64 / 122
前編 第二章 幕間「アベスカの裏事情」
摘発3
しおりを挟む
「その御方は、この国王が出来なかった民の心の支えを作ってやれと……申しておりました」
静かだった広場は、パラケルススのその言葉で再び湧き上がった。あからさまに国王を非難しているのにも関わらず、民達は自分らのことを考えていくれる――見たこともない存在に対して忠義を厚くしていく。
もちろんそれを聞いている、現国王であるライニールがいい気分なはずがなく。
結局自分の謝罪の場を設けられぬまま、部屋の中で待機してただ好き勝手言われるがままだ。
「チッ……あの気味の悪い医者め。好き勝手いいおって……」
「事実でしょう」
「ヒッ!?」
ライニールの真横に立っていたのは、真っ直ぐ切り揃えられた前髪が顔の半分を隠している少女。様々な衣服や伝統品を集めるのが趣味のライニールでさえ、見たことのない服。
少女の口元は笑っている。だが一度も見たことのない長い前髪の先は、一体どんなものなのだろうか。そう疑問に思ってしまう。
ライニールの横に立っているのはベル・フェゴールであった。
先のパラケルススとルーシーのやり取りの通り、彼女は後ろから見ているだけだ。この国には暇で暇でしょうがないときに、ちょくちょく顔を出しているものの、彼女の管轄領ではない。
だから今回のスピーチにも、立ち会うことはやめたのだ。
今後国民とは長い付き合いになりそうだし、会話する機会も増えるだろう。だからといってここで主張するほどでもない。
最も、ルーシーとは違ってベルは人間に対する考えが極端だ。大抵の幹部がそうなのだが、彼女に至っては人間は愛玩動物か食べ物程度にしか感じていない。
「さっきからペチャクチャ喋ってうるさい人ですね」
「…………ッ」
「大臣を見習いなさい」
ベルが指差した先には、大臣達がきちんと並んで待機している。パラケルススとルーシーの演説を聞きながら、表情は固く、額を伝う液体は冷や汗。
そもそも今の状況で大臣達が、きちんと話を聞いているかという問題だが。
大臣達の周りには、ベルの飼っている巨大な蛾が浮遊していたのだ。
「だ、大体あんな蛾が何なんだ! あの程度怯える対象でも……」
「あれはあたしの部下であり、武器です」
近距離タイプであるベルは魔術に対する耐性と、それを扱う力が弱い。
当然ただの人間に比べれば遥かに強いのだが、他の幹部に比べると圧倒的に弱いのだ。
だからそれを補うために、この蛾の二匹が採用された。
デザインはもちろんアリスだ。虫といえば、蛾と言えばこれだろうと思いのままに設定した。
レベルは両者とも150であり、どれだけ経験値を積もうともこれ以上上がることはない。しかしこの世界で150レベルとなれば相当な強さである。
ぼってりとした腹部、黒っぽく所々黄色の文様が散りばめられたクロメンガタスズメ――通称「トマス」。
トマスは火属性や闇属性の遠距離攻撃型で、二匹の中でも攻撃力の高い方だ。
戦闘時に直接介入してサポートをするタイプで、高い攻撃力にて支援を行う。
打って変わって鮮やかな黄色と大きな羽根が特徴的なヤママユガである通称「ハリス」。
ハリスも遠距離攻撃を可能とするが、基本的には回復などの支援を得意とする。
残念ながら部下というよりもペットや武器に近い蛾の二匹であるため、意思の疎通は図れるとは言い難い。ベルやアリスの命令は聞くものの、お喋りをしたり知能のある生命体のように会話は困難である。
そして何よりも圧倒的スピードを誇るベルが、魔術支援を必要とするほどの戦闘が起きることは大抵あり得ないのだ。
あり得たとしても、勇者と対峙したときくらいだろう。
だが勇者はアリス自らの手で屠る対象。そうならないことを祈るしかない。
基本はベルの魔術サポート要員とは言えども、人間程度の弱い種族であれば二匹で解決することがある。ベルが動くほどのことではないのだ。
意思疎通が出来ずとも監視程度にはなる。
