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232話、湧いてきた情けない感情
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「寝ちゃったか」
アルビスの頭を静かに撫でてから、数分ぐらいが経っただろうか。しばらくすると、悲しくすすり泣く声は薄れていき、代わりにか細い寝息が聞こえてきた。
泣き疲れて寝てしまうほど、私の為に泣いてくれるだなんて。安心して寝ていろ、アルビス。お前が起きるまで、私が守っていてやる。
「……おい、シャドウ兄。それ、かなりヤバいんじゃねえか?」
「そうだねぇ。浮かれて見落としていたら、今頃死んでいただろう。この僕を捨て駒扱いするとは、いい度胸だ。決戦の日が来たら、深淵の奈落へ誘ってやる」
「ん?」
なんだ? 今の不安が過る、シャドウとシルフのやり取りは。捨て駒扱いって事は、シャドウの身に何か起きたのか?
「なっ……」
二人が居る方へ振り向こうとするも、視界に入った光景に、私の顔がピタリと止まった。『闇産ぶ谷』のあらゆる箇所で、灼熱の火柱を上げていたり、分厚い氷の底に沈んでいる。
それだけじゃない。少し視線をずらせば、チラチラと降る雪が見え。その下には雪を解かさんと、小規模の溶岩溜まりが待ち構えている。私達が『闇の瞑想場』へ連れて行かれている間に、一体何があったんだ?
シャドウ達も、そう。シルフだけかと思いきや、未だ眠らされたプネラを抱えているシャドウの近くに、尻を突き出して地面に突っ伏した、血まみれのノームまで居た。
状況が、まったく理解出来ない。一つ一つ追っていたら埒が明かなそうだし、とりあえずシャドウに声を掛けてみよう。
「おい、シャドウ。私の心臓は役に立ったんだろうな?」
「ああ、大いに役立ったよ。お陰で、朴念仁に奪われていた僕の核を取り戻せた。けど、その核には、おまけがたっぷり付いていたけどねぇ」
「おまけ?」
「本体をここに戻さず、闇の瞑想場へ行って正解だった。全てが丸く収まったと油断して、この場で話を始めていたら、僕は死んでいたよ」
「……は?」
軽く流してしまったけど……。シャドウがフォスグリアに核を取られていたなんて、闇の瞑想場では聞いていない。
つまりシャドウは、自分の命を囚われながらも、私の命を救ってくれた事になってしまう。自らの危険を顧みず、この私の命を。
「あいつに、何かされたのか?」
「下手に喋るとシャドウ兄が死にかねないから、こっからは俺が説明する」
「シルフ」
ノームと同じく、浅緑色をした狩人服が血まみれ状態のシルフが、腕を組む。
「現在シャドウ兄の核には、様々な罠が仕掛けられてるんだ。今分かってるだけで、特定の言語制限、闇魔法の制限、闇の魔力制限がされてる。制限された言葉をうっかり喋っちまったり、闇魔法を使ったりしちまうと、シャドウ兄の核が強制的に止まり、死んじまう訳さ」
「そ、そんな……」
「そのせいで、君達の名前すら口に出来なくなってしまったよ。今の僕は、不器用に語れるただの闇さ」
精霊とは、魔力の根源といっても過言じゃない。しかもシャドウは、闇を司る大精霊だ。
その精霊が、闇の魔法と魔力を制限されたら、文字通り何も出来なくなってしまうぞ。
「言語制限って、どんな言葉が当てはまるんだ?」
「シャドウ兄が知ってる人物の名前、例の騒動に関わる単語ぐらいか?」
「よし、解析完了。僕の予想通り、それだけのようだね。あとは時間を掛けて、罠をゆっくり解除していくよ。ああ、そうそう……、っと。風君、後の説明は頼んだよ」
「風って俺か、分かった」
何かを言いかけて止めたシャドウが、シルフに助けを求め、己の呼称を風だと察したシルフが了承した。
「あー、何から説明すっかなあ。とりあえず当分の間、シャドウ兄に『伝心』をするなよ? それが引き金になって、シャドウ兄が死んじまうかもしれないからな」
