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馬車の中
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アリシアは王都へ向かう馬車の中で、心の中の不安が次第に高まっていくのを感じていた。
周囲の景色が流れ去る中、彼女の思考は母の家系に関する断片的な記憶と、これからの運命に対する恐れで埋め尽くされていた。母が語っていた話は薄い雲のように彼女の心に漂っているが、具体的なイメージは掴めず、ただ不安だけが増していく。
(この先、どうなるんだろ……)
ちらりと視線を向けると、向かいに座るレイアードが目に入る。
今はもうフードを被っていないため、整った顔立ちがはっきりと見える。しかし、彼は無表情で、こちらの心情などまるで気にも留めていないかのように見えた。温もりや親しみを感じる余地はなく、ただ冷徹な雰囲気が漂っている。
しかし、その整った容姿には否応なく目が惹きつけられた。
窓から差し込む冷たい月光の中で強い影を落とす、凛とした姿は完璧で、鋭い鼻筋と形よく張った頬骨が彼の冷徹な印象を一層強めていた。細く引き締まった唇は、まるで感情を抑え込んだように硬く閉ざされている。額から滑らかに流れる銀色の髪が淡い光を受け、まるで氷の彫像のように静かに輝いていた。
特にアリシアの目を奪ったのは、その青い瞳だった。
深い湖の底を思わせる暗く冷たい色をしたその瞳に一瞬でも見つめられたら逃げられないと錯覚を起こしそうだ。
「わたしの顔に何かついていますか?」
レイアードは、視線を感じたのか静かに口を開いた。
その口調には一切の感情が込められておらず、ただ淡々と事実を確認するかのような事務的な響きがあった。
「いえ、すみません」
アリシアは慌てて視線を外し、俯いた。自分の不躾な視線が恥ずかしく思えてくる。
彼の凛々しい顔立ちは、どこか威圧的ですらあった。
「――王都まで、途中で宿泊を挟んでおよそ五日はかかります。あまり気を張らず、少しでも身体を休めてください。アリシア様が快適に過ごせるよう、できる限りの配慮を致しますので」
レイアードは冷静な声で告げる。彼の態度はあくまで事務的で、感情を排したものだった。
アリシアは返事に詰まり、短く「はい」とだけ答えたが、その声はかすかに震えていた。
「何か、気になることなどありますか?」
レイアードの質問に、彼女はふと息を詰める。
何よりも自分を緊張させているのは、まさに目の前にいる彼自身だった。しかし、それを率直に伝えることなど到底できない。アリシアは視線を落とし、俯いたまま沈黙を保つ。
「――やはり、王都へ向かうことが不安ですか?」
レイアードの声は変わらず抑揚に欠けていたが、その冷たい響きの奥には、少しの気遣いが感じられるような気がした。それでもアリシアは顔を上げることができず、小さく頷くことで返事をした。
レイアードは短い沈黙の後、再び静かに口を開いた。
「無理もありません。突然の話ですから、戸惑うのも当然です。しかし、王家があなたを必要としている」
彼の声には容赦のない現実を押しつけるような響きがあった。
アリシアにはその言葉が重く、まるで逃げ場を塞ぐかのように聞こえた。
「でも……私、何もわからないんです」
アリシアは声を震わせながら言った。
「王家はなぜ私を必要としているのでしょう?」
「…………アリシア様は聖女の存在をご存知ですか?」
――聖女。
その言葉が何を意味するのか、アリシアは正確には知らなかった。
伝承やおとぎ話の中でしか聞いたことがない存在だ。アリシアにとって遠い幻想のように思えていた。
「言葉は知っていますが、実際どのような存在なのかまでは……」
アリシアの答えにレイアードは短く頷き、視線を遠くに向けながら続けた。
