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第六十五話 雨夜の月
しおりを挟むソファで胸の辺りを押さえながら、久御山は顔をしかめて笑う。笑うと折れた肋骨に響くので、また顔をしかめる。
素人が30m下の川に飛び込んで肋骨を二本折っただけで済んだのは奇跡かもしれない。なんの打算も計算もなく、ただ目の前で起こったことをどうにかしたいという久御山の男気は素晴らしいと思うけど、二度とこんなことはして欲しくない、と僕は話を聞いた瞬間思ってしまった。
事故現場が人里離れた秘境じゃなくてよかった。救急車を手配するため近くの民家に助けを求めたらしいけど、助けてくれたひとも相当驚いただろうな……真夜中にずぶ濡れの男が、気を失ってる男を抱えて玄関に立ってるなんて、ある意味ホラーじゃないか。
「予定外だったな……まさか肋骨が折れるなんて」
「おとなしくしてろってことだよ」
「湊の左手と自分の肋骨をかばいながら、どうやってセックスしよう…」
「なんでする方向で悩んでんだよ」
「え、よもやしない方向でやり過ごすつもりなの!?」
「おまえは性的快感を得られないと死ぬのか? 泳ぎ続けるマグロの官能版か何かなのか?」
「湊のエロい体液に溶けた酸素を取り込んで生きてるから、やめると死ぬ」
「おい、何それらしいこと言ってんだよ…」
「ラムジュート換水法に倣ってみた」
「知識の無駄遣いだよ、久御山……」
「ねえ、上に乗って」
「……は? おまえ、肋骨折れてるってわかってる?」
「折れてんのは肋骨だもん、腰骨は健康そのものじゃん」
「いやいや、おまえの胸と腰は完全分離してんのか」
「うん、だから乗って」
いや、分離してるわけないですし。
それでも、僕の左手の具合を考慮できないくらい、何か追い詰められてるのかな、と少し不安になった。久御山はまあまあ欲に忠実だけど、僕の気持ちや体調には力一杯配慮してくれる。普段なら、僕が痛がるかもしれないことをさせるなんて、絶対あり得ないんだけど。
「……動くなよ」
横たわった久御山の腰の辺りを探り、右手と口でハーフパンツをさげようとウエスト部分を噛んで……そのまま口を放し元の姿勢に戻った。どうしたもんかな、と服を着たまま腰の上にまたがって久御山を見下ろす。ご子息、意気消沈してますけど?
「いま考えてること教えて?」
「……オレ、赦されるんかな」
「何を? 誰から?」
「オレが作られなければ、シロもクロも欅さんも紅さんも洸征も桐嶋も、苦しまずにいられたのかな、って」
「……問の条件がそれだけなら、解は "苦しまずにいられた" だろうね」
「作っちゃダメだったよなあ…」
「江戸時代から脈々と受け継がれて来たお家の習わしを、平成や令和にどうこうできるわけないだろ」
「もちろんオレが望んだことじゃないけどさ、いろいろ目の当たりにすると申し訳ないっつーか」
「おまえが責められる筋合いも委縮する必要もなんもないよ」
「自分も苦しんだから、ってチャラになるもんじゃないじゃん?」
「客観的事実だけで言えば、一番の被害者はおまえだよ」
「オレは別に……憶えてもないし」
……わからないわけじゃない。
泣く以外に自分の要望を伝える手段を持ってない乳児が、その唯一の方法でさえ取り合ってもらえず、諦めることをまず身に着けてしまったとして誰が責められるっていうんだ。久御山が他人に期待しないのも、自分のことを疎かにするのも、結局は環境に馴染んだ結果でしかない。それでも。
「悪いけど、クロくんの苦悩も桐嶋先生の憎悪も紅さんの失意も、シロくんや洸征くんの寂しさも欅さんの悲しみも、僕はどうでもいい」
「……湊?」
「みんな、失ったものの代わりに得たものがあるだろ? しあわせだった時間もあるんだろ?」
「それは……そうかもしれないけど」
「久御山が作られなかったら、欅さんはしあわせな結婚をしてたかもしれない」
桐嶋先生と紅さんは平穏に暮らしてたかもしれない。でも、久御山がいないってことはクロくんもシロくんも洸征くんもいないってことだよ。そのほうがよかったの? 自分が傷付かずに済むなら、出逢えなくてもよかったの? 起こり得る不幸がわかってたらそっちを選ぶの?
