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5話、いい加減、名前を付ける
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気が付いたら、捨て子を拾ってから八ヶ月が経とうとしていた。
捨て子を拾ってからというものの、時間の流れがやたら早くなった気がする。
私の知らぬ間に加速していく時の流れ。この八ヶ月間、あっという間に過ぎたかもしれない。
三時間毎に粉ミルクをせがんできた捨て子は、ぐずりすらしなくなり、粉ミルクだけの食事はようやく終わりを迎え、離乳食となった。
離乳食は簡単でいい。一日に一回、大量のお湯でふやかした穀物を与えるだけでいいのだ。洗い物も少なく、煮沸消毒もしなくなった。
たまに気まぐれで観察をしていたが、捨て子の表情がだんだんと豊かになってきた。大体は泣きじゃくっていたのに対し、今では笑っている場面の方が増えている。
初めて離乳食を与えた時もそう。捨て子は眩しい笑顔でいて、私が作った離乳食を美味しそうに食べていた。ほぼ無味なはずだが、捨て子にとっては丁度いいのだろうか?
「飯だ、食え」
「あいー」
私が匙で離乳食をすくうと、座っていた捨て子は、手を揺らしながら差し伸べてくる。事前にある程度冷ました物なので、そのまま口の中に入れた。
捨て子は拾った時に比べると、身長が大分伸びてきた。髪の毛も生え揃ってきている。色は金色。女らしく、細くてサラサラした髪の毛だ。
「美味いか?」
口を動かしている捨て子に問い掛けてみるも、当然返答は無い。一心不乱に食べている。そして飲み込めば、また両手を差し伸べてきた。
その催促に応える様に、捨て子の口に離乳食を入れる私。また口を動かし始めると、捨て子はふくよかな笑みを浮かべた。たぶん美味いのだろう。
この頃になってくると、食事が終わっても捨て子は眠らないし、泣きもしない。ずっと起きてては、目に入る物全てを珍しそうに眺めている。
テーブル、鉄の大釜、埃かぶった本棚、新薬の副作用が体に起きてから、一切使用しなくなった暖炉。
腐らないよう凍らせている、魔物や獣の使えそうな部位。これらは目に毒かもしれない。後で隠しておこう。
食事が終わると、捨て子は濃霧色に染まった白い窓に顔を向けた。私もそれを追ってみると、雨でも降り始めたのか、窓に大量の水滴が滴っていた。
いつの間に降り出していたのだろうか? 濡れるのが嫌なので、今日は街に行くのはやめておこう。
次に捨て子は、天井に顔を移した。そこで何かに興味を示したのか、短い腕を目一杯伸ばし、とある物に指を差す。
「あーっ」
「む」
指先の方向に顔をやると、どうやら天井にぶら下がっているランプを指差している様だった。まだ外が明るいので、ランプには火が点っていない。
出番はもう少し先だが、私は黙ったまま指を鳴らし、魔法でランプに火を灯す。すると背後から弾んだ声が聞こえてきたので、顔を捨て子に戻した。
腕を伸ばしていた捨て子が楽しそうに笑っている。私は再び顔をランプに移し、捨て子に顔をやった。
「ランプに火が灯ったのが、そんなに楽しいのか?」
「あいっ、ういー」
手を叩いてはしゃぐ捨て子。満面の笑顔で喜んでいる。夜になれば毎回灯していたというのに、今まで見てなかったのだろうか?
