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127話、ならここは一つ、私に提案がある
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「とりあえず、出会った場所だな。この方角をまっすぐ行くと、『花畑地帯』に出るだろ?」
そう言って背後へ振り向き、木々が鬱蒼と茂っている森に指を差す。
「花畑地帯? 長様から聞いた話だと、そっち方面にあるのは草原のはずだが……。まあ一旦、話を聞こう。それで?」
話の腰を折らないよう進めてくれたが、また古い情報が出てきたな。私が初めて行った時は、もう既に花畑地帯と化していたので、少なくとも九十年以上前か、もっと前の情報になる。
「それで、その一角に小さな森があってだ。その森の中に、とても清らかな泉があり、そこにある泉でウンディーネ様と出会った」
「なに!? そんな危険極まりない場所で、ウンディーネ様と出会ったのか?」
「危険?」
「ああ。大体いつも、アカシック殿が指を差した方面から、盗賊達が雪崩のように押し寄せてきてたんだ。盗賊達は野営をしてるとも聞いたし……。ウンディーネ様は、そんな場所に居て大丈夫なのか?」
ずいぶんと的外れな心配をしだして、焦った様子で問い掛けてくるウィザレナ。野営をしている盗賊なんて、一度も見た事がないぞ。
今居るとしたら、純白の花を管理しているゴーレムのみ。……待てよ? さっきウィザレナは、花畑地帯をわざわざ草原と言い直していた。
そもそも、それ自体がおかしいんだ。確かに、ゴーレムがあの地帯へ来る前は、花畑地帯ではなく草原地帯だった。しかしそれは、少なくとも百年以上も前の話。
なんだか、だんだん嫌な予感がしてきた。もしかすると、この里同様、ウィザレナの情報が過去で止まっている可能性がある。まずは、色々と確かめた方がいいかもしれない。
「話を折って悪いが、ウィザレナ。いくつか質問してもいいか?」
「質問? ああ、いいぞ」
「ありがとう。ウィザレナは、この森から出た事はあるのか?」
いくつかと言ったけど、この質問の答え次第では、私の知りたい事が大体得られるかもしれない。そう期待していると、ウィザレナは当然の様に首を横へ振った。
「いや、一度もない」
「一度も? じゃあ外の世界については、まったく知らないのか?」
「何も知らない。外の情報は、放浪癖のある長様から聞いただけだ」
「な、なるほど……」
この質問だけで、私の知りたい事が全て分かってしまった。一度もないときたか。それならば、ウィザレナの持っている情報が古いのも頷ける。
問題は、その情報がどれだけ古いかだ。盗賊が野営していると言っていたし、百年や二百年じゃ利かないだろう。それに長様とやらが、いつまでこの里に居たのかも気になる。
しかし、そこは強く触れない方がいい。書物で得た知識だけども、今に至った経緯や末路が、あまりにも酷過ぎる。
今ウィザレナはごく普通な感じで、気丈に振る舞っている様子もない。が、心の傷は相当深いはずだ。人間である私なんかが、容易に触れていい傷ではない。
「なんで、今まで外に出なかったんだ?」
「それは単純に、外の世界に興味がなかったからだ。この森で生まれ育ち、この森に還ろうと思ってたからな。……盗賊達が来る前までは」
私が触れたくない箇所を口にしたウィザレナが、サニー達が居る方へ顔をやる。まずい、この流れは非常にまずい……。まさかウィザレナから、過去の傷を見せてくるだなんて。
「今は森というより、仲間の骸すら無い広大な墓場みたいなもの。だから私は、仲間の血や断末魔を啜り尽くしたこの墓場が、大嫌いだ」
……案の定、返す言葉が見つからないし、僅かな声すら出せない。骸が無いという事は、死体まで根こそぎ持っていかれたのか? 一体なんの為に? いや、考えるな。推測もやめろ。
けど、私はここからどうすればいい? ウィザレナから傷を見せてきた以上、私も触れにいかねばならない。たとえ秘薬を使おうとも、癒す事が出来ない太古の傷に。
