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112話、初めての贅沢

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「ふう……、やっと終わった」

 気疲れを残したまま、書物と香辛料を購入したものの。これらは比較的に安く、落ち着きながら購入出来た。アルビスが指定した書物は、銀貨一枚。香辛料は、銀貨五十枚。
 しかし、今日は運が良い。書物屋に新しい絵本が三冊も入荷していた。もうこの街の絵本は買い尽くしてしまっていたので、新しい絵本が入荷するのを、ずっと待っていたんだ。

「帰ったら、サニーに読み聞かせてやらないと。……む」

 一息つけて気が緩んだせいか。私の腹から『くぅ』という、何かを食べさせろと催促の音が鳴った。さてと、甘い物でも食べて精をつけ、サニーが喜びそうな場所を探さないと。

「しかし……、何を食べればいいんだ?」

 生まれてからこの方、甘い物はおろか、間食なぞ一度もした事がない。幼少期の頃は、甘い物の存在すら知らなかったし。知ってからも、贅沢だと思ってしようとすらしなかった。
 短い間だけだが、ピースと共に『タート』に住んでからもである。朝昼晩、ちゃんとした食事が取れるだけで満足していた。
 とどのつまり、今から私は贅沢をする事になる。先ほどの買い出しは、アルビスに頼まれた物なので無しだ。贅沢には入れない。むしろ早く忘れないと、金銭感覚が狂ってしまう。

「とりあえずやってみるか。贅沢というやつを」

 今呟いた独り言が、ちょっと弾んでいたのを自分でも分かった。鼻もふんふんと鳴っているし、気分が高揚しているようだ。まあ、仕方ない。人生で初めての贅沢なのだから。
 甘い物と言えば、子供達が集まる菓子屋。大人がこぞって入っていく様な、人目を引くお洒落な店は、あえて避けよう。こんな私には似合わない。たとえ入ったとしても、何を食べればいいのか分からないしな。
 逆に菓子屋は、とても入りやすそうな雰囲気がある。購入すれば店内で食べられるらしいので、小分けして購入し、気に入った物を沢山食べればいい。よし。だんだんと見えてきたぞ、贅沢のやり方が。

 早速贅沢をするべく、菓子屋へ足を運ぶ。現在の時刻は、太陽が傾いてきているので、三時過ぎといった所か。夕食までには、まだ時間がある。
 相変わらず他種族の人々が行き交う大通りを抜け、喧騒が届きにくい脇道に入る。道幅はやや狭く、三人が並んで歩くと、すれ違うのがやっとな広さだ。

「確か、この辺りに……。お、あった」

 店の場所は元々知っていたので、すんなりと目的の店にたどり着く事が出来た。年季が入っているのか、周りの店よりも寂れが目立つ面構えだ。
 店先で遊んでいる子供達の邪魔にならぬよう、間隔を開けながら店の中へと入る。明かりは頼りない程に少なく、外は明るいのに店内は薄暗い。
 鼻で呼吸をしてみると、心が躍るような甘い匂いがしてくる。匂いを堪能してから、辺りに目を配った。入口から差し込んでいる光に照らされた陳列棚には、様々な色をした菓子の数々。
 色は、ほとんどが原色だ。鮮やかというよりも、警告色に近い。森の中に生えていたら、間違いなく毒物だと察し、嫌厭けんえんするか新薬の素材として採取しているだろう。

「おや、いらっしゃい」

「む」

 食べるのに迷いが芽生え始めている中。左側からおっとりとした声が聞こえてきたので、そちらへ顔を向ける。
 視線の先。薄暗い店の奥で、全身にほんのりと闇を纏っているおばさんが、正座をしながらニコニコとしていた。

「この店の人でしょうか?」

「ええ、そうですよ。何を買いにきたんですか?」

 なぜか調子が狂う、やたらと緩くてゆったりとした喋り方だ。でも、不思議と優しい感じがする。けど、ここはどう返すべきだろうか。
 一応、甘い物を食べるという目的で、この店に訪れた。だが、全てが初めて見る物なので、何を買って食べればいいのかまったく分からない。
 ここは、あのおばさんにおすすめを聞いてみるべきだな。見た所、この道を数十年続けていそうな風貌をしている。間違いなく、私に合った物を教えてくれるだろう。