なるほど。伝心をするには、魔力が不可欠だ。首飾りの宝石に魔力を流せば、指定した相手に私の魔力が通う。
すなわち、魔力の使用を制限されたシャドウに、伝心をするという行為は、生きた爆弾を起動させるに等しい。
「分かった、気を付けるよ」
「よし、次。もう少ししたら、『闇産ぶ谷』は統率が取れなくなり無法地帯になる。なので一旦、シャドウ兄の『大精霊権限』をプネラに移す。そしてしばらくの間、プネラを保護してやってくれ」
「保護って、私がか?」
「そうだ。精霊といっても、プネラはまだ子供だ。そしてプネラは、お前にめちゃくちゃ懐いてる。当然、俺達もプネラの保護に務めるけど、お前も世話してやってくれ。お前と一緒に居る方が、プネラも安心するだろうしよ」
『大精霊権限』というのが気になるものの。一時期的に闇を司る大精霊になったプネラを、私が保護すると。それは全然構わない。プネラもプネラで、沼地帯に来たがっていたからな。
しかし、『闇産ぶ谷』の統率が取れなくなるって、どういう事なんだ? 無法地帯になるとも言っていたし、今回の一件が関与しているのだろうか?
「なあ、シルフ。なんで、闇産ぶ谷の統率が取れなくなるんだ?」
「シャドウ兄が、無力化させられちまったからさ」
「シャドウが?」
「闇の精霊は、自我や物心がつくまでの間、肉体を見境なく奪い取ろうとする習性があってねぇ。弱肉強食や序列関係なんてあったもんじゃない。ここで芽吹いた直後から肉体の争奪戦が始まり、収拾がつかなくなる。その争奪戦を力のみでねじ伏せて間引き、ある程度の統率を保つのが、僕の仕事でもあったのさ」
説明に割って入ったシャドウが「クフフフフ」と笑い、プネラの頭を撫でる。
「それで僕は、完全に無力化させられてしまっただろう? なので、君達がここから居なくなり次第、分体の僕は芽吹いたばかりの同胞に食い潰される。まあ、これも貴重な疑似体験だ。精神状態の変化や食い潰されていく様を調べ上げて、今後の研究に活かしていくよ」
「は、はぁ……。お前は、怖くないのか? たとえ分体でも、そんな状況に置かされて」
「今はね。しかし、死に対して多少の恐怖を覚えたよ」
プネラを見続けているシャドウが、凛とほくそ笑む。
「選択を誤っていたら、僕は確実に死んでいた。それを理解したら、死に対しての恐怖、そして侘びしいと思う気持ちが湧いた。僕に娘が居なかったら、こんな惨めな感情は湧かなかっただろう。守るべき者が居ると、心がこうまで変わってしまうとはねぇ。僕も落ちたもんだ、情けない」
「クフフフフ」と、どこか慈愛に満ちた嘲笑をしたシャドウの顔が、私と合った。
「魔女君。君が彼を失った時の心境を、僅かだが汲み取れた気がするよ」
「あんな治療を私にやっておいて、よく言えたな? それ。心がある者にとって、当たり前の感情なんだよ。頭に叩き込んで、よーく覚えておけ」
「返す言葉が無いねぇ。仕方ない、今回ばかりは頭に刻み込んでおこう」
素直に従ったシャドウが、私に歩み寄って来て、その場にしゃがみ込んだ。
「この子は僕と違い、次世代の闇を担うに相応しい子だ。すまないが、大切なこの子を君に託してもいいかい?」
「起こさなくていいのか? 別れの言葉ぐらい掛けてやれよ」
「夢の中で事情を全て話しているし、別れの挨拶も済んでいる。今は夢の中で、僕を抱きしめて泣きじゃくっているよ」
「……そうか」
シャドウは本当の事を言っているようで。受け取ったプネラの瞳から、細い涙の線が頬を伝っている。こんな時ぐらい、現実の世界でも同じ事をしてやればいいのに。
今回の騒動で一番泡を食ったのは、たぶんプネラだろう。何も知らされていない状態で巻き添えを食らい、抜け出せない渦中に入り込んでしまったのだから。
「シャドウ、お前には大暴れをして欲しいんだ。だから、必ず戻って来いよ」
「言われなくともさ、決戦前日までには間に合わせるよ。それまで、この子を頼むよ」
「ああ、任せてくれ。で、起こさないのか?」
