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64話、一途でやかましい来訪者
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サニーの本当の母親であるエリィさんを天国に送ってから、四ヶ月以上が経った。毎晩夜空を見上げては、寄り添い合っている二つの星々を見守っていたものの……。
十日間もすれば、その二つの星は、元からそこに居なかったかの様に忽然と姿を消してしまった。予想しか出来ないが、たぶん天国へ行ったのだろう。
だから私は、月の下に向かい「お幸せに」と言い残し、次の日から夜空を見上げるのやめた。だが、エリィさんの事を決して忘れはしない。
そしてなんとなくではあるが、またどこかで会える様な気がしてならないんだ。ずいぶん身勝手な妄想だと思っているけども、そう信じてやまない自分が居る。
そのエリィさんから授かったサニーは、つい最近六歳になった。身長もすくすくと伸び、それに比例して体重も増えてきたせいで、長時間抱っこするのがだんだんと辛くなってきている。
それに絵本で新しく学んだのか、私を『ママ』ではなく『お母さん』と呼ぶようになった。お母さん、か。いい響きだ。サニーにお母さんと呼ばれるのは、非常に心地がいい。
本当であれば、エリィさんが呼ばれるはずだったのだがな……。『バレスラード国』の兵士達は、なぜエリィさんが住んでいた村を襲ったのだろうか?
これについては状況や情勢がまるで分からないから、いくら考えて予想を立てたとしても、答えには絶対に辿り着けないだろう。私は、『バレスラード国』という国がある事すら知らなかったのだから。
「―――そして魔王を倒したお姫様は、自分の国へと帰っていきました。……この絵本にも載ってないか。サニー、そっちはどうだ?」
「そして白い竜は空へと帰り、世界に平和が戻りました。もう十冊以上は読んだけど、まったく出てこないや」
「そうか。ヴェルイン、お前は?」
「なんだよこの絵本。ウェアウルフを悪く描き……、ん? こっちもねえぞ」
罪の無い絵本を睨みつけていたヴェルインも、サニーと同じ答えを返してきた。もうそろそろ、三百冊以上はあろう絵本を全て読み終えてしまう。
この前サニーが砂漠地帯で言っていた、絵本に出てきた精霊『イフリート』『シルフ』そして『レム』。
この名前の精霊が出てくる絵本を探し始めてから、もう二十日以上は経っただろうか? いくら探しても一向に出てくる気配がない。
私が興味を示しているのは、天使の姿をした光の精霊だと思われる『レム』。このレムという名前は、幼少期だった頃、私とピースを育ててくれた神父様と名前が一致している。
そのレムさんはと言うと……。私とピースが大人になり、今でも買い出しに行っている『タート』で家を購入し、結婚する事を決めた後、教会と共に居なくなってしまった。
まるで、そこには初めから何も建っていなかったかのように、綺麗サッパリと。当初は私とピース、参拝をしに来ていた人達と共に、酷く困惑していた。
なぜレムさんは、突然居なくなってしまったんだ? それも大きな教会と共に。あれ以来レムさんとは一度も会えていないので、全てが謎のままで終わっている。
「もう諦めたらどうだ? アカシック・ファーストレディよ」
先ほどまで絵本を読んで探してくれていたが、休憩がてらにハーブティーを嗜んでいるアルビスが言う。
「もう五十冊も残ってないんだ。ここまで来たら、全部読んでしまった方がいいだろ?」
「まだそんなにあるのか。この家を図書館にでもするつもりなのか?」
「図書館か、悪くないな。そうすればサニーが退屈しないで済む」
「ふん。貴様だと本当にやりかねん―――」
「すみませーん。こちら、ファーストレディさんのお家でしょうかー?」
アルビスが呆れ返りながら喋っている途中、ここに居る誰の物でもない声が玄関から聞こえてきたので、そっちへ顔を向ける私。
扉の前には、標準的な身長で、やや縮こまっている死霊使いの『ファート』がちょこんと居た。扉を開けた音が一切しなかった所を見ると、すり抜けてきたのだろう。
「合ってるぞ、やっと来たか」
「ファートさんだっ! こんにちはっ」
「あーッ! 居たぁーッ!! お前、何が針葉樹林地帯からあまり遠くないだ! めっちゃくちゃ離れてんじゃねえか、馬鹿野郎!」
