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第十三章 愛する人の死 後篇
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豊姫の嫡男・菊次郎は家英の喪が明けた後、江戸城西ノ丸へと居を移した。
松平家からは、教育係として西条という乳母が付き従った。そして側用人として取り立てられた樋口詮正も西ノ丸に入城し、菊次郎は将軍世子として養育される事となった。
それは、息子の死をただひたすらに弔う藤子が養母としての負担を負わせないための、家正と右衛門佐からの配慮であった。
実際、右衛門佐が入城した旨を報告しても藤子は動じることなく、ただ頷いただけであった。
家英の死から一年、老中と合議を重ねた結果、家正は菊次郎を正式に養嗣子とすることを定めた。
───────────────────────
将軍世子の死はほどなく朝廷の知る所となり、〈尊皇倒幕〉の思惑は成就果たさんとする勢いだった。
ところが、その一派にも翳りを見せ始めていた。
英弘八年(1926)十一月三十日。十五年間〈尊皇倒幕〉を率いて来た久我道成卿が思い半ばで三十六歳で命を落とした。労咳だった。
妻を迎えることなく、久我家を捨ててまで度重なる幕府への恨みを晴らそうとした若者の死は、〈尊皇倒幕〉にとって大きな痛手となった。
そしてそこに更なる追い打ちが彼等を襲った。
十二月十二日、時の帝が崩御遊ばされたのだ。奇しくも、徳川幕府に対し、大政を奉還させる勅諚を認めた中での崩御であった。
在位五十八年にも及ぶ帝の権勢は幕府によって踏みにじられ、〈尊皇〉という姿勢を蔑ろにした者たちに対して反逆の意志を示し続けられた。しかしその一方で、帝の地位が揺らいだことに思い悩む日もしばしばだった。
長らく、改元之式は朝廷では無く江戸城で執り行われていたが、尊皇派の公家衆は、御所にて改元之式を断行した。それは、帝御自ら行幸遊ばしたご一生が皇祖皇宗より苦難を強いられたことへの反発だった。
次期帝は齢三十五歳の倫仁親王が践祚され、元号が〈英弘〉から〈万和〉へと改まった。
どの様な取り決めかは定かではないが、倫仁親王は親幕派の公達によって育てられた帝の子息である。
万和元年(1926)十二月二十八日
年の瀬も押し迫った御所では、今上天皇の即位礼が執り行われた。そこには衣冠束帯姿の徳川家正と老中数名が列席しており、〈尊皇倒幕〉派は目を剥いた。下段に座し、恭しく帝に拝礼している。
黄櫨染御袍をお召し遊ばす今上天皇は、家正に対し御言葉を述べられた、
「日本国の平和を、徳川将軍家が万事安泰へと導かれる様、切に願う。武家、公家問わず争いごとを起こす事の無きよう、共に国を治めて参らん」
上段から見下ろしつつ、御頭を誰よりも先に下げられた帝に、家正は呆気にとられながらすぐさま敬意を表し畳に額をついた。
公家と武家を同格とし、共に手を取り合って政を治める事を示した帝に、倒幕派はもちろん幕府老中たちも意表を突かれた。
この時を持って〈尊皇倒幕〉の勢いは鳴りを潜めることになるのであったが同席していた公達は、天皇家のご威光が蔑ろにされたとし、今上天皇に対し疑惑の念を抱いたのだった。
───────────────────────
〈尊皇倒幕〉の弱体化と、朝廷と幕府双方の協力政治の報せは忽ち、右衛門佐の元にも届けられた。それは大奥の安泰をも意味し、ほっと胸を撫で下ろしたのだった。
一方、藤子は都で起きた大きな流れに気にも留めず、御仏に添い遂げる生活を送っていた。嗜んでいた琴も茶の湯も一切しなくなり御道具はすべて納戸へ仕舞い込まれた。納戸へ仕舞うことは捨てるも同然の意味を持っている。
近ごろは、机の前でひたすら写経をし、まるで落飾をしたが如くの生活を送っていた。
ある日には松岡を呼び寄せ、自身の若い頃の振袖や打掛の類を御台所付きでない女中たちに下げ渡すよう命じて来た。どうすべきか考えあぐねた松岡は、ひとまず右衛門佐に助言を求めた。すかさず、御台所の姉は腰を上げた。
大奥・新御殿・御清之間 ───────
「何故、然様に侘しく過ごす? この様な事は申したくないが……公方様は今尚、政に勤しんでおられるのじゃぞ? 後家の真似事をして何とする?」
日々の暮らし向きについて、はっきりと言った右衛門佐は藤子の気に障ってしまったかと危惧したが、藤子は至って諦観の面差しだった。写経をしていた手を止め、右衛門佐に顔を向けた、
「これこれ、姉上様……。然様な不吉を申すものではありませぬ……。上様に対し、不敬でござりましょう……」
痩せこけ、声色がいつもより低く、覇気が感じられなかった。右衛門佐は何故か震えが止まらなくなった。その表情はまるで、この世を捨てたくても捨てられない、憂いを超越したような顔つきだったからだ。しかし、右衛門佐は諦めなかった。妹の笑顔をもう一度見たい、そう思ったからだ。
翌日、藤子の前に再び出向き「今宵、御小座敷に参る様に」と一言だけ告げた。
何を言われたのか理解できなかった藤子は、右衛門佐に理由を問おうとするも姉は足早に去ってしまった。
夜、白の綸子地の寝間着に着替えさせられ、その上に被布を羽織った。寝間着からは若かりし頃に覚えのある伽羅の香りがして、ゆっくりと心が動くのを感じる。
手燭を持って現れた中川と、御台所付き、将軍付きの御中臈が入側に控えているのを見て、藤子はとっさに家正の元へ参るのだと理解した。
「何故このようなことを……私は行かぬぞ……」
