上 下
137 / 294

134話、思い出は、九十年経とうとも色褪せず

しおりを挟む
 アカシック・ファーストレディから作戦を聞いた時は、一抹の不安があったのだが。いざ実行してみれば、これ以上にない成果を上げてくれた。
 余を兄として紹介してくれたのは、あいつが主に行く野菜屋、魚屋、肉屋、酒屋、本屋、菓子屋などなど。皆して、余を温かく迎えてくれた。
 『ベルラザ』の元で執事を全うしていた時に、屋敷に招かれた人間共は、等しく屑であったものの。『タート』に居る人間達は、皆して笑顔でいて、他人である余を優しく接してくれた。
 アカシック・ファーストレディのお陰で、余はタートで堂々と人間として振る舞えるようになったが、ここも居心地がいい。あいつには感謝をしておかなければ。

 あとは、あいつから何が欲しいかをさり気なく聞くだけだ。なるべくなら、あいつが喜ぶ物を誕生日に贈りたい。アカシック・ファーストレディが無邪気に喜んでくれるような贈り物を。
 初めて贈るからには、そこにずっとある物がいい。なので飲食料品や、花といったすぐに無くなってしまう物は避けたい。
 まあ、料理もある意味一つの贈り物になる。実際、サニーの誕生日に料理を作ってやったが、アカシック・ファーストレディの方が喜んでいた。
 しかし、それだけではつまらん。形を無くし、思い出だけに残る物よりも。目に留まり続け、触れられる物をあげたい。
 あいつの誕生日は、まだ半年以上も先だ。けれども、準備期間を長く設けたい。出来るのであれば、今日の内にでもあいつから聞ければいいのだが。










「本当に広いな、ここは」

「この通りだけでも、百件以上の売店がある。反対側まで行ったら、優に五百件は超えるだろうな」

 余の紹介が大方終わったので、タートをぶらりと歩いてみたが、なんなんだこの広さは? 直線的な道の彼方を見据えても、突き当りがまったく見えない。

「とんでもない数だな。全ての店を回るとなると、一体何年掛かる事やら」

「それに加えて、この国は一階層から七階層まである。一階層だけでも数ヶ月は遊べる広さだ」

「なるほど。ただの人間であれば、一生暇を持て余す事は無さそうだな」

 流石に、この広さは想定外だった。幸い、景色に覚えやすい個性的な箇所が目立つし、複雑に入り組んだ様子もないので、道に迷う事はないだろう。
 が、あまりにも広いと、まだ一人で来るには若干心細い。しばらくの間は、アカシック・ファーストレディと同行せざるを得ないな。
 それに、早くこいつから欲しい物を聞きださねば。誕生日までは半年以上の時間があるものの、早めに知っておいて越した事はない。一旦、落ち着いて話せる時間を作るか。

「アカシック・ファーストレディ。何個か気になる食べ物があったんだが、購入して食べてもいいか?」

「なに? お前もか。ちなみにどれだ?」

 この、あからさまな食い気味よう。そうか、こいつも食べたい物があるんだな。ならば、こいつの意見を優先しよう。

「なんだ、貴様も食べたい物があるのか? 余は、別にそれで構わんぞ」

「あるにはあるけど、先にお前が選んでくれ。初めてここへ来たんだし、奢ってやる」

 こいつも譲ってくるとは。互いに譲り合いの精神だと、埒が明かないし話も進まん。余が折れるのが早いけども……。本当は食べたい物なんて無いし、興味すら無い。
 適当に探すしかないのだが、数が多すぎて品定めもままならん。どこを見渡しても売店があり、隣の店に目が滑ってしまう。己の優柔不断さが恨めしいな。

「あれだ」

 時間を掛けたくないので、焼き魚が売っている店に指を差す。アカシック・ファーストレディも店先に並んだ焼き魚を認めると、「おっ」と弾んだ声を出した。

「奇遇だな、私もあれが食べたかったんだ」

「そうか。なら、貴様は椅子に座って待ってろ。余が買ってくる」

「いや、私が買ってくる。お前が座って待っててくれ」

「購入の体験をしてみたいんだ、頼むから一回買わせてくれ。それに、歩きっぱなしで疲れただろ? 少し休んでろ」

 そう願いを交えて言えば、アカシック・ファーストレディの眉間に不服そうな浅いシワが寄り、細まった目で余を睨みつけてきた。

「むう……、なら仕方ない。けど、次は私が奢るからな」

「分かった。それじゃあ買ってくる」

 言う事を聞いてくれたアカシック・ファーストレディが、近くの長椅子に腰を下ろしたので、焼き魚が売っている店を目指して歩く。
 購入を体験してみたいと言ったが、あれだけは本当だ。ベルラザの屋敷に居る時は、一歩も外に出た事が無いから、余は意外と世間知らずだ。
 ここまで長く色んな人間と交流をした事も無いので、今日は初めての体験ばかりである。