ファートに私の家の在処を教えてから、早四ヶ月。やっと来たかと思えば、ファートは早々に怒鳴り散らかし、顔を巨大化させて私に詰め寄ってきた。
私の視界には骸骨であるファートの顔面と、禍々しい緑色の眼光しか映っていない。視覚的情報が全て騒がしい……。
「そんな事言ったか、私……?」
「言ったわ! ほとんど山岳地帯寄りじゃねえか! アホンダラァッ!!」
溜まっていた物を全て吐き出すが如く、ファートの顔面が更に巨大化していく。上下左右どこに視線を逸らしても、ファートの顔面しか見えない……。
「ファートじゃねえか。またえらく懐かしい奴が来たな」
「あ、ヴェルインさんだっ! お久しぶりですー」
ヴェルインがファートの存在を認めるや否や。ファートの顔面がパッと元の大きさに戻り、好青年を思わせる口調で喋りつつヴェルインの元へ行った。
とても爽やかな喋り方をしていたが、態度の豹変ぶりが凄まじいな。
「山岳地帯で初めて会った以来ですね。本当にお久しぶりです」
「ああ。お前が急にアジトに入ってきたもんだから、新参者が来たかと思って身構えちまったのを、よーく覚えてんぜ」
「えへへへへ、すみません……。骨を探してる内に、迷い込んでしまいまして」
フードをかぶっている後頭部に手を当て、苦笑いしている頬を赤らめるファート。赤くなるという事は、もしかしてあの骨には体温があるのか?
ヴェルインとファートの会話が止まると、そのタイミングを見計らっていたのか。二人の傍に立っていたサニーが、ぴょんぴょんと金色の髪の毛を遊ばせながら飛び跳ねだした。
「ファートさんっ、ファートさんっ!」
「おおー、お嬢さんじゃないの。よしよし」
健気に飛び跳ねているサニーに気付き、骨の手でサニーの頭を撫でるファート。触れるという事は、実体にもなれる訳か。見た目がスケルトンだし、別に不思議に思う事でもないか。
異種族ながらも微笑ましい光景を眺めていると、不意にファートが、空いている手でこそこそと私に手招きをしてきた。アルビスに何度も横目を送っている所を察するに、あいつを気に掛けているようだな。
「なんだ?」
「おい、あそこに座ってる奴は一体誰だ? 只者じゃねえだろ?」
「ああ。あいつはアルビスという奴だ」
「アルビス……?」
アルビスの名前を言った途端。ファートの禍々しい眼光がパチクリとし、私とアルビスを二度見返す。
「我が知ってるアルビスは一人しかいねえが……。もしかして、ブラックドラゴンのアルビス、様?」
「そうだ、そのアルビスで合ってる」
「……ほんとに?」
「本当だ」
私の言葉をまったく信用していないようで、ファートは私とアルビスを三度、四度と見返していく。
その見返しが素早くなっていき、アルビスの方で止まると、音を一切立てずに近づいていき、アルビスの隣にまで行った。
「あの~、すみません。つかぬ事をお聞きしますが……、アルビス・セカンドドラゴン様でしょうか?」
「合ってるが、その二つ名は毛嫌いしてるから二度と言うな。アルビスでいい」
「ああっ、も、申し訳ございませんッ! 本物っ、本物のアルビス様だ!」
叱られながらもアルビスを本人だと認めると、ファートの声が興奮気味に荒ぎ、体が右往左往し始めた。
私が『ファーストレディ』という二つ名を勝手に付けられたように、アルビスも『セカンドドラゴン』という二つ名を付けられていたんだな。初めて知った。
という事は、私が迫害の地に来る前は『ファーストドラゴン』だったのだろうか? 気になる所だが、毛嫌いしている様だし、突っつくはやめておこう。
「あ、あっ、えあっ、ちょっ……。ふぁ、ファーストレディーーッ!!」
先ほどから感情の変化が忙しいファートが、全速力で私の元へ飛んで来ては、再び近い距離まで詰め寄ってきた。流石に慣れてきたし、このまま対応するか。
「どうした?」
「何か、何か書く物ッ! 目立つ色が好ましいッ! あ、白! 我の着てるローブが黒いから白がいい!」
「一体、何に使うんだ?」
「いいから早くッ! アルビス様が帰っちまうだろうがァッ!!」
本当に焦っているのか、ファートの眼光が真紅色に染まり、叫び声が怒号に変わった。
ファートの意図が掴めないものの、サニーが絵を描く時に使っている白の色棒に『ふわふわ』をかけ、私の手元まで持ってくる。
そのまま差し出すと、真紅色に染まった眼光が黄色に変化し、髑髏の表情をぱあっと明るくさせた。もしかしてファートの眼光の色は、気分によって変わるものなのか……?
