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前編 第二章「アリスの旅行」
船の上1
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イルクナーの港には多数の船が停まっている。その内訳は旅客船だったり漁船だったり様々だが、兎にも角にも港には多くの船が停泊していた。
普段からこういったものを見る機会がなかったアリスにとって、見ていて楽しいものだ。
しかし己が乗れる船を探すとなると話は別だ。
案内所で詳しく――彼ら曰く詳しく書かれた紙をもらったのにも関わらず、十分、十五分と時間が経てど船は見つからない。
もしやもう出港してしまったのか、と不安にすらなる。
ここまで探して見つからないのであれば、現地人に聞くのが一番だ。
アリスは適当な人間に声をかけることにした。
「あの、すみません」
「どうした? 迷子か?」
「え、えぇ、まぁ……」
適当に声を掛けたはずなのに、的確な返事が戻ってくる。広い港だけあってやはり迷子は多く発生しているのだろう。
こうして言葉にされてしまうと、「いい年して迷子かよ」という恥ずかしい感情が湧き出てくる。
いかんいかん、と首を振ると単刀直入に聞いた。
「レッド・シーという船なん――」
「おい、お嬢ちゃんら、やめときな」
ニコニコと笑っていた男の顔から笑顔が消える。ついほんの少し前の「迷子か、可愛いな」という馬鹿にした表情はない。
その真面目な表情は、命を落とすぞ、という警告をするような顔だった。
もちろんそれはそうだろう。
レッド・シーという船の名前を聞けば、嵐の男が支配する船だと知っているからだ。
まるでその船に客を近付けないようこの港の人間は配慮している。
当然だが、まだ船が残っていて船員も生きていることから、同行した旅行客も無事である。
しかしその九死に一生を得るような体験を、誰もが望んでする訳ではない。
とりあえず急いでいるから、この船ならパルドウィンに行けるから。そういった理由で乗った客から、レッド・シーに対してではなくイルクナーに苦情が入る。
「知ってたのなら止めてくれてもいいだろう」と、問答無用で利用したくせに文句を言ってくるのだ。
イルクナーの人間からすれば、自己責任だろうと思うかもしれない。
しかし一応客と専門業者。それ相応の対応をするべきなのだった。
それに彼らのせいで、他の船の信用が落ちるのはたまらないのだ。
「大丈夫です。案内所で聞いたので」
「い、いや。お嬢ちゃんらが思ってるほど、簡単なことじゃ――」
「――ねえ、おじさん。《急いでるの》」
アリスと男の会話に、ガブリエラが割り込んだ。
突然割り込む連れに男は一瞬不機嫌な顔を見せたが、アリスは違った。ガブリエラが魅了の魔術を使用したのがわかったからだ。
ガブリエラの術に掛かると、男の不機嫌な顔は次第にうつろな表情へと変化していく。
「あ……、おう……そう、だな、うん。あの、赤い船……だ……」
「そう。ありがとう。行きましょう、アリスさん」
「うん」
アリスはフラフラと千鳥足で港を歩く男を横目で見送りながら、停まっている赤い船の方へ歩き出した。
レッド・シーと呼ばれる船は、その名にふさわしい赤色をしていた。
受付のスタッフが不親切なのか、それとも本当は行ってほしくないから雑に書いたのか、教えてもらったのは名前だけだった。
恐らく後者の理由が強いと思われるが、アリスは気にしないことにした。どうせこの船旅に危険はないのだから。
そしてその紙を頼りに来たせいで迷子になる羽目になったのだ。船の特徴や船員について書いていてくれれば、ガブリエラも無駄な魅了を使うことはなかったというのに。
だが船と客とのやり取りをする仕事である彼らが、客であるアリス達の道を邪魔するほどレッド・シーと呼ばれた船の人間達は酷いのだろう。
「それにしても、今の魅了魔術? すごかったね」
「そ、そんな。あたしなんて全然だめです」
「そうかな? 何にせよ助かったんだから。ありがとうね」
「えへへ」
ガブリエラがはにかむ。その顔に愛着を覚えたアリスは、犬よろしくガブリエラのピンクのウェーブヘアをワシャワシャ撫でている。
そんな二人を取り囲むように男が現れた。
港でよく目にするような格好。船乗りのような衣服。ような、というより彼らは正真正銘船乗りだろう。
