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112話、初めての贅沢
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「ふう……、やっと終わった」
気疲れを残したまま、書物と香辛料を購入したものの。これらは比較的に安く、落ち着きながら購入出来た。アルビスが指定した書物は、銀貨一枚。香辛料は、銀貨五十枚。
しかし、今日は運が良い。書物屋に新しい絵本が三冊も入荷していた。もうこの街の絵本は買い尽くしてしまっていたので、新しい絵本が入荷するのを、ずっと待っていたんだ。
「帰ったら、サニーに読み聞かせてやらないと。……む」
一息つけて気が緩んだせいか。私の腹から『くぅ』という、何かを食べさせろと催促の音が鳴った。さてと、甘い物でも食べて精をつけ、サニーが喜びそうな場所を探さないと。
「しかし……、何を食べればいいんだ?」
生まれてからこの方、甘い物はおろか、間食なぞ一度もした事がない。幼少期の頃は、甘い物の存在すら知らなかったし。知ってからも、贅沢だと思ってしようとすらしなかった。
短い間だけだが、ピースと共に『タート』に住んでからもである。朝昼晩、ちゃんとした食事が取れるだけで満足していた。
とどのつまり、今から私は贅沢をする事になる。先ほどの買い出しは、アルビスに頼まれた物なので無しだ。贅沢には入れない。むしろ早く忘れないと、金銭感覚が狂ってしまう。
「とりあえずやってみるか。贅沢というやつを」
今呟いた独り言が、ちょっと弾んでいたのを自分でも分かった。鼻もふんふんと鳴っているし、気分が高揚しているようだ。まあ、仕方ない。人生で初めての贅沢なのだから。
甘い物と言えば、子供達が集まる菓子屋。大人がこぞって入っていく様な、人目を引くお洒落な店は、あえて避けよう。こんな私には似合わない。たとえ入ったとしても、何を食べればいいのか分からないしな。
逆に菓子屋は、とても入りやすそうな雰囲気がある。購入すれば店内で食べられるらしいので、小分けして購入し、気に入った物を沢山食べればいい。よし。だんだんと見えてきたぞ、贅沢のやり方が。
早速贅沢をするべく、菓子屋へ足を運ぶ。現在の時刻は、太陽が傾いてきているので、三時過ぎといった所か。夕食までには、まだ時間がある。
相変わらず他種族の人々が行き交う大通りを抜け、喧騒が届きにくい脇道に入る。道幅はやや狭く、三人が並んで歩くと、すれ違うのがやっとな広さだ。
「確か、この辺りに……。お、あった」
店の場所は元々知っていたので、すんなりと目的の店にたどり着く事が出来た。年季が入っているのか、周りの店よりも寂れが目立つ面構えだ。
店先で遊んでいる子供達の邪魔にならぬよう、間隔を開けながら店の中へと入る。明かりは頼りない程に少なく、外は明るいのに店内は薄暗い。
鼻で呼吸をしてみると、心が躍るような甘い匂いがしてくる。匂いを堪能してから、辺りに目を配った。入口から差し込んでいる光に照らされた陳列棚には、様々な色をした菓子の数々。
色は、ほとんどが原色だ。鮮やかというよりも、警告色に近い。森の中に生えていたら、間違いなく毒物だと察し、嫌厭するか新薬の素材として採取しているだろう。
「おや、いらっしゃい」
「む」
食べるのに迷いが芽生え始めている中。左側からおっとりとした声が聞こえてきたので、そちらへ顔を向ける。
視線の先。薄暗い店の奥で、全身にほんのりと闇を纏っているおばさんが、正座をしながらニコニコとしていた。
「この店の人でしょうか?」
「ええ、そうですよ。何を買いにきたんですか?」
なぜか調子が狂う、やたらと緩くてゆったりとした喋り方だ。でも、不思議と優しい感じがする。けど、ここはどう返すべきだろうか。
一応、甘い物を食べるという目的で、この店に訪れた。だが、全てが初めて見る物なので、何を買って食べればいいのかまったく分からない。
ここは、あのおばさんにおすすめを聞いてみるべきだな。見た所、この道を数十年続けていそうな風貌をしている。間違いなく、私に合った物を教えてくれるだろう。
