ぶっきらぼう魔女は育てたい

桜乱捕り

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32話、これで広がる行動範囲

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「イッテテテテ……。おいレディ! ああなるなら最初から言ってくれよ!」

 サニーの頭を撫でてあやしていると、展開した魔法壁に吹っ飛ばされたヴェルインが、鼻先を右前足で抑えつつ戻って来た。
 ちゃんと前を向いていなかったせいか、サニーと私を覆っている魔法壁に顔をぶつけ、「ぶっ!?」と言いながら首を仰け反らせる。

「あ、あるの忘れてた……。これ、すげえ硬ぇのな……。鼻が折れたかと思ったぜ……」

「すまない、あの展開の仕方は予想してなかったんだ」

 まさか、広がる様に展開していくだなんて。最初は、サニーの周りを覆う形でパッと現れるものだと思っていた。
 だが実際は、敵意を感知した途端にサニーの全身を覆う様に出現し、そこから勢いよく広がっていった。広さにして、半径五mぐらいだろうか。かなり広く感じる。
 私達の元に近寄れないヴェルインが、再び鼻先を抑えた前足を離す。そのまま前足の平を見ると、眉間に小さなシワが寄った。

「あ~、血が出ちまった。攻撃機能も備わってんのか、これ?」

 ボヤいたヴェルインが、鼻先から滴っている血をペロリと舐め取る。

「無いはずだが……。先ほどのを見る限り、固い壁が飛んで来るようなものだ。それなりに痛いだろ」

「かなり痛えよ! なあレディ、なんか回復するような魔法かけてくれよ~」

 ヴェルインが、しょぼくれた右目で訴えかけてきた。光属性の魔法を使う好機であるが、使うのをなぜか躊躇っている自分がいる。
 なんとなくであるが、他者を癒すのが恥ずかしいのだ。幼少の頃は、何の気兼ねなく使っていたというのに。

「待ってろ、秘薬をやる」

 やはり恥ずかしさが先行してしまい、別の選択肢を選ぶ私。サニーを抱いたまま歩み出すと、棒立ちしていたはずのヴェルインが三度魔法壁に激突し、今度は両前足で顔を抑えた。

「お、おい……。俺になんの恨みがあんだよ……?」

「どうした?」

「今度は……、壁の方から迫ってきた……」

「壁の方から? ……そうか、なるほど」

 ヴェルインの悲痛な訴えに私は空を仰ぎ、やや近くにある魔法壁の天井を見渡してみる。
 この魔法壁は、サニーを中心として展開している。だからサニーが移動すれば、それに応じて魔法壁も動く訳か。
 という事は、魔法壁が展開していても動き回る事が可能。このまま空を飛んでみたら、球体の魔法壁に囲まれた状態になるのだろか?
 それに、建造物やその場に佇んでいる木に向かって行った場合、やはりぶつかるのだろうか? 色々と試してみたい。

 その前に、ヴェルインに秘薬をあげねば。頭に浮かんできた実験欲を振り払いつつ、サニーを地面に下ろす。

「サニー、ちょっとこのまま立っててくれ」

「わかったっ」

「絶対だぞ? 動いたら駄目だからな?」

「うんっ」

 念には念を入れてサニーに言い聞かせる。もしサニーが私の後ろを付いてくると、いつまで経ってもヴェルインに近づけなくなる。
 サニーの姿を横目で確認しつつ、魔法壁に三度顔をぶつけたヴェルインの元へ歩いていく。
 無事に目の前まで来れると、内懐から秘薬が入った小さな容器を取り出す。が、ここで小さな疑問が頭に浮かんできた。

「私は魔法壁から出られるのか?」

「俺に聞くなよ。試してみりゃあいいじゃねえか」

「ああ、そうか」

 やはり寝ていないせいで頭が回っていない。これ以上は醜態を晒したくないので、今日は早めに寝るとしよう。
 蔑んだ右目で睨んできているヴェルインに、秘薬入りの容器を持っている右手を伸ばしていく。
 すると、右手は魔法壁に波紋を立たせながらすり抜けていった。感触がまったく無い。まるで、初めからそこに何も無かったかの様な錯覚すら覚える程に。

「これを飲め、すぐに血が止まるぞ」

「あんがとよ」

 容器を受け取ったヴェルインが、蓋を開けて大口をあんぐり開き、喉が最も近い箇所から秘薬を流し込んでいく。

「甘い割にはサラサラしてて飲みやすいな。……ん?」

「どうした?」

「……レディよお。俺の顔、なんかおかしくね?」

「顔?」

 ヴェルインにそう言われ、元々おかしい顔を確認してみる。秘薬を飲んだお陰で血が止まった鼻先。キョトンと丸くさせている右目。
 右目と同じく、つぶらな瞳を覗かせている左目。……左目? 左目は確か、過去にアルビスの攻撃によって深い傷を負い、今の今まで閉じていたはずだが……。秘薬を飲んで治ったとでもいうのか?

