魔王アリスは、正義の味方を殺したい。

ボヌ無音

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前編 第一章「降臨」

プロローグ1

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「どうしていつも勝つのは正義の味方なの?」

 昔からそうだった。園 麻子その あさこは家族にそういった質問を投げかけては、大人を困らせていた。
 彼女が見聞きしてきた――否、大人達が彼女に与えていた作品で、どんな苦労があろうとも成功するのは勝利を収めるのは、正義の味方と呼ばれる人間ばかりだった。
 当然である。世間はそれを望んでいるし、普通はそうなのだ。
 麻子の両親も娘にはそうであってほしいと望んだ。大して大きな成功はせずとも、良き人間でありながら健康でいてほしいと。
 世界征服を目論む悪の組織は倒され、平和な世の中が待っている。希望に満ち溢れたハッピーエンド。
 悪役は忘れ去られ、過去の遺物や黒歴史として葬り去られる。だが読むたびにスカッとしないものばかりだった。
 ――彼女にとっては。

 年齢を重ねるごとに、バッドエンドが多いホラー映画やサスペンスものを好むようになった。
 子供が見るような映画や漫画達は大抵は正義の味方が勝利する。だが大人向けになるともう少し踏み入った領域へと連れて行ってくれる。
 誰もが死んでいくスプラッター映画に、殆どが呪い殺されるホラー映画。
 「鬱映画ランキング」なぞを総なめする勢いで、バッドエンディングの作品を見た。
 別段彼女はバッドエンドや鬱映画が好きなのではなく、主人公だからと補正されて生還するようなご都合主義が嫌いなだけだ。
 歳が増えれば映画やゲームのレーティング設定を心配する必要も無くなった。レーティングが上がれば自ずとバッドエンドも近付いてくる。誰も幸せになれず、殺人鬼や悪役が勝つことがよくあった。
 彼女は大衆が望んでいる愛しているヒーローが活躍するものからは、避けるようになってきていた。

 悪役が勝つ作品も年々増えてきていたものの、やはり正義の味方には圧倒的に劣る。どうせヒーローが勝つエンディングに無理矢理に調整されるのだと思うと、全ての作品が陳腐に思えた。
 もちろんこの考えは彼女の趣味嗜好によるもので、本来望むべきものはヒーローなんだろうというものは理解していた。だがそれだけである。理解しているだけなのだ。
 麻子自身が望むのは、やはり悪役なのだと。

 だが正義がいやだいやだと言っていた麻子はもういない。と言っても今はそれを言えるほど生活に余裕があるというわけではないだけだ。
 日々仕事に追われ、この会社で働き始めてはや数年。それなりに残業はあれど、それは必要なものだとわかっていたし、ちゃんと賃金もでることから麻子はブラック企業ではないと認識していた。
 所謂ブラック企業と呼ばれる会社と比べれば、有給もあるし冬も夏も休みがある。ボーナスだって――少ないが出る。
 わがままだった麻子は社会人になっていた。あの困るような質問をしてくる少女はもういない。






「園さん、部長が呼んでましたよ」
「ありがとうございます。なんだろう?」
「園さんなら悪い話じゃないとは思うんですけどね……」

 同僚に声を掛けられ仕事の手を止めれば、上司に呼ばれていたという話だった。彼からの評価が悪くないことに関しては麻子は少し喜んだが、問題は呼び出しの方だ。
 悪い話じゃなくとも呼び出される行為自体が嫌なのである。彼女に伝えたい何か重要な話があるということなのだ。でなければ、彼を通して伝言を頼めば済む話。
 それで済まないということだから面倒なのだ。出来れば何事もなく普通に現状維持で生きていきたいのだった。

 重い足取りで部長のオフィスへと向かう。同じ部屋にあるものの、部長のデスクだけガラス張りの個室になっている。おかげで部長が誰かを叱責しているときは、フロアにその声が響かなくて済むのだ。
 ただし透明なガラス張りなので、怒られているさまは丸見えなのだが。
 もちろん呼び出してくれた同僚の様子からして、部長が切羽詰まっていたりイライラした様子で彼に呼びつけを頼んだとは思えなかった。
 麻子は他人を観察する仕事をしているわけでもないし、これといって営業職にメインについているわけでもない。だから同僚の表情を完璧に読み取れるわけではない。
 だが流石にあの面倒くさい上司をそのまま形にしたような中年上司相手だ。多少は表情に出るというもの。

 覚悟を決めた麻子は、とんとん、とノックすれば気持ちの悪い笑顔が向いてくる。何を言っているか聞こえないが、唇の動きは「入って」と言っているように見えた。
 麻子は「失礼します」と断りを入れて入室する。直前まで喫煙室にいたのか、タバコのニオイでむせ返りそうになった。
 麻子は喫煙を容認する人ではないし、どちらかと言えば苦手な方だが部下という手前嫌な顔もするわけにいかない。
 平静を装って足を踏み入れるのだ。

