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第三章
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しおりを挟む 2010年にこの事件をモチーフにした映画が公開された。「東京島」である。
正直それほど面白いとは思わなかったが、ヒロインに木村多江が抜擢されたことに違和感を覚えたのを記憶している。
さて、舞台となったアナタハン島は、サイパン島の北約117kmに位置する全長約9km、幅3.7km、面積約32平方km程度の小さな孤島である。
太平洋戦争の真っ只中の昭和19年6月12日、海軍に徴用された日本のカツオ漁船数隻に、それぞれ水兵2名、軍属の漁師8~9名が乗り組みサイパン付近を南下していたが、同日早朝、これらの船は米軍機に空から攻撃を受ける。これによって兵助丸と曙丸の二隻が沈没。
乗組員たちが命からがら泳ぎ着いた島が、このアナタハン島であった。
さらにこの時、同様に攻撃を受けて沈没したえびす丸の生存者を乗せた海鳳丸もアナタハン島にたどり着いた。しかし、この海鳳丸も翌日の空襲で焼失してしまい、兵隊10名、臨時徴用の船員21名、合計31人の男たちがアナタハン島に取り残された。
戦前から日本企業によるヤシ林の経営が行われていたアナタハン島には、70人ほどの原住民が暮らしていたが、ほかにも農園技師の男性1人とその部下(南洋興発栽培主任)の妻・比嘉和子(24歳)の2人の日本人が暮らしていた。
比嘉和子はパガン島でカフェの女給をしていた18歳の時に結婚し、22歳の時に南洋興発に勤める夫についてアナタハン島へ来たが、当時、夫は妹をパガン島に迎えに行ったまま空襲のためアナハタン島へ帰れなくなっており、消息が途絶えていた。
後日わかるが、この夫、勝手に和子が亡くなったと信じて戦後本土で再婚し子供まで作っている。
それはさておき孤島での心細い状況の中、農園技師と和子は徐々に親密な関係になっていた。
孤独な島での生活では無理からぬことであろう。
和子らは農園を持っていたが、さすがに30人もの男を食べさせるだけの余裕はなかった。
1ヶ月もすると食糧が底をついたため、男たちはグループに分かれて里芋の栽培などを始めた。彼らは生きるためにトカゲやコウモリ、ヤシガニなども捕って食べた。
皆、生きるのに必死で、食べ物を求めて駆けずりまわる毎日だった。
そんな中、暴風雨の中で作業中高波にさらわれた1人が海に転落し行方不明になる。
彼らが上陸してから1年後の昭和20年、7月中旬から約1ヶ月の間、アナタハン島は、ほぼ毎日空襲を受けていた。島にいた原住民らはアメリカ軍に連れていかれたり脱出したりして、いつの間にか1人残らず島からいなくなっていた。
昭和20年8月15日、戦争が終結したあとも終戦のニュースなど知る由もない彼らは、それまでと同じようにアメリカ軍の姿を見たら逃げるという生活を送っていた。
9月中旬にアメリカ軍のボートが海岸に近づき、拡声器を使って、「日本は降伏した。島に残留している者は速やかに投降し、アメリカ軍の船に乗船せよ」と呼びかけたが、誰一人として敗戦を信じようとしなかったという。
サイパンといえば多くの日本人が投身自殺したことで有名な土地である。彼らはアメリカ軍が鬼畜の悪魔だと本気で信じていた。
孤島の男30人と女1人は、島の西側にあるソンソンというヤシ林 → 東北の出張所というヤシ林 → 島の南側の市日工場と、海岸を沿いを順に引っ越しながら島での生活を続けた。
彼らの主食は、バナナ、里芋、砂糖きびで、原住民が置いていった種を撒いて育てた果物、海で捕った魚もよく食べた。他にもトカゲやヘビやネズミなど、食べられる物なら何でも食べた。
