揺籃に散る花影の想望

北畠 逢希

文字の大きさ
上 下
6 / 11
弐章

雪柳

しおりを挟む


「ーーー背後にいる人物が誰なのかはまだ分からないけど、俺が調べた限りではこのくらいしか…」

戸の向こう側の世界を照らす太陽とは違う、優しく綺麗な光を注ぐ月のような声音が落ちる。

憂いを帯びた表情で目の前に座るのは、青年の友人。
言うべきことを全て言い終えた青年は小さく息を吐いた。

「いや、十分だ。恩に着る、岬」

そう言うなり、青年の友人である佐吉は微笑んだ。
脇に置いてあった書簡を手に取り、目を通し始めている。

こんな昼間から戸を閉め切った部屋で何をしているのかと訊かれたら、青年は何と答えるだろうか。

密会? いや、違う。目の前の男とは隠れて会う間柄ではないのだ。

別にこれが初めてではない。
時折佐吉からは訳ありの仕事を頼まれていたし。

今回は佐吉が仕えている主君の側室・茶々様の命を狙う者の背後関係を暴くために、その側室の部屋の周辺に潜伏していた。

まぁ、二回とも予期せぬ邪魔が入り、予期せぬ事態に陥ってしまったのだが。


「ーーーお前はどう思う? 岬」

「…え?」

話はあれで終わり、自分はもう用済みだと思っていた岬は眉を跳ね上げた。

まさか話を振られるとは。

「どう?って…何が?」

帰り支度を始めていた手を止め、佐吉に向き直る。

佐吉は酷く真面目な顔をしている。それを見た岬は佐吉の心中を察した。

何の話をするのかと思いきや、友人として話題を振ったのではなく、豊臣秀吉に仕えている時の佐吉…三成として、岬に話を振ったのだ。

所謂仕事の時の顔ってやつだ。

「…相当な手練れを寄越しているのかと思いきや、剣の腕はさっぱりだった。それに…」

「それに?」

言いかけて、岬は出かかった言葉を飲み込んだ。

“変な女の邪魔が入って、見つかった” と、危うく言ってしまうところだった。

「…いや、何でもない」

今の段階では何とも言えない、と呟いた。

佐吉こと三成は不服そうな顔をしていたが、「また次に聞かせてくれ」と言うと、仕事を再開した。

岬は荷物を持ち立ち上がると、別れの言葉を口にして部屋の戸を開けた。

そして、戸の向こうへと身を投じ、閉めようとしたその時。

何とも絶妙な時を狙ったかのように、家臣の声が響き渡っていた。

「三成殿!三成殿は何処に居られるー!?急ぎの事態じゃ!」

岬はすぐさま身を翻し、三成に声を掛ける。

「ねぇ、佐吉。何か起きたらしいよ」

書簡に目を落としていた三成は顔を上げた。

特に驚いた様子はない。
何だ、日常茶飯事なのか。と、思った岬は足先を出口へと向けた。

「…分かった。今行こう」

三成は傍に置いていた刀を手に立ち上がると、騒ぎの方へと駆け足で向かう。

その背を見送る岬は何だか胸騒ぎがしたが、気を紛らわせようと頭を左右に振った。

「…何が起きたんだろ」

そう思ってはいても、自分は三成のような立派な仕官ではない。

それに、たとえ自分が騒ぎの中へ行ったとしても、何が出来ようか。

そう言い聞かせて歩き出そうとした瞬間に、偶然にも耳に入った声で岬は動きを止めた。

「早うっ…誰か、匙(さじ)を呼んでたも…!凛が、凛が…っ!!」

騒ぎの方から聞こえたのは、悲痛な叫び声を上げる浅井茶々の声。

その声が呼ぶ名は、彼女に仕える侍女の名前。

ーーーアイツの、名前。


◇ ◇ ◇


「…南の方様が毒薬を振り撒き、茶々様を庇った侍女の意識が無いだと?」

