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26話、色付いた沼地帯

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「―――て」

 まどろみが永遠に続く暗闇の中。どこか分からない彼方で、微かな反響音が聞こえてくる。

「ま―――、て」

 辺りを反響している音がだんだんと大きくなり、暗闇に淡い明るみが帯びていく。

「ままっ、おき―――」

 朝日が差し込む様に、彼方から一筋の眩い光が差し込み、無い身体に振動を感じ取る。

「ままっ、おきてってばっ!」

「むぅ……」

 いつの間にか閉じていた瞼を開いてみれば、私の体を揺さぶっているサニーが映り込んだ。今日も私は、知らぬ間に眠ってしまっていたのか。これで五日間連続だ。
 花畑地帯でゴーレムを助けた以降。夜が更けてくると、決して抗う事の出来ない強烈な睡魔に襲われ、気が付いたら眠ってしまい、石の様に重い瞼を開けたら朝になっている。
 新薬の副作用が体に起きてから、今まで一度も無かったのに。サニーと共に過ごしていく内に、効果が薄れてきたのだろうか?

「やっとおきた! まま、おそとみて!」

「しょとが、どうしたんら……?」

「いいからみてっ! したがずっとしろいの!」

「白い?」

 サニーが言っている白とは、たぶん濃霧の事だろう。沼地帯ではほぼ毎日発生しているものなので、まったくもって珍しくない。
 だが、サニーは『下が白い』と言った。それだと意味が分からなくなってくる。寝惚けた頭では思考が働かず、これ以上考えても埒が明かないと悟り、眠気で狭まっている視野を窓へと向けた。

「……む? 空が青いな」

 当たり前の事を口走るも、その言葉に違和感を覚えない私。ここ沼地帯は、青空を拝める日が極端に少ない。ほぼ皆無に等しい。
 なのに対し、窓に映るあまりにも限定的な空であるが、雲が一つも存在していない。沼地帯で八十年以上暮らしてきたが、こんな事態は初めてだ。

「おそらじゃなくて、し~たっ!」

 痺れを切らしてきたのか、サニーが私の着ている黒いローブを引っ張ってくる。起きたばかりの私には、今のサニーの力がかなり強く感じた。

「見るから引っ張るな。ローブが伸びる」

 そう言うも引っ張るのを止めないので、『ふわふわ』でサニーの体を宙に浮かす。
 立ち上がるのが面倒だったので、横着して私自身にも『ふわふわ』をかけ、そのまま窓までふらふらと飛んでいく。

「ほらっ、みてっ! ずっとしろいよ!」

「どれ。……は?」

 鈍色に染まっている見慣れた景色が見えると思いきや、あまりにも様変わりした光景が目に入ってきたせいで、抜け切った声を漏らす。
 普段の沼地帯は、暗雲の色が移っている水たまりや小池。陽の光を知らないせいか、石の様な色をしている木々。そんな一色単でつまらない景色が広がっている。
 だが、今の景色は違う。ぬかるみが絶えない地面に、花畑地帯に群生していた純白の花々達が、見える範囲全てに敷き詰められていた。

 青空が同時に見えるせいで、思わず雲海の上に居るような錯覚まで起こす。木々もようやく陽の光を浴びれたお陰か、やや緑々しさが出てきていた。
 常にあった小池もそう。家の近くに複数点在していたはずだが、誰かに埋め立てられたのか、花が我が物顔で浸食している。
 そして疎らであるが、沼地帯の景色を一変させてしまった犯人であろうゴーレム達が、花の世話をしたり次々と植えていったりしている。

 その中には、最後に助けたゴーレムの姿もあった。

「まさかこれ全部、サニーの為にか?」

 最後のゴーレムを助けた後。あいつはサニーに執拗な質問攻めをし、『数日後を楽しみにしていて下さい』と言った。
 その時私は、どうせ花束でも渡すのだろうと予想していた。が、答えは予想の遥か上を行っている。まさか、沼地帯を花まみれにするだなんて。
 このままだと、沼地帯が花畑地帯に変貌しかねない。景観はいいものの、少々やり過ぎている。しかし、どうやってこんなに持ってきたのだ?

