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134話、思い出は、九十年経とうとも色褪せず
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アカシック・ファーストレディから作戦を聞いた時は、一抹の不安があったのだが。いざ実行してみれば、これ以上にない成果を上げてくれた。
余を兄として紹介してくれたのは、あいつが主に行く野菜屋、魚屋、肉屋、酒屋、本屋、菓子屋などなど。皆して、余を温かく迎えてくれた。
『ベルラザ』の元で執事を全うしていた時に、屋敷に招かれた人間共は、等しく屑であったものの。『タート』に居る人間達は、皆して笑顔でいて、他人である余を優しく接してくれた。
アカシック・ファーストレディのお陰で、余はタートで堂々と人間として振る舞えるようになったが、ここも居心地がいい。あいつには感謝をしておかなければ。
あとは、あいつから何が欲しいかをさり気なく聞くだけだ。なるべくなら、あいつが喜ぶ物を誕生日に贈りたい。アカシック・ファーストレディが無邪気に喜んでくれるような贈り物を。
初めて贈るからには、そこにずっとある物がいい。なので飲食料品や、花といったすぐに無くなってしまう物は避けたい。
まあ、料理もある意味一つの贈り物になる。実際、サニーの誕生日に料理を作ってやったが、アカシック・ファーストレディの方が喜んでいた。
しかし、それだけではつまらん。形を無くし、思い出だけに残る物よりも。目に留まり続け、触れられる物をあげたい。
あいつの誕生日は、まだ半年以上も先だ。けれども、準備期間を長く設けたい。出来るのであれば、今日の内にでもあいつから聞ければいいのだが。
「本当に広いな、ここは」
「この通りだけでも、百件以上の売店がある。反対側まで行ったら、優に五百件は超えるだろうな」
余の紹介が大方終わったので、タートをぶらりと歩いてみたが、なんなんだこの広さは? 直線的な道の彼方を見据えても、突き当りがまったく見えない。
「とんでもない数だな。全ての店を回るとなると、一体何年掛かる事やら」
「それに加えて、この国は一階層から七階層まである。一階層だけでも数ヶ月は遊べる広さだ」
「なるほど。ただの人間であれば、一生暇を持て余す事は無さそうだな」
流石に、この広さは想定外だった。幸い、景色に覚えやすい個性的な箇所が目立つし、複雑に入り組んだ様子もないので、道に迷う事はないだろう。
が、あまりにも広いと、まだ一人で来るには若干心細い。しばらくの間は、アカシック・ファーストレディと同行せざるを得ないな。
それに、早くこいつから欲しい物を聞きださねば。誕生日までは半年以上の時間があるものの、早めに知っておいて越した事はない。一旦、落ち着いて話せる時間を作るか。
「アカシック・ファーストレディ。何個か気になる食べ物があったんだが、購入して食べてもいいか?」
「なに? お前もか。ちなみにどれだ?」
この、あからさまな食い気味よう。そうか、こいつも食べたい物があるんだな。ならば、こいつの意見を優先しよう。
「なんだ、貴様も食べたい物があるのか? 余は、別にそれで構わんぞ」
「あるにはあるけど、先にお前が選んでくれ。初めてここへ来たんだし、奢ってやる」
こいつも譲ってくるとは。互いに譲り合いの精神だと、埒が明かないし話も進まん。余が折れるのが早いけども……。本当は食べたい物なんて無いし、興味すら無い。
適当に探すしかないのだが、数が多すぎて品定めもままならん。どこを見渡しても売店があり、隣の店に目が滑ってしまう。己の優柔不断さが恨めしいな。
「あれだ」
時間を掛けたくないので、焼き魚が売っている店に指を差す。アカシック・ファーストレディも店先に並んだ焼き魚を認めると、「おっ」と弾んだ声を出した。
「奇遇だな、私もあれが食べたかったんだ」