「……て、抵抗とか、しなかったのか?」
「死に物狂いでしたさ。けど、精霊様達が早々にこの地から去ってしまってな。魔力を回復できる手段が無くなり、長様以外魔法が使えなくなり。常に前線で戦ってくれてた長様が殺され……、そこからは崩れるようにあっという間だった」
だんだんとウィザレナの声から覇気が無くなり、唇を噤んだ顔が地面に下がっていった。
なんとか反応は出来たものの。返しが重すぎて、私の口も迷いが生じて止まってしまう……。次に触れられるとしたら、魔力の件だけだ。
「魔力って事は、魔法を使えてたんだな」
「ああ。精霊様から教わって、皆が使えてた。私も使えてたけど、とうの昔に魔力が枯渇してしまって、今はただの弓矢を放つ事しか出来ない」
「だとすると……。お前が魔法を使える状態で、私達がここに来てたら……」
「間違いなく、警告無しで放ってた。そう思うと、私の魔力が枯渇しててよかった。ウンディーネ様と契約してる者を殺めるなんて、盗賊となんら変わらないからな」
そう笑みを浮かべてから、白魚のように華奢な手を見つめるウィザレナ。笑顔になれる流れに持っていけたけど、その笑顔はから笑いだった。
よし、話題を更に逸らそう。ウィザレナの魔力が枯渇しているのであれば、回復させてやればいい。そして魔法が見たいと言えば、もっと別の話題へ行くはずだ。
「魔力が枯渇してるなら、これを飲むか?」
話の流れを変えるべく。私は先ほど布袋から出し損ねた、精霊の泉の水が入っている容器を取り出し、ウィザレナの隣に置いた。
「なんだ。まだ、その布袋に物が入ってたのか」
あっけらかんと言ったウィザレナが、なんの警戒心も無く容器を手に持つ。
「アカシック殿、これには一体何が入ってるんだ?」
「ウンディーネ様が住んでる、泉の水が入ってる。魔力を大量に含んでるから、二口も飲めば全快するはずだ」
「な、なんだとっ!?」
声を荒げたウィザレナが、持っている容器と私の顔を、交互に何度も見返し始めた。天色の瞳が点になっていて、口をポカンと開けている。なんとも分かりやすい驚愕した反応だ。
「……そ、そんな貴重な水を、私なんかが飲んでしまっても、本当にいいのか?」
「定期的に貰ってるから、家に帰れば沢山ある。お前の魔法を見てみたいし、是非飲んでくれ」
「は、はあ……。アカシック殿とウンディーネ様は、本当に仲がいいんだな……。そ、それじゃあ……」
驚きすぎて、口が開きっぱなしのウィザレナが、おぼつかない手で容器の蓋を開ける。そのまま容器の穴を覗き、水の匂いを数回嗅いでから、恐る恐る飲み出した。
一回飲んだら安全だと分かったのか。飲む口は衰えるどころか勢いを増し、容器に入っている水を全て飲み干していった。
「……ふうっ。なんて清らかで、口当たりがいい水なんだ。それに、なんだか懐かしい味がした。昔はこの森にも、当たり前のように湧いてたっけ」
どこか懐かしみ深く容器を見つめているウィザレナが、たおやかな笑顔を森へ送った。実にいい笑顔だ。から笑いなんかよりも、今の笑顔の方がよっぽど似合っている。
もう一度ため息をついたウィザレナは、横に置いていた弓を持ち、そっと立ち上がる。草で編んだ靴を履くと、私の方へ顔をやってきた。
「では、アカシック殿。エルフだけが使える、精霊様直伝の魔法を見せてやろう」
「ウィザレナ、矢はいらないのか?」
「いや、いらない。魔力が回復した今の私には、これがある」
矢筒を渡そうとするも、ウィザレナは首を横に振り、右手を前にかざす。
するとその握った右手から、左右に伸びる形で、煌びやかな一本の光の矢が現れた。
「おお、魔法の矢か。詠唱も無しに出せるんだな」
「そうだ。魔力が続く限り、無限に出せる。さあ、見ててくれ!」
久々の魔法に心が昂ってきたようで。サニーの注目も集めかねない声を出すと、ウィザレナは真上にある木々の天井に向かい、弓を構える。