料理をする煙がアメリカ軍の目にとまると空襲を受けると恐れがあると思い込んでいたため、炊飯は朝に3食分まとめてしていたという。何をするにもアメリカ軍に見つからないよう細心の注意を払っていた。
時折アメリカ軍がやって来て上陸したが、いつもすぐに引き揚げていった。
アメリカ兵が帰ったあとで煙草の吸殻を拾うのが、当時の彼らにとっては何よりも楽しみだった。
つまり高波にさらわれた1人を除く全員が終戦まで無事に生き延びていたことになる。
この時点でアメリカ軍に投降していたら、全員が日本の土を踏めただろう。のちの悲劇も生まれなかったに違いない。しかし運命は彼らにそれを許さなかった。
もうしわけないがそれほど美人には見えない。そのあたりも木村多江に違和感を抱いた理由
徐々に飢える心配と空襲がなくなり、島の生活にも余裕が出てきた。
彼らは自家製のヤシ酒を作り、月夜には宴会をして楽しむこともあった。
しかし生命の危険から一致協力していたころと違い、次第に彼らの間に奇妙な空気が流れ始めた。
島でたった1人の女性である和子をめぐって、男たちが火花を散らしあうようになったのだ。
農園技師と和子が夫婦でないことが知れると、それにいっそう拍車がかかった。
身の危険を感じた和子は、助けを求めるかたちで農園技師と同棲しはじめたが、独占欲が強く、嫉妬深くなった農園技師は、和子が他の男と口をきいただけで殴る蹴るの暴力をふるうようになった。
終戦から半年経った昭和21年2月、兵助丸の船長が病死した。医者のいないアナハタン島ではちょっとした疾患でも致命傷になりえたのである。
同年8月、アメリカ軍の船がやって来たため山中に逃げ込んだ農園技師と和子は、墜落したB29の残骸を発見し、パラシュートと缶詰を回収する。思えば、これがすべての始まりであった。
その後、皆で墜落現場へ行き、パラシュート6個とガソリンタンク7個などを回収。パラシュートの布地で服を作ったり、ガソリンタンクを2つに切って鍋を作ったりしたが、その時、機体からナイフを作った者もいた。
また、A男とB男という2人組が、B29の残骸の中から壊れたピストル3挺と実弾70発を拾った。
2人組はそれらを解体・修理し、2挺のピストルを組み立てた。
集団のなかに一部だけ銃を所持する者がいる。その特異な雰囲気を読者も想像できるだろうか。
まもなく、2人組の片方と仲の悪かったC男という男が変死した。
「木から落ちたのが原因」ということだったが、2人組以外に目撃者はいなかった。
その後、農園技師の嫉妬に愛想をつかしていた和子は、D男という男と駆け落ちし、山中深くに逃げるが、所詮は狭い島である。結局、簡単に発見されて農園技師のもとに連れ戻された。
以来、男たちの和子争奪戦が激化する。
ピストル2人組の片割れであるA男は、あからさまに和子にベタベタするようになった。
ある日、A男が和子に「俺の女になれ。いやだと言うなら、農園技師を殺すぞ」と言った。
和子がそれを伝えると、農園技師は震え上がった。
これまでの嫉妬心はどこへやら、「俺は殺されたくない。あいつのところへ行け」と、和子に言った。そして、なぜかその後、農園技師、A男、B男、和子の4人で暮らすようになった。
つまり、和子は同時に3人の夫を持つ身になったのである。生きるためとはいえ女の身でそんな状況に陥った和子の心中は察するにあまりある。
しかし、そんないびつな生活が長続きするはずがなかった。
案の定、昭和22年の秋、ピストル2人組の間で仲間割れが起こり、B男がA男を射殺した。
翌、昭和23年、このままでは自分の身にも危険が及ぶと感じたのか、農園技師は、まるで品物のようにアッサリと和子をB男に譲り渡し身を引いた。
ところが、その3ヵ月後、B男が行方不明になった。
