夜明けの花 -死に戻り皇女と禁色の王子-

北畠 逢希

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アウストリア帝国の帝都──またの名を首都シヴァリースという広大な都市を南に進むと、首都の真下にあるグロスター領の手前に目的地であるグロスター美術館はあった。

風景は大都市から一変、豊かな自然で溢れている場所にあるが、辺りは観光客で賑わっている。

神殿のような見た目をしている博物館だが、その中には気が遠くなるような年月を超えたものや、戦火から逃れ生き延びた作品など、美しい宝たちが展示されている。

「ここがグロスター美術館か」

馬車から降りたリアンは、その眩しさに目を細めていた。建物は石造りのようだが、壁も床も光を受けて艶やかに煌めいている。

遅れて降りたクローディアは、久しぶりに訪れた博物館を見上げた。うんと小さい頃に来たことがあったが、ここで何を見聞きしたのかはほとんど憶えていない。

「この美術館って、帝国の宰相殿と何か関係があるの?」

「ええ。正式には私のお祖父様が皇帝だった時のグロスター侯爵家の当主が建てたものよ」

グロスター侯爵家は帝国の名門貴族だ。現宰相のような才能豊かな文官を数多く輩出している。これを建造した侯爵は、世界各地から美術品を集め、それを展示するためだけの建物を造ってしまうくらい芸術を愛した人だったという。

リアンもその方面に興味があるのか、入り口の壁に彫られている模様を吸い込まれたように眺めていた。

「ようこそおいでくださいました、クローディア皇女殿下。お久しぶりですね」

入り口で話していたクローディアとリアンの元に、初老の男が歩み寄ってくる。その男が着ているジャケットの胸元には博物館のマークの刺繍が入っていた。博物館の館長だろうか。

「ご機嫌よう。…ごめんなさい、私は幼い頃に来たきりだから、あまり覚えていなくて」

「私は覚えていましたよ、ずっと。…ルキウス陛下と手を繋いで来られていました」

ルキウス──それはクローディアの父親の名だ。病気がちな人で、若くしてこの世を去った先の皇帝だった。ルヴェルグと同じ金色の髪に紫の瞳を持った、儚げで美しい人だったという。

クローディアが小さい頃に亡くなってしまった為、その姿や声は朧げだ。優しい人だったことしか憶えていない。

「申し遅れました。私は館長のアルス=グロスターと申します」

そう名乗った館長は、常に無表情でいるグロスター宰相とは違い、温かい微笑みを浮かべる優しげな人だった。クローディアの隣にいるリアンにも深々と敬礼をすると、ふたりを先導するように歩き出す。

「皇女殿下が来てくださるなんて、作品たちも喜びますね」

「ふふ、館長ったら。それは大袈裟よ」

館長の後に続いて館内へと入ると、そこには客人を出迎えるかのように大きな肖像画が飾られていた。その懐かしい絵を見てクローディアは足を止めた。

「…これがアドニス皇帝陛下か」

クローディアが今まさに言おうとしていたことを、隣にいるリアンが呟いた。

──アドニス。それはクローディアの祖父の名だ。

「あら、お祖父様を知っていらっしゃるの?」

その名をリアンが知っていることに驚いたクローディアは、じっと肖像画を眺めているリアンを見やる。

「そりゃあね。有名だし」

リアンはクローディアと目を合わせて小さく微笑むと、再び肖像画へと視線を動かす。その目は子供のように輝いていた。

「というより、その妻だったティターニア皇后の方が王国では語られてたかな。勝ち気で勇敢で、剣を手に戦場を駆け抜けたとか」

「ええ、お祖母様はどんな殿方よりも怖かったわ。でもとてもお優しいの」

アドニスとその妻ティターニアは、皇帝と皇后でありながら自ら剣を手に戦場を駆けた、勇敢な皇帝夫妻だった。

祖父はクローディアが生まれる前に亡くなってしまったが、祖母は皇族が所有している小さな城でのんびりと暮らしている。本人曰く、若い頃にやりたかったことを楽しみたいのだとか。

