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173話、新しい憩いの場に
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私を睨みつけているシルフへ近づいていく度に、不穏な圧の密度が増していく。
不機嫌そうな顔をしているシルフの前まで来ると、圧に気押されて小さな恐怖心が芽生えてきて、足がすくんできてしまった。
「き、来たけど……。これから私は、一体何をされるんだ?」
「とりあえず、頭を下げろ」
「頭を? な、なんでだ?」
とにかく理由が知りたいので、しどろもどろに聞き返してみるも。しかめっ面を維持したシルフは、無言で地面を指差すばかり。
無言の圧も加わったせいで、余計に怖くなってきた。この耐えがたい恐怖心よ。なんだか幼少期の頃にも、まあまあな頻度で味わっていた気がする。
それも、大体が『レム』さんに優しく叱られる直前の時―――。いや、だんだん思い出してきたぞ。レムさんが怒る要因を作ったのは、全部私だ。
当時の私は、魔法と薬草学以外の勉学が大の嫌いで。レムさんが準備を始めると、私は箒に乗って逃げていたっけ。
そして、おどおどしながら教会に戻って来ては、レムさんに叱られていた。あれ? じゃあ、今から私は、シルフに叱られるのか?
「し、シルフ……? やっぱり、怒ってる、よな?」
半歩後ずさりをしながら問い掛けてみると、シルフは黙ったまま頷いた。
「な、なんで怒ったんだ? 私が、何かしたせい、なのか?」
「そうだ、とりあえず頭を下げろ。話はそれからだ」
やはり、シルフは私に対して怒りを覚えている。なぜだ? 私はシルフに何をした? 気が付かない内に、逆鱗にでも触れてしまったのか?
話してくれるのは、私が頭を下げてからだと言っていたし、聞くに聞けない状況だ。
ウンディーネ様に視線を送ってみるも、『私に出来る事は何もない』と言わんばかりに、苦笑いを返してくるだけ。
……とりあえず、私はシルフに何かをしてしまったようだ。なので、一回頭を下げて謝った方がいい。そうすれば、シルフが私に怒りを覚えた理由も分かるはず。
「えと、その……。す、すみませんでしぎゃっ!?」
恐る恐る頭を下げた瞬間。後頭部に重い衝撃が走り、視界が急激に地面へ落ちていった。鈍痛が響く後頭部を反射的に両手で押さえ、慌てて顔を上げてみる。
チカチカと眩む視界の先。握り拳を振り落としたような仕草をしていて、その白い湯気が昇る握り拳を解き、左右にヒラヒラと振り出したシルフが居た。
「な、ななっ……!?」
「俺はな? お前がそうやって、いつまでもうじうじしてる所が大嫌いなんだよ」
「へっ……?」
鈍痛に鋭さが増していき、視界が若干潤ってきた中。怒った理由を明かしたシルフが、腕を組んだ。
「いいか? アカシック。出会いが最悪な形になっちまったのは、全部俺達のせいなんだから、お前が謝る必要なんて何一つねえんだよ。お前が今まで俺達にしてきた事は、全てが正当行為だ。だから、責任や罪悪感を覚えるのもやめろ。とっとと寝て、さっさと忘れちまえ」
「し、しかし―――」
まったく納得出来ていない私が、悪い癖で話を長引かせようとするも。組んでいた腕を解いたシルフが、指先で私の鼻を強めに押してきた。
「次、『でもぉ~』とか『しかしぃ~』って言ったら、もう一回ぶん殴るからな?」
「うっ!? わ、分かった、言わない! だから、殴るのだけはやめてくれ……」
後頭部に巨大なタンコブが出来ている事を認めつつ、体を大きく波立たせながら従う私。先の一撃は、今まで感じた事がない痛さがあった。
アルビスの魔法や、ウンディーネ様と戦った時に受けた致命傷なんか、比べ物にならないほどの痛みが。なのでもう二度と、シルフのげんこつだけは食らいたくない……。
「ったくよお、勝手に自分に非があると思い込みやがって。むしろここは、俺達が謝るべきなんだからな?」
