりゃれ」
「はい」
家孝は相好を崩して元気よく返事をした。深篤院は家孝に生きる希望を抱いた。
────────────────────
────二年後─────
新しく迎える御台所のために修繕を施した御殿が完成したとの報告を受けて、深篤院は久方ぶりにかつての住まいであった新御殿へ赴いた。
違い棚の飾り金具や襖の引き手、御簾房飾りに至るまでどれも繊細且つ精巧だった。さらに壁や襖、そして天井にそれぞれ目を向けると、前田家の家紋・〈加賀梅鉢〉になぞらえた梅の花や梅の木の風景を惜しげもなく描かれていた。深篤院の鼻腔には梅の花の香りが広がる様だった。
「よくぞここまでやり通した。どれもこれも素晴らしい文句なしの出来栄えじゃ」深篤院は案内をした上臈御年寄の鷲尾を見下ろした。「鷲尾、褒めて遣わす」
「勿体なき御言葉にございます」
鷲尾は緊張が解けていくように、頬を緩め、恭しく低頭した。
そして、一年の歳月が流れ。
万和十一年(1936)十月二十一日
前田家の姫・紀代子が江戸城に入城する日を迎えた。
加賀藩前田家江戸上屋敷から駕籠に乗って御守殿門から出た紀代子は、多数の女中と多くの調度品を携えて城へと目指した。秋風吹く、寒い季節の事であった。
江戸城・平河門から御広敷の御錠口に到着すると、駕籠が男の駕籠かきから女六尺へと引き継がれ、ゆったりとした動きで、大奥の【梅御殿】と名を変えた、かつての新御殿の前に留め置かれた。
紀代子付きの御年寄・梅村が駕籠の引き戸を開けると、紀代子はすっと立ち上がり、御殿への敷居を跨いだ。鷲尾は趣向を凝らした御殿にどのような反応を示されるのかと期待に胸を膨らませたが、姫君は梅尽くしの障壁画には目もくれず、まっすぐと上段をあがって茵に座った。
ほどなく、大奥総取締・右衛門佐が多くの女中たちを引き連れて、御殿を訪ねた。
「大奥総取締、右衛門佐と申しまする。道中、御疲れ様にございました」
右衛門佐の後ろに控える上臈、御年寄や御中臈、中年寄、御小姓が頭を垂れた。この後、通常ならば姫君から「大儀である」という労いの言葉が述べられるのだが、紀代子は真っすぐ一点を見つめたまま口を開かなかった。
姫君の予想外の反応に、右衛門佐は動じないように努めた、
「これより、紀代姫様におかれましては、すぐにでもこの大奥に御慣れ戴きまする様、御指南仕りますので宜しゅう御願い申し上げ奉りまする。こちらに控えしは、姫君様付きの上臈御年寄──」
「はぁ~……」
右衛門佐が鷲尾の紹介をしようとすると、途端に紀代子が大きく溜息を吐いた。女中たちは痺れを切らして顔を上げた。武家の姫君らしくない態度にどよめきが起きた。
右衛門佐が思わず紀代子を睨み付けると、上段近くの下段に座していた梅村が口を挟んだ。
「姫様は、昨夜は一睡もお眠り遊ばせなんだ故、大層お疲れにございます。総取締殿、他の女中方のご紹介は、一刻後にして頂きとう存じます。一切は、この梅村に万事お任せあれ」
あくまで公の儀を中断させたことの謝罪を述べるでもなく、梅村は不躾な態度で要求した。鋭い眉を吊り上げてこちらを蔑むような色が滲んでいた。右衛門佐は堪え切れず、梅村の方へ身体を向けて反論した、
「畏れながら、姫君様におかれましては、仕える女中の紹介、日々の生活においての慣わし、その後、御対面所にて御三家・御三卿の御当主、御簾中様方々との御挨拶など、予定が目白押しにございまする。御休み遊ばされるのは夜まで御遠慮くださりまするよう御願い仕ります」
これで観念したかと右衛門佐はしたり顔になったが、梅村はずいと身を乗り出し抗弁を垂れた。
「これは異な事。畏くも姫様はいずれ御台様となられる御身。万が一ご無理遊ばされてお熱でもなさったら如何致しまする。お困りになるのはそちらでございまするぞ」
梅村の強引な言いがかりに、右衛門佐が憤って異議を唱えた、