「まあ座って」

 ガラス張りの部屋には部長のデスクだけではなく、ソファとテーブルも用意されていて、来客対応や面談などにも使われる。座らされるということは、これから来る話が長いと言うことだ。
 心の中の麻子が顔をしかめる。

「あさちゃんさ、倉石くんってわかる?」

 その呼び方に麻子は顔を歪めそうになる。女性社員そして一部男性社員から、セクハラだろうと上がっている呼称。
 男性社員に向けては名字を呼び捨てもしくは「くん」呼びなのに、女性社員に対してはあだ名や〇〇ちゃんなどの名前で呼びたがる。
 これぞ「この年齢のおっさん」あるあるだ。若い彼女からしたら気色が悪い。
 麻子は同じ社員のかわいい系女子とは違って、誰かに媚びたりするようなことは苦手だ。
 だからこういう時にノリよく返せない。

 そしてみんながそんなに過敏になっているのは、彼が出来る上司ではないからだろう。なるべくしてなった部長という地位ではなく、勤続年数が長い故になった地位なのだ。
 それに長い間この上司は部長という地位についている。
 昔は人手が少なくて無理にでも置いておかないと行けない状況もあったらしい。どうせその頃にちゃっかり着任したのだろう。
 ただしそこから昇格はしていないあたり「お察し」なのだ。
 前記の通りこの会社はブラックではないものの、人事部が少し――だいぶ抜けているという問題点がある。
 それは今部長が提示した名前の主、倉石という男もそうであった。

「あの部署をたらい回しにされてる新人ですか」
「そうそう。来月ね、うちに来るからさ。あさちゃんに教育係お願いしようかなって」
「は……」

 はぁ? と声に出そうになったところを必死に抑え込む。
 彼女が異議を申し立てたかったのはいくつかある。

 まず教育するならばもっと別の人間で適している存在がいること。
 麻子がここに入社してからそれなりに経過しているが、だからといって完璧に物事を把握しているわけではなく、自分よりも上の存在がいるのだ。
 愛想もよく教え方も上手で面倒見が良い。自分の教育をしてくれた人がそうだ。
 それになんと言っても特に大きな案件を抱えているという話も聞かないため、普段の仕事以外であれば手が空いているはずなのだ。

 だが麻子は正反対といっても過言ではない。コミュニケーションを取れる人間ではあるものの、任意の飲み会と聞けば「じゃあ帰ります」。
 趣味も趣味なだけあって、誰かと会話することはない。営業相手や仲良くしている企業、電話口では愛想が良いものの、職場では普通――もしくは悪いほうだ。
 だがそれを容認しているのは、彼女の人柄が悪いものではないとみなが知っているからだ。
 だが新人は? 初めてみた態度の悪い教育係をどう思う?
 それにおそらくその「教育に適した人材」を指名しないのは、部長が個人的に好いていないことと男だからということだろう。
 人間的には出来ているから何故――いやむしろ、出来た人間だから彼は劣等感を抱いてしまい、避けているのかもしれない。
 こんなあからさまな男女差別もとい個人的人選に心底嫌気がするが、退職するほど決定的な嫌味もない。

 そして次に問題なのは、その新人の倉石自身だ。今年度入社した新人なのだが、ここもまた人事部のザルさ加減が浮き出ている。
 面接の時にまんまと騙されたようで(まぁもっと言えば面接なぞ相手を騙すようなものなのだが)、入社後働いてみたらそれはそれは使えない新人だったのだ。
 もしかしたら履歴書も偽っているんじゃないか、なんて一緒に働いた人間がいうほどだ。
 本当に大学を出ているのか、という知能レベルらしい。調べた人間が居たと聞いたこともないが、もしかしたら所謂Fランク大学とやらを出たのではという噂も流れている。
 未だ関わりのなかった麻子の部署にすら噂話が届くほどの問題児で、様々な人間が頭を悩ませているらしい。
 部署をたらい回しにされているのも、教育係が「これ以上は無理」とさじを投げたからだ。
 会社は人が来ないわけではない。むしろ毎年応募があるし、なんなら中途採用でも来るほどだ。
 首を切ればいい話なのにそれをしないのは、人事部がミスを認めたくない証拠だろう。

 そんな問題児を、たかが数年働いただけの麻子がバッチリ教育を出来るかといえば――無理である。

(ある程度育てて無理なら言うか、ここで断る――いや、この場で断るっていうのはもう選択肢にないのかな)

 麻子の座るソファの前のテーブルには、ご丁寧に用意された資料が揃っている。今までの教育係達が引き継いで来たものだろう。
 部長自ら渡してこないあたり、逃げ場はないぞ、受け取れ、と言っているようだった。

(いっそのこと、人事部で使えばいいじゃん)

 愚痴ったところで結果は変わらない。それに人事部が倉石を避けているとなると、彼らも自分たちのミスに気付いているのだろう。勝手なことだ。
 それを言わずとも移動部署に人事部がないことから、「認めている」から「うちにはよこさないぞ」という強い意志を感じた。やはり彼らは馬鹿なようだ。
 麻子は心の中で深く大きいため息を吐いた。そして資料に手を伸ばした。

