72 / 294
71話、それは、全ての始まりの悪夢
しおりを挟む
沼地帯にある私の家に帰って来るまでの間、ずっと月の下を眺めていたけれど。例の白い光達は一向に消えず、その姿を保っていたものの。
家の中へ入り、火の魔法でランプに灯りを点けた後。窓から再び月の下を確認してみたら、白い光は三つ共居なくなっていた。タイミング的にも色々とおかしい。
まるで、私を見ていたかの様な消え方だ。やはり二つの光は、エリィさんと夫さんで間違いない。が、もう一つの光の正体が未だに分からない。一体何なのだろうか?
そしてエリィさんと夫さんに、何をしでかしたんだ? ……しばらくの間は、この不可解な出来事が頭から離れそうにない。
二人に身に、何か悪い事が起きていなければいいのだが……。
「サニー、今日は絵本を読まなくてもいいのか?」
「そんなのはいいからっ! ほら、お母さんも早く入ってきて!」
既にベッドの中に入り込んでいるサニーが、布団を捲り、空いている部分を手でポンポンと叩いている。
今まで毎日の様に催促されてきたので、読み聞かせていたのに対し、今日は『そんなのはいいから』と一蹴されてしまった。
そこまでして、私の体をギュッとしたいのか。とは言っても、私も早くサニーの体を抱きしめて寝たいから、今日はもう寝てしまうか。
「じゃあ、ランプの火を消すぞ」
そう言って、天井にぶら下がっているランプに向かい、指を鳴らす私。ランプに灯っていた火が消え、辺りが一瞬だけ真っ暗になる。
数秒後。窓から差し込んでいる青白い月明かりが、部屋内を纏っている闇夜を薄明るく照らしていった。
「よし、寝るか」
「早く、早くっ!」
「分かった分かった、今行く」
太陽を起こしかねない声で催促されたので、早足でベッドへ向かう。そのままベッドの中に潜り込み、中央部分まで移動した直後。腹部にポフッと柔らかい感触がした。
確認しなくても分かるが、一応視線を下へ持っていく。そこには、私の胸元に顔を埋めながら頬ずりをしていて、「ぷはぁっ」と息を吸い、私に幸せそうな顔を合わせてきたサニーが居た。
「やっとお母さんをギュッて出来たっ!」
「すまないな、待たせてしまって」
「ほんとだよ。これからは当分の間、こうやって寝ちゃうもんね」
「当分じゃなくて、ずっとそうしてくれ」
「わかったっ!」
快諾し、再び私の胸元に顔を埋めるサニー。そのまま満足するまで頬ずりをするのかと思いきや、だんだんと勢いは弱まっていき、三十秒もしない内に眠りに落ちてしまった。
「早いな……。もう少しやっててほしかったんだが」
もう何を言っても独り言になってしまうので、私も寝てしまおう。そう決めて、寝息を立てているサニーの体を覆う様に抱きしめ、瞼をそっと閉じた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
漆黒に染まっていた世界に、一本の光の線が横に入り、闇が縦に裂ける。色付いた世界に立っているのは、幼少期の頃のピース。場所は教会の裏にある広場。
『ピース聞いて! 私ね、一つ決めた事があるんだ』
どこからともなく私の幼い声が聞こえてくる。その幼い言葉に、ピースは柔らかな笑みで応えた。
『決めた事? なんだい?』
『ふふんっ。ほら、私って魔女でしょ? だから、私達と同じような人達が少しでも幸せになれるように、私が作った薬や魔法で、みんなを幸せにしてあげたいんだ。いやっ、絶対にしてみせるんだ!』
『へえ。アカシックらしい、とても素敵な考えじゃないか。ねえ、アカシック』
『なに?』
『邪魔になるかもしれないけど、僕も何かお手伝いをしてもいいかな?』
『手伝ってくれるの!? うんっ、お願いっ!』
視界が一瞬暗くなり、場面が切り替わる。場所は、蝋燭の火が周りを淡く照らしている教会の内部。