「すみません」

「はい、いらっしゃいませ!」

 愛想よく接してきたのは、若い人間の女性。この様子なら、余を人間と思ってくれていそうだ。いや、そろそろ気にするのはやめておこう。また恐怖心が蘇ってきてしまう。

「この焼き魚を二つ欲しいのですが」

「二つですね、銅貨三十枚になります」

 銅貨、銅貨? まずいな、金貨しか持ち合わせていない。確か、銅貨百枚で、銀貨一枚。銀貨百枚で、金貨一枚になる。
 余分に渡すとおつりという物が返ってくるから、銀貨九十九枚と銅貨七十枚になってしまう。手持ちが溢れてしまうな。邪魔くさいにも程がある。

「金貨一枚でも大丈夫でしょうか?」

「ええ、大丈夫ですよ。銅貨三枚で小さな布袋を付けますけど、どうします?」

「ああ、それはありがたいです。なら、それも一緒に買いますので、おつりは布袋に入れて下さい」

「分かりました、少々お待ち下さい」

 この客を第一に考えている処置よ。大いに感心してしまった。きっと、他の店もそうしているに違いない。不快な気持ちに一切ならないタートよ、どんどん居心地が良くなっていく。

「お待ちどうさまです。銀貨九十九枚と銅貨六十七枚が入った布袋と、焼き魚が二つになります」

「ありがとうございます」

 店員の右手には、焦げ茶色の布袋。左手には、焼き魚が入っているであろう、左側面と上側が開いている紙袋。渡し方も、実に丁寧だ。
 保温されていたようで。焼き魚を持った左手が、ほんのりと温かい。先ほどまで興味が無かったが、だんだん食べたくなってきてしまった。

「ほら、買ってきたぞ」

「ありがとうっ」

 余程食べたかったのか。無表情ながらも、アカシック・ファーストレディの声が嬉々としている。
 こいつの家族になってから薄々気付いていたが、やはり食べる事が好きなようだ。ならば、もっと美味い物を食わせてやりたい。ここには図書館もあるようだし、後で学んでおこう。
 右隣に座ると、アカシック・ファーストレディは余を凝視していた。何故かは分からないが、とても気迫に満ちた真剣な眼差しをしている。

「……どうした?」

「アルビス、早く食べよう」

「なんだ、待っててくれたのか。先に食べててもよかったんだぞ?」

「それは、買ってきてくれたお前に悪いだろ? 食べるなら一緒に食べよう」

 『律儀な奴め』という言葉を飲み込み、「そうか。なら食べよう」とだけ返した。その律儀な所が、こいつのいい所でもある。まるで憎めない、無垢な長所だ。

「う~ん、美味しいっ」

 隣から聞こえてくる、アカシック・ファーストレディの物とは思えない幼さが際立つ声。昔は、余ですら何を考えているのか分からない、ぶっきらぼうな奴だったのに。
 今のこいつは、ちゃんとした人間らしい感情を持ち合わせている。普段は昔のままだが、そこに関しては余も嬉しい限りだ。
 ……さて、ここから話をどう切り出そう。単刀直入に話してしまうと、余の目論見がバレてしまう。なるべくなら、こいつを驚喜きょうきさせてやりたい。
 少しだけ、こいつの過去に触れてみるか? ピース殿や神父様と共に過ごしていた、幼少期のこいつに。

 アカシック・ファーストレディは、非常に繊細な心を持っている。触れるのであれば、こいつの気を悪くさせない程度に触れないと。
 もし意気消沈でもさせてしまえば、余の心にも深い傷が付く。こいつを落ち込ませるような真似だけは、死んでもしたくない。