クロくんもシロくんも洸征くんも、欅さんと紅さんに抱っこされて、あやされて、声を聞いて、愛されて育ったんじゃないの? それが要らなかったって言うの? 欅さんに、紅さんに、逢わない未来があったらそっちを選んでたの?
「僕は、縛られて拷問されることがわかってても、おまえのいる未来を選ぶよ」
「湊……」
「おまえが作られなかった世界で、僕が生きる意味も理由も価値もない」
「またおまえはそうやって……オレの涙腺を崩壊させる…」
「だから、産まれて来たおまえが四年間、言葉も体温さえも与えられなかったことのほうが、僕には耐え難いんだよ!!」
久御山の身体にまたがり膝立ちのまま、僕は胸の中にじっとりと込み上げる不安や焦り、怒りや寂しさを張り上げた声に乗せて吐き出した。おまえが申し訳ないと思わなくちゃいけない理由なんてどこにもないんだ。
「苦しみや痛みの程度なんて比較できるもんじゃないだろ」
「……主観で感じるもんだからね」
「だから愚痴言いたくなることだってあるよ。恨み言が漏れることもあるよ。でも、それだけだよ」
左腕を吊っていたアームスリングを外し、シャツを脱いだ。少し驚いた久御山の目が赤くて、堪らない気持ちになる。なあ、どうしておまえが自分を犠牲にして罪を償わなくちゃいけないんだ? そもそも、その罪はおまえの罪じゃないだろ? ただ、こんなことを言ったって刺さらないこともわかってる。
「僕のために作られたんだよ」
「…ほんと?」
「信じる?」
「……そうだったらいいのにな、って思う」
「きっとそのうちわかるよ……多分、八十年後くらいに」
「気の長え話だな」
「…じゃあ、いまわからせてやるよ」
***
わからせてやる、って……一体どうやって……このシリアスな展開で何をするんだろう、と構えていると、湊は両手でオレのハーフパンツとボクサーパンツを膝の辺りまでさげた。
「ちょ、おまえ左手痛いだろ!」
「うん……動くなって」
動くなと言われてもだな…三週間は安静にって言われてる左手を使わなくても…あ……その微妙な力加減で玉を揉みしだきながら竿の根元吮められたら…ん……さっきまでのちょい深刻な空気が一瞬にして吹き飛んだ。オレって簡単なヤツ……あ…でもやっぱり肋骨折れてても気持ちイイもんは気持ちイイ。余計な気付きかもしれんが。
湊に吮められるのも、吮めてる湊の顔を見るのも堪らなく好きだ。けど。誰を踏み台にしてここまで上手になったんだ? っつーゲスい気持ちもないわけじゃない。過去にはこだわらないとか、過去を断罪するつもりはないとか言いながら、実はオレすげー女々しい男だったんだな、と最近思う。
「…湊…イきそう…」
「ん、いいよ」
慣れたか慣れてないかで言えば、口の中に出すことには慣れたけど、だからといって何も感じないかっつーとそんなわけはなく、口の中のソレを湊が飲み込むのを見ると、相変わらず心臓が高鳴る。美味いはずないんだが、飲み込んだあと自分の口唇を舐める湊の仕草が、何かに満足してるように見えて……
「……え、連投?」
出した直後、湊は手早くオレの愚息にゴムを装着した。まあ、オレにはほぼ賢者タイムはないし、まだ萎えてないから挿入るといえば挿入るだろうけど、湊が自分からそういうことをするって珍しい…な……!? ちょ、湊!? え、それは……
……湊は薄く口唇を開くと、オレが出した精液を愚息に垂らし、オレの腰の上にまたがった。飲み込んだと思ってたのに、ずっと口の中に溜めてたのか。ローション代わりにソレを使うとか、随分マニアックなことを…どうした、湊…
ゆっくりと自分のカラダでオレを飲み込んだあと、湊はオレを見下ろしながら紅潮した頬を緩ませた。
「身体の中、久御山でいっぱい…」
「……こんなことされたの、初めてだ」
「僕も初めてだよ……引いてない?」
「引かないけど、妊娠したらどうする?」
「そのときは責任取ってもらおうかなあ」
「えー…じゃあ中で出したい」
そう言った途端、湊の体内がギュッと狭くなりオレを絞め上げる。探るようにカラダを揺らす湊の動きに合わせ、オレのカラダも感度を増して昇り詰めようとしてしまう。待て、さすがにいまイくのは早過ぎる。
