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最終章其の二 江戸へ
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場所は信濃 下前田城下 宿場遊郭《花籠楼》の一室。
遊女を取らず 禿一人に相手をさせている猟師の男がいた。
「駒…今宵其方を連れてこの下前田を出奔致す事にした」
男の表情は普段と全く変わらない。
出奔という言葉の響きになにやら危険をはらんでいるように聞こえた禿の駒は返事ができないでいた。
「駒は心配しなくてよい、私の云うとおり動けばいいだけだ」
ゆるりと盃の酒を口に運びながら猟師の男 、駒が小さい頃から親しんでいた弥比古を見つめる事しか出来なかった。
遊郭で禿を抱くのは御法度だったが、側で飲食の相手は花魁の馴染み客であれば可能だった。
夜もふけ、廓のあちこちの座敷の燈も消えた明方
…「そこに控えしは、御公儀御庭番衆の御方か…」
弥比古は天井に、向かって声をかけた。
すると 天井板が滑るように外れ音もなく忍び装束の男が降り降りて弥比古の目の前に現れた。
「いかにも、拙者 御公儀御庭番 新田左馬之助と申す者。下前田藩藩主御落胤 龍之介様と…ご推察申し上げまする」
新田左馬之助は弥比古の前で深々と座礼し頭を上げる事はしない。
「ご推察通り、我は下前田の藩主に忘れ去られし存在…御公儀が我等のなす事全てご存知であるならば、抵抗はいたしますまい。そこで新田殿に伏してお願い申したき義が御座る。」
弥比古が新田左馬之助に面を上げるように促すと、左馬之助は初めて弥比古の顔に視線を向け、
「御意、差し出がましきは承知の上で 龍之介様はもしや、元神鶴藩士猿渡殿が、忘れがたみ 〝お駒様〟の先行き安堵の頼み事ではござらぬか?」
「そっ、そこまで…御承知とは…恐れ入り奉ります」
弥比古が新田左馬之助に対して深々と座礼した。
「龍之介様 公方様は 龍之介様はじめ神鶴藩浪士の方々のお働き逐一御承知。また奥越藩由宇姫様の神隠し騒動の黒幕 下前田藩江戸家老岩井弾膳既に囚われ 南町奉行所座敷牢にて詮議の最中。
なれど、幕閣も、決定的な岩井の悪事の証拠に欠けているのが現状…龍之介様、お駒様御二方には、無事に江戸城までお連れするのが、此度我等御庭番への上様直々のご指示。どうかこの左馬之助を、お信じくだされ今よりこの廓からお連れ申し上げたく候」
「新田殿…有難きお申し出、此度は我等稚拙な試み、こうなれば、我が身を、賭して上様に我が神鶴藩同士の命乞い、お家安泰を願いとうございまする。」
「御意…まずは、此処を疑われる事なく出なければいけませぬ、下前田御城下 江戸表の異変気付けし岩井の手の者も動きだしているやもしれませぬ。」
東の空が白み始め 信濃盆地の四方の切り立った山々に眩いばかりの、黄金色の光りが四方八方に降り注いだ。
早朝の靄が、立ち込める花籠楼見世表に手桶で散水する若衆 広い間口の土間を履き清め 欅の一枚板を張り巡らした廊下を拭き掃除する下働きの女中達
塩壺を小脇に抱えて見世表にパッパッと塩を撒く遣手婆 夜の営みで休んでいる遊女が目覚める頃にはまたその夜がやってくる。
昼を過ぎた頃 弥比古は《花籠楼》を出立した。
旅支度し下前田城下を宿場追分に向かい歩きだした。
弥比古とすれ違いに籠かき二籠と町人髷 上田縞の絹の羽織着物姿のいなせな男が二人花籠楼の見世表に入って行った。