「おお、真っ白じゃねえか! これこれ! ちょっと借りるぞ!」
白の色棒を大事そうに両手で持ったファートが、無い足取りを軽くしてアルビスの元へ戻っていった。眼光の色は依然として黄色。たぶんあの色は、喜怒哀楽の内の“喜”か“楽”だな。
ならば赤色は“怒”で間違いない。“哀”はきっと青色だろう。緑色がどれかは分からないけれども、先ほど私の家に初めて来た時、ファートはそこまで怒っていなかったんだな。よかった。……いや、よくないけども。
その感情が眼光に出るファートがアルビスの横に立つと、そわそわした様子で持っている色棒を眺め出した。
数秒後。意を決したように小さく頷くと、アルビスの前に色棒を置いた。
「あの、すみませんアルビス様! ご迷惑でなければ、その色棒で、我のローブに名書きをしてもらえませんでしょうか?」
「名書き? 余の名をか? なぜだ?」
「お恥ずかしながら、我、アルビス様の狂信者なんです!」
「へ? きょ、狂信者?」
「はいっ! もしよろしければ、『ファート君へ』と付け加えてくれますと、とても嬉しいですっ!」
ファートの緊張が混ざっている指示に、困惑して固まるアルビス。すごいな、ファートの奴。あのアルビスを本当に困らせている。
が、アルビスも現状を理解したのか。固まっていた体をぎこちなく動かし、「ゴホン」と咳払いをした。
「ま、まあ……。名書きぐらいなら別に構わん。どこに書けばいい?」
「ひゃーっ、やったぁーっ!! この前の部分にお願いしますっ!」
「ここか。ファート、君へ。アルビス……。ほら、これでいいか?」
「あああああああーーーッッ!! はいっ、大丈夫です! ありがとうございます、ありがとうございますッ!!」
窓が割れんばかりの大声で感謝を述べたファートが、直角に腰を曲げて何度も頭を下げている。
そのファートの体がこちらへ向いた直後、アルビスが肩を落としてため息をついた。たぶん、今ので相当気疲れしたのだろう。
アルビスを精神的に疲れさせたファートが、上機嫌な鼻歌を交えつつ私の元へ来て、白の色棒が乗っている手を伸ばしてきた。
「ほれ、あんがとよ! なんだよファーストレディ。アルビス様が居るなら、早く言ってくれりゃあよかったのに~」
「お前がアルビスの狂信者だなんて知らなかったからな。正直言って、私もかなり驚いたぞ」
「あ~、そっか。最初から言っときゃよかったな。で、ファーストレディ。我も頻繁に、ここへ来てもいいか?」
「別に構わないが……。明日はサニーと出掛けるから、来るなら二日後にしてくれ」
「ありゃ、出掛けるのかよ。どこに行くんだ?」
「海へ行く」
「海……、へぇ~」
明日の予定を明かすと同時に、ファートの口がポカンと開き、眼光がふっと消えた。眼光が消えている時のこいつは、一体どんな心境なんだ?
喜怒哀楽のどれも該当していないのは分かる。だとしたら、平常心? それとも、単に無関心か?