「この子が起きる事を拒絶しているんだ。どうやら、僕と離れ離れになりたくないらしい。この調子だと、明日まで起きてくれないだろう」
「なるほどな」
今夢から覚めれば、父親との別れがもう一度待っている訳だ。嫌だよなぁ、大切な人と二回も別れるだなんて。
闇の精霊間では、夢でも現実の一部になる。一秒でも長く父親と居られるなら、無理に起こす必要は無いな。
「それで、ずっと気になってたんだが。なんで『伝心』をしてないのに、シルフとノームが居るんだ?」
「お前らが闇の瞑想場に行ってる間、こっちもこっちで大変な目に遭わされてたんだよ。見ろ、この有様を。下手したら、闇産ぶ谷が消滅してたんだぜ?」
「クフフフフ。あの二人を闇の瞑想場へ飛ばせていなかったら、僕も本気を出さざるを得なかったよ。まさか知らず知らずの内に、あの二人の逆鱗に触れていたとはねぇ」
「一人の方は、分かっててやってただろ? ったくよぉ。事が収まったと思ったら、今度は俺達に襲い掛かりやがって」
「朴念仁の目を欺くには、ああするしかなかったのさ。気絶してる土君が起きたら、説明を頼んだよ」
「おまっ、ノーム爺さんには何も言ってねえのかよ……? うわぁ、めんどくせえ……」
私を差し置いて話を進めていくシルフが、あからさまに嫌そうな顔をしながら項垂れていく。ダメだ、これ以上聞ける雰囲気じゃなくなってしまった。
「……つーことだ、アカシック。こっちも色々はちゃめちゃしてた、察してくれ……」
「み、みたいだな。詳しくは、後で聞くよ」
「そうしてくれると助かるぜ……」
闇をも塗り潰してしまいそうな暗く湿ったため息を吐いたシルフが、脱力気味に漆黒の空を仰ぐ。
「どーすんだぁ、これ? アカシックや人間界だけで留まる話じゃねぇぞ? 精霊界も真っ青の一大事じゃねえか」
「その様子だと、騒動の全容は把握してるみたいだな」
「ああ、一部始終はシャドウ兄の記憶で知った。謝って済む問題じゃねえけど……。ピースの件は、本当にすまねえ」
しおらしい表情を私に向けてきたシルフが、頭を深々と下げた。
「お前は謝らないでくれ。全て悪いのは、時の穢れに侵されたフォスグリアなんだろ?」
「いや、フォスグリア爺さんの異変に気付けなかった俺らに非がある。もし事前に凶行を止められてたら、お前らの人生がここまで狂う事も無かったってのに。本当にすまねえ、アカシック……」
二度目の謝罪をしてきたシルフの声は、今にも消えてしまいそうなほど掠れていた。私達の人生をぶち壊したのは、時の穢れに侵されたフォスグリアだ。
シルフはおろか、フォスグリアを除いた大精霊達は、誰一人として悪くない。それは、全容の一部を知った私だって理解している。なので、シルフを責め立てるつもりなんて、これっぽっちもない。
けど、正義感と責任感が強いシルフの事だ。今何を言っても、あいつは背負うべきじゃない罪悪感に苛まれ続けるだろう。
さて。どうしようか、この空気。なるべく早く、あいつの罪悪感を取り除いてやらないと、いつまでも引きずってしまうぞ。
……この湿った空気。なんだか、あの時と似ているな。立場は逆だったけど、あれで私の心が救われたっけ。なら今度は、私がシルフの心を救う番だ。
あいつの説教をあやかってしまうけど、効果は身をもって体験している。ちゃんとした拳の握り方なんて知らないから、私は平手打ちでいかせてもらおう。
アルビスの頭を静かに撫でてから、数分ぐらいが経っただろうか。しばらくすると、悲しくすすり泣く声は薄れていき、代わりにか細い寝息が聞こえてきた。
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「そうだねぇ。浮かれて見落としていたら、今頃死んでいただろう。この僕を捨て駒扱いするとは、いい度胸だ。決戦の日が来たら、深淵の奈落へ誘ってやる」
「ん?」
なんだ? 今の不安が過る、シャドウとシルフのやり取りは。捨て駒扱いって事は、シャドウの身に何か起きたのか?
「なっ……」
二人が居る方へ振り向こうとするも、視界に入った光景に、私の顔がピタリと止まった。『闇産ぶ谷』のあらゆる箇所で、灼熱の火柱を上げていたり、分厚い氷の底に沈んでいる。
それだけじゃない。少し視線をずらせば、チラチラと降る雪が見え。その下には雪を解かさんと、小規模の溶岩溜まりが待ち構えている。私達が『闇の瞑想場』へ連れて行かれている間に、一体何があったんだ?
シャドウ達も、そう。シルフだけかと思いきや、未だ眠らされたプネラを抱えているシャドウの近くに、尻を突き出して地面に突っ伏した、血まみれのノームまで居た。
状況が、まったく理解出来ない。一つ一つ追っていたら埒が明かなそうだし、とりあえずシャドウに声を掛けてみよう。
「おい、シャドウ。私の心臓は役に立ったんだろうな?」
「ああ、大いに役立ったよ。お陰で、朴念仁に奪われていた僕の核を取り戻せた。けど、その核には、おまけがたっぷり付いていたけどねぇ」
「おまけ?」
「本体をここに戻さず、闇の瞑想場へ行って正解だった。全てが丸く収まったと油断して、この場で話を始めていたら、僕は死んでいたよ」
「……は?」
軽く流してしまったけど……。シャドウがフォスグリアに核を取られていたなんて、闇の瞑想場では聞いていない。
つまりシャドウは、自分の命を囚われながらも、私の命を救ってくれた事になってしまう。自らの危険を顧みず、この私の命を。
「あいつに、何かされたのか?」
「下手に喋るとシャドウ兄が死にかねないから、こっからは俺が説明する」
「シルフ」
ノームと同じく、浅緑色をした狩人服が血まみれ状態のシルフが、腕を組む。
「現在シャドウ兄の核には、様々な罠が仕掛けられてるんだ。今分かってるだけで、特定の言語制限、闇魔法の制限、闇の魔力制限がされてる。制限された言葉をうっかり喋っちまったり、闇魔法を使ったりしちまうと、シャドウ兄の核が強制的に止まり、死んじまう訳さ」
「そ、そんな……」
「そのせいで、君達の名前すら口に出来なくなってしまったよ。今の僕は、不器用に語れるただの闇さ」
精霊とは、魔力の根源といっても過言じゃない。しかもシャドウは、闇を司る大精霊だ。
その精霊が、闇の魔法と魔力を制限されたら、文字通り何も出来なくなってしまうぞ。
「言語制限って、どんな言葉が当てはまるんだ?」
「シャドウ兄が知ってる人物の名前、例の騒動に関わる単語ぐらいか?」
「よし、解析完了。僕の予想通り、それだけのようだね。あとは時間を掛けて、罠をゆっくり解除していくよ。ああ、そうそう……、っと。風君、後の説明は頼んだよ」
「風って俺か、分かった」
何かを言いかけて止めたシャドウが、シルフに助けを求め、己の呼称を風だと察したシルフが了承した。
「あー、何から説明すっかなあ。とりあえず当分の間、シャドウ兄に『伝心』をするなよ? それが引き金になって、シャドウ兄が死んじまうかもしれないからな」
なるほど。伝心をするには、魔力が不可欠だ。首飾りの宝石に魔力を流せば、指定した相手に私の魔力が通う。
すなわち、魔力の使用を制限されたシャドウに、伝心をするという行為は、生きた爆弾を起動させるに等しい。
「分かった、気を付けるよ」
「よし、次。もう少ししたら、『闇産ぶ谷』は統率が取れなくなり無法地帯になる。なので一旦、シャドウ兄の『大精霊権限』をプネラに移す。そしてしばらくの間、プネラを保護してやってくれ」