見世の表の往来では滅多に見る事ない豪華な籠、二台がどんと置かれ宿場町の人々が物珍しさに集まったかと思うとあっと云う間に人垣で溢れかえった。
見世表の喧騒で何事かと 楼主人が帳場から出てくると、広い土間の真ん中に高級な絹の上田縞をいなせに着こなした町人髷の男二人が立っていた。
楼主が、
「こっ、これは、これは何方の大店のご主人様でございますか?」
と揉み手 膝折の姿勢で客に挨拶を仕掛けた。
並び立った二人のうち、躰も、しなやかで細面の美男が、
「花籠楼のご主人様ですか? 手前江戸日本橋薬種問屋《大和屋》の手代正助と、申します。脇に控えております者は同じく手代の松吉
此度は、急な用向きを、主人大和屋郡右衛門より言付かりこうして八十里を、籠をしつらえ来させていただきました。」
「日本橋大和屋さんと、言えば幕府御用の日本一の薬種問屋…はてさて、このような田舎の廓にどのような御用向きで…」
花籠楼主は 名前だけしか知らないが日本全国つづ浦々まで名前の通った薬種問屋大和屋の用向きに察しすらつかなかった。
「実は、此方でお世話されている禿の駒と言われる童女…おられますでしょうか…」
「はぁ 駒なら確かにうちの禿の1人ですが、その駒が何か…」
楼主はますます困惑してきた。
「実は 先だって同じ日本橋越後屋さんがお迎えになった近江の木村様御内儀…もと若羽木花魁のお話しを伺いまして、実は手前ども郡右衛門にも数年前1人娘のお嬢様が拐かされそれっきり行方知れず。郡右衛門が越後屋さんと若羽木さんから聞きつけた話しからひょっとしたら我が子かも知れないと…手前共主人 有無も言わさぬ勢いで私ども二人を差し向けた次第」
「ちょっと、お待ちくだい… 駒は確かに若羽木縁のものなれど、御城下町外れの《三笠屋》さんと言う宿場女郎を抱えた旅籠で下働きしていた童。その童女が拐かされて三笠屋さんで奉公していたと…」
楼主は…はて困ったと眉間に深く皺を寄せて考え込んでしまった。
「楼主さん、花籠楼には何の落ち度もありゃしません、しかし
手前共で調べたところ、三笠屋はどうも人攫いから童女ばかりを買い漁り、遊女に仕立てて荒稼ぎしている由、既に御城下奉行所が詮議始めていると、聴いております。」
慌てた楼主は
「では、うちの店にもそのうち役人の詮議が入る事もあるやも…しれぬと言う事ですか?」
「いえ、手前共はその前に お駒様を引き取らせていただきたく馳せ参じた次第、主人大和屋郡右衛門は 花籠楼さんの言い値で遺恨なく娘を引き取ってくるようにと…」
「とっとんでもございません!三笠屋の件先にお知らせ下さり その上三笠屋から見世変えした駒をお引き取り頂けるとは、渡りに船、どうぞお駒をお連れくださりませっ」
楼主は三笠屋の件でとばっちりを受けては大変とばかりに番頭に駒を連れて来させ 駒が嫌がるのもきかず無理矢理大和屋手代に引き渡した。
その後も 番頭に三笠屋から見世変えしたお幸も急いで給金を持たせて里に帰させる段取りを伝えた。
しばらくして下前田城下町外れ 三笠屋は店表を板で封鎖され取り潰しの沙汰が下された。
中山道追分宿 《あぶら屋》で、宿をとり新田左馬之助と膳を囲み下前田御落胤として上座に、座した水埜彦四郎に左馬之助が徳利を傾けていた。
「龍之介様には既に三笠屋で私の素性見破られていたによし、誠に不甲斐ない有様でした。」
「新田殿 龍之介は辞めてもらえまいか、せめて江戸表での評定までは水埜 もしくは彦四郎とお呼びくだされ…」
彦四郎は新田左馬之助に返盃する。
