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86話、蠢く黒の死を黙らせる殺気

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「スピディ!!」

「はいっす!」

 二つ以上の指示を込めて名を叫べば、スピディは真っ先にサニーちゃんの所へすっ飛んで行った。ほぼ同時、突如としてサニーちゃんの周りに魔法壁が展開。
 魔法壁が展開した原因はまだ分からねえけど、スピディのせいじゃねえと願いつつ、宝物部屋に向かい指を差す。

「てめえら! 宝物部屋に行け!」

 短い指示を聞き、一目散に宝物部屋へ走り出すカッシェ達。俺も宝物部屋を目指して駆け出し、サニーちゃんが座ってる所に横目を流す。
 既にサニーちゃんを抱えてたスピディが、その場を離脱。二人が居なくなった直後、視界の上から毒々しい紫色の液体が現れ、サニーちゃんが座ってた場所に落ちた。
 辺りに散乱してる色棒が、紫色の液体に付着するや否や。ぷつぷつと泡が立ち、紫色の液体に溶け込んでいった。……毒? それとも溶解液のたぐいか?
 見るからにやべえ液体のやや後方に、最初に入ってきたであろう蜘蛛が居やがる。口から紫色の液体が滴ってる―――。……あの野郎、サニーちゃんを殺ろうとしたな!?

「クソ野郎ッ! てめえだけはぜってえ許さねえ!!」

 あいつだけは絶対に殺すと決め、左足を踏ん張らせ、地面を滑りながら凶暴化する俺。
 その場に留まると、二倍以上膨れ上がった腕を後ろに反らし、その腕に怒りと力を限界まで込めた。

「シニクサリヤガレェッ!!」

 軋んだ音を鳴らしてる右手を、がむしゃらに振り上げる。すると、爪が描いた軌跡から三本の歪な爪撃が現れては走り出し、紫色の液体を噴出した蜘蛛に目掛けて飛んでいく。
 そいつの胴体を通ると、体が三分割に裂けて爆ぜた。が、爪撃の勢いはまだ死んでない。後ろを流れてる黒の波も裂いていく。
 最終的に爪撃は、対面にある壁まで到達して天井まで抉り、壁と天井に深い三本の傷跡を作った。

「ヴェルイン、早く!」

 もう二、三回爪撃を食らわせてやろうかと思ったが。カッシェの焦ってる催促を優先するべく、魔法壁が飛び出してる宝物部屋へ走り出す。
 宝物部屋の前で、大袈裟に手招きしてるカッシェを認めて、中に飛び込む。すぐに後ろを振り返ると、数秒前にすり抜けてきた魔法壁の下部分には、蠢く大量の黒が右往左往してた。

「あっぶね、すぐ後ろまで来てやがったのか」

「ったく。あと一秒でも遅れてたら追い付かれてたんだからね? ちゃんと周りをよく見なさいよ」

「仕方ねえだろ? 最初に入って来た奴が、サニーちゃんを溶解液かなんかで殺そうとしてたんだぜ? そんなの、許せる訳ねえだろ?」

「嘘? そんな事があったの……?」

 無我夢中で宝物部屋に走ってたんだろう。遅れた理由を明かした途端、カッシェの顔が驚愕したものに変わってった。
 まあ、無理もねえ。あんな状況下だ。黒い死の波が押し寄せて来てる最中、周りを冷静に見ろって方が難しい。俺以外に状況を把握してたのは、スピディぐらいだろうな。

「む?」

「あっ、お母さんっ!」

 たった今、背後から聞こえてきた現状をまるで理解してない平和ボケした声と、サニーちゃんの嬉しそうにしてる声を察するに……。魔法壁の効果で、レディが召喚されたようだ。
 さーて、この惨状をどう説明っすかなあ……。まずは、この真っ黒に染まったアジトを見せて、俺達が置かれてる状況を理解させねえと。

