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前編 第一章「降臨」

当代の魔王1

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「はあ……」

 玉座に情けなく腰掛けるのは、この世界の言わば「魔王」と呼ばれる存在、ヴァルデマル・ミハーレクその人であった。
 漆黒の魔術師ローブを羽織り、中は修道士の様相に似た服を着ている。質素に見えるが、どれも彼の得意とする魔術を強化するためのアイテムだ。
額には申し訳程度の角が生えていて、彼が人間ではないことが確認出来る。
 髪は白く、魔眼となった瞳は紫と青のオッドアイだ。

 ヴァルデマルが魔族をまとめあげ威厳を見せていたあの姿は、現在では見られない。
 それもそうだろう。先日現れた勇者、英雄と謳われる存在。
彼のせいでヴァルデマルの心はポッキリと折れたのだ。

 ヴァルデマルはこの世界では〝神域〟と呼ばれる領域に達した存在だった。文字通り選りすぐりの、神に到達するような人間が呼ばれる領域だ。
 そして何よりも人類初の魔神化を成功させた人物であった。
そのことに対して世界は震えた。あろうことか人の知識を有した化け物が生まれたのだから。
今まで相手するのに苦労していた魔物達を、知識と技能で統べる王が君臨してしまったのだ。
 それに対して魔族は歓喜した。彼のおかげで統率が取れ始め、今まで虐げられ見つかり次第殺されていた彼らに希望が勝機が見いだせたのだ。
何よりも彼は絶大なる力を持っていた。長として何ら問題のない、上司としてついて行きたくなるような強さを。

 何よりも彼の有する「魔眼」が強かった。強すぎたのだ。
紫色の右目に宿る魔眼は、彼の持つレベル以下の存在を即死出来るという、誰が聞こうが飛び抜けて強いその能力。
ひとたびそれを見たのならば、頭を垂れて従属を申し出るだろう。
 人と敵対し、強大な力を有する彼にどの魔族もこぞってついて行こうとした。
人をやめたがゆえになったその力を、間近で見たいと。人々を蹂躙し、魔族を従えた彼は最強であった。

 その勇者とまみえる先日までは。

 さて、この世界の最高レベルは199である。そしてそこに達した人間は存在しない。
伝記上いたとも噂されるが、現在ではいない。神話の領域。伝説の類。
 最強と謳われるヴァルデマルでさえ、そのレベルは170だ。
 だが勇者たちはそれをも優に超えたのだ。リーダーの人間に至っては、伝説である199レベルに到達しているとも言われているほどだ。

 そんな勇者とまみえた彼が何故ここでのうのうと生きていられるのか。
それはエンカウントした瞬間、彼の第六感が働き――ではなく、彼の有する左目の青い魔眼が「やばい」と信号を出したのだ。
 魔眼の効果は、相手の魔術に関する情報ステータスを閲覧出来るというものだったが、勇者がやって来て咄嗟に展開して良かったと彼は残りの人生思うだろう。
そもそも勇者のみに限らず、彼の引連れていた弱そうな女ですら化け物のような力を持っていて、ヴァルデマルが必死に集めた魔物の魔族の集まりの魔王軍を一人で葬れるような者ばかりだった。
 一体どちらが化け物なのだろう、と絶望したのをよく覚えている。

 ヴァルデマルは今までの威厳を全て捨てて命乞い、もとい自分は害はないとへりくだったのだ。
正直ダメ元ではあったが、相手はなんと学生ではないか。しかも心優しい青年と来た。
 そんな青年の勇者も、それに納得したのか単純に甘いだけなのか。トドメを刺さずにそのまま何処かへと消えた。
こうしてヴァルデマルは命を落とさずに済んだのだ。威厳は――地に落ちてしまったが。
 所詮は人間に甘やかされて育ったなのだと思ったが、すぐにその思いを捨てた。
変に馬鹿にしてまた反感を買ったら、今度こそ生きていられまい。彼は沈黙こそ利口であると理解した。