普通のクロメンガタスズメとヤママユガとは違って、遥かに巨大でしかも魔術も扱うのだ。命令を遂行する程度には知性はある。
「そ、そんな化け物のわけが……」
「少なくともこの国には、トマスとハリスで蹂躙出来ない人間はいません。あたし達が手を下す以前の問題です」
「…………」
ライニールは絶望した。
ただの蛾程度に、国が滅ぼされると聞いて誰がまともでいられようか。
「それに貴方はもう我々の駒。アリス様の不利となる発言をすることは許されません」
「…………で、ではどうしろと……」
「こちらからの指示がない限り、いつも通り王として鎮座しているだけでいいのです。あ、ただし豪遊や先程のような暴言は許されません。ただの王としてあるだけでいいのです」
「そ、んな……」
いるだけでいい王だなんて、以前のライニールが聞けば喜んで受け入れていただろう。自分を嫌う国民の機嫌取りなどしなくていいし、国を回すことで頭を悩ませている大臣の無駄な会議に参加しなくていい。
だが今は別だ。
ただ座っているだけ、とベルは言うが実際は違う。
万が一に、アリスのことが他国へ漏洩した場合の尻拭いがきっと待っている。
他国へ取り繕い、嘘を塗り固め、アリスの存在がバレないように振る舞わなければならない。
国の顔としてアリスを守る一つの盾として、存在しなければならない。
「口答えしますか?」
「し、しな、しない!」
「〝しない〟?」
「いえ! しません!」
ライニールにとってこの少女の実力は未知数だったが、たった二匹で国を滅ぼせる蛾の主人だ。どう考えても強いに決まっている。
少なくとも兵士でもない、ただの人間であるライニールが抵抗できる術などない。
ここは黙って頷いて従うのが最善の策なのだ。
「では静かにパラ殿――いえ、パラケルススの言葉を聞いていなさい」
「はい!」
「逃げようなんて考えがあれば、貴方ならば分かりますよね? 最初の奇襲時に、死んだ兵士を見ていた貴方ならば」
ライニールの顔が一気に青々しくなる。
――まさか、あの時の惨状を引き起こしたのはこの娘だと言うのか?
ふとそんな思いがよぎる。
当時はまさに一瞬の出来事だった。逃げようとした兵士がいた、と認識した瞬間にはもう体がぶつ切りになり、床は鮮血と肉片でまみれていた。
死体も死体で、城の兵士が片付ける暇もないまま、血まみれの廊下は綺麗になっていた。兵士に聞けば少女達がなにかしていたと言うものだから、もう開いた口が塞がらない。
ライニールは廊下の血液どころか、自分の服に飛び散った血液が拭えず、結局気に入っていた服を捨てる羽目になったというのに。
一体どんなマジックを使ったのか不明だったが、魔術に関しては圧倒的に遅れを取っているアリ=マイアの民に分かるはずなどないのだ。
「に、逃げるだなんて! とんでもない! へ、へへ、ハハ! ぜひともパラケルスス殿の、大事な話を聞かせていただきます!」
「よろしい」
とは言えライニールは、全てを許したわけではない。
彼の中にはまだ少し猜疑心が残っていた。国のために疑う、というよりは自分のために、もしかしたら逃げられるんじゃ……という甘い考えからくるものだったが。
何よりもベルが言う「蛾二匹で国を滅ぼせる」という言葉の信憑性のなさだ。
そんなこと聞いたこともない。
ライニール自身、様々な国に遊びに行っては、いろんな話を聞いたり経験したりした。
もちろん、魔術の技術が圧倒的に上であるパルドウィン王国やリトヴェッタ帝国に比べれば、大した知識でもない。
だがある程度噂として聞いてきた話をまとめれば、そんなこと不可能だという考えに行き着くのだ。
(あの巨大な蛾程度で国を滅ぼせるだと……!? そんな事があってたまるか! 大臣らは、見たこともない巨大な蛾に怯えているだけだ! 我々は力もないし、戦地に立つわけじゃないから、実戦経験などない……脅されれば怖がるに決まっている!)