今度はランプに灯った火を消す為に、もう一度指を鳴らす。やはり捨て子は大いにはしゃぎ、「おーっ」と声を上げた。
私にとってはごく普通で当たり前の事だが、捨て子にとっては初めて見る新鮮な光景であり、心に残る出来事なのだろう。
「お前は単純でいいな。……む」
ここで私は、お前という単語に違和感を覚えた。捨て子を拾ってから約八ヶ月もの間、大体は『おい』とか『お前』で呼んでいる。
だが、捨て子も人間の子。そろそろ名前を付けてやってもいい頃だ。元々付けるつもりなぞ毛頭無かったが、どうしてもこの違和感を払いたくなってしまった。
名前。そう決めたものの、いきなり思い付くはずもなく。腕を組みつつ頭に浮かんだ単語を並べ替え、消去法で弾いていくも、どれもピンと来る名前はなく、全て消えていった。
「おい、名前は何がいい?」
「うー、ういー?」
捨て子は不思議に思ったのか、青い瞳で私を見つめてくるだけ。気に入っている単語を言ってくれさえすれば、すぐにそれにしたのだが。
悩んでも無駄な時間を消費するだけなので、さっさと決めてしまおう。どうせなら意味のある名前にしたい。なら、捨て子に関連した物を入れればいいか。
捨て子に関連した物。青い瞳。眩しい笑顔。それに、明るい物に興味を示している。なら、これらに関連した物でいいだろう。
「青くて眩しい物……」
二つに合わせて呟けば、すぐに関連した物が思い浮かんだ。それは、太陽の日差しを乱反射させている海。
だが、これはない。まずない。海を連想してしまうと、自然と彼の事を思い出してしまう。私にとって海は大切な場所であり、忌々しい空間でもある。
そして何よりも、捨て子には勿体なさ過ぎる。それに、私の大切な場所を汚された気分にもなるので、絶対に付けたくない。
とうとう捨て子も声を発しなくなり、部屋内には、屋根を叩いている雨音だけが鳴り響く。どうやら雨足が強くなってきた様だ。
窓に目を向けてみれば、滴る水滴は大粒に変わっていた。そう言えば、この沼地帯は晴れの日が極端に少ない。ほぼ皆無に等しい。
他の地帯へ赴けば、途端に空模様は変わるが。この沼地帯は基本、曇りか雨の日しかない。ここに居る限り、晴れ渡る空は拝めないだろう。
「……晴れた空も青いな。なんなら太陽もあって、見上げれば眩しい。晴天の空、か」
海だけに囚われていた意識が、頭の上に広がる自由気ままな空へと向く。沼地帯は、常に分厚い暗雲が立ち込めているが、その上には空がある。
何物にも邪魔をされる事なく、そこに悠々と佇む青空が。そうか、捨て子の青い瞳を空と見立て、眩しい笑顔を太陽と例えればいい。
『サニー』。捨て子の名前はこれにしよう。男寄りの名前になってしまったが、もうこれ以上の名前が思い付かない。
「お前の名前は、これから『サニー』だ。この私が自ら付けた名前なんだ、ありがたいと思え」
「あいーっ、あー。きゃっきゃ」
私が意味を込めて名付けた名前を言うと、サニーは空の様に青い瞳を微笑ませ、太陽よりも眩しく笑った。きっと気に入ったのだろう。
今日から暗雲が支配している沼地帯に、一筋の青空が出来た。私の家の中だけという、とても限定的な青空だが。
捨て子を拾ってからというものの、時間の流れがやたら早くなった気がする。
私の知らぬ間に加速していく時の流れ。この八ヶ月間、あっという間に過ぎたかもしれない。
三時間毎に粉ミルクをせがんできた捨て子は、ぐずりすらしなくなり、粉ミルクだけの食事はようやく終わりを迎え、離乳食となった。
離乳食は簡単でいい。一日に一回、大量のお湯でふやかした穀物を与えるだけでいいのだ。洗い物も少なく、煮沸消毒もしなくなった。
たまに気まぐれで観察をしていたが、捨て子の表情がだんだんと豊かになってきた。大体は泣きじゃくっていたのに対し、今では笑っている場面の方が増えている。
初めて離乳食を与えた時もそう。捨て子は眩しい笑顔でいて、私が作った離乳食を美味しそうに食べていた。ほぼ無味なはずだが、捨て子にとっては丁度いいのだろうか?
「飯だ、食え」
「あいー」
私が匙で離乳食をすくうと、座っていた捨て子は、手を揺らしながら差し伸べてくる。事前にある程度冷ました物なので、そのまま口の中に入れた。
捨て子は拾った時に比べると、身長が大分伸びてきた。髪の毛も生え揃ってきている。色は金色。女らしく、細くてサラサラした髪の毛だ。
「美味いか?」
口を動かしている捨て子に問い掛けてみるも、当然返答は無い。一心不乱に食べている。そして飲み込めば、また両手を差し伸べてきた。
その催促に応える様に、捨て子の口に離乳食を入れる私。また口を動かし始めると、捨て子はふくよかな笑みを浮かべた。たぶん美味いのだろう。
この頃になってくると、食事が終わっても捨て子は眠らないし、泣きもしない。ずっと起きてては、目に入る物全てを珍しそうに眺めている。
テーブル、鉄の大釜、埃かぶった本棚、新薬の副作用が体に起きてから、一切使用しなくなった暖炉。
腐らないよう凍らせている、魔物や獣の使えそうな部位。これらは目に毒かもしれない。後で隠しておこう。
食事が終わると、捨て子は濃霧色に染まった白い窓に顔を向けた。私もそれを追ってみると、雨でも降り始めたのか、窓に大量の水滴が滴っていた。
いつの間に降り出していたのだろうか? 濡れるのが嫌なので、今日は街に行くのはやめておこう。
次に捨て子は、天井に顔を移した。そこで何かに興味を示したのか、短い腕を目一杯伸ばし、とある物に指を差す。
「あーっ」
「む」
指先の方向に顔をやると、どうやら天井にぶら下がっているランプを指差している様だった。まだ外が明るいので、ランプには火が点っていない。
出番はもう少し先だが、私は黙ったまま指を鳴らし、魔法でランプに火を灯す。すると背後から弾んだ声が聞こえてきたので、顔を捨て子に戻した。
腕を伸ばしていた捨て子が楽しそうに笑っている。私は再び顔をランプに移し、捨て子に顔をやった。
「ランプに火が灯ったのが、そんなに楽しいのか?」
「あいっ、ういー」
手を叩いてはしゃぐ捨て子。満面の笑顔で喜んでいる。夜になれば毎回灯していたというのに、今まで見てなかったのだろうか?
