物好き少女の引力相互作用

床間四郎

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佐伯京子の話

恋愛と幸福に関する仮説

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 中学生になって、私は必死に勉強した。賢くなるために勉強をした。不幸とは何か、それが知りたかった。私は不幸な人間。だから中学生になっても何かといじられることが多かった。私はとにかく無視した。臆病ながら、私は戦った。その結果クラスで浮いて、体育でのペア作りとか、授業で二人組で音読をするときとかでは苦労したし、そこがいじめの表舞台へと変化していった。直接的ではなく、間接的ないじめ。当事者が曖昧になった、狡猾なやり口。そして、教師からもよくからかわれた。
 しかし、そんなことはそこまで致命的でもなかった。あの日以来、私にとっては出会う教師全員が反面教師だった。生徒も私には研究用モルモットとしか思えなかった。私は中学校の全ての教師を信頼していなかった。格好いいことを言って、結局は根本的なことには何も答えていない。笑顔で大きいことを語るペテン師よりも、微力ながらも一歩一歩進もうとする一生懸命で格好悪い人に、私はなりたかった。どうしてそうなるのか、根本的な問いかけからはいつも逃げている。答えなくて良いと思っている。私にとってそれが中学教師という人間はそんな奴だった。そんな人に怒られても、笑われてもどうでもよかった。ただ、謙虚さは失わないように最大限の注意を払った。私の目的は賢くなることであって、人を叩くことではないのだから。良いと思ったところは受け入れて、悪いと思ったところは軽蔑した。その基準はただ一つ。それで私が幸せになれるか。もしくは、その先生が誰かを幸せにしているか。
 私は不器用な人間だ。何かを極めるためには何かを切り捨てる、そんな生き方しかできない。気が付けば、私をいじめてくるような人はいなくなった。中には私に親切にしてくれる人もいたけれど、私は平等に、全ての人と距離をおいた。そんなことをしている間に、ほとんどの人に無視をされるようになった。人を避けるようにして、人に避けられた。まさに因果応報。中学時代、私に良い思い出は一つとしてない。
 個人の思い出ができるできないとは関係なしに時間は順調に進んでいき、私は高校生になった。中学の時に必死に勉強していたこともあって、多少は頭が使えるようになっていた。そして私はこの高校で不幸の研究をしてみようと思い立った。不幸とは何か。そして、不幸は操作できるのか。私の興味はそれにあった。それから恋愛に興味を抱いた。それは、こんなイギリスのことわざを知ったからだ。
「結婚は悲しみを半分に、喜びを二倍に、そして生活費を四倍にしてくれる」
 これが正しいのなら、結婚は人の不幸を軽減する働きがあるということではないか。そして、結婚は恋愛から始まる。なら、恋愛を知れば幸福と不幸がわかるのではないかと期待した。
 ちょうど良いことに、最近私のクラスにカップルが出現した。川越さんと伊藤君。小学校の時は何の接点もなかった二人が交際しているというのには最初驚いた。そして、お互いを好きになった理由に興味を持った。恋愛が不幸を決めるとして、恋愛のきっかけが完全にランダムなものだったのなら、結局はそれも確率的なもの、つまりはその人の幸福度で決まってしまうのだから。
 私は二人をよく観察した。普通のカップルだった。逆身長差はすこしインパクトがあるけれど、どこかお似合いに見えた。見事な両想い、とでも表現すればよいのか、とにかく二人は仲が良さげに、幸せそうに見えた。
 カップルを観察していたら、あるとき、伊藤君の視線に妙な違和感を覚えた。男性が女性に惹かれるのは、女性ホルモンの影響が強く表れる胸と尻だという。しかし伊藤君の視線は、川越さんの頭頂部をいつも見ているようだった。そして、川越さんと話しているとき以上に、川越さんの後姿を真剣に見つめるときがあった。何を見て、何に惹かれているのか。私はその調査を始めることにした。

