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100話、もう、放っておいてくれ
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空だと予想した方向に飛び出してから、何分が経った? 一番外側にある土の魔法壁は、“気まぐれな中立者”の氷煙に触れたせいで、完全に凍り付いていて機能していない。崩壊してしまうと、次は火の魔法壁が犠牲になってしまう。
もう死に体なのであれば、死に体なりに活用するまで。背後に横目を流し、風の杖から放たれているであろう竜巻の様子を窺う。
視線の先、同じく白の闇。その中に、既に凍り付いて半壊している風の魔法陣を確認。召喚主に認められた後、半壊した魔法陣は緑色の粒子に変わり、白い闇へと溶け込んでいった。
その雄姿を見届けていた風の杖を握り、真上へかざす。杖先は、火と凍り付いた土の魔法壁の間に留めた。外まで出すと、風の杖まで凍り付く可能性がある。
なので、まだ“気まぐれな中立者”の氷煙を遮ってくれている、土の魔法壁を利用させてもらう。まずは氷煙を遠ざけたいので、周りにまとわりついている氷煙を風圧で払っていく。
氷煙が遠のいた事を認め、先ほど出したうねりを上げる竜巻を再召喚。が、奥は相当深いようで、いくら振り払おうとも空が一向に見えてこない。
「“火の杖”!」
風圧で広げた空間を維持しつつ、火の杖を私の前に寄せる。風だけでは足りないのであれば、お前の天敵である火を追加してやる。
『魂をも焼き尽くすは、不老不死の爆ぜる颶風。生死の概念から解き放たれし者に、思考をも許されない永遠の眠りを。『不死鳥の息吹』!』
風の魔法陣に重なり、火の魔法陣が出現。爆発を伴う大熱線が、白の闇を強引に押しのけ、凍り付いていく爆発を私が追い越していく。
これで空間はかなり広がったので、私までも凍り付くという最悪の結末だけは免れた。『不死鳥の息吹』が“気まぐれな中立者”に押し戻されない限り、この身は安全だろう。
そう気を緩ませた矢先。『不死鳥の息吹』の粒が土の魔法陣に付着したのか、すぐ間近で小規模の爆発が起き、土の魔法陣が砕け散っていった。
残る魔法陣は三壁。一番外側となった火の魔法陣は、“気まぐれな中立者”に触れていないので未だ健在。風圧で払った空間も、周りは凍り付いて崩壊を繰り返しているけども、収縮している様子はない。
『不死鳥の息吹』もそう。“気まぐれな中立者”と拮抗しているらしく、大熱線と爆発は保たれたままだ。後はこのまま全てを維持し、氷煙から脱出するのみ。
が、ウンディーネに先回りされている可能性もある。抜け出した瞬間に攻撃でもされたら、反応出来ないかもしれない。ならば、今の内に『奥の手』を使って場を整えておかなければ。
『聞け! ウンディーネに作られし瞑想場よ! 私は今、お前の主と戦ってる!』
一語り目。さも当然の様に『奥の手』を使ったけども、この異空間とやらに、私の魔力は馴染むのだろうか? もし馴染まなかった場合、私は打つ手が無くなり、ウンディーネに負けてしまうかもしれない。
『この戦いは、私の夢を懸けた大事な戦いだ! 決して負ける訳にはいかないんだ!』
二語り目。今日の私は、やたらと声が張っているじゃないか。それ程までに、必死になっているんだな。そりゃそうだ。私が負ければ、アルビスを幸せにしてあげるという夢が、ウンディーネに奪われてしまうのだから。
『だから、瞑想場よ! お前の手を貸して欲しい! ここで頼れるのはお前しかいないんだ!』
三語り目。最早、語りというよりも懇願に近いわがまま。ウンディーネに作られた瞑想場は、立場上私の敵だ。下手したら、私に眼中が無く、聞く耳すら持っていないかもしれない。
『頼む! 私の声に耳を傾けて―――』
四語り目の途中。白の闇に明るみが帯びたかと思えば、私の視界から消え失せていった。
「……なるほど? これだと、“気まぐれな中立者”の中に居た方がマシだったな」
一つの脅威から抜け出せたものの。仰ぎ続けていた視界に入り込んできた光景は、より絶望色が濃い、私を包囲している紺碧の壁。
粒の様に狭い空の縁から流れてきているのは、全てが水だ。その水で出来た全方位を囲んでいる壁は、途方にもなく高い。そして、その紺碧の壁は、私とかなり離れた場所にある。
もう消えてしまったけれども、『不死鳥の息吹』ですら届くか怪しい距離だな。しかもあの壁は、先の景色がまったく見えない。深海の如く深そうだ。
下は、濃霧の様に漂っている“気まぐれな中立者”。効果が切れたようで、だんだんと薄まってきている。触れていた紺碧の壁はしっかりと凍り付いていたけど、上から流れてきている膨大な水の壁が、それを瞬く間に覆い隠してしまった。
「これが、大精霊の力か。すごいな……」
現状為す術がなく、圧倒的な力の差を見せつけられ、ため息のように称賛の言葉をこぼす私。この水全てがウンディーネだとすれば、これから始まるのは、ただの嬲り殺しだ。
もう打開策は『奥の手』しかない。私の言葉に早く応えてくれ、瞑想場よ……!
『詰みだ、アカシック・ファーストレディ』
四方から重なって飛んでくる、勝ち誇ったようなウンディーネの声。確かに、詰んでいるのは間違いない。『奥の手』以外で、この状況を打破できる魔法を持ち合わせていないのだから。
「どこが詰んでるんだ? 私はこの通り、まだピンピンしてるぞ」
『虚勢を張るな、現実から目を背けるのをやめろ。今すぐ諦めてくれれば、攻撃しない事を約束しよう』
こいつめ、私の口から言わせるつもりだな? 『負けた』と『アルビスの事を諦める』という、二つの敗北宣言を。いや、わざわざ挑発に乗るな、私よ。
もしこのまま攻撃が始まってしまったら、いつ発動するのか分からない『奥の手』に備え、攻撃を避け続けなければならない。
四方八方から飛んで来るであろう、熾烈を極めた間髪を入れぬ一方的な攻撃と、見逃してしまいそうなほど小さな水しぶきをだ。
この限りなく広い限定的な空間では、私の分が悪すぎる。どこへ逃げようとも変わらない。ただ、ウンディーネの手の平で飛び続けているに過ぎない。
私の勝利条件は、ただ一つ。『奥の手』が発動する事のみ。それさえ発動してしまえば、この絶望的な状況を下級の魔法で覆す事が出来る。さて、これからどれだけ時間を伸ばせるだろうか……。
「諦めろとは、アルビスの事をか?」
『そうだ。お前はただ、当初の夢だけを追い続けていればいい』
当初の夢、それはピースの事だろう。二度死んでしまったピースを生き返らせるといった、決して歩みを止めてはいけない夢だ。
「だから、世界へ旅立てと?」
『その通りだ。アカシック・ファーストレディ、お前は強い。この私が認めてやる。世界へ旅立てば、お前は必ず当初の夢を叶えられるだろう』
なんとも魅力の強い説得じゃないか。もしアルビスと出会う前に言われていたら、何も考えずに旅立っていただろう。
だが、今の私の心は揺らいでなんかいない。その場に佇む、水面のような平常心を保っている。
「ウンディーネ。最初に言った通り、それは出来ない相談だ」
二度断ろうとも、返ってくるのはけたたましく流れている水流の音のみ。
「もし私がアルビスの事を諦めて、ピースを生き返らせる事が出来たとしよう。ようやく念願の夢が叶い、ピースが私を抱きしめてくれて、頭を優しく撫でてくれたとしても、私は笑う事が出来ないだろうし、泣く事も出来ないだろう。なぜだか分かるか?」
問い掛けようとも、姿が見えないウンディーネからの返答は無い。
「心に深い後悔の念と、決して振り払えないわだかまりが蝕んでるからだよ。私はアルビスを見捨てて裏切り、ピースを生き返らせてしまったんだという、重い罪悪感にも駆られてるだろうさ。お前はそんな状態で夢を叶えられて、素直に喜べると思うか? 私は無理だな。一生引きずって生きていく事になる。たとえ、生き返ったピースが傍に寄り添っていてくれてもだ」
『だから、アルビスの夢については私が代わりに叶えてやる。それでは駄目なのか?』
「駄目だな、アルビスを見捨てる事には変わりない。私はもう三つの夢を叶えないと、心の底から幸せにはなれないんだ。どの夢も、決して欠けてはならない私の大事な夢なんだよ」
『一つの夢を叶えてから、もう一つの夢を叶えるのでも遅くはないはずだ。アカシック・ファーストレディ、意固地になるのはやめろ』
「確かに、私は意固地になってるかもしれない。お前が何度も提案してきた道を歩めば、ピースを生き返らせる事が出来るだろう。でもな、ウンディーネ。理屈じゃないんだよ。私が掴みたいのは、本当の幸せだ。そしてこの地を離れた時点で、アルビスを裏切る事になってしまう。罪悪感を背負いながら生きていくなんて、もう嫌なんだよ……」
思わず本音を漏らしてしまった私の口が、僅かに震え出す。今の私は、どこか感情的になっているのかもしれない。
