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107話、三つ目の夢、それは

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「最初は、ごく普通に話してたんだ。マナの結晶体がどうとか。へりくだらなくてもいいだとか。で、話を進めてく内に、ウンディーネ様から質問が始まったんだ」

「質問?」

「ああ。世界に旅立ってはどうですか? とな」

「世界へ? またいきなりな提案だな。なんで、そんな突拍子もない提案を?」

「内容は頑なに教えてくれなかった。けど、大体の予想はついてる。おそらく、ピースの事についでだ」

「ピース殿? 貴様とウンディーネ様は、この前が初対面のはずだろ? 何故、ウンディーネ様がピース殿を知ってるんだ?」

「それは―――」

 ……そういえば、この話、アルビスにしてもいいのだろうか? あの時ウンディーネ様は、大事な話があると言って、わざわざアルビスを外させたんだ。
 という事は、話したら駄目な気がする。しかし私は、アルビスに全てを語ると言ってしまった。ここは、一度ウンディーネ様に聞いてみた方がいいな。

「アルビス、ちょっと待っててくれ」

 アルビスに断りを入れた私は、昨日ウンディーネ様から貰った首飾りに手に当て、六角柱の形をした紺碧色の『水の証』に魔力を流し込む。
 すると『水の証』が、呼応するかのように淡く光り出した。……確か、これでいいんだよな? けど、ここからどうすればいいんだ?

『アカシックさん、どうなされましたか?』

「ひぇあっ!?」

「うおっ!?」

 いきなりウンディーネ様の柔らかな声が、頭の中に響いてきたせいで、変な声を出しながら辺りをひっきりなしに見渡す私。
 なんだ、今の感覚は!? 頭と体が、内側から撫でられた様にぞわぞわしたぞ!? ……未だに背筋がゾクゾクする。なんだか、急に不可解な視線も感じ始めた。この機能、慣れるまでが大変そうだな。

「えと……、ウンディーネ様?」

『直接喋らなくても大丈夫です。心の中や、頭の中で独り言を呟く要領で喋って頂けましたら、私にだけ聞こえます』

 心や頭の中で独り言。要は、思案するような感じでいいのだろうか? 意識してやるとなると、結構難しそうだ。

『こ、こうでしょうか……?』

『はい、そうです。とてもお上手ですよ』

『よかった……、ありがとうございます。それで、ウンディーネ様。一つ、ご質問がありまして』

『お恥ずかしながら、全て見ていました。アルビスさんについてですよね?』

『あ、見てたのですね……。そうです。先の出来事の流れを、アルビスに伝えても大丈夫でしょうか?』

『アルビスさんにだけでしたら、構いません。それ以外は、他言無用でお願い致します』

『分かりました。ありがとうございます』

 ウンディーネ様から許可を得られたので、『水の証』に流していた魔力を止めた途端、不可解な視線と体中を走っていたゾワゾワが無くなった。が、まだ背筋に気色悪い名残がある。早く取れてほしい……。
 首飾りに当てていた手を垂らし、アルビスに視線を戻す。そのアルビスはと言うと、龍眼を大きく見開いていて、驚愕した様子で半歩後退っていた。

「き、貴様の女々しい声、初めて聞いたぞ……」

「うっ……! は、恥ずかしいから、とっとと忘れろ。それよりもっ、話を続けるぞ」

「あ、ああっ、うむ。そうしてくれ」

 なんだか、一気に気まずい空気になってしまった。今度、首飾りを使ってウンディーネ様と会話をする時は、周りに誰も居ない場所でやろう。

「えっとだ。ウンディーネ様はずっと、私とサニーを見守ってくれてたらしいんだ。それで、私とピースの生い立ちを知ってる人も居るらしくてな。だからウンディーネ様が、ピースを知ってたらしい」

「ふむ……。貴様の話を真面目に聞いてると、謎が深まっていくばかりだな」

「ああ、私も頭の整理が出来てない状態だ。今まで精霊とは、『フローガンズ』ぐらいとしか喋った事がないし。それにしたって、あいつと初めて会ったのは迫害の地に来てからだし。これについても、分からない事だらけだ」