その教会の入口には、ピースと神父様のレムさんが立っている。視界が大きく上下に揺れて、二人との距離がだんだんと狭まっていった。
『ピース! レムさん! おかえりなさい!』
私の若い声が前に飛んでいく。二人の前まで来ると、レムさんが『ただいま帰りましたよ』と優しい声で言ってきた。
『ただいま、アカシック。一人で寂しくなかったかい?』
ピースも後に続いて微笑み、視界の上に手を伸ばしてきた。視界が小刻みに左右に揺れる。
『うん! 魔法の練習をずっとしてたから、ぜんぜん寂しくなかったよ!』
『なるほど、それならよかった。そうだアカシック、これを見てよ。質の良い薬草を見つけたんだ。量もそれなりに採れたし、これなら三日分は作れるかもしれない』
ピースの左手にあるは、滑らかな艶があり、みずみずしい大量の薬草。その薬草を認めた視界が、温かな笑みをしているピースへ移る。
『すごいすごい! こんなにどこで見つけたの!?』
『ちょっと山の奥まで入り込んでみたんだ。人に荒らされた形跡が無かったから、そこらかしこで群生していたよ』
『へぇ~、そうなんだ! ねえピース、レムさん、今度私も連れてってよ!』
視界がひっきりなしに動き、ピースとレムさんを見返していく。レムさんの方で止まると、レムさんは良い案だと言わんばかりの表情をした。
『なるほど。それでは明日にでも昼食を持参して、三人で行きましょう。素晴らしい景色を拝める場所があるんですよ。そこで食べる昼食は、間違いなく美味しいでしょう』
『本当!? 楽しみだなぁ! 早く明日にならないかな~』
視界が瞬きをして、場面がまた変わった。場所は再び教会。二十列ある教会椅子には、参拝客が点々と座っていて、全員がこちらに顔を合わせてきていた。
『―――遍く癒しの光は、汝の飢えた心の穢れを祓い。讃歌の調べを謳う妖精は、印された体の爪痕を撫で潤す。汝を癒す妖精の光が、正しき道を往く道標にならんことを。『フェアリーヒーリング』』
詠唱が終わった途端。視界の下が眩く光り出し、幾何学模様の魔法陣が教会内に広がっていく。
縁が壁の外まで広がっていくと、呪文が発動し、魔法陣全体から虹色の光が現れ、教会内を満たしていった。
視界がやや動き、参拝客の様子を捉える。全員が全員、天井をキョロキョロと仰ぎ、口をポカンとさせていた。
『はあ~、すごいねアカシックちゃん。ずっと悩まされてた腰痛が治っちゃったよ』
『すげえな。左手にあった古傷が無くなっちまってらあ』
『私、目が見えるようになってる! アカシックさん、本当にありがとう!』
『この魔法を習得出来たのも、皆さんのお陰です。感謝をするのは私の方ですよ』
驚いている常連のギーニおばさん。手をまじまじと眺めているランリックさん。最近、この教会へ頻繁に訪れて来る、涙を流して感謝してきているマレイナちゃん。
その後に大人びた私の声が聞こえてきて、視界が床へ移ると、右肩からふんわりと叩かれた様な感触が走った。視界が右へ行くと、そこにはほくそ笑んでいるレムさんが居た。
『すごいじゃないですか、アカシックさん。『フェアリーヒーリング』は、最上位の光魔法ですよ? いつの間に覚えたんですか?』
『ふふっ。レムさんやピースを驚かせたくて、長年に掛けてこっそりと練習してたんですよ。昨日やっと覚えたんですが、無事に発動してよかったです』
『いやはや。一端の魔法使いや魔女が覚えるには、寿命が足りないと言われている魔法ですのに。アカシックさんの努力の賜物には、毎回驚かされてばかりですよ』
『あっ、今驚きましたね? やった! 覚えた甲斐がありました』
弾けた私の声に、微笑みの混じった苦笑いをするレムさん。
『こらこら、主旨が変わっていますよ?』
『あっはははは、すみません。嬉しくて、つい。後でピースにも見せてやろっと』
『フェアリーヒーリングを、何回も使えるんですか?』
『はい。あと三、四回は使えると思います。やはり最上位ともあってか、膨大な魔力を消費しますね』