「そうか。なら、貴様は椅子に座って待ってろ。余が買ってくる」
「いや、私が買ってくる。お前が座って待っててくれ」
「購入の体験をしてみたいんだ、頼むから一回買わせてくれ。それに、歩きっぱなしで疲れただろ? 少し休んでろ」
そう願いを交えて言えば、アカシック・ファーストレディの眉間に不服そうな浅いシワが寄り、細まった目で余を睨みつけてきた。
「むう……、なら仕方ない。けど、次は私が奢るからな」
「分かった。それじゃあ買ってくる」
言う事を聞いてくれたアカシック・ファーストレディが、近くの長椅子に腰を下ろしたので、焼き魚が売っている店を目指して歩く。
購入を体験してみたいと言ったが、あれだけは本当だ。ベルラザの屋敷に居る時は、一歩も外に出た事が無いから、余は意外と世間知らずだ。
ここまで長く色んな人間と交流をした事も無いので、今日は初めての体験ばかりである。
「すみません」
「はい、いらっしゃいませ!」
愛想よく接してきたのは、若い人間の女性。この様子なら、余を人間と思ってくれていそうだ。いや、そろそろ気にするのはやめておこう。また恐怖心が蘇ってきてしまう。
「この焼き魚を二つ欲しいのですが」
「二つですね、銅貨三十枚になります」
銅貨、銅貨? まずいな、金貨しか持ち合わせていない。確か、銅貨百枚で、銀貨一枚。銀貨百枚で、金貨一枚になる。
余分に渡すとおつりという物が返ってくるから、銀貨九十九枚と銅貨七十枚になってしまう。手持ちが溢れてしまうな。邪魔くさいにも程がある。
「金貨一枚でも大丈夫でしょうか?」
「ええ、大丈夫ですよ。銅貨三枚で小さな布袋を付けますけど、どうします?」
「ああ、それはありがたいです。なら、それも一緒に買いますので、おつりは布袋に入れて下さい」
「分かりました、少々お待ち下さい」
この客を第一に考えている処置よ。大いに感心してしまった。きっと、他の店もそうしているに違いない。不快な気持ちに一切ならないタートよ、どんどん居心地が良くなっていく。
「お待ちどうさまです。銀貨九十九枚と銅貨六十七枚が入った布袋と、焼き魚が二つになります」
「ありがとうございます」
店員の右手には、焦げ茶色の布袋。左手には、焼き魚が入っているであろう、左側面と上側が開いている紙袋。渡し方も、実に丁寧だ。
保温されていたようで。焼き魚を持った左手が、ほんのりと温かい。先ほどまで興味が無かったが、だんだん食べたくなってきてしまった。
「ほら、買ってきたぞ」
「ありがとうっ」
余程食べたかったのか。無表情ながらも、アカシック・ファーストレディの声が嬉々としている。
こいつの家族になってから薄々気付いていたが、やはり食べる事が好きなようだ。ならば、もっと美味い物を食わせてやりたい。ここには図書館もあるようだし、後で学んでおこう。
右隣に座ると、アカシック・ファーストレディは余を凝視していた。何故かは分からないが、とても気迫に満ちた真剣な眼差しをしている。
「……どうした?」
「アルビス、早く食べよう」
「なんだ、待っててくれたのか。先に食べててもよかったんだぞ?」
「それは、買ってきてくれたお前に悪いだろ? 食べるなら一緒に食べよう」
『律儀な奴め』という言葉を飲み込み、「そうか。なら食べよう」とだけ返した。その律儀な所が、こいつのいい所でもある。まるで憎めない、無垢な長所だ。
「う~ん、美味しいっ」
隣から聞こえてくる、アカシック・ファーストレディの物とは思えない幼さが際立つ声。昔は、余ですら何を考えているのか分からない、ぶっきらぼうな奴だったのに。
今のこいつは、ちゃんとした人間らしい感情を持ち合わせている。普段は昔のままだが、そこに関しては余も嬉しい限りだ。
……さて、ここから話をどう切り出そう。単刀直入に話してしまうと、余の目論見がバレてしまう。なるべくなら、こいつを驚喜させてやりたい。
少しだけ、こいつの過去に触れてみるか? ピース殿や神父様と共に過ごしていた、幼少期のこいつに。
アカシック・ファーストレディは、非常に繊細な心を持っている。触れるのであれば、こいつの気を悪くさせない程度に触れないと。
もし意気消沈でもさせてしまえば、余の心にも深い傷が付く。こいつを落ち込ませるような真似だけは、死んでもしたくない。
「アカシック・ファーストレディ」
「んあっ? なんだ?」
左側に顔を移してみれば、アカシック・ファーストレディは焼き魚を綺麗に完食していた。……食べるのがずいぶん早いな。
「確か、昔の貴様は、タートの近くにある教会に住んでたんだったな?」
「私? ああ、そうだ」
声色からして、嫌悪感を抱いている様子はない。ならば、話題を振ってしまおう。
「その時の貴様は、どんな暮らしをしてたんだ?」
「え? ここで言うのか?」
「おっと、気に障ったのであれば忘れてくれ。タートに来たせいか、ちょっと気になっただけだ」
危ない、少々焦り過ぎた。こいつの言う通り、場所を考慮していなかった。
しかし、今のは痛手だった。たとえ後日、期間を空けてから同じ話題を振ろうとも、流石に怪しまれるかもしれない。
「まあ、私達の周りに人は居ないし、話すだけなら別に構わないぞ」
「おおっ、そうか。なら頼む」
遅れてやって来た理想的な返答に、油断して声が変に上ずってしまった。挙動不審になると、それも逆に怪しまれる。なんとかして平常心を装わなければ。
「と言っても、どこを話せばいいか。急に振られると、案外出てこないな」
「印象に残ってる事でいい。どんな料理を食べてたとか、些細な贈り物をしただとかな」
「料理とか、些細な贈り物、ねぇ……。一つのパンを半分に分けて、ピースと食べ合ってたりとか。参拝客から貰った肉を、何日もかけて食べていたな。あの時は、腹が満たされる日なんてなかったけど、ピースや『レムさん』と一緒に食べる物は、何でも美味しかった」
「レムさん?」
「ああ、すまん。お前には初めて言ったな。私とピースを育ててくれた、神父様の名前だ」
『レム殿』。確かに、初めて聞く名だ。しっかり覚えておこう。
「ふむ、いい名だな」
「だろ? それにまるで、天使のように優しい人だったんだ。私とピースを、実の子のように育ててくれたし、勉学や魔法も丁寧に教えてくれた。出来なかった事が出来るようになったら、レムさんも喜びながら頭を撫でてくれたっけ」
「ほう、なんとも微笑ましいじゃないか。暖かな慈父だったんだな」
「そう。私とピースにとって、本当の父親みたいな存在だった。っと、そうだ。些細な贈り物と言えば、私とピースが十歳になった時だったかな。誕生日当日に、レムさんが私達を模した人形をくれたんだ」
来た、またとない好機が来たッ! 焦って声色や表情に出すな。普通に、ごく自然に、堂々としていろ! 余よ!
「人形?」
「うん。たぶん、レムさんが作ってくれたんだろうな。手作り感が満載で、なんとも可愛らしい人形だった。その時は私達も子供だったから、ピースと一緒になって喜んでたよ」
「手作りの人形か……、なるほど! 心のこもったいい贈り物じゃないか」
声を張って相槌を打ってからも、語り続けるアカシック・ファーストレディは無表情のままだが、どこか笑っているようにも見える。きっと心で笑っているのだろう。
そうか、人形。それも手作りの。これは盲点だった。何も、無理をして購入しなくてもよかったんだ。確かに、手作りの人形も形がある物で、真心を込めれば立派な贈り物となる。
よし、決めた! レム殿にあやかってしまうが、今度の誕生日に、余が作ったアカシック・ファーストレディとサニーの人形を贈ってやろう。
本当は、レム殿とピース殿の人形も作ってやりたいのだが……。生憎、二人の容姿は一切分からないし。たとえ聞いたとしても、その情報だけで作るのは困難を極める。
それにしても、今日のアカシック・ファーストレディは、やたらと嬉しそうに語っているな。この過去話は、現在ウンディーネ様と余しか聞けない話だし、当然の事か。
