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161話、生き永らえたこの命、あなたの為に
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「失礼致します」
「失礼するぞ。なあ、アルビス殿。ヴェルイン殿達が血相を変えて走り去っていったが、何かあったのか?」
「ウィザレナ! レナ! ちょうど良いタイミングで来てくれたッ!!」
新たな来客に、アルビスの弾んだ大声が追う。とうとう、ウィザレナとレナも来てしまったか。この二人には、一番迷惑を掛けたくないというのに。
「来て早々ですまないが、簡潔に状況を話す! アカシック・ファーストレディが、高熱を出して寝込んでしまった! ヴェルインが無理矢理秘薬を飲ませたが、何故か効かなかった! なのでレナは、アカシック・ファーストレディに回復魔法を! ウィザレナには看病を頼みたい!」
「まあっ、高熱を? それは大変!」
「なんだと!? アカシック殿ォーッ!!」
二人が簡単に状況を把握するや否や。ウィザレナがアルビスよりも大きな声を発し、二人分の足音が近づいてきた。
二秒ぐらいして、視界の右側から、ウィザレナとレナの焦りに満ちた顔が映り込んできた。
「おい、アカシック殿! 大丈夫か!?」
「ちょっとウィザレナ、声が大きいって。アカシック様、体調を崩してるんだよ?」
「ああっ! す、すまない……」
大声を浴びて二つ目の焦りを覚えたレナが、小声で指摘してくれると、あたふたとしていたウィザレナの表情がハッとした後。表情が萎れていき、長く尖った耳が垂れ下がっていった。
ウィザレナとレナは、常に二人で行動しているけども。今日だけは、レナも一緒に居てくれて助かった。あのまま大声を出し続けられていたら、サニーとアルビスの不安も煽ってしまう。
「それで、アカシック殿。見るからに苦しそうだが、大丈夫なのか?」
「高熱からくる、全身の気だるさ、だけだ。それ以外は、だい、じょうぶ」
体が気だるさに慣れてきたのか、喋るのはだいぶ楽になってきた。しかし、まだ手足は思う様に動かせない。
「そうか。とりあえず、大事には至ってないんだな。よかったぁ。えと、何か欲しい物とかはないか? 些細な事でもいい、私を自分の手足だと思って使ってくれ」
ほっとため息を漏らしたウィザレナが、胸元に手を当て、柔らかく微笑んだ。ウィザレナは、私に対して人当たりが非常に良い。時折、戸惑ってしまうほどに。
なので、ウィザレナがこうなってしまったら、私はもうどこにも逃げられない。私からひと時も離れず、看病に当たるだろう。
そして何よりも、この微笑みがずるいんだ。こんな優しい顔を見せられたら、ウィザレナの気持ちを無下に出来なくなってしまう。ああ、ウィザレナ達にも、迷惑を沢山掛けてしまうなぁ……。
「本当にすまない、ウィザレナ。それじゃあ、水を頼む」
「水だな、分かった。すぐ用意する。レナ、回復魔法を頼んだぞ」
「うん、任せて」
レナへ顔を移したウィザレナが、後方へ引っ込んでいき。より距離を詰めてきたレナが、私の腹部に両手を添えた。
「『数多の命を照らす月の精霊に告ぐ。我に月明を与え、命の光を灯す代行者にしたまえ。『蒼月』』」
初めて耳にする詠唱を唱え終えると、レナの手の周りに、淡い青色をした半球体の光が二重で出現し出した。詠唱内容からして、たぶん月属性の回復魔法だと予想出来るが。
私の腹部から、背中まで浸透するような、じんわりとした暖かい物を感じてきた。回復魔法の光って、こんなに心地よい暖かさがあったんだな。最後にこの暖かさを感じたのは、一体いつだったっけ?
