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48話、友好的な関係を築く証として

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「これから余にもっと、シチューを振る舞え」

「……は?」

 あまりにも予想からかけ離れた言葉に、私の視野が狭まっていく。

「聞こえなかったとは言わせぬぞ? 今後、余にも頻繁にシチューを振る舞え。分かったな?」

「……し、シチュー?」

 私が良からぬ反応を示し続けたせいか。アルビスの右眉が跳ね上がり、組んでいた手を解き、静かに立ち上がる。

「いいか、よく聞け! 貴様の罪滅ぼしは、ここへ来た余に必ずシチューを振る舞う事だ! 貴様が理解するまで、何度でも言ってやる! そもそもの話、ヴェルインだけに振る舞うのが間違ってるのだ! これからは余にも振る舞え!」

 欲と我が強く、ヴェルインを巻き添えにして怒号を放つアルビス。そんなに私が作ったシチューを、気に入ってしまったのか?
 しかし、それが罪滅ぼしになるとは到底思えない。手軽に作れるシチューを、多大なる迷惑を掛けてきたアルビスに振る舞い続けるだけ。
 だが、これはアルビスが言ってきた事だ。そうなると私は、それで罪滅ぼしをしなければならない。ならば気になるのは、その頻度だ。とりあえず聞いてみなければ。

「あ、アルビス、頻繁にと言ったな? どれぐらいの頻度で来るんだ?」

 既に頭の中でシチューを食べているのだろうか。目を瞑りながらニヤニヤしていたアルビスが、和やかでいる龍眼を私に合わせてきた。

「ふむ、そうだな……。十日に三、四回程度で許してやろう」

「たったそれだけでいいのか? お前が大丈夫なら、別に毎日でも構わないぞ」

「ま、毎日……? 毎日だとおッ!?」

 まずい、何か触れてはいけない事を言ったか? いや、大した事は言っていないはずだが……。更に声を荒げたアルビスが、私との距離をずいっと詰めてきた。
 その距離、僅か四十cmほど。その僅かな隙間に、白い手袋に包まれた右手が下から現れ、私の右目に人差し指を差してきた。

「貴様ァ……。自分の発言には、もっと責任を持った方がいいぞ? 今の貴様は、罪滅ぼしの為に行き急いでいるようにしか見えん。いいのか? 余は本当に毎日ここへ来るぞ?」

「あ、ああ。全然大丈夫だ。空いてる鉄の大釜があるから、それをお前専用にしてだ。その鉄釜に大量のシチューを作り置きしておこう」

「……な、なんだと? 本当に、出来る、のか?」

 今のアルビスの言葉には、信じられない程の驚愕が含まれている。目先にあったわなわなと震え出した人差し指が視界から消え、アルビスの顔が遠ざかっていった。

「出来る。氷魔法で凍らせておけば、長期保存も可能だ。これならどんな時間帯に来てもシチューを振る舞えるし、なんなら何回でもおかわりが出来るぞ」

「お、おかわり……? まさか、おかわりも、出来るのか……」

 呆け切った顔をしたアルビスが、腰をストンと椅子に下ろす。反応が大袈裟過ぎる気もするが……。アルビスは、どれだけ私のシチューを気に入ってしまったんだ?
 少しの間を置き、どこに焦点を合わせているのか分からないアルビスの龍眼が閉じ、緩み始めた顔を右手で覆い隠した。

「……そうか、毎日。しかも、おかわりも可能ときた。いやはや、この地で毎日の楽しみが出来るとはなあ。ふっふっふっ、一日に何回おかわりしようか……。ふっふっふっふっ、アーッハッハッハッハッハッ!!」

 ボソボソと明日からの予定を考え、高笑いまでし出したアルビス。……本当に嬉しそうだ。これだと、中途半端な味のシチューは決して出せない。
 が、変に味を変えるとアルビスの機嫌を損ねかねないので、今まで通りの作り方にしよう。アルビスに振る舞ったシチューは、何も特別な作り方をしていないのだから。
 サニーやヴェルインにも出している、何の変哲もない普通のシチューだ。強いて言えば、大量のマナが溶け込んでいる泉の水を使っているだけ。……いや、この時点で普通ではないな。

「アルビス、シチューだけでいいのか? お前が望むなら、他の料理も出してやるぞ」

 私がそう提案した途端、アルビスの高笑いがピタリと止まる。そして覆い隠していた右手を下げ、無垢な顔を私に見せつけてきた。

「いや、シチューだけでいい。余はそれだけで十年は楽しめる。正直に言おう。余は貴様のシチューを、心底気に入ってしまったのだよ。これは、五十年以上もまともな物を食べてなかったせいもあるのだがな」

「そうなのか、分かった」

 あのアルビスが、本音まで晒してくれた。なら私は、その本音に応えるしかない。罪滅ぼしの為もあるものの、第一にアルビスを喜ばしてやらねば。
 今日やるべき事は、鉄の大釜の掃除。街へ行き、シチューの具材を大量に購入。夕飯後にでも、そのシチューを作る。それとその合間に、首飾りの穴を埋める為の呪文も作らないと。
 やる事が多くなってきた。たぶん今年は、首飾りの穴を埋めるだけで終わってしまうかもしれないな。