「えと、すみません。おすすめはどれでしょうか?」

「おすすめねぇ~。お嬢ちゃんの左側にある、透明の小袋に入った白いやつがおいしいよ」

「左側にある透明の小袋……、これか。……ん?」

 今、お嬢ちゃんと言われたよな? なるほど、これで生き証人が三人になった。もう自信だけじゃない、確証も得られた。私は少女の如く、若々しいのだとな。

「じゃあ、これを下さい」

「はいはい。銅貨一枚ね」

「銅貨一枚、安い」

 これまで幾度となく大量の金貨を使ってきたせいで、余計に安く感じる。小袋を携えつつおばさんに近づき、銅貨一枚を手渡した。

「ここで食べてもいいんですよね?」

「ええ、どうぞ」

「ありがとうございます、では」

 許可を貰えたので、小袋に結ばれている紐を解き、封を開ける。匂いは皆無。形は、やや歪な丸。手でつまんでみると、それなりに固い事が分かった。大きさは、一cm程と小さい。
 さあ、初めての贅沢だ。余す事無く味わなければ。緊張し出してきたのか、私の心臓が大きく脈を打っている。そのドクンドクンという鼓動を感じてから、おすすめされた菓子を口の中に入れた。

「……ん、甘いっ」

 口に入れた瞬間溶けだして、気疲れを吹き飛ばしていくような甘さが広がっていく。じわじわと溶ければ溶けるほど、甘美に昇華されていく。
 全身に染み渡るような、活力が漲ってくる爽やかな甘さよ。クセになりそうだ。

「ああ、美味しいっ」

「そうかい、よかったねえ」

「ええ、本当に美味しい―――」

「あっ! アカシックお姉ちゃんだ!」

 感想を遮る大きな呼び声に、虚を突かれて視野が広まる私。声は入口方面から聞こえてきたので、菓子を口に入れてから顔を移す。
 変わった視界の先には、先ほど一階層で擦り傷を癒した子供を筆頭に、幼気な少年少女がわらわらと群がっていた。

「君は、さっきの。傷の具合は大丈夫か?」

「うんっ! アカシックお姉ちゃんがすぐに治してくれたから、走っても全然痛くないよ!」

「そうか、よかったな」

「治した?」

 擦り傷を治した子供の横に居る、紺色の魔女のローブを着ている少女が言う。

「回復魔法ってやつで、転んで膝にできた傷を、あっという間に治してくれたんだ! すっごく温かくて綺麗な光だったよ」

「へぇ~。それじゃああの人、わたしと同じ魔女なんだね!」

 急に声を弾ませた少女が、キラキラとしている瞳を私に合わせてきた。そのままトコトコと私の前まで歩み寄って来ると、袖から茶色くて短い杖を取り出した。

「ねえ、魔女のお姉さん! わたしの魔法を見てみてよ!」

「君の魔法を? ああ、いいぞ」

「やった! それじゃあ、火の魔法を使うね!」

 火の魔法。少女が持っているのは、私も昔使った事がある練習用の杖。大きな炎は出ないと思うが……。念の為、暴発した時の事を考えて、いつでも指を鳴らせるように構えておこう。

『火の精霊よ! 我に力を貸したまえ!』

 少女が唱えた詠唱は、下位の火魔法ではなく、基礎中の基礎。あらゆる勉学本の一番最初の頁に書かれているような、誰もが一度は口にする詠唱だ。
 もちろん、私も唱えた事がある。火の魔法ではなく、光の魔法だけども。他属性の魔法は、迫害の地に行ってから独学で覚えた。

「えいっ!」

 少女が杖に手をかざすと、杖先から蝋燭に灯っているような儚い火が、『ぽっ』と音を立たせながら現れた。
 今にも消えかねない、なんとも可愛げのある小さな火よ。これぐらいなら、放置していても問題なさそうだ。

