初戀

槙野 シオ

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第四十六話 狐がつまむ狐憑き

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「写真、いくらよ」

情報屋としてシロクロ兄弟を働かせ、最後にまとめて成功報酬を払うという方法を取ると、ヤツらの胸先三寸で要求金額がヒトケタ変わることもあるので、報酬は都度払いで交渉したほうがこっちも安心できる。

「五十万」
「ウォンか?」
「ドルや」
「…出世払いで」
「ケンソー、出世するつもりあるん?」

シロクロ兄弟はたちばなさんを熱のこもった目で見つめながら、再びボソボソと話し合った。

「こっちの要求飲んでくれるなら、写真はタダでええけど」
「何事も心掛け次第やで」
「誠意っちゅーもん見せてもらおか」
「おまえらは当たり屋かなんかか」

ベッドに腰掛けたまま、橘さんは「要求って?」と訊ねた。いや、いまアンタは全裸で、ジョックストラップなんつー尻を覆う布の代わりに紐が付いたパンツの着脱を要求されてる立場だってわかってんのか?

「ケンソーと真光さねみつの接合見せてくれたら100円」
「ケンソーと真光の手淫で1,000円」
「ケンソーか真光、いずれかの手淫で2,000円」
「価格表作ってんじゃねえよ! しかもなんだその値引き幅!」
「ケンソーと真光がお互いを慰めたら500円」
「おう、まだ続くのかこの変態兄弟」
「ケンソーが真光を尺れば50円」
「待てや、なんでそれがセックスより安くなってんだよ」
「二つ巴でお互い果てさせたらタダで」

タダか…、と橘さんがつぶやいたのをオレは聞き逃すこともなく、考慮するだけの余白代よはくしろがあんのかい! と全力でツッコミを入れる準備をした。行方不明になったのが湊なら、オレだって手段は選ばないかもしれないが……

「…ったく、しょうがねえ変態兄弟だな」
「ということは、ケンソーの独擅場? ケンソーの手淫?」
「脱いだほうがいいの?」
「いや、いつもやってる格好でいつものように」
「やりづれえわ!!」

シロクロ兄弟は顔を見合わせ、スマホの画面をこっちに向けた。

「このひと?」

橘さんが慌てて、スマホを持つシロの手を掴んで画面を確かめた。橘さん、その前に服着たほうがいいんじゃねえの。

「うん…間違いない…」
「シロクロ、どっち?」
「残念やけど……玄人プロやなあ」
「はあっ…構成員プロか…」

こうなると話はかなり厄介だ。

お小遣い欲しさに援交やらパパ活に励む女子高生や女子大生と同じく、お金に困ってカラダを売る男は少なくない。男女とも堅実にバイトをしていても間に合わない場合は、風俗に流れることもあるが、個人事業主・・・・・のほうが気楽かつ多く稼げるのも現実だ。

しかし企業に所属していない場合、守ってくれるひとはいない。大袈裟なことを言えば、ホテルという密室で殴る蹴るの暴行を受けても誰も助けてくれない。個人事業主はどこまで行ってもハイリスクハイリターンだ。リターンの良さを考慮してリスクヘッジを図れるなら問題ない。

いますぐまとまったお金が要る場合、借りる当てがなければ一度は身売りを考える。客の取り方がわからず別の手段を考えられるなら儲けものだが、そうじゃない場合は ── 力を貸してくれる大人に食いモノにされる。

その大人はチンピラだったり構成員だったり、風俗店のキャッチだったりホストだったりとさまざまだが、客の斡旋から代金の回収までしてくれる代わりに上前を撥ねられる。最悪の場合、動画を撮られて脅迫されたり、薬の海に沈められたり、二度と陽の当たる場所に戻れなくなるケースもある。

更に男の場合、売りモノになる期間が短いうえに、道行く男の誰に需要があるかわかりづらい。ノンケのおっさんに声掛けても意味ねえからな……というわけで、身売りしたい男を囲う仲介者オトナは後を絶たない。

