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227話、私という器は、嘘の塊で出来ている

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「……え?」

 私の着ている黒いローブが、熱い何かで湿っていく。
 足元に赤い液溜りが出来て、四方にゆっくり広がり始めた。足元に出来た、あの赤い液体はなんだ? もしかして、私の血……。

「がっ……!? あ……!」

 腹部を崩陽ほうように刺された事を理解したせいで、意識が飛んでしまいそうなほど、鋭く耐え難い痛みを感じてきた。
 口の中から、血の味がする。喉から湧いてくる血を吐き捨てないと、呼吸がし辛い。顔を下に向けると、透明な液体が何粒も滴り落ちていく。
 アルビスに、腹部を刺された。なぜだ? 私が変な動きをしたから? 腹部を中心にして、全身へほとばしる熱い激痛のせいで、上手く考えられない。

「ほう? 生意気にも痛覚があるんだな。どうだ? 初めて刺された気分は? さぞ痛いだろう」

 この期に及んでの挑発。ならアルビスは、故意で私の腹部を刺してきた事になる。先の口実は、私に近づく為の嘘だったのか?
 けど、もう少しだけ確認してみたい。アルビスは、本当に記憶を奪われているのか。そうではなく、シャドウに操られているのかを。
 それまで回復魔法は使わず、秘薬も飲まない。崩陽は抜かず、このままにしておこう。
 そう決めた私は、激痛を無視し。掠れる視界でアルビスを捉え、あいつの肩に右手を置いた。

「……ああ、痛い。すごく痛いよ。でも、私は何もしなかっただろ? だから……、私を信じてくれないか?」

「余に気安く触るな、下臈げろうめ」

「ぐあっ!?」

 肩に置いていた私の右手が、『ポキン』と軽い音を立てながら振り払われたかと思えば。左手の平に、太い何かに刺された様な痛みが走り、私の意に反して挙がっていった。
 ……右手が、小刻みに震えるだけでまったく動かない。振り払われた衝撃で、折れた? 左手は、なんだこれ?
 地面から突き出した紫色の無数の棘が、私の左手を何本も貫通している。こんな魔法、アルビスが使っている所なんて見た事がないぞ。
 どうする? 両手を失った今、無詠唱の魔法が使えなければ、秘薬も飲めなくなってしまった。もう、本当に何も出来ない。このままじゃ、アルビスに殺されてしまう……!

「あ、アルビス……。私が変な動きを、してたんだったら、謝る。だから、考え、直してくれないか?」

「アカシック・ファーストレディ。余はな? 何故、貴様までここから生きて出る前提で、話を進めていたのか不思議でならなかったんだ」

「……え?」

「貴様は嘘をつかず、本当に何もしてこなかった。ならば、こんなまたとない好機を、逃す訳にはいかないだろう? ここで貴様を殺し、余だけが脱出してやる」

 腕を組んで見下してきたアルビスの宣言が、私の思考能力を完全に奪い、全身から血の気が引いていく感覚がした。
 私は最初から、アルビスに騙されていたのか? いや、違う。私の提案を逆手に取られたんだ。私はただ、アルビスを都合よく信じようとしていただけになる。

「そ、そんな……」

「余を騙し続けてきた奴の提案なぞ、受けると思ったか? もしそう考えていたのであれば、実に腹立たしい。ふざけるのも大概にしておけ。いくらなんでも、虫が良すぎるぞ」

「ち、違うんだアルビス……! 一回だけでいいから、私の話を聞いてくれ! 本当に、私とお前は襲われて───」

「襲われてるからなんだと言うんだ? そんな事なぞどうでもいい。今大事なのは、いかに貴様を殺すかだ。さて、どう嬲ろうか」

 ……二つ目の違和感、と見ていいのか? 普段のアルビスなら、いち早く私を殺そうと、当たれば一撃で葬り去れる攻撃ばかり放ってきていた。
 あいつの性格上、どんな事があろうとも、嬲るなんてまずあり得ない。しかし、私は身動きが取れず、圧倒的に不利な状態だ。時間だって、たっぷりある。
 アルビスの本音を聞いた時、あいつは私に対して、相当根深い恨み辛みを持っていた。そして今、その恨みを存分に晴らせる状況下。万が一、そうだとしたら……。

「い、嫌だ……。アルビス……、頼む。やめてくれ……」

「余と三十年以上戦ってきた貴様なら、大層な命乞いを聞けると思っていたのだが。どうやら貴様も、ただの人間だったらしい。なんだ、そのみすぼらしい命乞いは? 期待して損をした」

 いつもなら、聞き流せる挑発だというのに。なんでこうも、心を抉ってくるんだろう。アルビスに、そんな事を言われたくないからなのかな?

「……そうだよ。私だって、ただの人間さ。死ぬのだって怖い……。でも、お前に殺されるのが、一番怖くて嫌だ……」

「そうか。ならば、その期待だけには応えねばならないな。すぐ息絶えるなよ? なるべく長く藻掻き苦しみ、余の顔を目に焼き付けながら死んでいってくれ」

「違う……! そうじゃないんだ、アルビス! 頼むから、シャドウなんかに負けないでくれ……、はっ!」

 そうだ、シャドウ! ここまでに至った全ての原因は、あいつにある。一度私に『伝心でんしん』をしてきたから、必ずどこかで見ているはずだ!