 色々と疑問が浮かんできた私は、最後のゴーレムに問い掛けるべく扉を開け、すっかりと目覚めてしまった体で近づいていく。

「おい、ゴーレム」

「おお、アカシックさん。やっと起きてくれましたか。つい最近振りですね」

 あっけらかんと言った最後のゴーレムが、花を植えていた手を止め、曲げていた腰を正していく。

「そんな事はどうでもいい。この有り様は一体なんだ?」

「もちろん、サニーさんへの贈り物です。花が好きと言いましたからね。花畑地帯を参考にしてみたんです。どうですか、サニーさん。気に入ってくれましたか?」

「わたしへの、おくりもの?」

 当然、意味が分かっているはずもなく。サニーが教えてくれと言わんばかりの丸くしている瞳を、私に合わせてきた。

「私があげた画用紙と色棒みたいなものだ。お礼として受け取っておけ。かなりやり過ぎているがな」

 そう教えてやれば、サニーは理解したのかワンパクな笑みを浮かべ、最後のゴーレムに顔を戻す。
 最早、元に戻せとは言えない次元にまでなっているので、仕方なく受け取っておこう。

「ありがとっ、ごーれむさんっ!」

「うんうん、気に入ってくれたようでなによりです。もちろん、アカシックさんにも用意してありますよ」

「私にも?」

「はい。アカシックさんには二つあります。まず一つ目は、家の横に置いておきました」

「家の横……」

 家の横に顔をやってみると、見慣れない巨大な切り株が置いてあった。足を運んで中を覗いてみると、透き通った水が並々入っている。

「これは、水か?」

「ええ、泉の水です。無くなったら気兼ねなく言って下さい。どんどん持ってきますからね」

 花畑地帯から沼地帯に来るまで、山岳地帯の山を五十以上超えねばならないんだぞ? 言える訳がない。どれだけお人好しなんだ、こいつは?

「これだけで充分だ。私は魔女であって、悪魔ではない。山岳地帯を往復させるなんて流石に酷だ」

「いえいえ、山岳地帯を超える必要はありません。三十秒もあれば持って来れますよ」

「は? どうやってだ?」

 最後のゴーレムが言い放った言葉に、私は何も考えずに質問を返す。
 山岳地帯を超える必要がない。三十秒もあれば持って来れる。そんな事が出来るのは、瞬間移動ぐらいしか思い付かない。
 瞬間移動は、禁魔法の一つ。とは言っても、習得方法は太古の昔に潰えてしまったので、この世に使える者は居ないはずだが。

「え~っと……。あ、あの水鏡みずかがみの扉を通れば、あっという間に“精霊の森”に着きますので、すぐに持って来れます」

「水鏡の扉? ……なんだ、あれは?」

 最後のゴーレムが指差した方向に顔を向けると、遠くにある木と木の間に、波紋を立たせている水面の様な物が見えた。
 目を細めて近づいていく連れに、水面は見上げる程の大きさだと分かり。目の前まで来れば、どこか懐かしい独特の魔力を肌で感じ取った。
 この膨大な魔力には覚えがある。かなり昔だったはず。確か、場所は凍原地帯。相手は戦闘狂である氷の精霊『フローガンズ』。そいつの魔力に酷似している気がする。

「もしかして、水の精霊がこの道を……? ん、待てよ?」

 精霊という単語に引っ掛かりを持った私は、最後のゴーレムに顔を移す。

「お前今、精霊の森と言ったな? もしかして、あの森には水の精霊が住んでるのか?」

「鋭いですね。あまり声を出して言えませんが、確かに住んでいます。しかし、あの泉は隠れ家として使っているので、あまり姿を現してくれませんが。アカシックさんが帰った次の日に、丁度来たんですよね。そして、その精霊様から二つ目の贈り物です」
 
 言っていいものか怪しい説明をした最後のゴーレムが、腰にぶら下げていた布袋を、太い指で器用に開ける。
 中に入っている何かを掴むと、私の前まで握り拳を持ってきて、その手を開いた。

「これは、水のマナの結晶体……。しかも、二つも?」

 手の平にあったのは、鮮やかな光を放っている二つの水のマナの結晶体。二つ共かなり大きく、形全体が綺麗に整っている。

「本当にいいのか?」

「はい。精霊様に全ての経緯を話したら、是非にと。純度は最上級なので、魔力は永遠に枯渇する事が無いと言ってました」

「最上級……? フローガンズから貰った氷のマナの結晶体ですら、上級程度だったのに……」

 マナの結晶体の階級は、魔力の保持具合で決まる。精霊が居ない場所で群生している結晶体は、ほとんどが下位以下。
 普通の精霊が居る場所でも、中級か上級がいい所。最上級なぞ、文献の片隅に記されている幻の存在だ。本当にあるのかどうかすら怪しい代物だっていうのに。

「まさか……。水の大精霊が、あの森に?」

 水の大精霊。名前すら誰も知らない未確認の精霊。火、風、土、氷、光、闇に大精霊なる者が居るとされているが、共に存在は確認されていない。
 精霊が居るのであれば、その上も当然居る。そういった単純な発想で生まれた者達だ。なので、誰も姿を拝んだ事はないだろう。

