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第五十六話 始めは処女の如く後は脱兎の如し
しおりを挟む「久御山、ほんとにいいから! 大丈夫だから!」
「オレが全っ然大丈夫じゃないから」
腕を掴んでなんとか引き留めようとするも、久御山はそんなことをものともせず半ば僕を引きずって歩いて行く。
「一ノ瀬呼んで」
教室の入口で声を掛けると、呼ばれるより先に一ノ瀬が久御山に気付き走り寄って来た。
「…久御山も藤城も出て来たんだ…体調は?」
「一ノ瀬、嵩澤と付き合ってるってほんと?」
「や、あの、うん…そのことで藤城に」
「……まあいいや、ちょっとツラ貸せや」
バツの悪そうな顔で一ノ瀬は久御山のあとを着いて行った。一ノ瀬にオトシマエを付けさせるのだとばかり思っていた僕も、困惑したままそのあとを着いて行く。まさか人目の付かないところで粛清を……? そう思いつつ着いた場所は南棟の一年の教室だった。
「久御山さんだ」
「何、久御山先輩と藤城先輩ふたりしてどうしたんだろ」
「わざわざ南棟に来るなんて珍しいね…」
確かに久御山がここに来ることはほとんどない、けど、一体何をするつもりなんだ? 教室に入って行く久御山の後姿を眺めながら、その意図に気付いた僕は慌ててそれを止めようとしたけど、時すでに遅し…
「嵩澤」
嵩澤が椅子から立ち上がった瞬間、久御山は渾身の力を込めて高澤の頬を殴った。派手な音を立てて机や椅子を巻き込みながら倒れた嵩澤より、クラスメートたちのほうが恐怖に慄いていた。そりゃそうだ……学校イチ有名な久御山が突然教室に現れ、同級生を殴るなんて大事件でしかない…
何も言わずに嵩澤の教室をあとにした久御山は、もつれる脚で転がるように着いて来た一ノ瀬を振り返った。
「これで貸し借りなしってことで」
「あ、あの、久御山……」
「湊を殴ったおまえを殴り返したほうがいいんだろうけど、だったらカレシを殴られた気分味わってもらったほうが公平かなあって。まあ、嵩澤には個人的な恨みもあったし、スッキリしたわ」
「うん…あの、藤城……ごめん…事情知らなくて…」
「あ、うん、知らなくて当然だから気にしないで…って言っても、もう仕返し済んじゃったからね…」
「おおっぴらにできないだろうから、保健室にでも連れてけば?」
「あ、うん…そうする…久御山、藤城、ほんとごめんな」
そう言って一ノ瀬は大騒ぎになってる嵩澤の教室へと戻って行った。いま戻るのって、いろんなことをおおっぴらにしてるのと変わらないと思うけど。
「あとで嵩澤に謝りに行かないとな」
「謝るくらいなら、殴らなきゃいいのに…」
「奢られっぱなしだと申し訳ないでしょ? 一ノ瀬が謝ったんだから、オレが謝るの筋だと思うし」
良くも悪くも、真っ直ぐな男だな、久御山は…
「さて、飯食いに行こ」
「あ、うん、学食?」
「んー、そうしようかな」
「じゃあ僕も学食にしよ」
久御山の家から登校した僕は、当然弁当がないわけで。それが嫌だってわけじゃなくて、そのことを久御山が気にしなければいいな、と思った。
───
「日替わりでいいかな……湊、どうする?」
「日替わりって今日、何?」
「洋食がチーズハンバーグで和食が豚の生姜焼き」
「じゃあ生姜焼きで」
「おっけー、じゃあハンバーグにしよ……席取っといて」
結構混んでるけど空いてるとこあるかな……あ、ありそうだな…
久御山の分と二席キープして座ると、どこから湧いたのか、待ってましたと言わんばかりにひとが群がった。
「藤城先輩っ、久御山先輩どうしたんですか!?」
「一年生しばいたとかで速報飛び交ってますけど!」
「……しばいては、ないかな」
「久御山先輩が怒るなんて、天変地異の前触れだとか」
「怒ったところ見たことない、って大盛り上がりですけど」
「……盛り上がるのも、違うかな」
