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103話、曰く、天使

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 ……一瞬、ほんの僅かな一瞬。私の敗北の言葉を遮るように、涙の底に沈む全ての物が真っ白に染まった。いや、白くまたたいたんだ。
 なんだ、今の光は? ウンディーネが新たな攻撃を仕掛ける準備でもしたのだろうか? 私はもう、戦意喪失して負けを認めているというのに。どこまで用心深い奴なんだ。

『瞑想場全体が、光った……?』

 今のは、ウンディーネの声? なんで、あいつが困惑しているんだ? 私達の他に、誰かが何かをやったのか? いや、それだけは無い。ここへ連れて来られたのは、私だけなのだから。
 それにウンディーネは、『瞑想場全体が光った』と言っていたな。……待てよ? 今の光、私は何度も見た事があるような気がする。
 いや、気がするんじゃない。あるんだ、何度も。過去、アルビスと戦う前にも。エリィさんを、夫さんの元へ送る前にも。そして、この前アルビスと共闘した時にも! そうだ、今の希望の光は―――!

「……ありがとう、瞑想場! 恩に着る……!」

 私の『奥の手』が発動した合図だ。そうか。ようやく、ようやく発動してくれたのか!
 僅かな勝機が見えてきたので、周囲の様子を探るべく、涙が溢れ出している両目をローブの袖で素早くぬぐう。
 良好になった視界の先、空を仰いで見渡している分身達の姿。私から意識が逸れている。ならば、ここからは短期決戦だ! あいつらが反撃をしてくる前に、この世界を全て凍らせてやる!
 口を横に大きく広げた私は、顔を下げ、中指に親指を添えた右手を挙げた。

「ウンディーネ!!」

 わざと大声で呼び、顔を上げる。分身達はまだ、振り向きざまでいた。

「今度は、お前が詰みの番だッ!!」

『……なに? まさか、今の光は―――』

 ウンディーネが感付き、分身達と目が合った矢先。私は指を力強く鳴らした。すると、巨大な硝子が高い所から落ちたような激しい音がウンディーネの言葉を掻き消し、辺り一帯から音という音が消えた。
 目先には、詠唱を省いた氷魔法により、氷像と化して落下していく分身達。広がった視界の先、幾重にも群がっている、触手を彷彿とさせるしなった氷棒群の姿。
 これが水の鞭とやらか。そこら中に群がっている所を見ると、常に高速で動いていたという訳だな。

 再び指を鳴らして、私を囲んでいる氷棒群を砕く。細かい氷の雨に打たれてから、右手を垂らし、物静かになった空を仰いだ。
 空を限りなく狭くしていた、激流が常に流れてきていた紺碧の壁は、今や氷の絶壁。視覚的に涼し気な青翡翠色をしている。ちゃんと奥まで凍り付いているようだ。

「お陰で、絶望的な状況を覆す事が出来た。もう一度礼を言わせてくれ。ありがとう、瞑想場」

 空に向かって感謝するも返って来るのは、肌を撫でていく風のみ。けれども、まだ終わりじゃない。場所までは特定できないが、大精霊独特の魔力を感じる。
 ウンディーネが次の攻撃を仕掛けてくる前に、色々と整えておかねば。口から白い息を漏らした私は、垂らしていた右手に漆黒色の箒を召喚。跨ってから『ふわふわ』を解除した。

「出て来い、“火”、“風”、“土”、“氷”、“光”」

 杖を召喚し直し、目の前に出てきた光の杖を掴む。

「光の加護よ」

 光の魔法壁を展開し、指を鳴らして詠唱を省いて損ねた分の効力を補ぎ、ついでに効果を限界まで底上げしておく。これで、サニーを護ってくれている魔法壁ほどの硬度となった。
 最初からこうしていれば、水の鞭で瀕死になる事もなかったはずなのに。“気まぐれな中立者”を召喚した辺りから、冷静さをずっと欠いていた証拠だな。

「む」

 視界の右側から、氷に亀裂が入っていくような軋んだ音を連続で確認。箒を動かし、音が止まない方へ体ごと向ける。
 視界を移した直後。対面にある氷壁の一部が、爆発音を轟かせながら炸裂。同時に発生した白いモヤの下から、大きな氷の残骸が現れては、煙の糸を引いて闇の底へ落ちていく。
 白いモヤはすぐに流れていき。晴れた煙の中から、左半身が凍っていて、右手を前にかざし、肩で息をしている険しい表情をしたウンディーネの本体が、深紅色の右目で私を睨みつけていた。