「えと、すみません。おすすめはどれでしょうか?」
「おすすめねぇ~。お嬢ちゃんの左側にある、透明の小袋に入った白いやつがおいしいよ」
「左側にある透明の小袋……、これか。……ん?」
今、お嬢ちゃんと言われたよな? なるほど、これで生き証人が三人になった。もう自信だけじゃない、確証も得られた。私は少女の如く、若々しいのだとな。
「じゃあ、これを下さい」
「はいはい。銅貨一枚ね」
「銅貨一枚、安い」
これまで幾度となく大量の金貨を使ってきたせいで、余計に安く感じる。小袋を携えつつおばさんに近づき、銅貨一枚を手渡した。
「ここで食べてもいいんですよね?」
「ええ、どうぞ」
「ありがとうございます、では」
許可を貰えたので、小袋に結ばれている紐を解き、封を開ける。匂いは皆無。形は、やや歪な丸。手でつまんでみると、それなりに固い事が分かった。大きさは、一cm程と小さい。
さあ、初めての贅沢だ。余す事無く味わなければ。緊張し出してきたのか、私の心臓が大きく脈を打っている。そのドクンドクンという鼓動を感じてから、おすすめされた菓子を口の中に入れた。
「……ん、甘いっ」
口に入れた瞬間溶けだして、気疲れを吹き飛ばしていくような甘さが広がっていく。じわじわと溶ければ溶けるほど、甘美に昇華されていく。
全身に染み渡るような、活力が漲ってくる爽やかな甘さよ。クセになりそうだ。
「ああ、美味しいっ」
「そうかい、よかったねえ」
「ええ、本当に美味しい―――」
「あっ! アカシックお姉ちゃんだ!」
感想を遮る大きな呼び声に、虚を突かれて視野が広まる私。声は入口方面から聞こえてきたので、菓子を口に入れてから顔を移す。
変わった視界の先には、先ほど一階層で擦り傷を癒した子供を筆頭に、幼気な少年少女がわらわらと群がっていた。
「君は、さっきの。傷の具合は大丈夫か?」
「うんっ! アカシックお姉ちゃんがすぐに治してくれたから、走っても全然痛くないよ!」
「そうか、よかったな」
「治した?」
擦り傷を治した子供の横に居る、紺色の魔女のローブを着ている少女が言う。
「回復魔法ってやつで、転んで膝にできた傷を、あっという間に治してくれたんだ! すっごく温かくて綺麗な光だったよ」
「へぇ~。それじゃああの人、わたしと同じ魔女なんだね!」
急に声を弾ませた少女が、キラキラとしている瞳を私に合わせてきた。そのままトコトコと私の前まで歩み寄って来ると、袖から茶色くて短い杖を取り出した。
「ねえ、魔女のお姉さん! わたしの魔法を見てみてよ!」
「君の魔法を? ああ、いいぞ」
「やった! それじゃあ、火の魔法を使うね!」
火の魔法。少女が持っているのは、私も昔使った事がある練習用の杖。大きな炎は出ないと思うが……。念の為、暴発した時の事を考えて、いつでも指を鳴らせるように構えておこう。
『火の精霊よ! 我に力を貸したまえ!』
少女が唱えた詠唱は、下位の火魔法ではなく、基礎中の基礎。あらゆる勉学本の一番最初の頁に書かれているような、誰もが一度は口にする詠唱だ。
もちろん、私も唱えた事がある。火の魔法ではなく、光の魔法だけども。他属性の魔法は、迫害の地に行ってから独学で覚えた。
「えいっ!」
少女が杖に手をかざすと、杖先から蝋燭に灯っているような儚い火が、『ぽっ』と音を立たせながら現れた。
今にも消えかねない、なんとも可愛げのある小さな火よ。これぐらいなら、放置していても問題なさそうだ。
「出たっ! ねえ、魔女のお姉さん! どう?」
「すごいじゃないか。君、何歳なんだ?」
「えっとね、五歳!」
得意気な顔をしている少女が、広げた手の平を私に伸ばしてきた。五歳か。私が自分を魔女だと自覚した頃と、同じ歳だな。
けれども、私はそこから『レム』さんに光魔法を教えてもらったので、魔法を使えるようになったのは、六歳になる手前ぐらい。……む、この少女に負けてしまっている。
しかし、私はこの子の先輩だ。ここは少女を喜ばせるべく、素直に褒めてやらないと。
「五歳か。その歳で魔法を使えるなんて、将来が楽しみだ。頑張れよ」
「うんっ! わたし、がんばるねっ!」
少女への応援を後押しする為に、頭をそっと撫でてやりたいけども、聖水で清めていないからやめておこう。