「かたじけない、我等御公儀御役目中につき、晴れてお役御免の暁には是非とも、彦四郎様の御返盃いただきとうござります。」
「わかり申した、しかし同じ侍とは言え方や新公方様の懐刀 引き換え私はしがない浪士、明日をも知れぬ命なれど、神命に誓ってやり遂げなければならぬ事があり申す。」
彦四郎は今までの陰のような暮らしを思い浮かべながら盃を傾けた。
「色々とご不安な事 ござりましょうが、我が殿…嫌、我が上様は決してお見捨てになるような御方ではござりませぬ」
新田左馬之助は表情を和らげ柔和な笑みを浮かべた。
「新田殿は 三笠屋で紀州の出と自出を語られておったが…」
彦四郎は新田左馬之助の生い立ちに興味を持った。
「左様でございます。紀州長田観音前に捨て置かれし捨て子でござる。たまたま根来寺の僧侶が長田観音を訪れていて我を拾いあげ根来にて育ち申した。周りは太閤秀吉に焼き討ちされてはいたが皆百姓に身をやつして根来衆の血を守り通しておりました。それは西の雑賀の一族とて同じ。ただし、紀州が徳川の御代になり陰の者は伊賀 甲賀が主流とあいなって、長きにわたり日の目を見ずにひたすら百姓農民、漁師に、身をやつして耐えてまいりました。しかし、紀州もお代替わりが進み光貞公四男頼方様が紀州藩主に、おなりになるや我等根来衆 雑賀の者共がやっと、日の当たる表舞台に出る事叶い申した。」
新田左馬之助は感慨深げに宙を見上げた。
「四男?頼方様…つまりは今将軍吉宗公…」
彦四郎は新田左馬之助や吉宗の自出が決して恵まれたものではない事を改めて知った。
「左様…それまで我が上様 四男部屋住みの身の上、良く根来にもお忍びでお越し申され、我が育ての親 僧侶覚然に鉄砲の指南を乞うておりました。」
「僧侶が鉄砲と…」
彦四郎は左馬之助の話しにいつしか聞き入ってしまっていた。
「御意…元々紀州は南西に南海の大海原北に堺大阪京、東に向かえば伊賀 伊勢と東西南北に開けし土地柄 特に航路が発達し早くから南蛮貿易が民百姓の底辺で行われておりました。
おそらくは種子島の次は紀州に鉄砲が伝わったやもしれません。その証拠に信長様長篠の合戦前には既に紀州雑賀が鉄砲軍を有しておりました。我等根来は 信長公叡山焼き討ち 本願寺門徒皆殺しの報を、受け総門一致で兵力を蓄え来る信長襲来に備えて参った所存。上様はその力を紀州の宝じゃとおっしゃって、我等根来衆や雑賀のめぼしき民を武家に取り立てて下さいました」
「なんとっ 武家諸法度士農工商を度外視したのですか?」
彦四郎は吉宗の藩政に度肝を抜かれた。
「左様 かくゆう私め 氏素性卑しき出ながら上様に見出され紀州時代は鉄砲組の藩主護衛のお役目賜りました。のちに 紀州独自の陰の者集団薬込め役が設けられ 江戸表はもとより御三家 諸藩の内情は逐一紀州の上様にご報告されておりました。御公儀よりも諸藩の内情に詳しかったのは紀州かも知れませぬ。」
…新公方様 どの様な御方であらせられるのか…
閉まっている障子戸越しに
「新田様…ただいま戻りました。御指図どおり守備良く花籠楼より姫様お救い申し上げて参りました。」
追分宿《あぶら家》座敷に新田左馬之助配下の者が駒を連れ出す事に成功し戻って来た。
「執着 姫をこれへ…」
障子戸が開け放たれ 彦四郎が贈った真っ赤な絹縮緬一面に桜吹雪が舞い上がる図柄の振袖を着た禿姿の駒が正座していた。
「お駒っ」
「おんつぁん!」
駒は振り袖をひらひら泳がせ 萩から貰った小鈴を細工した銀簪をキラキラたなびかせながら彦四郎の懐に飛び込んだっ
頭が動くたびに小鈴の音色が座敷に響きわたり、思わず御庭番衆の三人も表情が和らいだ。