「そう申されながら、こうして歩き進んでいらっしゃるではありませぬか」
「これ、中川! 口を慎まなされ!」
手燭を持って、藤子の足許を照らしていた中川は見えないように舌を出した。藤子は小さく笑った。心の底から笑いが洩れたのはいつ以来だったろうか、もほや覚えていなかった。
御小座敷の前に差し掛かると中川が手燭の火を消し、藤子の前に身体を向けた、
「御台様、旦那──いいえ、龍岡殿の言葉をお借りして申し上げます」
藤子は力なく中川の方に首を曲げた。中川は、亡くなった龍岡の部屋方・軒端荻であることを思い出した。部屋方の中で唯一行き先が無かった軒端荻を、藤子が右衛門佐に頼んで御中臈として採用させたのだ。
「お美しゅうございまする」
「何を申す……こんな年寄りが──」
謙遜しようとする藤子を中川は手で制した。
「女はいくつにおなりになられても、美しいものにござりまする。──四十路であるこの私とて」
中川が堂々と胸を張って明るく言ってのけた。藤子だけでなく、御小座敷の前に控えていた御中臈たちもくすくすと肩を揺らしていた。家正と会う事に不安だった心が晴れ、藤子はひと呼吸おいて御小座敷の敷居を跨いだ。
大奥・御小座敷 ───────
藤子は、蔦之間で家正の御成りを待った。
間もなく御鈴廊下の鈴が鳴り響き、家正が寝間着に羽織を着て現れた。久しぶりに見る愛しい人の姿に藤子は笑みを浮かべた後、恭しく低頭した。上座に家正が胡坐をかくと、藤子は立ち上がってその右へと座した。御中臈と御坊主がそれぞれに酒が載った盆を置き、頭を垂れてから部屋を去った。
「今朝、右衛門佐から火急の報せがあると言うから来て見れば、今宵はそちと夜伽を交わすようにと言われてのう」提子に手をかけ、自ら盃に傾けようとするのを藤子は手を差し出そうとしたが、家正が構わぬと言って手で制した。「正直、嬉しかった。またそちとこうして過ごせるのだからな」
酒を飲み干した後、家正は藤子の手を握り、じっと見つめて来た。藤子も見つめ返すと、ほどなく二人はお互いに歳を取ったなと言って笑い合った。
思えば、夫婦となって二十四年の月日が経っていた。
互いに愛し合い、時にぶつかり、嫉妬に駆られた頃もあった。それらを経て、今こうして皺の数を数え合って笑う。藤子と家正が知る限り、このような夫婦は見た事が無かった。
家正の父・家達と母・泰子は、四人の子を儲けても決して幸福とは言えない夫婦だった。家達が大奥へ訪れても、妻の元ではなく、天璋院の元へ通った。その後に寄るでもなく中奥へと引き返す。そういう日々が続き、愛が冷めて行ったと聞く。
藤子の父・鷹司周煕は博打に没頭し、困窮の極みを見せている家を更に傾かせた。それに嫌気が差した母・淑子は趣味に没頭する夫を毛嫌い、娘たちのこと、そしてお家を守り抜いた。
二人にとって無縁だと思っていた夫婦像が今ようやく、果たされている事に幸福な心持ちになった。
「随分とお痩せになられましたね?」
久方ぶりに飲む酒に身体が熱くなるのを感じながら、藤子は家正に心配するような目を向けた。
「それは、そちとて同じであろう?」
甘く囁くような声で家正は微笑みながら言った。藤子も微笑み返した、
「私は、上様と違うて政を治める身ではござりませぬ故、よいのでございます。しかしながら、上様は人の上に立たれるお方にございます。例え忙しゅうとも、お食事は必ず摂って頂きとう存じます」
家正はふっと笑いながら再度、酒を呷った。そして、藤子の目を真っ直ぐと見つめた。
「わしの心配をせずともよい。まずは、そちの心配をせよ……」
「え?」
思いがけない家正の言葉に藤子は動揺した。
「そちの気持ちは痛いほど分かる。家英を、そして徳松を亡くした悲しみはわしとて同じじゃ。じゃが……余りに根を詰めすぎると身体に毒じゃ……。そちは申したであろう? 何があろうとも、わしらのために生き続けると。そう誓うたではないか」
藤子は、はっと我に返った。
自分には家正がいるのだと気付かされたのだ。
徳松、家英と立て続けに子を亡くし、悲嘆に暮れてばかりで目の前にいる愛すべき人、家正の事が見えなくなっていた。この幸せな空間を当たり前のように、ごく自然的なものだと思っていた。
浜御殿で、夫と息子に誓い、その後、家英に先立たれて、残されたは家正のみ。危うく、家正から気遣いの言葉を掛けられなければ、自身に傷を付けずに自害する所だった。
家正の言葉にそっと頷き、藤子は両の手を重ねた、
「承知致しました。此度は……上様のために生きて参ります」
「その意気じゃ。そちは決して一人では無い。わしらとそちで一つなのじゃ」
「嬉しゅうございまする。あ……されど上様? 一つお約束してくださいませんか」
「なんじゃ?」
藤子の申し出に、家正は優しく微笑んで傾聴した。
「共に、六十まで生きて参りましょう? それまで……元気でいて頂かねば……私は許しませんよ?」
藤子は握った手に力を込めて、願いを告げた。しかし、家正はかぶりを振った。
「いいや、七十じゃ……六十はまだ若い。それ以上に生きて参ろうぞ。でなければ、このわしも許さぬ……良いか? 藤子……」
結婚して初めて家正は藤子を呼び捨てにした。
上様、御台と呼び合うのが歴代将軍と御台所の慣いであった。家正はその先例を覆し、甘く名を囁いた。戸惑いながらも藤子は愛おしげに家正を見つめた、
「承知致しました……家正様……」
そして二人は、蝋燭の炎が消えるまで、昔語りをした後、若かりし頃の様に互いを愛し合った。初めてと言って良いほどの、優しく甘い身体の絡み合い。互いの愛を確かめ合うが如く囁き合ったのだった。