「なあ、ファーストレディ。明日、我も一緒に連れてってくれねえか?」
「お前も? 何しに来るんだ?」
「あ~、ほら、海岸には色んな骨が流れ着いてくんだろ? 稀にその中には、希少な骨もあるんだよ。が、しかし、ここから海に行くには、山岳、花畑、樹海、湿地を超えなきゃならねえ。我が一人で行ったとしたら、丸々七日間は掛かっちまう。それに、道中や空は魔物がうようよ居るしよお。更にだ―――」
「要は、私と一緒に行くと安全にかつ高速で行けるから、護衛をしながら連れてけと?」
グチグチと遠回しにものを言い続けてくるので、割り込んで的を射た発言をしてみれば、ファートの口がピタリと止まった。
「おいおい。言い方が悪いぜ、ファーストレディちゃんよお? 我とお前の仲じゃねえか~。すみません、お願いしてもよろしいでしょうか?」
やけに馴れ馴れしく接してくるかと思いきや。今度は先ほどアルビスにもしたような形で頭を下げてきた。
前からヴェルインよりもお調子者だとは思っていたが……。まだヴェルインの方が、幾分可愛げがある。しかしここで断ると、後々もっと面倒臭い事になりそうだ。
「……仕方ない。サニーの邪魔をしないと誓うんであれば、一緒に連れてってやる」
「本当っ!? 誓う誓う! おっほー! これで珍しい骨が手に入るぜ~。明日は何時から行くんだ?」
「そうだな。朝食が終わり次第行くから、たぶん早朝ぐらいだろ」
「早朝か~。神殿まで帰って、また来るのは億劫だし、お前ん家の近くで野宿すっかなあ」
野宿。そう言われると、無いに等しいファートへ対する自制心が僅かに痛むな。もう沼地帯では魔物や獣は出現していないものの、やはり野ざらしは危険だ。いっその事、ここに泊めてしまうか。
「いや、野宿はするな。神殿に帰らないならここに泊まってけ」
「へっ? 我がファーストレディの家に泊まっても、いいの?」
「別に構わないさ。なんなら賑やかになるし、サニーも喜ぶだろ。な、サニー?」
誘導染みた同調を求めるも、サニーはさも当然の様に笑顔になり、「うんっ!」と嬉しそうに頷く。
そんな健気でいるサニーの笑顔を、いつの間にか青い眼光を宿した顔で見ていたファートが、やや震えている顔を私に合わせてきた。
「お前達って、案外優しいんだな……。ちょっとウルッてきたぞ」
「お前って、案外涙脆いんだな。ちょっと意外だ」
骸骨が泣けるのかは兎も角。ファートは感情を誤魔化す事が出来ず、誤魔化すつもりもない。分かりやすくもあり、自分に正直過ぎる奴だ。
さてと、これから私の家は更に賑やかになるだろう。ここが迫害の地だという事を、すっかり忘れてしまう程に。
十日間もすれば、その二つの星は、元からそこに居なかったかの様に忽然と姿を消してしまった。予想しか出来ないが、たぶん天国へ行ったのだろう。
だから私は、月の下に向かい「お幸せに」と言い残し、次の日から夜空を見上げるのやめた。だが、エリィさんの事を決して忘れはしない。
そしてなんとなくではあるが、またどこかで会える様な気がしてならないんだ。ずいぶん身勝手な妄想だと思っているけども、そう信じてやまない自分が居る。
そのエリィさんから授かったサニーは、つい最近六歳になった。身長もすくすくと伸び、それに比例して体重も増えてきたせいで、長時間抱っこするのがだんだんと辛くなってきている。
それに絵本で新しく学んだのか、私を『ママ』ではなく『お母さん』と呼ぶようになった。お母さん、か。いい響きだ。サニーにお母さんと呼ばれるのは、非常に心地がいい。
本当であれば、エリィさんが呼ばれるはずだったのだがな……。『バレスラード国』の兵士達は、なぜエリィさんが住んでいた村を襲ったのだろうか?