「アカシック・ファーストレディ」

「んあっ? なんだ?」

 左側に顔を移してみれば、アカシック・ファーストレディは焼き魚を綺麗に完食していた。……食べるのがずいぶん早いな。

「確か、昔の貴様は、タートの近くにある教会に住んでたんだったな?」

「私? ああ、そうだ」

 声色からして、嫌悪感を抱いている様子はない。ならば、話題を振ってしまおう。

「その時の貴様は、どんな暮らしをしてたんだ?」

「え? ここで言うのか?」

「おっと、気に障ったのであれば忘れてくれ。タートに来たせいか、ちょっと気になっただけだ」

 危ない、少々焦り過ぎた。こいつの言う通り、場所を考慮していなかった。
 しかし、今のは痛手だった。たとえ後日、期間を空けてから同じ話題を振ろうとも、流石に怪しまれるかもしれない。

「まあ、私達の周りに人は居ないし、話すだけなら別に構わないぞ」

「おおっ、そうか。なら頼む」

 遅れてやって来た理想的な返答に、油断して声が変に上ずってしまった。挙動不審になると、それも逆に怪しまれる。なんとかして平常心を装わなければ。

「と言っても、どこを話せばいいか。急に振られると、案外出てこないな」

「印象に残ってる事でいい。どんな料理を食べてたとか、をしただとかな」

「料理とか、些細な贈り物、ねぇ……。一つのパンを半分に分けて、ピースと食べ合ってたりとか。参拝客から貰った肉を、何日もかけて食べていたな。あの時は、腹が満たされる日なんてなかったけど、ピースや『レムさん』と一緒に食べる物は、何でも美味しかった」

「レムさん?」

「ああ、すまん。お前には初めて言ったな。私とピースを育ててくれた、神父様の名前だ」

 『レム殿』。確かに、初めて聞く名だ。しっかり覚えておこう。

「ふむ、いい名だな」

「だろ? それにまるで、天使のように優しい人だったんだ。私とピースを、実の子のように育ててくれたし、勉学や魔法も丁寧に教えてくれた。出来なかった事が出来るようになったら、レムさんも喜びながら頭を撫でてくれたっけ」

「ほう、なんとも微笑ましいじゃないか。暖かな慈父だったんだな」

「そう。私とピースにとって、本当の父親みたいな存在だった。っと、そうだ。些細な贈り物と言えば、私とピースが十歳になった時だったかな。誕生日当日に、レムさんが私達を模した人形をくれたんだ」

 来た、またとない好機が来たッ! 焦って声色や表情に出すな。普通に、ごく自然に、堂々としていろ! 余よ!

「人形?」

「うん。たぶん、レムさんが作ってくれたんだろうな。手作り感が満載で、なんとも可愛らしい人形だった。その時は私達も子供だったから、ピースと一緒になって喜んでたよ」

「手作りの人形か……、なるほど! 心のこもったいい贈り物じゃないか」

 声を張って相槌あいづちを打ってからも、語り続けるアカシック・ファーストレディは無表情のままだが、どこか笑っているようにも見える。きっと心で笑っているのだろう。
 そうか、人形。それも手作りの。これは盲点だった。何も、無理をして購入しなくてもよかったんだ。確かに、手作りの人形も形がある物で、真心を込めれば立派な贈り物となる。
 よし、決めた! レム殿にあやかってしまうが、今度の誕生日に、余が作ったアカシック・ファーストレディとサニーの人形を贈ってやろう。
 本当は、レム殿とピース殿の人形も作ってやりたいのだが……。生憎、二人の容姿は一切分からないし。たとえ聞いたとしても、その情報だけで作るのは困難を極める。

 それにしても、今日のアカシック・ファーストレディは、やたらと嬉しそうに語っているな。この過去話は、現在ウンディーネ様と余しか聞けない話だし、当然の事か。
 ならばここは、こいつが満足するまで聞き明かしてやろう。色褪せた様子をまったく見せない、鮮やかなアカシック・ファーストレディの過去話をな。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

絶対に間違えないから

mahiro
恋愛
あれは事故だった。 けれど、その場には彼女と仲の悪かった私がおり、日頃の行いの悪さのせいで彼女を階段から突き落とした犯人は私だと誰もが思ったーーー私の初恋であった貴方さえも。 だから、貴方は彼女を失うことになった私を許さず、私を死へ追いやった………はずだった。 何故か私はあのときの記憶を持ったまま6歳の頃の私に戻ってきたのだ。 どうして戻ってこれたのか分からないが、このチャンスを逃すわけにはいかない。 私はもう彼らとは出会わず、日頃の行いの悪さを見直し、平穏な生活を目指す!そう決めたはずなのに...……。