「し、しかし……、あっ」
私が数秒で、シルフとの約束を破った矢先。瞬時に間合いを詰めてきたシルフが、私の胸ぐらを掴み、凍てついた鋭い眼光が宿った顔を限界まで近づけてきた。
「おい、バカシック。それ、癖になってんだろ?」
「そ、そうだな。自分でも分かってる、すまない……。もう絶対に言わないから、もう一回だけ猶予をくれ……。さっきのげんこつ、本当に食らいたくないんだ……!」
「俺は、お前を育ててくれた『レム』みたいにはいかねえぞ? ちゃんと愛を込めて叱るし、聞き分けなかったら拳が飛んでくるからな?」
「分かった、分かったから……! 一旦離れてくれ!」
最早、恐怖心に駆られた涙声で訴えかけると、怒りの炎が灯った瞳で睨みつけていた顔が、じわりじわりと遠ざかっていった。
そんな、有無を言わさずに私を叱ってきたシルフは、再び腕を組み直し。どこか楽しそうながらも、苦笑い混じりにはにかんだ。
「お前、今みたいに叱られた事は一回もねえだろ? すげえおどおどしてたし、効果てきめんだな、これ」
「……確かに、覚えてる限りでは一回も無い。たぶん初めてだと思う。レムさんは、それほど優しい人だったからな。棘の無い声で、おっとりと叱られてたよ」
「レムさんは、とにかく温和な方ですからね。ですが、その温和で悠々としたお咎めは、心にくる物があったんじゃないですか?」
「そうですね。いつも私がレムさんを怒らせる要因を作ってたので、叱られる時は恐怖で震えてましたし。なんなら、泣きそうになった時もありました」
ウンディーネ様の言う通り。当時は、私がまだ子供だった事もあり。ちゃんと怖かったし、レムさんの顔を見る事さえ出来なかった。
今のシルフもそう。はにかんでくれなかったら、まだ顔を逸らしていただろう。……そう思うと私って、子供の頃から大して変わっていないな。
「へっへっへっ。さっきも涙目になってたし、あの時から全然変わってねえな、お前は」
「うっ……! やっぱり、涙目になってたんだな」
「ええ、親に叱られている子供のように震えていました。あんなアカシックさんの顔、私は初めて見ました」
「は、はぁ……。ああ、恥ずかしい……」
重苦しいため息を吐き、手で顔を覆う私。そんな弱々しい私の姿なんて、サニーに見せる訳にはいかないな。
それに、ヴェルインにもだ。一生物の笑い種にされてしまう。
「いいんだよ、お前は変わらなくて。お前が『迫害の地』に来た当初は、色々と冷や冷やしてたけどよ。前みたいに戻ってくれて、俺は嬉しいぜ?」
「私もです。あの状態でいましたら、こうして出会う事すら出来ていませんでしたからね」
そう私の過去を振り返り、顔を見合わせては微笑むシルフとウンディーネ様。『迫害の地』へ来たばかりの私、か。
確かに。『ピース』が『アンブラッシュ・アンカー』に殺されて、怒り狂った私が全てを焼き尽くした後、私の心は深い闇に堕ちてしまった。
そんな状態で二人と出会っていたら、新薬の材料に使えるかもしれないという下らない理由で、二人に牙を剥いていただろう。間違いなく。
「私が昔の私みたいに戻れたのは、サニーやアルビス達のお陰です。もし、サニーと出会えていなかったらと思うと、今でもゾッとします」
「ああ、あれな。ほんと、俺達にとっても奇跡的な出会いだったぜ。後数分遅れてたら、『エリィ』と同じように狼に食われてただろうな」
「『風の瞑想場』でも聞いたけど、『エリィ』さんの事も知ってるんだな」
「当然だろ? 墓を掘ってる時のお前、めちゃくちゃカッコよかったぜ?」
なんの恥ずかし気もなく明かしたシルフが、ワンパク気味にニッと笑う。あの言い草からして、私が『エリィ』さんをあの世へ送っている時も、シルフは見ていたようだ。
「やっと昔のお前が戻って来てくれたんだなって実感したのも、その時ぐらいだ。あれを見た時は、とにかく一安心したぜ」
「魔法を一切使わずに、爪を剝がしながら『エリィ』さんのお墓を掘っている姿は、私も感銘を受けました。アカシックさん、よくやり遂げましたね」
