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前編 第二章「アリスの旅行」
雪山へ2
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近付いていけばその種族が何なのかを、アリスもよく分かってきた。
特段アリスはこういったファンタジー生物に詳しいわけではないが、これが村人の忠告するドラゴンではないことは理解できた。
となれば別の種族。アリスの中でふと思い浮かんだ、ドラゴンに似た種族をぽろりとこぼす。
「えーと、ワイバーンだったか?」
「ひ、ひいぃい!! そ、そうですぅう! ワイバーンですぅ!」
(あの人達が嘘をついていたようには見えなかったし、ドラゴンとワイバーンの違いが分からなかったんだろうな)
最初に放った〈燃え盛る槍〉はBランク魔術だ。アリスの魔術攻撃力と適性があれば、もっと低いランクの魔術でも良かっただろう。
弱い魔術でもステータスのバフがあれば、ワイバーンを倒せる程度の攻撃力を出せたのだ。
だがあの村に住んでいる人間は違う。ステータスを見たわけでもないが、冒険者をわざわざ雇うあたり力はない。
だからワイバーンだろうとドラゴンだろうと、戦うすべのない人間が空から襲われたら終わる。
種族を見分けるなんて関係なく、彼らは嘘をついていない。とにかくアリスに伝えたかったのは、空を飛ぶ強い魔物がいる、ということ。
――しかしそれは、アリスに対しては杞憂というものに過ぎない。
ワイバーンはあの攻撃と威圧のあとに抵抗するほど愚かではないらしく、必死に生きようとしている。
頭を低くして敬語を使って、羽が破れて痛いだろうが雪にこすりつけて。まるで土下座をするように縮こまっている。
「この雪山で一番強いのはお前ら?」
「ち、ちがいます! 山頂の方に、雪男がいるんです」
「ゆきおとこォ?」
「体中が白い毛で覆われてて、魔術を駆使します」
(ふぅん……そういうのもいるんだなぁ)
アリスは興味を持った。
それにもしも強いのならば、アリスの魔王軍に引き入れるという手もある。
ワイバーンのこの言い方では、きっとこの雪山を統べるといってもいいほど強いのだろう。
もちろんだが単純にこのワイバーンが、ただ弱いという線も捨てきれない。翼を射抜かれてアリスの威圧だけで、ペコペコとへりくだる種族なのであれば強いはずがない。
もっとも何も考えず突っ込んでくるような、能無しではないだけマシとも言える。
「この雪山を操っている、とも言われてます……」
「こ、この山の気候は全て、雪男が操作しているとも噂されてます」
「人間はその雪男の体毛で、魔術用の武器を作ることもあるとか……」
「へー。エンカウントして、貰えるもんなの?」
「いえ、落ちているのを拾うんです。その程度なら、弱そうな冒険者でもできますから」
「なるほどねぇ」
伏しているワイバーン達が、ポツポツと知っている情報を喋っていく。
どれも「らしい」だの「言われている」だの、噂程度にしか過ぎない。しかしアリスの中の気持ちを高めるには十分であった。
もう既にアリスの中では「会いたい」「見てみたい」という気持ちでいっぱいだ。
特に目的を持ってやってきたわけではない雪山。そこでやるべきこと――やりたいことを見出したのだ。
大抵の冒険者であれば、その〝雪男〟なる種族に出逢えばひとたまりもない。
しかし彼女に不可能なことはない。レベル的にも能力値的にも、アリスに勝る存在などないのだから。
だからやりたいことがあれば、あとは計画と実行のみ。
「それで? 何処にいるの?」
「山に……」
「山なのはわかるってば。案内しろって言ってるの、こっちは」
「そ、それは無理です……」
「えー、なんで~?」
「りょ、領地に踏み入れたら殺されちゃいます!」
ブルブルと怯えている様子は嘘ではない。
ワイバーンの強さは先程しっかり確認済み故に、怯えるのも無理はない。