しかし、猶予はない。江戸表では既に下前田藩江戸家老岩井弾膳の詮議が長引くなか 神鶴藩藩主奥方於勢の方と神鶴藩国家老国部伊織が唐丸籠で江戸表まで護送されていた。
「お駒、よく聴くんだ。お前はもう十にもなった立派な女子(おなご)だ。これから私とこちらの公方様御家来衆と江戸へ一緒に向かう。江戸に入ったら途中から私と向かう先が違うかも知れないが心配は一切要らない。わかるな?」
懐に滑り込んだお駒の背中を撫でながら優しく言い聞かせると、コクリと頷き
「比古さん…萩姉ちゃんは買われていっちまったよ、おらとずっと一緒に居るって言ってたのに、お父っつぁんもおっ母さんも何処へいっちまったんだ…絶対会えるよな…な…比古さん…」
「ああ 必ず会えるよ、江戸に着くと途中で私は駒と違う所に行かなければいけない。しかし、駒は一切心配する必要は無いんだよ、こちらにいる公方様の御家来衆が駒の面倒を暫くの間しっかりみてくださる。そこで私や萩を待っててくれないか?」
この時、公方様の御差配次第では今生で駒に会う事は無いかも知れないと彦四郎は腹を括っていた。
「駒姫様…姫様の事はこの新田左馬之助が 水埜彦四郎様になり代わり必ずやお父上様と御面会叶うよう、公方様にお願い申し上げまする」
左馬之助はこの見目麗しく成長された由宇姫様の忘形見の姫を何としても、実父前田利章公と引き合わせなければならないと心に誓った。
……其れにしても、猿渡頼母、水埜彦四郎はじめ神鶴藩浪士 よくぞ駒姫様無傷で岩井等から守りとうされた…由宇姫様もさぞかしお苦しみなされた事であろう…このお裁きけっして水埜様御一同に罪なき事明らかにせねばならぬっ…
左馬之助の脇に控えていた御庭番衆二人も左馬之助同様の思いだった
遊女を取らず 禿一人に相手をさせている猟師の男がいた。
「駒…今宵其方を連れてこの下前田を出奔致す事にした」
男の表情は普段と全く変わらない。
出奔という言葉の響きになにやら危険をはらんでいるように聞こえた禿の駒は返事ができないでいた。
「駒は心配しなくてよい、私の云うとおり動けばいいだけだ」
ゆるりと盃の酒を口に運びながら猟師の男 、駒が小さい頃から親しんでいた弥比古を見つめる事しか出来なかった。
遊郭で禿を抱くのは御法度だったが、側で飲食の相手は花魁の馴染み客であれば可能だった。
夜もふけ、廓のあちこちの座敷の燈も消えた明方
…「そこに控えしは、御公儀御庭番衆の御方か…」
弥比古は天井に、向かって声をかけた。
すると 天井板が滑るように外れ音もなく忍び装束の男が降り降りて弥比古の目の前に現れた。
「いかにも、拙者 御公儀御庭番 新田左馬之助と申す者。下前田藩藩主御落胤 龍之介様と…ご推察申し上げまする」
新田左馬之助は弥比古の前で深々と座礼し頭を上げる事はしない。
「ご推察通り、我は下前田の藩主に忘れ去られし存在…御公儀が我等のなす事全てご存知であるならば、抵抗はいたしますまい。そこで新田殿に伏してお願い申したき義が御座る。」
弥比古が新田左馬之助に面を上げるように促すと、左馬之助は初めて弥比古の顔に視線を向け、
「御意、差し出がましきは承知の上で 龍之介様はもしや、元神鶴藩士猿渡殿が、忘れがたみ 〝お駒様〟の先行き安堵の頼み事ではござらぬか?」
「そっ、そこまで…御承知とは…恐れ入り奉ります」
弥比古が新田左馬之助に対して深々と座礼した。
「龍之介様 公方様は 龍之介様はじめ神鶴藩浪士の方々のお働き逐一御承知。また奥越藩由宇姫様の神隠し騒動の黒幕 下前田藩江戸家老岩井弾膳既に囚われ 南町奉行所座敷牢にて詮議の最中。