「はぁっ……」
「あっ、表情が和らいできた! アカシック様、気分はいかがでしょうか?」
「暖かくて気持ちいいよ、レナ」
「よかった! 効いてるかもしれないので、このまま続けますね」
すまない、レナ。お前をこれ以上心配させたくなかったから、私は質問にちゃんと答えられなかった。気だるさ自体は、まったく治っていない。
私の表情が和らいだのは、たぶん気分的な問題だろう。どうやら回復魔法の暖かさには、嘘をつけないらしい。
それにしても、本当に気持ちがいい。思わず目を閉じてしまったけど、このまま眠れてしまいそうだ。
「おっ、表情に元気が戻ってきたな。どうだ、アカシック殿。レナの回復魔法は?」
出来立ての明るい闇の中から、ウィザレナの声が聞こえてきたので、少しだけ目を開ける私。
「気持ちいい……」
「おおっ、そうか! それはよかった! そうだ、アカシック殿。水を持ってきたぞ。頭を持ち上げるから、楽にしててくれ」
「んっ……」
ウィザレナから、そう指示がきた途端。額にあった布を持ち上げられ、変わりに枕に置いていた後頭部から、何かが通っていく感触がした。
そのまま視界が勝手に動き出し、私と目が合ったレナがほくそ笑んだ。
「アカシック殿、水を飲ませるぞ。準備はいいか?」
「ああ、頼む」
大丈夫な事を告げると、唇に水入りの容器が当たったので、首を動かして啜れる分だけの水を口に含んだ。
「よし、容器と首をちょっとずつ傾けていくぞ」
行動を移す度に飛んでくるウィザレナの指示に従い、私も自分の意思で少しずつ首を後ろへ傾けていく。口に含んだ水もそうだが、ちゃんと冷たさを感じる。
飲み込むと、熱い体を冷やしながら食道を通っていく感覚が分かる。胃に届いてもなお、内側から徐々に冷えていくのが分かる。新薬の副作用が、完全に治った証拠だ。これに関しては、本当に嬉しいなぁ。
「上手に飲めたな、頭を枕に戻すぞ」
「はぁ~……、美味しかった。ありがとう、ウィザレナ」
後頭部が枕に覆われた感触がすると、ウィザレナもレナと同じ様にほくそ笑んだ。
「アカシック殿の役に立てて、私も嬉しいぞ。さあ、布も戻すぞ」
「つめたっ……」
濡れた布を三度額に置かれ、冷ややかな感触が顔中を走っていった。
「アカシック殿、汗はかいてないか? どこか違和感はないか? 水のおかわりだって、いつでも用意する。何かあったら、必ず私に言ってくれ」
「今は大丈夫だ、ありがとう」
一段落つくと、みんなに迷惑を掛けてしまった罪悪感を抱き始めた心が痛み出し、ウィザレナに合わせていた視線を落としていく私。
「二人共、本当にすまない。起きて早々、また迷惑を掛けてしまって……」
「また迷惑を? なんの事だ?」
「昨日……、じゃないか。十六日前だって、お前達に渓谷地帯を護らせてしまっただろ? それだけでも悪いと思っていたのに、今度は体調を崩した不甲斐ない私の看病ときた。お前達には、平和な日常を送ってほしかったのに……。最近では迷惑を掛けてばかりだった。本当にすまない」
「迷惑、迷惑? う~ん……」
不思議そうに唸るウィザレナが、ふと唸り声を止める。
「なあ、レナ。私達がアカシック殿に迷惑だと感じた事なんて、一度だって無かったよな?」
「うん、まったく無いよ」
「渓谷地帯の一件だって、私達は迷惑だと思ってないもんな?」
「そうだね。むしろ、ハルピュイア様達を全員護れた事に、大きな誇りを持ってるよ」
「だよな! あの時のレナ、本当にカッコよかったぞ!」
「ウィザレナだって、飛来して来る隕石を的確に撃ち落としてたじゃんか。その時のウィザレナだって、ものすごくカッコよかったよ」
ウィザレナが問い掛け、レナが当然の様に二度答えると。二人の話は本題から逸れて、互いに褒め合っていく。
合間合間に、灼熱の大熱線を何本も打ち消したとかも言っているけど……。まさか『不死鳥の息吹』が、渓谷地帯まで届いていたのか? それは初耳だ。
「アルビスさん! 野菜を柔らかくしたいので、火力を上げてくださいっ!」
「任せろぉぉおおおーーーッッ!!」
二人の褒め合いを吹き飛ばす、サニーとアルビスの大声が飛んできた矢先。視界に映っていた私の体が、瞬く朱色に染まっていった。
「ぬおっ!? とんでもない火柱が上がってるが、大丈夫なのか、あれ?」
「すごい熱気だけど、台所溶けてないよね?」
会話を中断したウィザレナ達が、物騒な事を言い始めたけど……。アルビスの奴、一体何をしているんだ?
肌を焼くような熱波が、私の所まで届いてきている。どれだけの火柱を上げているんだろうか? 鉄釜、溶けてなければいいのだが……。
「っと、そうじゃない。アカシック殿。レナと確認し合ったが、私達はアカシック殿に対して、迷惑だと感じた事は一度も無かったぞ。だから、そう気に病まないでくれ」
「え? あ、でも……」
「でもじゃありません。アカシック様は、病人なんですよ? 心身が病に蝕まれ、精神が弱くなってる状態です。こういう時ぐらいは何も考えず、私達に甘えてきて下さい」
「しかし……」
二人の真っ直ぐな気遣いに、私は二人を困らせるだけの悪い癖で返答している中。右手を誰かに握られて、肘を突いたまま持ち上げられたような感触がした。
何かと思い、布を落とさないように顔を動かしてみると。視線の先には、瞬く朱色の光を浴び、若干影を帯びながらも微笑んでいるウィザレナの顔があった。
「アカシック殿は、なんで私達を沼地帯に連れて来てくれたんだ?」
「お前達を? それは、お前達と初めて出会った時にも言ったように。お前達を死なせたくなかったし、平和な日常を過ごしてほしかったからだ」
質問に嘘偽りなく答えると、ウィザレナは屈託の無い満面の笑みになり、未だに回復魔法を使ってくれているレナに顔をやった。
「聞いたか、レナ? 何回言われても嬉しいよなぁ、アカシック殿のこの想いは」
「うん、そうだね! 今でも心が打ち震えるし、嬉しくて泣きそうになっちゃうよ」
互いに微笑み合うと、ウィザレナがその微笑みを保っている顔を私に戻してきた。
「そう。あの時の私達は、あと数年、いや。百日もすれば里全体を護っていた加護が切れて、魔物に襲われて死んでいただろう。しかしアカシック殿は、出会って間もない私達の命を救ってくれて、平和な沼地帯へ連れて来てくれた。そして、その想いもちゃんと叶えてくれた」
ウィザレナが柔らかな口調で語り出すと、やや感情的になってきたのか。私の手を握っていたウィザレナの手に、僅かな力がこもっていく。
「今では魔物の脅威に怯える事無く、平和な日常を謳歌してる。夜になっても警戒せずに、安心してみんなと眠れている。美味しい食事をみんなと食べ、笑い合えている。数百年前の私達には無かった全てを、アカシック殿は私達に与えてくれた」
やや説得染みた感謝の言葉を述べると、ウィザレナは両手で私の手を握り締め。凛々しい天色の切れ目に、滾る思いを宿らせていく。
「アカシック殿。私達は今、幸せに暮らせている。心も充分に満たされた。なので今度は、私達がアカシック殿を幸せにする番だ」
「お前達が……?」
「そうだ! それに、この生き永らえた私達の命、アカシック殿の為に使わないでどうする? 勿体ないにも程があるだろ? だからこそ、渓谷地帯で私達を頼ってくれた時は、本当に嬉しかったんだぞ! なっ、レナ!」
「うん! アカシック様の事だから、お前達は大人しくしててくれって言われるかと思ってたけど。ちゃんと声を掛けてくれたから、私も嬉しくなって、つい張り切り過ぎちゃった」
「レナったら、アカシック殿達が帰ってきたら倒れてしまったもんな。しかし、レナのお陰で、サニー殿やハルピュイア殿達を全員護れたんだ。流石に、私一人だけだったら無理だったぞ」
畳み掛けるようにウィザレナが豪語してから、レナが気持ちよく賛同するこの流れ。ずるいなぁ、本当にずるい。迷惑を掛けたくないという私の気持ちが、間違えていたんだと錯覚を起こしてしまう。
しかも、話の内容をさり気なく渓谷地帯の一件に移したのもずるい。そんな話をされたら、反論出来なくなってしまうじゃないか。
けど、二人の清々しい気持ちをぶつけられてしまい、どこか安心してしまった自分が居るのも事実。二人はただ、体調を崩している私を、心配してくれているだけだったんだ。
そう、間違えていた思いを正されたせいか、目頭が少し熱くなってきてしまった。それになんだか、左胸もだんだん火照ってきた気がする。
「なので、アカシック殿。私達は迷惑だと思った事なんて、一度たりとも無いぞ。今だってそうだ。私達はまだ、命の恩人であるアカシック殿に、恩返しがまったく出来てない。だからこの看病は、私達のささやかな恩返しの一部だと思って、どんどん頼ってきてくれ!」
「そうですよ。私達に迷惑を掛けてるだなんて思わないで下さい。それは全て、アカシック様の悪い勘違いです。私達は、やりたくてアカシック様の看病をしてるんです。ですから今日ぐらい、私達にいっぱい甘えてきて下さいね」
「……うん、分かった。本当にありがとう、二人共……」
感謝の言葉があからさまに震えていたので、おぼつかない左腕を使い、額にある布で目を隠す私。私の口が意に反して、固く噤んでいく。鼻が勝手に、出てきた鼻水を何度もすすっていく。
濡れた布を置いた目に、何かが大量に溢れ出してきて熱くなってきた。……駄目だ、当分は止まってくれそうにもない。昔に比べると、本当に涙もろくなったなぁ、私。
「失礼するぞ。なあ、アルビス殿。ヴェルイン殿達が血相を変えて走り去っていったが、何かあったのか?」
「ウィザレナ! レナ! ちょうど良いタイミングで来てくれたッ!!」
新たな来客に、アルビスの弾んだ大声が追う。とうとう、ウィザレナとレナも来てしまったか。この二人には、一番迷惑を掛けたくないというのに。
「来て早々ですまないが、簡潔に状況を話す! アカシック・ファーストレディが、高熱を出して寝込んでしまった! ヴェルインが無理矢理秘薬を飲ませたが、何故か効かなかった! なのでレナは、アカシック・ファーストレディに回復魔法を! ウィザレナには看病を頼みたい!」
「まあっ、高熱を? それは大変!」
「なんだと!? アカシック殿ォーッ!!」
二人が簡単に状況を把握するや否や。ウィザレナがアルビスよりも大きな声を発し、二人分の足音が近づいてきた。
二秒ぐらいして、視界の右側から、ウィザレナとレナの焦りに満ちた顔が映り込んできた。
「おい、アカシック殿! 大丈夫か!?」
「ちょっとウィザレナ、声が大きいって。アカシック様、体調を崩してるんだよ?」
「ああっ! す、すまない……」
大声を浴びて二つ目の焦りを覚えたレナが、小声で指摘してくれると、あたふたとしていたウィザレナの表情がハッとした後。表情が萎れていき、長く尖った耳が垂れ下がっていった。
ウィザレナとレナは、常に二人で行動しているけども。今日だけは、レナも一緒に居てくれて助かった。あのまま大声を出し続けられていたら、サニーとアルビスの不安も煽ってしまう。
「それで、アカシック殿。見るからに苦しそうだが、大丈夫なのか?」
「高熱からくる、全身の気だるさ、だけだ。それ以外は、だい、じょうぶ」
体が気だるさに慣れてきたのか、喋るのはだいぶ楽になってきた。しかし、まだ手足は思う様に動かせない。
「そうか。とりあえず、大事には至ってないんだな。よかったぁ。えと、何か欲しい物とかはないか? 些細な事でもいい、私を自分の手足だと思って使ってくれ」
ほっとため息を漏らしたウィザレナが、胸元に手を当て、柔らかく微笑んだ。ウィザレナは、私に対して人当たりが非常に良い。時折、戸惑ってしまうほどに。
なので、ウィザレナがこうなってしまったら、私はもうどこにも逃げられない。私からひと時も離れず、看病に当たるだろう。
そして何よりも、この微笑みがずるいんだ。こんな優しい顔を見せられたら、ウィザレナの気持ちを無下に出来なくなってしまう。ああ、ウィザレナ達にも、迷惑を沢山掛けてしまうなぁ……。
「本当にすまない、ウィザレナ。それじゃあ、水を頼む」
「水だな、分かった。すぐ用意する。レナ、回復魔法を頼んだぞ」
「うん、任せて」
レナへ顔を移したウィザレナが、後方へ引っ込んでいき。より距離を詰めてきたレナが、私の腹部に両手を添えた。
「『数多の命を照らす月の精霊に告ぐ。我に月明を与え、命の光を灯す代行者にしたまえ。『蒼月』』」
初めて耳にする詠唱を唱え終えると、レナの手の周りに、淡い青色をした半球体の光が二重で出現し出した。詠唱内容からして、たぶん月属性の回復魔法だと予想出来るが。
私の腹部から、背中まで浸透するような、じんわりとした暖かい物を感じてきた。回復魔法の光って、こんなに心地よい暖かさがあったんだな。最後にこの暖かさを感じたのは、一体いつだったっけ?
「はぁっ……」
「あっ、表情が和らいできた! アカシック様、気分はいかがでしょうか?」
「暖かくて気持ちいいよ、レナ」
「よかった! 効いてるかもしれないので、このまま続けますね」
すまない、レナ。お前をこれ以上心配させたくなかったから、私は質問にちゃんと答えられなかった。気だるさ自体は、まったく治っていない。
私の表情が和らいだのは、たぶん気分的な問題だろう。どうやら回復魔法の暖かさには、嘘をつけないらしい。
それにしても、本当に気持ちがいい。思わず目を閉じてしまったけど、このまま眠れてしまいそうだ。
「おっ、表情に元気が戻ってきたな。どうだ、アカシック殿。レナの回復魔法は?」
出来立ての明るい闇の中から、ウィザレナの声が聞こえてきたので、少しだけ目を開ける私。
「気持ちいい……」
「おおっ、そうか! それはよかった! そうだ、アカシック殿。水を持ってきたぞ。頭を持ち上げるから、楽にしててくれ」
「んっ……」
ウィザレナから、そう指示がきた途端。額にあった布を持ち上げられ、変わりに枕に置いていた後頭部から、何かが通っていく感触がした。
そのまま視界が勝手に動き出し、私と目が合ったレナがほくそ笑んだ。
「アカシック殿、水を飲ませるぞ。準備はいいか?」
「ああ、頼む」
大丈夫な事を告げると、唇に水入りの容器が当たったので、首を動かして啜れる分だけの水を口に含んだ。
「よし、容器と首をちょっとずつ傾けていくぞ」
行動を移す度に飛んでくるウィザレナの指示に従い、私も自分の意思で少しずつ首を後ろへ傾けていく。口に含んだ水もそうだが、ちゃんと冷たさを感じる。
飲み込むと、熱い体を冷やしながら食道を通っていく感覚が分かる。胃に届いてもなお、内側から徐々に冷えていくのが分かる。新薬の副作用が、完全に治った証拠だ。これに関しては、本当に嬉しいなぁ。
「上手に飲めたな、頭を枕に戻すぞ」
「はぁ~……、美味しかった。ありがとう、ウィザレナ」
後頭部が枕に覆われた感触がすると、ウィザレナもレナと同じ様にほくそ笑んだ。
「アカシック殿の役に立てて、私も嬉しいぞ。さあ、布も戻すぞ」
「つめたっ……」
濡れた布を三度額に置かれ、冷ややかな感触が顔中を走っていった。
「アカシック殿、汗はかいてないか? どこか違和感はないか? 水のおかわりだって、いつでも用意する。何かあったら、必ず私に言ってくれ」
「今は大丈夫だ、ありがとう」
一段落つくと、みんなに迷惑を掛けてしまった罪悪感を抱き始めた心が痛み出し、ウィザレナに合わせていた視線を落としていく私。
「二人共、本当にすまない。起きて早々、また迷惑を掛けてしまって……」
「また迷惑を? なんの事だ?」
「昨日……、じゃないか。十六日前だって、お前達に渓谷地帯を護らせてしまっただろ? それだけでも悪いと思っていたのに、今度は体調を崩した不甲斐ない私の看病ときた。お前達には、平和な日常を送ってほしかったのに……。最近では迷惑を掛けてばかりだった。本当にすまない」
「迷惑、迷惑? う~ん……」
不思議そうに唸るウィザレナが、ふと唸り声を止める。
「なあ、レナ。私達がアカシック殿に迷惑だと感じた事なんて、一度だって無かったよな?」
「うん、まったく無いよ」
「渓谷地帯の一件だって、私達は迷惑だと思ってないもんな?」
「そうだね。むしろ、ハルピュイア様達を全員護れた事に、大きな誇りを持ってるよ」
「だよな! あの時のレナ、本当にカッコよかったぞ!」
「ウィザレナだって、飛来して来る隕石を的確に撃ち落としてたじゃんか。その時のウィザレナだって、ものすごくカッコよかったよ」
ウィザレナが問い掛け、レナが当然の様に二度答えると。二人の話は本題から逸れて、互いに褒め合っていく。
合間合間に、灼熱の大熱線を何本も打ち消したとかも言っているけど……。まさか『不死鳥の息吹』が、渓谷地帯まで届いていたのか? それは初耳だ。
「アルビスさん! 野菜を柔らかくしたいので、火力を上げてくださいっ!」
「任せろぉぉおおおーーーッッ!!」
二人の褒め合いを吹き飛ばす、サニーとアルビスの大声が飛んできた矢先。視界に映っていた私の体が、瞬く朱色に染まっていった。
「ぬおっ!? とんでもない火柱が上がってるが、大丈夫なのか、あれ?」
「すごい熱気だけど、台所溶けてないよね?」
会話を中断したウィザレナ達が、物騒な事を言い始めたけど……。アルビスの奴、一体何をしているんだ?
肌を焼くような熱波が、私の所まで届いてきている。どれだけの火柱を上げているんだろうか? 鉄釜、溶けてなければいいのだが……。
「っと、そうじゃない。アカシック殿。レナと確認し合ったが、私達はアカシック殿に対して、迷惑だと感じた事は一度も無かったぞ。だから、そう気に病まないでくれ」
「え? あ、でも……」
「でもじゃありません。アカシック様は、病人なんですよ? 心身が病に蝕まれ、精神が弱くなってる状態です。こういう時ぐらいは何も考えず、私達に甘えてきて下さい」
「しかし……」
二人の真っ直ぐな気遣いに、私は二人を困らせるだけの悪い癖で返答している中。右手を誰かに握られて、肘を突いたまま持ち上げられたような感触がした。
何かと思い、布を落とさないように顔を動かしてみると。視線の先には、瞬く朱色の光を浴び、若干影を帯びながらも微笑んでいるウィザレナの顔があった。
「アカシック殿は、なんで私達を沼地帯に連れて来てくれたんだ?」
「お前達を? それは、お前達と初めて出会った時にも言ったように。お前達を死なせたくなかったし、平和な日常を過ごしてほしかったからだ」
質問に嘘偽りなく答えると、ウィザレナは屈託の無い満面の笑みになり、未だに回復魔法を使ってくれているレナに顔をやった。
「聞いたか、レナ? 何回言われても嬉しいよなぁ、アカシック殿のこの想いは」
「うん、そうだね! 今でも心が打ち震えるし、嬉しくて泣きそうになっちゃうよ」
互いに微笑み合うと、ウィザレナがその微笑みを保っている顔を私に戻してきた。
「そう。あの時の私達は、あと数年、いや。百日もすれば里全体を護っていた加護が切れて、魔物に襲われて死んでいただろう。しかしアカシック殿は、出会って間もない私達の命を救ってくれて、平和な沼地帯へ連れて来てくれた。そして、その想いもちゃんと叶えてくれた」
ウィザレナが柔らかな口調で語り出すと、やや感情的になってきたのか。私の手を握っていたウィザレナの手に、僅かな力がこもっていく。
「今では魔物の脅威に怯える事無く、平和な日常を謳歌してる。夜になっても警戒せずに、安心してみんなと眠れている。美味しい食事をみんなと食べ、笑い合えている。数百年前の私達には無かった全てを、アカシック殿は私達に与えてくれた」
やや説得染みた感謝の言葉を述べると、ウィザレナは両手で私の手を握り締め。凛々しい天色の切れ目に、滾る思いを宿らせていく。
「アカシック殿。私達は今、幸せに暮らせている。心も充分に満たされた。なので今度は、私達がアカシック殿を幸せにする番だ」
「お前達が……?」
「そうだ! それに、この生き永らえた私達の命、アカシック殿の為に使わないでどうする? 勿体ないにも程があるだろ? だからこそ、渓谷地帯で私達を頼ってくれた時は、本当に嬉しかったんだぞ! なっ、レナ!」
「うん! アカシック様の事だから、お前達は大人しくしててくれって言われるかと思ってたけど。ちゃんと声を掛けてくれたから、私も嬉しくなって、つい張り切り過ぎちゃった」
「レナったら、アカシック殿達が帰ってきたら倒れてしまったもんな。しかし、レナのお陰で、サニー殿やハルピュイア殿達を全員護れたんだ。流石に、私一人だけだったら無理だったぞ」
畳み掛けるようにウィザレナが豪語してから、レナが気持ちよく賛同するこの流れ。ずるいなぁ、本当にずるい。迷惑を掛けたくないという私の気持ちが、間違えていたんだと錯覚を起こしてしまう。
しかも、話の内容をさり気なく渓谷地帯の一件に移したのもずるい。そんな話をされたら、反論出来なくなってしまうじゃないか。
けど、二人の清々しい気持ちをぶつけられてしまい、どこか安心してしまった自分が居るのも事実。二人はただ、体調を崩している私を、心配してくれているだけだったんだ。
そう、間違えていた思いを正されたせいか、目頭が少し熱くなってきてしまった。それになんだか、左胸もだんだん火照ってきた気がする。
「なので、アカシック殿。私達は迷惑だと思った事なんて、一度たりとも無いぞ。今だってそうだ。私達はまだ、命の恩人であるアカシック殿に、恩返しがまったく出来てない。だからこの看病は、私達のささやかな恩返しの一部だと思って、どんどん頼ってきてくれ!」
「そうですよ。私達に迷惑を掛けてるだなんて思わないで下さい。それは全て、アカシック様の悪い勘違いです。私達は、やりたくてアカシック様の看病をしてるんです。ですから今日ぐらい、私達にいっぱい甘えてきて下さいね」
「……うん、分かった。本当にありがとう、二人共……」
感謝の言葉があからさまに震えていたので、おぼつかない左腕を使い、額にある布で目を隠す私。私の口が意に反して、固く噤んでいく。鼻が勝手に、出てきた鼻水を何度もすすっていく。
濡れた布を置いた目に、何かが大量に溢れ出してきて熱くなってきた。……駄目だ、当分は止まってくれそうにもない。昔に比べると、本当に涙もろくなったなぁ、私。
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