『ふむ。普通の人だと、一回目の途中で魔力が枯渇してしまうんですがね。アカシックさんが有する魔力量は、賢者様と同等程度か、やや上回っていると言った所でしょうか』
『何を言ってるんですか? レムさんがくれた、光のマナの結晶体のお陰ですよ。あれが無かったら、何秒も使えてないと思います』
『ああ、なるほどです。そのマナの結晶体は、最―――』
理由を明かすと、レムさんが何かを言いかけている最中に、視界が瞬きをする。三度場面が切り替わり、目の前には夕日の色が移っている鮮やかな大海原。
そして視界が左へ流れて、後ろに回している両手を砂浜に突いて座り込み、神妙な面立ちで夕日を眺めているピースが映り込んだ。
『レムさんってば……。教会ごと居なくなっちゃったけど、一体どこへ行っちゃったんだろう?』
『流石に、私にも分からないな。せっかく『タート』の街で家を購入して、結婚式は教会でやろうと決めたばかりだったのに……』
『まるで、私の役目は終わりましたと言わんばかりのタイミングだよね。僕達が教会から自立したのがいけなかったのかな?』
視界が困り果てているピースから、前にある夕日に戻っていく。
『それを知ってたら、教会から一生自立しなかっただろうな。けれども、いつまでもレムさんのお世話になってる訳にいかないし……。せめて、いきなり消えた理由ぐらいは知りたかった。レムさんは、私達二人のお父さん、家族だっていうのに。こんな呆気ない別れ方、悲しいにも程がある……』
『そう、だ、ね……』
途切れ途切れなピースの声に、視界が狭まり、素早く左へ流れる。そこには横たわっているピースが居て、視界が素早くピースに近づいていった。
『ピース? ピース? ……ねえ、どうし、た……』
視界が力無く下がり、砂浜しか見えなくなる。やがて視界は弱々しく瞬きをして、目の前が真っ暗になった。
数秒後。暗闇が薄っすらと明るくなり、視界が開けていく。映ったのは、依然として夕日色に染まっている海。
『離せ! 一体何が目的なんだ!?』
『だぁーっはっはっはっはっはっ! てめえがめでてぇ千人目だ! ここは単純に、首を綺麗に刎ねてやっか!』
ピースの叫び声に、しゃがれた野太くて汚い声が追う。視界がバッと右に流れると、十字架の板に磔られたピース。
その前に、だらしなく膨らんだ腹を出している、もじゃもじゃの黒髭を生やした大男が一人。周りには、山賊を思わせる恰好した男女が数人居て、下品な声を出して笑っている。
そして視界の右側には、縄でぐるぐる巻きにされている腕と、腕に張り付いているように伸びている板が一枚。
『……なんだよ、これ? おい、そこのヒゲもじゃ! お前『アンブラッシュ・アンカー』だろ!? ピースに何をするつもりだ!?』
アンブラッシュ・アンカーと呼ばれた男が、視界に顔を合わせるや否や。口角をいやらしく上げて、がたがたに傾いている歯並びを見せつけた。
『安心しろ、てめえは千一人目にしてやる。その前に、この優男の首をだ』
背中に手を回したアンブラッシュ・アンカーが、鉄板の様に分厚く、クレイモアを彷彿とさせる重そうな剣を取り出し、後ろに構える。
『千人目ッ、行くぜぇぇええーーッッ!!』
『や、やめろ! やっ―――』
ピースが命乞いを言い切る前に、剣は横を一閃。ピースの首が真上に吹っ飛び、砂浜に落ちていった。
遅れて斬られた断面から、噴水の如く血が噴き出し、ピースの足元に血溜まりが出来始める。視界がそれを眺めた後、砂浜に落ちているピースの首に移っていく。
開いたままの黒い瞳には輝きが無く、一点を朧気に見据えたまま。『ボッ』という音と共に、視界がストンと落ち、ピースの首に近づいていった。
目の前まで来ると、左右から震えている腕が現れ、ピースの首を持ち上げる。視界がボヤけて、急激に赤みを帯びていき、ガクガクと震え出した視界が、大男を捉えた。