 これについては、ウンディーネ様から真実を聞かない限り、永遠に分からないだろう。いくら私達が考えようとも、絶対にたどり着けない答えだ。手がかりが少なすぎる。皆無に等しい。

「なるほど。これ以上は質問を続けても無駄なようだな。なら、本題に入ってくれ」

「分かった。それでなんだが……。私には今、三つの夢がある。けど、もし世界へ旅立つと、一つの夢が叶えられなくなってしまうんだ。だから、ウンディーネ様の提案を断るべく、三つの夢を明かした。そうしたら、ウンディーネ様の態度や言動が豹変して、あんな流れになってしまったんだ」

「そういえば、鬼気迫る表情で何かを言ってたな。あの時は余も錯乱してたから、ほとんどが聞き取れなかったが」

 やはり、アルビスもそんな状態に陥っていたのか。まあ、無理もない。いきなりウンディーネ様に召喚されたかと思えば、訳も分からぬまま殺されそうになったのだから。
 ここからが、例の流れに至った原因だ。私の心臓の鼓動が、柄にもなくだんだんと早まっていく。呼吸も、やや大きくなってきた。今の私は、かなり緊張しているようだ。

「で、その三つの夢とやらは?」

「ああ……。まず、一つ目。一つ目の夢は、ピースを生き返らせる事。が、これは旅をしながらでも出来ると判断してるから、これじゃない」

「ふむ。二つ目は?」

「二つ目の夢。それは、サニーを幸せにし続ける事。この夢も、旅をしながらでも可能だ。だから、これでもない」

「となると、三つ目の夢か」

「そう、だな……」

 途端に、私の語る口が重くなった。たぶんここが、人生の分岐点になるかもしれない。無数に枝分かれしている先の道へ、一歩足を進めてしまえば、もう引き下がる事は出来ない。
 せめて、後悔だけはしたくない。嘘偽りを交えず、確かなる真実だけを、私の想っている事を全て、アルビスに伝えよう。

「三つ目の夢。それは、お前が関係してる」

「余が? 一体、どういう事だ?」

 まだ迷いがあるのか、私の視線が勝手に落ちていった。おい、未練がましいぞ、私の心よ。もう決めた事なんだ。アルビスを待たせるんじゃない。

「私の三つ目の夢。それはな、アルビス。お前が平和な日常を送れるよう、私が影から全面的に協力する事。そして……」

 一呼吸置き、小さく息を吐く私。

「お前に、約五百年の幸せを与えてやる事だ」

 ―――言った。言い切った。言い切ってしまった。返答を待てども、アルビスは次の言葉を発してくれない。
 表情は、ほぼ真顔。小刻みに泳いでる龍眼の瞬きの回数が、やたらと早い。どうやら呆然としているようだ。

「……余に、なんだと?」

「お前が平和な日常を送れるよう、私が影から全面的に協力する事。そして、お前に約五百年分の幸せを与えてやる事だ」

 二度目を滑らかに言ってしまえば、アルビスの龍眼はみるみる見開いていく。けれども、アルビスは信じられないと言わんばかりに、首を左右に振った。

「……そうか。三つ目の夢は、余にも明かせん夢だというのが、よく分かった。貴様、その場凌ぎで分かりやすい嘘をつくんじゃない。貴様が、余に幸せを与えるだと? そんな、心にも無い嘘を―――」

「嘘じゃない、私の目を良く見てみろ。この目が、嘘をついてるように見えるか?」

 私が割って入ると、アルビスの瞳孔が開き、口をつぐんだ。その龍眼は、私一点を見据えている。
 僅かなブレもない。少しすると龍眼は細まり、普段の鋭い眼差しへと戻った。

「ほ、ほう? 嘘をつくのが上手くなったじゃないか。余の眼をもってしても、本心を語ってるようにしか見えん」

「ああ、嘘はついてないからな。本心なんだよ。私は、お前と接していく内に、お前の過去を断片的に知っていった。人間が天敵だとか。執事をしてたとか。五百年以上もの間、常に追われ身で、心身共に安らげる時がなかっただとかな」