───────────────────────
年が明けて、大奥に正月が訪れた。
〈尊皇倒幕〉の目に余る所業が収束した政は、今後、重要な事柄以外は老中たちに任せ、家正は藤子と共に過ごす時間を増やした。
浜御殿へは二十回ほど通い、季節の折々には吹上ノ庭で小さく質素な宴を開き、西ノ丸に住まう菊次郎と面会を重ねて家族として過ごしたりと、平和な年月が過ぎて行った。
────六年後─────
万和八年(1933)一月二十九日
表での政務の最中、家正は度々胸が強く打たれる思いに悩まされ、薬を服用する日々が続いた。しかしその症状は治まることはなかった。
一日一日が過ぎる度に、様々な症状が現れたのだった。
そしてとうとう、大奥で総触れをしていた時のこと。右衛門佐の締めの挨拶が終わり、立ち上がろうとすると、急に胸を押さえて均衡を崩し、倒れてしまった。目の当たりした藤子はひどく取り乱した。
急ぎ奥医師を呼び、応急手当を施して一時は回復したのだったが、中奥へ戻ってからも胸を打つ症状は続き、食事に手をつけられないほどだった。
やがて二月三日、顔や足がむくみ始めた。御匙は家正を診察し、医学書と照らし合わせると、血相を変えて政の一切と大奥への御渡りを固く禁じ、安静にするよう諭した。
将軍の御成りがぱったり無くなった大奥では、どんよりとした空気が立ち込めていた。表へ見舞いに行けぬ代わりに、藤子は増上寺への代参を立て、昼は御仏へ手を合わせ、寝る前には写経をする毎日を送った。
右衛門佐もその他の女中たちも、仕える公方様の御為と、お役目の傍ら、加持祈祷を行った。
「家正様……どうかご無事で……」
仏像に手を合わせながら、藤子はそう呟いた。
しかし、その祈りが届けられることはなかった。
万和八年(1933)二月十八日
第十七代将軍 徳川家正
齢五十にして、薨去。
将軍薨去の後は、必ず三十日間、老中、若年寄、御側御用取次、側衆、小姓、御小納戸、町奉行、勘定奉行、寺社奉行、目付、御殿医のみに知らされ、その他の者には一切知られない様に努めた。
三十日の間に、老中・阿部伊勢守正保はすぐに、増上寺の墓所の建立を執り行う作事奉行を呼び寄せ、将軍薨去の旨を告げた後、御肌付と称する棺も造らせた。
それに加え、棺に防腐剤の役割を果たす、朱を用意させる準備に掛かる。将軍が薨去した事を悟られないようにしつつ、朱が不足しないよう朱座に対して、市中への朱の売買を禁止する旨を達した。
大奥へは知らされることなく、三十日後の発喪の日を待たなければならなかった。しかし、阿部伊勢守は病の床にいた家正が頻りに藤子の名を呼んでいたのを心苦しく思い、異例の判断を下した。
二月二十三日 昼
阿部伊勢守は右衛門佐同席の下、藤子の御殿を訪れた。人払いをさせたうえ、真っ青な顔で薨去の旨を告げた。
「御台様、心して御聞きくださりませ……」
尋常でない様子の老中の表情に、藤子は心がざわついた。一言も発さず、藤子は阿部の言葉を待った。
「公方様が……身罷れましてございます……」
震える声で平伏す阿部の頭を見つめ、藤子は体中から血の気が引いて行くのを感じた。嘘であって欲しかったが、阿部の性格上、嘘偽りを述べるような者ではない。そもそも、将軍の死を偽りで述べることなど誰が出来ようか。
崩れるように脇息に寄り掛かり、藤子は荒くなる呼吸を必死に整えた。
御仏に祈りを捧げたこの二十数日間、藤子はただただ、家正の笑顔を再び相見る日をひたすらに思いながら祈り続けた。しかし、その祈りと願いは果たされることなかった。家正に一目会いたかったが、阿部は詫びるように、すぐには亡骸を拝すことが出来ないと言った。胸がかきむしられる思いだった。
御清之間に戻り、机に用意された写経用の紙を見ると無性に居た堪れなくなり、ぐしゃぐしゃにそれを丸めた。
横にあった硯や筆、そして墨を手に取って辺りに放り投げた。墨が部屋の壁や畳を黒く跡を残した。机の両端を掴みひっくり返した。だんだん悲しみが襲い、激しく泣き喚きながら料紙箱に積み上げたお経を拾い上げて引きちぎり、それを火鉢に放り込むと、ちりちりと音を立てて燃えた。
ただならぬ物音と叫喚を耳にした右衛門佐は部屋の襖を開くと、目に飛び込んだ惨状と身も世も無い様子の藤子に急ぎ駆け寄った。
「藤子っ! 藤子……落ち着きゃれ! 頼む……」
激しく抵抗され、肘が腹に命中し涙目になりながら右衛門佐は藤子を抱き締め、落ち着くように宥めた。泣き叫びながら姉を退けようと藻掻くが、頑として離さなかった。背を軽く叩き「大丈夫じゃ……大丈夫」と慰めると、藤子は静かになり、すすり泣いた。
松岡と中川を呼び、御休息之間に床を並べるよう命じ、右衛門佐は手の空いた御年寄と御中臈と共に藤子を抱えて二段重ねの布団に寝かせた。髪に挿された櫛と簪を外してあげて、右衛門佐はすやすやと眠る藤子の寝顔を見つめた。松岡が自分が宿直をすると言ってきたが、右衛門佐は首を振って自分が夜通し傍につくと言った。
夜中に目を覚まし、また取り乱さないとも限らない。右衛門佐はそれが気がかりだった。
夜も更け、蝋燭の薄灯りの中、うつらうつらとしながら家正の事を考えていた。
家正とは主であり、一時は夫だった人だ。亡くなったことを突然知らされて、阿部伊勢守の前では大奥総取締として平静を装っていたが、内心気が気でなかった。
しかし、数刻前に取り乱すほどに嘆き悲しんだ妹の姿を見て、右衛門佐は哀れに思う心と、一度は身体を重ねた家正が亡くなったという悲しみの心とで複雑な思いだった。乱れた掛け布団を直してあげながら、右衛門佐はひっそりと涙を流した。