『……よくも、よくもピースを……! ……許さない。お前ら全員、殺してやる!!』
私の怒号を合図に、突如として砂浜一面に赤い魔法陣が出現。詠唱を唱える事なく、業火の火柱が上がり、視界が一気に真っ赤に染まっていた。
その原色の赤に染まる視界が、ゆっくりと黒ずんでいく。暫くすると両脇には、煙を昇らせている漆黒を突いている両腕。下部分には、水滴がポタポタと落ちていっていた。
『……みんな、みんな居なくなっちゃった……。レムさんも、ピースも……。なんだよ、この状況? ……教えてくれよ? なあ? 誰か、誰でもいいからっ……。なあ、なあっ!?』
視界がずぶ濡れになり、両脇にある腕が歪んでいく。聞こえるのは、さざ波の音だけ。
『……イヤだ、イヤだよぉ……。……何なんだよ、何なんだよこれ!? ふざけやがって……!! クソッ、クソッ!! ウワァァァアアアアアアーーーーーーッッ!!』
さざ波の音をも掻き消す、私の断末魔染みた大絶叫。そのままむせび泣く声は、徐々に遠ざかっていき、目の前には濃霧の様な黒いモヤがかかっていった。
家の中へ入り、火の魔法でランプに灯りを点けた後。窓から再び月の下を確認してみたら、白い光は三つ共居なくなっていた。タイミング的にも色々とおかしい。
まるで、私を見ていたかの様な消え方だ。やはり二つの光は、エリィさんと夫さんで間違いない。が、もう一つの光の正体が未だに分からない。一体何なのだろうか?
そしてエリィさんと夫さんに、何をしでかしたんだ? ……しばらくの間は、この不可解な出来事が頭から離れそうにない。
二人に身に、何か悪い事が起きていなければいいのだが……。
「サニー、今日は絵本を読まなくてもいいのか?」
「そんなのはいいからっ! ほら、お母さんも早く入ってきて!」
既にベッドの中に入り込んでいるサニーが、布団を捲り、空いている部分を手でポンポンと叩いている。
今まで毎日の様に催促されてきたので、読み聞かせていたのに対し、今日は『そんなのはいいから』と一蹴されてしまった。
そこまでして、私の体をギュッとしたいのか。とは言っても、私も早くサニーの体を抱きしめて寝たいから、今日はもう寝てしまうか。
「じゃあ、ランプの火を消すぞ」
そう言って、天井にぶら下がっているランプに向かい、指を鳴らす私。ランプに灯っていた火が消え、辺りが一瞬だけ真っ暗になる。
数秒後。窓から差し込んでいる青白い月明かりが、部屋内を纏っている闇夜を薄明るく照らしていった。
「よし、寝るか」
「早く、早くっ!」
「分かった分かった、今行く」
太陽を起こしかねない声で催促されたので、早足でベッドへ向かう。そのままベッドの中に潜り込み、中央部分まで移動した直後。腹部にポフッと柔らかい感触がした。
確認しなくても分かるが、一応視線を下へ持っていく。そこには、私の胸元に顔を埋めながら頬ずりをしていて、「ぷはぁっ」と息を吸い、私に幸せそうな顔を合わせてきたサニーが居た。
「やっとお母さんをギュッて出来たっ!」
「すまないな、待たせてしまって」
「ほんとだよ。これからは当分の間、こうやって寝ちゃうもんね」
「当分じゃなくて、ずっとそうしてくれ」
「わかったっ!」
快諾し、再び私の胸元に顔を埋めるサニー。そのまま満足するまで頬ずりをするのかと思いきや、だんだんと勢いは弱まっていき、三十秒もしない内に眠りに落ちてしまった。
「早いな……。もう少しやっててほしかったんだが」
もう何を言っても独り言になってしまうので、私も寝てしまおう。そう決めて、寝息を立てているサニーの体を覆う様に抱きしめ、瞼をそっと閉じた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
漆黒に染まっていた世界に、一本の光の線が横に入り、闇が縦に裂ける。色付いた世界に立っているのは、幼少期の頃のピース。場所は教会の裏にある広場。