 語るは、私が知っているアルビスの過去。今のこいつは、私を一切信用していない。だから、アルビスが私を信用してくれるまで、果敢に攻め続けてやる。

「最後のくだりを聞いた時、私は決心したんだ。アルビスにだって、平和に満ちた日常を送る権利があるはずだと。それで、もしその権利を持たずに生まれてきてしまったのであれば、私が作ってやろうと強く思ったんだ。だから、この想いは本心であり、私の本音であり、私の夢なんだ。お前を幸せにしてやりたいという、三つ目のな」

 一応、全ての想いは伝えた。けど、アルビスはまだ信じていなさそうだ。落ち着きなくそわそわしていて、目線を私に合わせては、すぐに逸らしていっている。
 どこか、粗を探している様にも見える。それか、ボロを出させる会話の流れを模索しているか。もしくは、ただ困惑しているだけなのか。

「……分かったぞ。貴様、心がまだ罪悪感に蝕まれてるんだろ? 余を長年襲い続けてきたという、白紙に戻したはずの罪悪感に! その罪滅ぼしの為だな!? そうなんだろ!?」

 声を張り上げ、私に向かって指を差すアルビス。一番懸念していた流れになってしまった。しかし、そう思われるのも仕方ない。いや、アルビスにとって、そういう考えに行き着くのが自然だ。
 が、アルビスを幸せにしたいという、この想い。決して罪滅ぼしの為ではない。次は、それについて伝えないと。

「違う。確かに、罪悪感は残ってる。とても根深く、一生モノの罪悪感がな。けど、罪滅ぼしの為じゃない。もし罪滅ぼしをするなら、別の形でやる。三つ目の夢。これは、私が幼少期の頃に決めた決心から来る想いだ」

「け、決心……?」

 私を差しているアルビスの指先が、すぅっと下へ落ちていく。

「そうだ。先にも話した通り、私は自分を魔女だと自覚した頃、一つの決心をしたんだ。『光属性の魔法や私が作った薬で、私達と同じような立場に居る人達を少しでも癒してあげて、幸せにする』という、決心をな。お前を幸せにしてやりたいという想いは、その決心からくる想いだ」

 アルビスの小さく開いていた口が、浅く閉じた。

「そしてその想いを、私の三つ目の夢にしたんだ。『お前が平和な日常を送れるよう、私が影から全面的に協力し、約五百年分の幸せを与える』、というな」

 浅く閉じた口に、力が入っているのか。整った唇が、左右横に広がっていく。紫が濃い龍眼の様子もおかしい。ほんのりと潤んでいるようだ。
 顔全体は、何かを我慢しているかのように強張っている。そして、アルビスの上がっていた両肩が、ストンと落ちた。

「……貴様が、貴様が嘘をついてない事なぞ、最初から分かってた。その想いも、本物なのだと見抜いてたさ。けど、まだ、完全には信用し切れてないんだ……。貴様に、過去の貴様が居たように。余にも、過去の余が、今の余に囁いてきてるんだ。その言葉は罠だ、信用するな。近づけば、隙を突かれて殺されるぞ、と。今の貴様が、そんなふざけた真似をしないのは分かってる。分かってるけども……! 過去の余が、今の余を執拗に邪魔してくるんだよ……」

 アルビスの強張っていた表情が、だんだんと緩んでいく。その表情から垣間見えるのは、血の匂いすら感じる葛藤。
 きっと心の中で、私に根強い恨みを持った過去のアルビスと、私達と何気ない日常を歩んで来た今のアルビスが、戦っているんだろうな。

「……アカシック・ファーストレディ。余も、過去の余を殺して、過去の出来事を全て忘れたい。だから、何個か質問をさせてくれ。頼むから、正直に答えてくれよ……?」

 すがる想いがひしひしと伝わって来るアルビスの言葉に対し、黙ってうなずく私。

「もし、もしだ。傷だらけの余が、過去、貴様らが住んでた教会に逃げ込んで来たとしよう。その時、貴様らなら、余をどうしていた?」

 アルビスは質問したつもりなのだろうけど、私には、遠回しに『助けてくれ』としか聞こえなかった。
 これは質問なんかじゃない。救いの手を差し伸べてくれという、透明な答えが殴り書きされている問題だ。
 その時の私達は、どうしていただって? そんなの決まっている。レムさんとピースは、ここには居ないけれども、私とまったく同じ答えを言っているだろう。