まだ私の手に纏わりついているであろう数多の死が、幼気な少女に移ってしまうからな。
「ねえ、魔女のお姉さん! お姉さんの魔法も見せてよ!」
「あっ、見たい! 見せて見せて!」
「私の魔法をか?」
問い返してみれば、子供達は部屋を照らしかねない程の眩しい眼差しをしながら、大袈裟に何度も頷いてきた。
余程期待しているようだが……。さて、どうしたものか。ここ『タート』では、大規模な範囲魔法の使用は禁じられているし。中級魔法ですら、城で手続きをして正式な許可を貰わなければならない。
となると、使えるのは下位の魔法のみ。それも、比較的安全かつ平和な魔法だけ。かなり難しい注文だ。
いや、待てよ? 私には、子供を喜ばせる事が出来る、最強の魔法が二つもあるじゃないか。私の目の前に居る子供達の人数は、合計で七人。
よし。詠唱を省いた魔法でも、問題ない人数だ。おっと。その前に、おばさんの許可を貰っておかないと。
「おばさん。ここで騒がしくなる魔法を使っても、いいでしょうか?」
「その魔法は、子供達が喜ぶ魔法かい?」
おばさんの何気ない一言に、一瞬言葉が詰まる私。普通に問い掛けてきたはずなのに、どこか圧を感じる言葉だ。けど、私には絶対の自信がある。
このおばさんの質問にも、子供達の期待にも応える事が出来る、絶対の自信がな。
「ええ、必ず喜びます」
そう答えるも、おばさんは黙ったままで、店内に静寂が満ちていく。しかし数秒してから、おばさんは優しい笑みを浮かべた。
「そうかい。じゃあ、やってみなさい」
「はい、ありがとうございます」
おばさんから許可を貰えたので、安心した私は、子供達に体を向けた。
「君達は、空を飛んでみたいと思った事はあるか?」
「空を? うんっ! いっぱいあるっ!」
「僕も僕も! ドラゴンのように、ビューンって飛んでみたい!」
「あたしもっ! まだ箒で空を飛べないから、飛んでみたいってずっと思ってたっ!」
一斉にはしゃぎ出した子供達が、思っていた事をやいのやいのと話し始めた。よし、とても良い反応だ。子供なら誰しも、空を飛んでみたいと願った事があるだろう。
魔法使いや魔女もそう。箒で空を飛ぶのは、コツを掴むまでがかなり難しい。まだ小さな魔女見習いであれば、なおさらだ。私も箒で空を飛べる様になれたのは、七歳を過ぎた頃だったか。
「もしかして、僕たちを飛ばしてくれるの!?」
「本当っ!? ねえ、やってやって!」
「魔女のお姉さん! お願いっ!」
勘の鋭い子が当たっている予想を言えば、皆の期待が瞬く間に膨らんでいき、全員がワンパクそうにお願いをしてきた。
「さて、どうしようかな?」
「ええーっ!? やってよ、アカシックお姉ちゃんっ!」
「一回だけ! 一回だけでいいから!」
「魔女のお姉さん、わたしも空を飛んでみたいの! お願いっ!」
ちょっとイジワルを挟んでみれば。子供達は躍起立ち、しかめっ面で私の足元まで詰め寄ってきた。すごく必死になっている。みんなの気持ちや想いが、ひしひしと伝わってくるな。
「分かった分かった。近くに居ると危ないから、間隔を開けてくれ」
「やったーっ! みんな、離れて離れて!」
「どのぐらい離れればいいんだろう?」
「両手を広げて、ぶつからないぐらいでいいんじゃないかな?」
私の足元から子供達が離れていくと、見事な統率力で間隔を開けていく。すごいな。一人が指示を出せば、違う子が疑問を口にし、更に違う子が理想的な答えを出す。
偉い。きっと、常日頃から団体行動をしている賜物か。はたまた、秀でた教育の成果か。どちらにせよ、将来有望だな。
全員が全員、両手を広げて間隔を取っていく。周囲を確認し終えると、一斉に私の方へ顔を合わせてきた。
「ねえ、アカシックお姉ちゃん! これぐらいでいい!?」
「ああ、ちょうどいい間隔だ。それじゃあやるぞ」
安全な事を確認した私は、目線の高さに右手を入れ、指を鳴らして『ふわふわ』を発動。すると、子供達の体がふわりと浮き出し、ゆっくり上昇していった。
「わ、わっ! 浮いてる! すごいすごいっ!」
「すっげー!! 鳥になったみたいだ!」
「わたしも浮いてるっ! これが飛ぶっていう感じなんだ!」