「公家の御姫君ならいざ知らず、紀代姫様は加賀藩前田家の御姫君様にございまする。当家と同様、武家にございます。然様な事で、御体調を崩される御方ではございますまい!」
右衛門佐の声の荒らげように、女中たちは圧倒された。だが、梅村は臆することなく掴み掛かる勢いでにじり寄った、
「よくもまあ、いけしゃあしゃあと!! 良いですか──」
「控えよ」
二人の口論を煩わしく思ってか、紀代子が一声で制した。右衛門佐と梅村そして鷲尾たちは一斉に平伏した。
「梅村、私は疲れてはおらぬ故、そなたは黙ってそこで控えておれ。総取締殿、お続けなされ」
紀代子の言葉を受けた梅村は主の命に従い、膝退して元の位置に居直った。湧き上がる怒りを抑えながら、右衛門佐は再び両手を付いて務めを続けた。
────────────────────
右衛門佐は、総取締代理の初島に後事を託し、自身は新座敷へ駆け足で向かった。
大奥・新座敷 ───────
「そうか、ひと悶着あったか」
紀代子とその女中との口論の経緯を聞かされると、深篤院は怒るどころか口許に手を添えてくすっと笑った。
「笑い事ではありませぬ! あないに飄々とした姫様は見た事がありませぬ。これまで多くの御簾中様方と相見えましたが、ご丁寧に耳を傾けてくださいました。私が女中たちの紹介をしておる途中で、『はぁ~』ですと!? ああっもう!」
よほど心外だったのだろう、しきりに膝を叩いたり、打掛の衿を力いっぱい握り締めた。右衛門佐の怒りがいつ爆発するのかと、中川や他の御中臈たちは総取締に警戒するように見つめた。
大奥総取締を勤めて十七年。御台所となる姫君を迎える大役は、右衛門佐にとって初めての事であった。
滞りなく全うするため、一ヶ月前から準備に勤しんでいたことを知っているからこそ、深篤院は姉を気の毒に思ったが、狼狽する姉を見るのも初めてな事で、頬が緩むのを抑えることが出来なかった。
お互い冷静になり、右衛門佐はひと息ついて居住まいを正して報告を述べた、
「姫君様は只今、御三家・御三卿の御当主方と御簾中様方とのご挨拶の最中にございまする。大御台様との御対面は明日に控えております故、ご準備のほどを── 中川殿、宜しゅうに」
そう言うと、中川に視線を移した。中川は恭しく頭を下げ「承知仕りました」と返事をした。
「それにしても、一体どういうおつもりなのであろうか」深篤院がふいに口を開いた。その声は不安げの色を覗かせていた。「私が嫁いだ折は、夜もろくに眠れずウトウトとはしておったが、女中らの紹介や大奥のしきたりに耳を傾けるよう努めたぞ。前田家の姫君は御台所となるお覚悟が無いのであろうか……」
大御台所の言葉に右衛門佐は返す言葉もなかった。覚悟がある、なしに関わらず、紀代子には大奥をまとめる御台所としての責任を持っていただかなくてはならない。それは誰であろう大御台所である深篤院の役目だ。それに気づいたのか、深篤院は右衛門佐を真っ直ぐと見つめた、
「とにもかくにも、明日の御対面で確かめねばなるまい」
「立派なお心掛けだと存じます。では、私はこれにて御免仕りまする」
妹に微笑みかけた右衛門佐は辞去した。
────────────────────
翌日、御座之間にて深篤院と紀代子の挨拶が行われた。右衛門佐は紀代子がどんな振る舞いをするのかと肝を冷やしたが、上段に座る深篤院は至って冷静に見えた。
しばらくすると、梅の枝が描かれた振袖の加賀染め打掛に身を包んだ紀代子が現れた。華麗に裾を捌き、御殿の敷居を跨ぐとぴたっとその場で立ち止まった。ふと右衛門佐が目を上げると、紀代子はじっと深篤院の方を唇を真一文字に結んで見つめている。
「姫様?」
後ろに立つ梅村がそう囁くと紀代子は何食わぬ顔で歩きだし、下座に整えられた茵に座った。
「深篤院と申しまする」
異例のことであったが、深篤院が最初に口を開いた。事前に右衛門佐から先に挨拶するよう提案されたのだ。現に、紀代子は一切、口を開こうとはしなかった。