「リアンのような金色の髪の方よ。亡くなった私のお父様もそうだったと聞いているわ」

クローディアの声に、リアンはゆっくりと下を向いていった。それを見て、クローディアは続けようとした言葉を飲み込む。

「いいな。俺も帝国で生まれたかった」

ぽつりと、リアンが小さくこぼした声は少し掠れていた。

「…リアン?」

「ここに来てから、そんなことばかり考えてる。ここの人たちは俺の髪を見ても、王国の人たちのような目で見てこないし」

リアンの青い瞳が揺れる。寂しそうに、悲しそうに。それを向けられたクローディアは、何の言葉も返せなかった。

「…帝国で生まれていたら、幸せになれたかな」

リアンは囁くような声でそう呟くと、クローディアに背を向けた。そうして再び肖像画を見上げ、深く息を吐く。

クローディアはリアンと言いかけ、手を伸ばそうとしたが引っ込めた。今のリアンに──自分が何気なく放ってしまった言葉せいで傷ついてしまった人に、どんな言葉を贈ったら笑ってくれるのだろうか。

「………リアン…」

クローディアは胸の前で手を握り、リアンの背を見つめる。

金色の髪は、クローディアの愛する兄や亡き父、祖母と同じだ。光のように眩く美しいそれを宗教的な、或いは理不尽な理由をつけて嫌ったり迫害する人はこの国にはひとりもいない。

だが、リアンはその髪のせいで辛い思いをしてきたのだ。そんな人に同じ色の髪の皇族の話はするべきではなかったのかもしれない。
押し寄せる後悔に、胸が詰まったように苦しくなった。

「…ごめん、こんな話して。忘れて」

リアンは消え入りそうな声でそう言うと、クローディアを振り返った。だが、その先にあるものを見て、大きく目を見開く。

「……この絵…」

クローディアの頭上──入り口の内側の高い場所に飾られているものをリアンは見つめていた。何があるのかとクローディアも後ろを見上げる。そこには、とても美しい絵画が飾られていた。

その絵は月夜を背景に、二人の男女が描かれていた。男は冠を、女はティアラを被っている。どこかの国の国王夫妻だろうか。

「リアン、この絵を知っているの?」

クローディアの問いかけにリアンは頷いた。

「知っているも何も、この絵は…」

「──その絵、お美しいでしょう? 」

二人を見守っていた館長がにっこりと笑う。そうして懐かしむような眼差しで絵を見上げると、口元の髭を撫でながら口を開いた。

「今から五十年ほど前に、隣国オルヴィシアラより贈られたものなのです。王国の国王夫妻の肖像画だそうで」

館長の言葉に、リアンは目を見張る。

「…国王なんて初耳。国じゃ神だ神だって皆崇めてるだけなのに」

「我が国には、国王夫婦と伝わっております。アターレオ国王陛下と、そのお隣はスタンシアラ王妃だそうです」

二人の会話を聞いて、クローディアは今一度絵画を見た。リアンにとってのこの絵は“国民が信仰している神”だが、この国にとっては隣国より贈られた国王夫妻の絵だったのだ。リアンが驚くのも無理はない。

「なんだかお二人が並んでいる姿と似ておられますね」

ふふっと館長はリアンに微笑みかける。光の髪の王と、月の女神のような妃。描かれている二人は、確かにリアンとクローディアに似ていた。

「…神じゃなかったんだ」

リアンは消え入りそうな声で呟くと、ゆっくりと目を伏せた。

「…人だったんだ。あなたは」

誰もが崇めてきたその存在のせいで、リアンは数え切れないくらい苦しめられてきた。だが、彼は神ではなく人だった。生まれて初めて知った事実が、リアンの胸を巣食う大きな何かをゆっくりと剥がしていくようだ。

この王はどんなことをしたのだろう。どれくらい生きたのだろう。人々の目にはどのように映っていたのだろう。

目を背けてきたものだけれど、今はただ知りたい。そう思えたリアンは、隣で自分と同じく絵画を見上げているクローディアの横顔を盗み見た。

白銀の髪と透けるような肌に、菫色の瞳、薔薇色の唇。絵の王妃と同じだが、リアンの目にはクローディアの方が何倍も何十倍も眩しく映った。

リアンの視線に気づいたクローディアが、どうしたのとでも言いたげな顔でリアンを見つめ返すと、優しい声で「リアン?」と奏でる。その瞬間、リアンは胸の辺りに痛みを感じた。

(……なんだろう、これ)

なんでもない、と小さな声で返して、リアンはクローディアから目を逸らした。

何故クローディアと目が合った瞬間、呼吸が重くなったような気がしたのだろう。

どうして今、心臓が速度を上げて動いているのだろう。
いくら考えても、リアンには分からなかった。
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