なれど、幕閣も、決定的な岩井の悪事の証拠に欠けているのが現状…龍之介様、お駒様御二方には、無事に江戸城までお連れするのが、此度我等御庭番への上様直々のご指示。どうかこの左馬之助を、お信じくだされ今よりこの廓からお連れ申し上げたく候」
「新田殿…有難きお申し出、此度は我等稚拙な試み、こうなれば、我が身を、賭して上様に我が神鶴藩同士の命乞い、お家安泰を願いとうございまする。」
「御意…まずは、此処を疑われる事なく出なければいけませぬ、下前田御城下 江戸表の異変気付けし岩井の手の者も動きだしているやもしれませぬ。」
東の空が白み始め 信濃盆地の四方の切り立った山々に眩いばかりの、黄金色の光りが四方八方に降り注いだ。
早朝の靄が、立ち込める花籠楼見世表に手桶で散水する若衆 広い間口の土間を履き清め 欅の一枚板を張り巡らした廊下を拭き掃除する下働きの女中達
塩壺を小脇に抱えて見世表にパッパッと塩を撒く遣手婆 夜の営みで休んでいる遊女が目覚める頃にはまたその夜がやってくる。
昼を過ぎた頃 弥比古は《花籠楼》を出立した。
旅支度し下前田城下を宿場追分に向かい歩きだした。
弥比古とすれ違いに籠かき二籠と町人髷 上田縞の絹の羽織着物姿のいなせな男が二人花籠楼の見世表に入って行った。
見世の表の往来では滅多に見る事ない豪華な籠、二台がどんと置かれ宿場町の人々が物珍しさに集まったかと思うとあっと云う間に人垣で溢れかえった。
見世表の喧騒で何事かと 楼主人が帳場から出てくると、広い土間の真ん中に高級な絹の上田縞をいなせに着こなした町人髷の男二人が立っていた。
楼主が、
「こっ、これは、これは何方の大店のご主人様でございますか?」
と揉み手 膝折の姿勢で客に挨拶を仕掛けた。
並び立った二人のうち、躰も、しなやかで細面の美男が、
「花籠楼のご主人様ですか? 手前江戸日本橋薬種問屋《大和屋》の手代正助と、申します。脇に控えております者は同じく手代の松吉
此度は、急な用向きを、主人大和屋郡右衛門より言付かりこうして八十里を、籠をしつらえ来させていただきました。」
「日本橋大和屋さんと、言えば幕府御用の日本一の薬種問屋…はてさて、このような田舎の廓にどのような御用向きで…」
花籠楼主は 名前だけしか知らないが日本全国つづ浦々まで名前の通った薬種問屋大和屋の用向きに察しすらつかなかった。
「実は、此方でお世話されている禿の駒と言われる童女…おられますでしょうか…」
「はぁ 駒なら確かにうちの禿の1人ですが、その駒が何か…」
楼主はますます困惑してきた。
「実は 先だって同じ日本橋越後屋さんがお迎えになった近江の木村様御内儀…もと若羽木花魁のお話しを伺いまして、実は手前ども郡右衛門にも数年前1人娘のお嬢様が拐かされそれっきり行方知れず。郡右衛門が越後屋さんと若羽木さんから聞きつけた話しからひょっとしたら我が子かも知れないと…手前共主人 有無も言わさぬ勢いで私ども二人を差し向けた次第」
「ちょっと、お待ちくだい… 駒は確かに若羽木縁のものなれど、御城下町外れの《三笠屋》さんと言う宿場女郎を抱えた旅籠で下働きしていた童。その童女が拐かされて三笠屋さんで奉公していたと…」
楼主は…はて困ったと眉間に深く皺を寄せて考え込んでしまった。
「楼主さん、花籠楼には何の落ち度もありゃしません、しかし
手前共で調べたところ、三笠屋はどうも人攫いから童女ばかりを買い漁り、遊女に仕立てて荒稼ぎしている由、既に御城下奉行所が詮議始めていると、聴いております。」