どんよりとした空気が御座之間を満たし、大御台所付きの女中たちは何かひそひそと囁き合っている。
「紀代子殿。どうぞ私のことを義母と思うて、何くれとなく御相談くだされませね。共にこの徳川を盛り立てて参りましょう」
深篤院が優しく言葉を掛け続けたが、紀代子は尚も沈黙を貫き、一点を見つめていた。心ここにあらずの様子で、目は虚ろになっていた。よもや体調が悪いのか? 昨日、梅村が言っていたことが真だったのかと、胸騒ぎを覚えた右衛門佐だったが。思い違いだったようだ。
紀代子はふっと深篤院を一瞥し低頭して立ち去ったのだ。下段にいた梅村たちも後に続いた、御殿を去る際、梅村はこちらに侮蔑の目を向けて、偉そうに口角を曲げてから打掛を大きく翻した。
深篤院付きの女中たちは吃驚し、色めき立った。嫁が姑より先に立ち去るとはありえない事であった。
「静まれ。狼狽えるでない」そう言って深篤院は皆を静めた後、御座之間を退散した。
その後、婚礼までの間、加賀方の傍若無人ぶりは目に余るものがあった。
────────────────────
梅村は我慢出来なかった。幕府が宛てがった女中たちの着物が、余りにも無粋で、視界に入るだけでも虫唾が走った。耐え兼ねて、彼女らの衣装を改めさせることにした。手始めに、抵抗する意思も持たぬ御小姓や御中臈の若い娘から脅した。織りの打掛や、甚だ派手醜い染めの小袖を着用するのを禁じ、加賀染めの物を着用するよう命じたのだ。
紀代子のための衣裳を自分らの分も含めて、加賀染めに限り、打掛や小袖、帯に至るまでを加賀から取り寄せさせた。その費用は千両を優に超えた。すべて幕府持ちで仕立てさせたため瞬く間に右衛門佐の耳にも届いた。
梅村は怯むでもなく、止めさせようと訴えてくる右衛門佐を今度は捲くし立てて抑え込むことに成功したのだった。
元来、公家文化が広まった大奥では、女中たち皆が公家衆の好む有職文様や御所時文様の打掛を召し、調度品に関しても公家好みの几帳や都の風景を描いた障壁画ばかりで息苦しく全て前田家から持参した建具に改めた。
しかし、紀代子は梅村の行いに甚だ不本意だった。そのようなことまでする必要があるのかと梅村を問い詰めた。が、
「徳川に乞われてこの城に上がったのです。我ら好みに染めて何の罪がありましょうか。姫様も、もそっとしっかりして頂かなくてはなりません! 果ては姫様、お殿様の御命をお忘れになってはおられますまいね」
「忘れてはおらぬ」そう語気を強めた後で、紀代子は襖の外にいるであろう女中を気にして睥睨した。「声を張るでない。誰が聞いておるか分からぬではないか」
「ご案じ召さるな。全て出払ってございます」
得意げにそう言い、ほくそ笑んだ。
前田家から連れ添った女中は、この梅村と橋本、そして野村の三人だ。紀代子の元に仕えてくれて、感謝さえしているが、江戸城大奥の女中たちを軽んじている面においてはいささか不服だった。
嫁ぐ前夜、父からある密命を受けた。その重圧は紀代子に背徳感を抱かせ、徳川家の者たちと快く付き合っていきたいというのが本音だ。しかし、どうしてもその後の結末を思うと耐えきれなくなり、素直な己ではいられないのだった。
天皇を尊び、幕府を倒そうとする思惑は多くの藩に恐怖を与え、そして洗脳した。それは加賀藩も含まれていた。
────────────────────
万和十一年(1936)十二月十三日
雪が降りしきるこの日、家孝と紀代子の婚儀が執り行われた。
婚儀の一切を取り仕切る、待上臈が神妙な面持ちで新郎新婦を待った。場所は御座之間。上段には金屏風が飾られ、鶴亀の置物を飾った島台が置かれた。新婦側には【花嫁のれん】が立て掛けられており、新郎側には大きく葵御紋の垂れ幕が掲げられている。本来とは違う趣きに待上臈は少しばかり緊張していた。
しばらくすると、新婦・紀代子が白無垢に角隠しをして先に参上し、その後、女中の「御成り」の一言で家孝が裃の出で立ちで現れた。この日が家孝と紀代子の初の対面を迎えた日であった。