それとほぼ同時。射線の少し先に、縁が分厚く、直径五mほどの魔法陣が出現。星に似た形の紋章があるけど、あんな紋章見た事がないぞ。
それに、魔法陣が放っている光の色もだ。なんというか、星や月といった、白と黄を混ぜたような柔らかい色をしている。
「行くぞッ! 『流星群』!」
想像に容易い技名を叫び、放った光の矢が魔法陣に突き刺さるや否や。魔法陣全体から膨大な量の光線が現れては、様々な流線を描きつつ、木々の天井に次々と突き抜けていく。
その様は、さながら意思を持って襲い掛かってくる流星群そのもの。圧倒的な質量と貫通力よ。私の魔法壁でも耐えられるか怪しいほどの威力が、一本一本の光線に宿っている。
もし、ウィザレナが魔法を使える状態で蜂合わせていたら、私達は『流星群』の餌食になり、そこで死んでいたかもしれないな……。
「すごーいっ!!」
遠くから聞こえてくる、嬉々としたサニーの大声。たぶん標的にされたな。その内にでも、絵を描かせて下さいとせがんでくるだろう。
「うん! 数百年振りに使ったが、腕はまったく衰えてない。アカシック殿、本当に感謝する! これであの子達を、来たる脅威から守り続ける事が出来るぞ!」
「守り続ける?」
気になる言葉に私が反応すると、『流星群』は途端に数が減っていき、最後の流星を出した魔法陣が消滅。
『流星群』が開けた穴から、太い木漏れ日が差し込み、『流星群』の軌跡を逆流してウィザレナに直撃した。
その暖かそうな光を浴びたウィザレナは、空に構えていた大弓を下げ、天色の髪をかき上げながら私の方へ向いてきた。
「ああ。今の私は、あの子達を守る為だけに生きてる。私まで死んでしまったら、あの子達だけになってしまうからな。それだけは、どうしても避けたい」
腰に手を当て、活力と自信に満ちた清々しい眼差しを、サニー達が居る方へ移すウィザレナ。また触れづらい話題が出てきたけども……。そろそろ、軽く触れてみるとするか。
「という事は……。この里に居るエルフは、もうお前だけなんだな」
「そうだ。百五十年前ぐらいは、私の他に二人居たんだが……。その二人がどうなったか、話した方がいいか?」
「いやっ、絶対に話さないでくれ……」
引き気味に拒否すると、ウィザレナはなんとも寂し気な苦笑いを浮かべた。
今は居ない所を察するに、天寿を全うしたか、魔物か盗賊に殺されたか。あとは、高い場所にある家のどこかで―――。
いや、考えるのはやめておこう。どの結末だろうと、残されたウィザレナが報われないし、悲しくなってくるだけだ。
「よかった、私も話したくなかったんだ。優しいんだな、アカシック殿は」
嬉しそうに感謝を述べたウィザレナは、私の元へ戻ってきて、弓を置きながら隣に座った。ウィザレナもああ言っていたし、触れづらい話に反応したり、突っつくのはもうやめておこう。
しかし、ウィザレナは強いな。たった一人になろうとも、自暴自棄にならず、動物達を守る為に生きていく決意が出来るだなんて。
……一人? そうだ。ウィザレナの言っている事が正しければ、この里に居るエルフは、ウィザレナただ一人。それと動物が数匹だけ。
この森が大嫌いだとも吐き捨てていたし。なにも、無理にこの森に留まる必要はない。このまま放っておくと、ウィザレナ達は魔物に襲われ続け、いずれ死んでしまうだろう。
私は、時の流れから置き去りにされ、人知れず死にゆくであろう者と出会った。そして今後、ウィザレナと新たに出会う人物は、きっと現れない。
なら私は、ウィザレナの助け舟になろう。脅威に怯える日々から遠ざけ、平和に満ちた新天地へ誘う助け舟に。
「ウィザレナ。もう何個か、質問をしてもいいか?」
「質問? ああ、構わないぞ」
「ありがとう。ウィザレナはさっき、この森が大嫌いだと言ったな?」
「ああ、言った。大嫌いだ。安全に去れるのであれば、今すぐにでも、あの子達と共に去りたい」
懇願紛いな願いを交え、細く潤んだ目を、再びサニー達へ移すウィザレナ。今すぐにでも去りたい、か。ならその願い、私が叶えてやる。