『ピース聞いて! 私ね、一つ決めた事があるんだ』
どこからともなく私の幼い声が聞こえてくる。その幼い言葉に、ピースは柔らかな笑みで応えた。
『決めた事? なんだい?』
『ふふんっ。ほら、私って魔女でしょ? だから、私達と同じような人達が少しでも幸せになれるように、私が作った薬や魔法で、みんなを幸せにしてあげたいんだ。いやっ、絶対にしてみせるんだ!』
『へえ。アカシックらしい、とても素敵な考えじゃないか。ねえ、アカシック』
『なに?』
『邪魔になるかもしれないけど、僕も何かお手伝いをしてもいいかな?』
『手伝ってくれるの!? うんっ、お願いっ!』
視界が一瞬暗くなり、場面が切り替わる。場所は、蝋燭の火が周りを淡く照らしている教会の内部。
その教会の入口には、ピースと神父様のレムさんが立っている。視界が大きく上下に揺れて、二人との距離がだんだんと狭まっていった。
『ピース! レムさん! おかえりなさい!』
私の若い声が前に飛んでいく。二人の前まで来ると、レムさんが『ただいま帰りましたよ』と優しい声で言ってきた。
『ただいま、アカシック。一人で寂しくなかったかい?』
ピースも後に続いて微笑み、視界の上に手を伸ばしてきた。視界が小刻みに左右に揺れる。
『うん! 魔法の練習をずっとしてたから、ぜんぜん寂しくなかったよ!』
『なるほど、それならよかった。そうだアカシック、これを見てよ。質の良い薬草を見つけたんだ。量もそれなりに採れたし、これなら三日分は作れるかもしれない』
ピースの左手にあるは、滑らかな艶があり、みずみずしい大量の薬草。その薬草を認めた視界が、温かな笑みをしているピースへ移る。
『すごいすごい! こんなにどこで見つけたの!?』
『ちょっと山の奥まで入り込んでみたんだ。人に荒らされた形跡が無かったから、そこらかしこで群生していたよ』
『へぇ~、そうなんだ! ねえピース、レムさん、今度私も連れてってよ!』
視界がひっきりなしに動き、ピースとレムさんを見返していく。レムさんの方で止まると、レムさんは良い案だと言わんばかりの表情をした。
『なるほど。それでは明日にでも昼食を持参して、三人で行きましょう。素晴らしい景色を拝める場所があるんですよ。そこで食べる昼食は、間違いなく美味しいでしょう』
『本当!? 楽しみだなぁ! 早く明日にならないかな~』
視界が瞬きをして、場面がまた変わった。場所は再び教会。二十列ある教会椅子には、参拝客が点々と座っていて、全員がこちらに顔を合わせてきていた。
『―――遍く癒しの光は、汝の飢えた心の穢れを祓い。讃歌の調べを謳う妖精は、印された体の爪痕を撫で潤す。汝を癒す妖精の光が、正しき道を往く道標にならんことを。『フェアリーヒーリング』』
詠唱が終わった途端。視界の下が眩く光り出し、幾何学模様の魔法陣が教会内に広がっていく。
縁が壁の外まで広がっていくと、呪文が発動し、魔法陣全体から虹色の光が現れ、教会内を満たしていった。
視界がやや動き、参拝客の様子を捉える。全員が全員、天井をキョロキョロと仰ぎ、口をポカンとさせていた。
『はあ~、すごいねアカシックちゃん。ずっと悩まされてた腰痛が治っちゃったよ』
『すげえな。左手にあった古傷が無くなっちまってらあ』
『私、目が見えるようになってる! アカシックさん、本当にありがとう!』
『この魔法を習得出来たのも、皆さんのお陰です。感謝をするのは私の方ですよ』
驚いている常連のギーニおばさん。手をまじまじと眺めているランリックさん。最近、この教会へ頻繁に訪れて来る、涙を流して感謝してきているマレイナちゃん。
その後に大人びた私の声が聞こえてきて、視界が床へ移ると、右肩からふんわりと叩かれた様な感触が走った。視界が右へ行くと、そこにはほくそ笑んでいるレムさんが居た。