他人事だと思ってみんな無責任に騒いでるな、と苦笑いしか出ない僕の後ろで、日替わりの乗ったトレイをふたつ運んで来た久御山の声がした。
「何よ、どうしたの」
「おまえが一年の教室で暴れるから、機動隊がアップ始めたらしいよ」
「はっはっは、片腹痛いな」
トレイをテーブルに置いて久御山が腰をおろすと、今度は直接久御山に質問が飛ぶ。
「でも、久御山先輩…何があったんですか?」
「理由が謎過ぎて新聞部が漲ってますよ」
「ヒーローインタビュー? それとも謝罪会見?」
「突撃隣の昼ごはん程度だよ…久御山…」
まさか理由なんて言えるわけがないじゃないか……覚束ない手付きで生姜焼きをつまみ上げると、久御山はニヤっと笑い地を這うような低い声でぼそっとつぶやいた。
「一年坊主に恋人寝取られたから、個人的にシメただけだよ」
一瞬、学食の床が揺れた気がした。
群がっていたひとたちはあっという間に学食から姿を消し、名誉なのか恥辱なのか、嵩澤は「あの久御山 賢颯の彼女を寝取った漢」として、学校の生ける伝説となった。
***
「どう? なんか見つかった?」
新宿にあるシロクロの事務所に行くと、相変わらず仕事の早い優秀なふたりはいろいろと掴んでるようだった。
「SNSのアカウントは、持ったはるだけで使てない感じやけど」
「サブのアカウントは毎日つぶやいたはるなあ」
「表のアカウントがカムフラージュ用やな」
「ほお……アカウント送って」
「……何、あいつショタコンなわけじゃないんだ」
「普通に同性愛者やな…年上もイケるみたいやし」
「アプリとかは? 登録してないの?」
「クレカ使うの、警戒してるんちゃう?」
「なるほど…ちょーっと乱暴だけど、橘さん方式で行くか…」
「なんや、真光方式て」
「シロクロ、湊のために売春して来い」
「は? ケンソーがやったらええやないの」
「オレみたいにスれたデカい男は好みじゃないだろ」
「うちらに任せて」
シロクロはバタバタと姿を消し、それからバタバタと荷物を抱えて戻って来た。うちらに任せて、って一体何が始まるんだ? 心なしか楽し気に見えるシロクロが広げた荷物は、夥しい種類のメイク道具だった。
「ケンソー、髪染めてもええ?」
「うん」
「ケンソー、髪切ってもええ?」
「いいけど、あんま短くすんなよ」
慣れた手付きでクロはオレの髪をカットし、慣れた手付きでシロはヘアカラーを施した。こいつら、本職は美容師なのか…? それから、意地悪そうな眉毛も整えていい? と訊かれ、返事をする間もなく手を加えられた。意地悪そうて。
できたで、とシロから手鏡を渡され少し緊張しながら覗き込むと、鏡の中では従順そうなヤツが驚いた顔をしていた。
「どこからどう見ても可愛らしウケやで」
「気抜いたあかん、すぐ据わり目んなるさかい」
「口歪めたあかんて、可愛らしゅう笑とき」
「おい、ずっと目見開いたまま笑ってろっつのか」
「その喋り方もようないなあ」
「地元の言葉でええやん、喜ばれるで」
── 非常勤講師は担任も部活の顧問もやってへんさかい、17時10分には校門から出て来るわ。最寄り駅が旗の台やから、その手前で接触してみて。
簡単に言いやがって……相手がまったく興味持たなかったらどうするつもりだよ…
とはいえ、いまは言われたようにやるしかないので、スマホで地図を開きつつ困った顔をしてみる。頼むから、食い付いてくれよ……
「……あの、お困りですか?」
落ち着いた柔らかい声に振り返ると、善良という言葉を具現化したような、眼鏡の優し気な男が立っていた。きちんとしたスーツ姿に警戒を与えないような笑顔。爽やかで親切そうなその男は、シロクロが調べ上げた男と同じ顔をしていた。こいつ…七種だよな…
「あ、東京駅に行きたいんですけど…道に迷てしもて…」
「駅がすぐそばにあるので、ご案内しますよ」
「ありがとうございます、助かります」
正直、驚きしかなかった。虫も殺さないような顔で穏やかに話す、こいつが湊の元家庭教師? ひとは見掛けによらないなんてもんじゃねえ…