「ヴェルイン、右目を閉じてみろ」

「なんで? なんも見えなくなっちまうぞ」

「いいから閉じてみろ」

「やっぱり今日のお前、色々と変だぞ? ったく。ほら、閉じたぞ。これで満足した―――」

 やっと本人も異変に気が付いたのか、不満を漏らしていた口が止まる。その開いたばかりの左目を数回まばたきさせると、首を左に向かって大きくかしげた。

「右目を閉じても、お前が、見えてる……?」

「秘薬を飲んだら左目まで治ったみたいだな。まさか、数十年前の古傷も治るなんて。凄まじい効果だ」

「やっぱ見えてるよなあ!? すっげえ秘薬!! ウッヒョー!! 視界がめちゃくちゃ広えー!」

 不名誉であった傷が治ったと知った途端、子供の様にはしゃぎだすヴェルイン。左目の上から下まで走っていた古傷さえも消えている。
 これは思わぬ事を知れた。もし行く先々で傷を負っている者を目撃したら、秘薬を配ってやろう。
 昔ピースがやっていた事を、私もやる事になるのか。悪くない。光属性の魔法がなんの気兼ねなく使えるようになるまで、そっちで他者を癒してみるか。
 弾んだ声を発し続け、その場で何度もピョンピョンと飛び跳ねていたヴェルインが、健全で無邪気でいる両目を私に合わせてきた。

「なあレディ! 秘薬ってヤツはまだいっぱいあんだろ!? 少し分けてくれよ!」

「いいぞ、まだ四十kg以上あるからな。後で容器に入れて渡してやる」

「ありがてえ! 仲間達に配ってやろっと!」

 嬉々としているヴェルインは、前足の甲で魔法壁をコンコンと音を立たせながら叩き、「でよ」と付け加えて話を続ける。

「魔法壁っつったっけ、これ? こんなすげえ物をサニーちゃんにあげて、一体どうする気なんだ?」

 ヴェルインの興味津々な質問に、私は一度背後で背筋を正せて立っているサニーに顔を移し、前に戻す。

「迫害の地限定だが、サニーに色々な場所へと連れて行かせて、様々な景色を見せてやろうと思ってな」

「ほーん。沼や花畑はそうでもねえが、他の地帯はかなり物騒だかんなあ。だから、この魔法壁って訳か」

「そうだ。これがあれば、大体の場所へ行けるだろ」

「だな。もうどの場所に行くか決めてんのか?」

「まだ決めてないが……。そうだな」

 迫害の地にはありとあらゆる地帯がある。灼熱の大地が広がる砂漠。かつての沼地帯よりも濃霧や暗雲が厚く、足の踏み場が少ない湿地。
 氷の精霊『フローガンズ』と十日間以上もじゃれ合い続けた、常に雪が降り積もっている凍原。稀に七色に光る極光を拝めると言われている、日照時間が極端に少ない雪山。
 浜辺には絶えず魔物の骨が流れ着いてくる、景観があまりよろしくない海。ここが迫害の地と呼ばれる様になる前から、ひっそりと暮らしているハルピュイアが居る渓谷。
 一度足を踏み入れれば、空を飛べる者でなければ二度と出る事が許されない樹海。ドロドロの溶岩がそこらかしこで流れ続け、鉱石類や希少な物が多々と眠っている火山。

 他にも地帯が点在しているが、どこから行こうか。まずはあまり遠くなく、安全地帯が存在する場所がいい。となると、あそこしかないな。

「最初は砂漠地帯でいいだろう。空を飛び続けていれば安全だし、水場もある。そこでサニーに絵を描かせてやりたい」

「砂漠か。日差しがとんでもなく強えから、サニーちゃんの為に冷たい飲み水と帽子を用意してやんねえとな」

「帽子……、なるほど」

 確かに、ヴェルインが言っている事には一理ある。地帯によっては気候も千差万別だ。砂漠なら薄手の衣類に帽子。
 逆に凍原なら、凍えないよう温かな防寒具が必要になる。今度全てを買え揃えておかねば。

「それと、砂漠には『ファート』が居んじゃねえか。そいつの絵も描かせてやったらどうだ?」

「『ファート』か……」

 砂漠の最奥に神殿を構えている、不老不死にして死霊使いである『ファート』。本人は不老不死と豪語しているが、こいつ自体は既に死んでいる。体は霊体だ。
 私の敵ではないが、サニーと会わせるのはまだ早い。十字架の首飾りの調整もしたいから、会わせるのであれば来年以降になるだろう。
 だが、この提案も悪くはない。あまり気が進まないものの、その内再度礼を言う為に、アルビスの元にも行くとしよう。

「それとよ。この魔法壁、いつになった消えるんだ?」

「分からん」

「え? もしかして、一生このまんまじゃねえよな?」

「そんな事はないはずだが……。まさかな……」

 悪い予感が頭を過り、いつの間にか正座しているサニーに顔をやる。
 魔法壁の要である水のマナの結晶体は、一生魔力が尽きる事がない最上級の物だ。もしかしたらヴェルインの言う通り、一生展開し続けている可能性がある。
 これも調整をしておかねば……。とりあえず今日は早く寝て、明日から全てを調整しよう。
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