「出たっ! ねえ、魔女のお姉さん! どう?」

「すごいじゃないか。君、何歳なんだ?」

「えっとね、五歳!」

 得意気な顔をしている少女が、広げた手の平を私に伸ばしてきた。五歳か。私が自分を魔女だと自覚した頃と、同じ歳だな。
 けれども、私はそこから『レム』さんに光魔法を教えてもらったので、魔法を使えるようになったのは、六歳になる手前ぐらい。……む、この少女に負けてしまっている。
 しかし、私はこの子の先輩だ。ここは少女を喜ばせるべく、素直に褒めてやらないと。

「五歳か。その歳で魔法を使えるなんて、将来が楽しみだ。頑張れよ」

「うんっ! わたし、がんばるねっ!」

 少女への応援を後押しする為に、頭をそっと撫でてやりたいけども、聖水で清めていないからやめておこう。
 まだ私の手に纏わりついているであろう数多の死が、幼気な少女に移ってしまうからな。

「ねえ、魔女のお姉さん! お姉さんの魔法も見せてよ!」

「あっ、見たい! 見せて見せて!」

「私の魔法をか?」

 問い返してみれば、子供達は部屋を照らしかねない程の眩しい眼差しをしながら、大袈裟に何度もうなずいてきた。
 余程期待しているようだが……。さて、どうしたものか。ここ『タート』では、大規模な範囲魔法の使用は禁じられているし。中級魔法ですら、城で手続きをして正式な許可を貰わなければならない。
 となると、使えるのは下位の魔法のみ。それも、比較的安全かつ平和な魔法だけ。かなり難しい注文だ。

 いや、待てよ? 私には、子供を喜ばせる事が出来る、最強の魔法が二つもあるじゃないか。私の目の前に居る子供達の人数は、合計で七人。
 よし。詠唱を省いた魔法でも、問題ない人数だ。おっと。その前に、おばさんの許可を貰っておかないと。

「おばさん。ここで騒がしくなる魔法を使っても、いいでしょうか?」

「その魔法は、子供達が喜ぶ魔法かい?」

 おばさんの何気ない一言に、一瞬言葉が詰まる私。普通に問い掛けてきたはずなのに、どこか圧を感じる言葉だ。けど、私には絶対の自信がある。
 このおばさんの質問にも、子供達の期待にも応える事が出来る、絶対の自信がな。

「ええ、必ず喜びます」

 そう答えるも、おばさんは黙ったままで、店内に静寂が満ちていく。しかし数秒してから、おばさんは優しい笑みを浮かべた。

「そうかい。じゃあ、やってみなさい」

「はい、ありがとうございます」

 おばさんから許可を貰えたので、安心した私は、子供達に体を向けた。

「君達は、空を飛んでみたいと思った事はあるか?」

「空を? うんっ! いっぱいあるっ!」
「僕も僕も! ドラゴンのように、ビューンって飛んでみたい!」
「あたしもっ! まだ箒で空を飛べないから、飛んでみたいってずっと思ってたっ!」

 一斉にはしゃぎ出した子供達が、思っていた事をやいのやいのと話し始めた。よし、とても良い反応だ。子供なら誰しも、空を飛んでみたいと願った事があるだろう。
 魔法使いや魔女もそう。箒で空を飛ぶのは、コツを掴むまでがかなり難しい。まだ小さな魔女見習いであれば、なおさらだ。私も箒で空を飛べる様になれたのは、七歳を過ぎた頃だったか。

「もしかして、僕たちを飛ばしてくれるの!?」
「本当っ!? ねえ、やってやって!」
「魔女のお姉さん! お願いっ!」

 勘の鋭い子が当たっている予想を言えば、皆の期待が瞬く間に膨らんでいき、全員がワンパクそうにお願いをしてきた。

「さて、どうしようかな?」

「ええーっ!? やってよ、アカシックお姉ちゃんっ!」
「一回だけ! 一回だけでいいから!」
「魔女のお姉さん、わたしも空を飛んでみたいの! お願いっ!」

 ちょっとイジワルを挟んでみれば。子供達は躍起立ち、しかめっ面で私の足元まで詰め寄ってきた。すごく必死になっている。みんなの気持ちや想いが、ひしひしと伝わってくるな。