とは言えアリスもアリスで、ここで諦めるようなタイプでもない。
領地までワイバーンが送ってくれないのであれば、途中まで道を案内してくれればいい。
「あっそう。じゃあ途中まで送ってよ」
「それも無理ですよぉ……俺らは雪男達の魔術領域を感知する力はないんす……。なのに向こうは魔術師なんすから……バレたらマジで死にますって……」
「はあ? じゃあ何が出来るの!?」
「大雑把な位置をお教えするくらい……」
「もう! それでいいから教えて!」
ワイバーンは今にも噴火しそうなアリスを見て、気圧されながらもたどたどしく話し始める。
ワイバーンも道案内なんて普段はしないので、そういったのは得意ではないのだ。
「ここから山頂へずっと向かうんです。住処を知られたくない雪男が吹雪を展開してるので、見回してみて、ぼんやりと光っている場所を探すと……そこに向かうと洞窟があります」
「そんだけ?」
「は、はい……。数少ない仲間の生き残りが、こういう状況でそこには近付くなって触れ回ってるので……」
「あ、そ」
「うぅ……」
山頂と言っても酷く広い。この雪原地帯はパルドウィンの北部全体を占める、といっても過言ではない。
何百何千キロにも及ぶ東西の距離を考えれば、その探索がどれだけ面倒だが分かるだろう。
いざ山頂に向かったところで、その問題の洞窟が周囲にあるとは限らない。数十キロと離れていたりする可能性も、捨てきれないのだ。
アリスの体力と機動力をもってすれば、それも可能だろう。
しかし可能か不可能か以前の問題なのである。
アリスはワイバーンを横目で見つつ、魔王城にいる幹部に通信を出す。
例の如く出てくるのはハインツだ。
「ハインツ、今って暇?」
『アリス様ッ! お言葉ですがご命令とあらば、何があっても暇を作ります!』
「じゃあ来て、〈転移門〉開けるから」
『はっ!』
アリスは慣れた様子で〈転移門〉の魔術を展開する。数秒と待たずに中からハインツが現れた。
そういえば幹部の寒暖耐性について何も考えていなかったなぁ――などと思いつつ、雪原に降り立ったハインツがしかめ面すらしないことに、少しだけ安心する。
「雪山、ですかッ」
「ごめん、寒かった?」
「いえ! この程度大したことではありません! して、この下等種族は!?」
「今見つけたの。見張っててくれる? 私はこの山の主に会いに行く」
「はッ!」
「あ、あの!」
二人の会話に割り込んできたのは、ずっと黙って見ていたガブリエラだった。
不安そうな面持ちでいるガブリエラは、勇気を振り絞って声を出したのだろう。
アリスの反応が気になっているようで、オドオドとしている。
「……ん?」
「アリス様、ほんとーにごめんなさい」
「なーに?」
「あたし、ここで帰らせてもらえませんか?」
――ここまで我慢できたのが偉い方である。
決定打となったのは、先程ワイバーンに放ったただの威圧だ。今まで耐えてきた〝アリスの横に立つ〟というプレッシャーを、ただの恐怖に塗り替えた。
いつも平地で暮らしていることもあって、雪山が彼女に合っていないのもそうだ。
今はアリスの魔術で誤魔化しているものの、それがなければ一緒にはいられない。
「……分かった。〈転移門〉を開こう。向こうでゆっくり休むといいよ」
「よいのですかッ!」
「途中で何度か無理そうだったしね。私についてこれるのは、幹部レベルじゃないと無理でしょう……」
「なるほど! サキュバス程度にも配慮頂けるとは……ご寛大なそのお心に、さらに忠義を厚く致しましたッッ!」
(正直魔術掛け続けるのもめんどくさくなって、足でまといなだけなんだよね……。言わないでおこ……)
邪魔だから帰ってと言わないのは、今後ともガブリエラと仲良しの関係を続けていきたいからだった。
せっかく気兼ねなくお喋りできる仲になれたというのに、アリスが威圧的に命令的にそう言ってしまえばガブリエラも堪えるだろう。
それでなくとも足を引っ張ったという事実は、彼女の中では大きなものだ。