「魔王様! また魔物が来ております!」

 部下の魔物の一人ゴブリンが、玉座の間に入ってくる。報告内容に嘆息した。
 勇者との一件でヴァルデマルの信用はガタ落ち。そんな腑抜けた王ならば、自分が取って代われると侮られここ毎日襲撃に遭っている。
 とはいえ勇者が飛び抜けて強いだけで、ヴァルデマルは変わりない。
神域と言われた彼は衰えておらず、その辺の魔族であれば簡単に葬れるというもの。
 過半数の魔族が彼のもとを去っていったが、こうして報告に来てくれた下級魔族のように残ってくれる部下もいる。
そして何より、側近の頼れる二人もヴァルデマルについてくれている。

「チッ、しつけーな。俺様が追っ払ってくるぜ」
「頼んだぞ、フィリベルト」

 そう言って出ていったのは、フィリベルト・ドラパークだ。ヴァルデマルが魔人にした仲間の一人。
戦うことしか脳にない戦闘狂で、敵がいれば真っ先に突っ込んでいく。戦力としては申し分ないのだが、いささか「脳筋」すぎるのが玉に瑕だ。
 上着を着ておらず上半身裸にどこかから盗んだ赤い軍服ズボンのみではあるものの、魔人となったおかげで防御力が格段に上がり、彼の肌を傷つける力なぞ存在しない。――それはもちろん、あの勇者様御一行を抜いた話だ。
口笛を吹きつつ暗い赤色のオールバックの髪を整えながら、玉座の間を出ていく。

 走っていく彼を見送るのは、玉座の間に残っていた二人だ。
ヴァルデマルと、もう一人の側近。
 名を、ヨナーシュ・イグレシアス。ヴァルデマルの側近であり、頭脳だ。
白と金の色を用いた神官用の服を見る通り、元々は神に仕えし神官であった。ある時、ヴァルデマルに出会いこの世の深淵を垣間見た。
人のさらに上の存在――魔人になれると知った。
 そこから転落するまでは早かった。神など捨てて、魔の道を選んだ。ヴァルデマルという新たな神についていこうと誓ったのだ。

「ヴァルデマル様、流石にこう毎日押寄せられては埒があきません。そろそろ改めて魔族をまとめ上げねば……」
「分かっている。だがどうしろと? 再び力を合わせたとまたあの化け物に知られたら、今度こそ完璧に滅ぼされる」
「……」

 ヨナーシュは分かっていたから言葉に詰まった。彼も勇者と対峙したのだ。
実際戦ってはいないものの、その目で見ただけでもあれは人ならざるものだと痛感した。
ヨナーシュは神域と呼ばれるレベルには達していないものの、そのレベルは150。世間では「英雄」と呼ばれる区分に属している。
 それにレベル199の存在がいないことはよく分かっていた。だからあの勇者を見た時に、この世に降り立った人ならざるものだと理解できた。

 崇拝する主人が情けなくも命乞いをしたことに、憤怒したり遺憾になったりしていない。むしろあの時の彼の行為は適切だと思っていた。
 あのまま戦闘に突入していれば、赤子の手をひねるように殺されていただろう。
連れていた仲間達も化け物で、自分達と互角――いや、それ以上の力を有していると言われても信じられるほどだった。

「無謀にもこうして攻め入る魔族のせいで、数も減りつつあります」
「……まさか、あの勇者最初からこのような考えか?」
「同族同士で殺し合うよう仕向けたと……?」
「自らの手を汚したくないが故に、か。は、ははは……」
「我々は……どこまで苦しめば……」

 今まで散々人々に苦痛を与えてきたか。それを考えれば当然かもしれない。
 計画の内であってもなくても、事実こうして同族同士で殺し合い、魔族は着実に数を減らしている。魔王の強さが変わっていないということを分かっていない馬鹿共ということもあるが、いちいち来ている輩に勧告するほど優しくはない。

「いっそのことへりくだり続けて、こちら側に取り込むのは如何でしょう……!?」
「な……! それもいいが……」
「ええ。長いスパンになりますが、あちらの要求を飲み、魔であることがいいと思わせるのです」

 良い案ではあるが、実現は難しい。あのお子様は英雄と呼ばれた冒険者夫婦の間に生まれ、正義の名のもとに育ってきた。
そんな長年正しさで洗脳され理解してここまで来た存在が、魔人はいいですよと言われホイホイ鞍替えするだろうか。
元々そんな素質があるならまだしも、根っからのヒーローとなれば話は難しくなる。