「生きてたのか、しぶとい奴め」

「下位の氷魔法如きで、私を倒せると思うなよ?」

「その割には、半身創痍のようだが?」

「……クッ!」

 挑発が効いたのか。左半身を覆っている氷に亀裂が入り、ポロポロと剥がれ落ちていく。ただ周りが凍り付いていただけのようで、左半身は無傷を保っていた。

「私とした事が、勝ちを確信して油断していたよ……。おのれ、いつ『奥の手』を使った?」

「“気まぐれな中立者”の中でさ。発動するかどうか分からなかったから、賭けに近い状態で叫び散らかしてたよ」

 素直に答えようとも、ウンディーネは荒く呼吸をしたままで返答はない。質問から察するに、あの時は周囲の壁が全て凍り付いていただろうし、聞こえていなかったのかもな。
 はたまた、大声で独り言を喋っている、哀れな魔女だと嘲笑っていたのか。まあ、どっちでもいい。私が負けさえしなければ。

「で、どうする? まだやるのか?」

「無論だ! どんな手を使ってでもお前を倒し、世界へ旅立たせてやる!」

 そう怒気を飛ばしてきたウンディーネが、紺碧の三叉槍を前へかざす。

『怒涛を司りし海神達に告ぐ! 神の裁きを下す―――』

 詠唱からして召喚魔法。長くて豊かな髭を生やした、尊厳高い男性の横顔が描かれた魔法陣が出てきたけども、あんな詠唱や模様、見た事も聞いた事もない。
 それに、信じられない程の高密度な魔力が、あの魔法陣から放たれている。このまま放置していると『奥の手』で覆ったこの場が、また覆りそうな気がしてならない。早々に止めないと。
 未知の召喚魔法を使われる前に処理するべく、私は浮かんでいた氷の杖を左手で掴み、前にかざした。

『瞑想場よ。お前の麗しき景観を台無しにしたのは、水の魔法だ。どうだ、水の魔法陣が憎々しいだろう? お前の赴くままに、罰を下してやれ』

『―――契約者の、なっ!?』

 鬱憤が溜まっている瞑想場に指示を出してみれば。幻想的な光を瞬かせていた、ウンディーネの魔法陣が瞬時に凍り付き、音を立たせて砕け散り、水色の粒子となって風に流されていった。

「私の、魔法陣が……」

「私もだが、もうここで水の魔法は使えなくなった。さあ、どうする? まだやるか?」

 ただただ呆然とするウンディーネ。どうやら、他属性の魔法は使えないみたいだ。が、ウンディーネの抜けた面が食いしばり、闘志を失っていない紺碧の三叉槍の槍先を、私にかざした。

「魔法が使えないのであれば、直接お前を貫くまで! 行くぞッ! ハァァッ!!」

 紺碧の三叉槍を後方に引いたウンディーネが、幾重にも発生した白い壁を突破しながら猛突進を開始。
 なるほど、あの紺碧の三叉槍は飾りでは無いようだ。間合いを詰められて近接の格闘に持ち込まれた場合、私に分が悪すぎる。
 魔法で剣や斧は作れるけども、私に扱えるほどの知識や筋力も無ければ、避ける術も知らない。あっという間に体がバラバラになってしまうだろう。
 逆に言ってしまえば、距離を取り続けていれば脅威ではないという事だ。よし。あいつらを召喚して、決着を付けてしまおう。
 勝利への道筋を決めた私は、左手に持っていた氷の杖を手放し、土の杖に持ち変える。そして、視界の真中心にいるウンディーネに向けて、杖先をかざした。

『生命を宿す者の基部にして、生命の残した証を慈悲なる心で抱擁せし台地。その証を護る絶対暴君に告ぐ。“竜のくさび”、“覇者の右腕”、慈悲なる心を今一度捨てよ』

 前に山蜘蛛と戦った時に使用した召喚魔法の詠唱を唱えると、視界一杯に満遍なく、やる気に満ちている山の模様が描かれた土色の魔法陣が浮かび上がった。
 決着用に使おうと思っている召喚魔法は、召喚され切るまでが長いので、まずはウンディーネとの距離を離さなければ。

『“竜の楔”に告ぐ。向かって来る敵の足止めを。“覇者の右腕”に告ぐ。動きが鈍くなった敵を、怒れる大地の力で殴りつけてやれ』

 ウンディーネとの距離を測りつつ、最後の合図を言うタイミングを待つ私。“覇者の右腕”の攻撃範囲は、かなり短い。こいつが空振ってしまうと、途端に戦況が悪化してしまう。それだけは避けないと。
 まだ遠い、焦るな。距離を見極めろ。ウンディーネの輪郭が、徐々に大きくなってきた。……もう少し。―――ここ!