 伊藤君の見る先に何があるのかを、私はよくよく観察した。その結果、川越さんの後姿でもなく、壁を見ていることに気が付いた。
 ある日私は始業一時間前に教室に入り、壁を入念に確認してみようと思った。しかしそこにはすでにカップルがいた。川越さんと目が合い、私は小さく会釈をする。その隣で伊藤君が私のことを睨んできた。なるほど、朝早い時間に教室で出会い、そこで何かが起きて交際に至ったのだろうと、私は仮説を立てた。
 カバンを持ったまま、私は後方の入口付近の壁を確認する。特に変わったものは見られない。一つ気になるのは、そこそこ高い位置にマジックで書かれた黒と茶の二本の線。間隔は10㎝程。壁はところどころ塗料がはがれているのに、その線だけは新しく、明らかに最近書かれたものだった。伊藤君はこれを見ていたのかもしれない。また、これを書いたのも彼なのかもしれない。では、何のために。
「京子ちゃん、どうしたの?」
「うわあ!」
 急に上から声がして私はびっくりした。悪く思ったのか、川越さんは謝ってくれた。小学校の時に比べて、随分おっとりしたと思った。恋愛は人間を変える力があるのかもしれないと、その時思った。
「あ、ごめんいきなり」
「ううん、大丈夫。ちょっと、ぼーっとしていただけだから」
 川越さんから目を逸らすと、伊藤君の三白眼が私に出ていけと訴えかけてくる。私はしぶしぶ、教室から出て行くことにした。ちらっと後ろを振り返ると、伊藤君の元へと向かう川越さんの後姿。そして印は川越さんの頭のてっぺん・・・・・・私の中で全てがつながった。
 後日私はメジャーを手に川越さんよりもさらに早く登校し、印の高さを測定した。赤い印は170㎝、緑の印は180㎝。1ミリの誤差もなく、そうなっていた。コンビニや郵便局の入口にある簡易身長計のようなものが、教室の入口の壁に付けられていた。
 ここから以下の仮説が立てられる。伊藤君が見ていたものは身長だったのではないか。そして今、伊藤君はクラスで一番背の高い川越さんと付き合っている。・・・・・・私はこういう性癖を知っている。恋愛感情に興味を抱いているくらいだから、性癖には少しばかり詳しい。アナスティーマフィリア、マクロフィリア。もしくは俗称、トールフェチ。背の高い人に興奮するという性癖。伊藤君はそんな性癖を持っているのだと、これまでの観察から予想がたった。
 これを知った途端、私はいてもたってもいられなくなった。そして同時に、どうしてこの二人組がこんなにもお似合いに見えていたのかを納得した。平凡そうな見た目の伊藤君が抱える変わった性癖。これらが生み出す巨大なギャップ。そしてそのギャップに惹かれる川越さんと、その高身長女性に惹かれる伊藤君。どこまでを当の本人が知っているのかはわからないが、これほどまでにお似合いで、かつイレギュラーを含んだカップルなんて、この先出会えなのではないかと思った。私はこんなカップルに興味があった。不幸というのが周りとの差異が生みだすものであると思う。周りに適応できない人を、人は「浮いている」と表現して時に仲間外れにする。ある程度の差異は個性として認められるものの、行き過ぎれば異端分子としてグループは時に排除しようとかかる。なら、その境界はどこにあるのか。どこからが不幸の原因となるのか。そしてその行き過ぎた個性による不幸を、恋愛は変えることができるのか。次に私はそんな疑問を抱いた。
 隙を見つけて伊藤君に接触することを試みた。毎日早くに学校に来ては、二人が分かれる瞬間を探した。そしてある日、伊藤君は早朝に一人で教室にいた。その時私は彼に接触し、私の仮説を披露した。全問正解だったらしく、私は嬉しかった。そして性癖を抱いたきっかけや、長身に魅力を感じる理由を尋ねようとしたところで、川越さんがやってきた。あまりにタイミングが悪かった。

 伊藤君と二人きりで話すさまを川越さんに見られた。そして誤解された。放課後まで、川越さんは私とすれ違うたびに睨んで舌打ちをしてきた。そのたびに背筋がぞっとした。私は普段、学校では実験のために基本は演技をしているけれど、こういう時はどうしても本能的な恐怖心が出てきてしまう。放課後までに、私は今後のプランを必死に考えた。まずは、伊藤君がトールフェチであることを川越さんに伝える。すると川越さんはおそらく喜ぶ。川越さんが高校生になっても自身の長身を誇りに思っていることは観察済みだった。まず、猫背にならずいつもすっと背筋を伸ばしていることから、少なくともコンプレックスではないと思われる。また、長身をうらやましがられると、定型文を言いながらも多少嬉しそうにしていた。彼女は小学生時代と同じく、自分の長身が、それによるギャップが好きなのだろうと思われた。
 また伊藤君は、教室の入口の印でこそこそと身長を測っているくらいだから、おそらく川越さんに自分の性癖を伝えていないのだろう。そして同様に伊藤君も川越さんの性癖を知らないと思われる。二人の隠し事を意図的にばらし、仲を近づけることを目指す。そのためにまず、伊藤君の性癖をばらす。そうすればおそらく、川越さんも自分からばらすことだろう。伊藤君の性癖は数字によるものなのでわかりやすい。一方で川越さんの性癖は少しわかりにくい。ギャップといっても色々ある。そもそも、川越さんが伊藤君の何に惹かれていたのかもよくわからなかった。私の計画が成功する保証は当然なかったけれど、私はその日の放課後に実行することを決めた。
 作戦を実行に移した一週間後、二人の関係は最初はぎくしゃくしていた。伊藤君に刺されてしまうかもと不安だったが、そんな元気すら失ってしまったようで、見ていて辛かった。あんなにお似合いだった二人が別れてしまうのは、傍観者としても見ていて辛いものがあった。しかし川越さんの方は決して伊藤君を嫌悪しているようには見えなかったので、私は観察を続けた。