慌てた楼主は
「では、うちの店にもそのうち役人の詮議が入る事もあるやも…しれぬと言う事ですか?」
「いえ、手前共はその前に お駒様を引き取らせていただきたく馳せ参じた次第、主人大和屋郡右衛門は 花籠楼さんの言い値で遺恨なく娘を引き取ってくるようにと…」
「とっとんでもございません!三笠屋の件先にお知らせ下さり その上三笠屋から見世変えした駒をお引き取り頂けるとは、渡りに船、どうぞお駒をお連れくださりませっ」
楼主は三笠屋の件でとばっちりを受けては大変とばかりに番頭に駒を連れて来させ 駒が嫌がるのもきかず無理矢理大和屋手代に引き渡した。
その後も 番頭に三笠屋から見世変えしたお幸も急いで給金を持たせて里に帰させる段取りを伝えた。
しばらくして下前田城下町外れ 三笠屋は店表を板で封鎖され取り潰しの沙汰が下された。
中山道追分宿 《あぶら屋》で、宿をとり新田左馬之助と膳を囲み下前田御落胤として上座に、座した水埜彦四郎に左馬之助が徳利を傾けていた。
「龍之介様には既に三笠屋で私の素性見破られていたによし、誠に不甲斐ない有様でした。」
「新田殿 龍之介は辞めてもらえまいか、せめて江戸表での評定までは水埜 もしくは彦四郎とお呼びくだされ…」
彦四郎は新田左馬之助に返盃する。
「かたじけない、我等御公儀御役目中につき、晴れてお役御免の暁には是非とも、彦四郎様の御返盃いただきとうござります。」
「わかり申した、しかし同じ侍とは言え方や新公方様の懐刀 引き換え私はしがない浪士、明日をも知れぬ命なれど、神命に誓ってやり遂げなければならぬ事があり申す。」
彦四郎は今までの陰のような暮らしを思い浮かべながら盃を傾けた。
「色々とご不安な事 ござりましょうが、我が殿…嫌、我が上様は決してお見捨てになるような御方ではござりませぬ」
新田左馬之助は表情を和らげ柔和な笑みを浮かべた。
「新田殿は 三笠屋で紀州の出と自出を語られておったが…」
彦四郎は新田左馬之助の生い立ちに興味を持った。
「左様でございます。紀州長田観音前に捨て置かれし捨て子でござる。たまたま根来寺の僧侶が長田観音を訪れていて我を拾いあげ根来にて育ち申した。周りは太閤秀吉に焼き討ちされてはいたが皆百姓に身をやつして根来衆の血を守り通しておりました。それは西の雑賀の一族とて同じ。ただし、紀州が徳川の御代になり陰の者は伊賀 甲賀が主流とあいなって、長きにわたり日の目を見ずにひたすら百姓農民、漁師に、身をやつして耐えてまいりました。しかし、紀州もお代替わりが進み光貞公四男頼方様が紀州藩主に、おなりになるや我等根来衆 雑賀の者共がやっと、日の当たる表舞台に出る事叶い申した。」
新田左馬之助は感慨深げに宙を見上げた。
「四男?頼方様…つまりは今将軍吉宗公…」
彦四郎は新田左馬之助や吉宗の自出が決して恵まれたものではない事を改めて知った。
「左様…それまで我が上様 四男部屋住みの身の上、良く根来にもお忍びでお越し申され、我が育ての親 僧侶覚然に鉄砲の指南を乞うておりました。」
「僧侶が鉄砲と…」
彦四郎は左馬之助の話しにいつしか聞き入ってしまっていた。
「御意…元々紀州は南西に南海の大海原北に堺大阪京、東に向かえば伊賀 伊勢と東西南北に開けし土地柄 特に航路が発達し早くから南蛮貿易が民百姓の底辺で行われておりました。