私の体にぶつかってくるは、十人十色の嬉々とした声。みんな、無垢で良い笑顔になっている。思わず、私も感化されてしまいそうだ。
「それで終わりじゃないぞ」
そう、まだ終わりじゃない。『ぶうーん』がある。今回は七人居るので、両手を駆使して飛ばさねば。全員の注目を集めた私は、両手を挙げて『ぶうーん』を低速で発動した。
「飛んでるー! うわーっ! みんな飛んでるー!」
「すんげえーっ! めちゃくちゃ楽しいーっ!」
「わーいっ! わたしも飛べてるー! うれしいー!」
みんな大いに喜んでくれているが、私はもう、それどころじゃない。七人同時に『ぶうーん』をするのは初めてなので、ぶつからないよう飛ばすだけで精一杯だ。
おまけに菓子屋の店内は、想像していた以上に狭い。やはり、店の外でやるべきだったな。
「あらあら、みんなはしゃいじゃって。良い笑顔だこと」
興奮している大声の中に、隣に居るおばさんの声が混ざり込む。
「そうですね。みんなを喜ばせる事が出来て、よかったです」
「ええ、とても素敵な魔法じゃないか。普段から、こんな事をしてるのかい?」
「いえ。この魔法は、赤ん坊だった頃の愛娘をあやす為に作りました。他の子供に使ったのは、これが初めてです」
「あらっ。それじゃあお嬢さん、お母さんだったんだねえ。ふふっ。その愛娘さん、良いお母さんに恵まれて、幸せ者だねえ」
「娘が幸せ者、ですか?」
目線を外す事が出来ないので、子供達を視界に入れたまま質問を返す私。
「だって、そうだろ? 子供を喜ばせて、笑顔にする事が出来る魔法を使えるんだもの」
おっとりと語り出したおばさんが、一呼吸置く。
「魔女さん。これからも愛娘さんや子供達が、ああやって笑顔になれる、素敵で幸せな魔法を、たくさん作っておくれ」
「……笑顔になる、素敵で幸せな魔法、かぁ。ええ、もちろんです。任せて下さい」
『ふわふわ』や『ぶうーん』が、笑顔になれる素敵で幸せな魔法。そんな風に言われるのは、初めての事だ。そうか。こんな些細な魔法でも、人を幸せにする事が出来るんだな。
今日、この店に来て本当によかった。もし来ていなければ、『ふわふわ』と『ぶうーん』の新たな可能性を見出せず、サニーを幸せにしてやれていた事に気付かず、見落としていた大切な何かを学ぶ事が出来なかったのだから。
よし、決めた。明日は、サニーをこの店に連れて来よう。サニーも間食をした事がないから、私を唸らせた甘い菓子を食べたら、絶対に喜ぶはずだ。
気疲れを残したまま、書物と香辛料を購入したものの。これらは比較的に安く、落ち着きながら購入出来た。アルビスが指定した書物は、銀貨一枚。香辛料は、銀貨五十枚。
しかし、今日は運が良い。書物屋に新しい絵本が三冊も入荷していた。もうこの街の絵本は買い尽くしてしまっていたので、新しい絵本が入荷するのを、ずっと待っていたんだ。
「帰ったら、サニーに読み聞かせてやらないと。……む」
一息つけて気が緩んだせいか。私の腹から『くぅ』という、何かを食べさせろと催促の音が鳴った。さてと、甘い物でも食べて精をつけ、サニーが喜びそうな場所を探さないと。
「しかし……、何を食べればいいんだ?」
生まれてからこの方、甘い物はおろか、間食なぞ一度もした事がない。幼少期の頃は、甘い物の存在すら知らなかったし。知ってからも、贅沢だと思ってしようとすらしなかった。
短い間だけだが、ピースと共に『タート』に住んでからもである。朝昼晩、ちゃんとした食事が取れるだけで満足していた。
とどのつまり、今から私は贅沢をする事になる。先ほどの買い出しは、アルビスに頼まれた物なので無しだ。贅沢には入れない。むしろ早く忘れないと、金銭感覚が狂ってしまう。
「とりあえずやってみるか。贅沢というやつを」
今呟いた独り言が、ちょっと弾んでいたのを自分でも分かった。鼻もふんふんと鳴っているし、気分が高揚しているようだ。まあ、仕方ない。人生で初めての贅沢なのだから。
甘い物と言えば、子供達が集まる菓子屋。大人がこぞって入っていく様な、人目を引くお洒落な店は、あえて避けよう。こんな私には似合わない。たとえ入ったとしても、何を食べればいいのか分からないしな。