「だったら、私に提案がある」
「提案?」
「そうだ。ウィザレナ、私達が住んでる『沼地帯』に引っ越してこないか?」
そう言って背後へ振り向き、木々が鬱蒼と茂っている森に指を差す。
「花畑地帯? 長様から聞いた話だと、そっち方面にあるのは草原のはずだが……。まあ一旦、話を聞こう。それで?」
話の腰を折らないよう進めてくれたが、また古い情報が出てきたな。私が初めて行った時は、もう既に花畑地帯と化していたので、少なくとも九十年以上前か、もっと前の情報になる。
「それで、その一角に小さな森があってだ。その森の中に、とても清らかな泉があり、そこにある泉でウンディーネ様と出会った」
「なに!? そんな危険極まりない場所で、ウンディーネ様と出会ったのか?」
「危険?」
「ああ。大体いつも、アカシック殿が指を差した方面から、盗賊達が雪崩のように押し寄せてきてたんだ。盗賊達は野営をしてるとも聞いたし……。ウンディーネ様は、そんな場所に居て大丈夫なのか?」
ずいぶんと的外れな心配をしだして、焦った様子で問い掛けてくるウィザレナ。野営をしている盗賊なんて、一度も見た事がないぞ。
今居るとしたら、純白の花を管理しているゴーレムのみ。……待てよ? さっきウィザレナは、花畑地帯をわざわざ草原と言い直していた。
そもそも、それ自体がおかしいんだ。確かに、ゴーレムがあの地帯へ来る前は、花畑地帯ではなく草原地帯だった。しかしそれは、少なくとも百年以上も前の話。
なんだか、だんだん嫌な予感がしてきた。もしかすると、この里同様、ウィザレナの情報が過去で止まっている可能性がある。まずは、色々と確かめた方がいいかもしれない。
「話を折って悪いが、ウィザレナ。いくつか質問してもいいか?」
「質問? ああ、いいぞ」
「ありがとう。ウィザレナは、この森から出た事はあるのか?」
いくつかと言ったけど、この質問の答え次第では、私の知りたい事が大体得られるかもしれない。そう期待していると、ウィザレナは当然の様に首を横へ振った。
「いや、一度もない」
「一度も? じゃあ外の世界については、まったく知らないのか?」
「何も知らない。外の情報は、放浪癖のある長様から聞いただけだ」
「な、なるほど……」
この質問だけで、私の知りたい事が全て分かってしまった。一度もないときたか。それならば、ウィザレナの持っている情報が古いのも頷ける。
問題は、その情報がどれだけ古いかだ。盗賊が野営していると言っていたし、百年や二百年じゃ利かないだろう。それに長様とやらが、いつまでこの里に居たのかも気になる。
しかし、そこは強く触れない方がいい。書物で得た知識だけども、今に至った経緯や末路が、あまりにも酷過ぎる。
今ウィザレナはごく普通な感じで、気丈に振る舞っている様子もない。が、心の傷は相当深いはずだ。人間である私なんかが、容易に触れていい傷ではない。
「なんで、今まで外に出なかったんだ?」
「それは単純に、外の世界に興味がなかったからだ。この森で生まれ育ち、この森に還ろうと思ってたからな。……盗賊達が来る前までは」
私が触れたくない箇所を口にしたウィザレナが、サニー達が居る方へ顔をやる。まずい、この流れは非常にまずい……。まさかウィザレナから、過去の傷を見せてくるだなんて。
「今は森というより、仲間の骸すら無い広大な墓場みたいなもの。だから私は、仲間の血や断末魔を啜り尽くしたこの墓場が、大嫌いだ」
……案の定、返す言葉が見つからないし、僅かな声すら出せない。骸が無いという事は、死体まで根こそぎ持っていかれたのか? 一体なんの為に? いや、考えるな。推測もやめろ。
けど、私はここからどうすればいい? ウィザレナから傷を見せてきた以上、私も触れにいかねばならない。たとえ秘薬を使おうとも、癒す事が出来ない太古の傷に。
「……て、抵抗とか、しなかったのか?」
「死に物狂いでしたさ。けど、精霊様達が早々にこの地から去ってしまってな。魔力を回復できる手段が無くなり、長様以外魔法が使えなくなり。常に前線で戦ってくれてた長様が殺され……、そこからは崩れるようにあっという間だった」