ならばここは、こいつが満足するまで聞き明かしてやろう。色褪せた様子をまったく見せない、鮮やかなアカシック・ファーストレディの過去話をな。
余を兄として紹介してくれたのは、あいつが主に行く野菜屋、魚屋、肉屋、酒屋、本屋、菓子屋などなど。皆して、余を温かく迎えてくれた。
『ベルラザ』の元で執事を全うしていた時に、屋敷に招かれた人間共は、等しく屑であったものの。『タート』に居る人間達は、皆して笑顔でいて、他人である余を優しく接してくれた。
アカシック・ファーストレディのお陰で、余はタートで堂々と人間として振る舞えるようになったが、ここも居心地がいい。あいつには感謝をしておかなければ。
あとは、あいつから何が欲しいかをさり気なく聞くだけだ。なるべくなら、あいつが喜ぶ物を誕生日に贈りたい。アカシック・ファーストレディが無邪気に喜んでくれるような贈り物を。
初めて贈るからには、そこにずっとある物がいい。なので飲食料品や、花といったすぐに無くなってしまう物は避けたい。
まあ、料理もある意味一つの贈り物になる。実際、サニーの誕生日に料理を作ってやったが、アカシック・ファーストレディの方が喜んでいた。
しかし、それだけではつまらん。形を無くし、思い出だけに残る物よりも。目に留まり続け、触れられる物をあげたい。
あいつの誕生日は、まだ半年以上も先だ。けれども、準備期間を長く設けたい。出来るのであれば、今日の内にでもあいつから聞ければいいのだが。
「本当に広いな、ここは」
「この通りだけでも、百件以上の売店がある。反対側まで行ったら、優に五百件は超えるだろうな」
余の紹介が大方終わったので、タートをぶらりと歩いてみたが、なんなんだこの広さは? 直線的な道の彼方を見据えても、突き当りがまったく見えない。
「とんでもない数だな。全ての店を回るとなると、一体何年掛かる事やら」
「それに加えて、この国は一階層から七階層まである。一階層だけでも数ヶ月は遊べる広さだ」
「なるほど。ただの人間であれば、一生暇を持て余す事は無さそうだな」
流石に、この広さは想定外だった。幸い、景色に覚えやすい個性的な箇所が目立つし、複雑に入り組んだ様子もないので、道に迷う事はないだろう。
が、あまりにも広いと、まだ一人で来るには若干心細い。しばらくの間は、アカシック・ファーストレディと同行せざるを得ないな。
それに、早くこいつから欲しい物を聞きださねば。誕生日までは半年以上の時間があるものの、早めに知っておいて越した事はない。一旦、落ち着いて話せる時間を作るか。
「アカシック・ファーストレディ。何個か気になる食べ物があったんだが、購入して食べてもいいか?」
「なに? お前もか。ちなみにどれだ?」
この、あからさまな食い気味よう。そうか、こいつも食べたい物があるんだな。ならば、こいつの意見を優先しよう。
「なんだ、貴様も食べたい物があるのか? 余は、別にそれで構わんぞ」
「あるにはあるけど、先にお前が選んでくれ。初めてここへ来たんだし、奢ってやる」
こいつも譲ってくるとは。互いに譲り合いの精神だと、埒が明かないし話も進まん。余が折れるのが早いけども……。本当は食べたい物なんて無いし、興味すら無い。
適当に探すしかないのだが、数が多すぎて品定めもままならん。どこを見渡しても売店があり、隣の店に目が滑ってしまう。己の優柔不断さが恨めしいな。
「あれだ」
時間を掛けたくないので、焼き魚が売っている店に指を差す。アカシック・ファーストレディも店先に並んだ焼き魚を認めると、「おっ」と弾んだ声を出した。
「奇遇だな、私もあれが食べたかったんだ」
「そうか。なら、貴様は椅子に座って待ってろ。余が買ってくる」
「いや、私が買ってくる。お前が座って待っててくれ」
「購入の体験をしてみたいんだ、頼むから一回買わせてくれ。それに、歩きっぱなしで疲れただろ? 少し休んでろ」