そしてベルもベルで、魔術には特段詳しくはないし、読心術なんて以ての外だ。
人間の考えなんて、食料の思考なんて読むことなどしない。
だがあの高慢でわがままなライニール国王が、恐怖の支配下にあるとはいえ、あっさりと引いたのだ。多少の違和感は覚えるものだろう。
言うなれば、オタク特有の深読みといったところか。
「トマス」
たった一言だった。
だがトマスと呼ばれた黒い方の巨大な蛾が、命令を受けて動くにはちょうどよかった。
トマスはたまたま隣にいた、防衛大臣のルーラント・ニーメイエルに向けて火属性の魔術を放った。
「ぐ、ぎゃあああぁああぁ!!」
瞬時に体が炎に包まれるルーラント。周りに居た他の大臣達は、恐怖と焦りで燃え盛るルーラントから逃げんとしている。
ライニール達が詰めている部屋に、ルーラントの断末魔がこだまする。
突如として巻き起こった焼殺に、ライニールを始めとする人間は驚きが隠せない。
しかしそれを命令したベルも、当然だが遂行した蛾もただ黙って見ている。
いや、ベルに至っては楽しそうに見つめているではないか。
それもそうだろう。人間だって、目の前にある肉や野菜が美味しそうに焼けていたら、これから味わう美味を期待して喜んでしまう。それと同じだ。
「ハリス」
今度は黄色い蛾が動いた。光魔術で一瞬のうちに治療すれば、つい数瞬前まで炎に包まれてのたうち回っていたルーラントは元の状態へと戻された。
ただの見せしめ、実力を見せつけるためのデモンストレーションだったわけで、実際これからベルのご飯になるわけではないのだ。
むしろここで食べてしまえば、アリス並びに幹部から酷いお叱りを受けるだろう。
アリスの盾となるための、大事な駒の一つを殺したことになるのだ。大きな損失程度では済まされないだろう。
なんと言ってもアリスが初めて征服した国家。国の重要人物を殺した、その損害は計り知れない。
さて、ルーラント大臣といえば、わけも分からず尻もちを付いたまま立とうとしない。
つい先程まで焼き殺されかけていたのだから当然だろう。何故自分は死んでない? と不思議がっている。
きっと先程までの痛みと恐怖は、まだ記憶にしっかりと残っているはずだ。だが何処も痛くはないし、燃えてすら居ない。脳みそが処理をしきれていないのだろう。
(…………何を、しているのだ? あの少女は)
ライニールも大臣同様、頭が追いついていなかった。
いつものプライドの高そうで、自信に満ち溢れた顔はない。頓狂な顔で、座り込んでいる初老の男を見ているだけだ。それが精一杯なのだ。
「ちょっとぉ、ベル。何かするなら教えてよ。パラケルススの邪魔しないで」
「すまそ」
人一人殺しかけたのに、笑い合っている。年頃の少女が喫茶店で談笑するかのように、日常的なトーンで喋っている。
牽制を終えたベルは、何事も無かったかのようにパラケルススの方へと向き直った。
攻撃を受けたルーラントと、それを見ていた大臣達は、更に顔を強張らせて黙りこくってしまった。横をあの巨大な蛾が通るたびにビクリと震えている。
(なぜ、普通に笑っているのだ? 一瞬で人が焼かれて、一瞬で治療されたというのに)
ライニールには到底理解出来なかった。
そして、彼女達に逆らってはいけないとようやっと理解したのだ。
「は、ハハハ…………」
その日、ライニールは民に謝罪をすること以外で、口を開くことはなかった。
静かだった広場は、パラケルススのその言葉で再び湧き上がった。あからさまに国王を非難しているのにも関わらず、民達は自分らのことを考えていくれる――見たこともない存在に対して忠義を厚くしていく。
もちろんそれを聞いている、現国王であるライニールがいい気分なはずがなく。