『すごいじゃないですか、アカシックさん。『フェアリーヒーリング』は、最上位の光魔法ですよ? いつの間に覚えたんですか?』
『ふふっ。レムさんやピースを驚かせたくて、長年に掛けてこっそりと練習してたんですよ。昨日やっと覚えたんですが、無事に発動してよかったです』
『いやはや。一端の魔法使いや魔女が覚えるには、寿命が足りないと言われている魔法ですのに。アカシックさんの努力の賜物には、毎回驚かされてばかりですよ』
『あっ、今驚きましたね? やった! 覚えた甲斐がありました』
弾けた私の声に、微笑みの混じった苦笑いをするレムさん。
『こらこら、主旨が変わっていますよ?』
『あっはははは、すみません。嬉しくて、つい。後でピースにも見せてやろっと』
『フェアリーヒーリングを、何回も使えるんですか?』
『はい。あと三、四回は使えると思います。やはり最上位ともあってか、膨大な魔力を消費しますね』
『ふむ。普通の人だと、一回目の途中で魔力が枯渇してしまうんですがね。アカシックさんが有する魔力量は、賢者様と同等程度か、やや上回っていると言った所でしょうか』
『何を言ってるんですか? レムさんがくれた、光のマナの結晶体のお陰ですよ。あれが無かったら、何秒も使えてないと思います』
『ああ、なるほどです。そのマナの結晶体は、最―――』
理由を明かすと、レムさんが何かを言いかけている最中に、視界が瞬きをする。三度場面が切り替わり、目の前には夕日の色が移っている鮮やかな大海原。
そして視界が左へ流れて、後ろに回している両手を砂浜に突いて座り込み、神妙な面立ちで夕日を眺めているピースが映り込んだ。
『レムさんってば……。教会ごと居なくなっちゃったけど、一体どこへ行っちゃったんだろう?』
『流石に、私にも分からないな。せっかく『タート』の街で家を購入して、結婚式は教会でやろうと決めたばかりだったのに……』
『まるで、私の役目は終わりましたと言わんばかりのタイミングだよね。僕達が教会から自立したのがいけなかったのかな?』
視界が困り果てているピースから、前にある夕日に戻っていく。
『それを知ってたら、教会から一生自立しなかっただろうな。けれども、いつまでもレムさんのお世話になってる訳にいかないし……。せめて、いきなり消えた理由ぐらいは知りたかった。レムさんは、私達二人のお父さん、家族だっていうのに。こんな呆気ない別れ方、悲しいにも程がある……』
『そう、だ、ね……』
途切れ途切れなピースの声に、視界が狭まり、素早く左へ流れる。そこには横たわっているピースが居て、視界が素早くピースに近づいていった。
『ピース? ピース? ……ねえ、どうし、た……』
視界が力無く下がり、砂浜しか見えなくなる。やがて視界は弱々しく瞬きをして、目の前が真っ暗になった。
数秒後。暗闇が薄っすらと明るくなり、視界が開けていく。映ったのは、依然として夕日色に染まっている海。
『離せ! 一体何が目的なんだ!?』
『だぁーっはっはっはっはっはっ! てめえがめでてぇ千人目だ! ここは単純に、首を綺麗に刎ねてやっか!』
ピースの叫び声に、しゃがれた野太くて汚い声が追う。視界がバッと右に流れると、十字架の板に磔られたピース。
その前に、だらしなく膨らんだ腹を出している、もじゃもじゃの黒髭を生やした大男が一人。周りには、山賊を思わせる恰好した男女が数人居て、下品な声を出して笑っている。
そして視界の右側には、縄でぐるぐる巻きにされている腕と、腕に張り付いているように伸びている板が一枚。
『……なんだよ、これ? おい、そこのヒゲもじゃ! お前『アンブラッシュ・アンカー』だろ!? ピースに何をするつもりだ!?』
アンブラッシュ・アンカーと呼ばれた男が、視界に顔を合わせるや否や。口角をいやらしく上げて、がたがたに傾いている歯並びを見せつけた。