そして、婚礼の儀は滞りなく進み、やがて休憩となった折、二人は御二之間に控える深篤院と対面した。
上段に座る、新しい夫婦の麗しさに深篤院は息を呑んだ。
次の式のため、色直しを終えた紀代子は加賀友禅に松竹梅が染められた振袖の打掛と白の振袖合着に身を包み、髪型は高島田に結い上げている。その美しさに深篤院付きの女中は訝る気持ちを超えて見惚れてしまってさえいた。
家孝は直垂という勇ましい姿に装い、 風折烏帽子を被るその凛々しさに、深篤院は亡き家英を思い出して目頭が熱くなるのを感じたのだった。
万和十二年(1937)元旦
清らかな一年の幕開けは、将軍、御台所と大御台所、そして女中たちの新年の挨拶から始まった。
この日、奥女中は髪をおすべらかしに結い、深篤院も切り髪を公家風に結い上げ、柿渋の襲袿を召した。家孝も衣冠束帯の出で立ちであった。しかし、紀代子は依然、加賀染めの紅梅色の打掛に根取り下げの装いだった。梅村たちも続いて江戸風の装いで参席していて。ぴりぴりとした空気の中、正月の行事が終わった。
新座敷に戻った深篤院は、中川に不満を漏らした。
「何故、御台はあのように剛情なのであろうか。婚儀が済めば、少しは御台も嫁として慣わしに従うようになるものであろう」
袿を受け取りながら中川は、はあ、としか答えなかった。一介の女中が御台所に対する不満に同意するわけにはいかなかったからだ。
茵に座り脇息に凭れながら、深篤院は嘆息を漏らした。
当初、慣わしに従順な徳川のやり方に呆れ返っていた深篤院だったが、公家の装いを貫こうとはせず、郷に入っては郷に従うという言葉通り、江戸風を心掛けた。
人の考えや生き方は違えど、大藩加賀の姫君なら、ある程度の常識は持ち合わせているはず。深篤院は紀代子の考えが今ひとつ掴めないでいた。
「されど、何より気がかりなるは──」
袿を御中臈に預けたあと、中川が不安そうに言った。深篤院はすかさず口を開いた、
「夜伽じゃな」
十二月の婚礼の後、寝間入り床盃の儀が行われた。夜伽の意味合いを持ち、大奥中が期待に胸を膨らませるも、上手くは事が運ばなかった。お添い寝役からの報告によれば、家孝からの誘いはあったものの、紀代子の方が応じなかったのだそうだ。
気恥ずかしさもあるのであろうが、残念な結果となり落胆する者が続出した。当の深篤院でさえ、やきもきした。
人と比べるのも良くないが、会いたいと願った夫にようやく御目文字が叶い、愛される喜びを知った時分を思い出すと、紀代子は女の幸福を得たくないのかと訝しく思った。
「じゃがまだ始まったばかりじゃ。折々に待とうではないか」
しかし、その後ふた月は夜伽は無かった。
────────────────────
ある日、右衛門佐の元に家孝の養育係・西条が訪ねて来た。相談したいことがあるとのことだ。
「公方様にご側室を?」
「ええ」
右衛門佐は煙管を吸う手を止め、怪訝な顔を向けた。西条は真剣なまなざしで続けた、
「ふた月も夜伽がないなど、由々しきことにございます。このままでは、将軍家に御世継ぎ不在という一大事にもなりかねぬのですぞ。徳川にとり、御世継ぎの御誕生が急務にございましょう!」
右衛門佐も御台所の態度につくづく辟易していた。側室を設ければ、我もと意地を張って腰を家孝に勧めてくれるかもしれない。
煙管の吸い殻を灰吹きに叩き付けて右衛門佐は「分かり申した」と言って頷いた。しかしその前に、ある方に相談しなければならない。右衛門佐は、されどと前置きした、
「まずは深篤院様のお許しを得てからご側室を決めて参りましょう」
「左様ですか……」
西条は顔を露骨にしかめた。
「何かご不満でも?」
「いいえ」
西条の狙いは不明だが、この際どうでもよかった。大奥にとっても、幕府にとっても、御世継ぎ誕生が急務なのは事実だからだ。
大奥・新座敷 ───────