B男の失踪について、農園技師と和子は「B男は夜釣りをしていて海に落ちて死んだ。」と言ったが、泳ぎの達者なB男が海に落ちて死んだと信じた者はいなかった。現在でもB男の死因については不明である。
2人がB男を殺したという証拠はないが、目撃者が2人しかいないこと、B男の死後すぐに和子と農園技師がよりを戻していることなど、不審な点は多い。というより誰もそんなことを信じようとはしなかった。
さらに、それから半年ほどして、今度は農園技師が変死した。
和子とE男によると、「農園技師は食中毒で死んだ。」ということだったが、A男とB男の死後、彼らのピストルを所有していたE男が農園技師を射殺した疑いが強いといわれている。
「銃を持つ者が和子をものにする権利を持つ」という絶対的な掟が、暗黙のうちに島を支配するようになっていた。殺るか殺られるか、まさに一触即発の空気が島全体に満ちていた。
その後、昭和24年2月までに海鳳丸の水夫長が崖から転落して死に、続いて曙丸の水夫長が食中毒を起こして死んだ。どちらも不審な死に方だったが、実は食中毒というのはサバイバル生活の天敵であり小野田少尉の自伝を読めば非文明社会においては病気と食中毒が何より怖いことがわかる。
そのような状況下、E男が不審な溺死を遂げる。
「大波にさらわれて行方不明になった」ということだったが、遺体はあがらなかった。
この異常な事態を収拾するべく、長老格のF男がある提案をした。
「和子さんに正式な夫を選んでもらい、みんなでこれを祝福して、もう一切邪魔はしないと約束しあおう。」
和子は内心、もう男はこりごりだと思っていたが、F男の提案を受け、しかたなく最初の駆け落ち相手であったD男を選んで結婚することにした。生き残った仲間たちは簡単な結婚式を行い2人を祝福した。
すべての元凶であるピストルは、皆で話し合った結果、2挺とも壊して海に沈めた。
昭和24年の秋、アメリカ軍が降伏を勧告するビラを撒いたが、依然彼らは敗戦を信じず、ビラを撒くのも度々上陸するのも、すべてアメリカ側の謀略だと思っていた。というもの当時、100km近く離れたサイパンでは不発弾の処理が行われており、その爆発音がアナタハン島まで届いていたため、まだ戦争が続いているものと思い込んでいたのである。猛烈な艦砲射撃を受けたサイパン島の不発弾は数千発以上に及んだと言われている。
翌年の昭和25年6月、サイパンからの爆発音がピタリと止んだ。
これにはさすがに皆、おかしいと話し合ったが、さりとて確認する勇気も手段もなかった。
そうこうしている内に、またアメリカ軍の船が島にやって来た。
この時、和子に天啓があったのか、それとも島での生活がほとほと嫌になったのか、いつものように逃げる皆とは反対に、和子だけは船に近づいて行った。そしてアメリカ軍兵士に救助され島から脱出した。
その船は確かにアメリカ軍が手配した船だったが、日本人も乗っており、アナタハン島の残留日本人救出の目的でやって来たものであった。救出された時、すでに和子は28歳になっていた。
救出船の日本人らと和子は置手紙と日本の新聞などを残していったが、それでもなお島に残った男たちは終戦を信じようとはしなかった。
それから2ヶ月後の8月、和子と結婚したものの結果的に置き去りにされたD男が病死した。
昭和26年1月、和子が前年7月にサイパンでD男宛に書いた手紙が海岸に届いていた。
同じ月、曙丸の船長が手首の大怪我がもとで敗血症を起こし命を落とした。
6月、アメリカの飛行艇がビラを撒いていった。
ビラには「2、3日中にご家族から皆さんへの手紙をお届けします。」と書いてあり、島にいる全員の氏名が書いてあった。数日後、手紙が届いた。マッカーサーと昭和天皇が並んで写っている新聞も一緒に届いて、男たちはやっと現実を受けとめ始めた。そしてこの手紙を積んで来た船に兵隊の1人が乗り込む決意をし、島を脱出した。