『安心しろ、てめえは千一人目にしてやる。その前に、この優男の首をだ』
背中に手を回したアンブラッシュ・アンカーが、鉄板の様に分厚く、クレイモアを彷彿とさせる重そうな剣を取り出し、後ろに構える。
『千人目ッ、行くぜぇぇええーーッッ!!』
『や、やめろ! やっ―――』
ピースが命乞いを言い切る前に、剣は横を一閃。ピースの首が真上に吹っ飛び、砂浜に落ちていった。
遅れて斬られた断面から、噴水の如く血が噴き出し、ピースの足元に血溜まりが出来始める。視界がそれを眺めた後、砂浜に落ちているピースの首に移っていく。
開いたままの黒い瞳には輝きが無く、一点を朧気に見据えたまま。『ボッ』という音と共に、視界がストンと落ち、ピースの首に近づいていった。
目の前まで来ると、左右から震えている腕が現れ、ピースの首を持ち上げる。視界がボヤけて、急激に赤みを帯びていき、ガクガクと震え出した視界が、大男を捉えた。
『……よくも、よくもピースを……! ……許さない。お前ら全員、殺してやる!!』
私の怒号を合図に、突如として砂浜一面に赤い魔法陣が出現。詠唱を唱える事なく、業火の火柱が上がり、視界が一気に真っ赤に染まっていた。
その原色の赤に染まる視界が、ゆっくりと黒ずんでいく。暫くすると両脇には、煙を昇らせている漆黒を突いている両腕。下部分には、水滴がポタポタと落ちていっていた。
『……みんな、みんな居なくなっちゃった……。レムさんも、ピースも……。なんだよ、この状況? ……教えてくれよ? なあ? 誰か、誰でもいいからっ……。なあ、なあっ!?』
視界がずぶ濡れになり、両脇にある腕が歪んでいく。聞こえるのは、さざ波の音だけ。
『……イヤだ、イヤだよぉ……。……何なんだよ、何なんだよこれ!? ふざけやがって……!! クソッ、クソッ!! ウワァァァアアアアアアーーーーーーッッ!!』
さざ波の音をも掻き消す、私の断末魔染みた大絶叫。そのままむせび泣く声は、徐々に遠ざかっていき、目の前には濃霧の様な黒いモヤがかかっていった。
0
お気に入りに追加
42
あなたにおすすめの小説
絶対に間違えないから
mahiro
恋愛
あれは事故だった。
けれど、その場には彼女と仲の悪かった私がおり、日頃の行いの悪さのせいで彼女を階段から突き落とした犯人は私だと誰もが思ったーーー私の初恋であった貴方さえも。
だから、貴方は彼女を失うことになった私を許さず、私を死へ追いやった………はずだった。
何故か私はあのときの記憶を持ったまま6歳の頃の私に戻ってきたのだ。
どうして戻ってこれたのか分からないが、このチャンスを逃すわけにはいかない。
私はもう彼らとは出会わず、日頃の行いの悪さを見直し、平穏な生活を目指す!そう決めたはずなのに...……。
好きな人に『その気持ちが迷惑だ』と言われたので、姿を消します【完結済み】
皇 翼
恋愛
「正直、貴女のその気持ちは迷惑なのですよ……この場だから言いますが、既に想い人が居るんです。諦めて頂けませんか?」
「っ――――!!」
「賢い貴女の事だ。地位も身分も財力も何もかもが貴女にとっては高嶺の花だと元々分かっていたのでしょう?そんな感情を持っているだけ時間が無駄だと思いませんか?」
クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。
******
・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。
貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
美幼女に転生したら地獄のような逆ハーレム状態になりました
市森 唯
恋愛
極々普通の学生だった私は……目が覚めたら美幼女になっていました。
私は侯爵令嬢らしく多分異世界転生してるし、そして何故か婚約者が2人?!