「それ以上は言えません。何も言わずに受け取って下さい」

「そうか……。これをくれた奴に『ありがとう』と伝えといてくれ」

 とりあえず精霊からの贈り物なのだ。素直に受け取っておくか。一つは水の杖に装着しよう。そうすれば、火、水、氷、光の杖に結晶体が付いた状態になる。
 後は土と風だけ。闇の魔法だけはどうしても習得出来なかったので、杖すら召喚できないが。その内、魔法書でも読み漁ってみるか。
 もう一つは、使い道が思い付かない。あまりにも高価な故、使うのが勿体なさ過ぎる。魔力が枯渇しないというならば、大切に保管しておこう。

「それと二つほど……、私からお願いがあるのですが、よろしいでしょうか?」

「お願い? なんだ」

「一つ目は~……。こちらに植えた花も管理をしたいので、我々がここに常駐しても構いませんかね?」

「常駐……」

 そうか。花を植えたからには、責任を持って管理しなければならない。しかし、この提案はかなり良いかもしれない。
 ゴーレムが常に居るのであれば、魔物や獣がゴーレム達に恐れをなし、この沼地帯に近寄れなくなるだろう。
 そうすれば、自ずとサニーの行動範囲も増やせる。まったくもって安全とも言い難いが、今の環境よりかは遥かにいい。断る理由が一切無い。

「別に構わん。サニーはお前達に好意を寄せてるし、花が好きなんだ。夜だけ静かにしていればいい」

「おおっ! なんともありがたきお言葉! ありがとうございます! それでは、自己紹介がまだでしたね。私の名前は『クロフライム』と申します。以後、お見知りおきを」

「お前、名前があったんだな」

 やや驚いてしまった私が、思った事をそのまま口にしてしまうと、『クロフライム』と名乗った最後のゴーレムが、微笑みながらうなずいた。

「はい、精霊様から頂きました。とても気に入っています。それと……、もう一つのお願い、なんですが……」

 もう一つのお願いとやらを言う前に、クロフライムの表情がみるみる内に曇っていく。相当ばつが悪そうだ。聞きたくなくなってきたかもしれない。

「……なんだ?」

「向こうの方で……、沼に足を取られ、身動きが取れなくなってしまった仲間がいまして……。お助け願いたいの、ですが……」

「は?」
 
 私が呆気に取られた声を漏らすと、クロフライムの表情に苦笑いが混ざり込んだ。こいつらは、助けられてから何も学んでいないのか?
 もし水鏡の道から来ないで、山岳地帯を通って来たら、こいつらはまた全滅しかけていたかもしれないな。
 学ばないのであれは仕方ない。こいつらには罰を与えよう。私にはきっと、その権利がある。

「私は、帰り際に忠告したよな? なぜ同じあやまちを繰り返すんだ?」

「うっ……。とても耳が痛いお言葉で……」

「お前らには頭を冷やすべく、少なからずの罰を与える。今この沼地帯には、何体のゴーレムが居るんだ?」

「えと、十体ほどですが……。一体、何をするおつもりですか……?」

 クロフライムの問い掛けを無視し、私は蚊帳の外に追いやられ、ぽやっと立ち呆けているサニーに顔をやる。

「サニー、ゴーレムの絵を描きたいか?」

「かきたいっ!」

 ようやく自分の出番が回ってきて嬉しくなったのか、ここぞとばかりに声を張り上げるサニー。私は静かに頷き、クロフライムに顔を戻す。

「と、いう訳だ。罰はサニーが満足するまで、ずっと絵の相手をしてもらうぞ」

「……そ、それだけで、よろしいのですか?」

「もちろん一回だけじゃない。何回も相手をしろ。文句は言わせん、分かったな?」

 罰の内容が分かるや否や。安心し切ったようにクロフライムが肩を落としていく。あまりに大袈裟だ。どういう罰を想像していたのだろうか?

「よ、よかったぁ~……」

「どんな罰だと思ってたんだ?」

「……な、仲間全員を、破壊されるのかと、思ってました……」

「そんな事をするはずがないだろ。それだと、助けた意味がないじゃないか」

「で、ですよねぇ……。本当によかったぁ~……」

 本当に破壊されるのかと思っていたのか、大きなため息まで吐き出すクロフライム。もう、不安を煽る言い回しはやめておこう。
 体は頑丈で大きいものの、心が脆すぎる。一度捨てられた身なのだから、仕方がない事なのだろうが。

「そんな事はいいから、身動きが取れなくなった奴の所に案内しろ」

「わ、分かりました! こちらです!」

「サニーも行くぞ」

「わかったっ!」

 クロフライムを見失わぬよう、右手に素早く漆黒色の箒を召喚。先にサニーを私自らの手で乗せ、私も箒に跨り、宙に浮く。
 そして、轟音を響き渡らせながら走っているクロフライムを後を、急いで追いかけていった。
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