「分かった分かった。近くに居ると危ないから、間隔を開けてくれ」

「やったーっ! みんな、離れて離れて!」
「どのぐらい離れればいいんだろう?」
「両手を広げて、ぶつからないぐらいでいいんじゃないかな?」

 私の足元から子供達が離れていくと、見事な統率力で間隔を開けていく。すごいな。一人が指示を出せば、違う子が疑問を口にし、更に違う子が理想的な答えを出す。
 偉い。きっと、常日頃から団体行動をしている賜物か。はたまた、秀でた教育の成果か。どちらにせよ、将来有望だな。
 全員が全員、両手を広げて間隔を取っていく。周囲を確認し終えると、一斉に私の方へ顔を合わせてきた。

「ねえ、アカシックお姉ちゃん! これぐらいでいい!?」

「ああ、ちょうどいい間隔だ。それじゃあやるぞ」

 安全な事を確認した私は、目線の高さに右手を入れ、指を鳴らして『ふわふわ』を発動。すると、子供達の体がふわりと浮き出し、ゆっくり上昇していった。

「わ、わっ! 浮いてる! すごいすごいっ!」
「すっげー!! 鳥になったみたいだ!」
「わたしも浮いてるっ! これが飛ぶっていう感じなんだ!」

 私の体にぶつかってくるは、十人十色の嬉々とした声。みんな、無垢で良い笑顔になっている。思わず、私も感化されてしまいそうだ。

「それで終わりじゃないぞ」

 そう、まだ終わりじゃない。『ぶうーん』がある。今回は七人居るので、両手を駆使して飛ばさねば。全員の注目を集めた私は、両手を挙げて『ぶうーん』を低速で発動した。

「飛んでるー! うわーっ! みんな飛んでるー!」
「すんげえーっ! めちゃくちゃ楽しいーっ!」
「わーいっ! わたしも飛べてるー! うれしいー!」

 みんな大いに喜んでくれているが、私はもう、それどころじゃない。七人同時に『ぶうーん』をするのは初めてなので、ぶつからないよう飛ばすだけで精一杯だ。
 おまけに菓子屋の店内は、想像していた以上に狭い。やはり、店の外でやるべきだったな。

「あらあら、みんなはしゃいじゃって。良い笑顔だこと」

 興奮している大声の中に、隣に居るおばさんの声が混ざり込む。

「そうですね。みんなを喜ばせる事が出来て、よかったです」

「ええ、とても素敵な魔法じゃないか。普段から、こんな事をしてるのかい?」

「いえ。この魔法は、赤ん坊だった頃の愛娘をあやす為に作りました。他の子供に使ったのは、これが初めてです」

「あらっ。それじゃあお嬢さん、お母さんだったんだねえ。ふふっ。その愛娘さん、良いお母さんに恵まれて、幸せ者だねえ」

「娘が幸せ者、ですか?」

 目線を外す事が出来ないので、子供達を視界に入れたまま質問を返す私。

「だって、そうだろ? 子供を喜ばせて、笑顔にする事が出来る魔法を使えるんだもの」

 おっとりと語り出したおばさんが、一呼吸置く。

「魔女さん。これからも愛娘さんや子供達が、ああやって笑顔になれる、素敵で幸せな魔法を、たくさん作っておくれ」

「……笑顔になる、素敵で幸せな魔法、かぁ。ええ、もちろんです。任せて下さい」

 『ふわふわ』や『ぶうーん』が、笑顔になれる素敵で幸せな魔法。そんな風に言われるのは、初めての事だ。そうか。こんな些細な魔法でも、人を幸せにする事が出来るんだな。
 今日、この店に来て本当によかった。もし来ていなければ、『ふわふわ』と『ぶうーん』の新たな可能性を見出せず、サニーを幸せにしてやれていた事に気付かず、見落としていた大切な何かを学ぶ事が出来なかったのだから。
 よし、決めた。明日は、サニーをこの店に連れて来よう。サニーも間食をした事がないから、私を唸らせた甘い菓子を食べたら、絶対に喜ぶはずだ。
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