逆に菓子屋は、とても入りやすそうな雰囲気がある。購入すれば店内で食べられるらしいので、小分けして購入し、気に入った物を沢山食べればいい。よし。だんだんと見えてきたぞ、贅沢のやり方が。
早速贅沢をするべく、菓子屋へ足を運ぶ。現在の時刻は、太陽が傾いてきているので、三時過ぎといった所か。夕食までには、まだ時間がある。
相変わらず他種族の人々が行き交う大通りを抜け、喧騒が届きにくい脇道に入る。道幅はやや狭く、三人が並んで歩くと、すれ違うのがやっとな広さだ。
「確か、この辺りに……。お、あった」
店の場所は元々知っていたので、すんなりと目的の店にたどり着く事が出来た。年季が入っているのか、周りの店よりも寂れが目立つ面構えだ。
店先で遊んでいる子供達の邪魔にならぬよう、間隔を開けながら店の中へと入る。明かりは頼りない程に少なく、外は明るいのに店内は薄暗い。
鼻で呼吸をしてみると、心が躍るような甘い匂いがしてくる。匂いを堪能してから、辺りに目を配った。入口から差し込んでいる光に照らされた陳列棚には、様々な色をした菓子の数々。
色は、ほとんどが原色だ。鮮やかというよりも、警告色に近い。森の中に生えていたら、間違いなく毒物だと察し、嫌厭するか新薬の素材として採取しているだろう。
「おや、いらっしゃい」
「む」
食べるのに迷いが芽生え始めている中。左側からおっとりとした声が聞こえてきたので、そちらへ顔を向ける。
視線の先。薄暗い店の奥で、全身にほんのりと闇を纏っているおばさんが、正座をしながらニコニコとしていた。
「この店の人でしょうか?」
「ええ、そうですよ。何を買いにきたんですか?」
なぜか調子が狂う、やたらと緩くてゆったりとした喋り方だ。でも、不思議と優しい感じがする。けど、ここはどう返すべきだろうか。
一応、甘い物を食べるという目的で、この店に訪れた。だが、全てが初めて見る物なので、何を買って食べればいいのかまったく分からない。
ここは、あのおばさんにおすすめを聞いてみるべきだな。見た所、この道を数十年続けていそうな風貌をしている。間違いなく、私に合った物を教えてくれるだろう。
「えと、すみません。おすすめはどれでしょうか?」
「おすすめねぇ~。お嬢ちゃんの左側にある、透明の小袋に入った白いやつがおいしいよ」
「左側にある透明の小袋……、これか。……ん?」
今、お嬢ちゃんと言われたよな? なるほど、これで生き証人が三人になった。もう自信だけじゃない、確証も得られた。私は少女の如く、若々しいのだとな。
「じゃあ、これを下さい」
「はいはい。銅貨一枚ね」
「銅貨一枚、安い」
これまで幾度となく大量の金貨を使ってきたせいで、余計に安く感じる。小袋を携えつつおばさんに近づき、銅貨一枚を手渡した。
「ここで食べてもいいんですよね?」
「ええ、どうぞ」
「ありがとうございます、では」
許可を貰えたので、小袋に結ばれている紐を解き、封を開ける。匂いは皆無。形は、やや歪な丸。手でつまんでみると、それなりに固い事が分かった。大きさは、一cm程と小さい。
さあ、初めての贅沢だ。余す事無く味わなければ。緊張し出してきたのか、私の心臓が大きく脈を打っている。そのドクンドクンという鼓動を感じてから、おすすめされた菓子を口の中に入れた。
「……ん、甘いっ」
口に入れた瞬間溶けだして、気疲れを吹き飛ばしていくような甘さが広がっていく。じわじわと溶ければ溶けるほど、甘美に昇華されていく。
全身に染み渡るような、活力が漲ってくる爽やかな甘さよ。クセになりそうだ。
「ああ、美味しいっ」
「そうかい、よかったねえ」
「ええ、本当に美味しい―――」
「あっ! アカシックお姉ちゃんだ!」
感想を遮る大きな呼び声に、虚を突かれて視野が広まる私。声は入口方面から聞こえてきたので、菓子を口に入れてから顔を移す。
変わった視界の先には、先ほど一階層で擦り傷を癒した子供を筆頭に、幼気な少年少女がわらわらと群がっていた。
「君は、さっきの。傷の具合は大丈夫か?」
「うんっ! アカシックお姉ちゃんがすぐに治してくれたから、走っても全然痛くないよ!」
「そうか、よかったな」
「治した?」