 あまり気が進まないものの、顔を宝物部屋の中央へと向ける。移した視界の中に、落ち着いた様子で立ってるイージ。部屋の隅でガタガタと震えてる、シルド、パスカ、オブラ。
 サニーちゃんを大事に抱えて座ってるスピディ。そのスピディの両前足を握ってるサニーちゃん。
 そしてサニーちゃんのすぐ横に、湯気が昇ってる木の皿を持ったレディが立ってる。
 あの木の皿に盛られてんのは、出来立てのシチューだな。長年嗅いできた匂いだから分かる。って事は、アルビスの相手をしてたのか。

「ここは……、どこだ?」

「ようこそっす、レディさん。ここは、親分のアジト内にある宝物部屋っすよ」

「宝物部屋? あっ、サニー!」

 説明を挟んだスピディに顔を向けたレディが、部屋内に響き渡る程の大声を出した。レディの大声って、初めて聞いたな。
 つか、なんで俺がスライム化してる時に、今みたいな大声で悲鳴を上げなかったんだ? 普通に出せてるじゃねえかよ。
 その限定条件下で叫べるレディが、木の皿を地面に置く。その間にスピディがサニーちゃんを離し、代わりにレディがガバッと抱きついた。

「お母さんっ、さっきぶり!」

「ようやく、ようやく逢えた……!」

 何年も会ってないようなていで再会してんなあ。まだ二、三時間しか経ってねえぞ? どんだけ途方にもなく長い三時間を味わってたんだ?
 しかし、今日のレディは感情が手に取るように分かるな。昔は全ての感情が凍ってるが如く、常に素っ気なくぶっきらぼうだったのに。
 もしかすると、さっきの流れを説明したら怒るんじゃねえか? レディが怒ってる所も見た事ねえから、想像がまったくできやしねえ。ああ、めちゃくちゃこえぇなあ……。

「レディ、ちょっと一人でこっちに来い」

「断る。サニーと離れたくない」

 速攻で拒否し、俺を睨み付けながらサニーちゃんの頬に頬ずりをするレディ。
 親馬鹿にも程度ってもんがあるけど、レディの場合は極まってんな。まあ、それほどサニーちゃんを愛してんだろうけど。

「いいから、早く来い。カッシェ、サニーちゃんの相手をしてやってくれ。いいか? 絶対にこっち側を見させんじゃねえぞ?」

「分かってるわ」

 指示に従ったカッシェが、レディの元へ歩み出すも、レディは動き出す気配を一向に見せない。
 むしろ顔を逸らして、甘えるようにサニーちゃんに抱きついてやがる。どれだけ離れたくねえんだよ。

「アカシックさん。このシチュー、サニーちゃんにあげてもいいかしら?」

「別に構わないですが……。これはアルビス専用の味付けをしてまして、とんでもなく濃いので全部はあげないで下さい」

「あら、そうなのね。気を付けるわ。それじゃあサニーちゃん、ちょっと早いけど昼食にしましょう」

 カッシェの奴、レディからかなり信頼を得てるみてえだな。レディがすぐにサニーちゃんから離れて、こっちに歩いてきやがった。
 が、顔はずっとサニーちゃんの方に向いたままだが。

「レディ、そろそろこっち向け。俺とぶつかんぞ」

「おっと、すまない。で、なんだ? 一秒でも早くサニーの所に戻りたいから、手短に頼む」

 手短に、ねえ。それで済めばいいんだがよ。

「とりあえず、前を見てみろ」

「前? ……は?」

 前にある惨状を認めても尚、無表情を貫いてほしかったんだが……。かなり不機嫌そうなしかめっ面に変わった。
 もうかなりこええ。これ以上レディの表情を拝みたくねえから、俺も前に向いちまおっと。

「……お前のアジトは、いつから蜘蛛の住処になったんだ?」

「ほんのついさっきだ。すげえ有り様だろ?」

「ああ、数の暴力っていう騒ぎじゃないな。火が灯ってる場所以外、蜘蛛に埋め尽くされてるじゃないか」

「だな。押し出されたのか、燃えてるマヌケもちらほらいやがるぜ」

 中央の大きな焚き火、壁に設置してある松明は未だに健在。しかし、それだけだ。後は全て、蠢く黒に塗り潰されてる。
 この分だと、外にも凄まじい数の蜘蛛が居そうだな。レディには悪いけども、サニーちゃんを今日ここへ招いて本当によかったぜ。
 もし招いてなかったら、為す術もなく俺以外全滅してただろうな。こんな状況を打破できるのは、俺が知る限り、レディとアルビス、二体の竜を手下に加えたファートぐらいか?