そう願いを交えて言えば、アカシック・ファーストレディの眉間に不服そうな浅いシワが寄り、細まった目で余を睨みつけてきた。
「むう……、なら仕方ない。けど、次は私が奢るからな」
「分かった。それじゃあ買ってくる」
言う事を聞いてくれたアカシック・ファーストレディが、近くの長椅子に腰を下ろしたので、焼き魚が売っている店を目指して歩く。
購入を体験してみたいと言ったが、あれだけは本当だ。ベルラザの屋敷に居る時は、一歩も外に出た事が無いから、余は意外と世間知らずだ。
ここまで長く色んな人間と交流をした事も無いので、今日は初めての体験ばかりである。
「すみません」
「はい、いらっしゃいませ!」
愛想よく接してきたのは、若い人間の女性。この様子なら、余を人間と思ってくれていそうだ。いや、そろそろ気にするのはやめておこう。また恐怖心が蘇ってきてしまう。
「この焼き魚を二つ欲しいのですが」
「二つですね、銅貨三十枚になります」
銅貨、銅貨? まずいな、金貨しか持ち合わせていない。確か、銅貨百枚で、銀貨一枚。銀貨百枚で、金貨一枚になる。
余分に渡すとおつりという物が返ってくるから、銀貨九十九枚と銅貨七十枚になってしまう。手持ちが溢れてしまうな。邪魔くさいにも程がある。
「金貨一枚でも大丈夫でしょうか?」
「ええ、大丈夫ですよ。銅貨三枚で小さな布袋を付けますけど、どうします?」
「ああ、それはありがたいです。なら、それも一緒に買いますので、おつりは布袋に入れて下さい」
「分かりました、少々お待ち下さい」
この客を第一に考えている処置よ。大いに感心してしまった。きっと、他の店もそうしているに違いない。不快な気持ちに一切ならないタートよ、どんどん居心地が良くなっていく。
「お待ちどうさまです。銀貨九十九枚と銅貨六十七枚が入った布袋と、焼き魚が二つになります」
「ありがとうございます」
店員の右手には、焦げ茶色の布袋。左手には、焼き魚が入っているであろう、左側面と上側が開いている紙袋。渡し方も、実に丁寧だ。
保温されていたようで。焼き魚を持った左手が、ほんのりと温かい。先ほどまで興味が無かったが、だんだん食べたくなってきてしまった。
「ほら、買ってきたぞ」
「ありがとうっ」
余程食べたかったのか。無表情ながらも、アカシック・ファーストレディの声が嬉々としている。
こいつの家族になってから薄々気付いていたが、やはり食べる事が好きなようだ。ならば、もっと美味い物を食わせてやりたい。ここには図書館もあるようだし、後で学んでおこう。
右隣に座ると、アカシック・ファーストレディは余を凝視していた。何故かは分からないが、とても気迫に満ちた真剣な眼差しをしている。
「……どうした?」
「アルビス、早く食べよう」
「なんだ、待っててくれたのか。先に食べててもよかったんだぞ?」
「それは、買ってきてくれたお前に悪いだろ? 食べるなら一緒に食べよう」
『律儀な奴め』という言葉を飲み込み、「そうか。なら食べよう」とだけ返した。その律儀な所が、こいつのいい所でもある。まるで憎めない、無垢な長所だ。
「う~ん、美味しいっ」
隣から聞こえてくる、アカシック・ファーストレディの物とは思えない幼さが際立つ声。昔は、余ですら何を考えているのか分からない、ぶっきらぼうな奴だったのに。
今のこいつは、ちゃんとした人間らしい感情を持ち合わせている。普段は昔のままだが、そこに関しては余も嬉しい限りだ。
……さて、ここから話をどう切り出そう。単刀直入に話してしまうと、余の目論見がバレてしまう。なるべくなら、こいつを驚喜させてやりたい。
少しだけ、こいつの過去に触れてみるか? ピース殿や神父様と共に過ごしていた、幼少期のこいつに。
アカシック・ファーストレディは、非常に繊細な心を持っている。触れるのであれば、こいつの気を悪くさせない程度に触れないと。
もし意気消沈でもさせてしまえば、余の心にも深い傷が付く。こいつを落ち込ませるような真似だけは、死んでもしたくない。