「神父様は、お前に『大丈夫ですか?』と言いながら手を差し伸べて。ピースと私は、お前の傷付いた体を癒し。そしてその日の内に、教会がお前の新しい家になるだろうな」

  恥ずかしげも無く言い切ると、アルビスの唇が小刻みに震え出した。

「……その教会で、余の立場は、どうなってる?」

「どうなってる? そんなの、決まってるじゃないか」

 一旦口を閉じ、あいつの心を救う言葉を口に溜める。

「お前は、私達の新たな家族になってるだろう」

 直後。アルビスの龍眼が丸くなり、口をポカンとさせる。数秒後、アルビスの顔が項垂れていった。

「……家族、かぁ。久しい言葉だなぁ……。家族、家族……」

 アルビスから聞こえてくるのは、詰まった咽び声。泣いているようで、表情がうかがえない顔から、水滴がポタポタと地面に落ちていっている。
 そして、顔を私に合わせてきたアルビスの右頬には、太い涙の線が伝っていた。

「アカシック・ファーストレディ……。余の右眼から零れているのは、なんだと思う?」

「涙、だな」

「そう、涙だ。だが、ただの涙じゃない。“感涙”だ。過去の余に打ち勝った、今の余の感涙だよ。……そうか。貴様らともっと早く出会えてたら、余は家族になれてたのか……」

 左眼からも感涙を流し始めたアルビスの顔が、再び地面へ落ちていく。

「運命に組み込まれた出会いのタイミングは、なんとこうも残酷なんだ……。貴様とは、もっと早く出会いたかったぞ……」

 掠れた声で、おそらく本音を漏らしたアルビスが、とうとう本格的に泣き出した。あの冷静沈着で、常に凛とした態度を保っているアルビスが、火が付いたように泣いている。
 きっとアルビスも、寂しい思いを相当していたはずだ。その負の感情を表には決して出さず、心の内に留めて押し殺し、ずっと我慢していたんだろう。
 そんなアルビスが、私に一部の本音を曝け出し、剥き出しの感情まで見せてくれたんだ。なら私は、その気持ちに応えてやらなければならない。

「アルビス」

 黙って私に向けてきたアルビスの顔は、涙の洪水でくしゃくしゃになっている。私はその顔を意に介さず、両手を広げた。

「一人で泣いてたら寂しいだろ? 来い、私の体を貸してやる」

「……え? いい、のか?」

「ああ、この場には私達だけしか居ないからな。私の体の中で、思いっ切り泣いてろ」

 そう催促するも、涙の洪水に沈んでいる表情に、分かりやすい困惑が宿った。そのみずみずしい困惑顔が、私の体を確かめるように上下に何度も動いていく。
 二度、三度往復し、私の顔に合わせると、おぼつかない足取りで私の方へ歩き出してきた。距離感が分かっていなかったのか、そのまま私の体とぶつかり、背中に手を回してきた。

「……これが、人の温もりというヤツか。生まれて初めて感じた……。太陽よりも暖かくて、長く凍てついてた心を溶かしてくれるような、なんとも優しい温もりよ……。……すまん、アカシック・ファーストレディ。今だけ、貴様に甘えさせてくれ……」

「ああ、どんどん甘えてこい」

 右から聞こえてくる、なんともか細いアルビスの声。私を抱きしめているアルビスの手に、ゆっくりと力が入っていく。私の右肩に顔を置いたようで、じわりと濡れたような感覚がしてきた。
 今聞こえてくるのは、何百年も我慢し続けてきたであろう、アルビスの悲痛な嗚咽だけ。なんとも悲しくて、心が痛んでくる儚い声なんだ。
 ここからはアルビスが満足するまで、ずっとこうしててやろう。そう決めた私も、アルビスの背中に回していた両手に力を込め、もっと強く抱き締めてやった。
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