「じゃ、頼むね、あさちゃん!」
「はい……」

 ただの笑顔なのかもしれないが、今の麻子にとってはその部長の笑顔は皮肉でしかない。上の人間は指示するだけで良いから楽だよな、なんてぼんやり思いながらオフィスを出る。





「……はぁ」

 ライトアップされた街を、トボトボと歩くのは麻子だ。手には複数枚の資料が握られている。それを一瞥するたびに、彼女はため息を漏らした。
 今所属している部署には長いこといる。そこそこ分かっていると自負しているが、他人に教えるとなればまた別だ。

「なーにが、あさちゃんなら簡単でしょ! ……だよ、気持ち悪いジジイが」

 怒りで手に力がこもれば、貰った資料が音を立てる。ハッとして見れば握っていた部分がしわになっていた。
 帰路に付きながら必死に頭に資料を取り込んでいたから、今の今までずっと持っていたのだ。
 突然言い出すのだから、まるで学生のテストのように一夜漬けするしかない。教わる側からすれば教える側が何も知らないのは不安しかない。
 それは自分がよく知っていて実感しているから、少しでも穴を埋めようと必死なのだ。

 麻子はかばんから何も入っていないクリアファイルを取り出して、そこに資料を入れる。そしてそのままクリアファイルをかばんに押し込んだ。

 麻子は改めて新人に対する噂話や、流れてくる評価を思い出す。
 いや思い出すべきではなかったのだ。ネガティブな話ばかりが浮き彫りになり、麻子はさらに頭を痛ませる。
 麻子が何度腹の中で怒りを煮えさせたところで何かが変わるわけではない。結局麻子は上の指示に「イエス」というしかないただの歯車だったから。

「なんで私?」

 そう嘆いた所で麻子の嘆きは夜の空に消える。
 家に帰って寝て起きれば、何とかコンディションは戻るだろう。やりたくなくてもやらねばならないのが仕事だ。
 そもそも提案された時点で断れなかった自身も悪いのだ。誰かを責めるというのはエゴだろう。
 逃げまいと画策されていようが、拒絶に拒絶を重ねれれば良かったのだ。
 帰路につきながらそれでも考える。出来れば、教えるのであれば、ちゃんと使えるようにしてあげたい。
 自分の力では無理かもしれない。でもまた他部署へ異動になったとしても、ここで培った知識は無駄ではなかったと思ってもらえるようには、してあげたい。

 たらい回しにされた結果、結局辞めてしまうかもしれない。それでも出来る限りをしてあげたいのだ。

「……ちょっといいご飯、買って帰りますか」

 美味しいご飯を食べて、お風呂にゆっくり浸かって――と作戦を練っていると、彼女はふと思い出した。
 そういえば今日は新作のブルーレイが届く日。映画館に何度も足を運んだ、愛するホラー映画。
 なんと言っても素晴らしいのは、ホラー映画にありがちな「ファイナルガール」すらないこと。
 性欲にまみれたカップルが死んで、陽気な黒人が死んで、異変と犯人に気付いたちょっとネジの飛んだ友人が死んで、最後の最後に純血の乙女が残る。そんなありきたりなホラー映画ではなく、誰もが死ぬ。
 そして残る勝者は、慈悲もない殺人鬼だけ。そしてその彼はまた闇に消え、新たな被害者が何処かでまた増えていく。

 主人公は殺される側ではなく、殺す側。誰一人としてその山荘から逃すことなく、血まみれのバカンスを完遂させてくれる。
 どのレビューサイトを見ても「鬱映画」だの「バッドエンド」だの書かれていたのを見た時は酷く興奮したものだ。
 それの、なんと特装版。オーディオコメンタリーやメイキングなどの映像特典が本編の二倍入っているという、ファン――狂信者が大喜びするスペシャルエディション。
 思い出した麻子はどんどん気分が上がっていく。

(楽しみが増えたぞ)

 スキップ混じりに歩けば、その足取りが楽しそうなのは誰もが見て取れるだろう。
 明日からは地獄かもしれない。だったらこの一晩は楽しみたい。全てを忘れて楽しむお祭り。一夜限りの短い楽園。

 角を曲がれば自宅、そして最寄りのコンビニが見えるはずだ。少し残業をしたから、帰宅ラッシュに被ることは無い。
 ゆっくりと店内を見て周り、スイーツや豪遊に必要な酒類を買おう。
 遠足前の小学生が如く浮かれる彼女が角を曲がる。瞬間誰かが叫ぶ声が耳に届いた。

 日が落ちかけていてライトをつけていた車。飛び込んでくるはずのない歩道。
 見える運転手の焦る顔。制御の効かないハンドル。
 走馬灯というものは流れなかった。ただし世界がゆっくりと動いて見えた。
 麻子を捉える運転手の顔が、絶望に染まっていくのがよく見えた。

(あ、クレジットカードの支払い――まだあるのに)

 悲しくも、それが彼女の最後の思考だった。
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