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前編 第三章「動き出す歯車」

転勤

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 ディオンと幹部達が、所謂親睦会を行っているさなか。
誰も管理者のいなくなったアベスカには、代わりにアリスがやって来ていた。
アリスが管理を行う――というわけではなく、とある人物に案件を依頼したかったからだ。
 アベスカの城内、客間にてそれは行われていた。

「パルドウィン王国へ、ですか」
「うん」

 そこに居たのは、アリスとプロスペロ・メチェナーテであった。
先日の旅行の際に助けた、元盗賊である。
 プロスペロには、アリスに返しても返しきれないほどの恩がある。
親の借金を返すために、致し方なく盗賊をやっていたプロスペロ。そこに出くわしたのが、パルドウィンに向かう道中だったアリスだ。
 盗賊から足を洗わせてくれただけでなく、その借金を帳消しにした。そして更にアベスカに巣食っていた裏組織の壊滅すらさせたのだ。
もしこの恩がお金として可視化されたのならば、一生働いても返しきれないの多額になるだろう。

 つまるところ、アリスからの〝お願い〟を断れない程度には、借りがあるということなのだ。

「君は人間だから、バレたりする危険はないと思う。やってもらいたいのは、パルドウィンの動向についてを逐一知らせること」
「は……はい……」
「勿論魔術は使えないだろうから、そういった道具は渡すよ」
「はいっ」

 そんなプロスペロに頼みたいのは、パルドウィンの出来事や情報。
当然だが一般人であるプロスペロを、機密情報のあるような場所へ送ることはない。
だからアリスが頼みたいのは、そんな一般人である彼でも入り込めるような場所での情報だ。
 それに国の動向であれば、酒場に行って適当な酒飲みに世間話として聞けば、ある程度聞き出せるだろう。
何よりもアリスの一番欲しい情報である勇者。それらの情報なんて、どこに向かっても手に入るはずだ。

「あぁそれと、賃金も用意しよう。でもカモフラージュとして、週に何回か仕事を入れて欲しいかな。そこで情報も仕入れられるかもしれないし」
「わ、わかりました」

 アリスからの要望が思ったよりも多く、プロスペロはメモを取りながら聞いている。
反論する気なんてさらさらないが、それならば出来るだけ期待に応えられるように頑張りたいのだ。
 アリスもアリスで、こんなに真面目な青年だというのに、どうして盗賊なんて……と思っていた。
とはいえ戦後の混乱した世の中。仕事も土地もない中、生まれてしまった多量の借金を減らす――となれば、犯罪に手を染める他なかったのだろう。
 そんなプロスペロへ勝手に同情しながら、彼が筆記を終えるのを待った。

「そうだな……頻度としては、週に一度。滅多に情報がないようなら、月一でもいいや。それ以外は大きな変化があれば、都度連絡すること」
「はい……、週……イチ、と」
「ん。守れるなら、後は自由にしていいよ」
「えぇ!? 本当ですか!?」

 食い気味に驚いたプロスペロに、アリスも驚く。
身寄りがないとはいえ、知らない川の向こうの土地に一人となれば、これくらいの厚遇でもいいだろう――そう判断して発言したのだ。
 エンプティやパラケルススが聞いていれば、「人間風情が自由だなんて烏滸がましい」「アリス様のために馬車馬のように働きまわるべきですぞ」なんて言うに違いない。

 言っておくがアリスはブラック企業を目指している訳では無い。
むしろそこは一番遠ざけたい目標だ。
それこそ暴力での支配と変わりないのである。せっかく(ほぼほぼ洗脳とはいえ)アベスカでは好印象を保ったまま、のだ。
このまま良いイメージのアリスのまま行きたい。
 であれば直々に仕事を頼むプロスペロに対しても同じだ。ホワイトに、人らしく。

「う、うん。君の借金は家族のものだったんだろ? 君自身にそういう浪費癖や、金遣いの粗さがないのならば良いよ。もしも負債を抱えたと情報を得たら、うーん」
「しません! しませんとも! アリ=マイアの神――いいえ、アリス様に誓って!」
「あ、はい。まぁそれ相応の罰を与える、とだけ覚えておいて」
「しませんからー!」

 とはいえアリスも頼み事をしている人間が、渡した金で借金などをし始めたら何かしらの制裁を加えるつもりだった。
ギャンブルで遊ぶ程度ならばいいが、借金は面倒だ。
 そこからアリス達の情報にたどり着いた時に、更なる面倒が起きる。
そうした時には今度こそプロスペロを――葬るなどして消さねばならない。