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「そうだ。精霊といっても、プネラはまだ子供だ。そしてプネラは、お前にめちゃくちゃ懐いてる。当然、俺達もプネラの保護に務めるけど、お前も世話してやってくれ。お前と一緒に居る方が、プネラも安心するだろうしよ」
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しかし、『闇産ぶ谷』の統率が取れなくなるって、どういう事なんだ? 無法地帯になるとも言っていたし、今回の一件が関与しているのだろうか?
「なあ、シルフ。なんで、闇産ぶ谷の統率が取れなくなるんだ?」
「シャドウ兄が、無力化させられちまったからさ」
「シャドウが?」
「闇の精霊は、自我や物心がつくまでの間、肉体を見境なく奪い取ろうとする習性があってねぇ。弱肉強食や序列関係なんてあったもんじゃない。ここで芽吹いた直後から肉体の争奪戦が始まり、収拾がつかなくなる。その争奪戦を力のみでねじ伏せて間引き、ある程度の統率を保つのが、僕の仕事でもあったのさ」
説明に割って入ったシャドウが「クフフフフ」と笑い、プネラの頭を撫でる。
「それで僕は、完全に無力化させられてしまっただろう? なので、君達がここから居なくなり次第、分体の僕は芽吹いたばかりの同胞に食い潰される。まあ、これも貴重な疑似体験だ。精神状態の変化や食い潰されていく様を調べ上げて、今後の研究に活かしていくよ」
「は、はぁ……。お前は、怖くないのか? たとえ分体でも、そんな状況に置かされて」
「今はね。しかし、死に対して多少の恐怖を覚えたよ」
プネラを見続けているシャドウが、凛とほくそ笑む。
「選択を誤っていたら、僕は確実に死んでいた。それを理解したら、死に対しての恐怖、そして侘びしいと思う気持ちが湧いた。僕に娘が居なかったら、こんな惨めな感情は湧かなかっただろう。守るべき者が居ると、心がこうまで変わってしまうとはねぇ。僕も落ちたもんだ、情けない」
「クフフフフ」と、どこか慈愛に満ちた嘲笑をしたシャドウの顔が、私と合った。
「魔女君。君が彼を失った時の心境を、僅かだが汲み取れた気がするよ」
「あんな治療を私にやっておいて、よく言えたな? それ。心がある者にとって、当たり前の感情なんだよ。頭に叩き込んで、よーく覚えておけ」
「返す言葉が無いねぇ。仕方ない、今回ばかりは頭に刻み込んでおこう」
素直に従ったシャドウが、私に歩み寄って来て、その場にしゃがみ込んだ。
「この子は僕と違い、次世代の闇を担うに相応しい子だ。すまないが、大切なこの子を君に託してもいいかい?」
「起こさなくていいのか? 別れの言葉ぐらい掛けてやれよ」
「夢の中で事情を全て話しているし、別れの挨拶も済んでいる。今は夢の中で、僕を抱きしめて泣きじゃくっているよ」
「……そうか」
シャドウは本当の事を言っているようで。受け取ったプネラの瞳から、細い涙の線が頬を伝っている。こんな時ぐらい、現実の世界でも同じ事をしてやればいいのに。
今回の騒動で一番泡を食ったのは、たぶんプネラだろう。何も知らされていない状態で巻き添えを食らい、抜け出せない渦中に入り込んでしまったのだから。
「シャドウ、お前には大暴れをして欲しいんだ。だから、必ず戻って来いよ」
「言われなくともさ、決戦前日までには間に合わせるよ。それまで、この子を頼むよ」