「アカシック・ファーストレディ」
「んあっ? なんだ?」
左側に顔を移してみれば、アカシック・ファーストレディは焼き魚を綺麗に完食していた。……食べるのがずいぶん早いな。
「確か、昔の貴様は、タートの近くにある教会に住んでたんだったな?」
「私? ああ、そうだ」
声色からして、嫌悪感を抱いている様子はない。ならば、話題を振ってしまおう。
「その時の貴様は、どんな暮らしをしてたんだ?」
「え? ここで言うのか?」
「おっと、気に障ったのであれば忘れてくれ。タートに来たせいか、ちょっと気になっただけだ」
危ない、少々焦り過ぎた。こいつの言う通り、場所を考慮していなかった。
しかし、今のは痛手だった。たとえ後日、期間を空けてから同じ話題を振ろうとも、流石に怪しまれるかもしれない。
「まあ、私達の周りに人は居ないし、話すだけなら別に構わないぞ」
「おおっ、そうか。なら頼む」
遅れてやって来た理想的な返答に、油断して声が変に上ずってしまった。挙動不審になると、それも逆に怪しまれる。なんとかして平常心を装わなければ。
「と言っても、どこを話せばいいか。急に振られると、案外出てこないな」
「印象に残ってる事でいい。どんな料理を食べてたとか、些細な贈り物をしただとかな」
「料理とか、些細な贈り物、ねぇ……。一つのパンを半分に分けて、ピースと食べ合ってたりとか。参拝客から貰った肉を、何日もかけて食べていたな。あの時は、腹が満たされる日なんてなかったけど、ピースや『レムさん』と一緒に食べる物は、何でも美味しかった」
「レムさん?」
「ああ、すまん。お前には初めて言ったな。私とピースを育ててくれた、神父様の名前だ」
『レム殿』。確かに、初めて聞く名だ。しっかり覚えておこう。
「ふむ、いい名だな」
「だろ? それにまるで、天使のように優しい人だったんだ。私とピースを、実の子のように育ててくれたし、勉学や魔法も丁寧に教えてくれた。出来なかった事が出来るようになったら、レムさんも喜びながら頭を撫でてくれたっけ」
「ほう、なんとも微笑ましいじゃないか。暖かな慈父だったんだな」
「そう。私とピースにとって、本当の父親みたいな存在だった。っと、そうだ。些細な贈り物と言えば、私とピースが十歳になった時だったかな。誕生日当日に、レムさんが私達を模した人形をくれたんだ」
来た、またとない好機が来たッ! 焦って声色や表情に出すな。普通に、ごく自然に、堂々としていろ! 余よ!
「人形?」
「うん。たぶん、レムさんが作ってくれたんだろうな。手作り感が満載で、なんとも可愛らしい人形だった。その時は私達も子供だったから、ピースと一緒になって喜んでたよ」
「手作りの人形か……、なるほど! 心のこもったいい贈り物じゃないか」
声を張って相槌を打ってからも、語り続けるアカシック・ファーストレディは無表情のままだが、どこか笑っているようにも見える。きっと心で笑っているのだろう。
そうか、人形。それも手作りの。これは盲点だった。何も、無理をして購入しなくてもよかったんだ。確かに、手作りの人形も形がある物で、真心を込めれば立派な贈り物となる。
よし、決めた! レム殿にあやかってしまうが、今度の誕生日に、余が作ったアカシック・ファーストレディとサニーの人形を贈ってやろう。
本当は、レム殿とピース殿の人形も作ってやりたいのだが……。生憎、二人の容姿は一切分からないし。たとえ聞いたとしても、その情報だけで作るのは困難を極める。
それにしても、今日のアカシック・ファーストレディは、やたらと嬉しそうに語っているな。この過去話は、現在ウンディーネ様と余しか聞けない話だし、当然の事か。
ならばここは、こいつが満足するまで聞き明かしてやろう。色褪せた様子をまったく見せない、鮮やかなアカシック・ファーストレディの過去話をな。
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