────────────────────
翌日 ───────
霞がかる心とは裏腹に、外は信じられないほどの快晴だった。入側へ出て空を見上げるも、心のざわつきが収まることは無かった。
数十幾日も総触れ無しの日々が続き、薨去を知らされていない女中たちは家正の快癒をひたすら祈りながら、各々の勤めに勤しんでいた。
御台所付きの女中たちには藤子の口から伝えられた。それぞれ涙を流したり狼狽したりしたが、藤子は冷静だった。御清之間は今は閉ざされ、葬儀の後に清掃される手筈となった。藤子が詫びを入れると松岡は、致し方ないという風に頷いた。
二月二十八日
四日後、藤子は家正の亡骸を拝むことが許された。形式上、御台所のみが許された。松岡と中川に付き添われながら、周りの女中たちに気取られないように非常用の下御鈴廊下を通って中奥へと向かった。
はるかな高さの祭壇に安置されたその棺に万感の思いを込めて、涙を堪えながら手を合わせた後、棺のわきに立って、家正の顔を拝した。
その顔は安らかに眠る様に見えつつ、痩せ細った顔がむくんでいて心苦しかった。だが、家英の苦しそうな表情とは違って、穏やかそうに見えた。
夫と子に先立たれて、自身でもこの世は夢幻なのではないかと疑った。しかし、目の前には紛れもなく動くことも話すこともない亡骸がいる。どれほど辛かったことか……どれほど恐ろしかったことか、考えるだけで心が苦しかった。口を押さえながら、藤子はそのまま棺にもたれ、泣き崩れた。
三月
三月に入ると、大奥中に将軍薨去が知らされた。それぞれ声を押し殺しながら涙を流した。その日、一日の勤めは取り止めとなり、各々部屋へ籠もり将軍の死を弔うようにという達しがあった。
しかし、右衛門佐は眠る藤子の前で泣いた以来、悲しみに暮れる暇もないほど忙しく走り回った。
あの世への御供にと、棺に入れて欲しい品物を女中たちに募り、千鳥之間に届けられる品々の吟味をした。中には、家正の気に入っていた着物の柄や好んでいた菓子、読んでいた書物の新しい版など数多に及んだ。
また、葬送の日の準備も、右衛門佐が手配しなければならず、右往左往する毎日であった。
葬儀のその日まで藤子は心を静め、食事をする時や御不浄へ赴く時以外の毎日は部屋に籠って写経を繰り返した。
棺の中に入れるものは既に決めていた。それは家正が生前慈しんだ手元の物を選んだのだ。家正が愛しい、似合っていると言ってくれた櫛や簪、笄。そして、家正が好きだと言ってくれた打掛の端切れなどを厳選した。
家正と歩んで参った思い出の品を、漆塗りの箱に入れながら合掌し、写経を百八つ添えて老中に引き渡した。
三月十九日
家正葬儀の前日、落飾の儀が執り行われた。
豊かな美しい黒髪を切ってそれを奉書に包み、写経と一緒に冥界へのお供とさせたいと願った。
御仏間で、読経と香煙の中、導師の持つ剃刀がゆっくり、ゆっくりと根取り下げの髪を短く剃り落とした。その瞬間、藤子は誰かの手でしっかりせよと、背中を押されたような感じがした。
家英の逞しい掌か、徳松の小さな手か、果ては家正の愛しい手なのか。
いずれにせよ、藤子は知り得ようも無いことだが、この時、自分は悲しんでいる暇は無いと、更に覚悟を揺すぶられた。
落飾の儀の後、藤子には〈深篤院〉という院号が贈られた。
慣れぬ院号に戸惑いつつも、これから先付き合っていくであろう名を、大切に、深篤院と書かれた紙を胸に抱いた。
────────────────────
万和八年(1933)三月二十日
家正の葬儀が、家英と徳松が眠る増上寺で執り行われた。
昨年【徳川家孝】と名を改めていた菊次郎、老中ら、藤子、右衛門佐、将軍付きの奥女中、御台所付きの奥女中、総勢四百人が手を合わせ読経する中、諸国の藩主とその御簾中が祭壇に安置された棺に向かい手を合わせて行った。
家正の生母・泰子は、三年前にすでに逝去されていた。更に、藤子が輿入れした当初、側室として取り立てられた、お由利の方も、お役目果たせなかったことで家正から暇を出され、その後息を引き取ったと洩れ聞いている。
藩主の中には、藤子の娘たちも参列していた。三人は頬を涙で濡らしながら、父の死を悼んだ。
会津松平家から松平正雄と豊姫
米沢上杉家から上杉隆憲と敏姫
保科家当主から保科光正と順姫
厳かで哀愁が溢れる本堂では、涙声の読経が響き渡り、ほどなく家正は廟所の中へと埋められた。
────────────────────
葬儀の後、藤子は位牌を御清之間に置いた後、家正との思い出を振り返るためお供を連れずに大奥を歩いて回った。
色々な思い出が色濃く残る御小座敷、共に新しい打掛の生地を選んだ呉服之間、春の季節に美しい花々を眺めた御殿の庭。
その他にも、神田明神の祭礼を眺めた紅葉山、小さな宴を催した吹上ノ庭。殊に吹上ノ庭は、家正と婚儀の前に初めて対面した思い出の場所でもあった。輿入れして十年経った折、二人で東屋へ子供たちと共に訪れた事を今でも鮮明に記憶に留めている。
静かに泣きながら、藤子がふと首に手を回すと、短く切られた下げ髪に触れ、とうとう念仏三昧の日々を過ごすのかと、切なさと共に安堵すら感じた。
しかし、藤子には、残された役割が残っている。
ほどなく十八代将軍となる家孝をお守りし、支えて行く日々がやって来るのだ。さらには、御台所も当然迎えることにもなり、自身は大御台所として大奥を統べて行く。泰子がしてくれたように、将来の御台所となる姫君を教育して行かなければならない。