私は『アンブラッシュ・アンカー』に殺されたピースを焼き殺してしまってから、あまりにも重い罪悪感を背負いながら生き続けてきた。九十年以上という長い時間を、ずっと。
『なら、なおさらだ。アルビスの事は諦めて、忘れろ。もしこのままでいると、お前は一生罪悪感を背負い続ける羽目になるぞ』
「アルビスの事を、忘れろ、だと……?」
駄目だ。ウンディーネの非情な追い込みが、私の冷徹さを欠いていく。唇の震えが止まらない。箒を握っている手にも移ってきた。
「ふざけるなよ? 忘れられる訳がないだろ? お前は私に、仲間を見捨てて新たな罪悪感を背負えって言ってるのか!?」
『だからこそ完全に忘れろ。頭の片隅からも、心の奥底からも全てだ。そうすれば、罪悪感を背負う事もないだろう。お前の本来の夢は、一つだけだったはずだ。その夢が、別の夢のせいで潰えてしまうんだぞ? いいのか、それで?』
「やってみなきゃ分からないだろ!? やる前から諦めろという方が間違えてるんだ!!」
『やらなくても分かるから言ってるんだ。なぜ、それを分かろうとしない? 感情でものを言うのはやめろ。私はな、お前に最適解の道を教えてやっているんだ。いい加減、御託を並べるのは止めて素直に従え!』
私を囲む紺碧の壁が、脈を打つように一瞬だけ膨れ上がった。一昔前だったら、それが最適解だっただろう。ウンディーネの言葉に従い、ピースを生き返らせて、それで幸せになれたと思う。
が、今は違う。的外れもいい所だ。アルビスを見捨てて、新たな罪悪感を背負い。ピースを生き返らせてもなお、それに一生苛まれながら生きていく事になる。
そんな未来、私は望んでなんかいない。アルビスの夢を諦めて、ピースの夢を叶えようとも、私が求めている未来にはたどり着けないんだ。どう足掻こうとも、決して。
「……分かった」
『おお、ようやく分かってくれましたか! なら―――』
「お前と私が、決して相容れぬ関係だって事が、よーく分かったよ」
『なっ……!? それは早計です、アカシックさん! 考えを改め直して下さい!』
「考えを改め直せ? 一体、どの口が言ってるんだ? アルビスの事を諦めた時点で、私はもう幸せになんかなれないんだよ。なのに対し、アルビスを殺そうとしたり、諦めろと言ってる奴と、どう分かり合えっていうんだ?」
『私はただ、あなたの事を想って……!』
「私の事を想ってくれてるのなら、頼むから私の事を諦めてくれ。私をこれ以上、惑わさないでくれ。もう、放っておいてくれ」
一方的に決別の言葉を放ってしまったから、もう話を長引かせる事も出来ない。いや、したくなかったのだろうな。だから、感情に任せて語ってしまったんだ。
けど、後悔はしていない。私は、私のやりたいようにやらせてもらう。それがきっと、私にとっての最適解なんだ。
『……もう、お前だけの問題じゃないんだよ、アカシック・ファーストレディ。ここまで来たからには、引き下がる訳にもいかない。話し合いはこれで終わりだ。力尽くで、お前を世界へ旅立たせてやる!』
「どこまで話が通じない奴なんだ、お前は。もういい、お前と話すのは疲れるだけだ。いいか? 私の意識がある内は、決して負けを認めない。さあ、来いよウンディーネ。お前の全てが間違えてるその想い、真っ向から打ち砕いてやる!」
もう死に体なのであれば、死に体なりに活用するまで。背後に横目を流し、風の杖から放たれているであろう竜巻の様子を窺う。
視線の先、同じく白の闇。その中に、既に凍り付いて半壊している風の魔法陣を確認。召喚主に認められた後、半壊した魔法陣は緑色の粒子に変わり、白い闇へと溶け込んでいった。
その雄姿を見届けていた風の杖を握り、真上へかざす。杖先は、火と凍り付いた土の魔法壁の間に留めた。外まで出すと、風の杖まで凍り付く可能性がある。
なので、まだ“気まぐれな中立者”の氷煙を遮ってくれている、土の魔法壁を利用させてもらう。まずは氷煙を遠ざけたいので、周りにまとわりついている氷煙を風圧で払っていく。