結局自分の謝罪の場を設けられぬまま、部屋の中で待機してただ好き勝手言われるがままだ。
「チッ……あの気味の悪い医者め。好き勝手いいおって……」
「事実でしょう」
「ヒッ!?」
ライニールの真横に立っていたのは、真っ直ぐ切り揃えられた前髪が顔の半分を隠している少女。様々な衣服や伝統品を集めるのが趣味のライニールでさえ、見たことのない服。
少女の口元は笑っている。だが一度も見たことのない長い前髪の先は、一体どんなものなのだろうか。そう疑問に思ってしまう。
ライニールの横に立っているのはベル・フェゴールであった。
先のパラケルススとルーシーのやり取りの通り、彼女は後ろから見ているだけだ。この国には暇で暇でしょうがないときに、ちょくちょく顔を出しているものの、彼女の管轄領ではない。
だから今回のスピーチにも、立ち会うことはやめたのだ。
今後国民とは長い付き合いになりそうだし、会話する機会も増えるだろう。だからといってここで主張するほどでもない。
最も、ルーシーとは違ってベルは人間に対する考えが極端だ。大抵の幹部がそうなのだが、彼女に至っては人間は愛玩動物か食べ物程度にしか感じていない。
「さっきからペチャクチャ喋ってうるさい人ですね」
「…………ッ」
「大臣を見習いなさい」
ベルが指差した先には、大臣達がきちんと並んで待機している。パラケルススとルーシーの演説を聞きながら、表情は固く、額を伝う液体は冷や汗。
そもそも今の状況で大臣達が、きちんと話を聞いているかという問題だが。
大臣達の周りには、ベルの飼っている巨大な蛾が浮遊していたのだ。
「だ、大体あんな蛾が何なんだ! あの程度怯える対象でも……」
「あれはあたしの部下であり、武器です」
近距離タイプであるベルは魔術に対する耐性と、それを扱う力が弱い。
当然ただの人間に比べれば遥かに強いのだが、他の幹部に比べると圧倒的に弱いのだ。
だからそれを補うために、この蛾の二匹が採用された。
デザインはもちろんアリスだ。虫といえば、蛾と言えばこれだろうと思いのままに設定した。
レベルは両者とも150であり、どれだけ経験値を積もうともこれ以上上がることはない。しかしこの世界で150レベルとなれば相当な強さである。
ぼってりとした腹部、黒っぽく所々黄色の文様が散りばめられたクロメンガタスズメ――通称「トマス」。
トマスは火属性や闇属性の遠距離攻撃型で、二匹の中でも攻撃力の高い方だ。
戦闘時に直接介入してサポートをするタイプで、高い攻撃力にて支援を行う。
打って変わって鮮やかな黄色と大きな羽根が特徴的なヤママユガである通称「ハリス」。
ハリスも遠距離攻撃を可能とするが、基本的には回復などの支援を得意とする。
残念ながら部下というよりもペットや武器に近い蛾の二匹であるため、意思の疎通は図れるとは言い難い。ベルやアリスの命令は聞くものの、お喋りをしたり知能のある生命体のように会話は困難である。
そして何よりも圧倒的スピードを誇るベルが、魔術支援を必要とするほどの戦闘が起きることは大抵あり得ないのだ。
あり得たとしても、勇者と対峙したときくらいだろう。
だが勇者はアリス自らの手で屠る対象。そうならないことを祈るしかない。
基本はベルの魔術サポート要員とは言えども、人間程度の弱い種族であれば二匹で解決することがある。ベルが動くほどのことではないのだ。
意思疎通が出来ずとも監視程度にはなる。
普通のクロメンガタスズメとヤママユガとは違って、遥かに巨大でしかも魔術も扱うのだ。命令を遂行する程度には知性はある。
「そ、そんな化け物のわけが……」
