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1 プロローグ

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 意識が波のように揺らめく中、まず感じたのは、異質な明るさ。それは太陽でもなく、電気でもない、空間、いや世界そのものが発する光のようで。
 瞼を通じて染み入るその輝きは、決して眩しくはない。というのに、確かな明度を感じる、そんな不思議なものだ。


「はーい、今回もお疲れ様!」
 次いで。
 どこから響いてくるのかも分からない声が、空間そのものから染み出すように届いた。それは男でも女でもない、まるで清らかな水が言葉を紡ぐかのような響きだった。
(このまま……眠って)

「おーきーてー!」
 いや……清らかではない。耳障りだ。
 抵抗するように、できるだけ、ゆっくりと。目を開けると、
(また、か……)
 際限なく広がる白い空間。重力も方角も、時間さえも溶けてしまったような場所。そして、自分を見下ろす人の形を借りた何かが、揺らめきながら佇んでいた。
 
 何度目だ。


「あ、おはよ。今回はどうだったー?」
「……」
「んー?」
「どうもこうもねぇよ。相変わらず最悪だったが。毎回、毎回、嫌な役ばかり押し付けてくる誰かさんのおかげでな」
 覗き込んでくる、手のひらサイズの顔を押しのける。「うぐっ」と呻く声が聞こえてくるが関係ない。
 こんな気分になるのも、全て目の前の存在が元凶なのだから。
「全く……。僕にこんな扱いするの君くらいだよ」

 ぶぅ、と頬を膨らまし、子供らしい仕草で訴えてくるが、全く可愛くもない。
 むしろ、苛立ちが湧き上がるだけだ。


「で、今度は何だ。悪役? 虐げられる奴? それとも初めから破滅するように仕組まれた人生か?」
 なぜなのかは、いつからなのかは、もう分からない。
 ただ、この不可解な存在の駒になって、果てしない世界を彷徨っては、その度に人々の負の感情を次々と身に降り積もらせてきた。まるで、絶望に染められるための生贄のように。
 さっさと終わらせたい、その一心で口にした言葉だったが、目の前の奴にはお気に召さなかったらしい。大きな瞳をぱちくりさせながら、「気がはやーい! せっかくの再会なのにー、少しはお話しようよー」と、やたら無邪気な響きとともに、ぽこぽこと殴ってくる。
 
 無視を決め込んでいれば、やっと刺激が止む。
 代わりに――
 
 


「てか、君ってさー、元の自分って覚えてるのー?」
 一段と低い、温度のない声が耳を刺す。

(は。元……?)
 無数の記憶が幻影のように脳裏を掠める。幾度となく生まれ、最後はこの空間に戻ってきた。
 覚えてはいないが、いずれもろくな死に方はしなかったろう。

 では、どれが、本当の自分か。一番初めに死んだのは?
 ここにいる、確かな実体を持っている己。それが基の自分なのだろうか。

 もちろん鏡などないこの場所で、確認する手立ては一つだけ。目の前でふわりと漂う、あの存在の瞳に映ることだが――そこには光さえ吸収してしまいそうな、底知れぬ虚無があるのみ。
 その瞳に映る姿を探しても、輪郭さえ曖昧で掴めない。
「まぁ、君を通して回収する負は中々美味しいから、僕的には、どうでもいいけどね」

 己とは何なのか。
 転生を繰り返す度に本質が剥がれ落ちていく。


「前々から思っていたんだが……。わざわざ俺を送り込むでなく、その世界の目ぼしい人間にお前がお告げでもしてやればいいだろ。絶望が喰いたいなら、戦争を起こせ、とかで」
「そんなに干渉できないって、教えたでしょー? それに……それは君が気にすることでもないよ。……なにより君は特別だしねっ!」
 唇は緩やかに弧を描き、表面的には柔らかな笑みを湛えている。しかし、その目。目は完全に死んでいた。光も感情も、わずかな温かさも宿っていない。まるで氷の奥底に閉じ込められた、無機質な闇。

 その視線は明確に語っている。
 これ以上――
 問うな。
 知るな。
 触れるな。


 はっ、と軽く息を吐き捨てる。
「そんな特別いらねぇよ、ぜひとも辞退したい」
 僅かにも抱いてしまった恐怖をかき消すように、強気に言葉を投げる。


 瞬間――空間が僅かにゆがむ。
 ――と。眼前にいた存在は、一瞬で距離を詰め、温度のない指を首筋に這わせてきた。そして耳元で紡がれる言葉は、寒気を誘う蜃気楼のよう。
「もぅ、僕との契約忘れちゃったの? 君は僕の玩具ものなんだから、もっと楽しませてくれないと……。僕の満足いく形にならないと、ずーっとずーっと終われないよ」
 声音は、ふわふわの絨毯のように柔らかく、けれど、底知れぬ闇を含んでいた。



「さ、君が集めた絶望を食べさせて」
 頬を手のひらで包まれ。
 
 ――がりっ。

 獣が、餌に喰らいつくように。口と口が合わさった。
 奴の舌が、温度のない肉の塊のように無機質に動き回る。愛撫でも暴力でもない、ただの収奪。まるで魂の一部を抜き取るような、身体を超えた何かが進行している。
「抜かれる」――この感覚は、言葉では表現できない違和。何度やっても慣れることはない。


「そのきれいな顔貌かんばせが、歪む様をもっと見せてね」
 指が、吐息が、顔をなぞっていく――。

(そもそも、こいつとの出会いだって……)
 それを思い出そうとすれば、いつも真っ白な壁に遮られる。まるで意図的に消去されたかのように。

「さて」
 満足したのか、少し離れた奴は、話題を変える。
「今回はねぇ、一言で言ってしまえば、憐れな王子様!」
(王子……?)

「何一つ与えられず、奪い続けられて、たった一つ大事にしたかったものさえも零れ落ちて、なーんにも守れずに無力に死んでいった王子様。絶望だけを残して死んでいった――――憐れできれいな彼」
(また、面倒な……)



「……彼を、正解の路に導いてね」


「じゃ、いってらっしゃーい!」
 その言葉を最後に、視界は暗転した。
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