少し柄が悪そうにも見えるが、間違いではなさそうだった。
先日から大勢の男に耐性が無くなっているガブリエラは、アリスの撫で回しを止めてその腕にしがみついた。
「よう、お嬢さん方。船はお決まりかい?」
「レッド・シーっつう、俺らの船でよけりゃどうだい。安くしとくぜ」
「あれ? 暴漢じゃない……」
「なんだ、お迎え付きなのか。よかったね、ガブリエラ」
「「ん?」」
実際はお迎えなどではなく、レッド・シーを知らない旅行客を脅し――勧誘して乗船させるという、犯罪まがいな行為だったのだが――今のアリス達にはただの迎えである。
自ら乗りに来る客は珍しいようで、自分達で脅しておきながら困惑していた。
一応彼らの中にも「自分達の船は危ない」という自覚はあるようだ。
それでいて誘うのだから、相当危ない人物達だろう。本当に知らないで乗せられた客はご愁傷さまだと言える。
「この時期でもパルドウィンまで乗せてくれる船は、レッド・シーだけだって聞いたんです」
「おうとも! 俺ら――船長の船なら、どんな時でもどこまでも乗せてってやるぜ!」
その死地に足を踏み入れんとする心意気はよし。もしも魔族であったのならば、軍に引き入れていたかもしれないほどだった。
危険を厭わない、どころか自ら飛び込むような存在は重宝される。
それはさながらブラック企業のようなものだったが、相手が勇者だ。それくらいの根性は多少なりとも必要になる。
男達はアリスとガブリエラを船に案内した。
船の中は思ったよりも小綺麗で、男所帯の割には片付いている。それに外観も、多数の嵐を抜けてきたと言う割には大きな破損なども見当たらない。
多少は防御魔術に近い何かは掛けているだろうが、嵐に耐えうるほどの強力な魔法というのもこの人間の世界では中々有り得ないはずだ。
(……良い船なんだろうな)
ちょっと――だいぶ飛び抜けて豪快な連中ではあるが、海(川)と船に対する情熱は誰にも負けないくらいなのだろう。
デッキも船室も丁寧に掃除されていて、潮風を浴びて劣化しているようにも感じられない。
しかしながら彼らの噂を聞けば寄り付くものはいないようで、船員以外は誰も乗っていない様子だった。
「おめぇらぁ! 客拾ってきたかぁ! よくやったぁああ!!」
デッキに響き渡る暑苦しくうるさい声。これは嵐を呼びそうだな、とアリスは納得する。
そこに居たのはクマのように毛深い大柄の男。豪快で荒々しい嵐を呼ぶ海の男。
彼の名前はヘルマン・レイバ。この船の船長である。
客人に対しての礼儀など知りもしない口調で、アリス達に話しかける。無理を言って乗船した人達は、彼の性格や言動にも不快感を得たことだろう。
そして横にはこの船長と船員、そして船に似合わない娘が一人。
彼女はリュシー・カナル。この船専属の魔術師だ。
この世界では貧しい船でない限り、大抵の船は魔術師を最低一人は雇っている。それは船の保護であったり、荷物の運搬であったり理由は様々だ。
この科学のない世界で、そういった意味では魔術師は便利に扱われているのだ。
ヘルマンが巨体なのと、リュシーが小さいのも相まって親子のように見えるが、大人びたその顔からして成人は済んでいるのだろう。
「こいつァ俺らの大事な魔術師だ! ちっと口下手だが、女同士仲良くしてやってくれぇ!」
「それはどーも」
アリスが愛想笑いを投げれば、「フンッ」とそっぽを向かれてしまう。その態度にガブリエラは苛立ちを覚え、まるで威嚇するように睨みつけていた。
アリスはそんなガブリエラをなだめながらリュシーを見つめる。ただの船の運用を補助する魔術師にしては、その保有する魔力がおかしいと感じていたのだ。
〝おかしい〟というのは、魔力量が多すぎるという意味である。
勿論アリスに比べれば大したことないその辺の石ころと変わらない量だが、一般的な平均的な観点からすれば、その量は多い。
しかしそこではっきりとした事が言えないのは、アリスがこの世界の常識に疎いからであった。
最初に手を出した国も、魔術に関しては全く発展していないアベスカだ。
だからリュシーを見た時に、この船に本当に相応しくないのか確信が持てなかった。
アリスはあとでタイミングを見計らって、ガブリエラに相談することにした。
「行くぞおめぇら! 今日はいい出港日和だ!」
「「おっす!」」
(〝いい出港日和〟ね……)