「は、はい」

衝動のままに駆け出し、辿り着いた先は騒ぎの場所だ。

其処には医師と数人の家臣と侍女、険しい表情をしている三成が居た。
その奥には口元を赤く染めた女と、泣いている茶々様の姿、そして目を閉じている凛が居た。

「ひ、秀吉様は本日城を出ておりますうえ、家臣も不在の者が多く…三成殿に。一介の侍女のことですし、事を大きくしない方が宜しいかと…」

「南の方様は舌を噛んで身罷られました」

「侍女の方は毒薬を吸い、口に入ったものも飲んでしまったのでしょうな…」

茶々様は必死にアイツの名前を呼び続けては泣き叫んでいる。

身勝手で気位が高く、貪欲なお方ーーーと、噂されている茶々様だが、とてもそんな人に見えない。

「…三成」

「岬か」

突然現れた俺を見た三成は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに家臣へと視線を戻した。

「…一介の侍女とはいえ、茶々様の侍女だ。この件、私から秀吉様へ報告する。今は医師の判断を待て。…南の方様が図ったこと、その他については私が預かる」

遺体を運べ、という三成の命令で、家臣たちが南の方様を運び出した。

「岬は俺と共に来てくれ」

そう言った三成の言葉に深く頷けば、三成は部屋を出て行く。

恐らく、この後秀吉様を急ぎ城へと呼び戻し、この件を報告するのだろう。

俺を呼んだ理由は、南の方様が持っていた毒薬の出処と、他の側室方を取り調べる為であろう。

「………凛」

去り際に紡いだこの名は、目を固く閉じている少女の名前だ。

茶々様は勢いよく顔を上げた。

「…そなた、凛のお知り合いなのか…?」

「え…」

「わらわの側を片時も離れなかった凛と、お知り合いなのか?」

「…ええ、そうですが…」

まさか茶々様に話しかけられるとは思わず、かなり驚いた。

しかも第一声、第二声が凛のことなんて、どんだけ大切にしているんだか。たかが侍女だろうに。

茶々様は眠る凛の手を握りしめたまま、嬉しそうに頷いた。

「…凛はな、ずっと側に居てくれているのじゃ。十二年も」

「…十二年、」

なんと長い月日だろうか。 いや、城の主君に仕える家臣たちは、それくらいの年数は普通だと思うのだが。

「いつもニコニコと笑っておる。わらわが眠った後は繕い物をし、朝は誰よりも早く起きる子じゃ」

慈愛に満ちた眼差しを、凛に注いでいる。

茶々様のどこが悪女なのか、噂を口々にしていた者たちに是非とも聞いてみたいくらいだ。

「年頃の女子(おなご)と話すどころか、関わりさえ持たぬ凛のお知り合いだと聞いて、驚いてしもうた…」

茶々様は涙ながらに微笑んだ。

思わず見惚れてしまいくらいに美しい笑みで。

「時折会った時に、話を交わす程度ですけどね。…すみません、ではこれにて失礼を」

三成を待たせてはならない為、失礼なのは承知だが話は手短に済ませねばならない。

茶々様に礼を述べ、その場を後にした。

眠っている凛のことを茶々様の口から聞けたのは幸運なことだ。

次に茶々様絡みでアイツが泣いていたら、この話をしてあげればいいかな、なんて。

そんなことを考えている自分に驚いたが、今は別件のことを考えなければならない。

南の方様が毒薬を振り撒いた動機は分かるが、その入手場所は何処なのか。

他の側室様たちの中で、茶々様のお腹の御子の命を脅かそうとする者は少ないないはずだ。

(早く、しなければ。早く調べて、会いに行かなければ)