だんだんとウィザレナの声から覇気が無くなり、唇を噤んだ顔が地面に下がっていった。
なんとか反応は出来たものの。返しが重すぎて、私の口も迷いが生じて止まってしまう……。次に触れられるとしたら、魔力の件だけだ。
「魔力って事は、魔法を使えてたんだな」
「ああ。精霊様から教わって、皆が使えてた。私も使えてたけど、とうの昔に魔力が枯渇してしまって、今はただの弓矢を放つ事しか出来ない」
「だとすると……。お前が魔法を使える状態で、私達がここに来てたら……」
「間違いなく、警告無しで放ってた。そう思うと、私の魔力が枯渇しててよかった。ウンディーネ様と契約してる者を殺めるなんて、盗賊となんら変わらないからな」
そう笑みを浮かべてから、白魚のように華奢な手を見つめるウィザレナ。笑顔になれる流れに持っていけたけど、その笑顔はから笑いだった。
よし、話題を更に逸らそう。ウィザレナの魔力が枯渇しているのであれば、回復させてやればいい。そして魔法が見たいと言えば、もっと別の話題へ行くはずだ。
「魔力が枯渇してるなら、これを飲むか?」
話の流れを変えるべく。私は先ほど布袋から出し損ねた、精霊の泉の水が入っている容器を取り出し、ウィザレナの隣に置いた。
「なんだ。まだ、その布袋に物が入ってたのか」
あっけらかんと言ったウィザレナが、なんの警戒心も無く容器を手に持つ。
「アカシック殿、これには一体何が入ってるんだ?」
「ウンディーネ様が住んでる、泉の水が入ってる。魔力を大量に含んでるから、二口も飲めば全快するはずだ」
「な、なんだとっ!?」
声を荒げたウィザレナが、持っている容器と私の顔を、交互に何度も見返し始めた。天色の瞳が点になっていて、口をポカンと開けている。なんとも分かりやすい驚愕した反応だ。
「……そ、そんな貴重な水を、私なんかが飲んでしまっても、本当にいいのか?」
「定期的に貰ってるから、家に帰れば沢山ある。お前の魔法を見てみたいし、是非飲んでくれ」
「は、はあ……。アカシック殿とウンディーネ様は、本当に仲がいいんだな……。そ、それじゃあ……」
驚きすぎて、口が開きっぱなしのウィザレナが、おぼつかない手で容器の蓋を開ける。そのまま容器の穴を覗き、水の匂いを数回嗅いでから、恐る恐る飲み出した。
一回飲んだら安全だと分かったのか。飲む口は衰えるどころか勢いを増し、容器に入っている水を全て飲み干していった。
「……ふうっ。なんて清らかで、口当たりがいい水なんだ。それに、なんだか懐かしい味がした。昔はこの森にも、当たり前のように湧いてたっけ」
どこか懐かしみ深く容器を見つめているウィザレナが、たおやかな笑顔を森へ送った。実にいい笑顔だ。から笑いなんかよりも、今の笑顔の方がよっぽど似合っている。
もう一度ため息をついたウィザレナは、横に置いていた弓を持ち、そっと立ち上がる。草で編んだ靴を履くと、私の方へ顔をやってきた。
「では、アカシック殿。エルフだけが使える、精霊様直伝の魔法を見せてやろう」
「ウィザレナ、矢はいらないのか?」
「いや、いらない。魔力が回復した今の私には、これがある」
矢筒を渡そうとするも、ウィザレナは首を横に振り、右手を前にかざす。
するとその握った右手から、左右に伸びる形で、煌びやかな一本の光の矢が現れた。
「おお、魔法の矢か。詠唱も無しに出せるんだな」
「そうだ。魔力が続く限り、無限に出せる。さあ、見ててくれ!」
久々の魔法に心が昂ってきたようで。サニーの注目も集めかねない声を出すと、ウィザレナは真上にある木々の天井に向かい、弓を構える。
それとほぼ同時。射線の少し先に、縁が分厚く、直径五mほどの魔法陣が出現。星に似た形の紋章があるけど、あんな紋章見た事がないぞ。
それに、魔法陣が放っている光の色もだ。なんというか、星や月といった、白と黄を混ぜたような柔らかい色をしている。