呪詛のように「ノンケだから」と言われ続けて来たけど、考えてみれば女の子とセックスしてるときこんなに早くイったことがなかった。愚息の大きさだとか、舌や指の動きだとか、もちろんセックスの内容や時間だって、喜ばれることが多かったし概ね相手を満たしていたと思う。相手の言うことが社交辞令じゃなければ。
オレだって女の子とのセックスは大好きだったし、誰のことも傷付けない罪のない行為だと思ってたし、粘膜擦り合わせてしあわせになれるなら、こんな簡単なことはないとすら思ってた。心よりカラダのほうが素直でわかりやすかった。
女の子と湊の内側の感触は全然違うけど、物理的快感だけで言えばどちらかが激しく秀でてるなんてことはない。当たる部分がまずもって違うから。でも、視覚と聴覚の効果を考えるとなぜか湊のほうが興奮する。硬いしおっぱいもないしデカいんだけど、何がこんなにイイんだろう……
「湊…そんな動くとイっちゃうよ…?」
「ん…っ…ふ……ダメ…」
「じゃあちょっと手加減して…」
「は…あ…っ…それも…ダメ」
ダメって言われても…他のこと考えて気を紛らわすとか、あんま好きじゃないんだよなあ、と思っていると、湊がオレの上で腰を動かしながら自分のムスコをゆるゆると擦りはじめ、その姿に絶頂までの時間が加速した。イって欲しくないならそのエロい顔を慎め!
「おまえ、追い討ち掛けてどうすんだよ…」
「久御山の…大きいので削れる…」
「なんか今日、やけにエロくない?」
「……ある意味、久御山の身体でひとりエッチしてるようなもんだから…かな」
「あ、無理もう無理出る」
「ん…僕がイくまで…待って」
待てるか! エロい顔でやらしく腰動かしながらはしたない声でエッチなこと言いやがって!
もう無理だダメだイく、と思った瞬間、湊はオレを引き抜きツルッとゴムを外してのどの奥まで愚息を咥え込んだ。当然オレは秒殺されたわけだが、顔を上げた湊は自分の口唇をペロッと舐めて吐息を漏らす。
「……なんで、わざわざ」
「さっき、飲めなかったから」
「…っ、飲みもんじゃねえだろ」
「コレから酸素を取り込んでるから、飲まないと死ぬんだよ」
……ラムジュート換水法ですか。
「湊、左手大丈夫なの? なんか普通に動かしてたけど」
「我に返るとさすがに痛いよ」
「だろうな……えっ、つーか最中は我を忘れてたの?」
「そこまでじゃないけど、気持ちいいとか嬉しいのほうが強いかな」
「気持ちイイはわかるけど、嬉しいってナニ」
「んー……イケメンが僕の下で悶えてるから」
「そんなことが嬉しいの!?」
「うん、眉間のシワとかゾクゾクする」
「……つまんねえもんにゾクゾクすんだな」
「そのつまらないものも僕のものだって思うと興奮する」
「ふっ…全部おまえのもんじゃん」
「自覚した? 僕のために作られたんだって」
「……なるほど? 湊をイかすためにってこと?」
「まあ、そういう言い方もできるかな」
「湊がオナニーするためにってこと?」
「そこまで言うと語弊があるかな…」
「ね、ね、ね、もっかい乗って?」
「なんで!?」
「そんでトロ顔で凶悪なムスコ扱いてるとこ見せて」
「やめろ、バカ!」
以前、 "湊がオレのことを好きにならなかったら、抱きたいと思うくらい湊に興味を持ったか" って考えたときは答えが出なかった。出なかったというより、出したくなかったって言うほうが正しいかもしれない。でもいま、はっきりとわかる。
"湊がオレを好きにならない未来" は "なかった" んだ。
どんな姿で、どんな世界で、どんな風に出逢っていても湊はオレを好きになった。だから、湊がいないとオレが生きて行けないと思うのも必然で、オレが湊を大事だって思うのも当然なんだ。
……肋骨折れててもセックスしたいしな。
きっとシロクロにとってお互いは、半分なんかじゃなくて最初から "ひとつ" だったんだろう。足して1になるんじゃなくて、足して2になるのが正しいひとつのパーツ。だからこそ、欠けちゃいけない。
オレが桐嶋からやり切れない報せを受けたのは、それから一週間後だった。
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