「なるほどな。こいつらが押し寄せて来たせいで、サニーの魔法壁が発動した訳か」

 都合の良いズレた解釈を口にするレディ。ここは話を合わせておきたいんだが……、嘘がバレた後の方がこええな。
 よし、嘘をつくのはやめよう。真実だけを話せばいい。後は野となれ山となれだ。さっさとレディの逆鱗に触るとするか。

「いや、それはちげえ。サニーちゃんが攻撃されたんだ」

「は……? 、だと?」

 真実を明かした直後。天敵と対峙でもしたような恐怖感と共に、今すぐここから逃げ出したくなる様な、全身をくまなく劈いてくる殺気が右側から流れてきた。
 凄まじい殺気は、アジトの方にも流れてったようで。目の前をひっきりなしに蠢いてた黒共が、一斉に動くのを止めた。
 なるほど? これが怒った時のレディか。体が凍てつく様な殺気のせいで、俺のか弱い心臓が凍りついちまいそうだ。

「ヴェルイン、一から状況を説明しろ」

 一言一言の圧がやべえ。みるみる殺気が色濃くなってく。殺気に当てられた黒共も、自分の死にゆく未来が見えちまったのか。
 入口付近に居る奴らから外へ逃げ出し始めた。いいなあ、本能のまま動いてる奴は。俺もあの中に混ざりたいぜ。

「言った通りだ。一匹の蜘蛛が、サニーちゃんに目掛けて溶解液みたいなもんを飛ばしてきてよ。それのせいで魔法壁が発動したんだ」

「その溶解液をサニーに飛ばした奴はどいつだ?」

「俺が先に爪撃で殺しといたぜ。三等分になってる死骸が、焚き火の右横で埋もれてるはずだ」

「……そうか」

 どうやら、一連の流れは理解してくれたようだ。けれども、殺意は未だに止まない。それどころか、更に増してやがる。
 次に何を話そうか考えてる中。横から短い舌打ちと、「ふざけやがって……!」という、身の毛がよだつ震えた声が聞こえてきた。

「出い来い。“火”、“風”、“水”、“土”、“氷”、“光”」

 これは、杖を召喚する合図か。前を向いたままだから分からねえけど、たぶんレディの周囲に、六つの杖が現れてんだろうな。

「スピディ」

「は、はいっす!」

「サニーの耳を塞いでてくれ。くれぐれも、こっちを見させるなよ?」

「りょ、了解っす……」

 レディがスピディに、ずいぶんと怒気の効いた訳の分からねえ指示を出した。目の前にある死よりも、横を漂う殺気のせいで首すら動かせねえ。俺もだらしねえなあ。

「なにするつもりなんだ?」

「こいつらを一匹残らず根絶やしにする」

「頼もしい限りだぜ。俺も手伝おうか?」

「ヴェルイン、一度だけしか言わないからよく聞け」

 なけなしの好意を寄せるも、途端に会話が成り立たなくなった。今のレディは、俺の方を向いてるんだろうな。
 悪寒すら感じる殺気が、全身を燃やしかねねえ熱さに変わった。すげえ息苦しい、呼吸が意に反して荒いできやがった。

「死にたくなければ、魔法壁から一歩も出るな」

「……あいよ」

 やっと絞り出せたのが、小声でのこの一言。『死にたくなければ』か。肌を物理的に刺してくる殺気のせいで、もう二回ぐらいは死に掛けたぜ。
 前を見据えていた視界に、赤い魔法壁に囲まれてるレディが映り込んだ。少し離れると、赤い魔法壁が灼熱の炎を纏い始めた。
 火属性の魔法壁か? すげえ便利だな。今の状況だと、最強の攻守を兼ね備えてやがる。

 死の波の中を悠々と歩いてるレディが、中央にある焚き火の近くまで行く。そして、周りに居る死を一切気に掛けてない様子で、両手を大きく広げた。
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