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第五十話 月に叢雲、花に風
しおりを挟む久御山は慌てることもなく僕に布団を掛けると、立ち上がって嵩澤に近付いた。
「……何?」
「何って……何してるんですか…」
「おまえには関係ない」
「…っ、ありますよ!! どうして藤城さんなんですか!?」
「あ゙ ?」
「彼女がいて、女子にモテモテで、それなのに藤城さんにまで手出すことないじゃないですか!」
「……オレのせいで自分が湊と上手く行かない、とでも思ってんの?」
「そんなことは思ってませんけど! でも、遊びたいなら女子と遊べばいいでしょう!?」
「もしかしてオレに喧嘩売ってる? 言い値で買おうか?」
「ノンケなんだから近付かないでくださいよ!」
「…倍額で買ってやんよ」
「久御山」
僕は久御山の腕を掴み、嵩澤との間に割って入った。
「ごめん久御山、先行ってて」
はーい、と不機嫌な声で答えた久御山は、それ以上言葉を発することなく保健室から出て行った。興奮気味に肩で息をする嵩澤に、少し歩こうか、と言ってふたりで校舎から外へ出る。
「…すみません…頭に血がのぼってしまって」
「うん、アツくなってたね」
校舎の周りを歩いてるうちに沸騰した頭も冷えるかな、と思いながら言葉少なに歩いた。
「嵩澤さ」
「……はい」
「ほんとは、誰が好きなの?」
「えっ…」
嵩澤は驚いた顔で僕を見上げ、小さな声で「どうして」とつぶやいた。
「ずっと考えてたんだけどさ」
どれだけ考えても僕が好かれる理由がわからなかったんだよね。初めて話したときに格好いいとか、頭がいいとか言ってたけどさ、それならきっと久御山のほうが格好いいし頭もいいしさ。何よりあいつは目立つしモテるし、僕に目が行く前にまず久御山に目が留まるんじゃないかな、って。
一ノ瀬にも訊いてみたんだけどさ、嵩澤の口から僕の名前が出たのって、中庭でキスしてたって噂話が出たあとなんだってね。その日から毎日紹介してくれって頼まれてた、って話だったけど……嵩澤が言ったように、四月から好きだったならどうして六月まで黙ってたんだろう?
学校で話し掛けて来るときも、どことなく久御山を煽ってるみたいな態度だったしさ。僕のことも久御山のこともよく知らないのに、さっきみたいに激昂したりして。唐突過ぎるかなあって印象が抜けないっていうか。
「……一ノ瀬が好きなんじゃないの?」
「…っ…藤城さ」
僕にちょっかい掛けて久御山を煽って……不機嫌になった久御山と嵩澤の間で一悶着あれば、あれだけ目立つ久御山のことだから学校中の噂になって、当然一ノ瀬の耳にも入るよね。その事態を心配した一ノ瀬は、嵩澤に話を聴くだろうけど久御山にも事情を聴くんじゃないかな。
「一ノ瀬の気持ちを揺さぶるには充分な計画だと思うけど」
「……藤城さん…俺…」
嵩澤は僕に抱き着き、声を殺して泣き出した。随分と我慢してたんだろうな……ポンポンと頭をなでると、必死に押し殺していた泣き声が嗚咽になってこぼれ、それを塞き止めていた気合いや自尊心や見栄なんかも崩れたみたいだ。
「中学の頃から、ずっと好きで」
「うん」
「同じ学校行きたくて、死ぬほど勉強して」
「がんばったんだな」
「でも一ノ瀬先輩、ノンケだし彼女いたこともあって」
「うん」
「せめて、後輩としてそばにいられればいいって思ったけど」
「うん」
「俺の気持ち…知らないままでいいと思ったけど…」
「うん、つらかったな」