 罰はいずれ考えるとして、問題はそのパルドウィン王国へ向かう船だ。
戦争が直前に迫っていることから、もう殆どの船がその最終便を終えた。再びイルクナーの港が動き出すのは、戦争が終わってからだろう。
 唯一頼みの綱でもあるあの真っ赤な船は、リーレイが現在使用中。
もしかしたらリーレイはもう帝国に到着しているかもしれないが、その船がイルクナーの港に入ってくるまではまだまだ時間がある。

「とは言え流石に今は船がないからな……どうしようか。行ったことあるから、〈転移門〉は問題なく使えるんだけど……」

 アリスが考え込むと、プロスペロがソロリと手を上げた。
二人しかいない空間なのだから、遠慮せずに声を上げればいいものを……とアリスは呆れたが、気にせず聞いてやる。

「い、田舎から来たといえば、駄目でしょうか?」
「いいけど。なんとか誤魔化せそう?」
「はっはい! お任せください。アリス魔王陛下に救っていただいたのですから、それくらいは頑張りますよ」

 プロスペロは情報を仕入れてもらうだけあって、主な生活圏をなるべく首都の近くにしてもらうつもりだった。
だから〝田舎からきた〟という言い訳は通じるに通じる。
 それは勿論、相手が国内に精通していない場合にのみだが。
しかしながら現代とは違って、正確な地図もなければ位置情報もない。山奥に家族とだけで暮らしていました、と言えば信じてもらえるかもしれない。

 何よりもプロスペロは、アリ=マイアの問題点でもある〝魔術が全く使えない男〟なのだ。
万が一何かの査定に掛けられたとしても、その無能さが彼の安全を証明してくれる。
 こんな青年を見て、まさか魔王の手下とは――誰も思うまい。

「じゃあ三日あげるから、必要なものを用意してくれる?」
「はい!」
「資金はアベスカを任せている二人、もしくは国から貰ってね」
「はい!」




 三日後。
改めて城にやって来たプロスペロは、アリスの思っていたよりも小ぢんまりとした荷物で完結していた。
 いくら資金を与えるとは言え、その殆どを現地調達するのか――とアリスが怪訝そうに見ている。
流石にそれならば少々おこがましい、などと思いながら。

「……着替えは?」
「一応入ってますよ! 盗賊の時に学んだ収納術というか……後あんまり着替えませんでしたから」
「ふーん」
「必要になったら、稼いだお金で買います! 毎月頂く資金は、食費や家賃のみに使うって決めてますから」
「ほうほう」

 聞けば聞くほど真面目な男である。こんな青年がどうして盗賊なんて……と改めてアリスは思いながら、プロスペロを送り出す準備を進める。
 〈転移門〉はすぐに使用できるとして、まずプロスペロに渡すべきものがあった。

 アリスは魔術空間にしまっておいた〝それ〟を取り出した。
ズッシリとした図鑑のような大きいサイズの本。ハードカバーで創られたしっかりとした本だった。

「はい、これ」
「これは……?」
「通信道具。何がベストかなと思って考えたら、本かなと」
「はぁ……」

 イマイチプロスペロはピンと来ていない。それもそうだろう。元々これは普通の本だ。
 プロスペロが旅行の準備をしている三日の間、アリスは再びパルドウィンに行った。本当に一瞬だけの滞在だ。
この本を買うだけの滞在だった。
 本の内容は、パルドウィンの歴史と魔術に関して。別に中身は読む必要はないのだが、暇なときにでも目を通してくれればと思い選んだ。

 アリスはそんな何の変哲もない本に、通信魔術を付与した。
これは簡単に聞こえることだろうが、アリスが使った〈魔術付与〉という魔術は、魔術ランクXランクの最高位魔術である。
 〈転移門〉同様、本来であれば詠唱が必要とされる魔術だったが、それすら省いていとも簡単に魔術をつけたのだ。

「じゃあここに手を置いて」
「は、はい」
「君がこの本を開いて、通信魔術を希望した時のみ発動するから。本に君の情報を刻ませてね」
「……はい」

 本とプロスペロの手が、淡い光で包まれる。痛みなど感じなかったが、何となく己と本
が繋がっているように感じた。
 プロスペロの行う仕事は、言うなれば国家レベルである。
しかも世界を揺るがす魔王が関わるとなれば、もっと重要度は高くなるだろう。
そんな重大な話をホイホイと仕事仲間などに見られてしまっては、アリスの計画も全てが水の泡になるというもの。
 プロスペロが望まないときや、誰かが誤って本を開いたとき。そんなときは、ただの歴史書として読めるように。

「ありがと。もういいよ」
「はー、すごいですねぇ」
「ふふっ、でしょ。……あぁ、あと。一応住む場所が決まったら――」
「と、当然です! お知らせします。僕に何か変化があったら、その都度……ですよね」
「そーそー。よろしく。――じゃあ、〈転移門〉を開くね」

 こうして、プロスペロの新たな土地での新たな生活――任務が始まった。
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