これについては状況や情勢がまるで分からないから、いくら考えて予想を立てたとしても、答えには絶対に辿り着けないだろう。私は、『バレスラード国』という国がある事すら知らなかったのだから。
「―――そして魔王を倒したお姫様は、自分の国へと帰っていきました。……この絵本にも載ってないか。サニー、そっちはどうだ?」
「そして白い竜は空へと帰り、世界に平和が戻りました。もう十冊以上は読んだけど、まったく出てこないや」
「そうか。ヴェルイン、お前は?」
「なんだよこの絵本。ウェアウルフを悪く描き……、ん? こっちもねえぞ」
罪の無い絵本を睨みつけていたヴェルインも、サニーと同じ答えを返してきた。もうそろそろ、三百冊以上はあろう絵本を全て読み終えてしまう。
この前サニーが砂漠地帯で言っていた、絵本に出てきた精霊『イフリート』『シルフ』そして『レム』。
この名前の精霊が出てくる絵本を探し始めてから、もう二十日以上は経っただろうか? いくら探しても一向に出てくる気配がない。
私が興味を示しているのは、天使の姿をした光の精霊だと思われる『レム』。このレムという名前は、幼少期だった頃、私とピースを育ててくれた神父様と名前が一致している。
そのレムさんはと言うと……。私とピースが大人になり、今でも買い出しに行っている『タート』で家を購入し、結婚する事を決めた後、教会と共に居なくなってしまった。
まるで、そこには初めから何も建っていなかったかのように、綺麗サッパリと。当初は私とピース、参拝をしに来ていた人達と共に、酷く困惑していた。
なぜレムさんは、突然居なくなってしまったんだ? それも大きな教会と共に。あれ以来レムさんとは一度も会えていないので、全てが謎のままで終わっている。
「もう諦めたらどうだ? アカシック・ファーストレディよ」
先ほどまで絵本を読んで探してくれていたが、休憩がてらにハーブティーを嗜んでいるアルビスが言う。
「もう五十冊も残ってないんだ。ここまで来たら、全部読んでしまった方がいいだろ?」
「まだそんなにあるのか。この家を図書館にでもするつもりなのか?」
「図書館か、悪くないな。そうすればサニーが退屈しないで済む」
「ふん。貴様だと本当にやりかねん―――」
「すみませーん。こちら、ファーストレディさんのお家でしょうかー?」
アルビスが呆れ返りながら喋っている途中、ここに居る誰の物でもない声が玄関から聞こえてきたので、そっちへ顔を向ける私。
扉の前には、標準的な身長で、やや縮こまっている死霊使いの『ファート』がちょこんと居た。扉を開けた音が一切しなかった所を見ると、すり抜けてきたのだろう。
「合ってるぞ、やっと来たか」
「ファートさんだっ! こんにちはっ」
「あーッ! 居たぁーッ!! お前、何が針葉樹林地帯からあまり遠くないだ! めっちゃくちゃ離れてんじゃねえか、馬鹿野郎!」
ファートに私の家の在処を教えてから、早四ヶ月。やっと来たかと思えば、ファートは早々に怒鳴り散らかし、顔を巨大化させて私に詰め寄ってきた。
私の視界には骸骨であるファートの顔面と、禍々しい緑色の眼光しか映っていない。視覚的情報が全て騒がしい……。
「そんな事言ったか、私……?」
「言ったわ! ほとんど山岳地帯寄りじゃねえか! アホンダラァッ!!」
溜まっていた物を全て吐き出すが如く、ファートの顔面が更に巨大化していく。上下左右どこに視線を逸らしても、ファートの顔面しか見えない……。
「ファートじゃねえか。またえらく懐かしい奴が来たな」
「あ、ヴェルインさんだっ! お久しぶりですー」
ヴェルインがファートの存在を認めるや否や。ファートの顔面がパッと元の大きさに戻り、好青年を思わせる口調で喋りつつヴェルインの元へ行った。
とても爽やかな喋り方をしていたが、態度の豹変ぶりが凄まじいな。
「山岳地帯で初めて会った以来ですね。本当にお久しぶりです」
「ああ。お前が急にアジトに入ってきたもんだから、新参者が来たかと思って身構えちまったのを、よーく覚えてんぜ」
「えへへへへ、すみません……。骨を探してる内に、迷い込んでしまいまして」
フードをかぶっている後頭部に手を当て、苦笑いしている頬を赤らめるファート。赤くなるという事は、もしかしてあの骨には体温があるのか?