久御山と僕を見てたら羨ましくて我慢できなくなった、と嵩澤はしゃくり上げた。それから、俺だって万が一にも可能性のある恋愛がしたかった、と……相手が女の子ならフラれても諦めが付くけど、同性にフラれるのは自分の人間性まで否定されてるような気持ちになる、と言って泣き続けた。
***
「あーあ……どうするよ一ノ瀬」
「どうする、って言われてもな…」
嵩澤のことでイラついてもしょうがないと思いつつ、あそこまで煽る理由ってなんなんだろう、と腑に落ちない部分も多くて、とりあえず嵩澤のことを訊くために一ノ瀬を捕まえたら、窓の外では嵩澤と湊が抱き合っている。どんな超展開なんだ、これ。
「ラブラブじゃねえか…責任取れよ?」
「なんの責任だよ!」
「湊にフラれたら責任取ってオレをもらってね」
「うわぁ…言い寄って来る女、山ほどいるくせに嫌味かよ…」
「本気だよ、ったく焚き付けやがって」
「ちょっと待て久御山……おまえ藤城のこと本気なの? え? あんなにモテるのに?」
「は? モテるとか関係ねえだろ……」
「え、ちょ、おまえアレなの? ホモなの? ノンケじゃなかった?」
「ホモかゲイかバイかノンケかなんてわかんねえわ…そんな風に考えたことねえもん」
「でもおまえ、彼女いるじゃん」
「…もういないけどな」
「え、別れたの!? まさか藤城のほうが好きだってこと!?」
溜息を吐きながらポケットからスマホを取り出し、アプリを開いて写真を探す。これだったかな、と目的の写真を選んで画面を一ノ瀬に向けた。
「なんだよラブラブかよ…いま見ても可愛いな、彼女……」
「湊だよ」
「……はい?」
「これ、湊だって」
「はあああああ!? おい、合コンのとき逢ったよな!? あれ藤城だったの!?」
「うん」
「うっそだろ…この子、成長したらあんなイケメンになんのかよ…」
「ずっと眼鏡掛けてたからなあ…いまコンタクトだけどさ」
「ああ、それで印象違うのか……ってか、ほんとに藤城だったんだ…」
「だからそう言ってんじゃねえか」
「え、じゃあおまえら一年の時から付き合ってたの!?」
「いや、付き合ってはいなかったけど…」
「……エグいこと訊いていい?」
「セックスならしてる」
「…してんだ……えっと、なんでしようと思った? おまえ女とも付き合いあったよな?」
「なんでって言われても……そん時はそれ以外の選択肢なんて思い付かなかったし」
「はあ…あれだけモテるのに藤城がいいんだ……」
「湊にモテたくて必死だけどな」
「……おまえが?」
「何かってーとノンケだからってバッサリ切り捨てられそうになるし」
「ノンケなのって…当たり前だと思ってたけど…」
「オレもそう思ってたよ、二年前までは」
「…踏み込むと変態扱いされるかな、とか気になってしまって」
「ふ、ノンケでも変態はいるだろうよ」
「うん……でも…将来のこととか考えるとさ…親にも悪いしな、とか」
「……なによ一ノ瀬、なんか悩んでんの?」
「気付かないフリすることが、優しさなのかな、とか…」
「もしかして、おまえ……」
なんつーか、オレもらい事故に巻き込まれてるだけじゃね?
嵩澤は湊が好きで、でもそれはカムフラージュでほんとは一ノ瀬が好きで? 一ノ瀬はノンケのはずだけど実は嵩澤が気になってて? だったらなんの問題もないじゃねえか……って考え出すと、ここで必ず高い壁にぶつかるんだよな。結局ノンケなんでしょう? ゲイの気持ちなんてわからないでしょう? みたいな。
オレも一ノ瀬もノンケだから女の子と付き合って、湊と嵩澤は性的指向が同じだから付き合ううえで問題なくて、めでたしめでたし、なのか? 自分の気持ちより周囲の目を考慮するほうが正しいわけ? そのほうがみんなしあわせなのか? 相手がゲイなら学校で抱き合うことも平気なのか?