戻り次第「大丈夫だよ」と慰めてやるか……と静かに誓う。
「じゃあゆっくりしてね」
「は、はい! ありがとうございます」
(今後ガブリエラは、魔王城やアベスカで遊ぶだけにしよう……)
そして同時にガブリエラは今後、一緒にお出かけが出来なくなった。
近隣管理諸国の視察や訪問程度であれば一緒に連れていけるが、こういった危険地帯への探索となると、また別の高レベル魔族を連れてくるべきだとよく分かった。
この旅行によって、自分のツメの甘さをよく痛感した。
元々ただの人間だったために、そういったことへの配慮が欠けているのは仕方ないと割り切っていた。
だからやりながら直して、覚えて。それを繰り返していこうと思っていたのだ。
効率の悪いやり方だと分かっているが、そんなのんびりとした計画でも、喜んでついてきてくれる幹部たちがいるからこそなせる業なのだ。
「それじゃあハインツ。私はこれから一人で向かうけど……」
「許し難いですが! 私が用意できる供回りは居ませんので、仕方がないです!」
「ありがと」
「お気をつけて、アリス様!」
アリスは比較的、ゆっくりと雪山を歩いている。
きっと晴れた夜は、寒いおかげで空気は澄んで、満点の星空が眺められるだろう。
本来であれば空を飛んだり、高速移動も出来る彼女だったが、今こうして徒歩で進んでいるのはわけがあった。
「ちょっとくらい、味わってもいいよね」
前世では雪に関わりのない人生だった。だから堪能するという意味でも、ゆっくり歩いて噛み締めているのだ。
この体は雪で滑るということを知らないようだった。アリスとしてはほぼ初めて歩くような雪の上だが、難なくしっかりと歩を進めている。
――とは言え、歩いているのは猛吹雪の中である。
(歓迎されていない、ってことなんだろうな)
アリスがワイバーンとハインツと離れ、山頂に向かい始めた頃から吹雪き出した。
数十メートル先すら見えない激しい吹雪に見舞われ、右も左も山頂も分からない。
なんとなくという勘を頼りに進んでいるものの、本当にこの道で合っているのかすらも分からない。
(そう言えばさっきから周囲を観察してるけど、どこにも光っている場所が見当たらない)
この吹雪は〝雪男〟による住処を隠すためのカモフラージュ。そう易々と居住空間を見つけられては困るため、雪男からすれば計画通りなのだ。
しかしアリスからすれば、言ってしまえば迷ったということになる。
アリスとて目的を持って来ている以上、ずっと遊んでいるわけにはいかない。
そろそろゆっくりと歩いている時間は終わりだ。
「雪を楽しんでたけど、もういいかな――〈天空掌握〉」
アリスが詠唱すると、暴力のような吹雪は一瞬で消え去った。
太陽が輝き、それを反射した雪が眩しく光っている。ポカポカとした陽気に包まれて、まるで春の日を思い起こさせる気候だった。
〈天空掌握〉とは、最高ランクである〝Xランク〟の魔術である。
もちろん最高ランクの魔術であるがゆえに、天候操作魔術の中でもトップクラス。
どんな魔術やスキルによる天候操作であっても、即座に打ち消してしまう。そして術者の望む天候へと、上書きできるのだ。
このランクの打ち消しや解除は、同等のランクでなければ不可能である。
つまり、もしも雪男なる種族が新たに吹雪を起こしたい場合は、〈天空掌握〉を用いるしかないのだ。
「ピーカンはまずいか。このままじゃ雪崩が起きそうだ……」
雪崩程度ではアリスは死なないが、洞窟への道がふさがってしまったりしたら困る。
なんと言っても下で待機しているハインツ達に影響が及んだら、もっと面倒だったりするのだ。
ハインツに問題はなくとも、ワイバーンだ。折角とらえたのだから、何かに利用したいもの。
ハインツには複数を守るようなスキルはない。魔術を新たに習得していれば別だが、基本的にアリスから教えたことはないため、ワイバーンがそのまま死ぬことになる。
「〈天空掌握〉」