今度はランプに灯った火を消す為に、もう一度指を鳴らす。やはり捨て子は大いにはしゃぎ、「おーっ」と声を上げた。
私にとってはごく普通で当たり前の事だが、捨て子にとっては初めて見る新鮮な光景であり、心に残る出来事なのだろう。
「お前は単純でいいな。……む」
ここで私は、お前という単語に違和感を覚えた。捨て子を拾ってから約八ヶ月もの間、大体は『おい』とか『お前』で呼んでいる。
だが、捨て子も人間の子。そろそろ名前を付けてやってもいい頃だ。元々付けるつもりなぞ毛頭無かったが、どうしてもこの違和感を払いたくなってしまった。
名前。そう決めたものの、いきなり思い付くはずもなく。腕を組みつつ頭に浮かんだ単語を並べ替え、消去法で弾いていくも、どれもピンと来る名前はなく、全て消えていった。
「おい、名前は何がいい?」
「うー、ういー?」
捨て子は不思議に思ったのか、青い瞳で私を見つめてくるだけ。気に入っている単語を言ってくれさえすれば、すぐにそれにしたのだが。
悩んでも無駄な時間を消費するだけなので、さっさと決めてしまおう。どうせなら意味のある名前にしたい。なら、捨て子に関連した物を入れればいいか。
捨て子に関連した物。青い瞳。眩しい笑顔。それに、明るい物に興味を示している。なら、これらに関連した物でいいだろう。
「青くて眩しい物……」
二つに合わせて呟けば、すぐに関連した物が思い浮かんだ。それは、太陽の日差しを乱反射させている海。
だが、これはない。まずない。海を連想してしまうと、自然と彼の事を思い出してしまう。私にとって海は大切な場所であり、忌々しい空間でもある。
そして何よりも、捨て子には勿体なさ過ぎる。それに、私の大切な場所を汚された気分にもなるので、絶対に付けたくない。
とうとう捨て子も声を発しなくなり、部屋内には、屋根を叩いている雨音だけが鳴り響く。どうやら雨足が強くなってきた様だ。
窓に目を向けてみれば、滴る水滴は大粒に変わっていた。そう言えば、この沼地帯は晴れの日が極端に少ない。ほぼ皆無に等しい。
他の地帯へ赴けば、途端に空模様は変わるが。この沼地帯は基本、曇りか雨の日しかない。ここに居る限り、晴れ渡る空は拝めないだろう。
「……晴れた空も青いな。なんなら太陽もあって、見上げれば眩しい。晴天の空、か」
海だけに囚われていた意識が、頭の上に広がる自由気ままな空へと向く。沼地帯は、常に分厚い暗雲が立ち込めているが、その上には空がある。
何物にも邪魔をされる事なく、そこに悠々と佇む青空が。そうか、捨て子の青い瞳を空と見立て、眩しい笑顔を太陽と例えればいい。
『サニー』。捨て子の名前はこれにしよう。男寄りの名前になってしまったが、もうこれ以上の名前が思い付かない。
「お前の名前は、これから『サニー』だ。この私が自ら付けた名前なんだ、ありがたいと思え」
「あいーっ、あー。きゃっきゃ」
私が意味を込めて名付けた名前を言うと、サニーは空の様に青い瞳を微笑ませ、太陽よりも眩しく笑った。きっと気に入ったのだろう。
今日から暗雲が支配している沼地帯に、一筋の青空が出来た。私の家の中だけという、とても限定的な青空だが。
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