「では、まず聖女が何者かをお伝えしましょう。聖女とは、古くからこの国に伝わる特別な力を持つ存在です。代々、聖女の力は王家や国家を守るために使われてきました。特に、魔法や呪いの類いを浄化し、封印する力を持つと言われています。そして、その力は母から娘へと、血筋によって受け継がれてきたのです」
「血筋によって……」
「そうです。あなたの母方の家系ルヴェルナは聖女の血を引く一族です。ですから、あなたもまた、その血を受け継いでいるのです。聖女としての力があなたに宿っているのは必然のこと」
「私が……聖女……?」
アリシアは自分の胸を押さえ、困惑の表情を浮かべた。
なにを言われているのか理解が追いつかない。
自分がそんな重要な存在だなんて、想像もしていなかったし、今なお信じられずにいる。
アリシアは無意識のうちに首にかけたペンダントを握りしめた。
「で、でも、私に、そんな力があるなんて、今まで感じたことがないんです。お役に立てるかどうか……」
レイアードは一瞬黙り込んだが、やがて静かに口を開いた。
「その力がまだ発現していないのは確かです。しかし、いずれあなたがその力を発揮することは間違いありません。ただ、力を引き出すためには、特別な条件が必要だとされています」
「特別な条件……?」
「はい。詳細は神官から正式に伝えられるでしょう。わたしはあなたが聖女としての役割を果たすための手助けをする立場にあります。遠慮なく頼ってください」
レイアードの冷静な説明に、アリシアは一層困惑した。しかし、同時に彼の言葉から逃れられない現実が押し寄せてきた。自分が聖女であり、何か特別な力を持っている。そして、その力を使わなければならない時が来る――それが、どうしても避けられない運命のように感じられていた。
「……私に、本当にできるのでしょうか?」
「できます。あなたには、その力が宿っているのですから」
アリシアの不安げな問いに、レイアードは一瞬だけ柔らかく見えたが、その表情はすぐに元に戻り、無表情で言った。
やがて馬車は、深い森を抜け、遠くに王都の城壁がちらりと見え始めた。
途中で何度か宿を取りながらの五日間、馬車は着実に王都へと進んでいく。
外の景色が変わり続ける中、アリシアはその運命を受け入れることができるのか、心の中で問い続けた。
周囲の景色が流れ去る中、彼女の思考は母の家系に関する断片的な記憶と、これからの運命に対する恐れで埋め尽くされていた。母が語っていた話は薄い雲のように彼女の心に漂っているが、具体的なイメージは掴めず、ただ不安だけが増していく。
(この先、どうなるんだろ……)
ちらりと視線を向けると、向かいに座るレイアードが目に入る。
今はもうフードを被っていないため、整った顔立ちがはっきりと見える。しかし、彼は無表情で、こちらの心情などまるで気にも留めていないかのように見えた。温もりや親しみを感じる余地はなく、ただ冷徹な雰囲気が漂っている。
しかし、その整った容姿には否応なく目が惹きつけられた。
窓から差し込む冷たい月光の中で強い影を落とす、凛とした姿は完璧で、鋭い鼻筋と形よく張った頬骨が彼の冷徹な印象を一層強めていた。細く引き締まった唇は、まるで感情を抑え込んだように硬く閉ざされている。額から滑らかに流れる銀色の髪が淡い光を受け、まるで氷の彫像のように静かに輝いていた。
特にアリシアの目を奪ったのは、その青い瞳だった。
深い湖の底を思わせる暗く冷たい色をしたその瞳に一瞬でも見つめられたら逃げられないと錯覚を起こしそうだ。
「わたしの顔に何かついていますか?」
レイアードは、視線を感じたのか静かに口を開いた。
その口調には一切の感情が込められておらず、ただ淡々と事実を確認するかのような事務的な響きがあった。
「いえ、すみません」
アリシアは慌てて視線を外し、俯いた。自分の不躾な視線が恥ずかしく思えてくる。
彼の凛々しい顔立ちは、どこか威圧的ですらあった。
「――王都まで、途中で宿泊を挟んでおよそ五日はかかります。あまり気を張らず、少しでも身体を休めてください。アリシア様が快適に過ごせるよう、できる限りの配慮を致しますので」
レイアードは冷静な声で告げる。彼の態度はあくまで事務的で、感情を排したものだった。
アリシアは返事に詰まり、短く「はい」とだけ答えたが、その声はかすかに震えていた。
「何か、気になることなどありますか?」
レイアードの質問に、彼女はふと息を詰める。
何よりも自分を緊張させているのは、まさに目の前にいる彼自身だった。しかし、それを率直に伝えることなど到底できない。アリシアは視線を落とし、俯いたまま沈黙を保つ。
「――やはり、王都へ向かうことが不安ですか?」
レイアードの声は変わらず抑揚に欠けていたが、その冷たい響きの奥には、少しの気遣いが感じられるような気がした。それでもアリシアは顔を上げることができず、小さく頷くことで返事をした。
レイアードは短い沈黙の後、再び静かに口を開いた。
「無理もありません。突然の話ですから、戸惑うのも当然です。しかし、王家があなたを必要としている」
彼の声には容赦のない現実を押しつけるような響きがあった。
アリシアにはその言葉が重く、まるで逃げ場を塞ぐかのように聞こえた。
「でも……私、何もわからないんです」
アリシアは声を震わせながら言った。
「王家はなぜ私を必要としているのでしょう?」
「…………アリシア様は聖女の存在をご存知ですか?」
――聖女。
その言葉が何を意味するのか、アリシアは正確には知らなかった。
伝承やおとぎ話の中でしか聞いたことがない存在だ。アリシアにとって遠い幻想のように思えていた。
「言葉は知っていますが、実際どのような存在なのかまでは……」
アリシアの答えにレイアードは短く頷き、視線を遠くに向けながら続けた。
「では、まず聖女が何者かをお伝えしましょう。聖女とは、古くからこの国に伝わる特別な力を持つ存在です。代々、聖女の力は王家や国家を守るために使われてきました。特に、魔法や呪いの類いを浄化し、封印する力を持つと言われています。そして、その力は母から娘へと、血筋によって受け継がれてきたのです」
「血筋によって……」
「そうです。あなたの母方の家系ルヴェルナは聖女の血を引く一族です。ですから、あなたもまた、その血を受け継いでいるのです。聖女としての力があなたに宿っているのは必然のこと」
「私が……聖女……?」
アリシアは自分の胸を押さえ、困惑の表情を浮かべた。
なにを言われているのか理解が追いつかない。
自分がそんな重要な存在だなんて、想像もしていなかったし、今なお信じられずにいる。
アリシアは無意識のうちに首にかけたペンダントを握りしめた。
「で、でも、私に、そんな力があるなんて、今まで感じたことがないんです。お役に立てるかどうか……」
レイアードは一瞬黙り込んだが、やがて静かに口を開いた。
「その力がまだ発現していないのは確かです。しかし、いずれあなたがその力を発揮することは間違いありません。ただ、力を引き出すためには、特別な条件が必要だとされています」
「特別な条件……?」
「はい。詳細は神官から正式に伝えられるでしょう。わたしはあなたが聖女としての役割を果たすための手助けをする立場にあります。遠慮なく頼ってください」
レイアードの冷静な説明に、アリシアは一層困惑した。しかし、同時に彼の言葉から逃れられない現実が押し寄せてきた。自分が聖女であり、何か特別な力を持っている。そして、その力を使わなければならない時が来る――それが、どうしても避けられない運命のように感じられていた。
「……私に、本当にできるのでしょうか?」
「できます。あなたには、その力が宿っているのですから」
アリシアの不安げな問いに、レイアードは一瞬だけ柔らかく見えたが、その表情はすぐに元に戻り、無表情で言った。
やがて馬車は、深い森を抜け、遠くに王都の城壁がちらりと見え始めた。
途中で何度か宿を取りながらの五日間、馬車は着実に王都へと進んでいく。
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