アリスがもう一度術を展開する。辺り一帯は雲ひとつない青空から一転した。
雪解けの心配がない気温へと再び下がり、晴れ晴れとはしなくとも雪が降ることのない曇りとなった。
「これくらいでいっか。よし、探すぞー」
特段アリスはこういったファンタジー生物に詳しいわけではないが、これが村人の忠告するドラゴンではないことは理解できた。
となれば別の種族。アリスの中でふと思い浮かんだ、ドラゴンに似た種族をぽろりとこぼす。
「えーと、ワイバーンだったか?」
「ひ、ひいぃい!! そ、そうですぅう! ワイバーンですぅ!」
(あの人達が嘘をついていたようには見えなかったし、ドラゴンとワイバーンの違いが分からなかったんだろうな)
最初に放った〈燃え盛る槍〉はBランク魔術だ。アリスの魔術攻撃力と適性があれば、もっと低いランクの魔術でも良かっただろう。
弱い魔術でもステータスのバフがあれば、ワイバーンを倒せる程度の攻撃力を出せたのだ。
だがあの村に住んでいる人間は違う。ステータスを見たわけでもないが、冒険者をわざわざ雇うあたり力はない。
だからワイバーンだろうとドラゴンだろうと、戦うすべのない人間が空から襲われたら終わる。
種族を見分けるなんて関係なく、彼らは嘘をついていない。とにかくアリスに伝えたかったのは、空を飛ぶ強い魔物がいる、ということ。
――しかしそれは、アリスに対しては杞憂というものに過ぎない。
ワイバーンはあの攻撃と威圧のあとに抵抗するほど愚かではないらしく、必死に生きようとしている。
頭を低くして敬語を使って、羽が破れて痛いだろうが雪にこすりつけて。まるで土下座をするように縮こまっている。
「この雪山で一番強いのはお前ら?」
「ち、ちがいます! 山頂の方に、雪男がいるんです」
「ゆきおとこォ?」
「体中が白い毛で覆われてて、魔術を駆使します」
(ふぅん……そういうのもいるんだなぁ)
アリスは興味を持った。
それにもしも強いのならば、アリスの魔王軍に引き入れるという手もある。
ワイバーンのこの言い方では、きっとこの雪山を統べるといってもいいほど強いのだろう。
もちろんだが単純にこのワイバーンが、ただ弱いという線も捨てきれない。翼を射抜かれてアリスの威圧だけで、ペコペコとへりくだる種族なのであれば強いはずがない。
もっとも何も考えず突っ込んでくるような、能無しではないだけマシとも言える。
「この雪山を操っている、とも言われてます……」
「こ、この山の気候は全て、雪男が操作しているとも噂されてます」
「人間はその雪男の体毛で、魔術用の武器を作ることもあるとか……」
「へー。エンカウントして、貰えるもんなの?」
「いえ、落ちているのを拾うんです。その程度なら、弱そうな冒険者でもできますから」
「なるほどねぇ」
伏しているワイバーン達が、ポツポツと知っている情報を喋っていく。
どれも「らしい」だの「言われている」だの、噂程度にしか過ぎない。しかしアリスの中の気持ちを高めるには十分であった。
もう既にアリスの中では「会いたい」「見てみたい」という気持ちでいっぱいだ。
特に目的を持ってやってきたわけではない雪山。そこでやるべきこと――やりたいことを見出したのだ。
大抵の冒険者であれば、その〝雪男〟なる種族に出逢えばひとたまりもない。
しかし彼女に不可能なことはない。レベル的にも能力値的にも、アリスに勝る存在などないのだから。
だからやりたいことがあれば、あとは計画と実行のみ。
「それで? 何処にいるの?」
「山に……」
「山なのはわかるってば。案内しろって言ってるの、こっちは」
「そ、それは無理です……」
「えー、なんで~?」
「りょ、領地に踏み入れたら殺されちゃいます!」
ブルブルと怯えている様子は嘘ではない。
ワイバーンの強さは先程しっかり確認済み故に、怯えるのも無理はない。
とは言えアリスもアリスで、ここで諦めるようなタイプでもない。
領地までワイバーンが送ってくれないのであれば、途中まで道を案内してくれればいい。