6月14日、男たちは、次にアメリカ軍が来たら投降しようと話し合った。
6月26日、アメリカ軍の飛行艇が再びビラを撒いた。男たちは白い布を振って出迎えた。
ビラには、「6月30日に迎えの船を差し向ける」と書いてあった。
6月30日 当日は、皆で髪を刈り、髭を剃り、身の回りのものを整理して迎えを待っていると、150mほどの沖に船が停泊し、ボートが岸にやってきた。
生き残った19人の男たちは、ついに丸7年間暮らしたアナタハン島に別れを告げたのである。
その彼らの表情は呪われた生活から解放された歓喜に満ちていた。
ところが帰国してみれば、和子の本来の夫は、何年も行方不明だった和子を死んだものと思い込み再婚していた。
兵助丸の乗組員の漁師だった男の妻も再婚していた。
同じく兵助丸の乗組員の男の妻は、男の実の弟と再婚して子供まで設けていた。
その他にも2人の帰国者の妻が再婚していた悲劇があった。
帰国の喜びもつかの間、事実を知った男たちは、その場でボロボロと涙をこぼし絶望したという。その後消息を絶った者までいた。
帰国後の昭和27年、アナタハン島での数奇な生活は、大々的に報道され、日本国内で空前の「アナタハンブーム」となり、和子のブロマイドが売れに売れた。
男たちはそれほど騒がれなかったが、和子は男を惑わす悪女として報道され、大衆の好奇の目に晒された。マスコミは和子を「女王蜂」と呼び、「アナタハンの毒婦」として猟奇的に扱った。
昭和28年、和子本人を主役にしたB級猟奇映画『アナタハン島の真相はこれだ』が公開される。
過去にも阿部定などが、自らをモデルにした芝居に出演するといったことはあったが、事実を伝えるどころか、猟奇的に脚色した映画に本人が出演した例は、この映画ぐらいのものである。
その後も和子は興行で日銭を稼ぎ、故郷沖縄に帰ると36歳で再婚した。52歳死去
正直それほど面白いとは思わなかったが、ヒロインに木村多江が抜擢されたことに違和感を覚えたのを記憶している。
さて、舞台となったアナタハン島は、サイパン島の北約117kmに位置する全長約9km、幅3.7km、面積約32平方km程度の小さな孤島である。
太平洋戦争の真っ只中の昭和19年6月12日、海軍に徴用された日本のカツオ漁船数隻に、それぞれ水兵2名、軍属の漁師8~9名が乗り組みサイパン付近を南下していたが、同日早朝、これらの船は米軍機に空から攻撃を受ける。これによって兵助丸と曙丸の二隻が沈没。
乗組員たちが命からがら泳ぎ着いた島が、このアナタハン島であった。
さらにこの時、同様に攻撃を受けて沈没したえびす丸の生存者を乗せた海鳳丸もアナタハン島にたどり着いた。しかし、この海鳳丸も翌日の空襲で焼失してしまい、兵隊10名、臨時徴用の船員21名、合計31人の男たちがアナタハン島に取り残された。
戦前から日本企業によるヤシ林の経営が行われていたアナタハン島には、70人ほどの原住民が暮らしていたが、ほかにも農園技師の男性1人とその部下(南洋興発栽培主任)の妻・比嘉和子(24歳)の2人の日本人が暮らしていた。
比嘉和子はパガン島でカフェの女給をしていた18歳の時に結婚し、22歳の時に南洋興発に勤める夫についてアナタハン島へ来たが、当時、夫は妹をパガン島に迎えに行ったまま空襲のためアナハタン島へ帰れなくなっており、消息が途絶えていた。
後日わかるが、この夫、勝手に和子が亡くなったと信じて戦後本土で再婚し子供まで作っている。
それはさておき孤島での心細い状況の中、農園技師と和子は徐々に親密な関係になっていた。
孤独な島での生活では無理からぬことであろう。