擦り傷を治した子供の横に居る、紺色の魔女のローブを着ている少女が言う。
「回復魔法ってやつで、転んで膝にできた傷を、あっという間に治してくれたんだ! すっごく温かくて綺麗な光だったよ」
「へぇ~。それじゃああの人、わたしと同じ魔女なんだね!」
急に声を弾ませた少女が、キラキラとしている瞳を私に合わせてきた。そのままトコトコと私の前まで歩み寄って来ると、袖から茶色くて短い杖を取り出した。
「ねえ、魔女のお姉さん! わたしの魔法を見てみてよ!」
「君の魔法を? ああ、いいぞ」
「やった! それじゃあ、火の魔法を使うね!」
火の魔法。少女が持っているのは、私も昔使った事がある練習用の杖。大きな炎は出ないと思うが……。念の為、暴発した時の事を考えて、いつでも指を鳴らせるように構えておこう。
『火の精霊よ! 我に力を貸したまえ!』
少女が唱えた詠唱は、下位の火魔法ではなく、基礎中の基礎。あらゆる勉学本の一番最初の頁に書かれているような、誰もが一度は口にする詠唱だ。
もちろん、私も唱えた事がある。火の魔法ではなく、光の魔法だけども。他属性の魔法は、迫害の地に行ってから独学で覚えた。
「えいっ!」
少女が杖に手をかざすと、杖先から蝋燭に灯っているような儚い火が、『ぽっ』と音を立たせながら現れた。
今にも消えかねない、なんとも可愛げのある小さな火よ。これぐらいなら、放置していても問題なさそうだ。
「出たっ! ねえ、魔女のお姉さん! どう?」
「すごいじゃないか。君、何歳なんだ?」
「えっとね、五歳!」
得意気な顔をしている少女が、広げた手の平を私に伸ばしてきた。五歳か。私が自分を魔女だと自覚した頃と、同じ歳だな。
けれども、私はそこから『レム』さんに光魔法を教えてもらったので、魔法を使えるようになったのは、六歳になる手前ぐらい。……む、この少女に負けてしまっている。
しかし、私はこの子の先輩だ。ここは少女を喜ばせるべく、素直に褒めてやらないと。
「五歳か。その歳で魔法を使えるなんて、将来が楽しみだ。頑張れよ」
「うんっ! わたし、がんばるねっ!」
少女への応援を後押しする為に、頭をそっと撫でてやりたいけども、聖水で清めていないからやめておこう。
まだ私の手に纏わりついているであろう数多の死が、幼気な少女に移ってしまうからな。
「ねえ、魔女のお姉さん! お姉さんの魔法も見せてよ!」
「あっ、見たい! 見せて見せて!」
「私の魔法をか?」
問い返してみれば、子供達は部屋を照らしかねない程の眩しい眼差しをしながら、大袈裟に何度も頷いてきた。
余程期待しているようだが……。さて、どうしたものか。ここ『タート』では、大規模な範囲魔法の使用は禁じられているし。中級魔法ですら、城で手続きをして正式な許可を貰わなければならない。
となると、使えるのは下位の魔法のみ。それも、比較的安全かつ平和な魔法だけ。かなり難しい注文だ。
いや、待てよ? 私には、子供を喜ばせる事が出来る、最強の魔法が二つもあるじゃないか。私の目の前に居る子供達の人数は、合計で七人。
よし。詠唱を省いた魔法でも、問題ない人数だ。おっと。その前に、おばさんの許可を貰っておかないと。
「おばさん。ここで騒がしくなる魔法を使っても、いいでしょうか?」
「その魔法は、子供達が喜ぶ魔法かい?」
おばさんの何気ない一言に、一瞬言葉が詰まる私。普通に問い掛けてきたはずなのに、どこか圧を感じる言葉だ。けど、私には絶対の自信がある。
このおばさんの質問にも、子供達の期待にも応える事が出来る、絶対の自信がな。
「ええ、必ず喜びます」
そう答えるも、おばさんは黙ったままで、店内に静寂が満ちていく。しかし数秒してから、おばさんは優しい笑みを浮かべた。
「そうかい。じゃあ、やってみなさい」
「はい、ありがとうございます」
おばさんから許可を貰えたので、安心した私は、子供達に体を向けた。
「君達は、空を飛んでみたいと思った事はあるか?」
「空を? うんっ! いっぱいあるっ!」
「僕も僕も! ドラゴンのように、ビューンって飛んでみたい!」
「あたしもっ! まだ箒で空を飛べないから、飛んでみたいってずっと思ってたっ!」