「学生さんですか?」
「あ、高校生です…所用で東京に」
「高校生? 大人っぽく見えますね」
「よう言われるんですよ…そない老けて見えます?」
「いやいや、落ち着いてて格好いいなあと」
「…お兄さんは? 何したはるひとなんです?」
「しがないサラリーマンです」
信じられない、という気持ちを隠しながら当たり障りのない会話で間を持たせた。旗の台駅に着くと七種は東京駅までの乗り換えを説明してくれた。
「大井町か五反田で一度乗り換えてください」
「……乗り換え、ですね…」
「大丈夫そうですか?」
「は、はい…なんとか頑張ります…ありがとうございました」
「あの、差し出がましいようですが、東京駅までご一緒しましょうか…?」
「えっ!? ほんまに!? あ、でもお忙しいのでは…」
「今日はもう仕事も終わりましたし、あとは家に帰るだけなので」
「ほな甘えさしてもらいます…!」
善人なのか、それとも善人のフリをした悪人なのか。これまでの経緯を考えても、とても悪いことをするようなヤツには見えない…わざわざ駅まで付き添ってくれるとか、普通やらないよな…
「ほんまにありがとうございます! おかげですんなり着くことできました」
「いえいえ、困ったときはお互いさまなので」
「あの……このあと、お時間ありますか?」
「…あ、はい…特に用事はないので…」
「ぼく、泊まってるホテルがすぐそこなんで、お礼にお茶でも…」
「かえって申し訳ないような…いいんですか?」
「はい、是非…たいしたおもてなしもできませんけど」
「……」
───
「あ、適当に座ってください」
ホテルの部屋に入り、オレは電気ポットの前で悩んでいた。お茶っつってもな……ホテルには緑茶のティーバッグかインスタントコーヒーくらいしかないよな…
お茶とコーヒー、どっちがいいか訊こうと思ったとき、後ろから腰を抱き寄せられた。おいおい、いくらなんでも盛るの早くないか? 善人だと思ったのはやっぱり間違いだったのか。
「お礼っていうのは……口実?」
「…あのっ、ぼく…男ですけど…」
「おもてなし……してくれるんじゃないの?」
強く腰を引かれ、オレはベッドに座る七種の膝の上で抱えられた。ヤル気満々かよ。パンツからシャツを引き出され、七種はシャツの中にそっと手を忍ばせた。手慣れ過ぎじゃねえのか。
「あ、あのっ……」
「肌スベスベなんだね…こういうこと、初めて?」
「こ、こういうことって…」
「こういうこと」
キュッと両方の乳首を抓まれ、突然のことに思わずカラダが跳ねてしまった。
「敏感なんだね…可愛い…」
「は…放してください…」
── 部屋にはビデオカメラ五台と集音マイク仕込んであるさかい、間違っても自分から誘うようなこと言いなや。踏み込むタイミングはケンソーに任せるわ。ここや、ゆうとこでこのネックレス引きちぎって。まあ、防犯ブザーみたいなもんや。その合図あるまで待ってるさかい、忘れんと鳴らしてや。
「あ、あのっ、ぼく、そんなつもりやなくて」
「……緊張してる?」
腰を抱えられ横に座らされると、そのまま押し倒されてシャツとニットをめくり上げられた。どこまでさせれば犯罪なんだ? できれば脅すだけじゃなくて、社会的に抹殺してしまいたいんだが。
オレの知らない事情とかオレにはわからない感情とか、そんなことに口を出すつもりも、それを罪だと言って裁くつもりもない。でもいま、湊はまだ苦しんでる。囚われて抜け出せないまま、無理矢理されたことでさえ自分の犯した過ちとして背負い込んだまま。
どんなにオレが守りたい、救いたいと思ったところで……敵が "過去の記憶" じゃ戦いようがない。
「…っ…や…」
「やっぱり敏感なんだね」
その指で、その舌で、湊を凌辱したんだな……どれだけ怖くて、どれだけ痛かったのか。断りたくても断れない、逃げ出したくても逃げ出せない絶望感は……共有できない。共有…できない?