嵐すら想像できない晴天。彼の言う通り本当に「出港日和」と言えよう。
彼らを悪者視している港の人間ですら、そう思えるだろう。船を知らないアリスですら出かけたくなるほどの天気だ。
嵐を呼ぶ男。そう呼称される割には至って普通の感想だった。
嵐を望んで待っているような口ぶりには、聞こえなかった。
案の定、というべきか。アリス以降に船に乗ってくる人間はおらず、そのまま船は出港することとなった。
「ずびばぜん……」
港を後にして数時間。日はとうに落ち時刻は既に夜。
アリス達も与えられた部屋で休んでいた――のだが。
「まさか船酔いね……」
「うぅ……」
アベスカから出たことのないガブリエラは、当然ながら船に乗るのは初めてのことで。船に乗って一時間ほどは、船旅を楽しんでいた彼女だった。しかし次第にその顔色は悪くなっていく。
アリスもアリスで、まさか魔物が船酔いになるなどと考えてもおらず。
(うーん。せっかく魔術師について相談出来るタイミングなんだけど……。まともな回答は得られそうにないな……)
「ごめんなざい……」
「船酔いに効く何かがあるか聞いてくるよ」
「うぇえん……」
部屋に一人、ガブリエラを置いてアリスは出かける。
魔術師のことなど別に聞いたところで、この船旅が終わればもう会うことはない相手。それよりも、今苦しんでいる旅仲間を助けるのが先決だ。
船員も殆ど寝ているようで、船は昼間より速度は遅く、さほど揺れていない。それにこの尋常なほどの身体能力を持つ体であれば、この程度の揺れで歩くことなど造作もない。
部屋に入る前に教えてもらった間取りを思い出しながら、キッチンへ足を進める。廊下を通るたびに船員の笑い声や酔っ払った声が耳に入り、アリスは少し微笑んだ。――仲がいいのだろう。いいことだ、と。
しばらく歩いて、見覚えのある扉を見つける。キッチンだ。まだ明かりが漏れていて、人がいるのが分かる。
アリスはほっと息を吐いた。誰も居なかったらどうしようかと思ったのだ。
用があるとは言え、流石に客が勝手に船員の寝室に入ってきたら驚くだろうし、廊下では誰にもすれ違わなかった。
何も得ないまま戻り、イチかバチかで回復魔術を掛けてやるくらいしか出来ないだろう。
扉に手をかけて開ければ、そこにはヘルマン船長と数名の船員が酒を酌み交わしていた。昼間とは打って変わって静かに飲んでいる様に、アリスは少し驚いた。
「んん? どした」
「お邪魔してすみません。連れの者が船酔いでして……。何か落ち着けるものはありますか?」
「おう! おい、お前。あれ出してやれ」
「うっす」
言われた船員が立ち上がり、棚をガサゴソと漁る。やはりこういった時のために用意してあるようだった。
ガサツに見えて客のことを思っているいい船乗り達だ。
アリスはふと疑問に思った。
(そんな彼らが、人を遠ざけるように嵐など好むのかな……)
しんみりと酒を煽る船員の横で、ガブリエラのためにお湯を沸かし茶を入れている船員。すっきりした匂いが鼻をかすめる。手慣れた手付き、用意されていた茶器。
まるで何度も練習してきたような。
船乗りの顔は微笑んでいた。この機会を待っていたかのように、喜んでいたのだ。
それは誰かが船酔いになって苦しんでいる様を喜んでいるわけではなく、今まで練習してきたものを誰かに披露できるという喜びだろう。
「……慣れてるんですね」
「ん? あぁ。何も用意していないのは客人に失礼だろ」
「俺達は好き好んで、嫌われてるわけじゃねえんだよ」
アルコールのせいだろうか。昼間の陽気さや豪快さは見られず、弱音を吐き出す男達。
やはり強気に振る舞っていようが、客足が減っているのは着実に彼らの心を蝕んでいるのだろう。
かちゃり、と心地の良い音が響いて茶の用意が終わったことに気付く。小綺麗なティーカップに入れられたそれは、ペパーミントティーだ。この爽やかなお茶であれば、気持ち悪さも軽減できるだろう。
それになんと言ってもこの暑苦しい男共が、このような茶を飲むわけではないのは誰もが分かっていた。
本当に客人のことを考えて用意して、練習をして、こうしてやっと振る舞えているのだ。
「ほらよ。お連れさんに渡してやりな」
「……ありがとうございます」
アリスはトレーに乗せられたそれを受け取り、キッチンを後にした。
普段からこういったものを見る機会がなかったアリスにとって、見ていて楽しいものだ。