藤子の苦難と試練の日々はまだ終わらなかった。
つづく
松平家からは、教育係として西条という乳母が付き従った。そして側用人として取り立てられた樋口詮正も西ノ丸に入城し、菊次郎は将軍世子として養育される事となった。
それは、息子の死をただひたすらに弔う藤子が養母としての負担を負わせないための、家正と右衛門佐からの配慮であった。
実際、右衛門佐が入城した旨を報告しても藤子は動じることなく、ただ頷いただけであった。
家英の死から一年、老中と合議を重ねた結果、家正は菊次郎を正式に養嗣子とすることを定めた。
───────────────────────
将軍世子の死はほどなく朝廷の知る所となり、〈尊皇倒幕〉の思惑は成就果たさんとする勢いだった。
ところが、その一派にも翳りを見せ始めていた。
英弘八年(1926)十一月三十日。十五年間〈尊皇倒幕〉を率いて来た久我道成卿が思い半ばで三十六歳で命を落とした。労咳だった。
妻を迎えることなく、久我家を捨ててまで度重なる幕府への恨みを晴らそうとした若者の死は、〈尊皇倒幕〉にとって大きな痛手となった。
そしてそこに更なる追い打ちが彼等を襲った。
十二月十二日、時の帝が崩御遊ばされたのだ。奇しくも、徳川幕府に対し、大政を奉還させる勅諚を認めた中での崩御であった。
在位五十八年にも及ぶ帝の権勢は幕府によって踏みにじられ、〈尊皇〉という姿勢を蔑ろにした者たちに対して反逆の意志を示し続けられた。しかしその一方で、帝の地位が揺らいだことに思い悩む日もしばしばだった。
長らく、改元之式は朝廷では無く江戸城で執り行われていたが、尊皇派の公家衆は、御所にて改元之式を断行した。それは、帝御自ら行幸遊ばしたご一生が皇祖皇宗より苦難を強いられたことへの反発だった。
次期帝は齢三十五歳の倫仁親王が践祚され、元号が〈英弘〉から〈万和〉へと改まった。
どの様な取り決めかは定かではないが、倫仁親王は親幕派の公達によって育てられた帝の子息である。
万和元年(1926)十二月二十八日
年の瀬も押し迫った御所では、今上天皇の即位礼が執り行われた。そこには衣冠束帯姿の徳川家正と老中数名が列席しており、〈尊皇倒幕〉派は目を剥いた。下段に座し、恭しく帝に拝礼している。
黄櫨染御袍をお召し遊ばす今上天皇は、家正に対し御言葉を述べられた、
「日本国の平和を、徳川将軍家が万事安泰へと導かれる様、切に願う。武家、公家問わず争いごとを起こす事の無きよう、共に国を治めて参らん」
上段から見下ろしつつ、御頭を誰よりも先に下げられた帝に、家正は呆気にとられながらすぐさま敬意を表し畳に額をついた。
公家と武家を同格とし、共に手を取り合って政を治める事を示した帝に、倒幕派はもちろん幕府老中たちも意表を突かれた。
この時を持って〈尊皇倒幕〉の勢いは鳴りを潜めることになるのであったが同席していた公達は、天皇家のご威光が蔑ろにされたとし、今上天皇に対し疑惑の念を抱いたのだった。
───────────────────────
〈尊皇倒幕〉の弱体化と、朝廷と幕府双方の協力政治の報せは忽ち、右衛門佐の元にも届けられた。それは大奥の安泰をも意味し、ほっと胸を撫で下ろしたのだった。
一方、藤子は都で起きた大きな流れに気にも留めず、御仏に添い遂げる生活を送っていた。嗜んでいた琴も茶の湯も一切しなくなり御道具はすべて納戸へ仕舞い込まれた。納戸へ仕舞うことは捨てるも同然の意味を持っている。
近ごろは、机の前でひたすら写経をし、まるで落飾をしたが如くの生活を送っていた。
ある日には松岡を呼び寄せ、自身の若い頃の振袖や打掛の類を御台所付きでない女中たちに下げ渡すよう命じて来た。どうすべきか考えあぐねた松岡は、ひとまず右衛門佐に助言を求めた。すかさず、御台所の姉は腰を上げた。
大奥・新御殿・御清之間 ───────
「何故、然様に侘しく過ごす? この様な事は申したくないが……公方様は今尚、政に勤しんでおられるのじゃぞ? 後家の真似事をして何とする?」
日々の暮らし向きについて、はっきりと言った右衛門佐は藤子の気に障ってしまったかと危惧したが、藤子は至って諦観の面差しだった。写経をしていた手を止め、右衛門佐に顔を向けた、
「これこれ、姉上様……。然様な不吉を申すものではありませぬ……。上様に対し、不敬でござりましょう……」
痩せこけ、声色がいつもより低く、覇気が感じられなかった。右衛門佐は何故か震えが止まらなくなった。その表情はまるで、この世を捨てたくても捨てられない、憂いを超越したような顔つきだったからだ。しかし、右衛門佐は諦めなかった。妹の笑顔をもう一度見たい、そう思ったからだ。
翌日、藤子の前に再び出向き「今宵、御小座敷に参る様に」と一言だけ告げた。
何を言われたのか理解できなかった藤子は、右衛門佐に理由を問おうとするも姉は足早に去ってしまった。
夜、白の綸子地の寝間着に着替えさせられ、その上に被布を羽織った。寝間着からは若かりし頃に覚えのある伽羅の香りがして、ゆっくりと心が動くのを感じる。
手燭を持って現れた中川と、御台所付き、将軍付きの御中臈が入側に控えているのを見て、藤子はとっさに家正の元へ参るのだと理解した。
「何故このようなことを……私は行かぬぞ……」
「そう申されながら、こうして歩き進んでいらっしゃるではありませぬか」
「これ、中川! 口を慎まなされ!」
手燭を持って、藤子の足許を照らしていた中川は見えないように舌を出した。藤子は小さく笑った。心の底から笑いが洩れたのはいつ以来だったろうか、もほや覚えていなかった。