きよは…お金欲しさに身体を売ったりは…」
「昔、兄貴に売り飛ばされたことがある、とかは?」
「……なくは…ないかな」
桐嶋 彌秀きりしま みつひで 三十八歳 京都大学出身 東京都在住 職歴の記載なし 六本木に事務所あるらしいで」
「インテリヤクザかよ……」
「最近な、陰間かげまに近付いては "みかじめ料" をネタに強請ゆするヤカラがようさんおってな」 ※陰間=男娼
「うちらも気にしててんけど、ここしばらく陰間がいてへん」
「……どういうことだ?」
「強請られる前に身請けされてんねやろうな」
「ほんで、身請けしてんのがその桐嶋ゆう男でな」
「なんでわかったんだ?」
「この辺の組事務所の端末覗いたら、DEATH NOTEに桐嶋の名前書いてる組がいくつかあってな」
「まあ、敵対しとる組が多いゆうことやな」
「自分たちのシノギをさらわれたから?」
「そやな……で、ケンソーどうするん?」
「どうする、とは?」
「一番簡単なんは陰間のフリして桐嶋に接触することやけど」
「は? オレが? なんで?」
「真光でも構へんけど……ケンソーのほうが喧嘩強そうやから」
「おい、どこの世界にヤクザに喧嘩売る高校生がいるんだよ」
「おれ行くよ? そもそもおれが持ち込んだ面倒だし」

橘さんは笑顔で名乗り出た。綾ちゃん奪還はまだ叶ってないとはいえ、どこにいるのかさえわからなかった不安からは解放されて、幾分晴れやかな顔付きにも見える。

「真光、襲われたらどないするん?」
「頑張って逃げるしかないかな?」
「こない別嬪べっぴんなんやから、襲われるに決まってるやんか…行ったあかんて」
「おう、オレなら襲われてもいい、みたいな言い草だな」
「まあ…ケンソーは、なんやかんや大丈夫そうやん?」
「襲われても貪欲に楽しみそうやんな」
「おまえらとは一度じっくり話をしたほうがよさそうだな」
「大丈夫だよ久御山くみやま、おれが行くから」
「……ケンソーが行くなら、今回の仕事タダでええよ」
「は?」

……はあぁぁぁぁっ…変態兄弟、本気で橘さんを囲うつもりなのか…珍しく他人に執着してるのはいいんだけど、どちらかというとシロクロ兄弟って事故物件みたいなもんだし、橘さんに申し訳ないというか…

「おい、天才事故物件変態兄弟」
「勝手に二つ名増やさんといてもらえます?」
「オレが行ってやるから、橘さんに少し説明しろよ、おまえらのこと」
「うちらのこと? 真光、なんや興味ある?」
「うん、興味はあるよ」
「ゆうても何話したらええんやろ」
「お近付きになりたいなら、少しくらい素性明かしといたほうが橘さんも安心だろ」

── うちら双子の兄弟で、うちが弟の狐森 白檀きつねもり びゃくだん、こっちが兄の黒檀こくたん。京都生まれ京育ち、九歳からはNY育ち。アンドーヴァーからハーバード、そこからMITの院に進んで現在休学中。いまの棲み処は新宿、スマホはiPhone、PCはMacBook Pro、ベジタリアンで、身長172cm、AB型、スコポフィリアの十八歳。

「…十八歳!? え、アンドーヴァーってフィリップス・アカデミー!? で、ハーバードからMIT入って十八歳!?」
「あっちはグレードスキップ? 飛び級? が当たり前やからねえ」
「あの、スコポフィリアが何か訊いてもいい?」
「いわゆる覗きとか盗撮がやめられへんアレやな」
「うちら、お縄になるようなことはせえへんけどな」
「物理的な刺激になんも感じひんねん」
「そやから交尾もせえへん」
「…そうなんだ」
「うちら以外の人間とはな」
「え…」
「あー、ハイハイそこまでそこまで…まともなひとには理解できないから」
「ケンソーにはわかるやろ?」
「わかるか! だってオレ普通にセックスしたいもん」
「変態や」
「歩く下半身や」

なんとでも言え、この変態兄弟……時計を見ると午前一時という微妙な時間だったので、とりあえず飲み物でも、とコーヒーを淹れにキッチンへ移動すると、橘さんが心配そうな顔で隣に立った。

「あの、久御山」
「明日の夜、ちょっとうろついてみるよ」
「おれが行くよ? 久御山にそこまでさせるわけには」
「橘さんが捕まっちゃうと、綾ちゃん奪還してもふりだしに戻っちゃうだけでしょ?」
「それは……でもだからって」
「それに、アンタどう見ても金に困ってカラダ売るようには見えないもん」

橘さん、スレたところがなくてそこはかとなく上品なんだよな……高校生の頃、誰かれ構わず学校でセックスしてたひとには見えない。ノンカフェインのコーヒーを橘さんに渡し、残りをリビングにいるふたりに持って行くと、シロクロ兄弟はおとなしく服を畳んでいた。