「行くぞッ! 『流星群』!」
想像に容易い技名を叫び、放った光の矢が魔法陣に突き刺さるや否や。魔法陣全体から膨大な量の光線が現れては、様々な流線を描きつつ、木々の天井に次々と突き抜けていく。
その様は、さながら意思を持って襲い掛かってくる流星群そのもの。圧倒的な質量と貫通力よ。私の魔法壁でも耐えられるか怪しいほどの威力が、一本一本の光線に宿っている。
もし、ウィザレナが魔法を使える状態で蜂合わせていたら、私達は『流星群』の餌食になり、そこで死んでいたかもしれないな……。
「すごーいっ!!」
遠くから聞こえてくる、嬉々としたサニーの大声。たぶん標的にされたな。その内にでも、絵を描かせて下さいとせがんでくるだろう。
「うん! 数百年振りに使ったが、腕はまったく衰えてない。アカシック殿、本当に感謝する! これであの子達を、来たる脅威から守り続ける事が出来るぞ!」
「守り続ける?」
気になる言葉に私が反応すると、『流星群』は途端に数が減っていき、最後の流星を出した魔法陣が消滅。
『流星群』が開けた穴から、太い木漏れ日が差し込み、『流星群』の軌跡を逆流してウィザレナに直撃した。
その暖かそうな光を浴びたウィザレナは、空に構えていた大弓を下げ、天色の髪をかき上げながら私の方へ向いてきた。
「ああ。今の私は、あの子達を守る為だけに生きてる。私まで死んでしまったら、あの子達だけになってしまうからな。それだけは、どうしても避けたい」
腰に手を当て、活力と自信に満ちた清々しい眼差しを、サニー達が居る方へ移すウィザレナ。また触れづらい話題が出てきたけども……。そろそろ、軽く触れてみるとするか。
「という事は……。この里に居るエルフは、もうお前だけなんだな」
「そうだ。百五十年前ぐらいは、私の他に二人居たんだが……。その二人がどうなったか、話した方がいいか?」
「いやっ、絶対に話さないでくれ……」
引き気味に拒否すると、ウィザレナはなんとも寂し気な苦笑いを浮かべた。
今は居ない所を察するに、天寿を全うしたか、魔物か盗賊に殺されたか。あとは、高い場所にある家のどこかで―――。
いや、考えるのはやめておこう。どの結末だろうと、残されたウィザレナが報われないし、悲しくなってくるだけだ。
「よかった、私も話したくなかったんだ。優しいんだな、アカシック殿は」
嬉しそうに感謝を述べたウィザレナは、私の元へ戻ってきて、弓を置きながら隣に座った。ウィザレナもああ言っていたし、触れづらい話に反応したり、突っつくのはもうやめておこう。
しかし、ウィザレナは強いな。たった一人になろうとも、自暴自棄にならず、動物達を守る為に生きていく決意が出来るだなんて。
……一人? そうだ。ウィザレナの言っている事が正しければ、この里に居るエルフは、ウィザレナただ一人。それと動物が数匹だけ。
この森が大嫌いだとも吐き捨てていたし。なにも、無理にこの森に留まる必要はない。このまま放っておくと、ウィザレナ達は魔物に襲われ続け、いずれ死んでしまうだろう。
私は、時の流れから置き去りにされ、人知れず死にゆくであろう者と出会った。そして今後、ウィザレナと新たに出会う人物は、きっと現れない。
なら私は、ウィザレナの助け舟になろう。脅威に怯える日々から遠ざけ、平和に満ちた新天地へ誘う助け舟に。
「ウィザレナ。もう何個か、質問をしてもいいか?」
「質問? ああ、構わないぞ」
「ありがとう。ウィザレナはさっき、この森が大嫌いだと言ったな?」
「ああ、言った。大嫌いだ。安全に去れるのであれば、今すぐにでも、あの子達と共に去りたい」
懇願紛いな願いを交え、細く潤んだ目を、再びサニー達へ移すウィザレナ。今すぐにでも去りたい、か。ならその願い、私が叶えてやる。
「だったら、私に提案がある」
「提案?」
「そうだ。ウィザレナ、私達が住んでる『沼地帯』に引っ越してこないか?」
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