ヴェルインとファートの会話が止まると、そのタイミングを見計らっていたのか。二人の傍に立っていたサニーが、ぴょんぴょんと金色の髪の毛を遊ばせながら飛び跳ねだした。
「ファートさんっ、ファートさんっ!」
「おおー、お嬢さんじゃないの。よしよし」
健気に飛び跳ねているサニーに気付き、骨の手でサニーの頭を撫でるファート。触れるという事は、実体にもなれる訳か。見た目がスケルトンだし、別に不思議に思う事でもないか。
異種族ながらも微笑ましい光景を眺めていると、不意にファートが、空いている手でこそこそと私に手招きをしてきた。アルビスに何度も横目を送っている所を察するに、あいつを気に掛けているようだな。
「なんだ?」
「おい、あそこに座ってる奴は一体誰だ? 只者じゃねえだろ?」
「ああ。あいつはアルビスという奴だ」
「アルビス……?」
アルビスの名前を言った途端。ファートの禍々しい眼光がパチクリとし、私とアルビスを二度見返す。
「我が知ってるアルビスは一人しかいねえが……。もしかして、ブラックドラゴンのアルビス、様?」
「そうだ、そのアルビスで合ってる」
「……ほんとに?」
「本当だ」
私の言葉をまったく信用していないようで、ファートは私とアルビスを三度、四度と見返していく。
その見返しが素早くなっていき、アルビスの方で止まると、音を一切立てずに近づいていき、アルビスの隣にまで行った。
「あの~、すみません。つかぬ事をお聞きしますが……、アルビス・セカンドドラゴン様でしょうか?」
「合ってるが、その二つ名は毛嫌いしてるから二度と言うな。アルビスでいい」
「ああっ、も、申し訳ございませんッ! 本物っ、本物のアルビス様だ!」
叱られながらもアルビスを本人だと認めると、ファートの声が興奮気味に荒ぎ、体が右往左往し始めた。
私が『ファーストレディ』という二つ名を勝手に付けられたように、アルビスも『セカンドドラゴン』という二つ名を付けられていたんだな。初めて知った。
という事は、私が迫害の地に来る前は『ファーストドラゴン』だったのだろうか? 気になる所だが、毛嫌いしている様だし、突っつくはやめておこう。
「あ、あっ、えあっ、ちょっ……。ふぁ、ファーストレディーーッ!!」
先ほどから感情の変化が忙しいファートが、全速力で私の元へ飛んで来ては、再び近い距離まで詰め寄ってきた。流石に慣れてきたし、このまま対応するか。
「どうした?」
「何か、何か書く物ッ! 目立つ色が好ましいッ! あ、白! 我の着てるローブが黒いから白がいい!」
「一体、何に使うんだ?」
「いいから早くッ! アルビス様が帰っちまうだろうがァッ!!」
本当に焦っているのか、ファートの眼光が真紅色に染まり、叫び声が怒号に変わった。
ファートの意図が掴めないものの、サニーが絵を描く時に使っている白の色棒に『ふわふわ』をかけ、私の手元まで持ってくる。
そのまま差し出すと、真紅色に染まった眼光が黄色に変化し、髑髏の表情をぱあっと明るくさせた。もしかしてファートの眼光の色は、気分によって変わるものなのか……?
「おお、真っ白じゃねえか! これこれ! ちょっと借りるぞ!」
白の色棒を大事そうに両手で持ったファートが、無い足取りを軽くしてアルビスの元へ戻っていった。眼光の色は依然として黄色。たぶんあの色は、喜怒哀楽の内の“喜”か“楽”だな。
ならば赤色は“怒”で間違いない。“哀”はきっと青色だろう。緑色がどれかは分からないけれども、先ほど私の家に初めて来た時、ファートはそこまで怒っていなかったんだな。よかった。……いや、よくないけども。
その感情が眼光に出るファートがアルビスの横に立つと、そわそわした様子で持っている色棒を眺め出した。
数秒後。意を決したように小さく頷くと、アルビスの前に色棒を置いた。
「あの、すみませんアルビス様! ご迷惑でなければ、その色棒で、我のローブに名書きをしてもらえませんでしょうか?」
「名書き? 余の名をか? なぜだ?」
「お恥ずかしながら、我、アルビス様の狂信者なんです!」
「へ? きょ、狂信者?」
「はいっ! もしよろしければ、『ファート君へ』と付け加えてくれますと、とても嬉しいですっ!」
ファートの緊張が混ざっている指示に、困惑して固まるアルビス。すごいな、ファートの奴。あのアルビスを本当に困らせている。
が、アルビスも現状を理解したのか。固まっていた体をぎこちなく動かし、「ゴホン」と咳払いをした。
「ま、まあ……。名書きぐらいなら別に構わん。どこに書けばいい?」