「少なくともこの国には、トマスとハリスで蹂躙出来ない人間はいません。あたし達が手を下す以前の問題です」
「…………」
ライニールは絶望した。
ただの蛾程度に、国が滅ぼされると聞いて誰がまともでいられようか。
「それに貴方はもう我々の駒。アリス様の不利となる発言をすることは許されません」
「…………で、ではどうしろと……」
「こちらからの指示がない限り、いつも通り王として鎮座しているだけでいいのです。あ、ただし豪遊や先程のような暴言は許されません。ただの王としてあるだけでいいのです」
「そ、んな……」
いるだけでいい王だなんて、以前のライニールが聞けば喜んで受け入れていただろう。自分を嫌う国民の機嫌取りなどしなくていいし、国を回すことで頭を悩ませている大臣の無駄な会議に参加しなくていい。
だが今は別だ。
ただ座っているだけ、とベルは言うが実際は違う。
万が一に、アリスのことが他国へ漏洩した場合の尻拭いがきっと待っている。
他国へ取り繕い、嘘を塗り固め、アリスの存在がバレないように振る舞わなければならない。
国の顔としてアリスを守る一つの盾として、存在しなければならない。
「口答えしますか?」
「し、しな、しない!」
「〝しない〟?」
「いえ! しません!」
ライニールにとってこの少女の実力は未知数だったが、たった二匹で国を滅ぼせる蛾の主人だ。どう考えても強いに決まっている。
少なくとも兵士でもない、ただの人間であるライニールが抵抗できる術などない。
ここは黙って頷いて従うのが最善の策なのだ。
「では静かにパラ殿――いえ、パラケルススの言葉を聞いていなさい」
「はい!」
「逃げようなんて考えがあれば、貴方ならば分かりますよね? 最初の奇襲時に、死んだ兵士を見ていた貴方ならば」
ライニールの顔が一気に青々しくなる。
――まさか、あの時の惨状を引き起こしたのはこの娘だと言うのか?
ふとそんな思いがよぎる。
当時はまさに一瞬の出来事だった。逃げようとした兵士がいた、と認識した瞬間にはもう体がぶつ切りになり、床は鮮血と肉片でまみれていた。
死体も死体で、城の兵士が片付ける暇もないまま、血まみれの廊下は綺麗になっていた。兵士に聞けば少女達がなにかしていたと言うものだから、もう開いた口が塞がらない。
ライニールは廊下の血液どころか、自分の服に飛び散った血液が拭えず、結局気に入っていた服を捨てる羽目になったというのに。
一体どんなマジックを使ったのか不明だったが、魔術に関しては圧倒的に遅れを取っているアリ=マイアの民に分かるはずなどないのだ。
「に、逃げるだなんて! とんでもない! へ、へへ、ハハ! ぜひともパラケルスス殿の、大事な話を聞かせていただきます!」
「よろしい」
とは言えライニールは、全てを許したわけではない。
彼の中にはまだ少し猜疑心が残っていた。国のために疑う、というよりは自分のために、もしかしたら逃げられるんじゃ……という甘い考えからくるものだったが。
何よりもベルが言う「蛾二匹で国を滅ぼせる」という言葉の信憑性のなさだ。
そんなこと聞いたこともない。
ライニール自身、様々な国に遊びに行っては、いろんな話を聞いたり経験したりした。
もちろん、魔術の技術が圧倒的に上であるパルドウィン王国やリトヴェッタ帝国に比べれば、大した知識でもない。
だがある程度噂として聞いてきた話をまとめれば、そんなこと不可能だという考えに行き着くのだ。
(あの巨大な蛾程度で国を滅ぼせるだと……!? そんな事があってたまるか! 大臣らは、見たこともない巨大な蛾に怯えているだけだ! 我々は力もないし、戦地に立つわけじゃないから、実戦経験などない……脅されれば怖がるに決まっている!)