大御台所は将軍継嗣に関して大きな発言力を持つ。大奥総取締は大奥の差配については必ず大御台所の許しを得てから実行に移さねばならない。右衛門佐古くからの慣わしに従った。──ところが。
「それはならぬ! まずは、御台様との御子であろう」
深篤院は進言を拒否した。予想していたことだったが、右衛門佐はなんとか納得させようと言葉を選んだ、
「されど大御台様。婚儀から早ふた月、一向に御二人に動きが見られないのは、いささか気掛かりでございまする。西条殿の申すように、側室を御薦めし、その後の動きを見るのも一考では無いかと」
右衛門佐の訴えに、深篤院は考えるように顎を引いた。姉の言い分は尤もなのだが、何より紀代子の気持ちに同情していた。側室を設けるのは妻としては嬉しい事ではない。深く誇りを傷付け、夫の愛を失う恐れを抱く。三十年前の深篤院がそうだった。
大御台所は顔を上げた、
「その方らの言いたいことは良う分かった。致し方なかろう」
「であれば、早速───」
西条が立ち上がりかけると、深篤院は呼び止めた、
「待て! 私に側室の件、預からせてはくれまいか?」
西条はゆっくりと座り直し、訝しげな顔をした。
「それは……構いませぬが」
「では、参ろうとしよう。中川」
深篤院は傍にいた中川に被布を取りに行かせた。右衛門佐は慌てて問うた、
「ど、どちらへ行かれるのです?」
深篤院はあらぬ方向を見つめて言った。
「付いて行きたくば来るがよい」
大奥・梅御殿 ───────
深篤院は紀代子の御殿を訪れた。
付いて来て見て、御台所の御殿だと気付いた時には、深篤院は既に御中臈に襖を開けさせていた。右衛門佐は止めようとするが、妹の決意は揺らくことはなさそうだった。
突然開かれた襖に驚き、加賀方の女中たちは目を見張ったり、特に梅村は、藪から棒に何用ですか!と声を荒らげた。
深篤院は挨拶と突然の訪問に詫びを入れ、女中を人払いさせてから本題に入った。
「公方様に、側室を御薦めする動きが大奥の中であるのですが……御台様はどう思われますか?」
直接本人に訊ねるのは如何なものかと右衛門佐は訝ったが、黙って見守ることしか出来なかった。紀代子は、私に訊かれてもと言ったような反応をした。
「それが徳川の裁量ならば、私に異存はございませぬ」
「本当にそれでよろしいのですか? 御台様は公方様の御子を抱きたいとはお思いにはならないのですか?」
尚も詰め寄る深篤院に紀代子は眉をひそめた。
「私は……子を産むつもりなど……ございませぬ。どうか、ご勝手になさいませ」
紀代子はそう言って軽く頭を下げ、立ち去ろうとした。
「御台様!」深篤院が呼び止めると、紀代子は御休息之間へと続く襖の前でぴたっと足を止めた。「御台様は……公方様を、お慕いしてはおられぬのですか? 御子を産むおつもりがなくとも、愛されたいとは思わぬのですか?」
「愛す、愛さないの問題ではありませぬ……。将軍家が続くか続かないかの問題ではございませぬか?」紀代子は打掛を翻し、深篤院を見下ろした。「何故大御台様は、然様に私に構うのでございますか? 余所者を……外様出の私を」
「それは……」思わぬことを言われて戸惑ったが、深篤院はふっと唇を緩めた。「貴女様が私の家族だからにございます」
「かぞく……?」
「義理の間柄とは申せ、私たちは家族になったのです。御台様には子を持つ喜びを知って頂きたいのでございます」
紀代子は目を丸くしていたが、次第にその目は悲しみを帯び、深く俯いた。
「家族など……私には必要ありませぬ」
「え?」
「どうか側室を設けて、せいぜい徳川をお守りくださいませ。手遅れになる前に……」
「それは、どういう──」
「この事は他言無用に願います……特に上様には」
気になる言葉を残して、紀代子は去って行った。取り残された深篤院は何か良からぬ事が起きる前触れなのではないかと心がざわついたのだった。
つづく
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