一斉にはしゃぎ出した子供達が、思っていた事をやいのやいのと話し始めた。よし、とても良い反応だ。子供なら誰しも、空を飛んでみたいと願った事があるだろう。
魔法使いや魔女もそう。箒で空を飛ぶのは、コツを掴むまでがかなり難しい。まだ小さな魔女見習いであれば、なおさらだ。私も箒で空を飛べる様になれたのは、七歳を過ぎた頃だったか。
「もしかして、僕たちを飛ばしてくれるの!?」
「本当っ!? ねえ、やってやって!」
「魔女のお姉さん! お願いっ!」
勘の鋭い子が当たっている予想を言えば、皆の期待が瞬く間に膨らんでいき、全員がワンパクそうにお願いをしてきた。
「さて、どうしようかな?」
「ええーっ!? やってよ、アカシックお姉ちゃんっ!」
「一回だけ! 一回だけでいいから!」
「魔女のお姉さん、わたしも空を飛んでみたいの! お願いっ!」
ちょっとイジワルを挟んでみれば。子供達は躍起立ち、しかめっ面で私の足元まで詰め寄ってきた。すごく必死になっている。みんなの気持ちや想いが、ひしひしと伝わってくるな。
「分かった分かった。近くに居ると危ないから、間隔を開けてくれ」
「やったーっ! みんな、離れて離れて!」
「どのぐらい離れればいいんだろう?」
「両手を広げて、ぶつからないぐらいでいいんじゃないかな?」
私の足元から子供達が離れていくと、見事な統率力で間隔を開けていく。すごいな。一人が指示を出せば、違う子が疑問を口にし、更に違う子が理想的な答えを出す。
偉い。きっと、常日頃から団体行動をしている賜物か。はたまた、秀でた教育の成果か。どちらにせよ、将来有望だな。
全員が全員、両手を広げて間隔を取っていく。周囲を確認し終えると、一斉に私の方へ顔を合わせてきた。
「ねえ、アカシックお姉ちゃん! これぐらいでいい!?」
「ああ、ちょうどいい間隔だ。それじゃあやるぞ」
安全な事を確認した私は、目線の高さに右手を入れ、指を鳴らして『ふわふわ』を発動。すると、子供達の体がふわりと浮き出し、ゆっくり上昇していった。
「わ、わっ! 浮いてる! すごいすごいっ!」
「すっげー!! 鳥になったみたいだ!」
「わたしも浮いてるっ! これが飛ぶっていう感じなんだ!」
私の体にぶつかってくるは、十人十色の嬉々とした声。みんな、無垢で良い笑顔になっている。思わず、私も感化されてしまいそうだ。
「それで終わりじゃないぞ」
そう、まだ終わりじゃない。『ぶうーん』がある。今回は七人居るので、両手を駆使して飛ばさねば。全員の注目を集めた私は、両手を挙げて『ぶうーん』を低速で発動した。
「飛んでるー! うわーっ! みんな飛んでるー!」
「すんげえーっ! めちゃくちゃ楽しいーっ!」
「わーいっ! わたしも飛べてるー! うれしいー!」
みんな大いに喜んでくれているが、私はもう、それどころじゃない。七人同時に『ぶうーん』をするのは初めてなので、ぶつからないよう飛ばすだけで精一杯だ。
おまけに菓子屋の店内は、想像していた以上に狭い。やはり、店の外でやるべきだったな。
「あらあら、みんなはしゃいじゃって。良い笑顔だこと」
興奮している大声の中に、隣に居るおばさんの声が混ざり込む。
「そうですね。みんなを喜ばせる事が出来て、よかったです」
「ええ、とても素敵な魔法じゃないか。普段から、こんな事をしてるのかい?」
「いえ。この魔法は、赤ん坊だった頃の愛娘をあやす為に作りました。他の子供に使ったのは、これが初めてです」
「あらっ。それじゃあお嬢さん、お母さんだったんだねえ。ふふっ。その愛娘さん、良いお母さんに恵まれて、幸せ者だねえ」
「娘が幸せ者、ですか?」
目線を外す事が出来ないので、子供達を視界に入れたまま質問を返す私。
「だって、そうだろ? 子供を喜ばせて、笑顔にする事が出来る魔法を使えるんだもの」
おっとりと語り出したおばさんが、一呼吸置く。
「魔女さん。これからも愛娘さんや子供達が、ああやって笑顔になれる、素敵で幸せな魔法を、たくさん作っておくれ」
「……笑顔になる、素敵で幸せな魔法、かぁ。ええ、もちろんです。任せて下さい」
『ふわふわ』や『ぶうーん』が、笑顔になれる素敵で幸せな魔法。そんな風に言われるのは、初めての事だ。そうか。こんな些細な魔法でも、人を幸せにする事が出来るんだな。