おそらくは種子島の次は紀州に鉄砲が伝わったやもしれません。その証拠に信長様長篠の合戦前には既に紀州雑賀が鉄砲軍を有しておりました。我等根来は 信長公叡山焼き討ち 本願寺門徒皆殺しの報を、受け総門一致で兵力を蓄え来る信長襲来に備えて参った所存。上様はその力を紀州の宝じゃとおっしゃって、我等根来衆や雑賀のめぼしき民を武家に取り立てて下さいました」
「なんとっ 武家諸法度士農工商を度外視したのですか?」
彦四郎は吉宗の藩政に度肝を抜かれた。
「左様 かくゆう私め 氏素性卑しき出ながら上様に見出され紀州時代は鉄砲組の藩主護衛のお役目賜りました。のちに 紀州独自の陰の者集団薬込め役が設けられ 江戸表はもとより御三家 諸藩の内情は逐一紀州の上様にご報告されておりました。御公儀よりも諸藩の内情に詳しかったのは紀州かも知れませぬ。」
…新公方様 どの様な御方であらせられるのか…
閉まっている障子戸越しに
「新田様…ただいま戻りました。御指図どおり守備良く花籠楼より姫様お救い申し上げて参りました。」
追分宿《あぶら家》座敷に新田左馬之助配下の者が駒を連れ出す事に成功し戻って来た。
「執着 姫をこれへ…」
障子戸が開け放たれ 彦四郎が贈った真っ赤な絹縮緬一面に桜吹雪が舞い上がる図柄の振袖を着た禿姿の駒が正座していた。
「お駒っ」
「おんつぁん!」
駒は振り袖をひらひら泳がせ 萩から貰った小鈴を細工した銀簪をキラキラたなびかせながら彦四郎の懐に飛び込んだっ
頭が動くたびに小鈴の音色が座敷に響きわたり、思わず御庭番衆の三人も表情が和らいだ。
しかし、猶予はない。江戸表では既に下前田藩江戸家老岩井弾膳の詮議が長引くなか 神鶴藩藩主奥方於勢の方と神鶴藩国家老国部伊織が唐丸籠で江戸表まで護送されていた。
「お駒、よく聴くんだ。お前はもう十にもなった立派な女子(おなご)だ。これから私とこちらの公方様御家来衆と江戸へ一緒に向かう。江戸に入ったら途中から私と向かう先が違うかも知れないが心配は一切要らない。わかるな?」
懐に滑り込んだお駒の背中を撫でながら優しく言い聞かせると、コクリと頷き
「比古さん…萩姉ちゃんは買われていっちまったよ、おらとずっと一緒に居るって言ってたのに、お父っつぁんもおっ母さんも何処へいっちまったんだ…絶対会えるよな…な…比古さん…」
「ああ 必ず会えるよ、江戸に着くと途中で私は駒と違う所に行かなければいけない。しかし、駒は一切心配する必要は無いんだよ、こちらにいる公方様の御家来衆が駒の面倒を暫くの間しっかりみてくださる。そこで私や萩を待っててくれないか?」
この時、公方様の御差配次第では今生で駒に会う事は無いかも知れないと彦四郎は腹を括っていた。
「駒姫様…姫様の事はこの新田左馬之助が 水埜彦四郎様になり代わり必ずやお父上様と御面会叶うよう、公方様にお願い申し上げまする」
左馬之助はこの見目麗しく成長された由宇姫様の忘形見の姫を何としても、実父前田利章公と引き合わせなければならないと心に誓った。
……其れにしても、猿渡頼母、水埜彦四郎はじめ神鶴藩浪士 よくぞ駒姫様無傷で岩井等から守りとうされた…由宇姫様もさぞかしお苦しみなされた事であろう…このお裁きけっして水埜様御一同に罪なき事明らかにせねばならぬっ…
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キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
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