そしてベルもベルで、魔術には特段詳しくはないし、読心術なんて以ての外だ。
人間の考えなんて、食料の思考なんて読むことなどしない。
だがあの高慢でわがままなライニール国王が、恐怖の支配下にあるとはいえ、あっさりと引いたのだ。多少の違和感は覚えるものだろう。
言うなれば、オタク特有の深読みといったところか。
「トマス」
たった一言だった。
だがトマスと呼ばれた黒い方の巨大な蛾が、命令を受けて動くにはちょうどよかった。
トマスはたまたま隣にいた、防衛大臣のルーラント・ニーメイエルに向けて火属性の魔術を放った。
「ぐ、ぎゃあああぁああぁ!!」
瞬時に体が炎に包まれるルーラント。周りに居た他の大臣達は、恐怖と焦りで燃え盛るルーラントから逃げんとしている。
ライニール達が詰めている部屋に、ルーラントの断末魔がこだまする。
突如として巻き起こった焼殺に、ライニールを始めとする人間は驚きが隠せない。
しかしそれを命令したベルも、当然だが遂行した蛾もただ黙って見ている。
いや、ベルに至っては楽しそうに見つめているではないか。
それもそうだろう。人間だって、目の前にある肉や野菜が美味しそうに焼けていたら、これから味わう美味を期待して喜んでしまう。それと同じだ。
「ハリス」
今度は黄色い蛾が動いた。光魔術で一瞬のうちに治療すれば、つい数瞬前まで炎に包まれてのたうち回っていたルーラントは元の状態へと戻された。
ただの見せしめ、実力を見せつけるためのデモンストレーションだったわけで、実際これからベルのご飯になるわけではないのだ。
むしろここで食べてしまえば、アリス並びに幹部から酷いお叱りを受けるだろう。
アリスの盾となるための、大事な駒の一つを殺したことになるのだ。大きな損失程度では済まされないだろう。
なんと言ってもアリスが初めて征服した国家。国の重要人物を殺した、その損害は計り知れない。
さて、ルーラント大臣といえば、わけも分からず尻もちを付いたまま立とうとしない。
つい先程まで焼き殺されかけていたのだから当然だろう。何故自分は死んでない? と不思議がっている。
きっと先程までの痛みと恐怖は、まだ記憶にしっかりと残っているはずだ。だが何処も痛くはないし、燃えてすら居ない。脳みそが処理をしきれていないのだろう。
(…………何を、しているのだ? あの少女は)
ライニールも大臣同様、頭が追いついていなかった。
いつものプライドの高そうで、自信に満ち溢れた顔はない。頓狂な顔で、座り込んでいる初老の男を見ているだけだ。それが精一杯なのだ。
「ちょっとぉ、ベル。何かするなら教えてよ。パラケルススの邪魔しないで」
「すまそ」
人一人殺しかけたのに、笑い合っている。年頃の少女が喫茶店で談笑するかのように、日常的なトーンで喋っている。
牽制を終えたベルは、何事も無かったかのようにパラケルススの方へと向き直った。
攻撃を受けたルーラントと、それを見ていた大臣達は、更に顔を強張らせて黙りこくってしまった。横をあの巨大な蛾が通るたびにビクリと震えている。
(なぜ、普通に笑っているのだ? 一瞬で人が焼かれて、一瞬で治療されたというのに)
ライニールには到底理解出来なかった。
そして、彼女達に逆らってはいけないとようやっと理解したのだ。
「は、ハハハ…………」
その日、ライニールは民に謝罪をすること以外で、口を開くことはなかった。
0
お気に入りに追加
24
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
嫌われ聖女さんはとうとう怒る〜今更大切にするなんて言われても、もう知らない〜
𝓝𝓞𝓐
ファンタジー
13歳の時に聖女として認定されてから、身を粉にして人々のために頑張り続けたセレスティアさん。どんな人が相手だろうと、死にかけながらも癒し続けた。
だが、その結果は悲惨の一言に尽きた。
「もっと早く癒せよ! このグズが!」
「お前がもっと早く治療しないせいで、後遺症が残った! 死んで詫びろ!」
「お前が呪いを防いでいれば! 私はこんなに醜くならなかったのに! お前も呪われろ!」
また、日々大人も気絶するほどの魔力回復ポーションを飲み続けながら、国中に魔物を弱らせる結界を張っていたのだが……、
「もっと出力を上げんか! 貴様のせいで我が国の騎士が傷付いたではないか! とっとと癒せ! このウスノロが!」
「チッ。あの能無しのせいで……」
頑張っても頑張っても誰にも感謝されず、それどころか罵られるばかり。
もう我慢ならない!