「……で? シロクロはなんで脱いでんの?」
「真光、一緒に寝よ」
「ベッド行こ」
「え、久御山どこで寝るの?」
「いや、疑問に思うとこそこじゃねえだろ」
「ケンソーはソファで寝るから」
「真光ベッドで一緒に寝よ?」

……もう一度脱ぐところを見せて欲しい、とシロクロが橘さんを口説き始めたので、オレはさっさとソファで横になった。っつーか家主オレなんだが? それにしても、よくあの速さで該当者見つけるよな……組事務所にDEATH NOTEはないと思うが、桐嶋が狙われてるってのは本当くさい。

さて、湊には言えないけど……もしものときのために、宗弥むねひささん辺りには伝えておいたほうがいいかな…


──


次の日の夜、シロクロ兄弟に指定された場所で行ったり来たりウロウロしていると、黒いスーツ姿の男が笑顔で近付いた。この日、声を掛けられるのは五人目だが……ビンゴか。

「オニイチャン、いくら?」

こうもあっさり初日に出逢えると逆に心配になる。つーか三十八のおっさんだとばかり思ってたのに、なんだこのイケメン。髪の長さがなるほど自由業って雰囲気を醸してるけど、着てるスーツはアットリーニか……正統派イタリアンだな。

「こういうの、相場ってあるの?」
「まあ、ピンキリだな……オニイチャン、えらくカッコイイな」
「いくらなら払ってもいいって思う?」
「そうだな…十万でどうだ?」
「……いいよ」
「交渉成立だな、着いて来い」

待て待て待て。十万円!? ウォンじゃなくて!? オレの一か月のバイト代より高えって、汗水流して働くのがバカバカしくなる金額だな。一回ヤったら余裕で一か月暮らせるじゃねーか。

着いて来いって、いきなり組事務所にご案内、とかじゃねーだろーな……

「乗れよ」

いまどきはベンツやキャデラックじゃなくて、アルファードとかレクサスが人気らしいって話を聞いたけど、まさかのブガッティ・シロン…これ、一台三億円とかじゃなかったっけ……もしかして桐嶋って、組の中でもかなり上層なのか…下手すれば海の藻屑にされかねない。

「ねえ、お兄さん何やってるひと?」
「あ? 何やってるように見えてんだ?」

筋者すじもの、とは口が裂けても言えない。

「んー、青年実業家? ベンチャーの社長さんとか」
「ふっ…まあ似たようなもんだな…ちょっと口開けな」
「えっ…」

助手席に座って運転席を見ると、桐嶋がこっちを見ながら薄っすら笑っていた。口開けろって、まさかここで尺らせるとかじゃねえだろうな……ないわな。車の運転中だし、いまはたまたま赤信号で止まってるだけだし。抵抗して変に疑われるのも困りものなので、おとなしく口を開けた。

アトマイザーみたいなものでシュッと何かをスプレーされる。なんだこれ、マウスウォッシュとかじゃないよな……駄菓子のようなベッタリとした甘さと一緒に、舌先が痺れるような苦さを感じた。

「…何、これ」
「普通なら使わねェんだけどな」
「普通?」
「オニイチャン、単なる売りじゃねェんだろ?」
「なんで…っ…」
「エリミン、ラボナ、ベゲタミン……なんだかわかるか?」
「え、睡眠導入…」

……やられた…! エリミンもベゲタミンも乱用防止のために販売中止になったっつーくらい凶悪な眠剤で、ラボナは外来では処方されることのない危ない薬だ。出回ってるうちにストックしてあったってことか。眠剤カクテル、しかも吸収されやすい霧状……ミスった…もう吐き出しても遅い…


──


頭……痛い…

こめかみに釘でも打ち込まれてんじゃないかという痛みを感じ、薄く目を開けると膜が張っているような不明瞭な視界…そこはかとなく吐き気もするような……と思いつつ首を動かして、痛みも眠気も吐き気も飛んだ。

「…んだこれ……」

なんだ、この本格的な拘束部屋……天井から吊り下げ用のフックはさがってるわ、拘束壁はあるわ、三角木馬はあるわ、ピロリーやらストックスやらどうなってんだ…趣味というには悪趣味過ぎる。まあ一番の問題は、オレ自身が拘束されてて身動き取れないってことだけどな。

「目ェ覚めたか?」

背筋を凍らせながら茫然と部屋を眺めていると、席を外していたらしい桐嶋が戻って来た。桐嶋は煙草に火を点けると、部屋にあるバーカウンターの椅子に腰掛け、こっちを眺めて笑った。
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