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前編 第二章「アリスの旅行」

ヨース領1

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「見えたよ」
「わぁー、なんか懐かしい……」
「アタシらも久々よね!」
「そう……ね」
「僕自身も滅多に帰らなかったな」

 一同は湖を後にして着実にその歩を進めた。またも野宿となるかと思ったが、夕暮れ前には到着できたのだ。
目の前にはヨース一族が守っている領地が広がっていた。
 アリスはその規模の大きさに驚かされた。
彼女の知っている土地はアベスカだけだ。アリ=マイア自体が小国からなる連合国だけあって、各国自体は小さい。
だからアベスカも小さな国だと自覚していたのだが、今こうして目の前に見せつけられれば更にそれを納得せざるを得ない。

 ヨース領はただ貴族が管理しているだけの領地にすぎない。
首都でもなく街として認められているわけでもない。
 だがその規模は歴然だ。一つの都市といってもいいほどの、巨大な集落になっている。
アベスカよりもしっかりとした壁が集落を囲い、中には街が建設され、立派な屋敷も沢山存在している。

「あれが領地?」
「あぁ。基本僕の家族――ヨース一族が管理している。だが古い友人というのもあって、一部はオリヴァーの両親が管理している」
(アベスカの城下町と、ほぼほぼ変わりないな……)

 国の規模が違うから当然なのだろう。だがたかが貴族の土地なだけだというのに、その大きさはアベスカの首都に匹敵する。
アベスカはヴァルデマルに破壊されて縮小しているとはいえ、ここまで差があると驚くというもの。

 そしてどれだけ立派であろうとも、素敵であろうとも、誇れる場所だろうとも。
最終的にはアリスの理想の実現のために、消え去る土地であるということ。

(私が、潰すべき場所……)

 行き交う人々の顔が明るい。今の生活に満足しているのだろう。
領主から酷い搾取があるわけでもなく、魔物に襲われることもない。
更に言えば前代とはいえども、英雄様達が治めている土地だ。住むだけで心地が良いに違いない。
 アリスはそんな人達をも、殺す覚悟で居なければならない。アベスカでの統治は比較的平和に行っていようとも、憎き正義の権化である勇者の生ける土地。
その故郷ともあれば更に力を入れて、潰す覚悟でいなければならないのだ。
 そう、ここに住む人間諸共、犠牲にしなければ。

「アリス?」
「あ、いや。ごめん。その、母国と比べると……」
「そうですよね! アベスカって、可愛らしい国というか……その」
「ははは。パルドウィンに比べると地味で小さくて、弱い国って言いたいんでしょ~」
「はわわ! ちが、ちがくって……」
「いいのいいの、気にしないで」

 表では笑っているが、アリスは割と怒っていた。
わざとか狙ってか。それはわからないし分かりたくもない。
だが初めて統治した人間の土地を馬鹿にされるような聞こえ方に、その統治者であるアリスが頭にこないわけないのだから。

(良い子ちゃんぶって、結局は見下してるわけか)

 なんと言っても正義の味方というバフもあって、アリスからユリアナに対する好感度は非常に低い。
たとえ周りがどれだけ彼女を好いていて、彼女を賛美しようとも。
勇者の女という時点で彼女にどれだけ酷い未来を見せてやろうか、という意気込みすらあるほどだ。

「おぉーい!」

 そんな怒りにまみれていたアリスの意識を冷静に戻したのは、一人の男だった。
街の中からガタイの良い男が走ってくるのをみなが確認する。
オリヴァーが顔を綻ばせ、ユリアナは緊張し、コゼットとマイラは感動している。アンゼルムは冷静そうだが、嬉しさが滲み出ていた。

「……?」
「あっ、あぅう、どうしよう!」
「うっわぁ、いつ見ても格好いいねー」
「そ、そうだ……ね」
「ヴァジム様、お久しぶりです」
「父さん!」

 駆け寄ってきていたのは、オリヴァーの実父であるヴァジム・ラストルグエフだった。
いい年の大人だと言うのに、小さな子のように両手をブンブンと振りながら、領地へと向かうアリスら一行のもとへとやってくる。
 普段オリヴァーは首都に存在するストロード学院で学生をしているため、首都から離れたこの領地には住んでいない。
だから久々の息子の帰省に、ヴァジムは心躍るのだろう。
客人の前だと言うのに、英雄らしい振る舞いもせずはしゃいでいるのだから。

「あれ? てか、オリヴァーのお母さんが見当たらないね」
「多分家に居て、怒ってる……」
「まーた、お父さん怒られるパターンなんだ?」

 クスクスとコゼットが笑う。冒険者をやっていて英雄と呼ばれていた頃は、ヴァジムはマリーナとともに肩を並べて戦う存在だった。
だが領地に越してきて子育てを始めれば、ラストルグエフ家はかかあ天下と化した。
 ヴァジムはマリーナに頭が上がらずに、完全に尻に敷かれるのだ。