この時オレは、以前桜庭が言った「好きなひとを諦めることで訪れる平和」について考えていた。
──
「すみません、忙しいのにお呼び立てしてしまって」
「全然、約束果たす機会作ってもらって安心してるよ」
銀座の高級料亭の個室で、宗弥さんは穏やかに笑った。以前、桜庭事変のお礼がディナーデートになって返ってくれば安いもんだ、って冗談で言ったことがあったけど、まさかこんなお高そうな店で実現するとは思ってなかった。床の間に掛け軸やら生け花のある個室って…
「賢颯くん、もしかして良え衆の息子なの?」
「どうしてですか?」
「日本料理のお作法、きちんとしてるから」
「地元にいるときはなんだかんだと躾が厳しかったので…あの、オレとデートって大丈夫でした?」
「ハルのこと?」
「はい、ご機嫌損ねたりしないのかな、と」
「ふふっ、少しくらい妬いてくれたほうが、俺は嬉しいからね」
宗弥さんは楽しそうに笑いながら冷酒カラフェを傾けた。気が利かなくてすみません、とカラフェを受け取りグラスに日本酒を注ぐと、宗弥さんは恐縮したあとありがとう、と笑った。
「それで? 話したいことって?」
「宗弥さんて、ノンケですよね」
「うん、そうだね」
「どうして桜庭と付き合おうと思ったんですか?」
「どうして……うーん、好きだからかな?」
「好きになったキッカケとか、あります?」
「あ、俺のことが好きなんだな、って意識し始めたからかな」
「桜庭は……自分がゲイだってことに、引け目感じたりしてます?」
「どうだろう、そういうのはないと思うけど」
「ないんですか?」
「まったくないわけではないだろうけど、ハルにとっては俺がすべてだからね……他人がどう思うか、より俺がどう思うか、のほうが重要なんじゃないかな。ゲイかノンケか、なんて世界にふたりきりならどうでもいいことじゃない?」
「……思いの外、深いですね」
「深くもないだろ…結局、男と男の仲も水物だってことだよ」
日本酒の入ったグラスを傾けながら、宗弥さんは穏やかに言う。属性がどうであれ、先が見えないことに変わりはない、と。
「…宗弥さんみたいな完璧超人でも、悩むことってありますか?」
「そのせいでしばらく前に、多大なる迷惑を掛けたと思うけど?」
「あれ、どうやって仲直りしたんですか?」
「……まあ、オトナがよくやる方法で」
「ああ…カラダにもの言わせたわけですね」
「人聞きの悪い…俺はカラダを張ったほうだからね?」
「え? え、あ、は? 宗弥さん、ネコなんですか?」
「違うわ! 違うけど…結果的にそうなったというか…」
「意外……宗弥さんは絶対バリタチだと思ってました…」
「おう、俺もそう思ってたわ…」
「……あの、どうだったか訊いてもいいですか? 後学のために…」
「後学て! 賢颯くん、そんな予定でもあるの?」
「いつまで経ってもノンケの呪縛から逃れられないので、いっそのこと、とは思ってます」
「なるほどねえ……超絶痛いよ?」
「う……」
「でもさ、痛みなんて我慢できるでしょ、男の子だもん」
「我慢した男の子が言うと説得力が違いますね…」
「大事なのって、それで得られる安心感とかしあわせとか、相手を満たせたかなっていう喜びとかじゃないのかな」
「嬉しかったですか?」
「うん、ハルがしあわせそうで、うっかり泣きそうになったよ」
宗弥さんは満面の笑みを浮かべて堂々と惚気た。格好いい大人だな、とますます宗弥さんが好きになった。それと同時に、高身長・高学歴・高収入・イケメン・イケボの完璧超人にこんな顔でこんなことを言わせる桜庭を、悔しいけど心の底からすごいな、と思った。
まあ、まずは一ノ瀬と嵩澤を片付けないことには、オレに安らぎは訪れないだろうな……
***
「藤城、ちょっといいか」
いつになく真剣な顔の一ノ瀬に呼ばれた僕は、いろいろな予感を覚えそれを頭で考えながら、非常口の手すりにもたれかかっていた。このタイミングでこの表情……間違いなく嵩澤のことだと思うけど…
「藤城はさ……嵩澤のこと、どう思ってる?」
「どう、って?」
「いや、ほら…告られたって言ってたからさ」
「ああ、うん、付き合うことにしたよ」
「……え? え!? マジで!?」
「え、うん……そんなに驚くことか?」
「だって…おまえ、久御山は!?」
「なんで久御山?」
「なんで、って……おまえ、久御山と付き合ってるんじゃないの!?」
「久御山、彼女いるんでしょ?」
「…いや、だって、それは」
「別に、久御山とはそういう関係じゃないよ…あいつ、普通にノンケじゃん」
「それはそうだけど……だからって、なんで嵩澤と…」
「…話持って来たの、一ノ瀬だろ」
「そ、それはそうだけど…」
「もしかして、話ってそれだけ?」
「あ、うん……」
これで食い付いてくれればいいんだけど……またな、と非常口の扉を開けて校舎の中に入ろうとした時、目の前に久御山が立っていて驚いた。
「久御山、どうした? 一ノ瀬に用?」
「……いや、通り掛かっただけ」
「あ、そうなんだ…おまえ、具合悪い?」
「別に…普通だけど」
「なんか顔色悪くない? しんどいなら保健室に」
「大丈夫だって」
額に当てようとした手のひらを軽く払われ、驚いて硬直していると久御山は僕の顔を一瞥してその場を立ち去った。ちょっと待て、手を払われた僕じゃなくて、なんでおまえがそんな傷付いたみたいな顔してるんだよ……
休み時間が終わり教室へ戻ると、久御山が早退していた。
※ 良え衆の息子=良家(金持ち)のお坊ちゃん。大阪は船場の商家で使われた言葉。
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