今日、この店に来て本当によかった。もし来ていなければ、『ふわふわ』と『ぶうーん』の新たな可能性を見出せず、サニーを幸せにしてやれていた事に気付かず、見落としていた大切な何かを学ぶ事が出来なかったのだから。
よし、決めた。明日は、サニーをこの店に連れて来よう。サニーも間食をした事がないから、私を唸らせた甘い菓子を食べたら、絶対に喜ぶはずだ。
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リリーには幼い頃に決められた王子の婚約者がいたが、その婚約者の誕生日パーティーで婚約者はミーネと入場し挨拶して歩きファーストダンスまで踊る始末。国王と王妃に謝られ、贈り物も準備されていると宥められるが、その贈り物のドレスまでミーネが着ていた。リリーは怒ってワインボトルを持ち、美しいドレスをワイン色に染め上げるが、ミーネもリリーのドレスの裾を踏みつけ、ワインボトルからボトボトと頭から濡らされた。相手は子爵令嬢、リリーは伯爵令嬢、位の違いに国王も黙ってはいられない。婚約者はそれでも、リリーの肩を持たず、リリーは国王に婚約破棄をして欲しいと直訴する。それ受け入れられ、リリーは清々した。婚約破棄が完全に決まった後、リリーは深夜に家を飛び出し笛を吹く。会いたかったビエントに会えた。過ごすうちもっと好きになる。必死で練習した飛行魔法とささやかな攻撃魔法を身につけ、リリーは今度は自分からビエントに会いに行こうと家出をして旅を始めた。旅の途中の魔物の森で魔物に襲われ、リリーは自分の未熟さに気付き、国営の騎士団に入り、魔物狩りを始めた。最終目的はダンジョンの攻略。悪役令嬢と魔物退治、ダンジョン攻略等を混ぜてみました。メインはリリーが王妃になるまでのシンデレラストーリーです。
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彩柚月
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魔の森を挟んだ先の大きい街に出稼ぎに行った夫。待てども待てども帰らない夫を探しに妻は魔の森に脚を踏み入れた。
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【完結】公爵家の末っ子娘は嘲笑う
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※小説家になろうさんで投稿始めました
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
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メインをはれない私は、普通に令嬢やってます
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ヒロインが引き取られてきたことで、自分がラノベの悪役令嬢だったことに気が付いたシルヴェール
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(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」
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容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。
本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。
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*6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。
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