ねぇ、早く目を覚まして。

お日様みたいに、ずっと笑っていてよ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

我慢できないっ

滴石雫
大衆娯楽
我慢できないショートなお話

おむつオナニーやりかた

rtokpr
エッセイ・ノンフィクション
おむつオナニーのやりかたです

恐妻と愛妻は紙一重

shingorou
歴史・時代
ピクシブにも同じものをアップしています。帰蝶様に頭が上がらない信長公の話です。

[恥辱]りみの強制おむつ生活

rei
大衆娯楽
中学三年生になる主人公倉持りみが集会中にお漏らしをしてしまい、おむつを当てられる。 保健室の先生におむつを当ててもらうようにお願い、クラスメイトの前でおむつ着用宣言、お漏らしで小学一年生へ落第など恥辱にあふれた作品です。

大和型戦艦4番艦 帝国から棄てられた船~古(いにしえ)の愛へ~

花田 一劫
歴史・時代
東北大地震が発生した1週間後、小笠原清秀と言う青年と長岡与一郎と言う老人が道路巡回車で仕事のために東北自動車道を走っていた。 この1週間、長岡は震災による津波で行方不明となっている妻(玉)のことを捜していた。この日も疲労困憊の中、老人の身体に異変が生じてきた。徐々に動かなくなる神経機能の中で、老人はあることを思い出していた。 長岡が青年だった頃に出会った九鬼大佐と大和型戦艦4番艦桔梗丸のことを。 ~1941年~大和型戦艦4番艦111号(仮称:紀伊)は呉海軍工廠のドックで船を組み立てている作業の途中に、軍本部より工事中止及び船の廃棄の命令がなされたが、青木、長瀬と言う青年将校と岩瀬少佐の働きにより、大和型戦艦4番艦は廃棄を免れ、戦艦ではなく輸送船として生まれる(竣工する)ことになった。 船の名前は桔梗丸(船頭の名前は九鬼大佐)と決まった。 輸送船でありながらその当時最新鋭の武器を持ち、癖があるが最高の技量を持った船員達が集まり桔梗丸は戦地を切り抜け輸送業務をこなしてきた。 その桔梗丸が修理のため横須賀軍港に入港し、その時、長岡与一郎と言う新人が桔梗丸の船員に入ったが、九鬼船頭は遠い遥か遠い昔に長岡に会ったような気がしてならなかった。もしかして前世で会ったのか…。 それから桔梗丸は、兄弟艦の武蔵、信濃、大和の哀しくも壮絶な最後を看取るようになってしまった。 ~1945年8月~日本国の降伏後にも関わらずソビエト連邦が非道極まりなく、満洲、朝鮮、北海道へ攻め込んできた。桔梗丸は北海道へ向かい疎開船に乗っている民間人達を助けに行ったが、小笠原丸及び第二号新興丸は既にソ連の潜水艦の攻撃の餌食になり撃沈され、泰東丸も沈没しつつあった。桔梗丸はソ連の潜水艦2隻に対し最新鋭の怒りの主砲を発砲し、見事に撃沈した。 この行為が米国及びソ連国から(ソ連国は日本の民間船3隻を沈没させ民間人1.708名を殺戮した行為は棚に上げて)日本国が非難され国際問題となろうとしていた。桔梗丸は日本国から投降するように強硬な厳命があったが拒否した。しかし、桔梗丸は日本国には弓を引けず無抵抗のまま(一部、ソ連機への反撃あり)、日本国の戦闘機の爆撃を受け、最後は無念の自爆を遂げることになった。 桔梗丸の船員のうち、意識のないまま小島(宮城県江島)に一人生き残された長岡は、「何故、私一人だけが。」と思い悩み、残された理由について、探しの旅に出る。その理由は何なのか…。前世で何があったのか。与一郎と玉の古の愛の行方は…。

奇妙丸

0002
歴史・時代
信忠が本能寺の変から甲州征伐の前に戻り歴史を変えていく。登場人物の名前は通称、時には新しい名前、また年月日は現代のものに。if満載、本能寺の変は黒幕説、作者のご都合主義のお話。

小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話

矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」 「あら、いいのかしら」 夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……? 微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。 ※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。 ※小説家になろうでも同内容で投稿しています。 ※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。

処理中です...