聖女さんは、とうとう怒った。
「不細工なお前とは婚約破棄したい」と言ってみたら、秒で破棄されました。
桜乃
ファンタジー
ロイ王子の婚約者は、不細工と言われているテレーゼ・ハイウォール公爵令嬢。彼女からの愛を確かめたくて、思ってもいない事を言ってしまう。
「不細工なお前とは婚約破棄したい」
この一言が重要な言葉だなんて思いもよらずに。
※約4000文字のショートショートです。11/21に完結いたします。
※1回の投稿文字数は少な目です。
※前半と後半はストーリーの雰囲気が変わります。
表紙は「かんたん表紙メーカー2」にて作成いたしました。
❇❇❇❇❇❇❇❇❇
2024年10月追記
お読みいただき、ありがとうございます。
こちらの作品は完結しておりますが、10月20日より「番外編 バストリー・アルマンの事情」を追加投稿致しますので、一旦、表記が連載中になります。ご了承ください。
1ページの文字数は少な目です。
約4500文字程度の番外編です。
バストリー・アルマンって誰やねん……という読者様のお声が聞こえてきそう……(;´∀`)
ロイ王子の側近です。(←言っちゃう作者 笑)
※番外編投稿後は完結表記に致します。再び、番外編等を投稿する際には連載表記となりますこと、ご容赦いただけますと幸いです。

貴族に生まれたのに誘拐され1歳で死にかけた
佐藤醤油
ファンタジー
貴族に生まれ、のんびりと赤ちゃん生活を満喫していたのに、気がついたら世界が変わっていた。
僕は、盗賊に誘拐され魔力を吸われながら生きる日々を過ごす。
魔力枯渇に陥ると死ぬ確率が高いにも関わらず年に1回は魔力枯渇になり死にかけている。
言葉が通じる様になって気がついたが、僕は他の人が持っていないステータスを見る力を持ち、さらに異世界と思われる世界の知識を覗ける力を持っている。
この力を使って、いつか脱出し母親の元へと戻ることを夢見て過ごす。
小さい体でチートな力は使えない中、どうにか生きる知恵を出し生活する。
------------------------------------------------------------------
お知らせ
「転生者はめぐりあう」 始めました。
------------------------------------------------------------------
注意
作者の暇つぶし、気分転換中の自己満足で公開する作品です。
感想は受け付けていません。
誤字脱字、文面等気になる方はお気に入りを削除で対応してください。

転生令嬢の食いしん坊万罪!