氷煙が遠のいた事を認め、先ほど出したうねりを上げる竜巻を再召喚。が、奥は相当深いようで、いくら振り払おうとも空が一向に見えてこない。
「“火の杖”!」
風圧で広げた空間を維持しつつ、火の杖を私の前に寄せる。風だけでは足りないのであれば、お前の天敵である火を追加してやる。
『魂をも焼き尽くすは、不老不死の爆ぜる颶風。生死の概念から解き放たれし者に、思考をも許されない永遠の眠りを。『不死鳥の息吹』!』
風の魔法陣に重なり、火の魔法陣が出現。爆発を伴う大熱線が、白の闇を強引に押しのけ、凍り付いていく爆発を私が追い越していく。
これで空間はかなり広がったので、私までも凍り付くという最悪の結末だけは免れた。『不死鳥の息吹』が“気まぐれな中立者”に押し戻されない限り、この身は安全だろう。
そう気を緩ませた矢先。『不死鳥の息吹』の粒が土の魔法陣に付着したのか、すぐ間近で小規模の爆発が起き、土の魔法陣が砕け散っていった。
残る魔法陣は三壁。一番外側となった火の魔法陣は、“気まぐれな中立者”に触れていないので未だ健在。風圧で払った空間も、周りは凍り付いて崩壊を繰り返しているけども、収縮している様子はない。
『不死鳥の息吹』もそう。“気まぐれな中立者”と拮抗しているらしく、大熱線と爆発は保たれたままだ。後はこのまま全てを維持し、氷煙から脱出するのみ。
が、ウンディーネに先回りされている可能性もある。抜け出した瞬間に攻撃でもされたら、反応出来ないかもしれない。ならば、今の内に『奥の手』を使って場を整えておかなければ。
『聞け! ウンディーネに作られし瞑想場よ! 私は今、お前の主と戦ってる!』
一語り目。さも当然の様に『奥の手』を使ったけども、この異空間とやらに、私の魔力は馴染むのだろうか? もし馴染まなかった場合、私は打つ手が無くなり、ウンディーネに負けてしまうかもしれない。
『この戦いは、私の夢を懸けた大事な戦いだ! 決して負ける訳にはいかないんだ!』
二語り目。今日の私は、やたらと声が張っているじゃないか。それ程までに、必死になっているんだな。そりゃそうだ。私が負ければ、アルビスを幸せにしてあげるという夢が、ウンディーネに奪われてしまうのだから。
『だから、瞑想場よ! お前の手を貸して欲しい! ここで頼れるのはお前しかいないんだ!』
三語り目。最早、語りというよりも懇願に近いわがまま。ウンディーネに作られた瞑想場は、立場上私の敵だ。下手したら、私に眼中が無く、聞く耳すら持っていないかもしれない。
『頼む! 私の声に耳を傾けて―――』
四語り目の途中。白の闇に明るみが帯びたかと思えば、私の視界から消え失せていった。
「……なるほど? これだと、“気まぐれな中立者”の中に居た方がマシだったな」
一つの脅威から抜け出せたものの。仰ぎ続けていた視界に入り込んできた光景は、より絶望色が濃い、私を包囲している紺碧の壁。
粒の様に狭い空の縁から流れてきているのは、全てが水だ。その水で出来た全方位を囲んでいる壁は、途方にもなく高い。そして、その紺碧の壁は、私とかなり離れた場所にある。
もう消えてしまったけれども、『不死鳥の息吹』ですら届くか怪しい距離だな。しかもあの壁は、先の景色がまったく見えない。深海の如く深そうだ。
下は、濃霧の様に漂っている“気まぐれな中立者”。効果が切れたようで、だんだんと薄まってきている。触れていた紺碧の壁はしっかりと凍り付いていたけど、上から流れてきている膨大な水の壁が、それを瞬く間に覆い隠してしまった。
「これが、大精霊の力か。すごいな……」
現状為す術がなく、圧倒的な力の差を見せつけられ、ため息のように称賛の言葉をこぼす私。この水全てがウンディーネだとすれば、これから始まるのは、ただの嬲り殺しだ。
もう打開策は『奥の手』しかない。私の言葉に早く応えてくれ、瞑想場よ……!
『詰みだ、アカシック・ファーストレディ』
四方から重なって飛んでくる、勝ち誇ったようなウンディーネの声。確かに、詰んでいるのは間違いない。『奥の手』以外で、この状況を打破できる魔法を持ち合わせていないのだから。
「どこが詰んでるんだ? 私はこの通り、まだピンピンしてるぞ」
『虚勢を張るな、現実から目を背けるのをやめろ。今すぐ諦めてくれれば、攻撃しない事を約束しよう』
こいつめ、私の口から言わせるつもりだな? 『負けた』と『アルビスの事を諦める』という、二つの敗北宣言を。いや、わざわざ挑発に乗るな、私よ。
もしこのまま攻撃が始まってしまったら、いつ発動するのか分からない『奥の手』に備え、攻撃を避け続けなければならない。
四方八方から飛んで来るであろう、熾烈を極めた間髪を入れぬ一方的な攻撃と、見逃してしまいそうなほど小さな水しぶきをだ。
この限りなく広い限定的な空間では、私の分が悪すぎる。どこへ逃げようとも変わらない。ただ、ウンディーネの手の平で飛び続けているに過ぎない。
私の勝利条件は、ただ一つ。『奥の手』が発動する事のみ。それさえ発動してしまえば、この絶望的な状況を下級の魔法で覆す事が出来る。さて、これからどれだけ時間を伸ばせるだろうか……。
「諦めろとは、アルビスの事をか?」
『そうだ。お前はただ、当初の夢だけを追い続けていればいい』
当初の夢、それはピースの事だろう。二度死んでしまったピースを生き返らせるといった、決して歩みを止めてはいけない夢だ。
「だから、世界へ旅立てと?」
『その通りだ。アカシック・ファーストレディ、お前は強い。この私が認めてやる。世界へ旅立てば、お前は必ず当初の夢を叶えられるだろう』
なんとも魅力の強い説得じゃないか。もしアルビスと出会う前に言われていたら、何も考えずに旅立っていただろう。
だが、今の私の心は揺らいでなんかいない。その場に佇む、水面のような平常心を保っている。
「ウンディーネ。最初に言った通り、それは出来ない相談だ」
二度断ろうとも、返ってくるのはけたたましく流れている水流の音のみ。
「もし私がアルビスの事を諦めて、ピースを生き返らせる事が出来たとしよう。ようやく念願の夢が叶い、ピースが私を抱きしめてくれて、頭を優しく撫でてくれたとしても、私は笑う事が出来ないだろうし、泣く事も出来ないだろう。なぜだか分かるか?」
問い掛けようとも、姿が見えないウンディーネからの返答は無い。
「心に深い後悔の念と、決して振り払えないわだかまりが蝕んでるからだよ。私はアルビスを見捨てて裏切り、ピースを生き返らせてしまったんだという、重い罪悪感にも駆られてるだろうさ。お前はそんな状態で夢を叶えられて、素直に喜べると思うか? 私は無理だな。一生引きずって生きていく事になる。たとえ、生き返ったピースが傍に寄り添っていてくれてもだ」
『だから、アルビスの夢については私が代わりに叶えてやる。それでは駄目なのか?』
「駄目だな、アルビスを見捨てる事には変わりない。私はもう三つの夢を叶えないと、心の底から幸せにはなれないんだ。どの夢も、決して欠けてはならない私の大事な夢なんだよ」
『一つの夢を叶えてから、もう一つの夢を叶えるのでも遅くはないはずだ。アカシック・ファーストレディ、意固地になるのはやめろ』
「確かに、私は意固地になってるかもしれない。お前が何度も提案してきた道を歩めば、ピースを生き返らせる事が出来るだろう。でもな、ウンディーネ。理屈じゃないんだよ。私が掴みたいのは、本当の幸せだ。そしてこの地を離れた時点で、アルビスを裏切る事になってしまう。罪悪感を背負いながら生きていくなんて、もう嫌なんだよ……」