好きな人に『その気持ちが迷惑だ』と言われたので、姿を消します【完結済み】

皇 翼
恋愛
「正直、貴女のその気持ちは迷惑なのですよ……この場だから言いますが、既に想い人が居るんです。諦めて頂けませんか?」 「っ――――!!」 「賢い貴女の事だ。地位も身分も財力も何もかもが貴女にとっては高嶺の花だと元々分かっていたのでしょう?そんな感情を持っているだけ時間が無駄だと思いませんか?」 クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。 ****** ・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

美幼女に転生したら地獄のような逆ハーレム状態になりました

市森 唯
恋愛
極々普通の学生だった私は……目が覚めたら美幼女になっていました。 私は侯爵令嬢らしく多分異世界転生してるし、そして何故か婚約者が2人?! しかも婚約者達との関係も最悪で…… まぁ転生しちゃったのでなんとか上手く生きていけるよう頑張ります!

転生調理令嬢は諦めることを知らない

eggy
ファンタジー
リュシドール子爵の長女オリアーヌは七歳のとき事故で両親を失い、自分は片足が不自由になった。 それでも残された生まれたばかりの弟ランベールを、一人で立派に育てよう、と決心する。 子爵家跡継ぎのランベールが成人するまで、親戚から暫定爵位継承の夫婦を領地領主邸に迎えることになった。 最初愛想のよかった夫婦は、次第に家乗っ取りに向けた行動を始める。 八歳でオリアーヌは、『調理』の加護を得る。食材に限り刃物なしで切断ができる。細かい調味料などを離れたところに瞬間移動させられる。その他、調理の腕が向上する能力だ。 それを「貴族に相応しくない」と断じて、子爵はオリアーヌを厨房で働かせることにした。 また夫婦は、自分の息子をランベールと入れ替える画策を始めた。 オリアーヌが十三歳になったとき、子爵は隣領の伯爵に加護の実験台としてランベールを売り渡してしまう。 同時にオリアーヌを子爵家から追放する、と宣言した。 それを機に、オリアーヌは弟を取り戻す旅に出る。まず最初に、隣町まで少なくとも二日以上かかる危険な魔獣の出る街道を、杖つきの徒歩で、武器も護衛もなしに、不眠で、歩ききらなければならない。 弟を取り戻すまで絶対諦めない、ド根性令嬢の冒険が始まる。  主人公が酷く虐げられる描写が苦手な方は、回避をお薦めします。そういう意味もあって、R15指定をしています。  追放令嬢ものに分類されるのでしょうが、追放後の展開はあまり類を見ないものになっていると思います。  2章立てになりますが、1章終盤から2章にかけては、「令嬢」のイメージがぶち壊されるかもしれません。不快に思われる方にはご容赦いただければと存じます。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

貴族に生まれたのに誘拐され1歳で死にかけた

佐藤醤油
ファンタジー
 貴族に生まれ、のんびりと赤ちゃん生活を満喫していたのに、気がついたら世界が変わっていた。  僕は、盗賊に誘拐され魔力を吸われながら生きる日々を過ごす。  魔力枯渇に陥ると死ぬ確率が高いにも関わらず年に1回は魔力枯渇になり死にかけている。  言葉が通じる様になって気がついたが、僕は他の人が持っていないステータスを見る力を持ち、さらに異世界と思われる世界の知識を覗ける力を持っている。  この力を使って、いつか脱出し母親の元へと戻ることを夢見て過ごす。  小さい体でチートな力は使えない中、どうにか生きる知恵を出し生活する。 ------------------------------------------------------------------  お知らせ   「転生者はめぐりあう」 始めました。 ------------------------------------------------------------------ 注意  作者の暇つぶし、気分転換中の自己満足で公開する作品です。  感想は受け付けていません。  誤字脱字、文面等気になる方はお気に入りを削除で対応してください。

【完結】母になります。

たろ
恋愛
母親になった記憶はないのにわたしいつの間にか結婚して子供がいました。 この子、わたしの子供なの? 旦那様によく似ているし、もしかしたら、旦那様の隠し子なんじゃないのかしら? ふふっ、でも、可愛いわよね? わたしとお友達にならない? 事故で21歳から5年間の記憶を失くしたわたしは結婚したことも覚えていない。 ぶっきらぼうでムスッとした旦那様に愛情なんて湧かないわ! だけど何故かこの3歳の男の子はとても可愛いの。

処理中です...