『契約者の名は“アカシック”!』

 最後の合図を唱えた直後。土の魔法陣から、“竜の楔”の断面が出現。ほぼ同時、前方から氷壁が砕けんばかりの強烈な衝突音が、私の全身を殴り付けた。
 前方の状態を確認するべく、上昇する私。魔法陣の上に到達し、“竜の楔”の体が向かって行く先の光景に視線を移す。
 視線の先。ウンディーネと接敵している“竜の楔”の先頭部分が、二つに裂けながら前方に流れていく様を認めた。だが、ウンディーネの突進は止まっていない。じりじりと前へ進んで来ている。
 理想の流れだ。“竜の楔”に真っ向から挑んだ時点で、お前の負けだよ、ウンディーネ。念の為、想定外な攻撃を警戒しつつ周囲に目を配り、光の杖先を空へかざした。

『天地万物に等しき光明を差す、闇と対を成す光に告ぐ。“天翔ける極光鳥”、天罰を下す刻が来た。差す光明を今一度閉じよ』

 決着を付けるは、先ほど召喚し損ねた“天翔ける極光鳥”。ウンディーネが魔法を使えない今、光芒と化した“天翔ける極光鳥”を防ぐ術はないだろう。それに、こいつも不燃焼気味だろうからな。花を持たせてやらねば。
 私の左右に、光の魔法陣が浮かび上がると、“竜の楔”が召喚され切ったようで、土の魔法陣に現れ続けていた断面が途切れた。
 尾までも二つに裂くと、“竜の楔”に耐え切ったウンディーネが紺碧の三叉槍を荒々しく横に振り、再び後ろに構える。

「覚悟しろ! アカシック・ファースト、……ガァッ!?」

 しかし、追撃はそれだけでは終わらない。再び猛突進を始めるも、“覇者の右腕”の巨大な拳が、ウンディーネに直撃。瞬間、対面にある氷壁に大気を揺るがす衝突音が木霊した。
 対面の氷壁はかなり離れているはずなのに、秒で殴り飛ばされたようだ。“覇者の左腕”と同様、こいつも万物を殴り殺しそうな破壊力がありそうだな。

『“天翔ける極光鳥”に告ぐ。敵は水を司る大精霊、ウンディーネのみ。合図は私が出す。それまでは、私の両隣で待機しててくれ。契約者の名は“アカシック”』

 最後の合図まで出すと、私を挟んでいる光の魔法陣が柔らかい光を放ち、虹色の鳥が大量に飛び出してきては、左右対称に翼の形を成した陣形を組んでいく。
 初めに召喚した時にもそうだったが、なんでこいつらはこの陣形を組むのだろうか? ほんの少しだけ、愛着が湧いてきたかもしれない。
 召喚が終わり、光の魔法陣が消えゆく最中。ウンディーネが突き刺さった対面の氷壁が、爆発を巻き起こしながら辺りに氷塊を撒き散らしていく。
 そして、また発生した白いモヤの中から、紺碧の三叉槍を後ろに構えているウンディーネが猛追してきた。

「おのれぇぇぇーーッ!! 舐めた真似を、……あっ」

 鬼気迫る表情をしながら猛突進をしていたウンディーネが、絶望を垣間見たような表情に変わり、その場に停止。構えていた紺碧の三叉槍を下へ垂らしていった。

「……天使?」

 認めた光景をそのまま口にしたウンディーネの肩が、ストンと落ちる。

「お前の負けだ、ウンディーネ」

 現実を突き付けると、ウンディーネの呆けた顔が闇の底へ向く。数秒してから私に戻してきた顔は、私が初めてウンディーネを見た時の、聖母のようにほころんでいる華奢な表情をしていた。

「悔しいですが、そのようですね」

「なんだ、ずいぶんと素直じゃないか」

「はい。魔法を全て封じられてしまいましたので、もうその攻撃を防ぐ術は持ち合わせていません。私の負けです」

 そうキッパリと敗北宣言して、どこか寂し気な笑みを見せるウンディーネ。……最後の最後に、ずるいじゃないか。そんな儚げな顔をするだなんて。

「なにか、言い残したい事はあるか?」

 せめてもの情けに声を掛けると、ウンディーネは右手を握り締め、左胸に当てた。

「アカシックさんの夢に対する強き想い、願い。そして、決して折れる事の無いその確たる意思を、私の胸に、心に、深く刻み込みました」

「……そうか。すまない、お前の気持ちに応えられなくて」

 遅すぎる後悔の念が湧いてくるも、ウンディーネは赦してくれるかように、首を横に振る。

「いえ、全てを答えられなかった不器用な私にも非があります。私がした事と言えば、アルビスさんをも巻き込んだ迷惑行為だけです。本当に申し訳ありませんでした」

 先の過ちも纏めたウンディーネが、頭を深く下げる。約三秒後、頭を上げ、口角を麗しく上げた。

「では、トドメを」

「……分かった」

 ここに来て、光を杖を握っている右手が躊躇っていて、若干震えている。けど、これで終わりにしよう。私は、私が信じた道を行く。決して後悔をしないように。
 覚悟を決めた私は、右腕に力を込めて震えを黙らせる。そしてゆっくりと、ウンディーネに杖先をかざした。

『待たせたな、“天翔ける極光鳥”達よ。ウンディーネを、貫いてくれ』

 指示を出した途端、左右の景色がけたたましい純白の光に飲み込まれていく。そのまま純白の光は、世界の全てを塗り替えていった。
 純白の色以外の物が無くなり、音すらも遠ざかっていく中。『お見事です、アカシックさん』という、ウンディーネの柔らかな声が聞こえたような気がした。
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