「…やめてくださ…っ…」
「大丈夫、最初痛くても良くしてあげるから」
たいした自信だな……服を剥ぎ取るのはさすがに手慣れたもので、若干の抵抗くらいものともせず息をするように脱がせやがる。っつーかラブホじゃねんだぞ? ローションとかオイルなんて気の利いたもんはないんだが……そう思っているとうつ伏せにされ腰を持ち上げられた。ああ、唾液ね、ってオイ!!
待て待て、唾液っておまえ直腸は膣と違って、行為の間ずっと濡らし続けるほどの分泌液なんて出ないぞ!? てめえもゲイの端くれならそれくらいわかってんだろ!? それとも何か、てめえの参考書はBL本かなんかで、オレの直腸を性器だとでも思ってんのか!?
七種の硬いモノを尻に押し当てられたとき、冗談じゃねえとネックレスに手を掛けた。
……湊の痛みは…こんなもんじゃなかったんだろうな…
「…ぅ…ぐ…っ…う…」
「力抜いてて」
オレは引きちぎろうと掴んだネックレスをそっと放した。
いや痛いなんてもんじゃねえ……我慢しようと思っても呻き声が漏れるレベルの痛みなんて早々味わうことねえぞ……こんなこと、十二、三歳で耐えろなんて無茶な話だろ……痛みで怒りが増幅され、殺意が芽生える…
「い゛っ…う゛う゛…あ゛っ…」
「すごくイイね…きみのカラダ…」
「う゛…ぐっ…う゛う゛…」
「はっ…あ……中に出していい?」
「…や゛…だめ゛…っ…や゛め゛」
「ん、ごめ…ん…」
初めて逢った高校生相手に、しかも(手加減はしたが)抵抗する高校生相手に、よくもまあ生で中出しなんてできるもんだな、このおっさんは!!
そのとき部屋のドアが開いた。ネックレスはちぎってないが…まあどっかで盗聴でもしてたシロクロが、踏み込んだんだろう…
「…っ、てめえ何やってんだよっ!!!」
……湊!?
痛みと吐き気で声すら出ないオレの目の前で、湊は驚く七種の髪を掴んでベッドから引きずりおろし、力いっぱい蹴りを入れたようで、明らかに鈍い音と唸り声が聞こえた。
「湊、靴履いたままそんなんしたら死ぬて」
「死ねばいい」
「いやあかんやろ」
「死ななきゃわかんねえんだろ!! 絶対赦さねえからな!! 逃げんな、てめえこっち来い!!」
「湊、落ち着きて」
「あとはうちらに任せときて……それよりケンソー頼むわ」
あとから慌てて駆け込んだシロクロに取り押さえられた湊は、いままで聞いたこともないような声で七種を罵倒した。それからシロクロは、部屋に仕込んであったカメラとマイクをいそいそと撤収し、それを七種に突き出して笑った。
「おかげさんでイイ画撮れましたわ」
「AV男優デビュー作が素人未成年レイプもの…売れるやろなあ」
「ちょ…ちょっと待ってくれ…」
「自宅と学校と警察に持ち込んでもええけどやな」
「そ…それだけは……」
「ほな、このビデオ買い取ってもらおか……三千万で」
「さ、三千万!? そんな無茶な!」
「無理ならええねん、売るだけや…そのほうが儲かるさかい」
「そやなあ…五千本も売ればコスト引いても大黒字やで」
「た、頼む……それだけは…」
「ほな選びなはれ」
「三千万で生データ買い上げるか…」
「藤城家と藤城 湊との縁を切って、もう二度と近寄らんと約束するか」
「どっちや?」
シロとクロはカメラの画面を七種に向け、動画を再生した。
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