「あっそう。じゃあ途中まで送ってよ」
「それも無理ですよぉ……俺らは雪男達の魔術領域を感知する力はないんす……。なのに向こうは魔術師なんすから……バレたらマジで死にますって……」
「はあ? じゃあ何が出来るの!?」
「大雑把な位置をお教えするくらい……」
「もう! それでいいから教えて!」
ワイバーンは今にも噴火しそうなアリスを見て、気圧されながらもたどたどしく話し始める。
ワイバーンも道案内なんて普段はしないので、そういったのは得意ではないのだ。
「ここから山頂へずっと向かうんです。住処を知られたくない雪男が吹雪を展開してるので、見回してみて、ぼんやりと光っている場所を探すと……そこに向かうと洞窟があります」
「そんだけ?」
「は、はい……。数少ない仲間の生き残りが、こういう状況でそこには近付くなって触れ回ってるので……」
「あ、そ」
「うぅ……」
山頂と言っても酷く広い。この雪原地帯はパルドウィンの北部全体を占める、といっても過言ではない。
何百何千キロにも及ぶ東西の距離を考えれば、その探索がどれだけ面倒だが分かるだろう。
いざ山頂に向かったところで、その問題の洞窟が周囲にあるとは限らない。数十キロと離れていたりする可能性も、捨てきれないのだ。
アリスの体力と機動力をもってすれば、それも可能だろう。
しかし可能か不可能か以前の問題なのである。
アリスはワイバーンを横目で見つつ、魔王城にいる幹部に通信を出す。
例の如く出てくるのはハインツだ。
「ハインツ、今って暇?」
『アリス様ッ! お言葉ですがご命令とあらば、何があっても暇を作ります!』
「じゃあ来て、〈転移門〉開けるから」
『はっ!』
アリスは慣れた様子で〈転移門〉の魔術を展開する。数秒と待たずに中からハインツが現れた。
そういえば幹部の寒暖耐性について何も考えていなかったなぁ――などと思いつつ、雪原に降り立ったハインツがしかめ面すらしないことに、少しだけ安心する。
「雪山、ですかッ」
「ごめん、寒かった?」
「いえ! この程度大したことではありません! して、この下等種族は!?」
「今見つけたの。見張っててくれる? 私はこの山の主に会いに行く」
「はッ!」
「あ、あの!」
二人の会話に割り込んできたのは、ずっと黙って見ていたガブリエラだった。
不安そうな面持ちでいるガブリエラは、勇気を振り絞って声を出したのだろう。
アリスの反応が気になっているようで、オドオドとしている。
「……ん?」
「アリス様、ほんとーにごめんなさい」
「なーに?」
「あたし、ここで帰らせてもらえませんか?」
――ここまで我慢できたのが偉い方である。
決定打となったのは、先程ワイバーンに放ったただの威圧だ。今まで耐えてきた〝アリスの横に立つ〟というプレッシャーを、ただの恐怖に塗り替えた。
いつも平地で暮らしていることもあって、雪山が彼女に合っていないのもそうだ。
今はアリスの魔術で誤魔化しているものの、それがなければ一緒にはいられない。
「……分かった。〈転移門〉を開こう。向こうでゆっくり休むといいよ」
「よいのですかッ!」
「途中で何度か無理そうだったしね。私についてこれるのは、幹部レベルじゃないと無理でしょう……」
「なるほど! サキュバス程度にも配慮頂けるとは……ご寛大なそのお心に、さらに忠義を厚く致しましたッッ!」
(正直魔術掛け続けるのもめんどくさくなって、足でまといなだけなんだよね……。言わないでおこ……)
邪魔だから帰ってと言わないのは、今後ともガブリエラと仲良しの関係を続けていきたいからだった。
せっかく気兼ねなくお喋りできる仲になれたというのに、アリスが威圧的に命令的にそう言ってしまえばガブリエラも堪えるだろう。
それでなくとも足を引っ張ったという事実は、彼女の中では大きなものだ。
戻り次第「大丈夫だよ」と慰めてやるか……と静かに誓う。
「じゃあゆっくりしてね」
「は、はい! ありがとうございます」