しかし己が乗れる船を探すとなると話は別だ。
案内所で詳しく――彼ら曰く詳しく書かれた紙をもらったのにも関わらず、十分、十五分と時間が経てど船は見つからない。
もしやもう出港してしまったのか、と不安にすらなる。
ここまで探して見つからないのであれば、現地人に聞くのが一番だ。
アリスは適当な人間に声をかけることにした。
「あの、すみません」
「どうした? 迷子か?」
「え、えぇ、まぁ……」
適当に声を掛けたはずなのに、的確な返事が戻ってくる。広い港だけあってやはり迷子は多く発生しているのだろう。
こうして言葉にされてしまうと、「いい年して迷子かよ」という恥ずかしい感情が湧き出てくる。
いかんいかん、と首を振ると単刀直入に聞いた。
「レッド・シーという船なん――」
「おい、お嬢ちゃんら、やめときな」
ニコニコと笑っていた男の顔から笑顔が消える。ついほんの少し前の「迷子か、可愛いな」という馬鹿にした表情はない。
その真面目な表情は、命を落とすぞ、という警告をするような顔だった。
もちろんそれはそうだろう。
レッド・シーという船の名前を聞けば、嵐の男が支配する船だと知っているからだ。
まるでその船に客を近付けないようこの港の人間は配慮している。
当然だが、まだ船が残っていて船員も生きていることから、同行した旅行客も無事である。
しかしその九死に一生を得るような体験を、誰もが望んでする訳ではない。
とりあえず急いでいるから、この船ならパルドウィンに行けるから。そういった理由で乗った客から、レッド・シーに対してではなくイルクナーに苦情が入る。
「知ってたのなら止めてくれてもいいだろう」と、問答無用で利用したくせに文句を言ってくるのだ。
イルクナーの人間からすれば、自己責任だろうと思うかもしれない。
しかし一応客と専門業者。それ相応の対応をするべきなのだった。
それに彼らのせいで、他の船の信用が落ちるのはたまらないのだ。
「大丈夫です。案内所で聞いたので」
「い、いや。お嬢ちゃんらが思ってるほど、簡単なことじゃ――」
「――ねえ、おじさん。《急いでるの》」
アリスと男の会話に、ガブリエラが割り込んだ。
突然割り込む連れに男は一瞬不機嫌な顔を見せたが、アリスは違った。ガブリエラが魅了の魔術を使用したのがわかったからだ。
ガブリエラの術に掛かると、男の不機嫌な顔は次第にうつろな表情へと変化していく。
「あ……、おう……そう、だな、うん。あの、赤い船……だ……」
「そう。ありがとう。行きましょう、アリスさん」
「うん」
アリスはフラフラと千鳥足で港を歩く男を横目で見送りながら、停まっている赤い船の方へ歩き出した。
レッド・シーと呼ばれる船は、その名にふさわしい赤色をしていた。
受付のスタッフが不親切なのか、それとも本当は行ってほしくないから雑に書いたのか、教えてもらったのは名前だけだった。
恐らく後者の理由が強いと思われるが、アリスは気にしないことにした。どうせこの船旅に危険はないのだから。
そしてその紙を頼りに来たせいで迷子になる羽目になったのだ。船の特徴や船員について書いていてくれれば、ガブリエラも無駄な魅了を使うことはなかったというのに。
だが船と客とのやり取りをする仕事である彼らが、客であるアリス達の道を邪魔するほどレッド・シーと呼ばれた船の人間達は酷いのだろう。
「それにしても、今の魅了魔術? すごかったね」
「そ、そんな。あたしなんて全然だめです」
「そうかな? 何にせよ助かったんだから。ありがとうね」
「えへへ」
ガブリエラがはにかむ。その顔に愛着を覚えたアリスは、犬よろしくガブリエラのピンクのウェーブヘアをワシャワシャ撫でている。
そんな二人を取り囲むように男が現れた。
港でよく目にするような格好。船乗りのような衣服。ような、というより彼らは正真正銘船乗りだろう。
少し柄が悪そうにも見えるが、間違いではなさそうだった。
先日から大勢の男に耐性が無くなっているガブリエラは、アリスの撫で回しを止めてその腕にしがみついた。
「よう、お嬢さん方。船はお決まりかい?」
「レッド・シーっつう、俺らの船でよけりゃどうだい。安くしとくぜ」
「あれ? 暴漢じゃない……」
「なんだ、お迎え付きなのか。よかったね、ガブリエラ」
「「ん?」」
実際はお迎えなどではなく、レッド・シーを知らない旅行客を脅し――勧誘して乗船させるという、犯罪まがいな行為だったのだが――今のアリス達にはただの迎えである。