「シルフ、ウンディーネ様……」
二人の暖かな励ましに、私の左胸に熱い物が込み上げてくると、「ふっ」と鼻で笑ったシルフが、組んでいた腕を後頭部に回した。
「つー事で、湿った話はこれで終わりにしてだ。アカシック。俺達を引き留めた要件は、それだけか?」
「いや、まだある」
「なんだ、まだあんのかよ? 次はなんだ?」
一つ目の話は、シルフの物理的な愛がこもった説得により、これ以上出来なくなった。
いや、私が最初から全てを間違えていたんだ。そう解釈しないと、いつまで経ってもうじうじしてしまう。
「次はだな。ウンディーネ様、シルフ。あなた達に、もっと恩返しがしたい」
「恩返し、ですか?」
ウンディーネ様は、真紅の瞳をきょとんとさせつつ言葉を返してくれたけども。シルフは口を一文字にして、黙って私を見据えたまま。
「そうです。あなた方大精霊様は、私が何度過ちを犯そうとも見捨てないでくれていて。あまずさえ、こんな私を仲間や孫だとも言ってくれました。さっきも言いましたが、そう言ってくれた時は本当に嬉しくなったんです。私は、今までずっと一人じゃなかったんだと思えて、こうやって話せて実感出来て、すごく嬉しくなったんです」
語っていく内に、私の視線が下へ落ちていくも。今度は顔を逸らしたくないので、しっかりと二人が居る方へ戻した。
「それにウンディーネ様とシルフは、私に色々してくれたのに、私はまだ何も出来てません。なので、二人に恩返しがしたいんです。お願いです、どんな些細な事でも構いません。何でもいいので、私にやらせて下さい」
「ふ~ん、なんでもねぇ」
「では、はいっ」
シルフの目が細まり、視線が左側へ移ったと同時。ここぞとばかりに、高らかと挙手をするウンディーネ様。
「は、早えな。何をお願いするつもりなんだ?」
「とりあえず、今出来る事です」
華奢な両手を合わせ、妖しく微笑んだウンディーネ様の顔が、私の方へ向いてきた。
「アカシックさん。これからは私への接し方を、シルフさんと同じ様にして下さい」
「……へ? 接し方を、シルフと同じ様に?」
「はい。私だけ『様』を付けられたり、敬語で話されると、アカシックさんとの関係に距離を感じてしまうんです。ですのでこれからは、私を呼び捨てにして、もっと砕けた喋り方をしてきて下さい」
「え、えと……。いいの、ですか?」
「もちろんです。アカシックさんとシルフさんのやり取りを聞いていて、ずっと羨ましいと思っていたので。それに、私達は仲間ですよね? 仲間に気を使う必要なんて、無いと思うのですが」
「仲間……」
まさか、ウンディーネ様の口からも出てきてくれるだなんて。……本当に良い言葉だな、仲間って。私の心が揺れ動き、暖かな何かに満たされていく。
やはり私は、今まで一人じゃなかったんだ。ずっとずっと、私を見守ってくれていた仲間達が居たんだ。嬉しいなぁ。
「……分かったよ、ウンディーネ。これでいいか?」
「はい! ふふっ、やはりいいですね。アカシックさんとの距離が、グッと近づいたように感じました。これからも、是非よろしくお願い致しますね」
「ああ。これからもよろしくな、ウンディーネ」
どうやら、心の底から嬉しくなったのか。満面の笑みになったウンディーネが、体を小さく左右に揺らし出した。
ウンディーネに対して砕けた話し方をするのは、まだ違和感を拭えないし、ちょっとギクシャクしてしまう。慣れるまで、少し時間が掛かりそうだ。
「じゃあ俺は、あれにすっかなぁ~」
「シルフさんも、お決まりになったのですね。どんなお願いをするんですか?」
「俺達大精霊が、アカシック達にめちゃくちゃ迷惑を掛ける願いだ」
「え?」
途端にニヤニヤし出したシルフが、いやらしい笑い声を発しながら私に顔を戻してきた。大精霊達が、私達にめちゃくちゃ迷惑を掛ける願い?
私達って事は、私以外に、アルビスやサニー達も含まれているはず。……なんだ? シルフは一体、どんなお願いをしてくるんだ?