ねこたま本店
ファンタジー
訳も分からないまま命を落とし、訳の分からない神様の手によって、別の世界の公爵令嬢・プリムローズとして転生した、美味しい物好きな元ヤンアラサー女は、自分に無関心なバカ父が後妻に迎えた、典型的なシンデレラ系継母と、我が儘で性格の悪い妹にイビられたり、事故物件王太子の中継ぎ婚約者にされたりつつも、しぶとく図太く生きていた。
そんなある日、プリムローズは王侯貴族の子女が6~10歳の間に受ける『スキル鑑定の儀』の際、邪悪とされる大罪系スキルの所有者であると判定されてしまう。
プリムローズはその日のうちに、同じ判定を受けた唯一の友人、美少女と見まごうばかりの気弱な第二王子・リトス共々捕えられた挙句、国境近くの山中に捨てられてしまうのだった。
しかし、中身が元ヤンアラサー女の図太い少女は諦めない。
プリムローズは時に気弱な友の手を引き、時に引いたその手を勢い余ってブン回しながらも、邪悪と断じられたスキルを駆使して生き残りを図っていく。
これは、図太くて口の悪い、ちょっと(?)食いしん坊な転生令嬢が、自分なりの幸せを自分の力で掴み取るまでの物語。
こちらの作品は、2023年12月28日から、カクヨム様でも掲載を開始しました。
今後、カクヨム様掲載用にほんのちょっとだけ内容を手直しし、1話ごとの文章量を増やす事でトータルの話数を減らした改訂版を、1日に2回のペースで投稿していく予定です。多量の加筆修正はしておりませんが、もしよろしければ、カクヨム版の方もご笑覧下さい。
※作者が適当にでっち上げた、完全ご都合主義的世界です。細かいツッコミはご遠慮頂ければ幸いです。もし、目に余るような誤字脱字を発見された際には、コメント欄などで優しく教えてやって下さい。
※検討の結果、「ざまぁ要素あり」タグを追加しました。

出来損ないと呼ばれた伯爵令嬢は出来損ないを望む
家具屋ふふみに
ファンタジー
この世界には魔法が存在する。
そして生まれ持つ適性がある属性しか使えない。
その属性は主に6つ。
火・水・風・土・雷・そして……無。
クーリアは伯爵令嬢として生まれた。
貴族は生まれながらに魔力、そして属性の適性が多いとされている。
そんな中で、クーリアは無属性の適性しかなかった。
無属性しか扱えない者は『白』と呼ばれる。
その呼び名は貴族にとって屈辱でしかない。
だからクーリアは出来損ないと呼ばれた。
そして彼女はその通りの出来損ない……ではなかった。
これは彼女の本気を引き出したい彼女の周りの人達と、絶対に本気を出したくない彼女との攻防を描いた、そんな物語。
そしてクーリアは、自身に隠された秘密を知る……そんなお話。
設定揺らぎまくりで安定しないかもしれませんが、そういうものだと納得してくださいm(_ _)m
※←このマークがある話は大体一人称。

【一話完結】断罪が予定されている卒業パーティーに欠席したら、みんな死んでしまいました
ツカノ
ファンタジー
とある国の王太子が、卒業パーティーの日に最愛のスワロー・アーチェリー男爵令嬢を虐げた婚約者のロビン・クック公爵令嬢を断罪し婚約破棄をしようとしたが、何故か公爵令嬢は現れない。これでは断罪どころか婚約破棄ができないと王太子が焦り始めた時、招かれざる客が現れる。そして、招かれざる客の登場により、彼らの運命は転がる石のように急転直下し、恐怖が始まったのだった。さて彼らの運命は、如何。

一家処刑?!まっぴらごめんですわ!!~悪役令嬢(予定)の娘といじわる(予定)な継母と馬鹿(現在進行形)な夫
むぎてん
ファンタジー
夫が隠し子のチェルシーを引き取った日。「お花畑のチェルシー」という前世で読んだ小説の中に転生していると気付いた妻マーサ。 この物語、主人公のチェルシーは悪役令嬢だ。 最後は華麗な「ざまあ」の末に一家全員の処刑で幕を閉じるバッドエンド‥‥‥なんて、まっぴら御免ですわ!絶対に阻止して幸せになって見せましょう!! 悪役令嬢(予定)の娘と、意地悪(予定)な継母と、馬鹿(現在進行形)な夫。3人の登場人物がそれぞれの愛の形、家族の形を確認し幸せになるお話です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる