1 / 1
1 プロローグ
しおりを挟む
意識が波のように揺らめく中、まず感じたのは、異質な明るさ。それは太陽でもなく、電気でもない、空間、いや世界そのものが発する光のようで。
瞼を通じて染み入るその輝きは、決して眩しくはない。というのに、確かな明度を感じる、そんな不思議なものだ。
「はーい、今回もお疲れ様!」
次いで。
どこから響いてくるのかも分からない声が、空間そのものから染み出すように届いた。それは男でも女でもない、まるで清らかな水が言葉を紡ぐかのような響きだった。
(このまま……眠って)
「おーきーてー!」
いや……清らかではない。耳障りだ。
抵抗するように、できるだけ、ゆっくりと。目を開けると、
(また、か……)
際限なく広がる白い空間。重力も方角も、時間さえも溶けてしまったような場所。そして、自分を見下ろす人の形を借りた何かが、揺らめきながら佇んでいた。
何度目だ。
「あ、おはよ。今回はどうだったー?」
「……」
「んー?」
「どうもこうもねぇよ。相変わらず最悪だったが。毎回、毎回、嫌な役ばかり押し付けてくる誰かさんのおかげでな」
覗き込んでくる、手のひらサイズの顔を押しのける。「うぐっ」と呻く声が聞こえてくるが関係ない。
こんな気分になるのも、全て目の前の存在が元凶なのだから。
「全く……。僕にこんな扱いするの君くらいだよ」
ぶぅ、と頬を膨らまし、子供らしい仕草で訴えてくるが、全く可愛くもない。
むしろ、苛立ちが湧き上がるだけだ。
「で、今度は何だ。悪役? 虐げられる奴? それとも初めから破滅するように仕組まれた人生か?」
なぜなのかは、いつからなのかは、もう分からない。
ただ、この不可解な存在の駒になって、果てしない世界を彷徨っては、その度に人々の負の感情を次々と身に降り積もらせてきた。まるで、絶望に染められるための生贄のように。
さっさと終わらせたい、その一心で口にした言葉だったが、目の前の奴にはお気に召さなかったらしい。大きな瞳をぱちくりさせながら、「気がはやーい! せっかくの再会なのにー、少しはお話しようよー」と、やたら無邪気な響きとともに、ぽこぽこと殴ってくる。
無視を決め込んでいれば、やっと刺激が止む。
代わりに――
「てか、君ってさー、元の自分って覚えてるのー?」
一段と低い、温度のない声が耳を刺す。
(は。元……?)
無数の記憶が幻影のように脳裏を掠める。幾度となく生まれ、最後はこの空間に戻ってきた。
覚えてはいないが、いずれもろくな死に方はしなかったろう。
では、どれが、本当の自分か。一番初めに死んだのは?
ここにいる、確かな実体を持っている己。それが基の自分なのだろうか。
もちろん鏡などないこの場所で、確認する手立ては一つだけ。目の前でふわりと漂う、あの存在の瞳に映ることだが――そこには光さえ吸収してしまいそうな、底知れぬ虚無があるのみ。
その瞳に映る姿を探しても、輪郭さえ曖昧で掴めない。
「まぁ、君を通して回収する負は中々美味しいから、僕的には、どうでもいいけどね」
己とは何なのか。
転生を繰り返す度に本質が剥がれ落ちていく。
「前々から思っていたんだが……。わざわざ俺を送り込むでなく、その世界の目ぼしい人間にお前がお告げでもしてやればいいだろ。絶望が喰いたいなら、戦争を起こせ、とかで」
「そんなに干渉できないって、教えたでしょー? それに……それは君が気にすることでもないよ。……なにより君は特別だしねっ!」
唇は緩やかに弧を描き、表面的には柔らかな笑みを湛えている。しかし、その目。目は完全に死んでいた。光も感情も、わずかな温かさも宿っていない。まるで氷の奥底に閉じ込められた、無機質な闇。
その視線は明確に語っている。
これ以上――
問うな。
知るな。
触れるな。
はっ、と軽く息を吐き捨てる。
「そんな特別いらねぇよ、ぜひとも辞退したい」
僅かにも抱いてしまった恐怖をかき消すように、強気に言葉を投げる。
瞬間――空間が僅かにゆがむ。
――と。眼前にいた存在は、一瞬で距離を詰め、温度のない指を首筋に這わせてきた。そして耳元で紡がれる言葉は、寒気を誘う蜃気楼のよう。
「もぅ、僕との契約忘れちゃったの? 君は僕の玩具なんだから、もっと楽しませてくれないと……。僕の満足いく形にならないと、ずーっとずーっと終われないよ」
声音は、ふわふわの絨毯のように柔らかく、けれど、底知れぬ闇を含んでいた。
「さ、君が集めた絶望を食べさせて」
頬を手のひらで包まれ。
――がりっ。
獣が、餌に喰らいつくように。口と口が合わさった。
奴の舌が、温度のない肉の塊のように無機質に動き回る。愛撫でも暴力でもない、ただの収奪。まるで魂の一部を抜き取るような、身体を超えた何かが進行している。
「抜かれる」――この感覚は、言葉では表現できない違和。何度やっても慣れることはない。
「そのきれいな顔貌が、歪む様をもっと見せてね」
指が、吐息が、顔をなぞっていく――。
(そもそも、こいつとの出会いだって……)
それを思い出そうとすれば、いつも真っ白な壁に遮られる。まるで意図的に消去されたかのように。
「さて」
満足したのか、少し離れた奴は、話題を変える。
「今回はねぇ、一言で言ってしまえば、憐れな王子様!」
(王子……?)
「何一つ与えられず、奪い続けられて、たった一つ大事にしたかったものさえも零れ落ちて、なーんにも守れずに無力に死んでいった王子様。絶望だけを残して死んでいった――――憐れできれいな彼」
(また、面倒な……)
「……彼を、正解の路に導いてね」
「じゃ、いってらっしゃーい!」
その言葉を最後に、視界は暗転した。
瞼を通じて染み入るその輝きは、決して眩しくはない。というのに、確かな明度を感じる、そんな不思議なものだ。
「はーい、今回もお疲れ様!」
次いで。
どこから響いてくるのかも分からない声が、空間そのものから染み出すように届いた。それは男でも女でもない、まるで清らかな水が言葉を紡ぐかのような響きだった。
(このまま……眠って)
「おーきーてー!」
いや……清らかではない。耳障りだ。
抵抗するように、できるだけ、ゆっくりと。目を開けると、
(また、か……)
際限なく広がる白い空間。重力も方角も、時間さえも溶けてしまったような場所。そして、自分を見下ろす人の形を借りた何かが、揺らめきながら佇んでいた。
何度目だ。
「あ、おはよ。今回はどうだったー?」
「……」
「んー?」
「どうもこうもねぇよ。相変わらず最悪だったが。毎回、毎回、嫌な役ばかり押し付けてくる誰かさんのおかげでな」
覗き込んでくる、手のひらサイズの顔を押しのける。「うぐっ」と呻く声が聞こえてくるが関係ない。
こんな気分になるのも、全て目の前の存在が元凶なのだから。
「全く……。僕にこんな扱いするの君くらいだよ」
ぶぅ、と頬を膨らまし、子供らしい仕草で訴えてくるが、全く可愛くもない。
むしろ、苛立ちが湧き上がるだけだ。
「で、今度は何だ。悪役? 虐げられる奴? それとも初めから破滅するように仕組まれた人生か?」
なぜなのかは、いつからなのかは、もう分からない。
ただ、この不可解な存在の駒になって、果てしない世界を彷徨っては、その度に人々の負の感情を次々と身に降り積もらせてきた。まるで、絶望に染められるための生贄のように。
さっさと終わらせたい、その一心で口にした言葉だったが、目の前の奴にはお気に召さなかったらしい。大きな瞳をぱちくりさせながら、「気がはやーい! せっかくの再会なのにー、少しはお話しようよー」と、やたら無邪気な響きとともに、ぽこぽこと殴ってくる。
無視を決め込んでいれば、やっと刺激が止む。
代わりに――
「てか、君ってさー、元の自分って覚えてるのー?」
一段と低い、温度のない声が耳を刺す。
(は。元……?)
無数の記憶が幻影のように脳裏を掠める。幾度となく生まれ、最後はこの空間に戻ってきた。
覚えてはいないが、いずれもろくな死に方はしなかったろう。
では、どれが、本当の自分か。一番初めに死んだのは?
ここにいる、確かな実体を持っている己。それが基の自分なのだろうか。
もちろん鏡などないこの場所で、確認する手立ては一つだけ。目の前でふわりと漂う、あの存在の瞳に映ることだが――そこには光さえ吸収してしまいそうな、底知れぬ虚無があるのみ。
その瞳に映る姿を探しても、輪郭さえ曖昧で掴めない。
「まぁ、君を通して回収する負は中々美味しいから、僕的には、どうでもいいけどね」
己とは何なのか。
転生を繰り返す度に本質が剥がれ落ちていく。
「前々から思っていたんだが……。わざわざ俺を送り込むでなく、その世界の目ぼしい人間にお前がお告げでもしてやればいいだろ。絶望が喰いたいなら、戦争を起こせ、とかで」
「そんなに干渉できないって、教えたでしょー? それに……それは君が気にすることでもないよ。……なにより君は特別だしねっ!」
唇は緩やかに弧を描き、表面的には柔らかな笑みを湛えている。しかし、その目。目は完全に死んでいた。光も感情も、わずかな温かさも宿っていない。まるで氷の奥底に閉じ込められた、無機質な闇。
その視線は明確に語っている。
これ以上――
問うな。
知るな。
触れるな。
はっ、と軽く息を吐き捨てる。
「そんな特別いらねぇよ、ぜひとも辞退したい」
僅かにも抱いてしまった恐怖をかき消すように、強気に言葉を投げる。
瞬間――空間が僅かにゆがむ。
――と。眼前にいた存在は、一瞬で距離を詰め、温度のない指を首筋に這わせてきた。そして耳元で紡がれる言葉は、寒気を誘う蜃気楼のよう。
「もぅ、僕との契約忘れちゃったの? 君は僕の玩具なんだから、もっと楽しませてくれないと……。僕の満足いく形にならないと、ずーっとずーっと終われないよ」
声音は、ふわふわの絨毯のように柔らかく、けれど、底知れぬ闇を含んでいた。
「さ、君が集めた絶望を食べさせて」
頬を手のひらで包まれ。
――がりっ。
獣が、餌に喰らいつくように。口と口が合わさった。
奴の舌が、温度のない肉の塊のように無機質に動き回る。愛撫でも暴力でもない、ただの収奪。まるで魂の一部を抜き取るような、身体を超えた何かが進行している。
「抜かれる」――この感覚は、言葉では表現できない違和。何度やっても慣れることはない。
「そのきれいな顔貌が、歪む様をもっと見せてね」
指が、吐息が、顔をなぞっていく――。
(そもそも、こいつとの出会いだって……)
それを思い出そうとすれば、いつも真っ白な壁に遮られる。まるで意図的に消去されたかのように。
「さて」
満足したのか、少し離れた奴は、話題を変える。
「今回はねぇ、一言で言ってしまえば、憐れな王子様!」
(王子……?)
「何一つ与えられず、奪い続けられて、たった一つ大事にしたかったものさえも零れ落ちて、なーんにも守れずに無力に死んでいった王子様。絶望だけを残して死んでいった――――憐れできれいな彼」
(また、面倒な……)
「……彼を、正解の路に導いてね」
「じゃ、いってらっしゃーい!」
その言葉を最後に、視界は暗転した。
0
お気に入りに追加
2
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
マジで婚約破棄される5秒前〜婚約破棄まであと5秒しかありませんが、じゃあ悪役令息は一体どうしろと?〜
明太子
BL
公爵令息ジェーン・アンテノールは初恋の人である婚約者のウィリアム王太子から冷遇されている。
その理由は彼が侯爵令息のリア・グラマシーと恋仲であるため。
ジェーンは婚約者の心が離れていることを寂しく思いながらも卒業パーティーに出席する。
しかし、その場で彼はひょんなことから自身がリアを主人公とした物語(BLゲーム)の悪役だと気付く。
そしてこの後すぐにウィリアムから婚約破棄されることも。
婚約破棄まであと5秒しかありませんが、じゃあ一体どうしろと?
シナリオから外れたジェーンの行動は登場人物たちに思わぬ影響を与えていくことに。
※小説家になろうにも掲載しております。
婚約者に会いに行ったらば
龍の御寮さん
BL
王都で暮らす婚約者レオンのもとへと会いに行ったミシェル。
そこで見たのは、レオンをお父さんと呼ぶ子供と仲良さそうに並ぶ女性の姿。
ショックでその場を逃げ出したミシェルは――
何とか弁解しようするレオンとなぜか記憶を失ったミシェル。
そこには何やら事件も絡んできて?