「ひゃーっ、やったぁーっ!! この前の部分にお願いしますっ!」
「ここか。ファート、君へ。アルビス……。ほら、これでいいか?」
「あああああああーーーッッ!! はいっ、大丈夫です! ありがとうございます、ありがとうございますッ!!」
窓が割れんばかりの大声で感謝を述べたファートが、直角に腰を曲げて何度も頭を下げている。
そのファートの体がこちらへ向いた直後、アルビスが肩を落としてため息をついた。たぶん、今ので相当気疲れしたのだろう。
アルビスを精神的に疲れさせたファートが、上機嫌な鼻歌を交えつつ私の元へ来て、白の色棒が乗っている手を伸ばしてきた。
「ほれ、あんがとよ! なんだよファーストレディ。アルビス様が居るなら、早く言ってくれりゃあよかったのに~」
「お前がアルビスの狂信者だなんて知らなかったからな。正直言って、私もかなり驚いたぞ」
「あ~、そっか。最初から言っときゃよかったな。で、ファーストレディ。我も頻繁に、ここへ来てもいいか?」
「別に構わないが……。明日はサニーと出掛けるから、来るなら二日後にしてくれ」
「ありゃ、出掛けるのかよ。どこに行くんだ?」
「海へ行く」
「海……、へぇ~」
明日の予定を明かすと同時に、ファートの口がポカンと開き、眼光がふっと消えた。眼光が消えている時のこいつは、一体どんな心境なんだ?
喜怒哀楽のどれも該当していないのは分かる。だとしたら、平常心? それとも、単に無関心か?
「なあ、ファーストレディ。明日、我も一緒に連れてってくれねえか?」
「お前も? 何しに来るんだ?」
「あ~、ほら、海岸には色んな骨が流れ着いてくんだろ? 稀にその中には、希少な骨もあるんだよ。が、しかし、ここから海に行くには、山岳、花畑、樹海、湿地を超えなきゃならねえ。我が一人で行ったとしたら、丸々七日間は掛かっちまう。それに、道中や空は魔物がうようよ居るしよお。更にだ―――」
「要は、私と一緒に行くと安全にかつ高速で行けるから、護衛をしながら連れてけと?」
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「おいおい。言い方が悪いぜ、ファーストレディちゃんよお? 我とお前の仲じゃねえか~。すみません、お願いしてもよろしいでしょうか?」
やけに馴れ馴れしく接してくるかと思いきや。今度は先ほどアルビスにもしたような形で頭を下げてきた。
前からヴェルインよりもお調子者だとは思っていたが……。まだヴェルインの方が、幾分可愛げがある。しかしここで断ると、後々もっと面倒臭い事になりそうだ。
「……仕方ない。サニーの邪魔をしないと誓うんであれば、一緒に連れてってやる」
「本当っ!? 誓う誓う! おっほー! これで珍しい骨が手に入るぜ~。明日は何時から行くんだ?」
「そうだな。朝食が終わり次第行くから、たぶん早朝ぐらいだろ」
「早朝か~。神殿まで帰って、また来るのは億劫だし、お前ん家の近くで野宿すっかなあ」
野宿。そう言われると、無いに等しいファートへ対する自制心が僅かに痛むな。もう沼地帯では魔物や獣は出現していないものの、やはり野ざらしは危険だ。いっその事、ここに泊めてしまうか。
「いや、野宿はするな。神殿に帰らないならここに泊まってけ」
「へっ? 我がファーストレディの家に泊まっても、いいの?」
「別に構わないさ。なんなら賑やかになるし、サニーも喜ぶだろ。な、サニー?」
誘導染みた同調を求めるも、サニーはさも当然の様に笑顔になり、「うんっ!」と嬉しそうに頷く。
そんな健気でいるサニーの笑顔を、いつの間にか青い眼光を宿した顔で見ていたファートが、やや震えている顔を私に合わせてきた。
「お前達って、案外優しいんだな……。ちょっとウルッてきたぞ」
「お前って、案外涙脆いんだな。ちょっと意外だ」
骸骨が泣けるのかは兎も角。ファートは感情を誤魔化す事が出来ず、誤魔化すつもりもない。分かりやすくもあり、自分に正直過ぎる奴だ。
さてと、これから私の家は更に賑やかになるだろう。ここが迫害の地だという事を、すっかり忘れてしまう程に。
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3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
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