「と、そうだ。アカシック・ファーストレディよ」

「なんだ?」

 今後の予定を立てていると、不意にアルビスが右手を差し出してきた。私はその差し出された右手を見た後、アルビスの顔に視線を持っていく。

「……なにを?」

「これから、友好的な関係を築く為の第一歩の証として、握手をしようじゃないか」

「友好的な、関係……」

 まさか、アルビスから提案してくるだなんて……。これは罠じゃないのは頭でも理解している。が、今日見てきたアルビスが全て初々しい物だから、戸惑いを隠し切れていない自分が居る。

「おい、何を警戒してるんだ?」

「あ、いやっ。別に警戒してる訳じゃない。なんと言えばいいか……。ここまで新鮮なお前を見たのは初めてだから、ちょっと戸惑ってたんだ」

「新鮮、ねえ。先に言っておくが、これが余の普通の接し方だ。普通に怒るし、普通に悲しむ。普通に喜べば、普通に楽しむ。やや大袈裟にな」

 己の素性を明かしたアルビスが肩をすくめる。

「それと、新鮮味を感じるのは仕方がないだろう。貴様は、普通の余すら何も知らんのだからな。時期に馴染む」

「それはそうだが……」

「だろう? これから互いを知っていけばいいさ。だからこその握手だ」

 私を論したアルビスが、再び握手を求める様に右手を差し伸べてきた。これが、友好的な関係を築く為の第一歩の証。
 その証を受け止めるべく、私も右手を差し伸べ、アルビスの手をしっかりと握る。やはりブラックドラゴンともあってか手は大きく、握る力は強く感じた。

「これからよろしく頼むぞ、アカシック・ファーストレディよ」

「ああ、こちらこそよろしく。アルビス」

 互いに顔を見合い、誓いの握手を交わす。一分とも二分とも感じる時の中で、アルビスは握っていた手を解き、私から視線を逸らしながら腕を組んだ。

「そう言えば、ヴェルインが毎日ここへ来てると聞いたが、今日は居ないんだな」

「事前にお前の所に行くと伝えておいたから、今日は来ないんだ」

「なに?」

 やや不快気味に言葉を漏らしたアルビスが、細まった龍眼を私へ戻す。

「それだと、貴様が買い出しに行けぬではないか。ここにある食材で、余の分のシチューは作れるのか?」

「いや、まったく足りない」

 足りないどころの騒ぎじゃない。今日一日分があるか無いかなので、ほとんど無い。ヴェルインは来ないから、クロフライムに家の番を任せるしかないな。
 そう考えをまとめた矢先。「なら、仕方ない」と愚痴をこぼしたアルビスが、椅子に腰を下ろした。

「余が小娘を見てよう。その間に、貴様は買い出しを済ませてこい」

「え? ……いいのか?」

「ああ、構わん。ヴェルインも小娘を守る為にここへ来てるそうじゃないか。余もこれから毎日ここへ来るし、それぐらいならしてやろう」

 迫害の地で二番目に強いアルビスが、サニーを守ってくれる? これが本当なら、相当心強い。ほぼ敵無しになる。
 そして、今のアルビスなら信用出来る。……しかし、迷惑じゃないだろうか? アルビスは、シチューを食べる為だけにここへ来る事になっている。
 それなのに対し、余計な手間をかかせてしまったら、元も子もないじゃないか。やはりここは断るべきだろう。

「本当にいいのか? お前に迷惑がかかるだけだぞ?」

「いいと言ってるだろうが。いいか、アカシック・ファーストレディ。余は、貴様のシチューを心底気に入ってる。だが……」

 語る口を途中で止めたアルビスが、未だにスヤスヤと眠っているサニーを顔をやり、口角を緩く上げる

「余は、小娘が描いてくれた余の絵も気に入ってる。生まれて初めて描かれたから、かなり嬉しかったぞ。無償で二枚も描いてくれたから、小娘にはそれなりの恩がある。なので、その恩を返す為に、余が外敵から小娘を守り通してやろう」

 サニーを守る理由を明かしたアルビスが、私に顔を戻し、凛とした頼り甲斐のある笑みを送ってきた。
 ……そうか。アルビスはサニーの絵を、喜んでくれていたのか。そうなると、さっきサニーを守ると言ったあの言葉は、アルビス自身の意思になる。
 という事は、私はこれ以上とやかく言う権利はない。ここは甘えてしまい、アルビスにサニーの事を任せてしまおう。

「分かった。そう言ってくれると、サニーも喜ぶだろ」

「そうか。なら、小娘が起きたら直に言ってやろう。絵を描いてくれて嬉しかったぞ、とな」

「相当喜ぶだろうな。どうせ毎日ここへ来るんだ。そうなると、毎日お前の絵を描いてくれるかもしれないぞ」

「ほうっ! なら、毎日の楽しみがもう一つ増える事になるな。ふっふっふっ。いやあ、今日は実に良い日だ」

 弾んだ声を漏らしたアルビスが、「うんうん」と満足気に二度うなずいた。本当に穏やかな表情をしている。

「よし。それじゃあアカシック・ファーストレディよ、安心して買い出しに行って来い。この余が、命に代えてでも小娘を守り通してみせよう」

「ああ、お前なら心強い事この上ない。明日からは、今日よりも美味しいシチューを振る舞ってやるからな」

「そうかそうか! 楽しみにしてるぞ」

 やや難しい約束をしてしまった私は、扉を開け、純白の景色が広がっている外に出た。明日から私の家は、昨日以上に賑やかになるな。
 そう明日からの出来事を予想し、頭の中でその場面を描いた私は、右手に漆黒色をした箒を召喚し、腰を下ろす。
 そのまま宙へ浮かび、街を目指すべく、晴天の空に向かって飛んで行った。
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