思わず本音を漏らしてしまった私の口が、僅かに震え出す。今の私は、どこか感情的になっているのかもしれない。
私は『アンブラッシュ・アンカー』に殺されたピースを焼き殺してしまってから、あまりにも重い罪悪感を背負いながら生き続けてきた。九十年以上という長い時間を、ずっと。
『なら、なおさらだ。アルビスの事は諦めて、忘れろ。もしこのままでいると、お前は一生罪悪感を背負い続ける羽目になるぞ』
「アルビスの事を、忘れろ、だと……?」
駄目だ。ウンディーネの非情な追い込みが、私の冷徹さを欠いていく。唇の震えが止まらない。箒を握っている手にも移ってきた。
「ふざけるなよ? 忘れられる訳がないだろ? お前は私に、仲間を見捨てて新たな罪悪感を背負えって言ってるのか!?」
『だからこそ完全に忘れろ。頭の片隅からも、心の奥底からも全てだ。そうすれば、罪悪感を背負う事もないだろう。お前の本来の夢は、一つだけだったはずだ。その夢が、別の夢のせいで潰えてしまうんだぞ? いいのか、それで?』
「やってみなきゃ分からないだろ!? やる前から諦めろという方が間違えてるんだ!!」
『やらなくても分かるから言ってるんだ。なぜ、それを分かろうとしない? 感情でものを言うのはやめろ。私はな、お前に最適解の道を教えてやっているんだ。いい加減、御託を並べるのは止めて素直に従え!』
私を囲む紺碧の壁が、脈を打つように一瞬だけ膨れ上がった。一昔前だったら、それが最適解だっただろう。ウンディーネの言葉に従い、ピースを生き返らせて、それで幸せになれたと思う。
が、今は違う。的外れもいい所だ。アルビスを見捨てて、新たな罪悪感を背負い。ピースを生き返らせてもなお、それに一生苛まれながら生きていく事になる。
そんな未来、私は望んでなんかいない。アルビスの夢を諦めて、ピースの夢を叶えようとも、私が求めている未来にはたどり着けないんだ。どう足掻こうとも、決して。
「……分かった」
『おお、ようやく分かってくれましたか! なら―――』
「お前と私が、決して相容れぬ関係だって事が、よーく分かったよ」
『なっ……!? それは早計です、アカシックさん! 考えを改め直して下さい!』
「考えを改め直せ? 一体、どの口が言ってるんだ? アルビスの事を諦めた時点で、私はもう幸せになんかなれないんだよ。なのに対し、アルビスを殺そうとしたり、諦めろと言ってる奴と、どう分かり合えっていうんだ?」
『私はただ、あなたの事を想って……!』
「私の事を想ってくれてるのなら、頼むから私の事を諦めてくれ。私をこれ以上、惑わさないでくれ。もう、放っておいてくれ」
一方的に決別の言葉を放ってしまったから、もう話を長引かせる事も出来ない。いや、したくなかったのだろうな。だから、感情に任せて語ってしまったんだ。
けど、後悔はしていない。私は、私のやりたいようにやらせてもらう。それがきっと、私にとっての最適解なんだ。
『……もう、お前だけの問題じゃないんだよ、アカシック・ファーストレディ。ここまで来たからには、引き下がる訳にもいかない。話し合いはこれで終わりだ。力尽くで、お前を世界へ旅立たせてやる!』
「どこまで話が通じない奴なんだ、お前は。もういい、お前と話すのは疲れるだけだ。いいか? 私の意識がある内は、決して負けを認めない。さあ、来いよウンディーネ。お前の全てが間違えてるその想い、真っ向から打ち砕いてやる!」
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