御小座敷の前に差し掛かると中川が手燭の火を消し、藤子の前に身体を向けた、
「御台様、旦那──いいえ、龍岡殿の言葉をお借りして申し上げます」
藤子は力なく中川の方に首を曲げた。中川は、亡くなった龍岡の部屋方・軒端荻であることを思い出した。部屋方の中で唯一行き先が無かった軒端荻を、藤子が右衛門佐に頼んで御中臈として採用させたのだ。
「お美しゅうございまする」
「何を申す……こんな年寄りが──」
謙遜しようとする藤子を中川は手で制した。
「女はいくつにおなりになられても、美しいものにござりまする。──四十路であるこの私とて」
中川が堂々と胸を張って明るく言ってのけた。藤子だけでなく、御小座敷の前に控えていた御中臈たちもくすくすと肩を揺らしていた。家正と会う事に不安だった心が晴れ、藤子はひと呼吸おいて御小座敷の敷居を跨いだ。
大奥・御小座敷 ───────
藤子は、蔦之間で家正の御成りを待った。
間もなく御鈴廊下の鈴が鳴り響き、家正が寝間着に羽織を着て現れた。久しぶりに見る愛しい人の姿に藤子は笑みを浮かべた後、恭しく低頭した。上座に家正が胡坐をかくと、藤子は立ち上がってその右へと座した。御中臈と御坊主がそれぞれに酒が載った盆を置き、頭を垂れてから部屋を去った。
「今朝、右衛門佐から火急の報せがあると言うから来て見れば、今宵はそちと夜伽を交わすようにと言われてのう」提子に手をかけ、自ら盃に傾けようとするのを藤子は手を差し出そうとしたが、家正が構わぬと言って手で制した。「正直、嬉しかった。またそちとこうして過ごせるのだからな」
酒を飲み干した後、家正は藤子の手を握り、じっと見つめて来た。藤子も見つめ返すと、ほどなく二人はお互いに歳を取ったなと言って笑い合った。
思えば、夫婦となって二十四年の月日が経っていた。
互いに愛し合い、時にぶつかり、嫉妬に駆られた頃もあった。それらを経て、今こうして皺の数を数え合って笑う。藤子と家正が知る限り、このような夫婦は見た事が無かった。
家正の父・家達と母・泰子は、四人の子を儲けても決して幸福とは言えない夫婦だった。家達が大奥へ訪れても、妻の元ではなく、天璋院の元へ通った。その後に寄るでもなく中奥へと引き返す。そういう日々が続き、愛が冷めて行ったと聞く。
藤子の父・鷹司周煕は博打に没頭し、困窮の極みを見せている家を更に傾かせた。それに嫌気が差した母・淑子は趣味に没頭する夫を毛嫌い、娘たちのこと、そしてお家を守り抜いた。
二人にとって無縁だと思っていた夫婦像が今ようやく、果たされている事に幸福な心持ちになった。
「随分とお痩せになられましたね?」
久方ぶりに飲む酒に身体が熱くなるのを感じながら、藤子は家正に心配するような目を向けた。
「それは、そちとて同じであろう?」
甘く囁くような声で家正は微笑みながら言った。藤子も微笑み返した、
「私は、上様と違うて政を治める身ではござりませぬ故、よいのでございます。しかしながら、上様は人の上に立たれるお方にございます。例え忙しゅうとも、お食事は必ず摂って頂きとう存じます」
家正はふっと笑いながら再度、酒を呷った。そして、藤子の目を真っ直ぐと見つめた。
「わしの心配をせずともよい。まずは、そちの心配をせよ……」
「え?」
思いがけない家正の言葉に藤子は動揺した。
「そちの気持ちは痛いほど分かる。家英を、そして徳松を亡くした悲しみはわしとて同じじゃ。じゃが……余りに根を詰めすぎると身体に毒じゃ……。そちは申したであろう? 何があろうとも、わしらのために生き続けると。そう誓うたではないか」
藤子は、はっと我に返った。
自分には家正がいるのだと気付かされたのだ。
徳松、家英と立て続けに子を亡くし、悲嘆に暮れてばかりで目の前にいる愛すべき人、家正の事が見えなくなっていた。この幸せな空間を当たり前のように、ごく自然的なものだと思っていた。
浜御殿で、夫と息子に誓い、その後、家英に先立たれて、残されたは家正のみ。危うく、家正から気遣いの言葉を掛けられなければ、自身に傷を付けずに自害する所だった。
家正の言葉にそっと頷き、藤子は両の手を重ねた、
「承知致しました。此度は……上様のために生きて参ります」
「その意気じゃ。そちは決して一人では無い。わしらとそちで一つなのじゃ」
「嬉しゅうございまする。あ……されど上様? 一つお約束してくださいませんか」
「なんじゃ?」
藤子の申し出に、家正は優しく微笑んで傾聴した。
「共に、六十まで生きて参りましょう? それまで……元気でいて頂かねば……私は許しませんよ?」
藤子は握った手に力を込めて、願いを告げた。しかし、家正はかぶりを振った。
「いいや、七十じゃ……六十はまだ若い。それ以上に生きて参ろうぞ。でなければ、このわしも許さぬ……良いか? 藤子……」
結婚して初めて家正は藤子を呼び捨てにした。
上様、御台と呼び合うのが歴代将軍と御台所の慣いであった。家正はその先例を覆し、甘く名を囁いた。戸惑いながらも藤子は愛おしげに家正を見つめた、
「承知致しました……家正様……」
そして二人は、蝋燭の炎が消えるまで、昔語りをした後、若かりし頃の様に互いを愛し合った。初めてと言って良いほどの、優しく甘い身体の絡み合い。互いの愛を確かめ合うが如く囁き合ったのだった。
───────────────────────
年が明けて、大奥に正月が訪れた。
〈尊皇倒幕〉の目に余る所業が収束した政は、今後、重要な事柄以外は老中たちに任せ、家正は藤子と共に過ごす時間を増やした。