自ら乗りに来る客は珍しいようで、自分達で脅しておきながら困惑していた。
一応彼らの中にも「自分達の船は危ない」という自覚はあるようだ。
それでいて誘うのだから、相当危ない人物達だろう。本当に知らないで乗せられた客はご愁傷さまだと言える。
「この時期でもパルドウィンまで乗せてくれる船は、レッド・シーだけだって聞いたんです」
「おうとも! 俺ら――船長の船なら、どんな時でもどこまでも乗せてってやるぜ!」
その死地に足を踏み入れんとする心意気はよし。もしも魔族であったのならば、軍に引き入れていたかもしれないほどだった。
危険を厭わない、どころか自ら飛び込むような存在は重宝される。
それはさながらブラック企業のようなものだったが、相手が勇者だ。それくらいの根性は多少なりとも必要になる。
男達はアリスとガブリエラを船に案内した。
船の中は思ったよりも小綺麗で、男所帯の割には片付いている。それに外観も、多数の嵐を抜けてきたと言う割には大きな破損なども見当たらない。
多少は防御魔術に近い何かは掛けているだろうが、嵐に耐えうるほどの強力な魔法というのもこの人間の世界では中々有り得ないはずだ。
(……良い船なんだろうな)
ちょっと――だいぶ飛び抜けて豪快な連中ではあるが、海(川)と船に対する情熱は誰にも負けないくらいなのだろう。
デッキも船室も丁寧に掃除されていて、潮風を浴びて劣化しているようにも感じられない。
しかしながら彼らの噂を聞けば寄り付くものはいないようで、船員以外は誰も乗っていない様子だった。
「おめぇらぁ! 客拾ってきたかぁ! よくやったぁああ!!」
デッキに響き渡る暑苦しくうるさい声。これは嵐を呼びそうだな、とアリスは納得する。
そこに居たのはクマのように毛深い大柄の男。豪快で荒々しい嵐を呼ぶ海の男。
彼の名前はヘルマン・レイバ。この船の船長である。
客人に対しての礼儀など知りもしない口調で、アリス達に話しかける。無理を言って乗船した人達は、彼の性格や言動にも不快感を得たことだろう。
そして横にはこの船長と船員、そして船に似合わない娘が一人。
彼女はリュシー・カナル。この船専属の魔術師だ。
この世界では貧しい船でない限り、大抵の船は魔術師を最低一人は雇っている。それは船の保護であったり、荷物の運搬であったり理由は様々だ。
この科学のない世界で、そういった意味では魔術師は便利に扱われているのだ。
ヘルマンが巨体なのと、リュシーが小さいのも相まって親子のように見えるが、大人びたその顔からして成人は済んでいるのだろう。
「こいつァ俺らの大事な魔術師だ! ちっと口下手だが、女同士仲良くしてやってくれぇ!」
「それはどーも」
アリスが愛想笑いを投げれば、「フンッ」とそっぽを向かれてしまう。その態度にガブリエラは苛立ちを覚え、まるで威嚇するように睨みつけていた。
アリスはそんなガブリエラをなだめながらリュシーを見つめる。ただの船の運用を補助する魔術師にしては、その保有する魔力がおかしいと感じていたのだ。
〝おかしい〟というのは、魔力量が多すぎるという意味である。
勿論アリスに比べれば大したことないその辺の石ころと変わらない量だが、一般的な平均的な観点からすれば、その量は多い。
しかしそこではっきりとした事が言えないのは、アリスがこの世界の常識に疎いからであった。
最初に手を出した国も、魔術に関しては全く発展していないアベスカだ。
だからリュシーを見た時に、この船に本当に相応しくないのか確信が持てなかった。
アリスはあとでタイミングを見計らって、ガブリエラに相談することにした。
「行くぞおめぇら! 今日はいい出港日和だ!」
「「おっす!」」
(〝いい出港日和〟ね……)
嵐すら想像できない晴天。彼の言う通り本当に「出港日和」と言えよう。
彼らを悪者視している港の人間ですら、そう思えるだろう。船を知らないアリスですら出かけたくなるほどの天気だ。
嵐を呼ぶ男。そう呼称される割には至って普通の感想だった。
嵐を望んで待っているような口ぶりには、聞こえなかった。
案の定、というべきか。アリス以降に船に乗ってくる人間はおらず、そのまま船は出港することとなった。
「ずびばぜん……」
港を後にして数時間。日はとうに落ち時刻は既に夜。
アリス達も与えられた部屋で休んでいた――のだが。