和子らは農園を持っていたが、さすがに30人もの男を食べさせるだけの余裕はなかった。
1ヶ月もすると食糧が底をついたため、男たちはグループに分かれて里芋の栽培などを始めた。彼らは生きるためにトカゲやコウモリ、ヤシガニなども捕って食べた。
皆、生きるのに必死で、食べ物を求めて駆けずりまわる毎日だった。
そんな中、暴風雨の中で作業中高波にさらわれた1人が海に転落し行方不明になる。
彼らが上陸してから1年後の昭和20年、7月中旬から約1ヶ月の間、アナタハン島は、ほぼ毎日空襲を受けていた。島にいた原住民らはアメリカ軍に連れていかれたり脱出したりして、いつの間にか1人残らず島からいなくなっていた。
昭和20年8月15日、戦争が終結したあとも終戦のニュースなど知る由もない彼らは、それまでと同じようにアメリカ軍の姿を見たら逃げるという生活を送っていた。
9月中旬にアメリカ軍のボートが海岸に近づき、拡声器を使って、「日本は降伏した。島に残留している者は速やかに投降し、アメリカ軍の船に乗船せよ」と呼びかけたが、誰一人として敗戦を信じようとしなかったという。
サイパンといえば多くの日本人が投身自殺したことで有名な土地である。彼らはアメリカ軍が鬼畜の悪魔だと本気で信じていた。
孤島の男30人と女1人は、島の西側にあるソンソンというヤシ林 → 東北の出張所というヤシ林 → 島の南側の市日工場と、海岸を沿いを順に引っ越しながら島での生活を続けた。
彼らの主食は、バナナ、里芋、砂糖きびで、原住民が置いていった種を撒いて育てた果物、海で捕った魚もよく食べた。他にもトカゲやヘビやネズミなど、食べられる物なら何でも食べた。
料理をする煙がアメリカ軍の目にとまると空襲を受けると恐れがあると思い込んでいたため、炊飯は朝に3食分まとめてしていたという。何をするにもアメリカ軍に見つからないよう細心の注意を払っていた。
時折アメリカ軍がやって来て上陸したが、いつもすぐに引き揚げていった。
アメリカ兵が帰ったあとで煙草の吸殻を拾うのが、当時の彼らにとっては何よりも楽しみだった。
つまり高波にさらわれた1人を除く全員が終戦まで無事に生き延びていたことになる。
この時点でアメリカ軍に投降していたら、全員が日本の土を踏めただろう。のちの悲劇も生まれなかったに違いない。しかし運命は彼らにそれを許さなかった。
もうしわけないがそれほど美人には見えない。そのあたりも木村多江に違和感を抱いた理由
徐々に飢える心配と空襲がなくなり、島の生活にも余裕が出てきた。
彼らは自家製のヤシ酒を作り、月夜には宴会をして楽しむこともあった。
しかし生命の危険から一致協力していたころと違い、次第に彼らの間に奇妙な空気が流れ始めた。
島でたった1人の女性である和子をめぐって、男たちが火花を散らしあうようになったのだ。
農園技師と和子が夫婦でないことが知れると、それにいっそう拍車がかかった。
身の危険を感じた和子は、助けを求めるかたちで農園技師と同棲しはじめたが、独占欲が強く、嫉妬深くなった農園技師は、和子が他の男と口をきいただけで殴る蹴るの暴力をふるうようになった。
終戦から半年経った昭和21年2月、兵助丸の船長が病死した。医者のいないアナハタン島ではちょっとした疾患でも致命傷になりえたのである。
同年8月、アメリカ軍の船がやって来たため山中に逃げ込んだ農園技師と和子は、墜落したB29の残骸を発見し、パラシュートと缶詰を回収する。思えば、これがすべての始まりであった。
その後、皆で墜落現場へ行き、パラシュート6個とガソリンタンク7個などを回収。パラシュートの布地で服を作ったり、ガソリンタンクを2つに切って鍋を作ったりしたが、その時、機体からナイフを作った者もいた。