しかも婚約者達との関係も最悪で……
まぁ転生しちゃったのでなんとか上手く生きていけるよう頑張ります!
転生調理令嬢は諦めることを知らない
eggy
ファンタジー
リュシドール子爵の長女オリアーヌは七歳のとき事故で両親を失い、自分は片足が不自由になった。
それでも残された生まれたばかりの弟ランベールを、一人で立派に育てよう、と決心する。
子爵家跡継ぎのランベールが成人するまで、親戚から暫定爵位継承の夫婦を領地領主邸に迎えることになった。
最初愛想のよかった夫婦は、次第に家乗っ取りに向けた行動を始める。
八歳でオリアーヌは、『調理』の加護を得る。食材に限り刃物なしで切断ができる。細かい調味料などを離れたところに瞬間移動させられる。その他、調理の腕が向上する能力だ。
それを「貴族に相応しくない」と断じて、子爵はオリアーヌを厨房で働かせることにした。
また夫婦は、自分の息子をランベールと入れ替える画策を始めた。
オリアーヌが十三歳になったとき、子爵は隣領の伯爵に加護の実験台としてランベールを売り渡してしまう。
同時にオリアーヌを子爵家から追放する、と宣言した。
それを機に、オリアーヌは弟を取り戻す旅に出る。まず最初に、隣町まで少なくとも二日以上かかる危険な魔獣の出る街道を、杖つきの徒歩で、武器も護衛もなしに、不眠で、歩ききらなければならない。
弟を取り戻すまで絶対諦めない、ド根性令嬢の冒険が始まる。
主人公が酷く虐げられる描写が苦手な方は、回避をお薦めします。そういう意味もあって、R15指定をしています。
追放令嬢ものに分類されるのでしょうが、追放後の展開はあまり類を見ないものになっていると思います。
2章立てになりますが、1章終盤から2章にかけては、「令嬢」のイメージがぶち壊されるかもしれません。不快に思われる方にはご容赦いただければと存じます。
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
貴族に生まれたのに誘拐され1歳で死にかけた
佐藤醤油
ファンタジー
貴族に生まれ、のんびりと赤ちゃん生活を満喫していたのに、気がついたら世界が変わっていた。
僕は、盗賊に誘拐され魔力を吸われながら生きる日々を過ごす。
魔力枯渇に陥ると死ぬ確率が高いにも関わらず年に1回は魔力枯渇になり死にかけている。
言葉が通じる様になって気がついたが、僕は他の人が持っていないステータスを見る力を持ち、さらに異世界と思われる世界の知識を覗ける力を持っている。
この力を使って、いつか脱出し母親の元へと戻ることを夢見て過ごす。
小さい体でチートな力は使えない中、どうにか生きる知恵を出し生活する。
------------------------------------------------------------------
お知らせ
「転生者はめぐりあう」 始めました。
------------------------------------------------------------------
注意
作者の暇つぶし、気分転換中の自己満足で公開する作品です。
感想は受け付けていません。
誤字脱字、文面等気になる方はお気に入りを削除で対応してください。
【完結】母になります。
たろ
恋愛
母親になった記憶はないのにわたしいつの間にか結婚して子供がいました。
この子、わたしの子供なの?
旦那様によく似ているし、もしかしたら、旦那様の隠し子なんじゃないのかしら?
ふふっ、でも、可愛いわよね?
わたしとお友達にならない?
事故で21歳から5年間の記憶を失くしたわたしは結婚したことも覚えていない。
ぶっきらぼうでムスッとした旦那様に愛情なんて湧かないわ!
だけど何故かこの3歳の男の子はとても可愛いの。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる