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決戦前夜
しおりを挟む奉職三十余年。
警察しか知らず、頭の先から尻尾の先まで警察だった俺には、何のツテもコネもない。
この年になって、地の利もない東京に出てきた。
そして一人、「笑い屋」を始めたのだ。
もちろん、笑い声や笑顔で番組を盛り上げるだけで飯を食っていけるわけではない。
なので、「笑い屋」は笑いに関する仕事を広く請け負うことにしている。
どんな場面でも笑ってみせるし、笑顔の指導や、一緒に笑ってほしいという依頼、笑顔のCМも歓迎だ。
しかし、警察官時代の俺を知っている奴からしたら、俺が「笑い屋」などという得体の知れない商売を始めたと聞いても信じられないだろう。
何せ「笑い」と真逆の存在が俺だ。
閻魔大王が天国にいるような違和感を感じるに違いない。
俺が警察官時代に笑った回数など、片手で足りるほどだ。
同僚の中で、俺の笑顔を見たことがある奴がいるかどうか。
それにこの顔。
「顔面凶器」とは俺のことで、どんな悪役面の俳優も、俺の横ではベビーフェイスに見える。
生まれたばかりの俺を見て、母親が鬼の子だと思って泣いたというのだから余程だろう。
ただ、元警察という信頼と、大阪府警でサイバー対策を担っている元部下が作ってくれた、大企業にも負けないホームページのおかげで、こうして依頼が来ている。
記者会見前日、つまり昨日、俺は事務所の副社長や広報担当、まっちょのマネージャー、まっちょ本人と打合せをするべく、指定されたホテルへ向かった。
ホテルのドアをノックすると、対象者のいるホテルの一室に踏み込んだ時のことを思い出し、武者震いが出た。
長い裏付け捜査が実を結び、ようやく逮捕する時。
係長の平沢は、ガキが生まれたばっかだって言うのに、この捜査のために20日も家に帰ってない。嫁さんの産後の調子が思わしくないと言っていた。心配なのだろう。平沢は時間が空くと携帯電話をチェックしている。
「きっちりワッパかけてやる。」
俺は心の中でつぶやく。
ドアが少し開き、男が中から顔をのぞかせたところで、俺はドアを閉められないように左足を室中に入れ、勢いそのまま左肩でドアを思いっきり押し開けた。
男は衝撃で引き飛ぶ。
俺は室内に入り、そこにいる男たちに「手を挙げろ」と腹から叫んだ。
我ながら堂に入っている。
自分で言うのもなんだが、地響きのような俺の声は、それこそ閻魔大王の様に有無を言わせない迫力がある。
部屋の中では、ある者は驚いて立ち上がり、ある者は椅子からスっ転び、ある者は「うわあぁぁ」と叫んだ。籠に入った鳥が羽をばたつかせている。
犯人たちの驚きようが滑稽だ。
俺たちの捜査が密行されてきた証でもある。
お前らがしてきた悪事をいつまでも続けられると思っていたのか?
苦労が報われる瞬間。
もちろん最後の一瞬まで気は抜けない。
ただ、被害者の涙、本部の置かれた署の道場で寝つけなかった夜や、張り込んだ平沢からアジトを解明した連絡があった時の歓喜の様子が浮かんできた。
俺は手錠に手をやる。
手を・・・ん? 手錠がない。
内ポケットの中か? 胸ポケットにもない。おかしい、この俺がワッパを忘れるはずが・・・。
椅子から転げ落ちた一人が「ど、どちら様ですか」と言ったところで、俺は我に返った。
やっちまったぁぁぁぁぁ。
現役時代の癖が出てしまった。
そこにいるのはどこぞの殺人鬼でも、放火魔でもなく、守るべき市民だ。
まぁ、やっちまったことは仕方ない。こんな時はスマイルだ。
俺は飛び切りのスマイルを作って「ご依頼いただきました笑い屋です。」と名刺を差し出した。
「あなたが「笑い屋」さんですか、笑えない登場の仕方ですね。」
「なんなんですか全く・・・イテテテ。」
「カチコミかと思いましたよ。」
こんなベビーフェイスの俺を捕まえて、カチコミと間違えるとは冗談がきいていると思ったが、失敗した手前、放っておいた。
「私が依頼した副社長の前澤です。」
一番年齢の若そうな男が名刺を渡してきた。
若く、フレッシュさがあり、服装はカジュアル。目に情熱があり、いかにもやり手という感じが出ている。
身長166から167cm、中肉中背。
高速道路をポルシェでビュンビュン飛ばすのが趣味、そんな感じだろうか。
前澤を「道路交通法違反(速度超過)」、略して「速度超過」とラベリングした。
「広報担当の米津です」
広報担当にふさわしくない瘦せっぽちの米津は、いかにも神経質そうだ。広報担当だというのに、なんだその声の小ささは。
身長177cm、細身。
他人の信書の中に、自分のことが書かれていないか気になってこっそり開けたりする・・・俺は米津を「信書開封」とラベリングした。
「まっちょのマネージャーの糸井です。」
四十そこそこだろうか。ガッシリとしたラグビー部タイプの男が言う。短髪、目が細く、身長172,3cm。昔、よく似た露出狂がいた。
糸井を「公然わいせつ罪」、略して「公わい」とラベリングした。
ということは、残っているこの生気のないのが「まっちょフィフティーフィフティー」ということになる。
伏し目がちでオドオドし、テレビで見るより一回りも二回りも小さい気がする。
予習してきたので、まっちょがどれかすぐに分かると思っていたが、オーラが全く無い。
こんなのが真っ裸でテレビカメラの前に立ち、あそこをインコで隠して絶叫しているかと思うと、人って分からんものだとつくづく思う。
こういう奴に限って、いきなりデッカイ犯罪を犯したりするものだ。
まっちょを「内乱罪」とラベリングした。
俺の目の前で、速度超過の副社長と信書開封の広報担当が俺を見ながら「どうやっても記者に見えない」とか、「まっちょが裏社会とつながりがあると思われないか」などと話し始めたが、結局、今から他に当たるのには時間がないということで、俺に依頼することになった。
そして今回の依頼の趣旨説明を受けた。
潜入捜査もお手の物の俺なら、記者に化けることくらい簡単だが、芸能リポーターたちが大勢いる会見場で、見ず知らずの俺が会見場にいるのはおかしいと思われないかと疑問に思った。
「その点は大丈夫だと思いますよ。」
ぼそぼそと信書開封が言う。
芸能リポーターが活躍していたのは数年前までで、SNSが流行し、芸能人が直接自分の情報を発信するようになってからはすっかり見なくなったのだとか。
「ただ、会見ではそのサングラスを外してもらえると・・・。」
俺は薄い紫色の入ったサングラスを外した。
俺のつぶらな瞳を見た、公わいのマネージャーが言う。
「あ、あの、カタギの方ですよね。」
俺の顔は生まれつきの顔面凶器。
それに、ナイフを振り回してきたひったくり犯のおかげで、右の目元に4センチ程度の切り傷がある。
もう二十年近く前の傷だってのに、いまだに俺の顔の中で存在感を放っている。初めて見る奴がビックリしないように、普段は大きめのサングラスで隠しているというわけだ。
それまでの人生が顔に表れる。
この顔は市民の安全を守るために身に着け、染み込んだ傷跡の集大成、結晶だ。
ちなみに、小学生時代の俺のあだ名は「殺し屋」だったが、あれは俺の人生の何を表していたのだろうか。
続いて詳細な打合せに入る。
俺は、この打合せというのを仕事の中で最も大事にしている。
経験上、お互いの認識を擦り合わせておかなければ、俺の仕事ははうまくいかない。
笑い屋にとって、顧客が笑ってほしいタイミングで笑うのはもちろんだが、顧客が笑ってほしくないタイミングでは決して笑わないことこそが重要となる。
特に今回の依頼のように、皆が気難しい顔をしている状況では、笑っていれば良いというわけではない。
笑いのタイミングや笑いの量、どんな感じで笑ってほしいのかまで綿密に打ち合わせる。
そう、この仕事の打合せは、警察の捜査会議と同じだ。
情報の整理、捜査方針の決定、意識の共有。今時古臭いと言われるかもれしれないが、連帯感の醸成も捜査会議の重要な役目だ。
皆が同じ気持ちで捜査に当たる。それは異なる意見を排除するということではない。「犯人を挙げる」「市民を守る」という目的を共有するということだ。
それなのに
「あえて普段どおり裸で会見に臨んだ方がいいんじゃないか。」
「何を質問されても「フィフティーフィフティー」って答えるっていうのは?」
「パロに答えさせたらおもしろい。」
「コンビニで3時間立ち読みして申し訳ありませんでした。で始めるとか。」
本気とも冗談とも取れる言葉が飛び交う。
特に、一番真面目そうな広報担当の米津がボソボソと尖った意見を出す。
聞けば昔、漫才コンビを組んでいたらしい。
こんな広報担当でこの事務所は大丈夫なのだろうか。
昔、本部長が行う謝罪会見に同席したことがある。
捜査員の一人が被疑者の女と懇意になり、捜査情報を漏らしていたことに対する謝罪だった。
会見では記者から厳しい追及もなされたが、おおむね想定していた質問で、無事に終わろうとした時、ある記者が「今回の不祥事を三文字で表すと何ですか?」とねじこんできた。
この記者からすると何か爪痕を残そうとしたのかもしれないし、ほぼ「お答えできません」であった会見に物足りなさを覚えたのかもしれない。
ただ、こんなふざけた質問にこそ「お答えできません」で良かったのに、本部長は唸るように「いぼぢ」とつぶやいた。
すぐに訂正しようとしたが、時すでに遅し。高性能マイクは「いぼぢ」をしっかりと捉え、一斉にフラッシュがたかれ、追及の嵐。「いぼぢ」と答える様子が繰り返し報道される大炎上となった。
結局この本部長はこの失言が原因で辞任することとなり、「痔任」の文字が週刊誌を飾った。
本部長はイボ痔持ちで、ストレスと座りっぱなしの会見で、この時痛みがピークに達していたという。
謝罪会見ではうかつなことは言わないに限る。
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