また、A男とB男という2人組が、B29の残骸の中から壊れたピストル3挺と実弾70発を拾った。
2人組はそれらを解体・修理し、2挺のピストルを組み立てた。
集団のなかに一部だけ銃を所持する者がいる。その特異な雰囲気を読者も想像できるだろうか。
まもなく、2人組の片方と仲の悪かったC男という男が変死した。
「木から落ちたのが原因」ということだったが、2人組以外に目撃者はいなかった。
その後、農園技師の嫉妬に愛想をつかしていた和子は、D男という男と駆け落ちし、山中深くに逃げるが、所詮は狭い島である。結局、簡単に発見されて農園技師のもとに連れ戻された。
以来、男たちの和子争奪戦が激化する。
ピストル2人組の片割れであるA男は、あからさまに和子にベタベタするようになった。
ある日、A男が和子に「俺の女になれ。いやだと言うなら、農園技師を殺すぞ」と言った。
和子がそれを伝えると、農園技師は震え上がった。
これまでの嫉妬心はどこへやら、「俺は殺されたくない。あいつのところへ行け」と、和子に言った。そして、なぜかその後、農園技師、A男、B男、和子の4人で暮らすようになった。
つまり、和子は同時に3人の夫を持つ身になったのである。生きるためとはいえ女の身でそんな状況に陥った和子の心中は察するにあまりある。
しかし、そんないびつな生活が長続きするはずがなかった。
案の定、昭和22年の秋、ピストル2人組の間で仲間割れが起こり、B男がA男を射殺した。
翌、昭和23年、このままでは自分の身にも危険が及ぶと感じたのか、農園技師は、まるで品物のようにアッサリと和子をB男に譲り渡し身を引いた。
ところが、その3ヵ月後、B男が行方不明になった。
B男の失踪について、農園技師と和子は「B男は夜釣りをしていて海に落ちて死んだ。」と言ったが、泳ぎの達者なB男が海に落ちて死んだと信じた者はいなかった。現在でもB男の死因については不明である。
2人がB男を殺したという証拠はないが、目撃者が2人しかいないこと、B男の死後すぐに和子と農園技師がよりを戻していることなど、不審な点は多い。というより誰もそんなことを信じようとはしなかった。
さらに、それから半年ほどして、今度は農園技師が変死した。
和子とE男によると、「農園技師は食中毒で死んだ。」ということだったが、A男とB男の死後、彼らのピストルを所有していたE男が農園技師を射殺した疑いが強いといわれている。
「銃を持つ者が和子をものにする権利を持つ」という絶対的な掟が、暗黙のうちに島を支配するようになっていた。殺るか殺られるか、まさに一触即発の空気が島全体に満ちていた。
その後、昭和24年2月までに海鳳丸の水夫長が崖から転落して死に、続いて曙丸の水夫長が食中毒を起こして死んだ。どちらも不審な死に方だったが、実は食中毒というのはサバイバル生活の天敵であり小野田少尉の自伝を読めば非文明社会においては病気と食中毒が何より怖いことがわかる。
そのような状況下、E男が不審な溺死を遂げる。
「大波にさらわれて行方不明になった」ということだったが、遺体はあがらなかった。
この異常な事態を収拾するべく、長老格のF男がある提案をした。
「和子さんに正式な夫を選んでもらい、みんなでこれを祝福して、もう一切邪魔はしないと約束しあおう。」
和子は内心、もう男はこりごりだと思っていたが、F男の提案を受け、しかたなく最初の駆け落ち相手であったD男を選んで結婚することにした。生き残った仲間たちは簡単な結婚式を行い2人を祝福した。
すべての元凶であるピストルは、皆で話し合った結果、2挺とも壊して海に沈めた。