浜御殿へは二十回ほど通い、季節の折々には吹上ノ庭で小さく質素な宴を開き、西ノ丸に住まう菊次郎と面会を重ねて家族として過ごしたりと、平和な年月が過ぎて行った。
────六年後─────
万和八年(1933)一月二十九日
表での政務の最中、家正は度々胸が強く打たれる思いに悩まされ、薬を服用する日々が続いた。しかしその症状は治まることはなかった。
一日一日が過ぎる度に、様々な症状が現れたのだった。
そしてとうとう、大奥で総触れをしていた時のこと。右衛門佐の締めの挨拶が終わり、立ち上がろうとすると、急に胸を押さえて均衡を崩し、倒れてしまった。目の当たりした藤子はひどく取り乱した。
急ぎ奥医師を呼び、応急手当を施して一時は回復したのだったが、中奥へ戻ってからも胸を打つ症状は続き、食事に手をつけられないほどだった。
やがて二月三日、顔や足がむくみ始めた。御匙は家正を診察し、医学書と照らし合わせると、血相を変えて政の一切と大奥への御渡りを固く禁じ、安静にするよう諭した。
将軍の御成りがぱったり無くなった大奥では、どんよりとした空気が立ち込めていた。表へ見舞いに行けぬ代わりに、藤子は増上寺への代参を立て、昼は御仏へ手を合わせ、寝る前には写経をする毎日を送った。
右衛門佐もその他の女中たちも、仕える公方様の御為と、お役目の傍ら、加持祈祷を行った。
「家正様……どうかご無事で……」
仏像に手を合わせながら、藤子はそう呟いた。
しかし、その祈りが届けられることはなかった。
万和八年(1933)二月十八日
第十七代将軍 徳川家正
齢五十にして、薨去。
将軍薨去の後は、必ず三十日間、老中、若年寄、御側御用取次、側衆、小姓、御小納戸、町奉行、勘定奉行、寺社奉行、目付、御殿医のみに知らされ、その他の者には一切知られない様に努めた。
三十日の間に、老中・阿部伊勢守正保はすぐに、増上寺の墓所の建立を執り行う作事奉行を呼び寄せ、将軍薨去の旨を告げた後、御肌付と称する棺も造らせた。
それに加え、棺に防腐剤の役割を果たす、朱を用意させる準備に掛かる。将軍が薨去した事を悟られないようにしつつ、朱が不足しないよう朱座に対して、市中への朱の売買を禁止する旨を達した。
大奥へは知らされることなく、三十日後の発喪の日を待たなければならなかった。しかし、阿部伊勢守は病の床にいた家正が頻りに藤子の名を呼んでいたのを心苦しく思い、異例の判断を下した。
二月二十三日 昼
阿部伊勢守は右衛門佐同席の下、藤子の御殿を訪れた。人払いをさせたうえ、真っ青な顔で薨去の旨を告げた。
「御台様、心して御聞きくださりませ……」
尋常でない様子の老中の表情に、藤子は心がざわついた。一言も発さず、藤子は阿部の言葉を待った。
「公方様が……身罷れましてございます……」
震える声で平伏す阿部の頭を見つめ、藤子は体中から血の気が引いて行くのを感じた。嘘であって欲しかったが、阿部の性格上、嘘偽りを述べるような者ではない。そもそも、将軍の死を偽りで述べることなど誰が出来ようか。
崩れるように脇息に寄り掛かり、藤子は荒くなる呼吸を必死に整えた。
御仏に祈りを捧げたこの二十数日間、藤子はただただ、家正の笑顔を再び相見る日をひたすらに思いながら祈り続けた。しかし、その祈りと願いは果たされることなかった。家正に一目会いたかったが、阿部は詫びるように、すぐには亡骸を拝すことが出来ないと言った。胸がかきむしられる思いだった。
御清之間に戻り、机に用意された写経用の紙を見ると無性に居た堪れなくなり、ぐしゃぐしゃにそれを丸めた。
横にあった硯や筆、そして墨を手に取って辺りに放り投げた。墨が部屋の壁や畳を黒く跡を残した。机の両端を掴みひっくり返した。だんだん悲しみが襲い、激しく泣き喚きながら料紙箱に積み上げたお経を拾い上げて引きちぎり、それを火鉢に放り込むと、ちりちりと音を立てて燃えた。
ただならぬ物音と叫喚を耳にした右衛門佐は部屋の襖を開くと、目に飛び込んだ惨状と身も世も無い様子の藤子に急ぎ駆け寄った。
「藤子っ! 藤子……落ち着きゃれ! 頼む……」
激しく抵抗され、肘が腹に命中し涙目になりながら右衛門佐は藤子を抱き締め、落ち着くように宥めた。泣き叫びながら姉を退けようと藻掻くが、頑として離さなかった。背を軽く叩き「大丈夫じゃ……大丈夫」と慰めると、藤子は静かになり、すすり泣いた。
松岡と中川を呼び、御休息之間に床を並べるよう命じ、右衛門佐は手の空いた御年寄と御中臈と共に藤子を抱えて二段重ねの布団に寝かせた。髪に挿された櫛と簪を外してあげて、右衛門佐はすやすやと眠る藤子の寝顔を見つめた。松岡が自分が宿直をすると言ってきたが、右衛門佐は首を振って自分が夜通し傍につくと言った。
夜中に目を覚まし、また取り乱さないとも限らない。右衛門佐はそれが気がかりだった。
夜も更け、蝋燭の薄灯りの中、うつらうつらとしながら家正の事を考えていた。
家正とは主であり、一時は夫だった人だ。亡くなったことを突然知らされて、阿部伊勢守の前では大奥総取締として平静を装っていたが、内心気が気でなかった。
しかし、数刻前に取り乱すほどに嘆き悲しんだ妹の姿を見て、右衛門佐は哀れに思う心と、一度は身体を重ねた家正が亡くなったという悲しみの心とで複雑な思いだった。乱れた掛け布団を直してあげながら、右衛門佐はひっそりと涙を流した。
────────────────────
翌日 ───────