(今後ガブリエラは、魔王城やアベスカで遊ぶだけにしよう……)
そして同時にガブリエラは今後、一緒にお出かけが出来なくなった。
近隣管理諸国の視察や訪問程度であれば一緒に連れていけるが、こういった危険地帯への探索となると、また別の高レベル魔族を連れてくるべきだとよく分かった。
この旅行によって、自分のツメの甘さをよく痛感した。
元々ただの人間だったために、そういったことへの配慮が欠けているのは仕方ないと割り切っていた。
だからやりながら直して、覚えて。それを繰り返していこうと思っていたのだ。
効率の悪いやり方だと分かっているが、そんなのんびりとした計画でも、喜んでついてきてくれる幹部たちがいるからこそなせる業なのだ。
「それじゃあハインツ。私はこれから一人で向かうけど……」
「許し難いですが! 私が用意できる供回りは居ませんので、仕方がないです!」
「ありがと」
「お気をつけて、アリス様!」
アリスは比較的、ゆっくりと雪山を歩いている。
きっと晴れた夜は、寒いおかげで空気は澄んで、満点の星空が眺められるだろう。
本来であれば空を飛んだり、高速移動も出来る彼女だったが、今こうして徒歩で進んでいるのはわけがあった。
「ちょっとくらい、味わってもいいよね」
前世では雪に関わりのない人生だった。だから堪能するという意味でも、ゆっくり歩いて噛み締めているのだ。
この体は雪で滑るということを知らないようだった。アリスとしてはほぼ初めて歩くような雪の上だが、難なくしっかりと歩を進めている。
――とは言え、歩いているのは猛吹雪の中である。
(歓迎されていない、ってことなんだろうな)
アリスがワイバーンとハインツと離れ、山頂に向かい始めた頃から吹雪き出した。
数十メートル先すら見えない激しい吹雪に見舞われ、右も左も山頂も分からない。
なんとなくという勘を頼りに進んでいるものの、本当にこの道で合っているのかすらも分からない。
(そう言えばさっきから周囲を観察してるけど、どこにも光っている場所が見当たらない)
この吹雪は〝雪男〟による住処を隠すためのカモフラージュ。そう易々と居住空間を見つけられては困るため、雪男からすれば計画通りなのだ。
しかしアリスからすれば、言ってしまえば迷ったということになる。
アリスとて目的を持って来ている以上、ずっと遊んでいるわけにはいかない。
そろそろゆっくりと歩いている時間は終わりだ。
「雪を楽しんでたけど、もういいかな――〈天空掌握〉」
アリスが詠唱すると、暴力のような吹雪は一瞬で消え去った。
太陽が輝き、それを反射した雪が眩しく光っている。ポカポカとした陽気に包まれて、まるで春の日を思い起こさせる気候だった。
〈天空掌握〉とは、最高ランクである〝Xランク〟の魔術である。
もちろん最高ランクの魔術であるがゆえに、天候操作魔術の中でもトップクラス。
どんな魔術やスキルによる天候操作であっても、即座に打ち消してしまう。そして術者の望む天候へと、上書きできるのだ。
このランクの打ち消しや解除は、同等のランクでなければ不可能である。
つまり、もしも雪男なる種族が新たに吹雪を起こしたい場合は、〈天空掌握〉を用いるしかないのだ。
「ピーカンはまずいか。このままじゃ雪崩が起きそうだ……」
雪崩程度ではアリスは死なないが、洞窟への道がふさがってしまったりしたら困る。
なんと言っても下で待機しているハインツ達に影響が及んだら、もっと面倒だったりするのだ。
ハインツに問題はなくとも、ワイバーンだ。折角とらえたのだから、何かに利用したいもの。
ハインツには複数を守るようなスキルはない。魔術を新たに習得していれば別だが、基本的にアリスから教えたことはないため、ワイバーンがそのまま死ぬことになる。
「〈天空掌握〉」
アリスがもう一度術を展開する。辺り一帯は雲ひとつない青空から一転した。
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