「あまりいい案とは言い難い」
「……申し訳ありません」
「いや、良いのだ。……やはり、地道に力を伸ばすしかないのか」
「我々の命が長いことが救いですね」
「全くだ」

 魔族となって寿命が通常の人間より遥かに長くなった。あの勇者とかいう邪魔な存在が消えてから、再び世界を掌握するのも手だが――レベルをカウントストップさせるほどの強者が、果たしてすぐにこの世界から去ってくれるかが問題だ。
 もしかしたら魔人化とは別の方法で延命するかもしれない。となれば彼らはこの魔王城で死ぬまでひっそりと暮らしていく他なくなる。

 再び良案が消えたことに、ヴァルデマルは嘆息する。

「しかし、フィリベルトはまだか? いつもならば一分と掛からずに蹂躙するものを」

 ある程度レベルの高い魔族であれば、彼らに敵わないのはよく理解している。
無謀にもこの城を攻め落とさんとやってくるのは、頭の足りない低レベルの魔物のみ。
だからフィリベルトであればものの数秒、かかって数十秒で片付けてこの玉座の間に再び顔を見せている。
 彼らが長い時の中を生きていて、時間に関しては体内時計が狂っているというのもあるが、それでもフィリベルトの帰還は遅い。

「数が多かったのでしょうか」
「それほどの大群か? うぅむ、ならばゴブリンもそれを伝えるのではないか?」
「強い魔物も団結してやって来た、とかでしょうか?」
「考えられん。それであっても報告を怠ったことになろう」
「では単純に、道草でも食っているのではありませんか」
「……それが一番妥当そうだ」

 脳筋のフィリベルトにとって、この二人の会話はどうも疲れる。だから玉座の間にいる時間は、二人と比べて短い。
鍛錬をしていたり魔族や人間を殺したりと、動いている時間の方が多くを占める。
 フィリベルトがいなくなったことにより、ヴァルデマルとヨナーシュの会話は更に難しくなるだろう。それを見越してあえて戻ってこないこともある。
殴るしか脳のない男にとって、この二人は数少ない天敵なのだ。

「話を戻してもいいか。ホムンクルスやアンデッドを生成して軍を作るのはどうだ?」
「弱い戦力ですね。人の街を落とすならまだしも、相手はあの化け物勇者ですから」
「やはり力不足か……。しかし諦めるのはどうも俺には合わん」
「未知の土地やダンジョンを開拓して、新たな魔物の仲間を得ては?」
「確実に見返りが来るとは限らんだろう。ただでさえ人が少ないのだ、そんな無駄は出来ん……」

 先立つものがない。金と食の心配はなくとも、人員が割けないのだ。
配分しても失う可能性があるのであれば、数少ない兵をそこに割り当てるのは無駄というもの。
もしかしたら失敗して帰ってこないかもしれないし、未知の生物の反感を買ってさらなる被害にあったらたまったもんじゃない。
 ヴァルデマルは今日何度目かわからぬため息をはいた。

 そのタイミングで彼に追い打ちをかけるがごとく事態はやってきた。この部屋に響いてきたのは一つの走る音。
ドタドタと荒く必死に走る足音だ。それに合わせて男が叫ぶ声もついてくる。
二人が耳を疑ったのは、その声がフィリベルトにそっくりだったからだ。

「ひっ、ひぃぃ、あ、うぁあぁ!!!」

 バン、と大きな音を立てて扉が開かれた。
 情けない声を上げて逃げてきたのは、やってきた魔族を殲滅しに向かったあのフィリベルトであった。
漢と称され力では(勇者以外には)負けない、あのフィリベルトが――涙を流し、鼻水を垂らし、よだれをこぼしながら、汗を目一杯かいて、情けなく逃走してきたのだ。
 ヴァルデマルの座る玉座の足元に転べば、ヴァルデマルの足にすがりついて必死に頼み込んだ。

「は、はやぐっ、お前の持ってる最大級のッ、防御魔術をこの部屋に掛けろっっ!!」

 体液が付着するのを嫌そうに見つつも、あの脳筋男がここまで言うのは何かしらあるのだろうと察する。
いつもはやってきた魔族を屠るのは容易く、悠長に魔族の頭部などのお土産も持ってきた程だ。
 だが今はどうだろう。まるであの時勇者と戦った時のように、怯え震え恐れている。