「俺達大精霊にとって、ゆかりあるこの大地を、心ねえ人間共に血や暴力で汚され続けて、魔物や獣が蔓延る地にされちまった。お陰で、非常に肩身が狭い思いをしてる。けど、他に替えがねえから、この地から離れたくねえってのが本音だ。そこでだ、アカシック」
凄惨たる過去を前置きに出したシルフが、私にビシッと指を差してきた。
「お前の家を、大精霊達の新しいゆかりの場所にさせてくれ」
「へっ……? えっ!? わ、私の、家を?」
シルフのとんでもないお願いが、まだ頭の中で反響して理解が追いついていない最中。
シルフよりもいやらしい笑みを浮かべたウンディーネが、口元に手を添えつつシルフに顔を寄せていく。
「あらあらぁ~? シルフさん? アカシックさんのお家にお邪魔をするのは、あれっ切りにしようと言っていたのは、どこのどなたでしたっけ?」
「うるせえ。あんなもん味わっちまったら、一回で終わらせるなんて無理に決まってんだろ? あいつだけがいつまでも味わってた、めちゃくちゃ楽しい時間をよお。あれっ切りで終わるなんて、勿体ねえにも程があるし、俺には無理だ。ウンディ姉、お前だってそうだろ?」
「ふふっ。はい、そうですね。なんでしたら、今後も私一人でこっそりとお邪魔するつもりでいました」
「へへっ、やっぱりな」
二人の会話からして、今後、私の家には訪れないと決めていたようだが……。
どうやら今日という日を共に過ごしていく内に、考えを改めてくれたようだ。ならば私は、シルフ達の願いを全力で叶えるべく、気持ちよく応えよう。
「って事だ、アカシック! これからも時々、お前の家に行かせてもらうぞ。よろしく頼むぜ?」
「私は、かなりの頻度でお邪魔させて頂きますね」
「ああ。サニー達も喜ぶだろうし、いつでも待ってるよ」
即答してみれば。ウンディーネとシルフは、今日一番の笑顔を私に送ってきてくれた。そうか。これから私の家が、大精霊達にとってゆかりの場所になるのか。
一体、どれだけ騒がしくなるんだろうな? 想像すらつかないや。でも明日からは、今日以上に楽しくなるはずだ。絶対にな。
不機嫌そうな顔をしているシルフの前まで来ると、圧に気押されて小さな恐怖心が芽生えてきて、足がすくんできてしまった。
「き、来たけど……。これから私は、一体何をされるんだ?」
「とりあえず、頭を下げろ」
「頭を? な、なんでだ?」
とにかく理由が知りたいので、しどろもどろに聞き返してみるも。しかめっ面を維持したシルフは、無言で地面を指差すばかり。
無言の圧も加わったせいで、余計に怖くなってきた。この耐えがたい恐怖心よ。なんだか幼少期の頃にも、まあまあな頻度で味わっていた気がする。
それも、大体が『レム』さんに優しく叱られる直前の時―――。いや、だんだん思い出してきたぞ。レムさんが怒る要因を作ったのは、全部私だ。
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そして、おどおどしながら教会に戻って来ては、レムさんに叱られていた。あれ? じゃあ、今から私は、シルフに叱られるのか?
「し、シルフ……? やっぱり、怒ってる、よな?」
半歩後ずさりをしながら問い掛けてみると、シルフは黙ったまま頷いた。
「な、なんで怒ったんだ? 私が、何かしたせい、なのか?」
「そうだ、とりあえず頭を下げろ。話はそれからだ」
やはり、シルフは私に対して怒りを覚えている。なぜだ? 私はシルフに何をした? 気が付かない内に、逆鱗にでも触れてしまったのか?
話してくれるのは、私が頭を下げてからだと言っていたし、聞くに聞けない状況だ。
ウンディーネ様に視線を送ってみるも、『私に出来る事は何もない』と言わんばかりに、苦笑いを返してくるだけ。
……とりあえず、私はシルフに何かをしてしまったようだ。なので、一回頭を下げて謝った方がいい。そうすれば、シルフが私に怒りを覚えた理由も分かるはず。
「えと、その……。す、すみませんでしぎゃっ!?」
恐る恐る頭を下げた瞬間。後頭部に重い衝撃が走り、視界が急激に地面へ落ちていった。鈍痛が響く後頭部を反射的に両手で押さえ、慌てて顔を上げてみる。
チカチカと眩む視界の先。握り拳を振り落としたような仕草をしていて、その白い湯気が昇る握り拳を解き、左右にヒラヒラと振り出したシルフが居た。
「な、ななっ……!?」
「俺はな? お前がそうやって、いつまでもうじうじしてる所が大嫌いなんだよ」
「へっ……?」
鈍痛に鋭さが増していき、視界が若干潤ってきた中。怒った理由を明かしたシルフが、腕を組んだ。
「いいか? アカシック。出会いが最悪な形になっちまったのは、全部俺達のせいなんだから、お前が謝る必要なんて何一つねえんだよ。お前が今まで俺達にしてきた事は、全てが正当行為だ。だから、責任や罪悪感を覚えるのもやめろ。とっとと寝て、さっさと忘れちまえ」
「し、しかし―――」
まったく納得出来ていない私が、悪い癖で話を長引かせようとするも。組んでいた腕を解いたシルフが、指先で私の鼻を強めに押してきた。
「次、『でもぉ~』とか『しかしぃ~』って言ったら、もう一回ぶん殴るからな?」
「うっ!? わ、分かった、言わない! だから、殴るのだけはやめてくれ……」
後頭部に巨大なタンコブが出来ている事を認めつつ、体を大きく波立たせながら従う私。先の一撃は、今まで感じた事がない痛さがあった。
アルビスの魔法や、ウンディーネ様と戦った時に受けた致命傷なんか、比べ物にならないほどの痛みが。なのでもう二度と、シルフのげんこつだけは食らいたくない……。
「ったくよお、勝手に自分に非があると思い込みやがって。むしろここは、俺達が謝るべきなんだからな?」
「し、しかし……、あっ」
私が数秒で、シルフとの約束を破った矢先。瞬時に間合いを詰めてきたシルフが、私の胸ぐらを掴み、凍てついた鋭い眼光が宿った顔を限界まで近づけてきた。
「おい、バカシック。それ、癖になってんだろ?」
「そ、そうだな。自分でも分かってる、すまない……。もう絶対に言わないから、もう一回だけ猶予をくれ……。さっきのげんこつ、本当に食らいたくないんだ……!」
「俺は、お前を育ててくれた『レム』みたいにはいかねえぞ? ちゃんと愛を込めて叱るし、聞き分けなかったら拳が飛んでくるからな?」
「分かった、分かったから……! 一旦離れてくれ!」
最早、恐怖心に駆られた涙声で訴えかけると、怒りの炎が灯った瞳で睨みつけていた顔が、じわりじわりと遠ざかっていった。
そんな、有無を言わさずに私を叱ってきたシルフは、再び腕を組み直し。どこか楽しそうながらも、苦笑い混じりにはにかんだ。
「お前、今みたいに叱られた事は一回もねえだろ? すげえおどおどしてたし、効果てきめんだな、これ」
「……確かに、覚えてる限りでは一回も無い。たぶん初めてだと思う。レムさんは、それほど優しい人だったからな。棘の無い声で、おっとりと叱られてたよ」
「レムさんは、とにかく温和な方ですからね。ですが、その温和で悠々としたお咎めは、心にくる物があったんじゃないですか?」
「そうですね。いつも私がレムさんを怒らせる要因を作ってたので、叱られる時は恐怖で震えてましたし。なんなら、泣きそうになった時もありました」
ウンディーネ様の言う通り。当時は、私がまだ子供だった事もあり。ちゃんと怖かったし、レムさんの顔を見る事さえ出来なかった。
今のシルフもそう。はにかんでくれなかったら、まだ顔を逸らしていただろう。……そう思うと私って、子供の頃から大して変わっていないな。
「へっへっへっ。さっきも涙目になってたし、あの時から全然変わってねえな、お前は」
「うっ……! やっぱり、涙目になってたんだな」
「ええ、親に叱られている子供のように震えていました。あんなアカシックさんの顔、私は初めて見ました」
「は、はぁ……。ああ、恥ずかしい……」
重苦しいため息を吐き、手で顔を覆う私。そんな弱々しい私の姿なんて、サニーに見せる訳にはいかないな。
それに、ヴェルインにもだ。一生物の笑い種にされてしまう。
「いいんだよ、お前は変わらなくて。お前が『迫害の地』に来た当初は、色々と冷や冷やしてたけどよ。前みたいに戻ってくれて、俺は嬉しいぜ?」
「私もです。あの状態でいましたら、こうして出会う事すら出来ていませんでしたからね」
そう私の過去を振り返り、顔を見合わせては微笑むシルフとウンディーネ様。『迫害の地』へ来たばかりの私、か。
確かに。『ピース』が『アンブラッシュ・アンカー』に殺されて、怒り狂った私が全てを焼き尽くした後、私の心は深い闇に堕ちてしまった。
そんな状態で二人と出会っていたら、新薬の材料に使えるかもしれないという下らない理由で、二人に牙を剥いていただろう。間違いなく。
「私が昔の私みたいに戻れたのは、サニーやアルビス達のお陰です。もし、サニーと出会えていなかったらと思うと、今でもゾッとします」
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「『風の瞑想場』でも聞いたけど、『エリィ』さんの事も知ってるんだな」
「当然だろ? 墓を掘ってる時のお前、めちゃくちゃカッコよかったぜ?」
なんの恥ずかし気もなく明かしたシルフが、ワンパク気味にニッと笑う。あの言い草からして、私が『エリィ』さんをあの世へ送っている時も、シルフは見ていたようだ。
「やっと昔のお前が戻って来てくれたんだなって実感したのも、その時ぐらいだ。あれを見た時は、とにかく一安心したぜ」
「魔法を一切使わずに、爪を剝がしながら『エリィ』さんのお墓を掘っている姿は、私も感銘を受けました。アカシックさん、よくやり遂げましたね」
「シルフ、ウンディーネ様……」
二人の暖かな励ましに、私の左胸に熱い物が込み上げてくると、「ふっ」と鼻で笑ったシルフが、組んでいた腕を後頭部に回した。
「つー事で、湿った話はこれで終わりにしてだ。アカシック。俺達を引き留めた要件は、それだけか?」
「いや、まだある」
「なんだ、まだあんのかよ? 次はなんだ?」
一つ目の話は、シルフの物理的な愛がこもった説得により、これ以上出来なくなった。
いや、私が最初から全てを間違えていたんだ。そう解釈しないと、いつまで経ってもうじうじしてしまう。
「次はだな。ウンディーネ様、シルフ。あなた達に、もっと恩返しがしたい」
「恩返し、ですか?」
ウンディーネ様は、真紅の瞳をきょとんとさせつつ言葉を返してくれたけども。シルフは口を一文字にして、黙って私を見据えたまま。
「そうです。あなた方大精霊様は、私が何度過ちを犯そうとも見捨てないでくれていて。あまずさえ、こんな私を仲間や孫だとも言ってくれました。さっきも言いましたが、そう言ってくれた時は本当に嬉しくなったんです。私は、今までずっと一人じゃなかったんだと思えて、こうやって話せて実感出来て、すごく嬉しくなったんです」
語っていく内に、私の視線が下へ落ちていくも。今度は顔を逸らしたくないので、しっかりと二人が居る方へ戻した。
「それにウンディーネ様とシルフは、私に色々してくれたのに、私はまだ何も出来てません。なので、二人に恩返しがしたいんです。お願いです、どんな些細な事でも構いません。何でもいいので、私にやらせて下さい」
「ふ~ん、なんでもねぇ」
「では、はいっ」
シルフの目が細まり、視線が左側へ移ったと同時。ここぞとばかりに、高らかと挙手をするウンディーネ様。
「は、早えな。何をお願いするつもりなんだ?」
「とりあえず、今出来る事です」
華奢な両手を合わせ、妖しく微笑んだウンディーネ様の顔が、私の方へ向いてきた。
「アカシックさん。これからは私への接し方を、シルフさんと同じ様にして下さい」
「……へ? 接し方を、シルフと同じ様に?」
「はい。私だけ『様』を付けられたり、敬語で話されると、アカシックさんとの関係に距離を感じてしまうんです。ですのでこれからは、私を呼び捨てにして、もっと砕けた喋り方をしてきて下さい」
「え、えと……。いいの、ですか?」
「もちろんです。アカシックさんとシルフさんのやり取りを聞いていて、ずっと羨ましいと思っていたので。それに、私達は仲間ですよね? 仲間に気を使う必要なんて、無いと思うのですが」
「仲間……」
まさか、ウンディーネ様の口からも出てきてくれるだなんて。……本当に良い言葉だな、仲間って。私の心が揺れ動き、暖かな何かに満たされていく。
やはり私は、今まで一人じゃなかったんだ。ずっとずっと、私を見守ってくれていた仲間達が居たんだ。嬉しいなぁ。
「……分かったよ、ウンディーネ。これでいいか?」
「はい! ふふっ、やはりいいですね。アカシックさんとの距離が、グッと近づいたように感じました。これからも、是非よろしくお願い致しますね」
「ああ。これからもよろしくな、ウンディーネ」
どうやら、心の底から嬉しくなったのか。満面の笑みになったウンディーネが、体を小さく左右に揺らし出した。
ウンディーネに対して砕けた話し方をするのは、まだ違和感を拭えないし、ちょっとギクシャクしてしまう。慣れるまで、少し時間が掛かりそうだ。
「じゃあ俺は、あれにすっかなぁ~」
「シルフさんも、お決まりになったのですね。どんなお願いをするんですか?」
「俺達大精霊が、アカシック達にめちゃくちゃ迷惑を掛ける願いだ」
「え?」
途端にニヤニヤし出したシルフが、いやらしい笑い声を発しながら私に顔を戻してきた。大精霊達が、私達にめちゃくちゃ迷惑を掛ける願い?
私達って事は、私以外に、アルビスやサニー達も含まれているはず。……なんだ? シルフは一体、どんなお願いをしてくるんだ?
「俺達大精霊にとって、ゆかりあるこの大地を、心ねえ人間共に血や暴力で汚され続けて、魔物や獣が蔓延る地にされちまった。お陰で、非常に肩身が狭い思いをしてる。けど、他に替えがねえから、この地から離れたくねえってのが本音だ。そこでだ、アカシック」
凄惨たる過去を前置きに出したシルフが、私にビシッと指を差してきた。
「お前の家を、大精霊達の新しいゆかりの場所にさせてくれ」
「へっ……? えっ!? わ、私の、家を?」
シルフのとんでもないお願いが、まだ頭の中で反響して理解が追いついていない最中。
シルフよりもいやらしい笑みを浮かべたウンディーネが、口元に手を添えつつシルフに顔を寄せていく。
「あらあらぁ~? シルフさん? アカシックさんのお家にお邪魔をするのは、あれっ切りにしようと言っていたのは、どこのどなたでしたっけ?」
「うるせえ。あんなもん味わっちまったら、一回で終わらせるなんて無理に決まってんだろ? あいつだけがいつまでも味わってた、めちゃくちゃ楽しい時間をよお。あれっ切りで終わるなんて、勿体ねえにも程があるし、俺には無理だ。ウンディ姉、お前だってそうだろ?」
「ふふっ。はい、そうですね。なんでしたら、今後も私一人でこっそりとお邪魔するつもりでいました」
「へへっ、やっぱりな」
二人の会話からして、今後、私の家には訪れないと決めていたようだが……。
どうやら今日という日を共に過ごしていく内に、考えを改めてくれたようだ。ならば私は、シルフ達の願いを全力で叶えるべく、気持ちよく応えよう。
「って事だ、アカシック! これからも時々、お前の家に行かせてもらうぞ。よろしく頼むぜ?」
「私は、かなりの頻度でお邪魔させて頂きますね」
「ああ。サニー達も喜ぶだろうし、いつでも待ってるよ」
即答してみれば。ウンディーネとシルフは、今日一番の笑顔を私に送ってきてくれた。そうか。これから私の家が、大精霊達にとってゆかりの場所になるのか。
一体、どれだけ騒がしくなるんだろうな? 想像すらつかないや。でも明日からは、今日以上に楽しくなるはずだ。絶対にな。
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