「はぁ。嬉しいけど……今日はお客さんもいるから、あんまり恥ずかしいことしてほしくないのに」
「だっだだだだっ大丈夫だよっ! オリヴァーくんのお父様は、い、いつでもかっかかっ」
「落ち着けユリアナ。いくら将来の父親の前とはいえ――」
「ちっちちちちちおやぁあ!? ちがっ、ちがくな、えっと……」

 ユリアナがガチガチに緊張していたのは、愛する恋人のオリヴァーの父親を目の前にしたということだ。
何度かラストルグエフ夫妻とは会っているものの、その殆どに記憶がない。
会う度に緊張して対応した結果、記憶を飛ばしてしまっているのだ。
 いつもはおとなしく控えめな彼女だからこそ、ここまで混乱して動揺している姿は面白可笑しいのだろう。
コゼットはユリアナの発言以降笑いっぱなしだ。マイラも隠しているものの、その口角はつり上がっている。

 さてそんなことはつゆ知らず。ヴァジムはオリヴァー達の元へとたどり着いた。

「オリヴァー! おかえり! いやぁ、嬉しすぎて父さん迎えに来ちゃったよ」
「……母さんには伝えた?」
「………………あ」

 オリヴァーにそう言われると、ヴァジムの顔がどんどん青くなっていく。それだけマリーナの存在は恐ろしいものなのだ。

(あれが、元英雄……)

 アリスはそんな様子を見つめていた。
身内のやり取りについていけなかったということもあるが、客人であり部外者であるアリスからすれば置いていかれて当然なのだ。
 なんと言ってもアリスは、この国の人間ですらない。ヴァジムの存在すら知らなかったアリスにとって、英雄を見ることに感動したり打ち震えたりすることなどない。
 ましてやただ泊まるだけの領地だ。思い入れすら感じない。

 冷ややかな視線を送っていれば、隣に立っていたガブリエラが強く抱きついてくる。
アリスを見上げる視線は潤んでいて、身体もかすかに震えている。

「!」
「アリスさん……」

 ガブリエラは怯えていたのだ。周りは敵だらけで、恐ろしく思えるのも無理はない。
世界レベルの強者が更に増えたのだから、弱い種族でありレベルもたいして高くないガブリエラは、余計に恐ろしく感じるだろう。

「よしよし」
「君達が……オリヴァーの依頼主である客人か?」
「!」

 ガブリエラを宥めていれば、ヴァジムが直接アリスへと話しかけてきた。
その様子は笑顔で打ち解けようとしているようにも見えたが、腹の底を探るような疑る目線を見逃しはしなかった。
 上から下までアリスをじっくりと、観察しているようにも感じ取れた。純粋に依頼主を見定めているのかもしれないが、アリスからすればどちらも同じことだ。

(オリヴァーが既に報告してるんだろうな。じゃなければ冒険者として雇った相手を、こんな目で見ない……)

 そうわかっていても、アリスも同じように対応するわけにはいかない。
何も知らない、無害で普通な依頼主の演技――をしなければならないのだ。
 ニコリと笑顔を作って、ヴァジムに自分の存在を伝える。

「はい。今回の旅行での護衛をお願いしています」
「そうか! オリヴァー達は強くて優秀だからな、安心だろ!」
「ええ、頼りになります」

 確かにオリヴァーは優秀だ。アンゼルムも、ユリアナも、コゼットとマイラも。勇者パーティーは誰一人欠かすことなく全員が優秀だ。
だがそれも、である。
 アリスの魔術を見破っていない以上、アリスの中では優秀という概念は消え去る。一瞬でそのへんの雑魚と一緒になるのだ。
たとえ勇者であろうと、国王であろうと、船乗りだろうと、受付嬢だろうと、元英雄であろうと。
アリスの使っている魔術にすら気付けない時点で、話は終わる。

「そうだろう、そうだろう! ハハハハッ! 長旅で疲れただろう。茶と菓子を用意してある」
「やったぁ! ラストルグエフ様のお菓子、美味しいんだよ!」
「お、それはマリーナも喜ぶ」
「その前にマリーナ様はヴァジムさんの勝手な行動で、腹を立ててそうですがね」
「やめてくれ、アンゼルム……。分かってるから……」

 ヴァジムを先頭に、一同は領地の中へと入っていく。和気あいあいと談笑する中に入る気はさらさらないので、後ろから黙ってついていていく。

(あー、つまんない。こんなことなら冒険者組合なんて寄らないで、隠密魔術でも施して行くべきだったかなぁ)

 完全に身内同士の馴れ合いに、置いていかれたアリス。
英雄様に興味もなければただ殺すだけの対象としか思っていない相手に、仲良くしようと会話に付き合う気にもなれない。
 さっさとこの領地を抜けられないものか、と思いながら足を踏み入れたのであった。
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