霞がかる心とは裏腹に、外は信じられないほどの快晴だった。入側へ出て空を見上げるも、心のざわつきが収まることは無かった。
数十幾日も総触れ無しの日々が続き、薨去を知らされていない女中たちは家正の快癒をひたすら祈りながら、各々の勤めに勤しんでいた。
御台所付きの女中たちには藤子の口から伝えられた。それぞれ涙を流したり狼狽したりしたが、藤子は冷静だった。御清之間は今は閉ざされ、葬儀の後に清掃される手筈となった。藤子が詫びを入れると松岡は、致し方ないという風に頷いた。
二月二十八日
四日後、藤子は家正の亡骸を拝むことが許された。形式上、御台所のみが許された。松岡と中川に付き添われながら、周りの女中たちに気取られないように非常用の下御鈴廊下を通って中奥へと向かった。
はるかな高さの祭壇に安置されたその棺に万感の思いを込めて、涙を堪えながら手を合わせた後、棺のわきに立って、家正の顔を拝した。
その顔は安らかに眠る様に見えつつ、痩せ細った顔がむくんでいて心苦しかった。だが、家英の苦しそうな表情とは違って、穏やかそうに見えた。
夫と子に先立たれて、自身でもこの世は夢幻なのではないかと疑った。しかし、目の前には紛れもなく動くことも話すこともない亡骸がいる。どれほど辛かったことか……どれほど恐ろしかったことか、考えるだけで心が苦しかった。口を押さえながら、藤子はそのまま棺にもたれ、泣き崩れた。
三月
三月に入ると、大奥中に将軍薨去が知らされた。それぞれ声を押し殺しながら涙を流した。その日、一日の勤めは取り止めとなり、各々部屋へ籠もり将軍の死を弔うようにという達しがあった。
しかし、右衛門佐は眠る藤子の前で泣いた以来、悲しみに暮れる暇もないほど忙しく走り回った。
あの世への御供にと、棺に入れて欲しい品物を女中たちに募り、千鳥之間に届けられる品々の吟味をした。中には、家正の気に入っていた着物の柄や好んでいた菓子、読んでいた書物の新しい版など数多に及んだ。
また、葬送の日の準備も、右衛門佐が手配しなければならず、右往左往する毎日であった。
葬儀のその日まで藤子は心を静め、食事をする時や御不浄へ赴く時以外の毎日は部屋に籠って写経を繰り返した。
棺の中に入れるものは既に決めていた。それは家正が生前慈しんだ手元の物を選んだのだ。家正が愛しい、似合っていると言ってくれた櫛や簪、笄。そして、家正が好きだと言ってくれた打掛の端切れなどを厳選した。
家正と歩んで参った思い出の品を、漆塗りの箱に入れながら合掌し、写経を百八つ添えて老中に引き渡した。
三月十九日
家正葬儀の前日、落飾の儀が執り行われた。
豊かな美しい黒髪を切ってそれを奉書に包み、写経と一緒に冥界へのお供とさせたいと願った。
御仏間で、読経と香煙の中、導師の持つ剃刀がゆっくり、ゆっくりと根取り下げの髪を短く剃り落とした。その瞬間、藤子は誰かの手でしっかりせよと、背中を押されたような感じがした。
家英の逞しい掌か、徳松の小さな手か、果ては家正の愛しい手なのか。
いずれにせよ、藤子は知り得ようも無いことだが、この時、自分は悲しんでいる暇は無いと、更に覚悟を揺すぶられた。
落飾の儀の後、藤子には〈深篤院〉という院号が贈られた。
慣れぬ院号に戸惑いつつも、これから先付き合っていくであろう名を、大切に、深篤院と書かれた紙を胸に抱いた。
────────────────────
万和八年(1933)三月二十日
家正の葬儀が、家英と徳松が眠る増上寺で執り行われた。
昨年【徳川家孝】と名を改めていた菊次郎、老中ら、藤子、右衛門佐、将軍付きの奥女中、御台所付きの奥女中、総勢四百人が手を合わせ読経する中、諸国の藩主とその御簾中が祭壇に安置された棺に向かい手を合わせて行った。
家正の生母・泰子は、三年前にすでに逝去されていた。更に、藤子が輿入れした当初、側室として取り立てられた、お由利の方も、お役目果たせなかったことで家正から暇を出され、その後息を引き取ったと洩れ聞いている。
藩主の中には、藤子の娘たちも参列していた。三人は頬を涙で濡らしながら、父の死を悼んだ。
会津松平家から松平正雄と豊姫
米沢上杉家から上杉隆憲と敏姫
保科家当主から保科光正と順姫
厳かで哀愁が溢れる本堂では、涙声の読経が響き渡り、ほどなく家正は廟所の中へと埋められた。
────────────────────
葬儀の後、藤子は位牌を御清之間に置いた後、家正との思い出を振り返るためお供を連れずに大奥を歩いて回った。
色々な思い出が色濃く残る御小座敷、共に新しい打掛の生地を選んだ呉服之間、春の季節に美しい花々を眺めた御殿の庭。
その他にも、神田明神の祭礼を眺めた紅葉山、小さな宴を催した吹上ノ庭。殊に吹上ノ庭は、家正と婚儀の前に初めて対面した思い出の場所でもあった。輿入れして十年経った折、二人で東屋へ子供たちと共に訪れた事を今でも鮮明に記憶に留めている。
静かに泣きながら、藤子がふと首に手を回すと、短く切られた下げ髪に触れ、とうとう念仏三昧の日々を過ごすのかと、切なさと共に安堵すら感じた。
しかし、藤子には、残された役割が残っている。
ほどなく十八代将軍となる家孝をお守りし、支えて行く日々がやって来るのだ。さらには、御台所も当然迎えることにもなり、自身は大御台所として大奥を統べて行く。泰子がしてくれたように、将来の御台所となる姫君を教育して行かなければならない。
藤子の苦難と試練の日々はまだ終わらなかった。
つづく
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