「まさか船酔いね……」
「うぅ……」
アベスカから出たことのないガブリエラは、当然ながら船に乗るのは初めてのことで。船に乗って一時間ほどは、船旅を楽しんでいた彼女だった。しかし次第にその顔色は悪くなっていく。
アリスもアリスで、まさか魔物が船酔いになるなどと考えてもおらず。
(うーん。せっかく魔術師について相談出来るタイミングなんだけど……。まともな回答は得られそうにないな……)
「ごめんなざい……」
「船酔いに効く何かがあるか聞いてくるよ」
「うぇえん……」
部屋に一人、ガブリエラを置いてアリスは出かける。
魔術師のことなど別に聞いたところで、この船旅が終わればもう会うことはない相手。それよりも、今苦しんでいる旅仲間を助けるのが先決だ。
船員も殆ど寝ているようで、船は昼間より速度は遅く、さほど揺れていない。それにこの尋常なほどの身体能力を持つ体であれば、この程度の揺れで歩くことなど造作もない。
部屋に入る前に教えてもらった間取りを思い出しながら、キッチンへ足を進める。廊下を通るたびに船員の笑い声や酔っ払った声が耳に入り、アリスは少し微笑んだ。――仲がいいのだろう。いいことだ、と。
しばらく歩いて、見覚えのある扉を見つける。キッチンだ。まだ明かりが漏れていて、人がいるのが分かる。
アリスはほっと息を吐いた。誰も居なかったらどうしようかと思ったのだ。
用があるとは言え、流石に客が勝手に船員の寝室に入ってきたら驚くだろうし、廊下では誰にもすれ違わなかった。
何も得ないまま戻り、イチかバチかで回復魔術を掛けてやるくらいしか出来ないだろう。
扉に手をかけて開ければ、そこにはヘルマン船長と数名の船員が酒を酌み交わしていた。昼間とは打って変わって静かに飲んでいる様に、アリスは少し驚いた。
「んん? どした」
「お邪魔してすみません。連れの者が船酔いでして……。何か落ち着けるものはありますか?」
「おう! おい、お前。あれ出してやれ」
「うっす」
言われた船員が立ち上がり、棚をガサゴソと漁る。やはりこういった時のために用意してあるようだった。
ガサツに見えて客のことを思っているいい船乗り達だ。
アリスはふと疑問に思った。
(そんな彼らが、人を遠ざけるように嵐など好むのかな……)
しんみりと酒を煽る船員の横で、ガブリエラのためにお湯を沸かし茶を入れている船員。すっきりした匂いが鼻をかすめる。手慣れた手付き、用意されていた茶器。
まるで何度も練習してきたような。
船乗りの顔は微笑んでいた。この機会を待っていたかのように、喜んでいたのだ。
それは誰かが船酔いになって苦しんでいる様を喜んでいるわけではなく、今まで練習してきたものを誰かに披露できるという喜びだろう。
「……慣れてるんですね」
「ん? あぁ。何も用意していないのは客人に失礼だろ」
「俺達は好き好んで、嫌われてるわけじゃねえんだよ」
アルコールのせいだろうか。昼間の陽気さや豪快さは見られず、弱音を吐き出す男達。
やはり強気に振る舞っていようが、客足が減っているのは着実に彼らの心を蝕んでいるのだろう。
かちゃり、と心地の良い音が響いて茶の用意が終わったことに気付く。小綺麗なティーカップに入れられたそれは、ペパーミントティーだ。この爽やかなお茶であれば、気持ち悪さも軽減できるだろう。
それになんと言ってもこの暑苦しい男共が、このような茶を飲むわけではないのは誰もが分かっていた。
本当に客人のことを考えて用意して、練習をして、こうしてやっと振る舞えているのだ。
「ほらよ。お連れさんに渡してやりな」
「……ありがとうございます」
アリスはトレーに乗せられたそれを受け取り、キッチンを後にした。
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しかし寝室に居た妻は……
希望通りの白い結婚と愛人との未来輝く生活の筈が……全てを周りに知られていた上に自分の父親である侯爵家当主から言われた言葉は──
一人の女性を蹴落として掴んだ彼らの未来は……──
<【ざまぁ編】【イリーナ編】【コザック第二の人生編(ザマァ有)】となりました>
◇テンプレ浮気クソ男女。
◇軽い触れ合い表現があるのでR15に
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