「……はぁ、〈絶対なるピース・オブ安寧・マインド〉」
「〈絶対なるピース・オブ安寧・マインド〉」

 ヴァルデマルはヨナーシュに目配せをすると、二人で最大級の防御魔術を展開した。

 〈絶対なるピース・オブ安寧・マインド〉は、世界の七つに区分けされた格付けでいう〝魔術ランク〟の上から二番目――いわば〝Sランク魔術〟だ。
だが前述の通りそのひとつ上の〝Xランク〟と呼ばれる魔術は、ほぼほぼ言い伝えレベルで誰も見たことも聞いたこともない。
 遥か昔に大賢者大魔術師が集まって成し得たと噂されることもあったが、この現在に語り継がれて来たようなこともない。
誰もがその存在を疑っていた。
 そもそもSランクですら人間では到達できない領域なのだ。勇者達は別として、彼らヴァルデマルやヨナーシュは人をやめたからこそ到達できた場所だと言える。

 〈絶対なるピース・オブ安寧・マインド〉は玉座の間を包み込んで、彼らを守らんと働き始める。
絶対なるピース・オブ安寧・マインド〉は、その名の通り安寧をもたらすような絶対なる鉄壁を誇り、Sランクにふさわしい働きを見せるのだ。
 しかし対勇者戦では、この魔術はたった数発で撃破された。それはまぁ……相手が勇者であったということもある。
本来であればそのへんの魔族やそこそこ名のある腕の立つ冒険者ですら、触れることすら難しいはずだが、フィリベルトのこの怯えようだ。
重ねがけしてもいいかもしれない。

「〈女神の抱擁ゴッデス・エンブレイス〉、〈母なる大地マザーアース〉、〈天使のエンジェルズシルク〉」

 とは言えヴァルデマルは〈絶対なるピース・オブ安寧・マインド〉を展開してしまったら、それなりに魔力を持っていかれてしまう。ヨナーシュが追加で掛けてくれたおかげで二重になっているだけで十分だろう。
 ヴァルデマルは最大級とは言わないが、Aランク魔術の〈女神の抱擁ゴッデス・エンブレイス〉、〈母なる大地マザーアース〉とそしてBランクの〈天使のエンジェルズシルク〉を展開する。
どれも普通の冒険者では突破できない防御魔術ばかりだ。
 これだけ重ねがけしておけば十分だろう、とヴァルデマルは思ったが、未だに怯えているフィリベルトを一瞥すると些か心配になった。

「……〈迷える子羊ザ・ロスチャイルド〉」

 最後に幻惑魔術を掛けて終わりだ。
大抵のものならばコレで迷子になって、この玉座の間にたどり着くことなど不可能だ。
流石にこれならば何の問題はないだろう。あの勇者らではない限りこの防御網を突破することなど出来るはずがない。

「フィリベルト? 何があったのですか」
「な、何がって、ありゃ化け物だ! 勇者がただのガキに思えるくらいの、やべぇ……とにかくやべぇんだよ!」
「勇者が子供って……冗談でしょう?」
「俺の拳に誓っても嘘じゃねえ! な、なあ逃げていいか?」
「落ち着け。連日で魔族を相手にしていて疲れが溜まって、力が出ないのかもしれないだろう」

 そうは言うものの、彼らは魔人故に大抵のことでは疲れが生じない。
 それにフィリベルトは怪我すらしていない。あの彼が戦闘を開始する前に恐ろしいと判断して逃げたのだ。そんな相手から逃げて、果たして逃げ切れるのか。
 さらに言えば「勇者が子供と思えるほどの強者」。そんな存在がいるのだとしたら、利用して勇者を倒すのも手だ。
泥水をすすってきたこのしばらくの間だが、もう少し耐えれば世界が手に入るかもしれないのだ。
 ヴァルデマルはニヤリと笑った。これからまみえるまだ知らぬ強者に興味津々だった。

 だがその笑みも、防御魔術の掛かった壁を殴る音で消えることはまだ誰も知らない。
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