昭和24年の秋、アメリカ軍が降伏を勧告するビラを撒いたが、依然彼らは敗戦を信じず、ビラを撒くのも度々上陸するのも、すべてアメリカ側の謀略だと思っていた。というもの当時、100km近く離れたサイパンでは不発弾の処理が行われており、その爆発音がアナタハン島まで届いていたため、まだ戦争が続いているものと思い込んでいたのである。猛烈な艦砲射撃を受けたサイパン島の不発弾は数千発以上に及んだと言われている。
翌年の昭和25年6月、サイパンからの爆発音がピタリと止んだ。
これにはさすがに皆、おかしいと話し合ったが、さりとて確認する勇気も手段もなかった。
そうこうしている内に、またアメリカ軍の船が島にやって来た。
この時、和子に天啓があったのか、それとも島での生活がほとほと嫌になったのか、いつものように逃げる皆とは反対に、和子だけは船に近づいて行った。そしてアメリカ軍兵士に救助され島から脱出した。
その船は確かにアメリカ軍が手配した船だったが、日本人も乗っており、アナタハン島の残留日本人救出の目的でやって来たものであった。救出された時、すでに和子は28歳になっていた。
救出船の日本人らと和子は置手紙と日本の新聞などを残していったが、それでもなお島に残った男たちは終戦を信じようとはしなかった。
それから2ヶ月後の8月、和子と結婚したものの結果的に置き去りにされたD男が病死した。
昭和26年1月、和子が前年7月にサイパンでD男宛に書いた手紙が海岸に届いていた。
同じ月、曙丸の船長が手首の大怪我がもとで敗血症を起こし命を落とした。
6月、アメリカの飛行艇がビラを撒いていった。
ビラには「2、3日中にご家族から皆さんへの手紙をお届けします。」と書いてあり、島にいる全員の氏名が書いてあった。数日後、手紙が届いた。マッカーサーと昭和天皇が並んで写っている新聞も一緒に届いて、男たちはやっと現実を受けとめ始めた。そしてこの手紙を積んで来た船に兵隊の1人が乗り込む決意をし、島を脱出した。
6月14日、男たちは、次にアメリカ軍が来たら投降しようと話し合った。
6月26日、アメリカ軍の飛行艇が再びビラを撒いた。男たちは白い布を振って出迎えた。
ビラには、「6月30日に迎えの船を差し向ける」と書いてあった。
6月30日 当日は、皆で髪を刈り、髭を剃り、身の回りのものを整理して迎えを待っていると、150mほどの沖に船が停泊し、ボートが岸にやってきた。
生き残った19人の男たちは、ついに丸7年間暮らしたアナタハン島に別れを告げたのである。
その彼らの表情は呪われた生活から解放された歓喜に満ちていた。
ところが帰国してみれば、和子の本来の夫は、何年も行方不明だった和子を死んだものと思い込み再婚していた。
兵助丸の乗組員の漁師だった男の妻も再婚していた。
同じく兵助丸の乗組員の男の妻は、男の実の弟と再婚して子供まで設けていた。
その他にも2人の帰国者の妻が再婚していた悲劇があった。
帰国の喜びもつかの間、事実を知った男たちは、その場でボロボロと涙をこぼし絶望したという。その後消息を絶った者までいた。
帰国後の昭和27年、アナタハン島での数奇な生活は、大々的に報道され、日本国内で空前の「アナタハンブーム」となり、和子のブロマイドが売れに売れた。
男たちはそれほど騒がれなかったが、和子は男を惑わす悪女として報道され、大衆の好奇の目に晒された。マスコミは和子を「女王蜂」と呼び、「アナタハンの毒婦」として猟奇的に扱った。
昭和28年、和子本人を主役にしたB級猟奇映画『アナタハン島の真相はこれだ』が公開される。
過去にも阿部定などが、自らをモデルにした芝居に出演するといったことはあったが、事実を伝えるどころか、猟奇的に脚色した映画に本人が出演した例は、この映画ぐらいのものである。
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