傷つけられたミシェルが幸せになるまでのお話です。
転生貧乏貴族は王子様のお気に入り!実はフリだったってわかったのでもう放してください!
音無野ウサギ
BL
ある日僕は前世を思い出した。下級貴族とはいえ王子様のお気に入りとして毎日楽しく過ごしてたのに。前世の記憶が僕のことを駄目だしする。わがまま駄目貴族だなんて気づきたくなかった。王子様が優しくしてくれてたのも実は裏があったなんて気づきたくなかった。品行方正になるぞって思ったのに!
え?王子様なんでそんなに優しくしてくるんですか?ちょっとパーソナルスペース!!
調子に乗ってた貧乏貴族の主人公が慎ましくても確実な幸せを手に入れようとジタバタするお話です。
雫
ゆい
BL
涙が落ちる。
涙は彼に届くことはない。
彼を想うことは、これでやめよう。
何をどうしても、彼の気持ちは僕に向くことはない。
僕は、その場から音を立てずに立ち去った。
僕はアシェル=オルスト。
侯爵家の嫡男として生まれ、10歳の時にエドガー=ハルミトンと婚約した。
彼には、他に愛する人がいた。
世界観は、【夜空と暁と】と同じです。
アルサス達がでます。
【夜空と暁と】を知らなくても、これだけで読めます。
随時更新です。
転生するにしても、これは無いだろ! ~死ぬ間際に読んでいた小説の悪役に転生しましたが、自分を殺すはずの最強主人公が逃がしてくれません~
槿 資紀
BL
駅のホームでネット小説を読んでいたところ、不慮の事故で電車に撥ねられ、死んでしまった平凡な男子高校生。しかし、二度と目覚めるはずのなかった彼は、死ぬ直前まで読んでいた小説に登場する悪役として再び目覚める。このままでは、自分のことを憎む最強主人公に殺されてしまうため、何とか逃げ出そうとするのだが、当の最強主人公の態度は、小説とはどこか違って――――。
最強スパダリ主人公×薄幸悪役転生者
R‐18展開は今のところ予定しておりません。ご了承ください。
前世の記憶を思い出した皇子だけど皇帝なんて興味ねえんで魔法陣学究めます
当意即妙
BL
ハーララ帝国第四皇子であるエルネスティ・トゥーレ・タルヴィッキ・ニコ・ハーララはある日、高熱を出して倒れた。数日間悪夢に魘され、目が覚めた彼が口にした言葉は……
「皇帝なんて興味ねえ!俺は魔法陣究める!」
天使のような容姿に有るまじき口調で、これまでの人生を全否定するものだった。
* * * * * * * * *
母親である第二皇妃の傀儡だった皇子が前世を思い出して、我が道を行くようになるお話。主人公は研究者気質の変人皇子で、お相手は真面目な専属護衛騎士です。
○注意◯
・基本コメディ時折シリアス。
・健全なBL(予定)なので、R-15は保険。
・最初は恋愛要素が少なめ。
・主人公を筆頭に登場人物が変人ばっかり。
・本来の役割を見失ったルビ。
・おおまかな話の構成はしているが、基本的に行き当たりばったり。
エロエロだったり切なかったりとBLには重い話が多いなと思ったので、ライトなBLを自家供給しようと突発的に書いたお話です。行き当たりばったりの展開が作者にもわからないお話ですが、よろしくお願いします。
2020/09/05
内容紹介及びタグを一部修正しました。
竜王妃は家出中につき
ゴルゴンゾーラ安井
BL
竜人の国、アルディオンの王ジークハルトの后リディエールは、か弱い人族として生まれながら王の唯一の番として150年竜王妃としての努めを果たしてきた。
2人の息子も王子として立派に育てたし、娘も3人嫁がせた。
これからは夫婦水入らずの生活も視野に隠居を考えていたリディエールだったが、ジークハルトに浮気疑惑が持ち上がる。
帰れる実家は既にない。
ならば、選択肢は一つ。
家出させていただきます!
元冒険者のリディが王宮を飛び出して好き勝手大暴れします。
本編完結しました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる