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160話、傷んでいく心

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「……サニー」

「どうしたんだ、サニー? 台所で大声を出して」

「アルビスさん!!」

 私が掠れ切った声で呼ぶも、寝ぼけ切ったアルビスの声が重なり、サニーの嬉々とした叫び声が私達の声を掻き消した。
 あいつの声が聞こえたという事は、タイミング良く起きてくれたらしい。よかった。これで少しは、サニーも落ち着いてくれるはず。
 アルビスの事だ。サニーからある程度の状況を聞いた後、共に料理を作ってくれるだろう。秘薬については……。サニーの好意を無下にしてしまったし、アルビスが差し出してきても断ってしまうか。

「アルビスさん! 料理を作りたいから、魔法で火を起こして!」

「料理? なんだ。アカシック・ファーストレディは、まだ起きてないのか?」

「お母さん、高熱を出して寝込んじゃってるの! でも、秘薬を飲んでくれないから、栄養がある物を作ろうと思って!」

「何? 高熱だと?」

 アルビスがサニーから、簡潔ながらも的確過ぎる状況を得た途端。『ズカズカ』という重い足音が近づいてきたかと思えば、視界の右側からしかめ面をしたアルビスの顔が現れた。

「アカシック・ファーストレディ、大丈夫なのか?」

「ぼち、ぼち……」

「何がぼちぼちだ。死にそうだって顔に書いてあるぞ? すまんが、頬を触るぞ」

 一瞬で私の容態を見抜いたアルビスが、右手にしていた白い手袋を外し、私の右頬を覆うように触れた。

「つめたっ……」
 
 ヒヤリとした感覚が顔中を駆け巡ったせいで、体がピクンと波打つ私。

「ふむ、見過ごせないほどの高熱だな。しかし、どうせ余が秘薬を出しても、貴様は飲まんのだろ?」

「……ああ」

「ったく。どこまで強情っ張りなんだ、貴様は。ちょっと待ってろ」

 察しが良い故に、サニーから聞いた情報で私が秘薬を飲まないだろうと踏んでいたアルビスが、ふと視界から消えた。
 数秒して、隣から何かを置いたような音が鳴り。ひたいに置かれていた布を誰かに取られ、大量の水滴が水に落ちる音がして、再び額から冷ややかな感触が走った。

「つめたっ……」

「布を再度濡らして、貴様の額に置いたんだ。いいか? 容体が悪化したら、無理矢理にでも飲ませるからな? よし。サニー、料理は余が作る。なので貴様は、アカシック・ファーストレディの看病をしててくれ」

「やだっ! 私が作って、お母さんに食べさせるのっ!」

「子は親に似ると言うが……。意地の張り方が、だんだんアカシック・ファーストレディに似てきたな」

 呆れたぼやきを入れたアルビスが、大きく息を吐き出したような音を発した後。静かな足音が遠ざかっていった。
 まずい。サニーの性格が、私と似たら駄目な部分と似てきてしまっている。体調が治ったら、もっと素直に接していかなければ……。

「なるほど、野菜汁を作るんだな? なら、これから急いでタートに行って食材を……、む? なんでこんな所に、新鮮な肉や野菜があるんだ?」

「なんでって。昨日、アルビスさんが買ってきてくれたでしょ?」

「え、余が? ……え? あ、ああ、へっ? ……ああ! そうだった、な?」

 困惑や驚き、呆気に取られた様子のアルビスが、ずいぶんと抜けた返答をした。まあ、アルビスがあそこまで驚くのも無理はない。私達はついさっきまで、十五日間も眠りに就いていたんだ。
 当然、保存していた肉や野菜は腐っているだろう。なら、誰が新しい食材を補充してくれたんだ? もしかして、これもシルフ達が?

「ま、まあいい。サニー。流石に、野菜の皮は剥けんだろ? それは、余がやってもいいか?」

「はいっ! お願いします!」

「よろしい。味付けや切り方は、分からなければ逐一教えてやる。何か出来ない事があったら、すぐ余に知らせてくれ」

「それじゃあ、火を点けて下さい!」

「ああ、そうだったな」

 終始ハキハキとしたサニーの声に、指導に回るアルビスの冷静さを取り戻したような声。
 そういえば、私が意固地を貫き通したせいだけども。サニーが料理を作るのって、これが初めてになるな。
 サニーの手料理、か。まさか、こんな形で食べられる日が来るとは。迷惑さえ掛けていなければ、心の底から嬉しくなれていたというのに。
 でも今は、罪悪感の方が勝っている。やはりサニーに秘薬を差し出された時、ちゃんと飲んでおくべきだった。

「うぃ~っす」

「あら、サニーちゃん。アルビスさんのお手伝い?」

「ヴェルイン、カッシェ! いい所に来てくれたッ!」

 今度は、ヴェルインとカッシェさんの登場か。これまたよろしくないタイミングで来てしまった……。
 しかし二人共、私達が十五日間も不在だったのに対し、ごく普通に入ってきたな。もしかしてあいつらも、『水の瞑想場』で寝ていたのだろうか?

「来て早々悪いが、お使いを頼まれてくれ!」

「お使い? なんで?」

「アカシック・ファーストレディが、高熱を出して寝込んでしまったんだ。中央階段を使って三階層まで上がり、すぐ右側の道を行くと質の良い薬屋がある。余は動けないから、代わりに行って薬を買ってきてくれ!」

「高熱? おいおい、大丈夫なのかよ? つかよ、そんなの買ってる暇があったら、秘薬を飲ませた方がはええだろ?」

 みんなして、何かあればすぐ秘薬に頼るか。これも困りものだな。確かに、材料は『迫害の地』内で全て集められるし。今の私であれば、作るに容易い代物だ。
 だが、秘薬の依存性にも目に余るものがある。実は秘薬は、世界で一番希少価値が高い『万能薬』の次に相当する薬なのだ。
 そんな希少価値の高い薬を、日常的に使用する人なんて、世界広しと言えども私達しかいないだろう。まあ、ここまでに至った原因を作ったのは、私なんだけども……。

「ほら。秘薬の備蓄は、ハルピュイアの一件で底を尽きてしまっただろ? だから、秘薬は余らが持ってるので最後だし、自分達の為に使って欲しいと意固地になり、飲んでくれないんだ」

「どうせレディなら、すぐ作れんだろ? タートまで行くのが面倒くせえし、俺様が飲ませてやるよ」

「やめておけ。氷漬けにされるのがオチだぞ」

「大丈夫大丈夫。レディの事だ、『秘薬を飲ませてくれてありがとう、ヴェルイン様っ!』って、泣いて感謝してくるはずだぜ」

 なぜ、そう断言出来るんだ、あいつは? なんだか癪に障るし、アルビスの言う通り氷像にしてやりたい所なのだが……。
 生憎、体が上手く動かせないから、杖を召喚するどころか、指を鳴らして詠唱を省いた下位の魔法を使う事すら出来ない。
 どうにかして、指だけでも鳴らそうと試みようとした矢先。突然視界の右側から、いやらしい笑みをしているヴェルインの顔が生えてきた。

「よっ、レディちゃん。元気にしてるぅ~?」

「……どうやら、死にたい、よう、だな」

「死にそうな奴が何言ってんだよ。これでも、お前を心配してんだぜ? ほれ、口開けろ」

 私の元へ来る間に、用意していたのか。ヴェルインにあげた物だと思われる、秘薬入りの容器を持っている右前足が、ヴェルインの真顔を隠した。

「……やだ」

「やだって、子供じゃねえんだからよ。カッシェ、レディの口を開けろ」

「はいはい。ごめんなさいね、アカシックさん。アタシの毛が口に入っちゃうだろうけど、少し我慢してちょうだい」

「あがっ……、がっ、が……」

 いきなり視界に映り込んできた、美しい銀色の毛皮を纏った両前足が、私の塞いだ口を無理にこじ開けていく。やはり、カッシェさんもウェアウルフともあってか、力がものすごく強い。
 この力に抗いたいのだけれども。下手に抗うと、力加減を誤って私の口が裂ける可能性もある。
 そっちの方が嫌だ、想像しただけで怖い……。それにしても、カッシェさんの毛並み、もっと触れていたくなるような肌触りがする。

「よーし、いい子だぜレディ。んじゃ、流し込むぞ」

「あぇやあぁ~……」

 私の視界には、肌触りが良いカッシェさんの前足しか見えない。が、口の中に秘薬を入れられたようで。甘いながらもサラサラとした風味が、口の中一杯に広がっていった。
 ここまでやられてしまったんだ。吐き捨てる気力も無いし、諦めて飲んでしまおう。

「カッシェ、レディの口を塞げ」

「それじゃあ塞ぐわね」

 ヴェルインの淡々とした命令に、カッシェさんはすぐさま両前足を私の口からパッと離し。息を吸う暇すら与えず、右前足で口と鼻を抑えてきた。
 ……ああ、肉球のプニッとした柔らかな感触に、いつまでも嗅いでいたくなる肉球の香ばしい匂いよ。鼻の深呼吸が止まらない。ずっと嗅いでいたいなぁ。

「あら? 急に大人しくなったけど、寝ちゃったのかしら?」

「いや、レディの事だ。たぶん、肉球の匂いを嗅いでんぞ」

「グッ……」

 的をど真ん中に射たヴェルインの推測に、体を小さく波立たせる私。その拍子に、口に含んでいた秘薬を飲み込んでしまった。
 が、数秒待てども、全身の気だるさは消えてくれない。やはり、私の思った通りだったか。この気だるさは、新薬の副作用からきているものだ。
 新薬の副作用は、いくら秘薬を飲んでも治らなかった症状である。なので、いくら秘薬を飲もうとも、無意味に消費してしまうだけだ。

「そんな余裕があるとは思えないけど、どうやら図星のようね。秘薬が効いてきたのかしら?」

「どうだかな。レディ、気分はどうだ? すっきり爽快だろ?」

 まだ肉球の匂いを嗅いでいたかったのに、私のわがままを拒絶するかのように前足が離れていく。

「……いや。まったく、治って、ない……」

「あ? 嘘つけ、秘薬を飲んだんだぜ? そんな事がありえんのか?」

 正直に話すと、ヴェルインの表情に焦りが宿り出し。離れていったカッシェさんの右前足が、私の右頬に触れた。

「ヴェルイン、アカシックさんは嘘を言ってないわ。顔が熱いままよ」

「……はーん、そう。お前が言うなら、嘘じゃなさそうだな」

 真実を認めたカッシェさんの後を追う、ばつが悪そうなヴェルインの返答。二人にも迷惑を掛けたのにも関わらず、症状が治らなかったんだ。だんだん心が痛んできてしまったな。

「アルビス。タートに行ってくるから、金貨百枚よこせ」

「む? 何故だ? 秘薬を飲ませたなら、行く必要は―――」

「まったく効かなかったんだよ。店に売ってる薬を一通り買ってくるから、さっさとよこしやがれ」

「効かなかった!? あ、ああ、分かった!」

 タートに行く? それも無駄だ。タートには、秘薬以上の薬なんて売っていない。早くヴェルインに、言い聞かせてやらないと。

「……ヴェル、イン」

「ほら、これだ! 早急に頼むぞ!」

「おう。カッシェ、全速力で行くぞ」

「了解」

「待て……、ふたり、とも……」

 消えそうな制止も虚しく、扉の閉まる音だけが私の声に応えてきた。二人の聴力なら、私の声が聞こえていただろうに!
 これだと、二人にもっと迷惑を掛けてしまうじゃないか……。ああ、最悪だ。せっかく新薬の副作用が治ったというのに、気がどんどん滅入っていく。

「お母さん、大丈夫かな?」

「安心しろ、サニー。貴様が作った料理は、アカシック・ファーストレディにとって秘薬以上の効果を発揮する。だから、料理を作る事だけに専念してろ。集中力が散漫して、手を切ってしまうぞ?」

「えっ、そうなの?」

「ああ、間違いない。余が保障する。それに、ヴェルイン達も最高の薬を買ってくるから、何も問題無い。っと、その野菜は真ん中から切って、更に縦横と切って四等分ずつにしてくれ」

「は、はいっ!」

 話の逸らし方が上手いな、アルビスは。不安に満ちたサニーの問い掛けを、たった二言で払ってしまうとは。……それに応えられるかな? 私の体は。正直、自信がまったくない。
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