「シャドウ! ゴホッ……! どこかで、見てるんだろ!? か、隠れてないで、今すぐ出てこい! 私がお前を、ぶっ飛ばして、グッ……!」

「シャドウ? ああ、なるほど? 貴様の企みが、薄々と分かってきたぞ。どうやら今回は、他者と手を組み、余を殺すつもりでいたんだな」

「違うんだって! お前が、そのシャドウって奴に、何かをされてるんだ! ……お願いだよ、アルビス。私の事を、全部思い出してくれ……」

「思い出す? 冗談はよしてくれ。一秒でも早く、貴様の全てを忘れたいというのに。これ以上、余に虫唾の走る記憶を植え付けるな。人の心を持たぬ、忌々しい冷徹非道な魔女め」

「あっ……」

 目の前の視界が、滲むようにぼやけていく。アルビスの輪郭が、水底に沈んでいくかのように歪んでいく。傷を負っていない左胸が、崩陽に刺された腹部より激しく痛み出してきた。
 アルビスの言葉が、私の心に、深く深く刺さっている感じがする。これは、私が招いた結果だ。アルビスに殺されても、文句を言えない事ばかりしてきた。……でも、辛いなぁ。
 そんな感情を持つ権利なんて、私には無いというのに。今は、胸が張り裂けそうなほど辛い。どうしよう。アルビスは、私の言葉を何一つ信じてくれやしない。
 だからきっと、ウンディーネやベルラザさんの名前を出しても、適当な理由を付けられて流されてしまうんだろうな。何を言っても信用してくれないって、こんなに辛いんだ……。

「ああ、みっともない。薄汚い涙なんぞ流しおって。こんな愚かな奴に、三十年以上も付き纏われていたとは。なんとも無駄な時間を過ごしてしまった。余の命だって有限なんだぞ? 貴様に奪われた貴重な時間は、二度と戻って来ない。どう落とし前をつけてくれるんだ?」

「……ごめん、アルビス。本当に……、ごめん」

「中身が空っぽで誠意無き謝罪を軽々しくするな、余計に腹が立つ。貴様が余に犯した罪は、夜空に浮かぶ星の数より多い。罪の数を一から最後まで数えていたら、先に寿命が尽きてしまうだろう。貴様は、それ程の事を余にしてきたんだぞ?」

「……分かってる。だからもう、お前には、二度と手を出さないって、誓う……。山岳地帯にも、近づかないから……。お願いだよ……、アルビス。一回だけで、いいから……、私を……」

「誰が貴様を信じるか。一から十まで嘘をつき、百から永遠に余を騙し続ける魔女の戯言なぞ。いいか、魔女よ。貴様という器は、欲深い嘘の塊で出来ている。その中に、真実なぞこれっぽっちも含まれてはいない。故に、貴様の口から出てくる言葉は、全てが汚らわしい嘘のみだ。この世に貴様を信じる生物なんて、何一つとして居ないんだよ」

 とうとう、私の名前すら言わなくなってしまった。それに、かつては信じてくれた言葉に、今回は聞く耳すら持ってくれない。もう、何を言っても駄目だ。
 私はここで、アルビスに嬲り殺しにされる。叶えたい夢を応援してくれて、近道を作ると励ましてくれて、私の家族になってくれた人に、殺されてしまうんだ。
 殺されたら、みんなに二度と会えなくなってしまう。ヴェルイン、カッシェさん、ファート、ウィザレナ、レナ、クロフライム、ウンディーネ、シルフ、レムさん。
 けど、ピースには逢えるんだ。やっと、ピースが居る場所へ私も行ける。でも、ここで殺されたら……。

「……サニー」

 嫌だ、嫌だよ。これで終わりだなんて。死んだら、サニーに逢えなくなってしまう。太陽のように眩しい笑顔は見られても、サニーを抱きしめる事が出来なくなってしまう。
 一緒にお風呂にも入れなくなるし、一緒に寝る事も出来なくなってしまう。遊ぶ事も、食事をする事も、買い物に行く事も、絵本を読む事も、旅をする事も、ただいまって言う事も……。

「サニー? 誰だそいつは?」

「……私の娘だ。綺麗な金色の長髪で、青空のように透き通った青い瞳をしてる……。笑顔が、太陽みたいに眩しい子なんだ……」

「そいつは今、どこに居るんだ?」

「……沼地帯で、私の帰りを待ってる」

 そう。沼地帯で、サニーが私の帰りを待っている。帰りたい、今すぐにでも帰りたい。心配しているだろうなぁ、サニー。
 十日間以上も待たせてしまっているんだ。早く帰って、私は無事だよって教えてあげて、抱きしめて安心させてあげないと。

「アルビス……。これ以上は、望まないから……、サニーに、逢わせて欲しい……。一回だけで、いいから……。お願いします……。どうか、逢わせて下さい……」

「そうかそうか、沼地帯に居ると。愚かな貴様の帰りを、健気にいつまでも待っているんだろうな。よし、分かった。余は黒龍であって、悪魔じゃない。せめてもの情けだ……、と言うとでも思ったか?」

 途端に声色が低くなったアルビスが、一呼吸置く。

「余を襲い続けた罰だ。あの世で一生後悔してろ。だが、少しだけそこで待ってるがいい。どうせ、お前が育てた子も、早々にそちらへ向かう。残念だったな。逢えると思って場所を教えた様だが、帰すつもりはまったくない。貴様の想いは水の泡、無駄死にだ」
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