「ああ、任せてくれ。で、起こさないのか?」
「この子が起きる事を拒絶しているんだ。どうやら、僕と離れ離れになりたくないらしい。この調子だと、明日まで起きてくれないだろう」
「なるほどな」
今夢から覚めれば、父親との別れがもう一度待っている訳だ。嫌だよなぁ、大切な人と二回も別れるだなんて。
闇の精霊間では、夢でも現実の一部になる。一秒でも長く父親と居られるなら、無理に起こす必要は無いな。
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「お前らが闇の瞑想場に行ってる間、こっちもこっちで大変な目に遭わされてたんだよ。見ろ、この有様を。下手したら、闇産ぶ谷が消滅してたんだぜ?」
「クフフフフ。あの二人を闇の瞑想場へ飛ばせていなかったら、僕も本気を出さざるを得なかったよ。まさか知らず知らずの内に、あの二人の逆鱗に触れていたとはねぇ」
「一人の方は、分かっててやってただろ? ったくよぉ。事が収まったと思ったら、今度は俺達に襲い掛かりやがって」
「朴念仁の目を欺くには、ああするしかなかったのさ。気絶してる土君が起きたら、説明を頼んだよ」
「おまっ、ノーム爺さんには何も言ってねえのかよ……? うわぁ、めんどくせえ……」
私を差し置いて話を進めていくシルフが、あからさまに嫌そうな顔をしながら項垂れていく。ダメだ、これ以上聞ける雰囲気じゃなくなってしまった。
「……つーことだ、アカシック。こっちも色々はちゃめちゃしてた、察してくれ……」
「み、みたいだな。詳しくは、後で聞くよ」
「そうしてくれると助かるぜ……」
闇をも塗り潰してしまいそうな暗く湿ったため息を吐いたシルフが、脱力気味に漆黒の空を仰ぐ。
「どーすんだぁ、これ? アカシックや人間界だけで留まる話じゃねぇぞ? 精霊界も真っ青の一大事じゃねえか」
「その様子だと、騒動の全容は把握してるみたいだな」
「ああ、一部始終はシャドウ兄の記憶で知った。謝って済む問題じゃねえけど……。ピースの件は、本当にすまねえ」
しおらしい表情を私に向けてきたシルフが、頭を深々と下げた。
「お前は謝らないでくれ。全て悪いのは、時の穢れに侵されたフォスグリアなんだろ?」
「いや、フォスグリア爺さんの異変に気付けなかった俺らに非がある。もし事前に凶行を止められてたら、お前らの人生がここまで狂う事も無かったってのに。本当にすまねえ、アカシック……」
二度目の謝罪をしてきたシルフの声は、今にも消えてしまいそうなほど掠れていた。私達の人生をぶち壊したのは、時の穢れに侵されたフォスグリアだ。
シルフはおろか、フォスグリアを除いた大精霊達は、誰一人として悪くない。それは、全容の一部を知った私だって理解している。なので、シルフを責め立てるつもりなんて、これっぽっちもない。
けど、正義感と責任感が強いシルフの事だ。今何を言っても、あいつは背負うべきじゃない罪悪感に苛まれ続けるだろう。
さて。どうしようか、この空気。なるべく早く、あいつの罪悪感を取り除いてやらないと、いつまでも引きずってしまうぞ。
……この湿った空気。なんだか、あの時と似ているな。立場は逆だったけど、あれで私の心が救われたっけ。なら今度は、私がシルフの心を救う番だ。
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