 終業式の日、いつものごとく二人は一緒に下校していた。すかさず私は二人を追う。今日を逃したら、夏休み中もメッセージですれ違いを解消することができずに、自然消滅する可能性がある。私は二人を尾行していた。もしも今日、二人が話し合うことがなかったら、伊藤君に抱きついて川越さんの危機感を煽り、行動を起こさせる予定を立てている。
 相変わらず無言で帰る二人。カップルなんだからおしゃべりくらいはしろとは思うものの、私のせいでこうなってしまったわけなので、何も言えない。両方とも話したいと思っているに違いない。伊藤君は教室でずっと川越さんの後姿を見ているからわかりやすい。川越さんはずっと物思いにふけっていてよくわからないけれど、伊藤君を嫌いになっているようには見えなかった。
「ねえ、川越さん」
「ひゃあ!」
 考え事をしている川越さんに話しかけて、川越さんが驚く。よし、一週間ぶりの会話。胸が躍るのを感じた。臆病な伊藤君も、こういう時は動くらしい。ここまできたらあとは心配ないとは思うけれど、最後まで見守りたい気持ちが出てきた。
 二人は小さい公園のベンチに座って、話を始める。途中川越さんが立ち上がり、大きな声でこう言った。
「自分のこの童顔が好きだし、それに不釣り合いともいえるこの身長が大好きなの」
 その後の話を聞いていると、気が付けば私の口角が上がっていた。
 彼女は小学生の頃から変わっていない、それが知れて私はとても嬉しくなった。すごい、ここまでお似合いなカップルなんていないんじゃないか。そして、二人の交際。それは二人のとっての最大幸福を意味するのではないか。それは言い換えれば、この二人の親密度を変えるということは、同時に幸福度を変えることにおおよそ等しいのではないか。私は嬉しかった。どうにかして二人の親密度を上げることができないか、それを目指すことにした。次の目標が定まった。

 会話が終わり、二人は仲睦まじくおしゃべりをしながら駅に向かう。もうこそこそ尾行するつもりはないのだけれど、ぱっと出て行っては尾行がバレて意味がない。向こうの警戒心を強くし、今後の観察に支障が出てしまう。タイミングを探る。駅に入ったタイミングで私は自然を装い歩きスマホをしながら二人についていく。人混みで見失わないように、できるだけ足早についていき距離を詰める。
「ねえ、水族館に行かない?」
「うん、いいよー。行きたい!」
「何日が空いているかな? 僕、夏期講習があるから」
「8月4日はどう?」
「あー、その日は僕も都合いい」
「じゃー、それで。あー、京子ちゃん!」
 川越さんが私を見つけて手を振ってきた。良いタイミングで見つかった。相変わらず隣の伊藤君はもの言いたげな視線をこちらに向けてくる。私は手を振り返す。機嫌のいいときの川越さんは優しくて、かわいい。
「今帰りなの、図書館とか?」
「うん。まあ、そんな感じ。京子ちゃんは?」
「自習室にいた」
「偉いねー」
「ありがとう」
「川越さん、待ち合わせは何時くらいがいい?」
「んー、10時くらいかなー」
「ん、デートの予定?」
「えへへ、そうだよー。初めてのデートだよー」
 そう言って、川越さんは照れている。デートが初めて、二人の親密度はまだこの程度らしい。そんな二人が送る初デートは、上手くいくのだろうか。今は歩きながらだから目立たないものの、悪い人はいる。長い待ち時間にでそんな人に出会ったとき、二人はどうなってしまうのか。その程度で崩れるような仲なのか。それとも、そんな不幸をきっかけにして強さを身に付けられる、生命力を持っているのか。予想だけれど、二人とも単独ではそんな力を持っていない。川越さんは人混みを避けているようだし、伊藤君は性癖をとことん隠し通していた。では、二人は一緒になったらどうなるのか。恋愛は個人の生命力を上げることができるのか。
「ねえ、そのデート私も後ろからついて行っていいかな?」
「え? ・・・・・・えーとー」
「デートってどんな感じなのかなーって。ちょっと参考にしたくて」
「あー、うん、それなら・・・・・・あれ、京子ちゃんもしかして。好きな人できたのー?」
 にやにやしながら、屈んで私に問いかける川越さん。好きな人、その単語で私の顔が反射的に赤くなってくれた。
「まあ、ちょっと興味が・・・・・・」
「うわー! いいよね伊藤君。別に一緒に回るわけじゃないんだからさ」
「そうそう! ただ、参考に観察したいだけだから」
 伊藤君は川越さんに押されて、無言でうなずく。私は心の中でクスクスと笑った。これで、実験がうまく進められるようになった。
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